第89話
5.彼等の記録かわいそうなひと

「…そう、だったんですか?」
「ああ、そうだ。知らなかったんだよな?まさか知っていたら、恋人の目の前で、色仕掛けをしろと強要するはずもない」


「付き合っている」と宣言された瞬間、は驚いたように夜神月を見上げていたが、否定する様子はなく、すぐ視線を彼から外していた。そして事の成り行きを、少し気まずそうにしながら見守る姿勢を取っている。
夜神月の真剣な面差しをじっと見つめ、言葉の裏にある真意を探りながら、イエスともノーとも言えない曖昧な言葉を返す。

「……知らなかった…といえば、知らなかったですね」


このような歯切れの悪い返答が返ってくるとは思わなかったのだろう。
夜神月は訝し気に私を見つつ、私の説明を聞いた。

「そもそも。さんはベッドで寝かせた方がいいと言ったのに、離れたくないと言って膝枕で看病したり。さっきから肩を抱き寄せたり。スキンシップが多すぎます。その距離感で、付き合ってないという方がおかしい。ただ…」

…ただ。夜神月はどちらつかずな態度を示し続けすぎた。
夜神家・家の双方が「結婚させたい」と圧をかけていたというのに。
付きあっていたなら、何故それを明かさなかった…?反対される事を恐れて…という訳ではないだろう…明かせば応援され、恋人同士の時間を作る事も容易になったはず…
であれば、彼の行動には裏…策略があったとしか受け取れない…
理由もなく、「なんとなく」で付きあっている事を隠す。そんな事、夜神月に限ってはありえない…
その方が、他の多数の女性と交流を持ちやすかったから…?
言葉を濁し、思考を巡らせる間。私のその沈黙を、夜神月はこう解釈したようだ。


「…僕たちは、今この瞬間まで、"付き合ってる"と公言した事がなかった。だから距離感を見て確信は出来ても、裏が取れなかった。そういう事だろう?竜崎」
「…そうです。しかし月くんがさんを一番に愛してる事は間違いなくても、ミサさんを含め、様々な女性と交流があったことは確かですしね。私も判断に困っていたんです」
「そのいい方だと、僕が最低男みたいじゃないか。女友達いたっておかしくないだろう」
「そうなんですけど、何か腑に落ちないんですよね…特に、さんの反応とか」
の反応…?」

私が言うと、夜神月は自然とへ視線を向け、私達のやりとりを見守っていた捜査員達も視線を向かわせる。
夜神月のやる事には裏がある…という勘繰りは私の中だけにある疑いだ。
しかし今言ったように、を特別視しつつ、複数の女性と交流を取る夜神月の姿は、誰が見ても不審だろう。
そして不審と言えば…も"そう"だった。


「今まで月くんの近辺…弥海砂も苗字さんも、調べさせてもらいました。けれど、さんは月くんが"女友達"と親しくしていても、ミサさんに言い寄られていても、少しも動揺してないんですよね。何故ですか?」


私が問うと、夜神月は明らかに気を悪くしたように顔を顰め、はただ困ったように眉を下げた。
そして松田さんを筆頭とした彼等は、ぎょっとした顔をして、恐る恐るこう言い間に入ってきた。


「り、竜崎…あまりそういうことは踏み込まない方がいいんじゃ…」
「なぜですか?」
「その答えによっては、二人の関係に修正不可能なヒビが入る可能性がありますって…」

この時の私には松田さんが想定してる「ヒビが入る可能性のある返答」がどんなものであるのか想定できず、松田さんに聞き返した。

「例えばどんなものですか」
「……た、例えばですよ?…さんは、いちいち妬くほど月くんのことが好きじゃない、とか…」
「ああ…それは致命的ですね」


なるほど、その線もあったか…と得心が言った。
夜神月=キラであるという可能性を捨てておらず、彼のやる事には打算があると疑ってかかっている。
その打算に巻き込まれて、コントロールされてる可能性のあるも、普通の返答をする事はないはず。
そう決めつけていたため、そんな一般的な恋人同士の致命的な一言を予想する事ができず。
松田さんの言葉を聞いた時は、目からうろこが落ちたような意外性を感じた。

夜神月は、じろりと私と松田さんを睨んでいる。
「そんな事あるはずがないだろう」と否定する事もせず、ただ不機嫌な顔を見せるだけ。
自信がないのか…或いは。自ら否定しくれる自信があったからか。

今まで沈黙していたは、夜神月の手に自分の手をそっと重ねながら…
私達をまっすぐ見据えながら、こう宣言した。


「…その逆ですよ。私は信頼してるんです」
「月くんが浮気をするような彼氏じゃないって事をですか?」
「えと…、………結論を言えば、そうなりますね」


最初はもう少し細かくその意図を説明しようと、言葉を探していた。
しかし考えれば考えるほど、詳細を説明する事は恥ずかしい事だと気が付いたようだ。
元々発熱していた事で、ほんのり赤くなっていり顔をより色濃く染め、夜神月の肩に額をつけて、顔を隠し恥じ入るように頷いた。
夜神月は満足げな顔をして、彼女を抱きしめ、首筋に顔を埋める。
松田さんはその様子をみて、何故かがっかりしたようにこう言った。

「……これは…つけ入る隙ないって感じだなぁ…ミサミサ失恋かぁ…」

ミサミサという愛称で呼んでいる所を見るに、松田さんは弥海砂に肩入れしているのだろうか。
そんな松田さんのぼやきなど気にした様子もなく、夜神月たちは2人の世界を作り出している。

…体調は?の部屋も用意されてるだろうから、ベッドに連れていこうか?」

抱きしめた事で、が高熱を出している事を肌で実感したのだろう。
改めて体調を心配した夜神月に、こう話した。

「はい、用意してあります。……コネクティングルームが必要な程の仲には思えなかったので、普通の部屋ですが…」
「行き止まりになってる訳でもないんだから。僕が会いにいけばいい話だろう」
「はい。手錠で繋がれた私も一緒にですが」

そのやり取りを聞いていたは、首を横に振った。

「ここにいてもいいなら、ここにいたい。…月くんと一緒にいたい」

夜神月はの言葉を聞くと、心底嬉しそうに笑った。
彼女は捜査員ではない。本当であれば、弥海砂同様、部屋に隔離すべきだ。
これからは捜査員同士、事件解決のために込み入った話をする事になるのだから。

しかし…松田さんや夜神さんはともかく。相沢さんも「駄目だ。部屋に戻れ」とここで厳しく言わなかったのは、
が心底夜神月の側にいる事で安堵を得ている事が理解できたからだ。
は監禁中…そして先程の車内でも、死んでしまうのではないかと何度も危惧されていた。
監禁され、尋問をされる状況が彼女を追い詰めたことは間違いない。
点滴も、解熱剤も、彼女の状況を変える特効薬にはなり得ない。
彼女を元気にしたいなら、環境を健全なものに戻すこと。そして…信頼する人間の側に置く事。
息も絶え絶えだった彼女がハッキリとした受け答えが出来るまでに回復したこの様子をみれば…
家族の元に返す事が叶わない今、夜神月の側に置く事が一番であると、嫌でも解らせられる。
よって、誰一人否を唱える事はなく、の意思を尊重した。


「それより竜崎…何日かおきにホテルを転々とするこの今の体制、なんとか変えられないのか?ひとつの所に腰を据えて捜査すべきだと僕は思うが」
「はい、私もずっとそうしたいと考えてました。ですから…」
「あっ…おい!」

ふと夜神月が捜査体制に対して進言してきたので、丁度よいと思い、皆に今後についての事を説明する事にした。
私がパソコンに向かって歩き出すと、手錠で繋がれた夜神月は引きずられる形になる。

「ごめん、っ」


夜神月は謝りながら立ち上がり、私の後ろを着いてきた。
キーボードを叩き、パソコンに表示された画像を覗き込む。

「夜神さん達と顔を合わせ捜査すると決めた時から、すぐに建設に取り掛かっていたんです。あと数日で完成します。これです。
地上23階、地下2階。屋上には外部からは見えない様になっていますが、二台のヘリが格納されています」

パソコンに映し出されたのは、今建設中のビルの外観だった。
夜神月だけでなく、一緒になって覗き込んでいた相沢さん達も驚きの声をもらす。


「ええっ!?」
「凄いな…!」
「外見はただの高層ビルに見せていますが、入るには何重ものセキュリティを通る必要があります。中の設備、コンピューター等も全て並のものではありません。
5階すから20階まではワンフロア4室ずつプライベートルームになっていますので、皆さんにはできる限りここで生活して頂きます。捜査員を増やす事になっても、60人くらいまでなら大丈夫です。ミサさんにはワンフロア与えれば文句も出ないでしょう。勿論、名前さんも同様です」
「ミサはともかく…はそんな事で文句を言うような性格はしてない」
「言葉の綾です。月くんはさんの事になると神経質すぎます」


正直に言うと、について話すといちいち突っかかってくる夜神月は厄介だ。
面倒だともいえる。
それが意識的にやっている事なのか、無意識なのかはともかく…
しかし、逆に言えば、をダシにすれば、夜神月からの反応を引き出せるという事…
夜神月に睨まれても尚、謝罪もせず、悪びれた様子も見せない私をみて、このまま怒っているのが馬鹿らしいと諦めたのだろう。
1つため息をついてから、空気を切り替えるようにしてこう言った。


「…それにしても、凄いな。ここまでしてるなんて」
「と言うか…その資金どこから出てるんですか?竜崎…」
「……つまり私はこの事件、どんな事をしても解決したい。そういう事です…」
「いや…答えになってない…」

松田さんの疑問に対して、答えになってない答えを口にした自覚はあった。
相沢さんは苦い顔でツッコミを入れてきたが…
私としては誤魔化したつもりはない。ただ、私がLとして活動するための資金をどう作っているかなど、説明する必要もないと思った。
よって、Lとして事件解決のために出し惜しみをするつもりはないという意思だけを表明したのだった。


「ああ、そうだな…僕も大量殺人は勿論、父や僕やをこんな目に遭わせたキラは絶対に許せない。どんな事をしても解決したい」
「…月くんはさんを信じてるんですね」

ちらりと夜神月を振り返りながら言うと、夜神月はこう返してきた。


「ああ。…僕が信じているのとはまた違うだろうが…竜崎だって同じだろう。ミサに対して向ける疑いと、に対して向ける疑いは、別物なはずだ」

…やはり、察しはついているか…
車内でも、弥海砂に対しては聞いた「ビデオテープ」に関する尋問はせず、「自白を取ろうとしても無駄」と私は言った。
本当に容疑者として強く疑っているのなら、いくら自供させる事が手強い相手でも、「無駄」などと断じず、核心に迫るため、もっと突っ込んだ話をしたはずだ。
それに、弥海砂は早々に部屋に返したのに対して、はここに残ることを許した。
それはが弥のように騒がないからとか、体調を崩しているからとか。
それだけが理由でない事に気が付いている…
弥海砂と夜神月を黒とするなら、に関しては白寄りの認識を抱いてると、察している…


「……その話はまた追々しましょう。しかし「どんな事をしても」と言うなら、ミサさんとより親密になり、探りを…」
「それは出来ない。人道に反する」
「そうですか…残念です」

人道に反するどうの以前に、「恋人」がいると宣言した彼は、ハニートラップのような捜査を引き受ける気は一切ないのだろう。

「ぷっ…」
「ん?」
「いえ…私も益々やる気が出てきました!竜崎、夜神さん、月くん。どんな事をしてもキラを捕まえましょう!」
「うむ」
「あの、僕の名前だけないんですけど…」
「はは」


相沢さんはふと笑いを零し、夜神さんが不思議そうな顔をすると、
今までピリついていた雰囲気を崩し、明るく宣言した。
松田さんは弱弱しくツッコミを入れているが、聞流されている。夜神月はそんな様子をみて笑っているが、フォローを入れる様子はない。

そのまま欠片は高まった士気に背を押される形で、各々捜査にもどるため散って行った。
私もそうしたかったが、がここにいる以上、夜神月が離れるはずもない。
必然的に私達三人は輪になって、この場に取り残されていた。


「…、そろそろ部屋に戻ろう。一人になりたくないのかもしれないけど…顔色が悪い」
「うん、そうだね…」

夜神月がソファーに近寄り、を部屋に戻そうと促していた。
はそれに抵抗する様子もなく、素直に移動するため、地面に片足をつける。
そして、もう片方の足もしっかりと地面を踏みしめさせ、夜神月の方へと歩み寄ろうとした。
…その瞬間。


「きゃっ…!」


は、膝から崩れ落ちてしまう。
両手を地面についたため、うつ伏せに転倒する事は防げた様子だったが、手首を捻ったのが見えた。


…!大丈夫か!?怪我は!?」
「いっ…!」
「あっごめん…!」

夜神月が彼女を助け起こそうと手を取った瞬間、悲鳴を上げた。
絨毯に手首をついた瞬間、変に曲がっていたので、捻ったと判断したが…その見立ては間違いなかったらしい。


、膝、立てられる?」
「うん、…えっ!?」

夜神月は彼女の肩を押しながら言うと、立てられた膝の裏に手を差し込んで、そのまま彼女を抱き上げた。


「竜崎。このままの部屋に運ぶから、案内してくれ。それと、誰か救急セットを持ってきてくれないか」
「あっ僕が持ってくよ!月くん!」
「ありがとうございます、松田さん」

松田さんがのためにあてがわれた部屋へと案内しつつ、救急セットを持っていく。
彼等と同じく、自ら監禁されていた夜神さんはともかく…
相沢さん、松田さんは、に同情的だ。獄中死を危ぶまれるほど憔悴し、ハメられた被害者であるという見方が強まっている今、
彼等は彼女を気遣い…或いは、腫物のように扱うだろう。
そして夜神月は腫れ物扱いはしないだろうが…「恋人同士である」と宣言し、今は何故か開き直ったかのように人目を憚らず彼女と触れ合い、庇い立てをしている。
そんな彼女がこれからも摩耗し、回復しなければ、いったいどうなるか…。


「これは、少し厄介なことになるかもしれませんね…」


ぽつりと呟く私の事を、夜神月の肩越しにが見ていた。
彼女はきっとわかっていないだろう。自分の行動により、周囲が大きく左右される事になるなど…。


***

監禁・拘束された事による生じたストレスによる摂食障害。
に関する見解は一致していて、監禁が解かれれば、自然と回復していくだろうと、皆考えていた。

監視下に置かれると宣言した時、不服を示した弥海砂に対し、夜神さんはこう言った。
『まあそれでも日常に戻れる。それでいいじゃないか?監視というのは、自分に非がなければ逆に警察に守られる事にもなる』と。
それを聞いた弥海砂はポジティブにとらえ、ボディーガードがついたと思えばいいんだ!と明るい顔をしていたのを覚えている。

実際、ビルが完成し、ホテルを転々としていたのをやめ、拠点を移した後。
24時間体制の監視下におかれながらも、予想通り弥海砂は日常を取り戻し、元気に暮らしていた。
しかしもう一方の予想は外れ、に関してはそう上手くはいかなかった。
夜神月と共にの部屋に向かう最中、廊下を歩きながら問いかける。
歩く度に揺れる手錠の鎖が、いちいち耳につく。


「…さんは、視線恐怖症の気でもあるんでしょうか?」


人見知りではないというのに、捜査員たちに一斉に視線を向けられた瞬間、パッと反射的に俯いていた姿を思い浮かべる。
夜神月は私の質問の意図を理解し、少し考えてからこう言った。


「…それに近いものはあるかもしれない」
「でも…例えば私達がテニスをした時、野次馬に囲まれましたが…緊張した様子は見せませんでしたよね」
が怖がるのは…なんというか、一定の条件が重なった時だけだ。…それに、あの時はの注意を僕が引いて紛らわせていたし」
「…ああ…そういう意図もあったんですね。あれ、ただの独占欲かと思ってました」
「おい…僕をなんだと思ってるんだ」


が夜神月にタオルをかけ、汗を拭ったあの時。
男女問わず、野次馬たちが歓声を上げた。
女子は美男である夜神月を労わるシチュエーションに歓喜し、男子の場合は、美人の彼女に施しを受ける様を羨んでいた。
はそれを理解せず、びっくりしたように視線をさ迷わせていた。
しかし、夜神月はの肩に手をおき、自分へ注意を向けさせ、その歓声の意図を理解させまいとしていた。
私はが自分の価値に鈍感なのは、こうして夜神月が長年、理解させる事を阻止してきたからだと思った。
その意図も一切なかった訳じゃないだろう。しかしあの時、「視線恐怖症」を発症させないよう、夜神月はフォローしていたという訳だ。


「それで、その条件とはどんな物なんですか?」
「……僕もハッキリと理解できてる訳じゃないが…遠巻きに見られる事には慣れてるんだ、あの容姿だし」
「そうでしょうね」
「でも、大勢から"一斉に"視線が向かうのは怖いらしい」
「それはなぜでしょう?生理的嫌悪で、理屈ではないのでしょうか」
「……」

夜神月は、苦々しい顔で沈黙した。心辺りはあるらしい。
進んで話したいことではない…いやこの様子をみるに、自分に不都合な事情があるのだろうと察せた。しかしそれを隠すほど愚かではなく、観念して口を開いた。

「…僕と一緒にいる事が多かったんだ。頭も悪くないし、一人でいてもやっかまれる事は多かっただろう、それなのに…」
「想像はつきますよ。周りからすれば面白くないでしょうね。男子の首席2人がつるんでいても"面白くない"と言うのが子供…学生です。優秀な男女がつるんでいれば、そうなるのは必然でしょう」

それを分かっていながら夜神月はと距離を置こうとしなかった。
なんせ高校・大学と、夜神月の意思により、の進路が決まったというのだから、筋金入りだ。
彼等2人が隣り合い、言葉を交わし…ふとした時、悪意と好奇が入り混じった不特定多数の視線がザッと向かう事になる。
それが幾度となく、今日に至るまで繰り返されてきたのだろう。その度彼女は怯えた。
今までの彼等の歩みが、手に取る様に想像がつく。
弁が立つ夜神月が、その度どんな風に巧みに煙に巻いたかも。

は…あえて悪い言い方をするなら、事なかれ主義っていうのかな。意思を貫いて対立するくらいなら、沈黙を選ぶ」
「賢いやり方とも言えるんじゃないですか。沈黙は金といいますから」
「……とにかく。優しすぎて…悪意に弱いって事だ」
「…敵に囲まれる瞬間は多かったでしょうね。優秀な幼馴染が贔屓するのでは、面白くないと感じる女性は多かったはずです」
「……そういう事だ。そういう経験が重なった事もあったし…昔のは自分の価値にも気付いていなかったから、視線が向かう理由がわからなくて、向けられる好意にも困惑してた」
「……なるほど。悪意…好意…視線…注目。…視線」

苦々しい顔をして歩く夜神月の隣を歩き、1つ1つ述べる。

「なんとなくわかりました。視線恐怖症とまではいかないという意味も…でも、そうなってしまうのは生理的嫌悪で、理屈じゃないってのもあながち間違いではないんじゃないでしょうか」
「……そうかもな」

何故私と夜神月がひたすらこんな議論を重ねているかというと。
が、監禁から解かれても回復する所か…予想に反して悪化の一途を辿ったからだ。
監視カメラでみられる中日常生活を送るというのは、彼女の中では難しい事らしい。
ご機嫌で過ごしている弥海砂とは対照的に、常に「視線」に怯え、萎縮して過ごしている。
風呂やトイレ、着替えなどは、割り切って行っている。
しかしその苦痛の時間がすぎると、耐えきれなくなったかのようにベッドに逆戻りし、布団を被ってやり過ごしているのだ。
その痛々しい姿に、夜神月は勿論、相沢さん、松田さんも、彼女に対する憐れみを増させるばかり。


、入ってもいいかな」
「…どうぞ、入っていいよ」

の部屋としてあてがわれたフロアに降り立ち、部屋の扉をノックする。
扉越しに声をかけると、返答が返ってきた。
ドアを開けると、そこはリビングルームになっている。その奥に、寝室があった。
寝室の扉は開けっ放しになっていて、がベッドの上で蹲る姿が見える。
来訪者の存在に気付いた瞬間、布団を脱いだのだろう。が、それまでは布団をかぶっていたのだろう事は察しがついた。少し髪が乱れている。


「…怪我の具合はどう?まだ痛む?」
「まだ完治はしてないけど…よくなってきたよ。でも…怪我よりも、筋力が衰えた事の方がちょっと問題かもしれない…」

ベッドの側まで歩み寄る夜神月の後ろをついていき、膝をついて視線を合わせる様を見守る。


「夜神さんも月くんも、ミサさんも同じ条件で隔離されてたはずなんですけどね。さんは虚弱体質なんでしょうか、月くん」
「ミサはともかくとして…僕も父さんも鍛えてるからね。の反応はむしろ正常だろう。それに精神的な負担も計り知れないだろうし」

何故ここまで萎縮しているのか。精神的な弱さは先程話した通り。
しかし大量の低下も著しく、改めて夜神月に問いかけた。
極端に体力がない、という事はないようだ。となると、弥海砂があそこまで元気なのは例外という事だ。

「…、抱えるよ。いいね?」
「……うん」


夜神月と私が、ただお見舞いにきた訳ではない事は理解している。
監禁から解かれた後、夜神月はを、出来る限り抱えて移動させるようになっていた。
まるで子を世話する親鳥のような過保護な姿をみて、相沢さん、松田さんは顔を見合わせていた。
そして、獄中死一歩手前だった事など知れればどうなるか…と、示し合せるまでもなく、口を噤む事を選んだようだ。私もわざわざそれを夜神月に説明する理由もないし、デメリットしか生じないと思い、告げるつもりはない。
ただ、摂食障害や発熱といった弱った様は隠せるものではない。それだけでこうも過保護になってるのだ。
も、最初こそ「ここまでしなくていい」とやんわり拒否していた。
しかし今では最早抵抗する事なく、抱きかかえられる事を受け入れている。

の部屋を出て、エレベーターに乗り、フロア移動をする。
向かった先は、弥海砂の部屋だ。

「竜崎、頼む」
「わかりました」

を抱えているため、夜神月には扉を開ける事ができない。
私が変わりに扉を開けると、ミサさんは文字通り、飛び跳ねて喜んだ。
しかし夜神月は許容しがたいものをみるかのように、苦い顔をしている。
弥海砂は読んでいた雑誌を投げると、両手を広げて夜神月の訪れを喜んだ。

「月!やっときてくれた!……竜崎さんつきで」
「はい。暫くの間私と月くんは一心同体です」
「げっ最悪!ほんと、それキモいってばー!」

私の発言に明らかに気を悪くした弥も、夜神月の姿を目に居れればすぐに表情が変わる。
弥海砂の"好きな人"は夜神月だ。しかし、夜神月の好きな人は。…ということになってる。その真偽は私は未だ推し量りかねているが──
それはともかくとして。

「あ〜いいな〜!ミサもライトにお姫様抱っこされたーい!」

弥海砂が、特別扱いをされているに嫉妬しない所が意外だった。
それこそ、過去に夜神月とがつるむ事で僻んだという女性たちのように、負の感情を抱いておかしくない。
弥海砂は激情型の人間だ。思ったことは空気を読まず、素直に口に出す。
例え夜神月の前であろうと、"繕う"ということは出来ない人間だろう。
つまり、本心では嫉妬しているが、表向きは友好的に接する…といった器用な真似はできない。
ここが一夫多妻制が認められてる国であれば納得がいくが、ここは日本だし、三人共もちろん、生粋の日本人。

この部屋には、テーブルを挟んで二脚のソファーが設置されている。
どちらも2人がけのソファーだ。
夜神月は弥海砂の言葉を受流しながら、手前のソファーにを下すと、当然のようにその隣に腰掛ける。
そう来るだろうとは予想していたが、はいそうですかと流すことは…物理的に出来ない。


「月くん、手錠があるんですよ。嫌でしょうけど私達は隣同士に座った方がいいと思いますが」
「そうか。それなら向かいのソファーをもう少し近づけたらどうだ?それか、鎖をもう少し長くした方がいいかもな」
「………本当に厄介ですね」


こんな屁理屈が返ってくる事も予想通り。の事となると融通がきかない…
まさかここまでとは思わなかった。
理路整然とし、公私混同などしない人間。そういうプロファイルは間違っていたのか、
それとも夜神月がわざとそういう風に振舞っているのか…

「ミサさん、月くんのためにソファーをこちらに近づけてあげてください」
「ちょっとミサを顎で使う気!?動かすなら自分で動かしてよ!」
「ですから。月くんがここに居座ってしまってるので、私はそちらにいけません」
「もー!」

弥海砂に指示すると、怒りつつも渋々と立ち上がる。
一重に夜神月のためだろう。これを拒否すれば、夜神月が今のポジションに座ることを諦め、動かざるをえなくなる。
夜神月の意思に逆らうことは本位ではないということだ。
自分が座っていたソファーを一生懸命押して、テーブルギリギリまで近づけた。
夜神月はテーブルの上のコーヒーを零さないようにしつつ、テーブルを自分の方へと引き寄せ、出来るだけソファーとソファーの間隔が狭まるように工夫していた。

やっと全員がソファーに座って落ち着いて会話を始めることが出来る状況になった。
疲れたようにため息をついた後、弥海砂は不満を零した。

「ねー…これデートって気にならないんだけど……」
「私の事は気にしないでいいです。それよりケーキ食べないんですか?」
「…甘い物は太るので控えてます」
「甘い物を食べても頭を使えば太らないんですけどね」
「あっ!またミサをバカにして…!」

弥海砂と言い合っていると、向かいに座るが、スッと自分の前に置かれていたチョコレートケーキの乗った皿を、私の方へと押して動かした。

「竜崎くん、これあげる」
「いいんですか?…さんは、甘い物は嫌いじゃないはずですが」
「えと…食欲があんまりなくて」


監視対象の趣味嗜好程度のことは、当然把握してる。
喫茶店でも、にににこと笑いながらパフェをつついていた。
あの時、穏やかに食事を楽しんでいたの姿は今はなく、デザートですら口に出来なくなったようだ。
食事となれば重たいと感じるかもしれないが、デザートであれば或いは…と思っていた。
夜神月もそう思っていて、しかしその期待は裏切られ、苦々しい顔をして、労わるようにかの字の頭を撫でていた。

「じゃあ、ミサの分のケーキもあげるから、ライトと二人きりにしてくれない?」
「二人きりになった所で監視カメラで私は観るんだから、同じ事です」
「だから変態だって!止めてくれない!?そういう悪趣味」
「何とでも言ってください、ケーキは頂きます」

隣に座る弥海砂の目の前にあるケーキを奪い取り、躊躇いなくフォークを突き刺した。

「じゃあいいわよ。ライトと2人きりになったらカーテン閉めて電気消すから!」
「赤外線カメラにもなってますから」
「じゃあ二人で布団被っちゃおうか?ライト」
「そんな事より、せっかく設備の整った本有部に来たのに、竜崎、おまえ全然やる気ないよな?」
「そ…そんな事よりって…ひど…」


夜神月は弥海砂のアピールには一切答えず、受流し続けている。ある程度友好的に接し、気を持たせる態度を取った方が"利"になると思うはず。
それをしないのは、この状況で弥海砂を利用しようとは思っていないからか?
或いは……


「やる気ですか?…ありません…実は落ち込んでます」
「落ち込んでる?」
「はい…私はずっと月君がキラじゃないのか?と考えていましたから。その推理が外れたとしたらもうショックで…いえ、まだ疑ってはいるんですけどね。だからこうしているんですから」

手錠のはまった右手を持ち上げながら、こうしている、という言葉の意味を言外に示した。


「しかしキラは人の行動を操れた…つまり…私が月君をキラだと疑う様にキラが月くんを操っていた…月くんもミサさんも、キラに操られていた…そう考えると、私の中で辻褄が合ってしまうんです…ただ何故二人を殺さないのか、そこだけが腑に落ちませんが…」


弥海砂を利用しようとしないのも、を躊躇いなく贔屓するのも。
今まではキラに操られていたから、そして今はその操作が解けたから…。
ケーキを口に含みつつも、いつも程にしっかりと甘味を感じられない。

「もし本当に操られ、自覚もなく人を殺していたとしたら、被害者でしかないわけです。一から推理し直さなくてはならない…ふりだしです。
警察の情報を盗む事が可能な月くんにキラが目を付け、操りその月くんを私が疑う様キラが仕向けていたのだったら…私だって悔しい…正直ショックです」


立てた膝に顔を埋め、我ながら明らかに落ち込んだポーズを取っていた。
人は落ち込むと、自然と背中が丸まり、俯くように出来ているらしい。
自分の推理が外れることはほとんどなかったし、ここまで落ち込んだ経験もないので、新鮮だった。

「……竜崎…その考えだと、僕もミサも操られていたが、キラだったって事じゃないか?」
「はい。それは間違いないです。2人ともキラです。…そしてさんも、どういった形であれ、そこに関与させられてしまった事は間違いありません」

関与させられた、と言った瞬間、夜神月がピクリと反応し、険しい顔をした。
夜神月は、薄々察していた捜査状況について、確信を深めていることだろう。
それに気が付かないふりをしながら、言葉を続ける。

「私の考えでは監禁した時の月くんはキラでした。そして監禁したその時から犯罪者は死ななくなった…そこまでは月くんがキラだったで通ります。しかし二週間したら、また犯罪者が死に始めた…この事から次のケースが考えられる…
キラの能力は人を渡っていく。第二のキラのビデオにも「能力を分ける」という言葉がありました。」
「面白い考えだが、キラがそんな事をできるとしたら、捕まえるのは容易ではないな」
「はい…だから参ってるんです…誰かを操り、犯罪者を殺していき、操られた者が捕まったりしたら、能力を他の者に移し、しかも記憶は残らない…これではいくら捕まえても無駄です…」

夜神月は、明らかに意気消沈している私をみて、友好的な笑みを浮かべて、激励した。

「………しかしまだそうと決まった訳じゃないだろ。実際キラについて具体的にわかっている事は少なすぎる。…やる気出せよ」
「やる気?あまり出ませんね…いやあまり頑張らない方がいい…」
「……」

天井を見ながらぼうっとした調子で言うと、夜神月は表情を変えた。

「必死になって追いかけても、こっちの命が危なくなるだけ…そう思いませんか?実際何度死ぬと思ったか…」
「竜崎…」


夜神月はソファーから立ち上がり、向かいのソファーに座っていた私のすぐ傍まで歩み寄ってきた。
そして右腕を振りかぶり──


「きゃああ!」
「…っ月くん!」


──一切の躊躇いも容赦もなく、全力で私の左頬を殴りつけた。
その弾みで私はソファーから転倒し、壁にまで転がり落ちる。
観葉植物は倒れ、テーブルがひっくり返る。皿やカップ、銀食器も全て散乱していて、
部屋は一気に滅茶苦茶になってしまった。


「痛いですよ」
「…ふざけるな…僕が真のキラじゃなかったから、自分の推理がはずれたからやる気なくなった?ふてくされてるのか…?」
「……言い方が悪かったかもしれませんね…こっちから動いても損かもしれないので止めましょうと…」
「何言ってるんだ?こっちから追い詰めないで捕まえられるはずがないだろ。必ず死刑台に送るとTVでキラに言い放ったのは誰だ!?
FBI捜査官、アナウンサー、罪のない人間を何人巻き込んだと思ってる!?
──それに、やミサや僕を監禁したのはおまえだろ!?」

夜神月の怒りは尤もだ。正当なものだと感じる理性はある。
胸倉を掴まれ、いくら正しい言葉で説得されようと──


「…わかってます…しかし…どんな理由があろうとも──一回は一回です」

──やり返さないという選択肢は存在しない。
夜神月が容赦しなかったように、私も一切の手加減をせずに、夜神月の右頬に蹴りを入れた。
その弾みで夜神月は転倒し、更に家具が荒れる。

「推理がはずれたというより…「夜神月=キラ。弥海砂=第二のキラ」では解決しない。だからちょっとガックリきた。人間としてそれくらい駄目ですか?」
「駄目だね。大体おまえの言い方は僕がキラじゃないと気が済まないって言い方だ…」
「月くんがキラじゃないと気が済まない?……確かにそうかもしれません…今気づきました…な…何か…──月くんがキラであって欲しかった…」

お互い膝をつきながら睨み合っていた最中、言うと──
夜神月は再び拳を振りかざしてきた。やはり、容赦はない。
夜神月…私の諦めに対し本気で殴るなんて…やはりキラじゃないのか?
いやキラの能力を誰かに分け、犯罪者を裁かせ自分はしらばっくれてる可能性は0じゃない…


「一回は一回ですよ?私結構強いですよ?」

拳が振るわれる事は読めていた。今度は倒れることなく踏ん張り、そのままの体制で再び夜神月の顔面を蹴り上げた。
そして、お返しと言わんばかりに再び夜神月の拳が振り挙げられた瞬間──


「──やめてっ!」

──が、間に割って入ってきた。
小さな体躯で間に入り込む事は容易で、夜神月がそれに気づき拳を引っ込めようとするも、間に合うはずもなかった。
私に背を向ける形で仲裁に入った。夜神月の拳は彼女の頬に当たり、「うっ…!」と悲鳴が上る。
多少は威力は殺されていただろうが…焼け石に水だろう。
本気の殴り合いをしていたその拳が当たって、女性が無事でいられるはずない。
私の方へとぐらりと倒れこんできた体を支え、転倒しないよう、そのまま床に座らせる。
しかし判断を間違えたかもしれない、とすぐに気が付いた。
辺り一帯は割れた陶器の破片が散乱していて、座らせた瞬間、の膝に陶器の欠片がめり込んだ。咄嗟に片足を掴んで、持ち上げる。
そうすると必然的に後ろに倒れそうになるので、背中を支えて防いだ。
どうやら、膝に裂傷はないようだ。しかし──


「──ッ!」

夜神月がに駆け寄り、両肩を掴む。殴ってしった右頬に触れた瞬間、「いたっ…」と悲鳴を上げた。
普通、触られた頬が痛かったのであれば、顔を背けていただろう。
しかしは、何かをこらえるように背中を丸めた。
震える手が伸びた先は、自身のつま先の方だ。
見ると、足の裏から流血している。両足共に血が出てる。片足の方は特に重傷で、広範囲にわたってざっくり切れていた。

「そんな…どうしてこんな無茶なことを…!」
「…月くん、それ以上やったら手が痛くなっちゃうよ」
「馬鹿…!僕のことなんてどうでもいい、これじゃの方のが痛いだろう…!」
「月くん、さんの足の裏、出血してます。すぐ手当した方がいいです」
「きゃっ…やだっすごいザックリ切れてる…!」


家具は散らかっていていたし、ソファーもズレていたけれど、転がることなく起き上がったままだ。
夜神月はを抱き上げると、ソファーに座らせる。
足を持ち上げ、患部に刺さった陶器がないか確認している様子だった。

…ごめん、本当にごめん…全部僕が…ッ」

夜神月の顔は蒼白で、声は震えていた。は、夜神月の事を責めている訳じゃないの確かだ。
けれど、深刻な顔をする彼に対し、何と声をかけていいのか考え、言葉を選んでいる様子だった。

「…名前…ッ」

夜神月はそのまま彼女を抱きしめ、震える腕で縋りついた。
の様子は改善される様子はなく、「視線恐怖症」である以上監禁時同様、毎日苦痛を強いられる。
その様を、捜査員たちは同情してみるし、夜神月も同じだ。
今までだって十分に、は「かわいそう」な女性だった。
それなのに、また新たに怪我を負った。弱いところを作った。──それに、足の裏だなんて厄介な所にだ。行動は制限されるに違いない。
夜神月は事故とはいえ、女性を殴ってしまったことを気に病むだろうし…
身を挺して夜神月を止めたは健気で、「あわれ」だ。
このままでは、どんどん彼女は弱くなる。身も心も。
監視対象を捜査員が同情し、公私混同するなんてことは、あってはならない。
理屈ではわかっていても、人情というものは熟練された刑事であってもコントロールする事は難しい──

「……本当に厄介ですね。それも少し所じゃなくなりました」

ぽつりと呟いた言葉に返事をする者は誰もおらず、ただだけが、眉を下げながら私を見つめていた。


2025.11.12