第91話
5.彼等の記録松田

「… は写真に撮られるのは大丈夫なのか?」

それについては、私も気になっていた所だ。幼少期からその容姿のせいで注目され、ついでに夜神月のせいで更に好意も悪意も必要以上に浴びる事になった。
そのせいもあり、視線恐怖症もどきを患っているらしい彼女が、撮影に耐えられるのだろうか。
しかし私達の疑問と懸念は全くの見当違いだったらしい。は、本当に…
本当に平然としていた。いつものように困ったように笑う事もなく、言葉を選ぶこともなく…何気なくこう言った。


「うん、写真は別に…映画はちょっと嫌だけど、喋らなくてもいいなら、大丈夫かな」

「条件が重なると」視線恐怖症が発症するという。その条件というのは夜神月ですら把握しきれていないようだし、生理的嫌悪に近いと私が考察した通り、完全な理屈で発症する訳ではないのだろう。
しかし、 が「写真は…」と言ったのは、彼女の中に確固たる理論が確立されている証のはずだ。
喋るなら別だが、映像に撮られるのも問題ないのだという。
…彼女の中にある琴線がわからない。幼い頃から、その容姿のせいで遠巻きに"見られる"事には慣れていると夜神月が言った通りで、写真も映像も、その一貫と捉えているのだろうか。
……矛盾している。彼女の人物像がいつまで経ってもつかみきれない。

「なんだ…てっきり、 は写真も嫌いかと思ってたから…それなら2人でもっと沢山撮っておけばよかったかな」

夜神月は の言い分をすんなりと受け止め、他愛ない話をしている。
私のように疑問に感じる事もない。身近な人間であれば納得できる言い分なのだろうか。

「…月くん…これからは沢山一緒に写真撮ろっか。ね。…私も月くんの写真、ほしいな」
「…そうだね。色んな所に出かけて、沢山思い出を残そう」
「もー!ミサの前でイチャつくの禁止ー!」
「え…全然イチャついてないよ」
「月にそんなとろけた顔させといて!?全然信憑性ないから」

弥海砂は懲りず、2人のじゃれ合いにツッコミを入れていた。
私は三人の戯れに付きあうつもりはなく、すべき事を成すため、ソファーから立ち上がる。


「月くん、 さんと離れ難いでしょうが、少し移動します」


夜神月に一応前置きしてから、移動する。
移動といっても数歩歩くだけの事だが、手錠の鎖の長さを考えれば、数歩であろうと一緒
に立ち上がってもらわねばならない。
部屋に設置された電話の受話器を持ち上げ、内線で本部にいる松田さんに向けて声をかけた。
どうせ監視カメラで、私達のやり取りをずっと見ていただろう。説明など不要だろうと、結論だけ告げる。


「…──という訳で、松田さん。マネージャーとして先方に話を通しておいてください。映画主演を承諾する旨と、来月号のエイティーンであればモデルとして起用してもいいという意思を伝えてください。」
『来月号…ですか。即効性がほしいとはいえ、もう撮影も編集も進んでいるでしょうし…いくら先方が乗り気でも…』
「その辺りゴネられたら、お金でもなんでも使って何がなんでも掲載させます。…条件は本名…素性、経歴、全てを伏せること。そしてミサさんとセットの現場にしか赴かないことです。では、お願いします」

返答を聞かないまま、受話器を置く。
そのまま元いたソファーに戻ろうかと一瞬考えたが、それより立ったついでに、このまま本部に戻ろうと考えた。

「…では、そろそろお暇して、本部に戻りましょう、月くん」
「えー!?もう戻っちゃうの?」
「十分長居しました」
「30分も経ってないのに長居って何?」

弥海砂の不平不満を聞流しつつ、私は部屋を出る。夜神月も特に意義は唱える事なく、後ろをついてきた。

「部屋まで送れなくても悪いけど…、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」

もう外は真っ暗だ。就寝するのには早い時間だが、今日再び彼女達と顔を合わせる事はないだろう。夜神月は少し早い就寝の挨拶をして、手をひらひらと振った。
弥海砂が自分あてにおやすみがなかった事を怒ったので、夜神月は適当に「ああ、おやすみ」と言った。
どう見聞きしても弥を宥めすかすために言っただけの、気のないおやすみだった。
しかし弥は酷く喜び、「ライト、おやすみっ!」と笑い、大きく手を振っていた。


****

のヨシダプロダクションの所属、そして映画出演、エイティーンのモデルデビュー。
全てが順調に決まった。
一時はこの本部も、このままどうなるのか…と先の読めない状況に困惑していたものの、
あの騒動は上手く収束させられる目途が立った。
そして、行き詰まっていた捜査の方も進展があり…しかし本部の状況は、悪くなったとも言えた。


「また一人減っちゃいましたねー。建物が大きいだけに寂しいっすねー。模木さんは居てもほとんど喋らないし…」


松田さんは机に肘をつき、モニターを見ながらため息交じりに零していた。

──相沢さんが、キラ捜査本部から足抜けした。もちろん彼は責任感のある捜査員で、今までも命懸けで捜査にあたってくれていた。決して気まぐれに抜けた訳ではない。

事の発端は、まず夜神月がある発見をした事だ。


「──竜崎。やる気ないのに悪いが、ちょっと来てくれ」
「?」
「これよく見てみろよ。偏ってるだろ?そしてこっちは急成長だ」
「や…夜神くん…」
「どうだ?少しはやる気出たか?」


夜神月は少し勝ち気に笑いながら、パソコンを覗き込む私を見やった。
椅子に立ち上がり、隣の席の夜神月の目の前にあるパソコンを凝視する。

「…もしこれがキラに繋がっていたら、このキラは悪人を裁くのが真の目的ではない…?」
「…ああ、悪人を裁いているのをカモフラージュに、利益の為に人を殺していると考えられる…」
「いつか夜神くんの言ってた「大人ならその能力を自分の為、出世や金の為に使う」というのに当てはまりますね…しかしキラと第二のキラが同時に存在していたと考えれば、これは犯罪者を裁いているキラとはまた別のキラかもしれません…それにしても、よくここまで調べられましたね」
「ああ」
「僕もかなり手伝ったんですよ、竜崎」

どこか誇らしげな松田さんの言葉に応える余裕はなく、私はただ新しい発見に夢中になっていた。

「この全世界の警察や情報機関、役所にアクセスできるシステムのおかげだ。正直言って何からすればいいかわからなかった…それで一から…
まずキラが日本にいるという説から検証してみた。明らかに日本の犯罪者が偏って多く殺され、日本での報道と関連づけてみると、日本の情報化にキラがいるのは確かの様だ。そしてキラが心臓麻痺で殺すなら、キラの仕業として確認できていない被害者もいると考え…」


言いながら、パソコンの画面を切り変える。そこには夜神月と松田さんが調べ上げあげた犠牲者の名前が一挙されていた。

「犯罪者以外でもとにかく心臓麻痺以外で亡くなった者をもう一度現在から遡って可能な限り検査した。普通ならとてつもなく時間のかかる作業だが、このシステムだと割と早くそれもできた」
「これをかなり僕が手伝ったんですよ竜崎」

松田さんには悪いが、やはり労う余裕などない。新たに解明されつつキラの実態をつかもうと、私の思考はそちらしか向かわない。

「過去五カ月の犠牲者を挙げた所で、その一人一人についてよく調べてみるつもりだったが…その途中でこの注目すべき三人に気が付いた。2人なら偶然で流していたかもしれないが、三人だ。
赤丸商事開発企画部長、田三八平。青井物産システム統合部次長、青井幸時。元ヨツバグループ会長森矢竹吉。三人と日本を代表する企業に重要な位置で関わっていた人物。その三人が心臓麻痺」


犠牲者の名前が列挙されていた画面が切り替わり、今度はその三社の株価の変動を比較するグラフが表示される。

「なので今度は赤丸、青井、ヨツバの事を調べてみた。するとヨツバの株価はジワジワ上がり、赤丸、青井は下落」
「それで日本の大企業回りの死を心臓麻痺に留まらずに調べてみた訳ですか…」
「ああ…そうしたら…ヨツバにとって都合のいい死がこんなに…この三カ月で13人…他の企業から見た場合都合がいいのはせいぜい一人か2人だ。さっきの三人以外は事故死と病死。一人は自殺、そして今週に入って贈賄でキラに裁かれた者が2人…」
「三か月というと夜神くんを監禁し、一度キラの殺しが止まり、再び殺しが始まった時…そこも私は引っ掛かる…」
「……確かに…」

夜神月の肩に手を置き支え代わりにしながら、株価の変動と犠牲者の名前を食い入るように眺める。

「どう思う?僕にキラがヨツバに肩入れしてるとしか思えないが…」
「……しかしそうなるとキラは…」
「…ああ…心臓麻痺以外でも人を殺せる!」

そこから、相沢さん、松田さん含めた四人でソファーに移動し、テーブルを挟んで対面し、議論する。
調べ上げた結果を見れば、相沢さんもやはり怪しい思ったようだ。

「確かにこれは片寄ってるな…ヨツバにとって邪魔な人間がこんなに…」
「大企業って裏工作して平気で事故死に見せかけたり薬盛って殺人してそうですもんね…」
「いつの時代だよ…今そこまでしてる企業ある訳ないだろ」

相沢さんは紙にプリントした資料をみながら感嘆しつつ、松田さんの言い分にツッコミを入れていた。

「しかしヨツバはそこまでしてますね…問題はそれがキラを使ったものなのかどうか…」
「竜崎はこれをキラだと考えてるのか?」
「心臓麻痺三人ですから可能性はあります。まあ私の推理ははずれるのであてにはなりませんけどね…」
「キラをヨツバが多額な金で雇ってるって事は?」
「キラを雇うなんて考えられません」
「なぜ?」
「私が見つけられなかったキラを一企業が見つけた事になりますから、ありえません」

向かいの席に座り、それまで真面目な顔で議論していた相沢さんが、途端に呆れ顔をして私をみた。

「……さっきは「私の推理ははずれるのであてにならない」と言って今度はすごい自信だな…どっちなんだ?」
「さっきのはスネてみただけです」

言うと、やはり更に呆れた顔をされた。私の冗談やスネるといった行動は、理解され難いらしい。

「それに大企業の人間とはいえ、キラが一般人に見つかってその企業の為に力を貸すなんて思えません。キラだとバレた時点で相手を殺す考えるのが普通です。だったら「ヨツバの誰かがキラ」いや、「ヨツバの中にキラの能力を持った者がいる」という推理の方がまだましです」
「では、逆にキラが自分をヨツバに売り込んだってのはないか?」
「そんなキラ安っぽすぎますよ。そんなのもう全然カッコよくないっすよ」
「松田おまえ、キラをカッコいいと思ってたのか?ああ?」
「あっいやそういう意味じゃなくと…すいません」

松田さんは相沢さんに怒鳴りつけられ、萎縮していた。松田さんは迂闊なところがある。
宇生田さんがキラに殺され──もちろんそれだけが理由ではないが──キラを憎み、悪と断じている相沢さん相手にしていい発言ではない。
こうして激昂されるのは目に見えていただろうに…それが見越せないからこその迂闊、なのだろうが。

「…まあキラが関係してようとしてなかろうと、これは調べない訳にはいかないな…しかしこういう大企業にメスを入れるとなると、かなり厄介な事に…」
「ワタリが財界には詳しく顔も少し効きますが、もしキラに関わっていたらワタリ一人に探らせるのは危険すぎる」
「ワタリって誰だよ竜崎」

夜神月は探りを入れてるというより、純粋に疑問が出てきたようで、自然と問いかけてきた。
無論、問われても支障ないからこそ、こうして堂々とワタリの名前を出したのだ。
パソコンに表示されてるロゴマークを指さしながら、彼に言う。

「たまにパソコン越しに出て来る、夜神くんにもう一人のLと思わせていたアレです」
「ああ、アレか…」

アレという言葉だけで通じたようだ。もう一人のLと思わせた…つまりは騙していたという事については今更何の感慨もわかないようで、平然としている。

「もう夜神さんも警察庁から戻ってくるでしょう。そこでこれからの方針を決める事にして、今はまずできることを…」
「じゃあヨツバの会社構成できるだけ調べておきます」
「僕はヨツバのメインコンピューターに侵入できないかやってみるよ」
「えっと僕は…」

各自ヨツバについてもう少し踏み込んでみようと画策していた所。
暫くすると、警察庁に出向いていた、模木さん、夜神さんが帰ってきた。

「局長、あっ模木さんも、お疲れ様です」

本部へと戻ってきた2人の姿を見つけると、松田さんが明るい声で出向かえた。

「凄いっすよ。月くんと僕の活躍でヨツバグループにキラが関係してるんじゃないかって疑惑が濃厚になってきました」
「ヨツバ!?」
「は…はい」
「たぶんそれだ、よくやった…」
「え?」

夜神さんは松田さんの言葉に強く反応し、労うように彼の肩を叩いた。

「今次長からキラが政治家に献金を贈ったという話を聞いてきた所だ」
「キラが献金?…ヨツバの財力を使ったって事か…」
「すごい情報っすね。繋がりますよこれ…だから局長もそんな気合入った顔に」
「もしかしてそれで、例の本部にキラ事件捜査の志願者を全国の警察から募るって案が通ったんですか?」
「その逆だ…志願捜査員どころか、警察はキラに屈した」
「え!?」

私も夜神月も、話が気になり、彼等のやり取りをモニター前から見守った。


「模木にはもう話し、模木はここに残る決心の様だが…相沢、松田。まだキラを追う気があるなら、私と模木と共に…今から警察庁に辞表を出しに行くんだ。もう警察を辞めなければ本気でキラを追う事はできない…」
「ど…どういう事ですか?」
「そ…そうですよ。警察だから追えるんじゃないですか?」
「簡単な事だ。「Lと共にキラを追うならクビだ」今そう言われてきた。ただそれだけだ…キラに脅されてだとしても、上の決めた事だ」
「そ…それできょ…局長は本気で辞める気なんですか…?」
「ああ、数時間後にはもう局長ではないな」

続けて、夜神さんは相沢さん、松田さんに向けてこう告げる。

「皆自分の生活がある。よく考えて決めてくれ。もう懸けるのは自分の命だけではない」
「そうですね…奥さんや子供がいる人は特に…」
「…私は皆さんは警察に戻るべきだと思います。もともと私は一人でしたし、警察のほとんどの者がキラに殺されたくないから私には協力できないとすぐ背を向けた。
それでも今まで残ってくれた皆さんのその気持ちだけで──私は一人でもやっていけます。そして…必ず警察に…キラの首を土産に皆さんに会いに行きます」

私が言うとしんと静まり返った。皆なんと言うべきか言い淀む気配があり…しかし隣に立つ夜神月だけは違った。

「竜崎。僕がいる限り一人という事はない。この約束もある」
「そうでした。夜神くんはキラを捕まえるまで行動を共にしてもらいます。しかし他の皆さんは警察に戻られた方がいい…」

左手にはめられた手錠を持ちあげながら、夜神月はハッキリと言った。
しかしやはり、私は夜神月以外をここに繋ぎとめるような発言は口にしなかった。

「竜崎…この事件には警察の協力が必要だと言ってくれてたじゃないか」
「言いました。しかしそれは夜神さん達が残った事で私と警察が切れずにいた事と、警察が組織としてキラには従わず、逮捕を望む姿勢でいた事が協力となっていたんです。さくらTVのように…しかし警察を辞める二、三人の一般人の協力は警察の協力ではありません。そして警察はキラを捕まえないと決めたのですから…もういいです」

机の上に置かれた皿の中に、ぎっしり詰まったさくらんぼを1つつまみ…口に含みつつ語る。
きっぱりと突き放したつもりだったが、夜神さんは食い下がる。

「た…確かに警察でなくなる我々ではたいした力にはなれないかもしれない…しかし…私達の気持ちはどうなる?これでもここまで本当に命懸けでやってきたつもりだ。警察を辞めここでキラ捜査を続けるか、警察に戻りキラを追う事を諦めるか。それくらい自分で決める権利はあるはずだ」
「……そうですね。ではどちらにするか決めてください」


彼等を振り返らず、さくらんぼの枝を口で結んだものをつまみつつ、選択の余地を与えた。

「…し…しかし局長…正直警察を辞めたら無職になるって事ですよ…キラを捕まえられたとしてもその先、どうするんですか…?松田の言うように、私や局長には妻子がある…私にはとても…それを犠牲にしてまで…」
「先か…考えていないが…キラを捕まえたその後は…再就職だな」

明るく言ったその言葉は、とても夜神さんらしい。しかし相沢さんの言い分はもっともで、夜神さんのようにキッパリ言い切れる方が稀な事は確かだ。

「決めました!僕も警察辞めて局長達とキラを追います!」
「松田…」
「せっかく僕の調べた事が役に立ってヨツバが怪しいって思えてきた。ここでやめたくないし、僕にはミサミサのマネージャーって仕事もあるから無職にはなりませんよ…はは…
元々コネで入れた警察庁だし、もういいっすよ。親たちはガッカリするでしょうけどね。…それにこれでキラを捕まえられず警察に戻ったら負け犬って気が──…」
「松田、言葉には気をつけろ」

夜神さんが厳しく叱責すると、松田さんは雄弁に語っていた口を一度閉じ、「あ…相沢さん…」と気遣わし気に名を呼んだ。
夜神さんも模木さんも、そして松田さんも決心した。残るのは…相沢さんだけ。彼は酷く葛藤している様子を見せている。

「……竜崎。警察に戻り空いた時間に協力するというのでは?」
「……駄目です。警察に戻るならもうここには来ないでください。もはや警察の人間は敵だと思った方がいい状況ですから…」
「…そんな…今まで通りここに居ようが警察に居ようが秘密は漏らさない…いや…こんな形で警察庁に戻れば、最初の捜査本部に居た者達からLのスパイという目で見られるだろう…それなら開き直って警察の動きを観る者をこっから一人置いたと考えれば…」
「警察に戻り警察の方針に従い、1人でキラを追うのは自由です。何か知らせたい事があったら夜神さんにでも電話して伝えればいい。それも自由です。しかしこっちの情報は絶対渡しません」

持ち上げたカップに口をつけながら振り返らず、キッパリと拒絶した。
折衷案などを作るつもりはないのだと。
相沢さんはそれに激情する事はなく、内省するように気落ちした声をもらした。

「……そうだな…竜崎の言う通りだ…ここの情報は絶対に外に出しては駄目だ…未練がましい事を言って申し訳ない…」
「一刑事として命懸けでキラを追う事は間違ってないと思いますが、刑事でなくなってまで家族に迷惑をかけ、キラを追うのは決して正しい判断だとは私は思いません。刑事として死んだら殉職ですが、ここで無職で死んだら犬死です」
「竜崎の言う通りだ、相沢。ここで辞めても誰も責めはしない」
「そうですよ裏切り者なんて思いませんよ」
「き…局長だって家族があるのに警察を辞めてまで…」
「相沢、私とおまえとでは立場が違う」

夜神さんの言う通り、まだ幼い子供がいる相沢さんと、もう子供が成人近くまで育っている夜神さんとでは、状況も違うだろう。
夜神さんの奥さんとて、不満や心配がない訳ではないだうが…ほとんど家にも帰らず本部で寝泊まりして捜査にあたっても、咎めたりはしないようだ。
しかし相沢さんは子供が幼い上、捜査状況は奥さんであっても話せず理解も得られないため、常々諍いが生じている様子。
同じ妻子持ちだからといって、下す決断が違っても当然だ。

「息子がキラだと疑われ、息子共々、自らだが監禁までされた。全てキラのせいでだ。おまえも見ていたはずだ。もう引き返せない…これは私のエゴなんだ…」
「それに私はまだ月くんが主犯のキラだという線も捨てていませんしね」

水を差すような発言だとはわかっているが、事実は事実だ。夜神さんは今更何も反論する事なく…ただ、当事者である夜神月は厳しい目で私を見ていた。

「こんな言い方もなんだが、うちの子は大きい。おまえにはまだまだ子供を育てていく責任が──」
「ず…ずるい…ずるいですよ…俺だってここでやりたいです…俺だって本当にいつ死ぬかわからない覚悟でやってきました…それに…ここで辞めたら宇生田に顔向けが…
…くそっなんで警察に努める刑事がキラを追っちゃいけないんだ…!」

相沢さんは怒りと悔しさで震えながら吐露していた。そんなとき、『…竜崎』とワタリが不意にパソコン越しに声をかけてきた。

「どうしたワタリ」
『あなたはこの捜査本部の者に何かあった場合、例えば警察をクビになった場合でもその者と家族が一生困らないだけの経済的援助をする事を最初に私に約束させた。
何故の事を言って差し上げないのですか?』
「余計な事を言うなワタリ」
『あっ…はいすみません、つい聞いていられなくなり…』


私とワタリのやり取りを聞いていた皆は、それぞれの反応を示した。松田さんは表情を明るくして、軽やかな声を上げる。


「な…なんだ…ぼ…僕達の生活保障までされてたんですか。よかったじゃないですか相沢さん。これなら刑事という肩書きにさえこだわらなきゃ、今まで通りにやれますよ!」
「…竜崎」
「はい」
「俺が警察を辞めて一緒にやるかどうか観てたのか?」

相沢さんは反対に、仄暗く、怒りを隠しきれない沈んだ声を発する。
その湧きあがった怒りに慌てたのは、それを差し向けられた私ではなかった。

「ち、違うぞ相沢。竜崎はそういう事を自分で言うのが嫌いなだけだ」
「そ…そうですよ。竜崎ってそういう偏屈なところあるのはもうわかってる事じゃないですか」
「いいえ。…試してました。どっちを取るか、観てました」

夜神さん、松田さんは焦ったようにフォローする。私はそれに乗っかれば円滑に物事は進む事を理解していながら、嘘はつかなかった。
予想通り、相沢さんは私の偽りない発言を聞き、こう決断を下す。


「わかった…俺はここを辞めて警察に戻る」
「!相沢さん…」
「俺は局長達の様にすぐには決断できなかったし、警察に戻る方に傾いていた…」
「そんな意固地にならずに…」
「いや辞める。今またはっきりわかったが、俺は竜崎が嫌いだ。竜崎のやり方全てがな!」「それが普通です。相沢さん」

自分が清く正しい正道を歩んでいるとは思ってはいない。
私のやり方に反感を持つものは多いだろうし、諸手を上げて賛成し共感する者の方が少ないだろうと自覚している。

「私は相沢さんみたいな人好きですけどね」
「こ…こういう事を白々しく言うところがまたどうしようもなく嫌いなんだ!俺はここを辞める!」
「お疲れ様でした」

──こういった流れがあり、相沢さんはキラ捜査本部から離れ、警察庁へと戻っていった。
ギリギリの少数精鋭で回していた捜査本部がまた手薄になる。
相沢さんが辞めた2日後。引き続きヨツバグループ周辺を調べていると、夜神月がふと声を上げた。

「──また見つけたぞ、竜崎。9月10日、自宅階段で足を滑らせ転落。打ちどころが悪く死亡。大友銀行、飯田橋支店長。矢位部巡一。来月には本店次長になる予定だった。
実質大友で今一番のやり手されていた人物だ。そして三日前大友銀行取締役、山込田時男が贈賄容疑で事情聴取。逮捕はまだだが、こうなると今までのパターンから、
キラに裁かれるか自殺する事に…これで大友銀行はもうガタガタだ。テヨツバ銀行は大友を抜けば国内一になる…」
「9月10日といえば、金曜だな。…私達は簡単なことを見落としていた。もう一度よく調べ直してわかったんだが、ヨツバにとって都合のいい死は、終末に集中している」
「えっ本当ですか?」

紙にした資料を片手に夜神さんがモニターにかじりつく我々の元に、重大な情報を渡しにやってきてくれた。

「一連の死が三か月前からだとして、最初の頃は事故死でも、死亡日時にバラつきがあったが、徐々に金曜の夜から土曜の午後に集中しだした。ライトが最初に注目した三人の心臓麻痺も、全てそうだ」
「よ…よく気が付きましたね!局長。まだ月くんも竜崎も言ってなかった事を…」
「…もう局長ではないと言っているだろう」
「いえ、僕にとってはずっと局長です!」

松田さんと夜神さんの気の抜けた会話を聞流しつつ、夜神月と考察を重ねる。

「…殺人が週末に集中…どういう事だ?」
「おかしいですね…この殺人にキラが関係しているのなら、キラは心臓麻痺以外でも人を殺せることになる。ならばそれがバレない様、事故死等は死の時間を操って、
片寄りが表面に出ないようにするはず…週末に何か意味があるのか?やはりキラではないのか?」

私のひとり言に近い考えを聞きつつ、夜神月は父親に向けて笑顔をみせた。

「僕も見落としていたことを…これは何かのヒントになるよ、父さん」
「私だってまだまだおまえや竜崎に負けてはおれん。ここのお荷物にはなりたくないからな」
「ヨツバの中にキラがいるのか、キラがヨツバを利用しているのか。キラは関係していないのか…わかりませんが。もうキラの仕業だと考え捜査しましょう。ヨツバを徹底的に調べます」

言った瞬間、タイミングよく模木さんが資料を持ってきてくれた。

「国内外、ヨツバグループ全社員リストできました」
「模木さん、地道な作業ありがとうございます」
「30万人以上か…よくこれだけの人をこんなに早く出せたな…凄いよ模木さん」
「模木さんは最初から何気に凄いですよ」

188cmという大柄な体でも抱えるのに苦労する量の紙束を持ってきて、デスクに置いてくれた。と言っても、重力自体は苦にもなっていないようだったが。頼もしい限りだ。

「よ、よし…僕もがんば…」

そんな模木さんの姿を見て、松田さんも意気込みを声にしようとした時。

「あっマネージャー携帯が…」
『マッツー!ロケ行くよー!』

弥海砂が、松田さんのポケットに入っているマネージャー用携帯に電話をかけてきた。
モニターを見ると、と合流した弥海砂が笑顔で携帯を耳にあてているのが見える。
午後から映画のロケがあり、これからも弥海砂…そしてマネージャーの松田さんは忙しく出入りする予定だ。
加えて、の面倒をみる手間も加わったので、それなりに大変だろう。

「僕も捜査の方がしたいけど仕方ないから行ってきまーす…」
「社員の数にも驚くが支社だけでもこんなに…どこから手を付けたらいいのか…」
「もっと人手がほしいな…」

「いってきます」「いってらっしゃい」を律義に言い合う関係でもない上、進展した捜査に夢中になっていたため、誰も松田さんを見送る事はなかった。

「しかし今更捜査員の増員も難しい。警察を辞めてまで協力するという者がいるとも思えん」
「警察は駄目ですよ。「辞めてきた」なんていうのはスパイと思うべきです。…ワタリ」
『ハイ』
「アイバー、それにウエディをここに呼べるか?」
『え?彼らの居所は把握してますが…顔を見せる気ですか?』
「彼等と私にはもうそれなりの信頼関係があります。ヨツバという大きなものを探るのにわざわざワタリを通していたのでは、無駄に時間がかかるし私の考えも伝えにくい」
『…わかりました、手配します』

ワタリは最初こそ困惑し、抵抗があったようだったが…私が彼らに顔を見せる利点を説明すれば、納得してくれたようだった。

──アイバーとウエディが本部へとやってきたのは、それから三日後のこと。

「俺はアイバー。詐欺師だ。ヨロシク」
「ウエディ。職業はドロボウ」
「さ…詐欺師に泥棒?」
「そうです」

彼等が短く簡潔に自己紹介をすると、夜神さんがその肩書きに面食らっていた。
普通であれば、早々出会う事ができない人種だろう。


「アイバーは語学力、心理学、人格変換術、あらゆる社交に必要な物を身に着け、必ずターゲットと親密な関係になる詐欺師。潜入捜査に使えます。
ウエディはどんな鍵、金庫、セキリュティでも敗れる泥棒です。その証拠に我々に気付かれる事なくここまで入ってきた。2人とも歴とした犯罪者です」
「は…犯罪者と一緒にやるのか…?」
「犯罪者と言ってもキラに裁かれるよう表に出てくる者とは違います。裏の世界のプロとでも思ってください。他にも必要に応じて犯罪者であろうと手を借りられる者は押さえてあります。皆顔を見せたがりませんし、私も信用できる者にしか顔を見せませんが…
この本部に住んでもらう者がいるかもしれません。流石に夜神さんたちが警察であったのなら入れられませんでしたが、今となっては…」
「……しかし…」

刑事という肩書きを捨てたはずの夜神さんだが、だからと言って、すぐには受け入れがたい様子で戸惑っている。
反対に、柔軟に彼等を受け入れたのは夜神月だ。彼はまだ学生の身であり、勿論警察だった経歴などない。
一般人だからこそ犯罪者と手を取る事を受け入れられたのか…はたまた「彼等は使える」という打算か…
恐らくそのどちらでもあるのだろう。

「なるほど。ヨツバを探るならこういう人たちも必要になる。皆で力を合わせてがんばろう!」
「…う…うむ…」
「うん」

夜神月は彼等に握手を求めるように手を伸ばし、言葉だけでなく、友好的なポーズを見せる。
夜神さんは戸惑いつつも、彼等と共にやっていく事に異論はいないようだった。


離脱した捜査員はいるものの、捜査自体には進展もあり、技術のある信頼できるメンバーも新たに加わった。
このまま順調に進んでいくはず──…そう思えたのも、束の間のことだった。

****


各々役割分担をしてヨツバグループの影に潜むキラを調べている最中。
デスクに向かっていた夜神月のキーボードを打つ手が止まり、肘をついて難しい顔で考え事を始めた。
しばらくはそれを眺めていたが…あまりにも長く考え込んでする上に、表情から察するにただ事ではない。

「夜神くん」
「ん」
「どうしました?真剣な顔をして…」

探りをいれるため何気なく問いかけるも、やはり夜神月は適当な言い訳を口にし、追求から逃れた。

「いや、モニターばかり見ていたから少し疲れただけだ。…ヨツバ本社のコンピューターに侵入できたが、さすがにキラに繋がるものはないな。そんな証拠になるものを、わざわざ入れるはずもないが」
「凄いですね。このハッキングの腕があったら、警察のコンピューターでも侵入できたでしょうね」


夜神月の視界を遮るようにして、彼の前にあるパソコンの画面を覗き込み、コードの羅列を見る。
確かにこの細かで膨大な羅列を長時間眺めていたら疲れるだろう。
しかしこれをただの大学生が、独学で学んだというの驚くべき点だ。
そう…おまえは普通ではない。成績を見れば一目瞭然だが、学力以外にもありとあらゆる事が平均値を越えている…
キラは確実に賢く打算的。夜神月を見ていると、きっとキラはこのような能力を兼ね備え、このような性格をした人物なのだろうと思わされる…
夜神さんに「まだ月くんが主犯のキラだという線も捨てていない」と言った通り。
私はキラ=夜神月という推理を捨てきれない。

「まだそんな事を言っているのか竜崎…僕を疑っているのは勝手だが、今起きている事にちゃんと目を向けてくれよ」
「そうですね。とにかく今のキラを捕まえる。それが事件解明への今できる最良の事に違いないですから」


乗り出していた身をひっこめ、自分の席にいつも通りに座った。
その瞬間、『竜崎!』とワタリからパソコン越しに話しかけられた。

「どうした?」
『探偵のエラルド=コイルの所に「Lの正体を明かしてほしい」という依頼が…それなりのエージェントを2人通して、依頼人がわからないように工作してありますが、依頼主はヨツバグループライツ企画部長、樹田正彦と突き止めました。前金で10万ドル。成功報酬140万ドル』
「よく調べてくれました、ワタリ」
「!やはりヨツバか!エラルド=コイルといえば、Lに次ぐ名探偵といわれてる者じゃないか。金で動く事でも有名だが、人を探し出すことにかけては断トツ…」
「ヨツバがキラと繋がっていて、Lの正体をほしがっているという事は、正体を知ったら殺すつもりだろうな」
「まずいな…人手がないのに、コイルの方にも気を配らないと駄目という事か…コイルも顔を隠しているだけに厄介だ…」

夜神さんと月くんは難しい顔をしているが、状況は2人が思うほど最悪ではない。
とはいえそれを知るのは私とワタリのみ。状況を説明するため、表情を曇らせる彼等に向けて口を開く。


「大丈夫ですよ。エラルド=コイルという探偵も、私ですから」
「えっ!?竜崎がコイル?」
「今世界の三大探偵といわれているL、コイル、ドヌーヴ、皆私です。秘密にしておいてください。私を探そうと考えるものは、結構これに引っ掛かります。コイルもドヌーヴもワタリが仲介に入りますから、バレバレです」
「さすがだな、竜崎。……あ、あった。樹多正彦。ちゃんとヨツバの社員リストに入っている」

会話をする片手間に、夜神月はヨツバの社員リストを開き、樹田正彦の情報を開示させた。
1994年入社・東応大学理工学部の出。写真からは、神経質そうな印象を受ける。

「しかしいくらヨツバとはいえ、企画部長なんてポストで一億五千万なんて金、右から左へ動かせるはずがない。こいつがキラってことか?」
「そうとは限らないと思うよ、僕は」
「そうか?キラならいくらでも金を得る手段はあるだろうし…ヨツバから金が取れるのでは?」
「それだとキラはヨツバの利益を上げ、そこから金をもらったって事になる。父さんの言うように金を得る方法は他にいくらでもある。突き詰めればヨツバの社長に「金を出さなければ殺す」と言えばいいだけだ」
「そうですね。依頼主だからと言って、樹田がキラだという考えは安易すぎますね。…ここまできたら、もうアイバーとウエディに動いてもらっていいでしょう」

情報が揃った今、後はもっと深堀した仔細と、状況証拠を掴むため、アイバーとウエディを呼び出した。
彼等に今どういう状況にあり、何をしてほしいかの要求を説明すると、すぐに快諾してくれる。

「彼に近づけばいいんだな。任せてくれ」
「はい。お願いします」
「で、私はこいつのいるヨツバ東京本社の監視カメラや防犯システムを破れるようにしとけばいいのね」
「はい」

2人とも、パソコンに表示された樹田のプロフィールを見ている。
アイバーとウエディ、そして夜神さんと模木さん。私と夜神月含む六人で、情報のすり合わせを行う。


「では皆さん。わかってると思いますが、これからのやり方について、もう一度確認しておきます。相手はヨツバでありキラでもある。
ヨツバにとって都合のいい死が多発し、心臓麻痺死者もいる事と、探偵を雇ってまで私を探している事から、まず両者は関係していると考えていい。キラの能力を持ったものは一人とは限りませんが、ヨツバを洗っていけばきっとたどり着けます」

椅子に座る私を中心にして、円になるような形で皆、静かに聞いてくれている。

「まず誰が能力を持っているのか、何人持っているのか完璧に把握する。その能力は顔と名前さえあれば念じるだけで殺せる物だと考えれば、その見分けはとても難しく危険も伴います。そしてその能力は人から人へ渡るという可能性が少なからずあります。
…ですから…絶対にヨツバ側に我々が調べている事を気付かれてはなりません。気づかれたらその時点でキラは捕まえられなくなる、くらいに考えてください。気付かれない様慎重にジックリ調べ、なおかつ──」

一度ここで言葉を切り、ここからは更に念押しするようにして、しっかりと言葉にした。

「その者がその能力を持っているという証拠と、殺しを行ってきたという証拠を、誰に説明しても明白であると納得できる形で捕まえます。
気付かれずに証拠を押さえる…それしかありません。
くれぐれも焦った行動、先走った行動、一人の判断で動かないでください」


こんな事を言わなくても──特にアイバーとウエディは──自己判断でなど動かないだろう。
私と何度も仕事をし、信頼関係を培った事と、裏社会で生き延びてきた経験がそうさせる。
そして夜神さん、模木さんも馬鹿ではないし、協調性がある。夜神月も表向きはそうなのだろうが…そもそも手錠で繋がれているため、独断で行動することは不可能。
あくまで形だけ、念押ししただけにすぎない。
しかし、一番念押ししする必要があるメンバーが一人、今ここには居ない。
とはいえそれは、彼が戻ってから告げればいいこと──…そんな風に悠長に考えること程愚かなことはないと、私はすぐに理解させられる事となった。

「探ってる事を気付かれないためにも、まずアイバーとウエディに──」
『…竜崎』
「どうした?ワタリ」
『松田さんがベルトで緊急サインを送ってきました…』
「………………どこから?」

ワタリに投げた問いに対して、これから返ってくる答えは、聞かなくても予想できていた。
彼が帰ってから念押しすればよいなんて、考えた自分が愚かだったのだろう。

『それが、どうやらヨツバ東京本社内からの様で…』
「な…何やってんだ!?松田は!気付かれでもしたら…!」
「いや緊急サインって事は、もう気付かれてる可能性も…」
「……だとしたら、たぶん殺されますね」
「……今までの話は忘れてください。作戦考え直しです…」


夜神さん、月くんが深刻そうに話し、アイバーが腕を組みつつ、ため息を吐きながら言った。
元々自分の目つきがよくないという自覚はあるが、その眼光が更に険しく鋭くなっているであろう事が理解できた。

「…松田の馬鹿……」

毒づいた言葉も刺々しく、容赦はそこにはない。


****

「松田は弥と苗字の監視を常にしているはず。2人でヨツバにいるという事か?」
「………松田さんじゃわからないね…」

私が松田さんに対して抱く見解というものはろくなものではないが、夜神月もだいぶ彼の事を信用していないようだった。


「松田さんは外に出る時は、弥海砂のマネージャー、松井太郎としての物しか持ち歩いてないですよね?」
「うむ。そこはしっかり守らせている」
「夜神さん。松井マネージャーの携帯に電話してください」
「…うむ」
「おい竜崎、それ危険じゃないか?」
「うまくやります」

夜神さんから発信状態の携帯を受け取り、耳にあてる。すぐに電話に応答することはなく、何度かコール音が繰り返された後、繋がった音がした。

「よーっ松井ーっ朝日だーっおひさーっ」
『おーっ朝日、久しぶり』
「あ、外じゃないみたいだな。もう家か?」
『ああ』
「今一人?」
『うん…家で一人だよ、何?』


夜神さんの携帯を借りて話しているので、「朝日」という偽名を使った。
加えて、私の声がヨツバ社員に聞えている事も想定して、喋り方を変えた。
いつも通りの私の喋り方でのまま、友人として飲みの誘いをしては不自然極まりないだろう。
電話口をふさぎながら、「松田は弥とと別行動で一人でヨツバにいます」と夜神さん達に伝えた。

「今から飲みにいかないか?」
『えっ?飲みに?……き…今日は止めとくよ…』
「なんだ、またサイフが"ピンチ"なのか?」
『ああ…そういう事バレバレだな。あはは』

松田さんは空笑いをしている。一応繕ってはいるので、素の松田さんを知らなければ、これが演技だとは気づかれないだろう。

「松田ピンチです」と再び夜神さん達にこっそり周知し、「じゃ、また改めて誘うよー。じゃーなー」と言って通話を終了させた。
携帯を夜神さんに返しつつ、今度は夜神月にこう頼んだ。

「夜神君。さんの携帯に電話してみてください」
にか?」
「ミサさんは撮影中の可能性が高いです。さんは待機時間が長くて疲れるとぼやいていたので、今フリーの可能性は高いかと」
「ああ…わかった」

何故弥海砂でなくにかける必要があるかの説明をすれば、怪訝そうにしていた彼も、従ってくれた。

『はい…』
、今大丈夫か?松田さんは今どこにいる?」
『……あ!松井さんですか?』
「…?どうした…?」

そこで夜神月はボタンを何度か押してボリュームを上げ、の声が周りに聞えるようにした。

『あの、今監督に、別の映画にも出ないかって声かけてもらってて…でも私じゃ判断できなくて、困ってたんです。…受けて大丈夫でしょうか?』
「……松田さんはそこにはいないんだね?」
『……はい。…そ、そうですよね……はい、わかりました。では失礼します…』


夜神月は電話を切ると、難しい顔で首を横に振り、駄目だったと告げる。

「…ダメだ。松田さんはやっぱりと別行動をとってるらしいな。まあ、そこはもうわかってはいた事だが…松井マネージャーが不在である事で、も困った状態になってるらしい」
「では今度はミサさんの電話にかけてください」
「もうかけてるよ。……駄目だ。留守電になってる。やっぱりまだ撮影中だ。…ミサ、僕だ。話せるようになったらすぐ折り返し電話くれ。電源はいれておく」

が駄目なら、撮影中の可能性が高い…とはいえ、念のため弥海砂にも。
そう指示するよりも前から実行していたようで、しかし空振りに終わり、弥の携帯に留守電を残していた。

「どうする竜崎。松田は一人でヨツバに居る様だし、さっきの電話、どう考えても誰かが近くにいて、会話を聞いている対応だろう?決していい状態とは思えない」
「そうですね。ピンチらしいですし。…これで松田さんが死んだらヨツバの疑惑はかなり確定的になりますが…とりあえず、今はこれ以上こっちから動くと気づかれる可能性がありますから、少し様子をみましょう」
「…う、うむ…仕方ないな…」


今できることはない…とは言え、今後どうなるかどうかの予測は立てられる。
こうなった場合はこう、こうであればそうする。
いくつかの想定を繰り返し、何があってもすぐに判断できるよう議論を重ねた。

そうしているうち、夜神月の携帯が鳴り出した。


「ミサだ」

椅子から立ち上がり、彼は電話に応答した。

「ミサ、僕だ。松田さんは?」
『えっ?あっ…あいつサイテー!3時頃だったかな?ミサの事ほったらかして、どっか行っちゃったの!ミサ、松がいないとそこ入れないんだよね』
もそこにいるのか?」
『うん、ちょうど二人共撮影終わって合流したとこ。、隣にいるよ…あっ噂をすれば仕事用の携帯に松から。ちょっと待って…』
「松田さんからミサに電話がかかってきた」
「!!」

私達に向けて夜神月は状況を説明した。松田さんから、と聞いた瞬間、一気に場の空気が緊迫したものへと変わる。

『ミサミサ、今日の撮影終わったんだな。と一緒に、ヨツバの東京本社に来てくれ。タクシー使えばあっという間だ。えっと担当は…「宣伝策略部の葉鳥さん」受付でガードマンにそう言えば通してくれるから。
もしかしたら、ヨツバさんのCMに出られるかもしれない』
『えっ!?マジ?ヨツバってあのすっごい大きな会社でしょ!!すっごいマッツー、
どっか行っちゃったと思ったらそんな営業してたんだやるじゃーん!!ミサも名前も、気合いれて行く。じゃねー』

夜神月は先程と同じように音声のボリュームを上げているので、なんとなくではあるが、会話は聞こえてきた。
そもそも弥海砂の声は元々大きく溌剌と喋る上に、声質的によく通るので、そんな事をしなくても漏れ聞こえていた。

『聞いてた?ライト──ミサ今度はヨツバのCMに出られるかもー』
「ミサ…落ち着いて聞いてくれ。ヨツバは駄目だ、いくな…」
『えっ!?何言ってんの?ミサどんなに売れたってライトのことは…』
「そうじゃなくて…」

夜神月は話のかみ合わない彼女に対し、少し疲弊したように目を瞑っていた。

「夜神くん。ミサさんを行かせましょう。松田さんを助けられるかもしれません。ミサさんは、夜神くん言う事なら聞いてくれます」
「……ちょっと電話を切らず待っていてくれ、ミサ」
『うん』


夜神月は電話から意識を離して…至極複雑そうな表情をしながら、私の提案を聞く体制を取った。
という恋人がいるのに求愛されている状況で、自分の言う事ならなんでも聞く…そんな事を言われても困るのだろう。
しかし使えるものは使ってもらわねば困る状況だ。夜神月もそれをわかっていて、ここで反論する事はなく、事を進めて行った。
そう、それでいい…使えるものは使ってもらう。…それが、夜神月の最愛の恋人であってもだ。


2025.11.14
松田さんが徹底スルーされてるシーン、どう描写したらいいのかと頭抱えました。
9巻の「僕もいつも弱い立場の方の人間だったから…」「僕が目の取り引きをします。僕なんか他に役に立たないんすから…」というセリフ、こういう積み重ねから出てきた言葉なのかも…と考えたらしんどかったです。
とはいえ「そうですよ裏切り者なんて思いませんよ」と無自覚に煽るシーンは松田!!!となり、情緒が狂わされます。