第22話
2.神の恋─センター試験。入学式
2004年1月17日。
私と月くんは電車に揺られてキャンパスへと向かい、『平成16年大学入試センター試験 東応大学試験会場』という看板が立てられた門をくぐろうとしていた。
「キミたち!試験開始20分前だよ!早くしなさい!」
スーツを着た男性が手を大きく振りながら、私達を急かしているのが遠くに見えた。
「教室で待つの嫌だから、三分前くらいには入りたかったな」
「そんな事言える人、きっとこの世で月くんだけだろうね」
月くんは冗談っぽく笑ってるけど、多分本音だろう。
20分前に着くように設定してくれたのは、私への配慮だと思った。
前世で何度も受験や試験を受けた経験があること。そして月くんに勉強を見てもらって自信がついている私だからこそ、20分前でも落ち着いてるけど。
そういう事情がなければ、一時間前についたって安心できなかったと思う。
教室に入ると、大勢の人間が机に向かい、誰もが緊張した面持ちで、体を硬直させ、息が浅くなっていた。
「始め」
チャイムの音がなり、腕時計を見ていた試験官が合図した瞬間、皆一斉にペンを取り、
一生懸命にペンを走らせ続けていた。
そんな緊迫した空気が漂うこの教室の中で、余裕な態度で挑んでいるのは、全国模試一位の月くんに鍛えられ続けた私と──
月くんの後ろの方の席に座っていた、独特な青年だけだろう。
「そこ…受験番号162番、ちゃんと座りなさい」
厳格そうなメガネの試験官に注意されるほど、妙な座り方をしていた青年。
靴下をはかず、素足のまま、椅子の上で三角座りをしていた。
私は2人を見渡せる一番後方の席に座っていたので、月くんが彼を振り返ってみたことも、
あの独特な青年が、じっと月くんを見つめ続けていた事にも気が付いていた。
****
2004年、4月5日。
平成16年度、東応大学入学式。私と月くんは無事、東大に合格し、入学式に挑んでいた。
東大に合格するというのは、一般的にはすごいと言われる事だ。
けれど、全然凄い事が起きたという実感がない。
昔からいつだってクラスではいつも一番の成績、文武両道、全国模試一位、果ては東大に成績トップで合格してしまった月くん。
そんな月くんに勉強みてもらっていた私が合格すのは当然のように思えた。
つまり、東大の入学式に出席しても、なんの感慨も抱けなかったのである。
月くんならなおさら、受かって当然と思い、今日という日を何も特別視してないに違いない。きっとただの通過点の1つだ。
だから、心から喜んでくれたのは、お互いの家族だけだった。
──全教科満点を取ったというのは、どうやら本当らしい。
月くんが新入生代表の挨拶を執り行うのだと、事前に聞いた私は、さすがに少し驚いた。
というか、感心した。
けれど、入学式に参加して、席に座り、学生たちが囁く声を聞くうちに、
さらに感心させられることになる。私に自覚が薄いだけで、やっぱり傍からみたら、とんでもなく凄い事をしてるんだ、月くんは。
すこし感心する程度で済むような事じゃない。
「新入生挨拶。新入生代表、夜神月」
「はい」
「同じく新入生代表、流河旱樹」
司会の男性の声かけで、新入生代表の二人が壇上へと上がって行った。
一人は月くん、あともう一人は…
スーツを着てかっちりと身なりを整えた月くんとは対照的に、白いTシャツ、ゆったりとしたデニムの上下、スニーカーという、ラフな恰好で挑んでいた青年だった。
二人が並んで階段を上がり、ステージに立ち、マイクに向かって挨拶をしようと段取りを進めていた。
「これって入試トップの成績で入ったやつがやるんだよな?」
「今年はトップが2人いたって事だろ…」
「しかも普通同じ点数でも教科で優劣つけないか?」
「数学より英語が点数高いと偉いとか?そんなのあるのか?」
「あの二人全教科満点って噂だよ」
「まじ?やっぱりいるんだ?そういうの…」
本来は全くの静寂を厳粛に保つべきであることは、皆わかってるはずだ。
だけど皆おさえられないのだけう。
この広い会場内で、さわさわと囁く声が、あちこちから聞こえてきた。
「新たな命がもえいずる春の息吹の中で…この輝かしい日をようやく迎える事ができ…」
月くんがマイクを通してスピーチをしているけれど、みんな右から左へ聞流している。
「あたしは断然右だな〜」
「えええ…京子あんた変…普通左だって…」
「し…しかしあの二人対照的だな…」
「ああ…一人はいかにも温室育ちの秀才って感じ出じだが…もう片方は…野性的というか相当変わってるな…」
「ああいうのを天才肌っていうのか?東大の入学式にあの服装…で挨拶…ナメてるか馬鹿かどっちかだ」
「馬鹿がトップで東大入れるかよ」
「壇上に上がる時見たが靴下も履いてなかった」
「単に貧乏なのかもしれないだろ」
「苦学生かよ!」
月くんが話終わると、皆形だけ拍手を送りながらも、二人の新入生代表たちに興味津々が隠せない。
結局二人が席に戻ってくるまで、ずっとざわざわと噂を続けていた。
──壇上から降りている間、二人は何か会話しているようだと、ふと気が付く。
視線がちらりとお互いの方へ向き、二人の口元が動いている。
会話してるのは遠目にも明白だった。
何を話しているんだろう、と眺めているうちに、二人が席まで戻ってきて、パイプ椅子に座った。
月くんの右隣には私が。そして月くんの左隣には、あのアイドル俳優と同姓同名の、流河旱樹が座っていた。
「──そして自らも警察官僚を目指し過去に数件の事件へ助言し解決に導き、今キラ事件にも興味を示している」
流河旱樹が語る中、月くんは左隣の彼へチラリと視線を送る事はなく、ただ無言で聞いているだけだった。
「その正義感と手腕を信じて、もし誰にも漏らさないと誓って頂ければ、キラ事件に関する重大な事をお話したいと思っています」
そこまで言われてからやっと、月くんは視線だけをちらりと流河旱樹にやっていた。
私はぎょっとしてしまって、月くんごしに流河旱樹をガン見してしまったというのに。
勿論、式典の最中であるし、内容が内容なので、声を絞って話している様子。とは言っても、現に流河旱樹の隣の隣に座る私には会話の内容が聞えてる。
それに、新入生代表が隣同士に座っているという事で、皆聞き耳を立ててるはずだ。
それなのに、彼は"キラ事件に関する重大な事を話す"と言った。
これでは月くんが"誰にももらさない"と約束したとしても、噂になってしまうだろう。
流河旱樹はこれだけ饒舌に月君に話しかけつつも、顔は正面を向いていて、傍目には真面目に入学式に参列している学生、といった姿を保っていた。
──この独特な座り方を覗けば、の話だけれど。センター試験前期日程の時と同じように、椅子の上に裸足で三角座りをしていた。
そしてそのまま、自然だけを月くんにちらりと向けている。
「…誰にも言わないよ。何?」
私が流河旱樹に対して疑心を抱いているように、月くんも訝しみ、値踏みをするような目で、少し硬い声色で返事をした。
「──わたしはLです」
流河旱樹がそう名乗った瞬間、視線だけでなく、ぐるりと顔を月くんの方へと向けて──まるで反応を伺うかのように、じっと横顔を見つめていた。
私はその流河旱樹の姿に思わず釘付けになりながら、ぽかん…と間抜けに口を開けてしまった。
そしてすぐに口元に手を当てて隠す。今のは女子として、あまり褒められた仕草ではなかったな…と反省したからだ。
そして人のやり取りを…ましてこんな至近距離で、野次馬するのもよくないだろう。
視線を正面に戻しながら、私は眉を下げてうーんと悩む。
「もしあなたがそうなら、僕の尊敬する、憧れの人です」
「どうも…名乗ったのは、キラ事件解決の力になって頂けるかもしれないと思ったからです」
月くんは、今度こそ流河旱樹…Lの方に顔を向けて、至極自然な挨拶を交わしていた。
表面上はお互い爽やかな声色でやり取りしているけれど、まるでお互いの腹を探り当っているようにしか見えない。
この世界のもう一人の主人公…通称Lは、姿を公にみせない。性別も年齢も本名も不明。
リンド・L・テイラーという影武者の死刑囚を使ってまで雲隠れする徹底っぷり。
そんな名探偵が、大勢の注目を浴びながら壇上で新入生代表の挨拶をして、
堂々と「Lです」と名乗るだろうか。
この流河旱樹もまた、影武者なんだろうか。であれば…月君はいったいいつ、もう一人の主人公と出会えるんだろう。
原作の漫画がどれだけ長いのかもわからないし、結末も知らない。
せめて巻数がわかれば、だいたいこの辺りで重要人物が出て来るだろう…という見当もつけられるけれど。
私が持っている情報が少なすぎて、何も想像がつかなかった。
***
「夜神くん──さん」
「……」
「……え?なに…?」
入学式が終わり、賑やかなキャンパスを出ると、一台のリムジンが目に入った。
そこには今まさに車に乗り込もうとしている流河旱樹…Lがいて、私達に挨拶をしているようだった。
またぽかんと口を開きそうになって、私はすぐに口元をおさえる。
新入生代表同士であり…刑事局長を父に持つ月くんのことを認知しているのは当然だろう。
仮にもLを自称する人間なのだから、幼馴染である私の事も調べているだろう。
けれど、私に対しても気さくに挨拶されるとは思わなかった。
「今日はどうも…」
「…いえ、こちらこそ…」
「さんとは今日はお話できませんでしたが…また今度、キャンパスで」
「あ、はい…また今度…?」
また今度キャンパスで、どうなるというんだろう。
とりあえず、社交辞令だろうとはいえ、挨拶されたのだからと、小さく手を振っておく。
彼は爽やかに言うと、今度こそ車に乗り込み、ドアが閉まる。
自称Lと私が何を…。…取り調べられるんだろうか。おそらく夜神家のついでだったとはいえ、家にも監視カメラが取り付けられていたのだ。
あり得ない話ではない。探られて痛い腹はない。…ない。からこそ。酷く困ってしまって、また眉が下がる。
「…すっげー車…リムジン?」
「どこのボンボンだあいつ…」
「しかも首席…やな感じ」
ざわざわと野次馬が車を取り囲むように囁く中、リムジンは静かに走り去って行った。
ミラー越しに、または後ろ窓を覗いてまで見られているとは思わなかったけど…
見送りに頭を下げてしまうのは、日本人の性だ。私はぺこりと車の後ろ姿に向けて頭を下げ、その姿が見えなくなるまで見送った。
そんな私の隣に立っていた月くんは、ふと口を開いた。
「…。これから、あの流河旱樹はどんどん僕達に絡んでくると思う。でもその度、そんなに几帳面に…いや、親切丁寧に相手しなくていいからね」
「……あの人は、"流河旱樹"なの?」
「Lであるという確証はない。影武者の可能性の方が高いと思うよ。でも、どちらにせよ──キャンパス内で"L"と呼ぶわけにもいかないしね」
「…そうだね」
そのまま電車に乗って自宅まで帰る途中、「ご飯でも食べて帰る?」と聞いてみると、「ちょっと疲れちゃったから、今日は早めにうちに帰って休むよ、ごめんね」と断られた。
新入生代表挨拶なんて、普通疲れて当然だろう。
けれど、あらよる局面でトップに立ち、表彰され慣れてる月くんが、"疲れた"と言うと思わなくて、少しびっくりした。
そして、私は深く反省する。月くんだって人間だ。前に出るのが嫌いじゃない、弁が立つ、慣れている。
いくらそういう人だからと言って、いつでも超人のままであれると、過信を押し付けてはならない、そう思った。
そしてお互いの自宅前で別れて、それぞれの家へと帰る。
そしてそれから──
月くんの言った通り、"流河旱樹"は、何かと月くんと私に絡んでくるのだった。
2.神の恋─センター試験。入学式
2004年1月17日。
私と月くんは電車に揺られてキャンパスへと向かい、『平成16年大学入試センター試験 東応大学試験会場』という看板が立てられた門をくぐろうとしていた。
「キミたち!試験開始20分前だよ!早くしなさい!」
スーツを着た男性が手を大きく振りながら、私達を急かしているのが遠くに見えた。
「教室で待つの嫌だから、三分前くらいには入りたかったな」
「そんな事言える人、きっとこの世で月くんだけだろうね」
月くんは冗談っぽく笑ってるけど、多分本音だろう。
20分前に着くように設定してくれたのは、私への配慮だと思った。
前世で何度も受験や試験を受けた経験があること。そして月くんに勉強を見てもらって自信がついている私だからこそ、20分前でも落ち着いてるけど。
そういう事情がなければ、一時間前についたって安心できなかったと思う。
教室に入ると、大勢の人間が机に向かい、誰もが緊張した面持ちで、体を硬直させ、息が浅くなっていた。
「始め」
チャイムの音がなり、腕時計を見ていた試験官が合図した瞬間、皆一斉にペンを取り、
一生懸命にペンを走らせ続けていた。
そんな緊迫した空気が漂うこの教室の中で、余裕な態度で挑んでいるのは、全国模試一位の月くんに鍛えられ続けた私と──
月くんの後ろの方の席に座っていた、独特な青年だけだろう。
「そこ…受験番号162番、ちゃんと座りなさい」
厳格そうなメガネの試験官に注意されるほど、妙な座り方をしていた青年。
靴下をはかず、素足のまま、椅子の上で三角座りをしていた。
私は2人を見渡せる一番後方の席に座っていたので、月くんが彼を振り返ってみたことも、
あの独特な青年が、じっと月くんを見つめ続けていた事にも気が付いていた。
****
2004年、4月5日。
平成16年度、東応大学入学式。私と月くんは無事、東大に合格し、入学式に挑んでいた。
東大に合格するというのは、一般的にはすごいと言われる事だ。
けれど、全然凄い事が起きたという実感がない。
昔からいつだってクラスではいつも一番の成績、文武両道、全国模試一位、果ては東大に成績トップで合格してしまった月くん。
そんな月くんに勉強みてもらっていた私が合格すのは当然のように思えた。
つまり、東大の入学式に出席しても、なんの感慨も抱けなかったのである。
月くんならなおさら、受かって当然と思い、今日という日を何も特別視してないに違いない。きっとただの通過点の1つだ。
だから、心から喜んでくれたのは、お互いの家族だけだった。
──全教科満点を取ったというのは、どうやら本当らしい。
月くんが新入生代表の挨拶を執り行うのだと、事前に聞いた私は、さすがに少し驚いた。
というか、感心した。
けれど、入学式に参加して、席に座り、学生たちが囁く声を聞くうちに、
さらに感心させられることになる。私に自覚が薄いだけで、やっぱり傍からみたら、とんでもなく凄い事をしてるんだ、月くんは。
すこし感心する程度で済むような事じゃない。
「新入生挨拶。新入生代表、夜神月」
「はい」
「同じく新入生代表、流河旱樹」
司会の男性の声かけで、新入生代表の二人が壇上へと上がって行った。
一人は月くん、あともう一人は…
スーツを着てかっちりと身なりを整えた月くんとは対照的に、白いTシャツ、ゆったりとしたデニムの上下、スニーカーという、ラフな恰好で挑んでいた青年だった。
二人が並んで階段を上がり、ステージに立ち、マイクに向かって挨拶をしようと段取りを進めていた。
「これって入試トップの成績で入ったやつがやるんだよな?」
「今年はトップが2人いたって事だろ…」
「しかも普通同じ点数でも教科で優劣つけないか?」
「数学より英語が点数高いと偉いとか?そんなのあるのか?」
「あの二人全教科満点って噂だよ」
「まじ?やっぱりいるんだ?そういうの…」
本来は全くの静寂を厳粛に保つべきであることは、皆わかってるはずだ。
だけど皆おさえられないのだけう。
この広い会場内で、さわさわと囁く声が、あちこちから聞こえてきた。
「新たな命がもえいずる春の息吹の中で…この輝かしい日をようやく迎える事ができ…」
月くんがマイクを通してスピーチをしているけれど、みんな右から左へ聞流している。
「あたしは断然右だな〜」
「えええ…京子あんた変…普通左だって…」
「し…しかしあの二人対照的だな…」
「ああ…一人はいかにも温室育ちの秀才って感じ出じだが…もう片方は…野性的というか相当変わってるな…」
「ああいうのを天才肌っていうのか?東大の入学式にあの服装…で挨拶…ナメてるか馬鹿かどっちかだ」
「馬鹿がトップで東大入れるかよ」
「壇上に上がる時見たが靴下も履いてなかった」
「単に貧乏なのかもしれないだろ」
「苦学生かよ!」
月くんが話終わると、皆形だけ拍手を送りながらも、二人の新入生代表たちに興味津々が隠せない。
結局二人が席に戻ってくるまで、ずっとざわざわと噂を続けていた。
──壇上から降りている間、二人は何か会話しているようだと、ふと気が付く。
視線がちらりとお互いの方へ向き、二人の口元が動いている。
会話してるのは遠目にも明白だった。
何を話しているんだろう、と眺めているうちに、二人が席まで戻ってきて、パイプ椅子に座った。
月くんの右隣には私が。そして月くんの左隣には、あのアイドル俳優と同姓同名の、流河旱樹が座っていた。
「──そして自らも警察官僚を目指し過去に数件の事件へ助言し解決に導き、今キラ事件にも興味を示している」
流河旱樹が語る中、月くんは左隣の彼へチラリと視線を送る事はなく、ただ無言で聞いているだけだった。
「その正義感と手腕を信じて、もし誰にも漏らさないと誓って頂ければ、キラ事件に関する重大な事をお話したいと思っています」
そこまで言われてからやっと、月くんは視線だけをちらりと流河旱樹にやっていた。
私はぎょっとしてしまって、月くんごしに流河旱樹をガン見してしまったというのに。
勿論、式典の最中であるし、内容が内容なので、声を絞って話している様子。とは言っても、現に流河旱樹の隣の隣に座る私には会話の内容が聞えてる。
それに、新入生代表が隣同士に座っているという事で、皆聞き耳を立ててるはずだ。
それなのに、彼は"キラ事件に関する重大な事を話す"と言った。
これでは月くんが"誰にももらさない"と約束したとしても、噂になってしまうだろう。
流河旱樹はこれだけ饒舌に月君に話しかけつつも、顔は正面を向いていて、傍目には真面目に入学式に参列している学生、といった姿を保っていた。
──この独特な座り方を覗けば、の話だけれど。センター試験前期日程の時と同じように、椅子の上に裸足で三角座りをしていた。
そしてそのまま、自然だけを月くんにちらりと向けている。
「…誰にも言わないよ。何?」
私が流河旱樹に対して疑心を抱いているように、月くんも訝しみ、値踏みをするような目で、少し硬い声色で返事をした。
「──わたしはLです」
流河旱樹がそう名乗った瞬間、視線だけでなく、ぐるりと顔を月くんの方へと向けて──まるで反応を伺うかのように、じっと横顔を見つめていた。
私はその流河旱樹の姿に思わず釘付けになりながら、ぽかん…と間抜けに口を開けてしまった。
そしてすぐに口元に手を当てて隠す。今のは女子として、あまり褒められた仕草ではなかったな…と反省したからだ。
そして人のやり取りを…ましてこんな至近距離で、野次馬するのもよくないだろう。
視線を正面に戻しながら、私は眉を下げてうーんと悩む。
「もしあなたがそうなら、僕の尊敬する、憧れの人です」
「どうも…名乗ったのは、キラ事件解決の力になって頂けるかもしれないと思ったからです」
月くんは、今度こそ流河旱樹…Lの方に顔を向けて、至極自然な挨拶を交わしていた。
表面上はお互い爽やかな声色でやり取りしているけれど、まるでお互いの腹を探り当っているようにしか見えない。
この世界のもう一人の主人公…通称Lは、姿を公にみせない。性別も年齢も本名も不明。
リンド・L・テイラーという影武者の死刑囚を使ってまで雲隠れする徹底っぷり。
そんな名探偵が、大勢の注目を浴びながら壇上で新入生代表の挨拶をして、
堂々と「Lです」と名乗るだろうか。
この流河旱樹もまた、影武者なんだろうか。であれば…月君はいったいいつ、もう一人の主人公と出会えるんだろう。
原作の漫画がどれだけ長いのかもわからないし、結末も知らない。
せめて巻数がわかれば、だいたいこの辺りで重要人物が出て来るだろう…という見当もつけられるけれど。
私が持っている情報が少なすぎて、何も想像がつかなかった。
***
「夜神くん──さん」
「……」
「……え?なに…?」
入学式が終わり、賑やかなキャンパスを出ると、一台のリムジンが目に入った。
そこには今まさに車に乗り込もうとしている流河旱樹…Lがいて、私達に挨拶をしているようだった。
またぽかんと口を開きそうになって、私はすぐに口元をおさえる。
新入生代表同士であり…刑事局長を父に持つ月くんのことを認知しているのは当然だろう。
仮にもLを自称する人間なのだから、幼馴染である私の事も調べているだろう。
けれど、私に対しても気さくに挨拶されるとは思わなかった。
「今日はどうも…」
「…いえ、こちらこそ…」
「さんとは今日はお話できませんでしたが…また今度、キャンパスで」
「あ、はい…また今度…?」
また今度キャンパスで、どうなるというんだろう。
とりあえず、社交辞令だろうとはいえ、挨拶されたのだからと、小さく手を振っておく。
彼は爽やかに言うと、今度こそ車に乗り込み、ドアが閉まる。
自称Lと私が何を…。…取り調べられるんだろうか。おそらく夜神家のついでだったとはいえ、家にも監視カメラが取り付けられていたのだ。
あり得ない話ではない。探られて痛い腹はない。…ない。からこそ。酷く困ってしまって、また眉が下がる。
「…すっげー車…リムジン?」
「どこのボンボンだあいつ…」
「しかも首席…やな感じ」
ざわざわと野次馬が車を取り囲むように囁く中、リムジンは静かに走り去って行った。
ミラー越しに、または後ろ窓を覗いてまで見られているとは思わなかったけど…
見送りに頭を下げてしまうのは、日本人の性だ。私はぺこりと車の後ろ姿に向けて頭を下げ、その姿が見えなくなるまで見送った。
そんな私の隣に立っていた月くんは、ふと口を開いた。
「…。これから、あの流河旱樹はどんどん僕達に絡んでくると思う。でもその度、そんなに几帳面に…いや、親切丁寧に相手しなくていいからね」
「……あの人は、"流河旱樹"なの?」
「Lであるという確証はない。影武者の可能性の方が高いと思うよ。でも、どちらにせよ──キャンパス内で"L"と呼ぶわけにもいかないしね」
「…そうだね」
そのまま電車に乗って自宅まで帰る途中、「ご飯でも食べて帰る?」と聞いてみると、「ちょっと疲れちゃったから、今日は早めにうちに帰って休むよ、ごめんね」と断られた。
新入生代表挨拶なんて、普通疲れて当然だろう。
けれど、あらよる局面でトップに立ち、表彰され慣れてる月くんが、"疲れた"と言うと思わなくて、少しびっくりした。
そして、私は深く反省する。月くんだって人間だ。前に出るのが嫌いじゃない、弁が立つ、慣れている。
いくらそういう人だからと言って、いつでも超人のままであれると、過信を押し付けてはならない、そう思った。
そしてお互いの自宅前で別れて、それぞれの家へと帰る。
そしてそれから──
月くんの言った通り、"流河旱樹"は、何かと月くんと私に絡んでくるのだった。