第十八話
2.道標生きたい
「卒業おめでとうございます」
「おう」


改めて挨拶をした。


「お前最近元気じゃん」
「だよね」


周りを見て、誰もいないのを確認してから口調を崩した。


「あいつのおかげってか」
「まあ、荒療治かな」
「へえ」


不思議チャンは不思議なやり口しか知らねえんだなと呆れていた。
私もそう思う。常人では取れない手段だ。

「元気たけど、感動して泣けなくてごめんなさい」
「泣くなヨ。別にどこに行くんでもねーのに」

言った通り、どこに行くでもないのだ。地球の裏側へ行くというならまだしも、荒北さんは特別遠くに離れて行く訳ではない。
会いたいなら会える距が冷めさせているというのと、荒北さんと学校生活を送った事がない私だからこそ、なんの感慨もない言葉がこの口から飛び出た。
先輩後輩だという気は未だにしていない。多分荒北さんの方もそうで、だからこの話し方を許している。

「これからも元気でな」
「別れの言葉みたい」
「一応別れだろ」


荒北さんは手を振って、いつものように感慨もなく別れた。


「お、

なんとなく背中を眺めていた私に、声がかけられた。

「あ…お二人とも、卒業おめでとうございます」

振り返ると、この一年で馴染んだ顔が二つ見えた。
さっと頭を下げると、いいよと言ってひらひらと手を振られる。


「ありがとう」


金城さんが短く礼を言う。新開さんは彼らしい、簡素な返しに笑っていた。
私も有り触れた口上しか出てこなかったのだから、何も問題ない。

「真波のこと、よろしく頼むな」

新開さんは少しからかったような声で言った。

金城さんは、頼まれてくれなくても、と前置きして、

「あいつは強い、お前は…強くなった」

ぽつりと、私を見下ろしながら言った。
私はおかしくて、眉を下げながら笑う。

「分かります?」


彼らのように汗水たらして努力してるのでもない。我武者羅でもない。
前よりも出席日数が増えた。前よりも苦労しなくなった。前よりも体力がついた。
変わったことはこういう部分だけで、あえてあまり関わりのない先輩に言われるほど修行をした覚えもなく。
けれど強くなったという心当たりはあった。どこをと言われると難しいけれど、
私は前よりも強く逞しく生きている。否、生きようと決意した。
その決意は固くて強い。そういう部分を指しているのなら、強くなったというのも間違いない。


「最近真波がよく笑ってるな」
「え?そうですか」

言われてる意味がよくわからず、生返事をした。
勝負とやらに負けて山岳は険しい顔をするようになった。

「きみの前では」
「ああ、うん」

そう言うことなら頷けた。確かに山岳は今までが嘘みたいに不機嫌を見せなくなって、私の前でもよく笑うようになり、緩い態度で接するようになった。
のらりくらりされている方が、前よりも腹が立たされて、殴りたくなることが頻繁にあった。


「付き合い出したか」
「ないない。ないです」

緩く手を振った。あー…と言葉を濁しながら、説明をする。


「どっちかっていうと、満足したんじゃないでしょうか。飽きたってのとも違いますけど」
「なんだ、最低だな」
「そういうのともちがいます」


遊んで捨てたみたいな感じではない。
そもそもそういう関係じゃない。幼馴染…というか、悪友とか腐れ縁の方が近い。


「似た者同士だと思っていたよ」
「心外です」
「気持ちが分からないでもないと言っただろう。俺はあいつの気持ちは正直、ほとんどわからない。想像することもできない。クライマーとして、同じものが根本にあって、分かち合えるものがあると思っていても」
「はあ…」

バッサリと切られた。


「一蓮托生ってやつだな」
「何がですか…」
「真波ときみと。仲はよくないし、付き合っても居ないのかもしれないけど」
「やめてください…」

なにを一蓮托生しなければならないのかわからないし、向こうにそんなつもりは微塵もないと思う。


「元気でな。仲良くして、真波のことを今まで以上によろしく頼む」
「……機会があれば」
「ハハ、いくらでもあるだろう」


からからと笑って踵を返した。
同じことを言われてしまった。

そうは言うけど、山岳は危なっかしいけど、十分強いし、のらりくらりやってるし、
頼まれても機会なんてそうないだろう。
あったとして、それを支えるのは私の役割ではないと思う。
私に出来る事はなく、お隣さんとしてそれなりに過ごすだけだ。


「もう満足でしょ」

山岳はよく笑うようになった。私の前では緩々としている。
不満はないから、不機嫌ではない。それがその証だ。
私に求める事はもうなくなって、腹の立つことはなくなって、スッキリしていて、未練も遺恨も残さない。
風のようにさっぱりとした性格をしていると思う。

もう山岳が私に機嫌を損ねられる事はないだろう。
意地悪な事を言ったって、飄々と交わすだろう。
三年生の卒業もあっけなかったし、幼馴染として対峙した16年間の剣呑も、あっけなく解けた。

地球の裏側へ行く訳でもない、私は彼ら三年生の旅立ちを物悲しくは思わなかったけど、幼馴染の間に生じた変化は少しだけ寂しく思った。
報告会の回数はどんどん少なくなって、繋がりが経たれる。
山岳は連絡を取ってくるようなコマメな男ではないし、私もちびちび連絡するような人間性はしていない。
この小さな切れ目が、先にある別れに繋がっているんだろうなと、感傷的になったのだ。
まだ16歳、次になるのは17歳。だというのに、どんどん大人になって行くのがわかった。
一度大人になっている私が言うのだから、間違いがない。


「軽かったよ」
「え」
「勝敗は重かったのに、は背負っても軽かった」
「私の命ってそんなに軽いものか」


あんまりな言い草に、怒る気力もわいてこない。


「なんでかな。は昔から大人びてるから」
「だからなに」
「背負わなくても勝手にやれる気がして」
「話が違う」
「え?ちゃんと背負ったよ」
「どっちなの…これか不思議チャンって」

不機嫌な山岳と対峙していると、こういう部分はあまり見えなかった。今更になって手を焼かされている。

「自立してるってこと」
「そうかもしれないね」
「だから重みは半減?」
「聞かれても」


意味がわからないし、分からせる気もない。溜息が出た。

「あの日すごい熱くてさ」
「そうだね」

炎天下、立っているだけでも辛かったのに、選手たちがどれだけ辛かったかなど言うまでもない。

「死んじゃうかもしれないって、怖かったよ。」
「はい?」
「いや、暑くて死んじゃうかもしれないでしょ」
「そうですね」


人は暑さで死ぬ。そして私は人よりも脆くて、その確率が高い。
分かり切っていたことだった。

「そう思ったら怖くて、流石に肝が冷えた」
「冷えてくれないと困るわ」


あの日言ったように自己責任でやった事で、あれで死のうと背負わなくてもいいんだけど。
強いた事が無茶だという事は分かってくれないと困る。そのくらいの分別がつかないとこの男の将来が不安だ。


「俺もがんばるから、頑張ろう」
「ああ、うん、そうだね、そう、がんばろう、うん」


あちらに分からせる気がないし、こちらにも分かろうとする気が既にない。
読解するのに頭を使うくらいなら、その余力は読書を進めるのに使っていたかった。
山岳の表情を伺わなかったし、私は耳さえ傾けなかった。
こんな状態でなんで隣合って歩いているのだろう。意味がわからない。
お隣さんだから向かう道が一緒なのは仕方がない。一蓮托生、という先輩の言葉が脳裏に過って、そのうち消えてしまった。



2019.12.27