第四十三話
5.恋情上手くやってる


言葉通りに捉えるならば、あれは"愛の告白"で間違いないのだろう。
けれど私はその通りに受け止めていいものか、戸惑っている。迷っている。或いは拒んでいる。
泥酔した後のキスから始まり、思わせぶりな手繋や、女の子扱いな会話に、私は翻弄されきっている。
私は日本人らしい婉曲的なやり取りが嫌いではなかった。今世では、ただの"処世術"ではなく、或る意味美徳だとすら捉えてもいた。
探られて困る腹や、触れられたくない過去があればある程、気を使ってくれた方が有難いと感じる物なのである。
──そうは言っても。

「……もう」


これ以上曖昧に生きていくのは嫌だ。
そうも感じるようになってきた。ユーリの思わせぶりな言葉選びや触れ合いに、もうこれ以上翻弄されたくない。惨めにはなりたくない。



──相手の気持ちになってみて、行動しましょう。自分言われて嫌なことは、相手には言わないよう、声を掛け合いましょう。

日本で言えば、幼稚園や小学生の頃から、大人に教えられる道徳である。
ユーリはそれが得意だと思う。いや、得意でなければおかしい。人間を相手に探り合いをするような職業につきながら、それが出来ない人間がいるのか。
できるからこそ、若くしてこんなに出世しているのだろう。

けれどユーリは自分の行動や言動で、私がどう感じるのか、考えた事があるのだろうか。
そう疑ってしまう自分もいた。
家族だから何をしてもいい、なんて考えるほど、ユーリは無神経な人間ではない事は知ってる。
だとすれば、考えた上で"善し"としているのだろう。
私が好きだいう事も。私が好きだからキスをするのだと言ったことも。全て。
どこか悶々としながら日々を送り、そういう腹を隠しながら、ユーリとの変わらぬ暮らしを送り続ける。
とはいえ、やはり多忙なユーリは家に帰る事が少なく、帰宅してもすれ違う事が多い。
ここ数日も、ユーリは出張に行くだと言って家を空けている。
最早慣れきった一人の夕食を済ませたあと、食器を洗って片付けてから、受話器を手に取る。
電話の相手はヨルさんだ。定期連絡は未だに取り続けていて、何の変哲もない日常の報告や他愛ない雑談を続けるうち、「そういえば、」とふと思いだしたように告げられた。


、私は暫く出張に行くことになりました。…といっても、二泊三日の短い間のことですが」
「え…出張…?」
「はい、急な事ですが、あちらからのご指名がありまして…」


電話口から聞えてきたのは、思わぬ知らせだった。
ヨルさんの行動には、きっと全てに意味がある。意味…というより、物語が絡んでる、とでも言えばいいのか。
ヨルさんは、表向きは市役所に努めている27歳の女性だ。
けれど、今回の出張というのは、きっと"裏"の仕事が絡んで決定した事なのだと思う。
そういうエピソードがあった気がするなぁ…と、昔の記憶を掘り返していると、つい無言になり、沈黙が続いてしまった。
ヨルさんはそれをどうとらえたのか、こう続けた。

、寂しいし、不安かもしれませんが、こらえてくださいね」
「こ、らえて…?」

私の沈黙は"寂しいから"だと思ったのか。
ヨルさんにそう言われて、さすがにそんなに子供ではないと反論しようとした所で。

「ユーリと喧嘩しても、私は遠くに行ってしまいますし…間に入ってあげられませんから」
「………ああ…」


そういう意味での"こらえて"なのかと、深く納得した。
確かに、何かいざこざが起きたとき、私達の間に入れるのはヨルさんしかいないだろう。
ヨルさんが不在の暫くの間はこの悶々も抑えて、大人しくしていた方がいいだろうと思った。

──そんな風に固めた決意は、結局のところ、無駄に終わった。


「…あ、おかえり」

深夜、ふと目が覚めて起き上がる。
カーテンの隙間から漏れ出る月明かりを頼りに、ベッド脇にある机の上の時計をみる。
深夜0時はとっくに周り、深夜とも早朝とも呼べない時間帯に差し掛かっていた。
喉の渇きを覚えて扉を開けて、水を求めてリビングに出ると、ソファーにもたれているユーリの後ろ姿を発見した。
帰るのは今日の昼だという話だったのに、なんでこんな妙な時間帯に帰宅する流れになったのか。
定時も何もない、こんな不規則な仕事に就くのはさぞかし大変だろうなと、憐れんだ目でみてしまった。

「早いね、…聞いてた予定よりも帰るのが…」

私への配慮だろうか。部屋の電気は机の上にあるランプだけを頼りにして、書類の整理をしているユーリ。
激務を終え、帰って疲れて眠るどころか、すぐに仕事に取り掛かる勤勉さを私は目の当たりにする。
そうなれば、自分の喉の渇きなど二の次にして、ユーリを労わらねばならない…という使命感にかられる。
「お茶でもいれようか?」と尋ねようとして、ソファーに座るユーリに近づく。するとこちらを振り返ったユーリに、こう答えられた。


「ああ、…早くに会いたくて」

それを聞いて、私は沈黙してしまった。
何かおかしな事でも言ったか?とでも言わんばかりに不思議そうな顔をしているユーリをみて、抑えようとしていた"悶々"がまた顔を出す。
今頃はきっと海上で血みどろになっているだろう、ヨルさんの言葉が頭の中に蘇る。

"こらえてくださいね"

まるで未来を見越していたかのように、ヨルさんはあんな言葉を投げかけてくれた。
それでも私はこらえる事が出来なかった。
そっと背後から正面に回り、ユーリの元に近寄ると、その足元に膝をついて、ユーリを見上げた。


「──私も早く、ユーリに会いたかったよ」

──そして、計算づくの言葉を口にした。
想像していた通り、ユーリはそれを聞くと、びっくりしたように眼を丸くした。
自分はすきな事をすきなように口にするのに、いざ自分が言われると驚いて身じろぎするなんて。とても、身勝手だと思う。
幼い子供が言い聞かされるような、"相手の気持ちを考えた言動をする"という人間の初歩的な道徳を、どこかに置いてきてしまったらしい。


「──会えなくて、寂しかった」


出張に行かれたくらいで寂しがるような子供じゃない。
ヨルさんに反論しようとした通り、私はユーリが何日か家を空けた程度で、不安にかられるような精神構造はしていなかった。
会いたかった、というのは嘘ではない。けれど寂しかったというのはただの誇張表現だし、こうも意味心に言ったのも、全て計算付くだ。


「……それ、は」
「それは?」


膝をついて座りこんでいた状態から、少し腰を上げて、ユーリに近づく。
そして手を伸ばし、ユーリの頬にそっと当てながら目を合わせる。
──合わせて、離さない。
至近距離で、わざとらしく小首をかしげて、動揺した様子のユーリに尋ねてみる。
ユーリはそのまま硬直して、瞬きを繰り返すばかりで、いつまでも返事がない。
なので、私はそのままユーリを抱きしめてみようと、腕を回そうとした。
しかしそれは、ユーリの手によりストップをかけられて、阻止される。

「なん、で、こんなこと!」
「なんでって…」


なんでもどうしてもない、今さらだろう、と思う。
いくら疲れて思考がまともでなかったとしても、過去、私を抱きしめて平然としていたのはユーリの方だったのに。
いざ自分がそれをされたら慌てたり、拒否したりというのは、少しズルい。
ここまで潔く自分本位になられると、悶々だとか、怒りも通り越して、呆れてしまった。
その反応をみて、私の溜飲は幾分かおさまった。
私の仕返しは、今までの当てこすったような発言や行動をとることで、既におさまってしまったのだろう。
我ながらお手軽な人間性をしててると思う。

ああ、でも──…
最後に一つだけ、質問の答えを兼ねた、仕返しの言葉を一つ投げかける。


「──ユーリが好きだからだよ」
「…ッ!?」


"好き"でなければ、こんな事を言ったり触れたりはしない。
きっとそれはユーリも同じだ。問題なのは、私がそれに翻弄されてしまという、その一点だけで。


「…ねえ、こんな遅くまでお仕事大変だよね。お茶はいる?」
「…い、いや…いい、もう寝るから、……その…」
「うん、そっか。じゃあ…私も寝ようかな」
「あ、ああ…そう…」
「おやすみ、ユーリ」
「…う、ん……おやすみ…」


喉の渇きなど忘れて、溜飲が下がった私の体は眠気を訴えて、二度寝をするよう促していた。
あくびをこらえながら部屋に戻り、戸を閉める。
そのまままだ温もりの残るベッドに寝転び、布団を被った。
瞼を閉じると、驚いた様子のユーリの表情が浮かび、動揺した声が過る。
それをいい気味だと感じる事なく、代わりにちくりと罪悪感がわいてくるのは、私が小心者だからだろう。
簡単に鬱憤も晴らせるお手軽な性格でありながらして、難儀な性格をしているなと、自分に落胆してしまった。


2025.8.21