第16話
2.神の恋表舞台に立つ主人公たち

私は受験勉強の傍ら、手話の勉強をしていた。
理由は簡単だ。──天使様がそういったから。
それを告げられたのは、出会ってすぐのこと…九月の秋。


『手話の本を買って、勉強すること。これは必ず覚えてほしい。そして、聴覚障害を題材にした本をいくつか買って、本棚にいれる。出来れば、中身まで読めればベスト』


さらさらと綺麗な文字で、ルーズリーフに起用に書き綴る天使様。
けれどやはり、天使様は人間とは違う四肢をしている。それでもペンを持つ事や、指先を自由に動かす事はできるようだ。
手話で離すのは主には天使様で、私はそれが読みとれるようになればいいらしい。
要するに、英語が話せても、読み書きができない状態と同じだ。
そしてそんな天使様は、出来るだけ筆談を控えている。
何故なら、天使様が書いた紙は、丸めてゴミ箱に捨てるだけでは済まない。
お父さんのタバコの灰皿を使って、ライターで火をつけて、念入りに燃やして処分する手間がかかるからだ。
そうする理由を聞いてみると、「ちぎって捨てるだけだと、修復しようと思えば可能だから」と答えられた。
シュレッダーなんてものが、一般家庭にある訳でもないし。
天使様は気にせず普段通りすごせばいいと言っていたけど──この世界は、本当に、徹底した用心が必要な世界なのだと、端々のことから、嫌でも意識してしまう。

そして、天使様のいうことに、無駄なことは一つもなかった。

そして時は流れて、12月の頭。秋頃から真剣に勉強してきたので、大分手話についての理解は深まってきたと思う。


「ごめんね、あまり勉強につき合えなくなって…一緒の大学に行きたいってねだったのは、僕の方なのに」
「そんなの、気にしないで。一切だめってわけじゃなく、たまには見てくれるんでしょう?それで十分だよ」


月くんは、秋の終わりごろから、自分の勉強に集中したいと言い、勉強会のペースを減らしたいと言ってきた。
同じ学校、同じ塾にも通っているけど、もう「少し居残るから」といったりして、帰りが別々になることも増えてきていた。
私はそれに快諾した。自分の勉強そっちの気で私の勉強の方に時間を割いている今までの方が、むしろおかしかったのだ。
本当に申し訳なさそうに月君はしているけど、私は少しも気にならなかった。
今日は「たまに」になった勉強会の日だった。いつものように月くんの部屋にいると、妙な気分になってくる。
いくら頻度が減ったと言っても、もう幼少期からずっと…
家の自室よりも、月くんの部屋にいる時間の方が長く感じるくらい、入り浸っているからだ。

机に向かって勉強している月くんの背中を横目に、月君のベッドの上に寝転がる。そして自宅から持ち込んできた、手話の本を読んでいた。

「…。自分の勉強は?」
「ちょっと休憩」
「粧裕みたいなこと言って…僕がみてなくても勉強しなきゃだめだよ」
「んー…でも、今だってある意味、勉強中だもん」
「ん…?今何読んでるの?」
「手話の本」
「…どうして、そんなものを急に…?」
「ええと…聴覚障害のある子が主人公の小説を読んで、興味がわいたの」
「ふうん…ま、覚えて無駄なものはないからね。…でも、ほどほどにしておきなよ、受験生のさん」
「はい、月せんせい」


天使様のいった通り、聴覚障害を題材にした本を読んだという言い訳をすると、手話の勉強をしていても、すんなりと受け入れられた。
こうした積み重ねで、私はどんどん、天使様のことを信頼し、天使様の言う事には全て意味があると信じ、実行することを躊躇わなかった。

月君は勉強しながら、机の上のテレビをみつつ、私と会話している。
聖徳太子…とは少し違うけど、本当に器用だなと思った。
そうはいってもだ。同時に色んなことができると言っても、邪魔は邪魔だろう。


「…それじゃあ、そろそろ私、自分の部屋に戻るね」
、勉強。」
「もー…わかってるよ?勉強しに戻ります」
「よろしい。いってらっしゃい」


家の自宅に戻り、自室に戻る前にリビングの前を通り過ぎようとすると、お母さんがテレビの前で棒立ちになっているのを見つけた。

「どうしたの?お母さん」
「いや、その…テレビ番組をみてたら、急におかしな放送が流れて…」
「おかしな放送…?」

お母さんの傍に歩み寄り、同じように画面を眺める。


『番組の途中ですがICPOからの全世界同時生中継を行います。日本語同時通訳はヨシオ・アンダーソン』
「全世界って…とんでもないわね…」
「このひと、だれかな…?」


画面の中には、椅子に座った男の人が一人。たったそれでけしか映っていなかった。


『私は全世界の警察を動かせる唯一の人間、リンド・L・テイラー、通称「L」です』


私はそれを聞いた瞬間、ヒュッと息を呑んだ。


「え、える…?」


──それは、この世界にいる主人公二人のうちの、もう一人の名前じゃないか。
思わず口元を手でおおってしまった。


『キラ、お前がどのような考えでこのようなことをしているのか、大体想像はつく。しかしお前のしている事は──悪だ!』


「な、なに?いったいなんなのこの放送…っこわいわ…」


お母さんが隣で青ざめ、同じように口元を覆っている。私が酷く動揺しても、不自然な状況ではなかった。


『すでに全世界の警察が捜査を始めている』


彼がそう言い終わり、数秒したときのことだった。
突然リンド・L・テイラーという男が胸を押さえて苦しみだし、机に突っ伏してしまう。
そうしているうちに、黒伏の男たち2人がやってきて、ぐったりとしている彼の身体を持ちあげ、運ぼうとしている姿が放送された。
病院へ搬送しようとしているのだろうか。けれどもう、きっと彼は死んでいるのだろう。

だとしたら…──やっぱりあれは、主人公じゃない。本物のLじゃない…


「キラって、最近よく噂になってる、あのキラよね…?悪い人を心臓麻痺にして、こらしめてるっていう…」

お母さんは声を震わせながら、動揺し、隣にいる私に縋るように問い掛けた。

『し…信じられない…もしやと思って試してみたが…まさかこんな事が…キラ…お前は直接手を下さずに人を殺せるのか…や…やはりそうだったのか…この目で見るまでは信じられなかったが
…しかしおまえのやってきた事はそのくらいでないとできない…』

「キラは、超能力者ってこと…?」
「たしかに、この状況だと…そうとしか思えないね…」

お母さんと顔を見合わせて、お互いに頷き合った。


『よく聞けキラ、もし今お前がテレビに映っていたリンド・l・テイラーを殺したのなら、それは今日この時間に死刑になる予定だった男だ、私ではない。テレビやネットては報道されてない、警察が極秘に捕まえた犯罪者だ。さすがのお前もこんな犯罪者の情報までは手に入れてないようだな…』

死刑が確定していた人物だったとはいえ、テレビの生中継で人が殺されるなんて。…殺すなんて。
なんて惨いことをするのだろう。
リンド・L・テイラーという、自分の身代わりを立てていたLは、信じられない…と言いつつも、高い確率でこうなることを予想していたのだろう。
その行動は、とても常識的だとは言えないし、型破りだ。
そして…とても惨い。
これも、正義の形の一つなのだろうか。超能力のような力を使うキラに対抗するためには、
惨いやり方をする他ないということなのだろうか?


『だがLという私は実在する。さあ!私を殺してみろ!さあ早くやってみろ。どうしたできないのか。…どうやら私は殺せないようだな…殺せない人間もいる。いいヒントをもらった…』

自分を殺してみろと、過激な挑発をする"L"の声に耳を傾け、私とお母さんは、固唾を呑んで見守る。


『お返しと言っては何だが、もうひとついい事を教えてやろう。この中継は全世界同時中継と銘打ったが、日本の関東地区にしか放送されていない。時間差で各地区に流す予定だったが、もうその必要もなくなった。お前は今関東にいる』
「これ…全世界に流れてたわけじゃないんだ…」
「やだ、こわい…キラが私達と同じ関東にいるの…?」

お母さんは心底ぞっとした様子で、腕をさすっている。


『小さな事件で警察は見逃していたが、この一連の事件の最初の犠牲者は新宿の通り魔だ。大犯罪者が心臓麻痺で死んでいく中で、この通り魔の罪は目立って軽い。しかもこの事件日本でしか報道されていなかった…これだけで十分推理できた。』

新宿の通り魔。確か新宿の繁華街で無差別に六人もの人を殺した通り魔が、
保育園に立てこもり、幼児と保母さんを人質に取った末、園内で突然死亡。死因は心臓麻痺だった。
つい先月に起った事件だ、記憶に新しい。

『キラ、おまえが日本にいること!そしてこの犠牲者第一号はおまえの殺しの実験台だったという事が!人口の集中する関東に最初に中継しそこにおまえが居たのはラッキーだ』

殺しの実験台。嫌な響きだ。怖がりなお母さんでなくても、ぞっとする。

『ここまで自分の思惑通りいくとは正直思っていなかったが…キラおまえを死刑台に送るのもそう遠くないかもしれない。キラ、おまえがどんな手段で殺人を行っているのかとても興味がある…しかしそんな事は…おまえを捕まえればわかる事だ!』

Lは最期まで挑発的な語り口でキラに告げた。


『キラ…私が正義だ!また会おうキラ』


そのままザーっという音がしてね砂嵐が流れる。暫くそのままの状況が続き、番組が再開される様子はなかった。


「お母さん、なんだかよくわからなかったし…キラのことも、噂くらいにしか知らない…。でも…こんなおかしな放送が流れて…!
世の中がどんどん恐ろしいものに変わっていくような…そんな気がして、こわいわ」
「…うん、そう、だね…お母さん…私もこわいよ…」

息が苦しい。お母さんと同じように、放送中に人が死んだこと、キラに宣戦布告をしたあの状況も怖いと思ってる。
でも、私はそれに加えて──正義の主人公・二人の存在。
そしてキラという"敵"の存在。その三人のことを考えてしまって、胸が苦しくてしょうがないのだ。


「キラは悪人…なんだよね?」
「それは、そうよ。犯罪者だろうが、人を殺せば、それは法と人道に反する、罪になるのよ」
「…じゃあ、それを捕まえようとするLは、やっぱり正義」
「そういうことになるわね…」


私は月くんが悪と戦う正義の主人公なのかと思っていた。
けれど、Lというのも間違いなく主人公の一人で、そして正義の主人公だという。
同じ正義感を持った人物同士が出会い、力を合わせてキラという悪をやっつける。
これは、そんな物語なのだろうか?
何にせよ、Lという人物はあまりに用意周到で、判断が的確な上、推理するのが早い。

天使様が、この世界では用心が必要だという意味が、改めて、よくわかったかもしれない。


二階の自分の部屋に戻り、私の背後にいる天使様に問いかける。

「天使様は物語を知らない方がいいというけど…これは答えられる?夜神月は主人公。そして…Lも主人公。どっちも、主人公なんだよね…?」

振り返ると、こくりと、首を縦に振っている天使様がいた。
少しほっとして、力が抜けてしまった。
ざわざわと嫌な予感がしている。物語の主人公二人が、表舞台に立った。
前世・今世共に、伊達に物語を読み漁っていない。
セオリーというものをわかってる。
おそらく…いやほぼ確実に。既に"原作"の"物語"が始まっている。

正義感の強い月くん。そして正義という言葉を高らかに叫んだL。
この物語のキーになるのは、"正義"という概念なのだろう。


2025.8.24