第八話
1.if薬師の人がら

白澤さんはろくでもないとか、女好きとか、自分の事を散々に言う。
それは自己卑下ではなく、ただの肯定。あっさりと割り切ったものだった。
けれど女の人を贔屓して、男の人に冷たく当たる訳でもなく、博愛のひとだという認識は変わらなかった。


「あの子はもう駄目だね」


みすぼらしく、困窮していることがわかる子供を見つけた。
そうして白澤さんは冷淡と取れる言葉を吐いた。
私が目を丸くして見上げると、視線に気が付いた白澤さんが笑う。


「僕が薄情だと思う?」
「…思いません」
「そう」

静かに首を振ると、頷いた。
手を差し伸べてやれたらそれが一番いい。けれどこの世の中にどれだけあんな子がいるのだろう。あの子はひとりで生きていかなければならない。
自分の身は自分で守るしかなく、救いの手が伸びて来ると期待する方がおかしな話だった。
境遇がどうであれ、理不尽が降りかかるのであれ、自分では選べなかったとして──
そもそも。


「死んじゃうんですね」

あの子はもう永くはないのだろう。
息絶えた亡骸だったなら弔ってやればいいかもしれないけど、あの子は生きていて、ならば私達に出来る事はない。
今度は白澤さんが目を丸くする番だった。目を細めて、私の頭を撫でた。
私の頭を撫でるこれが、私にとっての救いの手だった。
思わぬ僥倖。幸運が運ばれるタイミングを人は選べない。
あの子にも、誰にも幸あれと願うけれど、どうだろう。みんなが私のように一番困ってる時に助けてもらえるかどうかなんて、やっぱりわからない。


「なんで薬師になろうと思ったんですか」


薬を煎じている白澤さんに聞く。私はまだ見習いで、見て学んだり、勉強することはあっても、直接触れることはない。


「女の子と遊びたかったから」
「…」
「あ。軽蔑した?」


あははと笑う白澤さんは悪びれた様子がない。同じ女に対して…子供に対して言うことではないと呆れたものの、軽蔑はしない。


「失望したでしょ」
「失望もしませんよ」

苦笑した。笑いながら自分を下げる。


「終わりよければ全てよしっていうか…結局それが巡り巡って人のためになってる訳ですし」


やっぱり凄い人で、偉い人で、出来た人だと私は思う。


「買ってくれるねきみは」


今度は白澤さんが苦笑した。


「碌でもないって言ってるのに。後でがっかりするよ?」
「うーん…それでもいいですよ」


今の自分には知らない、気が付かない悪い一面があったとして、人のためになっている一面があるのは事実なのだ。
だったらやっぱり白澤さんは凄い人だ。



****



「どうしたの」


白澤さんが買い出しに行っている間、私は言われた通りその場から動かず待機していた。


「…」


汚れた子供がふらふらと歩いてきたのだ。


「……足、痛い?」


どうしたもこうしたもないだろう。困窮していて、明日も分からなくて、この子は困っているのだ。身体中が痛くて苦しいのだ。
餓えて朦朧としているのだ。目がぎょろりと光っている割には、焦点が合っておらず、虚ろだ。
その場に寄り、変色した足を労わると。


「…ちょうだい」
「!?」
「ちょうだい…」


ゆっくりと伸ばされた両手が、私の首に回った。


「お水ほしい、ご飯ほしい、ねむりたい、ねむれない」


涙をぼろぼろと零しながら、私の首を両手で絞める。
すると、草むらから現れた大人が、私の荷物を漁り始めた。
荷の中から食料と水が取り出され、懐に仕舞い込まれた。親子だろうか。
無害そうな子供を餌にしてから大人が奪う。まんまと私は引っかかったのだ。

「行くぞ」
「ねむりたい、ねむれない」
「おい、もういい」
「ねむりたいの、ねむれないの」
「…いいから」
「あぁあああ……」


くいっと顎で大人が合図する。殺す気はなかったようで、奪うだけ奪うと、すぐに撤退をを示した。けれど私の首を締める子供は、どんどん力強さを増させるばかり。
壊れたおもちゃのように同じ言葉を繰り返しては涙する。
それを見て大人はただ、ひとつだけ、ため息をついた。
ゆっくりとこちらへ向かってくると、彼は拳を大きく振り上げて──


「大丈夫!?」



──その瞬間、私は浮遊感に襲われた。
自分が上空を飛んでいるのだと理解したのは、ゲホゴホとひとしきり咳を繰り返しきった後のことだった。
咽せた私のことを気遣い、それまで無言だった彼が…
彼が、口を開く。


「びっくりしたよねえ」


何を指して"びっくりした"といっているのだろうか。…二重の意味で言っているのだろう。
私は白い獣の背に乗って空を飛んでいた。遥か上空から、広い地面がどこまでも見える。
随分伸びた髪が、風に容赦なくバサバサと靡かせられる。風を切る身体がどんどん冷えていった。


「人型取ってるからね。僕神獣だから、元はこういう姿じゃないんだよ」


と、彼が言った、出会った日の事が脳裏に過っていた。
確かにその通りだ。声はそのままなのに、身体は随分と違う。人の形とはかけ離れすぎている。


地上に下り立つと、一人の若者が茫然と見たあと、ワッと声を大きく上げた。


「白澤様だ!」
「ずいぶんと久しぶりに見るねえ」


その声につられて、奥の方からワラワラと集まってくる。



彼が各地にいくつか持っているらしい拠点。その中の一つである建物には、薬草の匂いが充満していた。
永く留守にしていたせいで埃が積もっているけれど、まだ建てられたばかりなのか綺麗だ。
水瓶の中や壁に見た事もない植物が敷き詰められている。


「白澤様」
「……ん?」
「ごめんなさい」
「いや、全然気にしなくていいけど…え?ん?」
「真面目に勉強しますね。学問のことだけじゃなくて、もっと色んなこと」
「僕のことなんて呼んだ?」
「なんてって…白澤さまって」
「なんで様つけ?」
「だって、神様なんでしょう?」
「………ほんと、きみ、いまさら……」

あーと額を抑えていた。
自称神様だった彼は、この半年で、わたしの中で確実に本当の神様に変わっていった。

はじめて湖の底から助けられたとき。はじめて術を使われたとき。はじめて神獣の姿を見えた時。私はどんどん彼を畏れ敬っていった。
過ごした時間の分だけ親しみと信頼がわくのと同時に、ただの元人間ごときが触れていいものではないと、線引きがなされるようになっていった。


2022.8.22