第18話
2.神の恋─FBI
「このバスは俺が乗っ取った!」
犯人が怒鳴りながら運転手に拳銃を突き付けると、「キャーッ!」と乗客たちの悲鳴が上がった。
私は予想だにしない展開に驚いて、最早声すら出ない。
諸外国に比べ、平和であると言われてる日本。けれど犯罪が全くない訳じゃない。
だからと言って、人質立てこもり事件とか、バスジャックとか、そういう類のものは
殆ど起こらない。
私の中では、乗った飛行機が落ちるか落ちないか、の確率と同じくらいの感覚だった。
私は飛行機に乗って、事故が起こると思って怖くなったことはない。そしてバスに乗って、バスジャックが起きるだなんて、想像したこともない。
だって、あまりにも確率が低すぎる。
そんな確率の低い現象が起った瞬間に、今自分が立会っているという実感が、全然わいてこなかった。
「騒ぐんじゃねーっ少しでも騒いだり動いたやつはぶっ殺す!」
犯人があまりにも大きな怒声を発するので、反射的に体がびくりと震えた。
隣にいる月くんが、犯人に見えないよう、私の肩ではなく、腰に腕を回して、傍に引き寄せてくれた。
安心させるように背中を撫でられて、少し落ち着く。
バスジャック犯は運転手にスペースランド事務所の電話番号を聞いて、電話をかけさせた。
そして今の状況を説明しろと命じた。
「124号車のドライバー佐々木です…」
「今の状況を教えてやれ」
「バ…バスを銃を持った男にジャックされました!」
運転手は、恐怖に震えた声で、犯人に指示された通りの内容を叫んだ。
──これは、私達がたまたま運が悪かっただけ?
それとも、この展開は物語の一部なの?だとしたら、私は何か行動すべき?
──天使さまは言う。私は何も知らないまま、自然体ですごせば上手くいくんだと。
でも、こんな極限状態に陥って、"何もしない"ということも、"自然体でいる"ということも、すごく難しい。
私の思考や不安を読んだかのように、天使様は私の背後から視界に入る位置にやってきて、手話でこう伝えてきた。
『なにもしなくていい。そのまま座っていれば、それでいい』
天使様がそういう断言できるという事は、やはりこの展開は物語の中の一部なのだろうと思った。
そうでなかったとすれば、『落ち着いて。騒いだら殺されてしまうかもしれない』だとか、
曖昧なことを言っていたはず。けれど天使様は含みのある言い方で、こうして断言してみせた。
「という事だ、よく聞け!昨日の売り上げをスペースランドふたつ手前のバス停、「夕日浜」まで女一人で車で持って来い、このバスが着く前にだ!小細工したり警察に知らせたら乗客をぶっ殺す!」
犯人は運転手から途中で奪った電話を切り、満足げな顔を浮かべた。
そこからは無言のドライブまの始まりだった。
人質立てこもりや、身代金要求をする際、得てして犯人は無茶な注文をする。
仮にスペースランド側が売り上げを渡す決断を即座に下してくれたとして、夕日浜にこのバスがつく前に大金を持って到着する──というのは、難しすぎると思う。
この後、「そんなのは物理的に不可能だ」とスペースランド側が言ってくれば、交渉でもするつもりがあるのだろうか。
そんな事を考えていると。
「…?」
隣に座る月くんが、私の太ももを指先で軽く叩いた。見ると、メモ帳の切れ端を私にみせようとしてくれているみたいだった。
何かが書いてある。筆談するつもりだとすぐ理解し、内容を読む。
『、大丈夫。安心して。犯人の隙を見て僕がピストルを持った手を押さえる。こういう時の対処法は刑事である父に教わっててる。犯人は小柄で弱弱しい。僕の方が力もある』
それも読んた瞬間、ぎゅっと月くんの手を握った。
確かに心得はあるのかもしれない。けれど、相手は銃を持っているのに。
必ず制圧できるという保証がどこにあるの?
犯人に悟られないように、まともにアイコンタクトさえ交わせない状態で、唯一私が出来るのは、月くんの手を握って、引き留めることだけ。
「──危険だ、やめろ。その時は私がやる」
その時、背後から男の人の声がして、またびくりと肩が跳ねた。
月くんもそれに気が付いて、また筆談しようとペンを取ったけど、「大丈夫だ、筆談などしなくても、小声なら走行音でこの会話は犯人には聞こえない」と男が言った。
それを聞いて、筆談しようと書きかけていた紙をぐしゃりと握りつぶし、コートのポケットへとしまい込む。
「失礼ですが、その喋り方、あなた日本人ではないですね?」
「ああ、日系のアメリカ人だが?」
「あの犯人の共犯者でないという証拠はありますか?」
月くんが言うと、男が動揺した気配した。振り返らなくてもそれが伝わってくる。
「…月くん」
私は努めて冷静でいるようにし、静かな声で言いつつも、握っていた手には自然と力がこもってしまった。
不安が伝わったのか、宥めるように優しく握り返してくれる。
「よくあるケースだよ。犯人は一人と思わせてえおいて、いざという時の為にあらかじめ後方からの見張りに共犯者を置いておく…」
私は昔から後部座席の方が好きだった。幼稚園バスに乗り始めた頃からそうで、
月くんは今では当たり前のように後方の二人掛けの席を選んでくれるようになっていた。
もしもこの男の人が本当に共犯者だったというなら、後部座席に座り違った私のせいで、接点を持ってしまったことになる。
私はもしかてね出会うはずではなかった二人を引き合わせた?原作とは外れた行動をとらせてはしまったのだろうか。
冷水を浴びせられたかのような心地になった。
「……」
「どうしました?」
男は、否定も肯定もせず、沈黙を貫き続けた。
まだ、この人が共犯者とわかった訳ではない。けれど月くんは、銃を持った犯人と共犯者であるという可能性のある男を相手に、こうも冷静に渡り合ってる。
恐れてる様子はない。私はそれが怖かった。
月くんは頭がよくて、度胸があって、バスジャック犯の制圧だって、一人で出来てしまうのかもしれない。でも、危険なことをしてほしくない。
大切な人が傷つくリスクを負う姿をみるのは、とてもつらい。
──もしかして、私のせいなんかじゃなくて…このやり取りも、物語の中で起ると最初から決まっていた出来事なんだろうか。
だとしたら月くんは、これから度々こんな非日常に出くわして、その度こんな風に戦おうとするんだろう。
「…これが証拠だ、みてくれ」
私がぎゅっと空いた片手で胸元を押さえていると、背後から月くんへ、何か手帳のような物が手渡された。
ちらりと私も横目でみたけれど、この角度からは、中身がみえない。
けれど月くんがその手帳を返しながら話した内容から、それがなんだったのか理解した。
「…信用します。今はあえて何故FBIの捜査官がここに乗り合わせたのかは聞きません。…銃は?」
「持ってる」
「では、いざという時はおまかせしていいですね?」
「…ああ」
背後にいる、名も知らぬ彼が、FBI捜査官だったという事。そして"いざ"という危険な時は、彼が対処してくれるという事。
それを聞いて心底ほっとした。
刑事を目指す月くんは、将来矢面に立って危ない事をせざるを得ない、そういう職につきたいと、危険を承知で望んでいる。
けれど今はただ、お父さんに対処法を聞いているだけ、優秀なだけの、訓練されてない一般人にすぎない。
その状態で、危ない事をしてほしくない。しなくても済む方向へ向かって、よかったと思った。
──そんな時の事だった。
「あ」と言って月くんが、床に落とした何かを拾おうとした。
もちろんそれに犯人が気が付かないはずがなく、銃をこちらへ向けてくる。
「おいお前!動くな!なんだその紙は…てめーっ乗客同士でメモ回して何か相談してたのか!」
犯人が月くんから奪うようにして拾ったのは、丸められた紙切れだった。
もしかして、あれは隙をみて犯人を取り押さえる、と書かれたあのメモ──?
FBIの彼と、私が揃って息を呑んだその瞬間。
「…けっデートの約束かよ、くだらねえっ」
内容を確認した犯人は、興味をなくしたようで、丸めて月くんの方に投げつけた。
月くんはそれをポケットの中にしいこむ。
中身は見えなかったけど、犯人の言葉から想像するに、スペースランド行きのバスの時刻なんかが書かれた、正真正銘、ただのメモ書きだったのだろう。
一瞬でも肝を冷やした私がばかだったのかもしれない。
──月くんに限って、そんな凡ミスをする訳がない。犯人を取り押さえる、なんて内容の紙を落とすなんて──
──でも、それをいうなら…この状況でうっかりと、物を落としてしまう事も、月くんらしくないというか、珍しいなと思った。
いくら月くんでも、こんな状況だ、動揺してるのかもしれない、と納得づける。
「な…なんだてめーは!?そ…そこの一番後ろの奴!」
──その時だった。バスジャック犯が、急に大きな声で叫び、半狂乱に陥った。
「何ふざけてやがる!い…いつからそこに居たー!?う…動くんじゃねーっう…撃つぞ化け物……!」
「まずい、麻薬中毒者特有の幻覚を見ている、みんな伏せろ!」
「キャーッ!」
FBI捜査官の男が伏せろと言った瞬間、バスジャック犯は喚き散らしながら、拳銃を何発も乱発する。
乗客たちは恐慌状態に陥り、あちこちから悲鳴が上がった。
一瞬、私の後ろにいる天使様をみられたのかと思った。今でこそ私は天使さまを心から天使だと信じているし、そういう風に見えるようになった。
けど、初対面のあのときにには、私にも「幽霊」とか「おばけ」のように見えていたのだから。
けれど現状、天使様を見ることができるのは、私だけのはずだ。
あのFBIの彼が言う通り、バスジャック犯が麻薬中毒だというなら、その言葉通り、何か恐ろしい"幻覚"をみているだけなのだろう。
「、大丈夫だからね…」
「う、うん…」
「…ああ、震えてるな…ごめんね、僕が遊びに行こうなんていったから…。かわいそうに」
「…こんなの…月くんのせいじゃないよ…」
「……そんな事はない…。…僕の、せいだ…。………。これから僕がいいというまで、顔をあげちゃだめだからね」
「…うん」
私は月くんに抱きしめられ、胸に顔を埋めて、何も見えないような状態になった。
「やった、弾切れだ!」
「ひいい〜っ車を止めてドアを開けろ!」
何発も続いていた銃声が止むと、FBIの彼が歓喜の声を上げる。それと共にバスジャック犯は悲鳴上げ、バスは停車し、ドアが開く音がした。
その後に男がバスを飛び出す靴音が聞え、そして、その次の瞬間──
キキイというブレーキの音と、ドン、と鈍くて大きな音が木霊した。
見えなくても、何が起きたのか、想像するのは容易い。
急停車したバスから道路へと飛び降りたバスジャック犯は、反対車線を走行していた車にはねられてしまったのだろう。
「…月、くん」
「みない方がいい…、そのまま、目を閉じてて。…深呼吸して」
月くんは縋りついて震える私の耳を、両手で塞いで、落ち着けてくれた。
きっと私が、危ないバスジャック犯だとか、銃を発砲された状況だとか、人が死んだことを怖がってると思ってる。
でも、そんなんじゃない。私が本当に怖かったのは──
「月くん…こわかった」
「…うん」
「ら、月くんが…もしかしたら…危ない目にあってたかもしれないって、思ったら、…こわくて…っ」
「……、……。」
耳をふさがれていても、完全に音が遮断されている訳じゃない。
月くんが息を呑むのが微かに伝わってきた。月くんの言う通り、私は未だ目を瞑ったまま。
しばらく沈黙が続いたかと思うと、額にキスをされたのがわかった。
もちろん、それをしたとは、隣に座る月くんに他ならない。
人が何人も間近にいる、こんな公の場でそんな行為をされるのは、初めての事だった。
月くんは公然とイチャつく事を好むような人間じゃない。
そうすべきでない、そうしたくないと考えているから、意識的に、そうしないように律してる。
──ということは、今のキスには理由があるのだ。
私を安心させるための行動か──もしくは、月くんの身体が、公共の場だという事も忘れるくらい、自然と動いてしまった、とか。
その真相は、私にはわからないままだった。
***
「…君たち」
「はい?」
「実は私は、極秘の捜査で日本に来ていて日本の警察には…その…」
「……わかりました。あなたに会った事は誰にもいいません。もちろん父にも」
「…私、も。誰にも言いません…」
「じゃあ、私はここで…警察が来ると面倒なので…」
FBIの彼は、ずっと後部座席にいて、私達には声しか聞こえない状態だった。
事態が落ち着き、バスを降車しながら、FBIの彼は、私達の目を見つめながら、そんなお願いしてきた。
瞳の色も、肌の色も、堀の深さも日本人離れしている。
月くんが喋り方から日本人ではないと言った通り、彼は確かに外国人であるようだった。
日本警察に見つかると、言葉通り本当に面倒なことになるのだろう。
彼が逃げるようにその場を後にして、その背中を見つめながら「…」と月くんが口を開く。
「…なあに?」
「彼の言った通り、誰にも言わないようにしよう。もちろん、家族にも友達にも…特に、僕の父は刑事だ。伝わってしまうと、彼の捜査に支障が出る」
「うん…邪魔をするのはダメだねよね…わざわざ日本にまできて、きっと大事な捜査をしてるんだろうから…」
「うん、…彼がここにいたと、教えてしまうような事は…"それが例えどんな状況であれ"やってはいけないと思う。…だから、これは僕と二人だけの秘密にしよう」
FBIと日本警察は違う組織であるけれど、正義に基づき悪を暴こうとする、その事は共通している事だろう
月くんなりに感じるものがあって、彼を応援したいと思っているのだろうと私は思った。
月くんは私がこくりと頷くと、穏やかに笑って私の頭を撫でた。
「…スペースランド、どうする?遊びに行った方がの気が晴れて、落ち着けるなら…今からでも行こうか。それとも…」
「……月くんの部屋にいきたい」
「……、…。うん」
「夜まで、いてもいい?」
「……いいよ。今日はゆっくりしようか」
お母さんには、日中はごたごたしているだろうから、夕飯の時間までは外で遊んできなさいと言われていた。
けれど、こんな目にあって、とてもスペースランドに遊びに行く気分にはなれない。
じゃあどうしたいかと言われたら…落ち着ける場所にいきたいと思った。
そして私にとって落ち着ける場所といえば、月くんの隣。
正義の主人公であるという月くんの隣はこの世界のどこよりも落ち着けた。
尚且つ、小さいころから信頼関係を積み上げてきた事もあって、血の繋がった家族より…
──この世の誰よりも、信じることができる。
そして私のことを好きでいてくれていて…──守ってくれると、心から信じられる。
そんな事を考えながら、月くんと手を繋ぎながら歩いていると…遅れて気が付いた。
「夜まで一緒にいたい、あなたの部屋で」なんて、とても意味心なことを言ってしまったという事に。
私達は怖い目にあったばかりなのだから、月くんも、言葉通りの意味に受け取ってくれただろう。
遊びに行くよりも、月くんと一緒に部屋にいる方が落ち着ける。
ただそれだけの意味だと──
けれど、私は変に意識しすぎてしまって、自意識過剰だとわかりながらも、その日月くんの部屋で落ち着く事ができなかった。
意味心な言葉で、青年の純情を持て遊んでしまったかのようで、頭を抱えてしまったのだ。
けれどそのおかげと言っていいのか、バスジャックに遭遇したせいで抱いた恐怖心なんかはすぐに忘れて、次の日にはすぐに日常生活に戻る事ができた。
2.神の恋─FBI
「このバスは俺が乗っ取った!」
犯人が怒鳴りながら運転手に拳銃を突き付けると、「キャーッ!」と乗客たちの悲鳴が上がった。
私は予想だにしない展開に驚いて、最早声すら出ない。
諸外国に比べ、平和であると言われてる日本。けれど犯罪が全くない訳じゃない。
だからと言って、人質立てこもり事件とか、バスジャックとか、そういう類のものは
殆ど起こらない。
私の中では、乗った飛行機が落ちるか落ちないか、の確率と同じくらいの感覚だった。
私は飛行機に乗って、事故が起こると思って怖くなったことはない。そしてバスに乗って、バスジャックが起きるだなんて、想像したこともない。
だって、あまりにも確率が低すぎる。
そんな確率の低い現象が起った瞬間に、今自分が立会っているという実感が、全然わいてこなかった。
「騒ぐんじゃねーっ少しでも騒いだり動いたやつはぶっ殺す!」
犯人があまりにも大きな怒声を発するので、反射的に体がびくりと震えた。
隣にいる月くんが、犯人に見えないよう、私の肩ではなく、腰に腕を回して、傍に引き寄せてくれた。
安心させるように背中を撫でられて、少し落ち着く。
バスジャック犯は運転手にスペースランド事務所の電話番号を聞いて、電話をかけさせた。
そして今の状況を説明しろと命じた。
「124号車のドライバー佐々木です…」
「今の状況を教えてやれ」
「バ…バスを銃を持った男にジャックされました!」
運転手は、恐怖に震えた声で、犯人に指示された通りの内容を叫んだ。
──これは、私達がたまたま運が悪かっただけ?
それとも、この展開は物語の一部なの?だとしたら、私は何か行動すべき?
──天使さまは言う。私は何も知らないまま、自然体ですごせば上手くいくんだと。
でも、こんな極限状態に陥って、"何もしない"ということも、"自然体でいる"ということも、すごく難しい。
私の思考や不安を読んだかのように、天使様は私の背後から視界に入る位置にやってきて、手話でこう伝えてきた。
『なにもしなくていい。そのまま座っていれば、それでいい』
天使様がそういう断言できるという事は、やはりこの展開は物語の中の一部なのだろうと思った。
そうでなかったとすれば、『落ち着いて。騒いだら殺されてしまうかもしれない』だとか、
曖昧なことを言っていたはず。けれど天使様は含みのある言い方で、こうして断言してみせた。
「という事だ、よく聞け!昨日の売り上げをスペースランドふたつ手前のバス停、「夕日浜」まで女一人で車で持って来い、このバスが着く前にだ!小細工したり警察に知らせたら乗客をぶっ殺す!」
犯人は運転手から途中で奪った電話を切り、満足げな顔を浮かべた。
そこからは無言のドライブまの始まりだった。
人質立てこもりや、身代金要求をする際、得てして犯人は無茶な注文をする。
仮にスペースランド側が売り上げを渡す決断を即座に下してくれたとして、夕日浜にこのバスがつく前に大金を持って到着する──というのは、難しすぎると思う。
この後、「そんなのは物理的に不可能だ」とスペースランド側が言ってくれば、交渉でもするつもりがあるのだろうか。
そんな事を考えていると。
「…?」
隣に座る月くんが、私の太ももを指先で軽く叩いた。見ると、メモ帳の切れ端を私にみせようとしてくれているみたいだった。
何かが書いてある。筆談するつもりだとすぐ理解し、内容を読む。
『、大丈夫。安心して。犯人の隙を見て僕がピストルを持った手を押さえる。こういう時の対処法は刑事である父に教わっててる。犯人は小柄で弱弱しい。僕の方が力もある』
それも読んた瞬間、ぎゅっと月くんの手を握った。
確かに心得はあるのかもしれない。けれど、相手は銃を持っているのに。
必ず制圧できるという保証がどこにあるの?
犯人に悟られないように、まともにアイコンタクトさえ交わせない状態で、唯一私が出来るのは、月くんの手を握って、引き留めることだけ。
「──危険だ、やめろ。その時は私がやる」
その時、背後から男の人の声がして、またびくりと肩が跳ねた。
月くんもそれに気が付いて、また筆談しようとペンを取ったけど、「大丈夫だ、筆談などしなくても、小声なら走行音でこの会話は犯人には聞こえない」と男が言った。
それを聞いて、筆談しようと書きかけていた紙をぐしゃりと握りつぶし、コートのポケットへとしまい込む。
「失礼ですが、その喋り方、あなた日本人ではないですね?」
「ああ、日系のアメリカ人だが?」
「あの犯人の共犯者でないという証拠はありますか?」
月くんが言うと、男が動揺した気配した。振り返らなくてもそれが伝わってくる。
「…月くん」
私は努めて冷静でいるようにし、静かな声で言いつつも、握っていた手には自然と力がこもってしまった。
不安が伝わったのか、宥めるように優しく握り返してくれる。
「よくあるケースだよ。犯人は一人と思わせてえおいて、いざという時の為にあらかじめ後方からの見張りに共犯者を置いておく…」
私は昔から後部座席の方が好きだった。幼稚園バスに乗り始めた頃からそうで、
月くんは今では当たり前のように後方の二人掛けの席を選んでくれるようになっていた。
もしもこの男の人が本当に共犯者だったというなら、後部座席に座り違った私のせいで、接点を持ってしまったことになる。
私はもしかてね出会うはずではなかった二人を引き合わせた?原作とは外れた行動をとらせてはしまったのだろうか。
冷水を浴びせられたかのような心地になった。
「……」
「どうしました?」
男は、否定も肯定もせず、沈黙を貫き続けた。
まだ、この人が共犯者とわかった訳ではない。けれど月くんは、銃を持った犯人と共犯者であるという可能性のある男を相手に、こうも冷静に渡り合ってる。
恐れてる様子はない。私はそれが怖かった。
月くんは頭がよくて、度胸があって、バスジャック犯の制圧だって、一人で出来てしまうのかもしれない。でも、危険なことをしてほしくない。
大切な人が傷つくリスクを負う姿をみるのは、とてもつらい。
──もしかして、私のせいなんかじゃなくて…このやり取りも、物語の中で起ると最初から決まっていた出来事なんだろうか。
だとしたら月くんは、これから度々こんな非日常に出くわして、その度こんな風に戦おうとするんだろう。
「…これが証拠だ、みてくれ」
私がぎゅっと空いた片手で胸元を押さえていると、背後から月くんへ、何か手帳のような物が手渡された。
ちらりと私も横目でみたけれど、この角度からは、中身がみえない。
けれど月くんがその手帳を返しながら話した内容から、それがなんだったのか理解した。
「…信用します。今はあえて何故FBIの捜査官がここに乗り合わせたのかは聞きません。…銃は?」
「持ってる」
「では、いざという時はおまかせしていいですね?」
「…ああ」
背後にいる、名も知らぬ彼が、FBI捜査官だったという事。そして"いざ"という危険な時は、彼が対処してくれるという事。
それを聞いて心底ほっとした。
刑事を目指す月くんは、将来矢面に立って危ない事をせざるを得ない、そういう職につきたいと、危険を承知で望んでいる。
けれど今はただ、お父さんに対処法を聞いているだけ、優秀なだけの、訓練されてない一般人にすぎない。
その状態で、危ない事をしてほしくない。しなくても済む方向へ向かって、よかったと思った。
──そんな時の事だった。
「あ」と言って月くんが、床に落とした何かを拾おうとした。
もちろんそれに犯人が気が付かないはずがなく、銃をこちらへ向けてくる。
「おいお前!動くな!なんだその紙は…てめーっ乗客同士でメモ回して何か相談してたのか!」
犯人が月くんから奪うようにして拾ったのは、丸められた紙切れだった。
もしかして、あれは隙をみて犯人を取り押さえる、と書かれたあのメモ──?
FBIの彼と、私が揃って息を呑んだその瞬間。
「…けっデートの約束かよ、くだらねえっ」
内容を確認した犯人は、興味をなくしたようで、丸めて月くんの方に投げつけた。
月くんはそれをポケットの中にしいこむ。
中身は見えなかったけど、犯人の言葉から想像するに、スペースランド行きのバスの時刻なんかが書かれた、正真正銘、ただのメモ書きだったのだろう。
一瞬でも肝を冷やした私がばかだったのかもしれない。
──月くんに限って、そんな凡ミスをする訳がない。犯人を取り押さえる、なんて内容の紙を落とすなんて──
──でも、それをいうなら…この状況でうっかりと、物を落としてしまう事も、月くんらしくないというか、珍しいなと思った。
いくら月くんでも、こんな状況だ、動揺してるのかもしれない、と納得づける。
「な…なんだてめーは!?そ…そこの一番後ろの奴!」
──その時だった。バスジャック犯が、急に大きな声で叫び、半狂乱に陥った。
「何ふざけてやがる!い…いつからそこに居たー!?う…動くんじゃねーっう…撃つぞ化け物……!」
「まずい、麻薬中毒者特有の幻覚を見ている、みんな伏せろ!」
「キャーッ!」
FBI捜査官の男が伏せろと言った瞬間、バスジャック犯は喚き散らしながら、拳銃を何発も乱発する。
乗客たちは恐慌状態に陥り、あちこちから悲鳴が上がった。
一瞬、私の後ろにいる天使様をみられたのかと思った。今でこそ私は天使さまを心から天使だと信じているし、そういう風に見えるようになった。
けど、初対面のあのときにには、私にも「幽霊」とか「おばけ」のように見えていたのだから。
けれど現状、天使様を見ることができるのは、私だけのはずだ。
あのFBIの彼が言う通り、バスジャック犯が麻薬中毒だというなら、その言葉通り、何か恐ろしい"幻覚"をみているだけなのだろう。
「、大丈夫だからね…」
「う、うん…」
「…ああ、震えてるな…ごめんね、僕が遊びに行こうなんていったから…。かわいそうに」
「…こんなの…月くんのせいじゃないよ…」
「……そんな事はない…。…僕の、せいだ…。………。これから僕がいいというまで、顔をあげちゃだめだからね」
「…うん」
私は月くんに抱きしめられ、胸に顔を埋めて、何も見えないような状態になった。
「やった、弾切れだ!」
「ひいい〜っ車を止めてドアを開けろ!」
何発も続いていた銃声が止むと、FBIの彼が歓喜の声を上げる。それと共にバスジャック犯は悲鳴上げ、バスは停車し、ドアが開く音がした。
その後に男がバスを飛び出す靴音が聞え、そして、その次の瞬間──
キキイというブレーキの音と、ドン、と鈍くて大きな音が木霊した。
見えなくても、何が起きたのか、想像するのは容易い。
急停車したバスから道路へと飛び降りたバスジャック犯は、反対車線を走行していた車にはねられてしまったのだろう。
「…月、くん」
「みない方がいい…、そのまま、目を閉じてて。…深呼吸して」
月くんは縋りついて震える私の耳を、両手で塞いで、落ち着けてくれた。
きっと私が、危ないバスジャック犯だとか、銃を発砲された状況だとか、人が死んだことを怖がってると思ってる。
でも、そんなんじゃない。私が本当に怖かったのは──
「月くん…こわかった」
「…うん」
「ら、月くんが…もしかしたら…危ない目にあってたかもしれないって、思ったら、…こわくて…っ」
「……、……。」
耳をふさがれていても、完全に音が遮断されている訳じゃない。
月くんが息を呑むのが微かに伝わってきた。月くんの言う通り、私は未だ目を瞑ったまま。
しばらく沈黙が続いたかと思うと、額にキスをされたのがわかった。
もちろん、それをしたとは、隣に座る月くんに他ならない。
人が何人も間近にいる、こんな公の場でそんな行為をされるのは、初めての事だった。
月くんは公然とイチャつく事を好むような人間じゃない。
そうすべきでない、そうしたくないと考えているから、意識的に、そうしないように律してる。
──ということは、今のキスには理由があるのだ。
私を安心させるための行動か──もしくは、月くんの身体が、公共の場だという事も忘れるくらい、自然と動いてしまった、とか。
その真相は、私にはわからないままだった。
***
「…君たち」
「はい?」
「実は私は、極秘の捜査で日本に来ていて日本の警察には…その…」
「……わかりました。あなたに会った事は誰にもいいません。もちろん父にも」
「…私、も。誰にも言いません…」
「じゃあ、私はここで…警察が来ると面倒なので…」
FBIの彼は、ずっと後部座席にいて、私達には声しか聞こえない状態だった。
事態が落ち着き、バスを降車しながら、FBIの彼は、私達の目を見つめながら、そんなお願いしてきた。
瞳の色も、肌の色も、堀の深さも日本人離れしている。
月くんが喋り方から日本人ではないと言った通り、彼は確かに外国人であるようだった。
日本警察に見つかると、言葉通り本当に面倒なことになるのだろう。
彼が逃げるようにその場を後にして、その背中を見つめながら「…」と月くんが口を開く。
「…なあに?」
「彼の言った通り、誰にも言わないようにしよう。もちろん、家族にも友達にも…特に、僕の父は刑事だ。伝わってしまうと、彼の捜査に支障が出る」
「うん…邪魔をするのはダメだねよね…わざわざ日本にまできて、きっと大事な捜査をしてるんだろうから…」
「うん、…彼がここにいたと、教えてしまうような事は…"それが例えどんな状況であれ"やってはいけないと思う。…だから、これは僕と二人だけの秘密にしよう」
FBIと日本警察は違う組織であるけれど、正義に基づき悪を暴こうとする、その事は共通している事だろう
月くんなりに感じるものがあって、彼を応援したいと思っているのだろうと私は思った。
月くんは私がこくりと頷くと、穏やかに笑って私の頭を撫でた。
「…スペースランド、どうする?遊びに行った方がの気が晴れて、落ち着けるなら…今からでも行こうか。それとも…」
「……月くんの部屋にいきたい」
「……、…。うん」
「夜まで、いてもいい?」
「……いいよ。今日はゆっくりしようか」
お母さんには、日中はごたごたしているだろうから、夕飯の時間までは外で遊んできなさいと言われていた。
けれど、こんな目にあって、とてもスペースランドに遊びに行く気分にはなれない。
じゃあどうしたいかと言われたら…落ち着ける場所にいきたいと思った。
そして私にとって落ち着ける場所といえば、月くんの隣。
正義の主人公であるという月くんの隣はこの世界のどこよりも落ち着けた。
尚且つ、小さいころから信頼関係を積み上げてきた事もあって、血の繋がった家族より…
──この世の誰よりも、信じることができる。
そして私のことを好きでいてくれていて…──守ってくれると、心から信じられる。
そんな事を考えながら、月くんと手を繋ぎながら歩いていると…遅れて気が付いた。
「夜まで一緒にいたい、あなたの部屋で」なんて、とても意味心なことを言ってしまったという事に。
私達は怖い目にあったばかりなのだから、月くんも、言葉通りの意味に受け取ってくれただろう。
遊びに行くよりも、月くんと一緒に部屋にいる方が落ち着ける。
ただそれだけの意味だと──
けれど、私は変に意識しすぎてしまって、自意識過剰だとわかりながらも、その日月くんの部屋で落ち着く事ができなかった。
意味心な言葉で、青年の純情を持て遊んでしまったかのようで、頭を抱えてしまったのだ。
けれどそのおかげと言っていいのか、バスジャックに遭遇したせいで抱いた恐怖心なんかはすぐに忘れて、次の日にはすぐに日常生活に戻る事ができた。