第12話
1.人間的な恋初恋は叶うもの
幼稚園の年長の頃には、僕はもう、そう思い始めていたのかもしれない。
この世の中は、存外退屈なものかもしれない、と。


僕は、自他共に認める、"成績優秀な優等生"だった。
眉目秀麗、文武両道。僕と出会う全ての人間が、僕が完璧な人間だと褒め称えた。
大人は100%僕の味方。子供は…一部の子たちは、僻みから突っかかってこられるけれど。
そもそも僻まれる事自体、僕が優秀という証明に他ならない。
つまりは、僕は誰もに"肯定"されていた。

少し勉強すれば、説けない問題はなかったし、どんなスポーツも、少し練習すれば、それなりに結果を出せた。
…年を重ねるごとに、退屈だと思う瞬間が増えて行った。


「お前ら夫婦かよ!いつも一緒ベタベタしてさぁ〜かっこわる〜!」


小学4年生のときのこと。
僕のことを僻んでいる男子の一人が、休み時間、多くのクラスメイトが教室にいる最中、
大きな声で僕を指さして笑い始めた。
僕は ちゃんの座る席の側に行って、 ちゃんと雑談していた。
指さして笑う彼は、クラスで2番目に成績がよくて、そこそこの顔で…
そして、 ちゃんの事がすきだった。
クラスの男子たち…いや、他の組の男子も、上級性も。
僕が色んな女の子にモテるように、 ちゃんも色んな男子にモテていた。
いつも僕が"夫婦"とからかわれるくらい、一緒にいるから、直接言い寄られる機会はないみたいだけれど。
ちゃんが優しくて、みんなから好かれていて、かわいくて。そのせいで、こうやって"からかわれる"事はたまにあった。

男子の取り巻きが一緒になってゲラゲラ笑うその後ろで、一部の女子も、ひそひそ、くすくすと笑いだす。


ちゃんって、ちょっとずるいとこあるよね…」
「幼馴染だからってなんでも月くんに頼って、かよわいアピールすごいよね」

あの女子たちは、僕のことが好きな女の子。 ちゃんのことを僻んでる。
僕はこういう、人間の醜いところを見せつけられる度に、退屈だと思う気持ちが加速する。
──"退屈"以上の、もっと強い感情も。それが何かは、まだ自分でもよくわからなかった。
でも、自分が今取るべき行動、発言がなんなのかは、明白だった。

俯いてしまった ちゃんを背に庇うようにして、教室すべてを見渡すようにして、僕は言った。


「──僕達は、誘拐されたことがあるんだよ」


皆に聞えるような声で力強く言うと、教室は静まり返った。
クラスのみんな、知らないはずがない。
連続殺人事件なんて、そんなしっちゅう起こるものではない。
そんな犯人がこの町に潜んでいて、何人も死んで、この学校に通う生徒が拉致監禁され、
奇跡的に救出された。
それからというものの、この町…とくにこの近隣の保護者たちは、教訓にするために、
自分の子供達に事件のことを包み隠さず話した。
そのため、事件から数年経った今でも、記憶は風化していない。
親たちが毎日のように言って聞かせるからだろう。

「気を付けないと、夜神くんと ちゃんみたいな、怖い目にあうからね!」
そんな風に言って、自分の子どもを危険から遠ざけようとしている。
僕は薄々、クラスメイトの言葉の端々から、そんな教訓が広まっていることに気が付いていた。
この空気がいたたまれず、俯いてしまった ちゃんの肩を優しく叩く。
ちゃんは争いごとが嫌いだ。悪い事をした犯人相手にすら、罵倒を選ばず、優しくすることを選ぶような女の子なんだから

「みんな、知ってるよね。僕たちの両親は、あの事件があってから、ずっと僕達を心配してる。一人で帰るなんて論外だ。家の離れた友達と下校しても、いずれは一人になる…
だから、お向いに住んでる僕たちが、一緒に帰らないと、不安になってしまうんだよ」


僕は、 ちゃんの背中を安心させるようになでながら、言った。


「夫婦だとか、付き合ってるとか。そういう風に言わないでほしいな。僕たちは、身を守るためにそうしてるから…みんなも、防犯の大切さは、授業でも習ったよね」


クラスのみんなは、もう何も言葉を紡げないようだった。
もう二度と、こんな風にからかう事はないだろう。計算通りだ。
僕は想定通りの結果を迎えたことに満足した。


「…月くん」

ただ一人、 ちゃんだけが、困惑したような表情で、僕を見上げていた。


「そうだよね? ちゃん」
「……うん。お父さんお母さんも…そう、しろって」


ちゃんは賢かった。だから、この局面で、「そんな事は言われたことはない」なんて、正直に話すことはなかった。
それすら、計算通りだった。
僕は満足感でいっぱいになって、自然と笑った。

僕は、からかってきた男子たちを罰したかったのではない。 ちゃんを僻んだ女子を牽制したかったのでもない。
──ただ、 ちゃんが笑顔で過ごす、二人一緒の時間を、奪われたくなかったのだ。
僕は ちゃんのことを尊敬していた。
そして、 ちゃんのことが、好きだった。──恋をしていた。初恋の女の子だった。



「…桜、きれいだね」


小学5年生の、4月の終わりのことだった。
いつものように一緒に下校しようと、二人並んで校庭を歩いていると。
ふと ちゃんが足を止めて、呟いた。
ちゃんの視線の先には、校庭の隅っこで咲き誇る、桜の木があった。
ちゃんの瞳の中に、ひらひらと舞い落ちる、桜吹雪が写りこんでいた。
きれいだった。
ちゃんが綺麗だといった桜よりも、名前ちゃんの瞳が、まるで宝石みたいで。
ふわりと風が吹くと、花弁が ちゃんの髪に落ちていった。

ちゃん、髪に花びらがついてるよ」
「え、ほんとう?」
「うん、とってあげる…」


春の香りがする。桜の甘い匂いがする。
ちゃんの髪を撫でると、花以外の、優しい香りがした。
桜よりも ちゃんの方が綺麗だ。花よりも、 ちゃんの方が優しい香りがする。
愛しいと思う気持ちが、どんどんわいてくる。
退屈な世界の中で、唯一、鮮やかなのが、 という少女とすごす時間だけだった。

ちゃんの髪は綺麗だね。ずっと伸ばしてるよね、さらさらしてて…だから風がふくと、すぐ花びらが絡んじゃうんだ」


花びらはとっくに落ちたけど、僕はさらさらと、長い髪を梳かして、甘やかした。
僕はこの柔らかい髪が好きだった。でも、 ちゃんはもしかしたら、自分の髪が、あまり好きではないかもしれない。
いい加減、呆れられるかも、と思って、 ちゃんの髪から手を放し、校門を抜けた。
横断歩道を渡って、自宅へと向かって、並んで歩く。


「… ちゃんが髪を伸ばして、いつも結わないで下すのは…隠したいから?」
「……なにを?」
「自分の姿」


信号待ちをしている間のことだった。
もし歩いてる途中だったら、 ちゃんは、足を止めていたかな。
それとも、驚きもしなかったかも。
僕の言葉は間違いなく図星をついていて、けれど ちゃんは、見抜かれていた事すらも、察していたかもしれない。
けれど、これから言うことは、間違いなく。 ちゃんは気が付いてない、真実だ。


「みんなが ちゃんをからかうのは、…男子がからかうのは。 ちゃんがかわいいからだよ」
「かわいい?わたしが?」
「そう。女子は僕をかっこいいと言うし、男子は ちゃんをかわいいと言う。…そんな二人が一緒にいたら、面白くないって、やっかんでるだけ」


僕は ちゃんと幼稚園からずっと一緒で、お向かいさんで、母親同士も仲がいい。
一緒にすごす時間が長かった上に、僕は ちゃんの事が好きだったから、
ずっと ちゃんのことをみていた。そして、気が付いた。
ちゃんは思ってた通りマイペースで、天然なところがあって、賢くて…
底抜けに優しくて。
そして、輪に溶け込むのが上手い。多分、溶け込もうと意識して行動しているし、何を言えば、自分の思うように場を動かせるのか、理解している。

けれどそうやって掌握するのが好きな訳ではなくて、ただ、他人と衝突するのが好きじゃないだけのようだった。
そうやって、輪の中心にいながらして、他人を客観的にみれる ちゃん。
それなのに、"自分自身の価値"には、気が付けていない。それがずっと不思議だった。


「……わたし、かわいいの?本当に?」
「本当だよ。…まさか、本当に自覚してなかったの?」


半分は、無自覚だと確信していた。けれど賢い ちゃんに限って、そんな事があるのだろうか、という疑心があって、100%は信じ切れていなかった。
けれど、心底びっくりした様子で何度も僕に確認する姿をみて、やっぱりかと確信して…
でも、驚いていた。
僕が自分の容姿が整っていて、賢いと自覚しているのは、テストの結果がいいから。そして、出会った誰もが、僕の容姿を褒めるから。
嫌でも、自分の価値を自覚せざるを得ない。
ちゃんだってそのはずなのに、どうして気が付けなかったんだろう。本当に不思議だ。


「… ちゃんって、……ほんとにわからないな」


ずっと一緒にいても、どれだけ理解しようと観察していても、わからないことがまだまだある。


「そう、なんだね」


どうしてそんな風に、嬉しそうに…切なそうに、複雑な笑みを浮かべるのかも。


2025.8.23