第90話
5.彼等の記録厄介な人たち

「すぐに手当しないと──」
「救急ボックスならプライベートルームには各部屋に一個は備え付けられてます。あの棚の中です」

深刻そうに辺りを見渡した夜神月に声をかけ、部屋の隅の戸棚を指さす。
先程の乱闘騒ぎのせいでその棚も倒れていたが、中身に問題はないだろう。
夜神月が取りに行くということは、私もその付き添いをしなければならない。
手錠をかけたのは自分だし、分かってはいたが、面倒なものは面倒だ。
しかしその面倒臭さこそが抑止力なりえるのだし、自分の下した決定に間違いはなかったと思える。

棚を倒したまま引き出しを引き出し、その中からボックスを取り出すと、夜神月は苗字名前の近くまで戻る。
彼女の足元で膝をつきながら、救急ボックスの中に何があるのかと確かめていると。

トゥルルと、各部屋に備え付けられてある、電話が鳴り出した。
幸い、今いる場所からそこまでは、夜神月と仲良く揃って向かわずとも、十分届く範囲だ。
私一人で電話の元まで歩み寄り、受話器を持ち上げ、耳にあてた。

「はい」
『竜崎、やりました!』
「どうしました!?」
『ミサミサがエイティーンの読者人気投票で一位になりました!二か月近く行方不明になっていたのが逆に話題になってよかったみたいです』
「……はい、そうですか」
『「はい、そうですか」って気のない返事ですね──…これは西中監督の次の映画の主役に決まったって事なんですよ!』
「……」

気のない返事と言われても。私が喜んではしゃぐ姿など想像できたのだろうか。
そのまま返事も返さず、受話器を元の位置へと戻した。
夜神月は私の返答だけで、さして緊急性のない伝達だったと察したのだろう。
ボックスを漁る片手間に、視線も上げずに聞いてきた。

「どうした?」
「どうでもいい、松田のいつものボケです」
「まあ、松田さんは天然だからな…」


夜神月も松田さんのボケという部分については否定しなかった。
天然という言い方をしてマイルドに聞えさせているが、お互い言ってる事は結局は同じだ。
ボツクスの中から包帯と消毒液を手に取ると、の所まで持っていった。
の足元では弥海砂が屈んでいて、傷口を見ながら顔を顰めていた。

「うわー…すごい血が出ちゃってるよー…ライト、これ傷口洗った方がいいんじゃない?」
「ああ、そうだな…でもとりあえず、傷口を覆わないと、移動中に血で汚してしまう」
「あ、そっか」

消毒液を手にしているのを見ると、これから夜神月がやることを理解して、弥海砂は邪魔をしないよう、立ち上がって退いた。

、ごめん。少し染みるよ」


消毒液を傷口に吹き付けてから、軽めに包帯を巻きつけていく。
手慣れた様子なのは、治療に慣れているからというよりも、夜神月が元々器用で物怖じしない性格をしているからなのだろうと思えた。
人のことは言えないが…負けず嫌いで、カッとなり、冷静さを欠く場面もあるが、
基本冷静に物事に対処する。血を見て怯むほど弱くもない。
両足に包帯を巻いた後、夜神月はちらりと背後で見守っていた私を見た。

「竜崎、僕たちは一度名前の部屋に戻る」
「はい。それは私も、という事ですね」
「しょうがないだろう。手錠で繋いだのはおまえだ」
「…ねえ、…この部屋どうすんの……」

夜神月はを抱え上げながら私に文句を言った。
弥海砂は引きつった顔をしつつ、台風でも通過したのかと見紛うほどに荒れた部屋を見渡していた。
が怪我をしたように、割れ物があちこちに散乱してる。
散らかしたのは私達であるし、弥海砂はとばっちりだ。
彼女に片付けさせるほど理不尽なことはしない。監視カメラ越しに見守っている捜査員の誰かか、そうでなければワタリが対処してくれるだろう。

エレベーターに乗り、苗字名前に与えられた階へと戻る。
鍵のかかっていない彼女の部屋の扉を私が開けると、夜神月は彼女をつれて、ベットへとおろした。
脚を床に投げ出させる形にしてから、洗面所に向かい、ぬるま湯を桶に汲んだ。

…本当にごめん」
「月くん、もう謝らないで。割って入った私が悪いの。……余計な事してごめんね」


の足元に桶をおいて、包帯を解いて傷口をぬるま湯で洗った。
夜神月の表情は険しく、そんな彼を気遣うように、は彼の頭に手をおいた。
子供をあやすようにして、頭を撫でている。

こそ、謝らないで。余計だなんて事はない。…でもあんな無茶はもうしないでほしい」
「うん…わかった…」
「…キツくない?」
「うん、大丈夫だよ、ありがとう…月くん、手当も上手なんだね」

は笑顔を浮かべて、いつもと変わらぬ調子で夜神月を褒めた。
それを見て、夜神月はなんとも言えない表情を浮かべて、の手を両手で取る。
その手を額にあて、膝をつく姿は、なんと形容すべきか…まるで神に祈るかのような姿であった。
プライドの高い夜神月が膝をつき、許しを乞う相手。
…演技の可能性…あくまで本命はだと振舞うメリット…
いや本当にに惚れている可能性は…?しかしキラであったなら…
…キラの能力が渡った結果…?

「……は本当に、散々な目にあってばかりだな。かわいそうに」

額に充てていた手を下すと、じっと彼女のちいさな手を見つめながら彼は呟く。
かわいそうに、という言葉が出た瞬間、ああ、やはりか…と考えた。
どう考えても、傍から見ては"かわいそう"にしか見えない。
とはいえ、事実そうだからといって、酷く憐れまれても困るのだ。

「まあ確かに、満身創痍ですね。未だに食事も十分にとれていないようですし」
「元々は食が細いのに、このままじゃ体を壊す」
「……どうにかした方がいいのは事実ですが…
今のさんに、"効く治療"というのはありません。環境のせいでこうなってるのでしょうから。しかし監視を解いて、家に帰すこともできません」
「……だろうな」
さんも、ミサさんみたいに振舞ってくれたらいいんですけどね」
「ミサは例外だろう。今のの方が、普通だよ」

とはいえ、「大丈夫だ」だとか何とか適当な事をそれっぽく言って、例え其の場は誤魔化されてくれたとして…
実際、このままではは「大丈夫」な状態にはならないだろう。
だから、嘘偽りなく語った。環境が彼女の状況を悪くしている。かといって、家にも返せないと。
弥海砂が夜神月とデートがしたいと言いだした時、夜神月は最初頷かなかった。
しかし、が部屋に閉じこもりきりなのを懸念したのだろうと思う。
であれば、同世代の弥海砂と引き合わせて、息抜きをさせようと考えたのだろう。
大人数で話していれば、少しは監視カメラから意識もそれて、気もまぎれるかもしれないと。
恐らくは様々な逡巡をした後、承諾した。しかし結果は息抜き所か、更に追い詰める結果になってしまった。


「…、少し落ち着いた?」
「うん、月くんの手、温かいから」


の顔色は、悪かった…──といっても、監禁を初めてからはずっとそうだが──乱闘騒ぎになり、夜神月の拳を食らってから、さすがにダメージを負ったようだ。
喧嘩なれなどしてるはずもないか弱い女性がほぼ全力の拳を食らって、舌を噛んだり脳震盪を起こさなかったりしただけまだマシだろうが。
平気なふりをしていても、ぶたれた頬だけでなく、頭痛もしているだろう。
乱闘騒ぎの最中は緊迫した空気だったし、彼女も緊張状態に陥っていたはずだ。
負傷する覚悟で間に入っていくのには、さぞかし身構えた事だろう。

「……ちょっと奥にいける?」
「?…うん」


夜神月が言うと、は指示通り、後ろへと下がった。
血は綺麗に拭き取られているし、手当された後なので、シーツを汚す心配もない。
脚をベッドの上に乗せて、枕元近くまで後退した。
夜神月はそれを見届けると、靴を脱いでベッドに乗りあがった。

そして布団をふわりと持ち上げると、の頭から被せ、夜神月自らもその中に納まった。
私はそこで夜神月のやろうとしている事に察しがついて、せめてがあまり奥まで行ってくれなくてよかった…と思った。
そうでなけは、私も夜神月と共にベッドの上に上がらねばならず、至近距離で彼等の"いちゃつき"を見せつけられた事だろう。


「…月、くん、っ」
「…黙って」

ただのかけ布団に防音シートのような効果があるはずもなく、彼等の会話は筒抜けだ。
ベッドに乗り上げなくてもいいとはいえ、ベッドのすぐ傍に立っている必要があるのには変わらない。


「大丈夫。監視カメラには映らないよ…まあでも、何をしてるかはバレてるだろうけどね」
「……なんで、こんなこと」
「なんで?…理由なんてないよ。ただ、耐えられなかった…もうどれだけ長い間に触れてない?…の肌に触れたい。温もりがほしかった…それだけだよ」


では私はここに立ちながら、何をしていればいいのか。
恋人たちのやり取りを聞いて恥ずかしがる神経もしていないし、かと言って聞き耳を立てて楽しむ趣味もない。
聞いていて不愉快とも感じないし、ただの無感情しかわかない。
思うことはただ一つ。こんな無意味な時間をすごすくらいなら、早くモニター前に戻りたい。やる気はなくしたとは言っても、捜査の手を止めるとは言っていない。
こういう時、素数を数えるとか、天井の木目を数える等で時間をやり過ごす方法を取るのも手として、知識としては知っているが…
生憎このビルの部屋にある天井には木目などないし、やり過ごしたいと感じる程の境地にも達していない。
ただただ、無為だとしか言えない。

「…月くん。私がいるのは分かってますよね?」
「わかってるから、こうして見えないようにしてるんだろう、竜崎」
「そうでしょうね。…そろそろいいですか?私、立ちっぱなしにされるのは嫌ですよ」

さすがに目こぼしをして、黙って立っているのも限界だ。
苦言を呈しても、夜神月は飄々とした言葉を返してくるのみ。

「残念」

夜神月は笑い混じりに言いながらゆっくり布団を持ち上げ、を解放した。

「……うん、も大分顔色がよくなったね」

の髪を撫でて整えつつ、夜神月は酷く満足げだ。
の顔色が悪かった事には当然夜神月も気が付いていて、それをどうにかしようとした結果、あの"恋人達の時間"を生み出す結果となったのだろう。
下心が皆無だった訳ではないだろう、しかし彼にも大義名分があった。
…とはいえ。

「随分な荒療治ですね」

このやり方には、正直な所呆れた。
は夜神月の背後に立つ私の姿を見つけると、ふっと視線を逸らすと、頬に手を当てて俯いてしまった。
布団で最低限のプライバシーを守ったつもりなのだろうが、女性からすれば完璧な防御ではないだろう。

「…月くんのばか…」
「すき、にしか聞こえないよ」

夜神月は懲りもせず甘い言葉を吐き、を困らせていた。
そんな夜神月を強く拒まないのだから、も満更ではないのか、それとも拒絶する強さがない、流されやすい人間なのか…

「月くん、いい加減にしてください」
「はいはい」

いい加減耐え兼ねて、手錠で繋がれた右腕を引いた。そうすれと、悪びれた様子もないまま、夜神月は肩をすくめながらベッドから降りてくる。
…夜神月の一連の言動・行動が演技であろうとなんだろうと。
あくまでに対しては、こういうスタンスで接していくつもりなのだろう。
そうなっていくと、それはそれでまた「厄介」である。


***

を引き連れて、弥海砂と四人で時間を共にするのは、恒例行事となっている。
その都度、夜神月はを抱えて歩くのだ。

「月くん、自力で歩かせて、リハビリさせるのも必要だと思いますが」
「そんな事をして、足の裏の傷口が開いたら、もっと長引くだろう」

弥海砂の部屋に向かう通路を歩きながら苦言を呈すと、否定が返ってきた。
言っている事は、理にかなってはいる。
しかしその頬は緩んでいて、明らかにこの状況を楽しんでいるようにか見えない。
隠す気がない…というのは、そのくっきりと浮かべられていた笑みだけでもわかったというのに。


「まあ僕は、がずっとこのままでも構わないけどね…」
「…月くん」

夜神月は、ハッキリと言ってのけた。
これにはも呆れて、咎めるような声を出して、少しじと目で見ていた。

「ごめん、冗談だよ。怪我は治ってほしいと思ってるよ」
「怪我は、ですか」

意図して揚げ足を取ったが、否定も肯定も返ってこない。
それだけで十分に伝わった。夜神月は怪我を負った彼女を憐れみつつも、しかし間違いなくこの状況を楽しんでいる。
弥海砂の部屋の前まで辿り着くと、私がドアを開けた。

「月ー!待ってたよ〜!」


瞳を輝かせ、両手を広げ歓迎する弥海砂の様子は毎度変わらない。
人数分のティーセットが用意されており、の隣に夜神月が座ることを見越して、
テーブルとソファーはギリギリまで狭められている。

「たまにはミサの隣に座ってよ〜」
「私が隣に座るのでは不満ですか?」
「不満しかありませんけど!」

は私と弥海砂のやり取りを見ると、くすくすと口元に手を添えながら、笑っていた。
そんな様子に気が付き、弥海砂は私に食いついてくるのをやめて、の方を見た。

「ねー、さんずっと部屋の中にいて息つまらない?たまには外出たら?どーせ監視付きだろうけど」
「はい、外に出るなら、ミサさん同様、監視をつける事になります」
「そう!ミサずーっとマッツーにつきまとわれてて、息つまるんだけど!」
「それだと、ミサさんは外に出ても息抜きにはなってないという事になりますが…」
「それとこれとは別!」

は、弥海砂に提案されて、困ったような反応はしなかった。
その逆に、興味を示したように目を丸くして、瞳に光を宿していた。
しかしそれも束の間のこと。すぐに視線をつま先にまで落として、明らかに気を落としていた。


「……私はミサちゃんみたいにお仕事がある訳でもないし。負担かけたくないから…」


キラ捜査本部がギリギリの少数精鋭で回されている事は、も理解しているのだろう。
だからこそ「息抜きがしたい」なんていう我がままを押し通す事もできず、一度は「外出」という言葉を聞いて期待したものの、すぐに諦めた。
さすがの夜神月も、難しい顔をして黙りこくっている。
ここで無理を押してを外出させろ、と要求する気はないのだろう。
最低限の公私混同はせずにいてくれることは、幸いだ。
夜神月を捜査員として協力を求めたのは、最低限それが出来る、分別のつく人間だと信用してのことだった。
だというのに、監禁されてからの夜神月は理屈も破綻した無茶苦茶を言うし、
に関しては慎む事なく、公私混同をする気があり、気掛かりだった。
しかし最低限中の最低限ではあるが、弁えてくれているようで何よりだ。


「…そうだ!それなら、ミサのロケについてくればいいんじゃない?そしたら、マッツー1人で済むし!」
「……それは、確かにありかもしれないな」

すると、弥海砂の口から、私や夜神月には思いつかなかった手が飛び出てきた。
夜神月に自分の案が認められると、嬉しそうに笑っていた。

「…竜崎も、の事は心配してるからな。この現状はいずれどうにかしないと」
「えっ竜崎さんって心配とかするんだ…ちょっと意外」

夜神月は私の目をじっとみながら言う。
弥海砂は夜神月が言葉にこめた含みには気づかなかったようで、
額面通りに受け止め、私の顔をまじまじと感心したように見ていた。
当事者であるにも理解できていないようで、きょとんとした顔で瞬きを繰り返していた。

「──"厄介"なんだろう?」
「…そうですね。これ以上悪化すれば厄介極まりないです。ですので、リハビリに連れ出すというのには賛成です」

夜神月は再び含みのある問いかけをし、私はそれを否定せず、弥海砂の提案を呑んだ。

「ではミサさん、足の裏の傷が完治したら、さんをロケの見学に連れて行ってください」
「おっけー!まかせて!」

の意思は一切伺われる事なく、三人だけで話が進んだ。
外出できる事は嬉しいのだろうが、彼女はどこか途方に暮れたような顔をしている。
夜神月は最初こその現状が改善される見込みが浮上した事で安堵していた様子だった。
しかし、すぐにその安堵を一転させ、憂いたようにため息を吐く。

「はあ…でも、寂しくなるな…僕はずっと今のままでいいのに」
「月くん。私はずっと今のままは嫌だな」
「えっ…」
「だから…、…早く、監視が解けるといいね。そうしたらもっと近くにいられる」

はそんな夜神月の服を掴み、最初窘めるように声をかけていた。
拒絶されたと勘違いした夜神月に対し、最後はフォローをする形で言葉を加え、笑んでいた。
夜神月は沈黙した。というより、言葉を喉の奥で詰まらせている様子だ。
ほんのりと頬が赤く染まっている気がするのは気のせいか…
本当だとしたら、そんなこと、演技でできるのか…?
目の前で起っている通りに受け止め、夜神月はに心底惚れている…と解釈していいのか。私の中には未だに迷い…いや、疑いがある。

「ちょっとー!ミサの前でいちゃつかないでくれる!?」
「月君、照れてるんですか」
「うるさい。照れてない」


弥海砂と私の2人に立て続けにからかわれ、夜神月はそっぽを向いた。
彼らしくない、随分子供じみた仕草だ。
の前では、私の中にあるキラ像…いや、夜神月という人間像が全く崩れてしまう。
彼女自身底知れぬ所があり、彼女が関与した物事には、総じて狂いが生じる。
弥海砂も夜神月もそれぞれ厄介な所があるが、も間違いなく、"厄介な"人間であった。


****

──それから二週間後。
の足の裏の傷は完治し、包帯は取れた。
ほとんど抱えられて移動していたのは変わりなかったが、やはり監禁され、拘束されたまま一切動けなかった頃とは違う。
少しずつではあるが、悪かった体調も回復し、それに伴い体力も戻ってきたようだ。
と言っても万全ではない。相変わらず摂食障害の気はあるし、監視カメラの視線に怯え暮らしている。
この状況を喜ばしい物とは本人も思っていなかつたのだろう。今日という、外出できる日を心待ちにしていいたようだ。
それは息抜きになるからでもあるし、少しでも体力を回復させるために…という二つの意味を含め、今日という日に望んでいた。
本部としているフロアにはモニターがいくつもあり、そこには各部屋が映るようになっている。
基本私はここで調べ物をしていて、そうすると夜神月も必然的にここにいる事がほとんどになり、今もモニター前に並んで座っていた。
監視カメラ映像を眺める夜神月の視線は、出かけようとするの姿を追っていた。


「なっ…ミサ、あいつ何考えて…!?」
「月くん、何か問題でも?」
「あ、いや…」

エントランスには、弥海砂と、そしてマネージャー業を兼務している松田さんの姿があった。
夜神月がぎょっとして観ているので、何か非常事態に見舞われたのかと思いじっと目を凝らすも、何の異常も見受けられない。
弥海砂も平常通り。も少し緊張した様子ではあるものの、特に問題はなさそうだ。
なので、夜神月に何が問題なのかと問いかけると、彼は目を逸らして言葉を濁した。
その様子から、さしたる問題は起っていないと判断する。何に対してかはわからないものの、いつもの"過保護"が発動されただけだろうと察せられた。

『じゃ、いくよマッツー!今日は両手に華よ』
『はは、こ、光栄だな〜なんて…』
『何よ。嬉しくないの?』
『いやー…あはは…』

松田さんは引きつった笑みを浮かべて、言葉を濁している。
ここで「嬉しいです!」などと言い、満面の笑みを浮かべられてもコンプラ的に問題なので、松田さんの反応は不正解ではなく、無難だ。
そして松田さんの運転する車に乗車し、彼等はロケ現場へと向かって行った。
さすがに外出先まではカメラで見張ることができない。松田さんが現場に同行し、その目でしっかりと見張ってくれることを祈り、頼る他ない。

弥海砂は監禁を解き、拠点をこのビルにうつしてからも、既に何度も松田さんを引き連れタレント業を営みに外出していた。
その度、何の問題も起こさず帰ってきている。は病み上がりである上に、元々大人しい気質なので、特に問題は起こらないまま、恙なく帰ってくると踏んでいたのだが…。

「………やってくれましたね」


しかし、彼等が返ってきた頃には、この捜査本部は重たい空気が漂っていた。
予想外な形で問題が発生し、皆頭を抱えてくれていたのであった。


***


事の発端は数時間前、夜神月がぽつりと零した一言から始まった

「…ミサが夕方の中継に出るらしい。珍しいな」

夜神月の目の前にあるパソコンには、弥海砂に纏わる記事が表示されていた。

『映画主演が決まった人気急上昇中の若手タレントが、夕方の太陽テレビのニュース中継でその意気込みを語る。放映は16時15分から』という出演情報を知らせるニュース記事だ。
公私混同と捉えるべきか、監視対象である弥海砂をきちんと追いかける姿勢を貫いているというべきか。
実際は前者に近く、の事が気にかかり調べたのであろう事は察しがついたが、後者であるという事にし、目こぼしをした。
時計をみると、針は16時5分を指していた。
相沢さんが夜神月の操作するパソコンの画面を覗き込み、感心していた。

「映画の主演は初めてなんだろう?注目されてるんだな」
「迂闊な発言、しないといいですけどね。生中継だとカットする、という事が出来ませんから」

言うと、一気に本部が静まりかえった。「そんな訳ないだろう」と誰もフォローしない辺りを鑑みても、皆弥海砂に対して似たり寄ったりな認識を抱いていると伺えた。

「ま、まあ…弥もプロだろう?確かに普段の様子をみると、年相応といった様子だが…カメラが回れば、ちゃんとするだろう」

唯一も、年長の夜神さんが、娘をフォローするように庇い立てしたが、誰一人として同意しない。


「なんだ。そんなに心配なら、皆で見るか?」
「……そうだね、父さん」

夜神月は硬い表情で頷き、パソコンを操作し、モニターにテレビが映るように設定した。
チャンネルは太陽テレビに合わせられ、夕方のニュースが映し出された。
「行列のできるスイーツ店で、秋の食材をふんだんに使った新作デザートが話題に!」
という旬の話題を紹介するコーナーが終わると、画面が生中継の映像へと切り替わる。

「私は今、紅葉が見ごろを迎えている〇〇公園に来ています」という女性リポーターの姿が映ると、カメラは彼女のバックに広がった公園の様子を強調するようズームする。
時刻は16時10分。公園の様子や、周辺で立ち寄れる店の情報などを流し、紹介していくようだった。
時刻は16時15分。予定通り、弥海砂の姿がテレビに映し出された。女性レポーターの隣に立ち、弥海砂に緊張した様子はなく、普段と変わらぬ笑みを浮かべてそこにいた。


『──そして今日ここでは、西中監督の新作映画「春十八番」の主演女優に抜擢された、弥海砂さんが撮影を行っております。今日はそんなミサさんに、いくつか質問させてもらい、意気込みを語ってもらいます。──ミサさん、撮影はどんな様子ですか?』
『実は撮影が始まるのは明日からなんです!今日は別件。主演は初めてなんでちょっと緊張してたんですけど、事前の打ち合わせでも結構アットホームな現場って感じがして。楽しく撮影させてもらえそうかもー?って感じです』

無難な受け答えをする弥海砂の様子が映し出され、本部の空気が緩んだ。
それから二、三映画に纏わる質問を重ねられるも、その都度問題なく受け答えしていた。
普段見せている破天荒な様子は見受けられず、多少若々しくくだけた喋り方をするだけ。

『ミサさん、今日はありがとうございました』
「ほらな。彼女もプロだ」
「そうですね…」

リポーターが締めくくると、夜神さんがどこか満足げに頷き、相沢さんがそれに感心したような表情で同意していた。
中継が終わると、リプレイ映像が流れ出す。
弥が台本を読む姿。主演男優の流河旱樹の姿。打ち合わせをしているのだろう、出演者たちが集まり笑いあっている様子。
様々な様子が短く映し出された後、再び公園が映される。これに関しては中継ではなく、同じく事前に撮られた映像のようだった。
撮影場所である公園の紅葉の美しさを語るレポーターの後ろには、観光客がちらほらと映っている。その中に──


「……今の」
「………映ってましたね」
「え?何が……」
『ミサさんが主演を務める「春十八番」の公開は、2005年春頃!皆さん、お楽しみに!』

16時20分。生中継でのインタビューは五分足らずで終わった。
私達が苦々しい顔をする理由がわからず、訝し気にする相沢さんの横で、夜神月が録画していた生中継をモニターに映し、再生させた。
その傍らでパソコンを使いエゴサーチをしている。私も同じように、手元のパソコンで弥海砂に関する情報を探した。
彼女に関する情報は、毎日数件から数十件あればいい方だ。彼女はまだ駆け出し。
流河旱樹とは違い、国民的女優とは言い難い。だというのに、今日は弥海砂に関する新しい情報が何十件もネット上に増え…いや、何十どころか、百を軽く超しているだろう。

「………嘘だろう」
「さすがに、私もこれは予想できませんでした」
「な、なんだ?どういう事だ?映画に主演する事で、弥が注目されたという事だろ?」
「いや、父さんこれは映画のせいじゃない…いや、ミサが注目された最初のきっかけはそれだっただろうけど…」

私達が弥海砂に関する膨大な情報を閲覧して難しい顔をしていると、夜神さんは何が問題なのか分からず怪訝そうにしていた。


「…やっぱり、リプレイ映像にも映ってるな」
「小さいですけど、そこに注目して見れば識別はできますね」
「……ああ!リポーターの後ろに、弥海砂とが映ってるのか」

夜神月が調べ物をする片手間に、モニターに映した録画映像を、一時停止させた。
そこには終盤、公園の紅葉の美しさを語るレポーターの背後に映る観光客たちが映り…
その中に、弥海砂とがいる事が、夜神さん、相沢さんにも理解できたようだった。
お揃いのワンピースを着て、手を繋いで遊んでいる様子が、小さくではあるが、個人を識別できるほどには鮮明に映っている。
しかし一番の問題はそこにはない。ネット上に溢れかえった情報…そうなる原因を作り出した、諸悪の根源が問題だった。


「……このカメラマン、結構やり手ですね。アマチュアですけど、技術力があり、尚且つ彼が選ぶ被写体も毎回優れているので、名前が知れてる。個人ブログの購読者も相当に多い。それに加えて、わざわざ彼自身、掲示板にも書き込んでますね。"あの写真"つきで」

ブログに写真が投稿されたのは正午。生中継が始まる前に、弥海砂との写真を撮ったのだろう。そしてそれを投稿し、ブログの購読者たちが反応し、
その時点で既に話題になっていた。そこに夕方の生中継が放映された事で、
その注目に火がついたようだ。現在進行形で、ネット上には弥海砂をワードに含んだ記事や、個人の投稿が、増え続けている。
夜神月は額に手を当てて、苛立ったように言った。

「……ミサはともかく、がただの一般人だってわかってないのか」
さんは撮影現場にミサさんと共にいたんですから、モデル仲間か何かと思われてるはず。それにあの容姿です。撮影の見学に来た一般人だなんて認識されるはずありません」
「…この写真は仕事として撮られた訳じゃないんだろう?所謂ファンサービスってやつ…芸能人だろうと、こうもプライバシーが丸裸にされていいものか…」
「いい訳ないですが、ミサさんの職業柄一生ついて回るものでしょうね。それより問題なのは……」
「…百万年に一度の美少女"達"と言われ、こんなにも話題になってしまった事だな」

2人が手を組んで額を合わせている横顔と、が弥海砂に耳打ちをする姿。
それが映った二枚の写真が、ネット上に出まわっていた。
2人が来ていたワンピースと、紅葉をバックにした情景が、見るものに"美しい"という印象を与えたようだった。
そのせいで彼女達は、妖精だの女神だのとふざけた言葉で茶化され、持て囃されている。
根源であるブログ、掲示板、SNS…彼女たちに纏わる情報が乗ったあらゆる物をモニターに表示させると、夜神さんは訝し気にしていた。

「…"幻の少女"とは、どういう事だ?写真にこんなにハッキリと移っているのに、幻であるはずがない。幽霊だとでも言いたいのか?」
「それはネット上の悪ノリだよ、父さん。彼らも本気では思ってない…」
「言葉の綾でもそう言いたくなるくらい、幻想的な画であったという事でしょう。
…"リプレイ映像にあの幻の少女が映ってる"と言い切り抜き動画を投稿する人が出て来てます」
「何が幻だ……。…くそ、ミサが話題になったこのタイミングでコレか…」
「話題になったからこそのコレ、でしょうね」

夜神さん、そして相沢さんも、ネット上の悪ノリこそ理解できていないながら、
監視対象である彼女達が悪目立ちしてしまった現状は深刻にとらえているようだった。

「………やってくれましたね」


そして、この言葉を吐き出すに至った。
本部へと帰ってきた三人は何が起こっているのか、当然理解していない。
私はモニターの一時停止を解いて、巻き戻す。録画していたあの映像を、冒頭から再生させ、彼女ら三人に見せた。
それと同時に、問題のネットの記事を、同時並行でいくつもあるモニターに映す。

『──そして今日ここでは、西中監督の新作映画「春十八番」の主演女優に抜擢された、弥海砂さんが撮影を行っております。今日はそんなミサさんに、いくつか質問させてもらい、意気込みを語ってもらいます』

曲がりなりにもタレントのマネージャー業をしている上に、刑事である彼等の中では最年での松田さん。そして、弥海砂は今起こっている事が正しく理解できた様子だった。
の口元は引きつり、青ざめている様子だ。
しかし弥海砂は別段深刻に受け止めた様子はなく、何が問題なのか分からない…といった反応を示している。


「"女神降臨"だそうですよ」
「なに?どういうこと?ミサのプライベートな写真がネットに上がるとかしょっちゅうだし、別に問題なくない?」
「第二のキラ容疑で監視されてる、その対象だという事を忘れないでください。あまり変に目立たれても困るんですよ。それに…ちょっと話題になった程度じゃないんですよ、これ」
「ふーん。ミサ売れっ子だもんね」
「それは否定しませんが…百万年に一度の美少女達…もう話題になった所の話じゃない。お祭り騒ぎ状態ですね」

タレントとしては話題になる事は喜ばしい事なのだろうが、監視対象が大衆に注目されるのは避けたい。

「そんなに問題?…竜崎さん、ちょっとスクロールして。違うそっちの掲示板の方!」

しかし弥海砂は尚も怪訝そうにしており、掲示板を表示させるように指示してきた。

『ミサミサと一緒に映っていたあの子は誰だ』
『撮影現場にいたらしい。まだ無名の新人じゃないの?』
『てか、本当に実在するの?(笑)』
『二人共まじで天使すぎて実在を疑うレベル。双子コーデかわいいがすぎる』
『ウケる。こんなの集団幻覚じゃん』
『西中はよキャスト情報解禁しろよ(笑)幻の少女ちゃんがいないんですけど(笑)』

掲示板の書き込みを読むも、弥海砂は平然としていて、呆れ顔をしている。

「こんなの炎上のうちにも入らないじゃん…そんなに問題だって言うなら、ミサ鎮火は慣れてるし、明日にでも黙らせるから任せてよ」
「……できるんですか?」
「これでも一応、ミサもタレントですから。炎上対策は厳しく指導されてるし、ミサだって何も考えずに発信してる訳じゃないんだから。大丈夫大丈夫〜!」

おかしそうに笑う弥海砂は、本当に問題を問題と理解しているのだろうか。
しかし今回に限っては、私が金で解決したり、ネット上の記事を操作したりしても解決する問題ではなく、彼女の言葉を信じるしかない。

「では、ミサさんの個人ブログでも媒体は何でもいいですが…対処はお任せしていいですね?」
「うん、任せて。丁度明日から撮影始まるし、インタビューもあるから、そこで答えるよ」
「では名前さん、明日は見学は控えてください。また誤解が広がっても困ります」
「…うん、私もこんな状況で出かけるのは…こわいし……」

弥海砂は気負った様子もなく頷き、はぐったりと項垂れていた。
リハビリ初日でこれでは、体力的にも精神的にも酷く疲れた事だろう。
こういう事態への対処は早ければ早いほどいい。明日にもまたインタビューがあるというのは吉報だ。

──その翌日。
今度はさくらTVでの生中継を、マネージャーとして弥海砂に同行している松田さん覗く全員で見ていた。
映画の撮影現場にカメラが入り、昨日のようにレポーターが主演女優である弥海砂にいくつか質問し、その都度弥海砂は無難な受け答えをする。
ここまでは順調だ。問題は…


『最後にひとつだけ。ちなみに…先日、ミサさんと一緒に撮影された女性が話題になってますが、彼女は本当に実在するんでしょうか?』

──この話題に触れられた時の、弥海砂の返答がどんな物であるかだ。
とうとうこの時がきたか…と、本部にいた者たちは皆固唾を呑んで見守っていた。


『あはっ幽霊なわけないですよ!』
『ファンの間では幻か精霊か?とまで言われているんですが…』
『そんなに疑うならもっかい見せてあげるよー。あの子もたまには散歩しないとだしね』
『さ、散歩…ですか…?』
『あ、コレこっちの話。気にしないでください〜』
『ええと…それでは、これから彼女が表舞台に出てきてくれるということですね?』
『はい。おばけなんかじゃないって証明してあげまーす。お楽しみに!』


弥海砂が手をひらひらと振った姿がアップで映し出された後、中継が終わった。

「……これがプロの炎上対策ですか」
「炎上…なの?」

私が言うと、は引きつった表情で問いかけてきた。
厳密にいえば炎上ではないだろう。しかしこの勢いは、炎上した時にも匹敵する。
夜神月は少し考えた後、こう言った。

「…理にかなってはいるんじゃないか。ネット上の発言なんて、皆冗談半分で書き込んでるものが大半だろうけど…"幻じゃないか?"と言って盛り上がっているなら、本物を表に出せば、その騒ぎは鎮火する」
「まあ、このまま雲隠れしたり、情報操作しても、逆効果でしょうからね。それは最善だという事は認めます…でも、簡単に「見せてあげます」などと言われても困ります」

彼女達が監視対象である以上、彼女達の自己責任では済まされない。
何かあればフォローするのはこちらだ。それに私達の仕事はあくまでキラを捕まえるための捜査であり、タレントの面倒を見る事ではない。


「……ミサさん自体も今、知名度が上がって、どんどんファンが増えてます。そこでさんもミステリアスな存在として注目を集めてしまった。"見せてあげる"と発言したミサさんが約束を反故にすれば、今度こそ悪い意味で炎上するでしょうね」
「……の顔が表に出てしまったのは、もう仕方がないけど。問題はいつ、どこで、どうやって、だ。名前を公表しないような形にしないと」
「夕方の中継にも映り込んで、尚且つ写真も上がってるのに"幻"だと疑われてるんです。冗談半分で言ってるとはわかってますが……そんな彼らを"現実"だと信じさせられる形を設けなけれはなりません」

掲示板やSNSでは、『西中早く情報くれ〜(笑)』と悪ノリする声も多く投稿されていた。
インターネットの事情に疎い相沢さんや夜神さんはピンと来ていない様子だったが、
今時の若者であるはしっかり理解しているようで、一番ダメージを受けていた。
そして、にはさらなる追い打ちがかかる。
西中監督がこの騒ぎに便乗し、こう打診してきたのだ。「噂のあの少女を、春十八番の映画に出演させたい」──と。



****


弥海砂の部屋に集まるのは、通例行事になっていた。
弥海砂は「デート」の時間を楽しんでいるのだろうが、私にとっては監視対象である彼等の監視を行うための時間だ。
会話を重ねる事で、分析や推理がより解像度の高いものに変わる。
夜神月にとっては捜査半分、付き合い半分だろう。
にとっては、ただの息抜き。席順はいつも通りで、弥海砂はいつも通り不服そうな顔している。


「そういえば…今日西中監督に言われたんだけど、を映画に出演させたいんだって」
「……え?」


弥海砂はソファーにもたれ髪をいじりながら、天気の話題でも口にするかのような軽さで言った。
それに一番動揺したのは、突然名前を出されただ。夜神月は額に手を充て、ため息をついている。
私はカップ口をつけながら、彼等の話を聞き、途中口を挟んだ。

「……そう来たか……キャスティングなんてとっくに終わってるはずだろう。ねじ込むつもりか?」
「端役の子がスキャンダル起こしたらしくて、降板しちゃったの。丁度いいから、そこにねじ込みたいって」
「業界の者からしたら、美味しい話ですよね。今妙に話題になってしまった人物を、このタイミングで出演させられるなんていうのは」
「しかもヒロインであるミサとも絡みある訳だから、絵的に映えるって、興奮してたよ」
「……名前を伏せる事を条件に呑みましょう。下手な雑誌や番組で適当に取り扱われるよりは、無難な選択です」


弥海砂が所属しているヨシダプロダクションに所属させる。
普通であれば身元がわかる身分証明の提示や履歴書・面接などは必須だろうが、
そこは金の力で解決できる。実際、ヨシダプロには弥海砂の件で何度も手を回していて、
社長も金で動かされる事にはもう慣れている様子だ。

本名はヨシダプロダクション相手であっても絶対に明かさない。緘口令を敷くだけでは生ぬるい。身元不明の女性をタレントとして所属させる事を承認させ、
そしてそんな彼女の映画の出演を呑ませる。
彼女達が悪目立ちした時から、こうなる事は想定していた。対応に問題はない。

「…私、お芝居なんてしたことないんだけど…」


しかし、にとっては大事件、大問題だろう。
弥海砂とは違い、女優を志したり、注目される事を喜ぶ人間性をしていない。
しかもモデル経験もなれば、当然芝居の心得もない。
不安になるのは当然の心理と言えた。

「大丈夫だよー。台詞ない役だから。ただにっこり笑ってれば大丈夫」
「……それなら…できるかもしれないけど。………でも、本当にいいのかな」

弥海砂に背中を押され、少し前向きになったようだった。
しかし今度はまた別の懸念点を見つけたらしく、視線を落としてしまった。
「本当にいいのかな」という言葉の真意がわからなかった。
何に対して「いいのか、悪いのか」と考えあぐねているのかわからず、じっとを探るように見た。
彼女が口を開き、言葉を重ねてくれなければ、その意図を汲み取る事は私には難しい。

「…、申し訳ないって思ってる?」
「……わかる?」
「それくらいわかるさ。でも難しい事は考えなくていいよ。むしろ、は巻き込まれただけの被害者みたいな物なんだから」

しかし夜神月は、瞬時にの葛藤を見抜いたようだった。
申し訳ない、巻き込まれただけ…という言葉から察するに、一般人である自分が、棚ぼた的に女優としてスポットライトを浴びていいものか。そう葛藤していたのだろう。
実力不足なのに…という意味ではなく、それを生業としている者を押しのけて、自分が役を奪っていいのか。そう悩んでいたのだと理解できた。
伊達に長年連れ添ってはいないのだろう。彼はたったそれだけの言葉から、彼女の葛藤を見抜いてみせた。

「そーそー、勝手に一般人の写真ネットに晒す無礼者が悪いって!」
「安請け合いしすぎるミサさんも悪いです」
「はあ!?ミサ何も悪いことしてないし!ファンサービスしただけじゃん!?」

そのファンサービスとやらのせいでこんなややこしい事態になっている。
タレントというのは、ファンに向けてのサービスも必然なのだろうが…
自分は容疑者であり監視対象であるという認識をいい加減に覚えてもらい、行動を慎んでもらわなければ困る。

「……映画出演決定の情報は、すぐにミサさんにブログか何かで発表してもらう…とは言え。実際に映画が公開されるのは来年になりますし、それで騒ぎが収まるはずがない…」
「適当な雑誌が嫌なら、エイティーンでミサとコラボすればいいじゃん?編集部も結構ノリ気だったよ。あの感じなら、来月号にでもねじ込めそう」
「雑誌に乗れば"幻"じゃなくなるのかは疑問だが…それもありだな」
「そこはもう、出たとこ勝負ですね。悪ノリしてる民衆の反応なんて、予測しきれませんから。さんのリハビリにもなりますし。これで厄介事がまとめて消えてくれます」
「モデルの仕事も体力勝負だからねー。すぐ回復するって!」

厄介事、と口にした瞬間、夜神月は私を睨んだ。随分わかりやすい事だ。
プライドが高く、涼しい顔が得意で、弱みなど見せなかったはずの男が、が絡むとすぐこうだ。
弥海砂のように、毎度絡んでこないだけマシか。小さくため息を吐く事で私への不満をその身から逃し、ふと隣に座るを見やった。


2025.11.13
ヨツバの面接中のやり取り「ネット等で一瞬噂になったが誰も信じなかったアレです」「(ミサ、ネットなんて見ないんだけどなー…)」
←を忘れていて、ネットの覇者・ミサミサが爆誕してしまいました。