第85話
5.彼等の記録作為的な証拠

夜神月に弥海砂・ の確保を告げた後、東応大学からホテルの一室へと戻った。
扉を開くと、テーブルに証拠袋と書類を均等に並べた捜査員たちが、指をさし議論を重ねていた。

「あっ竜崎、どんどんいろんな証拠が…」
「ワタリ、何か喋ったか?」
『いえ』

私の入室に気が付き、声をかてきた相沢さんの横を通り過ぎ、パソコンの置いてあるテーブルまで歩み寄る。
ワタリからはすぐに応答があり、予想外とも期待外れともとれる返答が返ってきた。

『すみませんまだ一言も…拘束されている事に対する文句すら言いません。…お二人共です』
「…よし、彼女達の映像をこっちにもくれ」
『いいんですか?』
「いいから早く」

相沢さん、松田さんは一体何の会話をしているのかわからない様子で首を傾げていたが、
私の指示により、パソコンに拘束された女性2人の映像が映し出された瞬間、「うわっ…!」と驚愕の声を上げた。

「り…竜崎…これは…」
「第二のキラとして捕まえたんです。これくらい当たり前です。誤認逮捕でしたら問題がありますが、確信があります」

直接の面識はない弥海砂はともかくとして、幼少期から懇意にしている の拘束された姿をみて、夜神さんは酷く動揺した様子を見せた。
しかし私が先程言った通り、「確信」があった末の確保・拘束であったため、止める事はなかった。


「確かに…指紋は違う人間の物で、ビデオ機器等は処分した様だが弥の部屋には日記と同じルーズリーフ。「速達」の判子…これはクセが同じだし、インクもあり成分も同じ。大阪から送られてきたガムテープに付いていた花粉も、弥が4月まで暮らしていたアパートの周りに咲いていた関東ではめったにない物…」
「それに長野からの速達が届いた前日の東京長野間の切符…あの日なら監視カメラのテープはまだ残ってますよ。こんなのキラは絶対残してくれなかった」
「…確かにそこまで物的証拠があれば問題ないと思うが…」
「はい、間違いないでしょう。…後は…どう殺したのか?キラを知っているのか?知っているのなら誰なのか?自供させるしかありません」

相沢さん、松田さんが続けて出てきた証拠について説明をした。
夜神さんは躊躇い勝ちであったが、それに納得したように頷いた。
…が、それはあくまで弥海砂に関しての事だけだ。

「しかし…ちゃん、…いや、 の残した物証というのは…その…」
「不自然、ですか?」
「!そ、そうだ」

夜神さんがそう追求してくるのは想定内だった。私自身も、夜神さん…他の者たちが感じているだろう「不自然」を、感じ取っていたのだ。

の部屋からは、弥海砂の部屋にあったような速達の判子、切符などは出てこなかった…しかし、最後に送られてきたビデオテープ…その封筒からは、確かに のものでしかありえない物証が残されていました」
「…髪の毛に、洋服の繊維だろう」
「はい。ガムテープにしっかりと髪の毛一本と、普段から気に入って着ているというニットの繊維… の部屋に敷いてある絨毯の繊維も」
「……しかし」

どう考えても言い逃れの出来ない状況だ。弥海砂が第二のキラとしてビデオテープを送っていたように、 もまた、そこに加担していたとしか考えられない。
「キラと繋がってしまった」と感じた最後のビデオテープでは、「この能力を与えるにふさわしい人には分け…」と言っていた。
私はそれが、キラの指示により捜査をかく乱させるため言わせた虚偽であるという可能性も考えていたが、この状況を鑑みるに、第二のキラ…弥海砂が苗字名前にも能力を分け与えた。
もしくは、 が弥海砂に能力を分け与えた…そう考えると筋は通る、と考えるようになった。
であれば、2人は共謀者ではなく、どちらも「第二のキラ」であるという事。

「…第二のキラから送られてきたビデオテープはいくつもある。しかし の痕跡は最後の封筒にだけ…。それに、まるでとってつけたように」
「!そ、そうだ。食べカスや花粉など、鑑識に回さなければ見つけられなかったような物ではなく… に関しての物証は全て、"目視"で…この肉眼でも捉えられるものだった!うっかり残ってしまったのではない…私には、まるで見つけてもらうのを目的として残したようにしか…感じられないんだ」

夜神さんは切実に語り、相沢さん、松田さんも「確かに…そうなんですよね」同意していた。

「私も、作為的なものを感じました。…そうは言っても…」
「…出てしまった。見つけてしまった…第二のキラの送った封筒に「偶然」ついてしまったと言い逃れできる範疇じゃないですよね。共犯じゃなかったとしても、少なくとも第二のキラ…弥海砂と「交友関係」はあった事はハッキリした」
「キラなら絶対残さなかった、第二のキラは迂闊な所がある…。…とはいえ、仮に と弥海砂が友人同士だったとして。無関係の一般人が隣にいる所で、さくらTV宛の封筒にビデオテープを詰める作業をするか?」
「一応、それなりに証拠が残らないよう、毎回工夫はしてありますからね…そこまで迂闊な事をするとは考えにくい…」
「もうこれが最後だからと、慢心したとか…?」

相沢さん、松田さんが各々、 の痕跡が「何故残っているのか」という推理を重ねた。
けれど、どれだけ考えても、「何も知らない一般人でした」という結論には至れない。
いくら不自然だと感じられる残り方だったとして…そう、「出てしまった」。
を確保し、尋問するには十分なのだ。
私達はキラ捜査本部に身を置く集団だ。そして相手は、あのキラ。
ここで根拠が甘いからと、目こぼしをし、猶予を与えて。本当に がキラだった場合、どれだけの被害が出るか…

「皆、色々思う所はあるでしょう…私も同じです。ですが、やはり結論は変わりません」


そう考えると、片方は確保される事は覚悟し、片方は「あえて疑問が生じる証拠の残し方をして」、目こぼしされる事を想定し。
自由の身になっている片方が、「捜査本部の者を殺す」。そういう計画を立てていたとも考えられる。
猶予を与えるなどとんでもない。疑わしきは罰するくらいが丁度いい。

「ワタリ。十分に注意しながら、多少理不尽なやり方でも構いません。…吐かせてください」
『ハイ』


私が下した指示を聞き、三人は息を呑んでいたが、意義を唱えるものは誰もいなかった。
パソコン前の椅子に座り、コーヒーカップを手に取る。

「それと…夜神さん…今月くんには本部の出入りを禁止していますが…今度は…キラとしての重要参考人で呼ぶことになると思います。覚悟しておいてください」

背後からパソコンの画面を覗いていた夜神さん達は、再び息を呑む。

「弥は四月に関東に出てきてその後月くんと親密になっています。弥の両親は強盗に殺され、その強盗はキラに殺されてる。そして月くんは弥名義の携帯を持っていました。それは恋愛の形としては珍しくはないですが、プライドの高い月くんがそれを受け入れるとは思えません… も、言わずもがな月くんとは親密な関係です。
ただ救いは、月くんがキラなら口封じに弥・を殺すと考えられますが、彼女達が生きている事です。しかしそれも、2人の確保を知る者がこんなに少ない中で殺せば自分への疑いが濃くなると考えてとも言えます」

弥海砂と は、言い逃れが出来る状況にない。それは夜神月も同じである。
夜神さんは「息子はキラではない」と言い続けていたが、やはり今度ばかりは意義を唱える事は出来ず、私の宣言を受け入れる他なかった。

***


──三日後。
皆ホテルの一室に構えた本部に泊まり込んでおり、毎日徹夜で捜査にあっていた。
ソファーにもたれかかり、仮眠をとっている所、ワタリから声がかかった。

『竜崎。弥が言葉を』
「何っ早く映像と音声を!」

パソコンの前まで行き、ワタリに指示を出す。
その瞬間、すぐに弥海砂の映像が流れ出す。
基本的には苗字名前、弥海砂、2人が同時に見られるよう、映像を並べた状態で表示される仕組みになっているが、
今回は弥海砂だけが画面に映し出されていた。


『もう…我慢できない。殺して…』

弥海砂の弱弱しい声を聞いた瞬間、私の背後から画面を覗き込んでいた三人が、息を呑む。

『殺して、早く殺して』


アイマスクをされ、首、胸部、腹部、股下にかかるような形でベルトで拘束されているる
そして両手両足も手枷足枷で完全に固定され、立ったままの状態で、完全に逃げ出せない状態で固定されていた。

「……もう三日も水も飲んでないって言ってましたよ…」
「二十歳そこそこの女の子には厳しすぎる…もう極限状態なんだ…」


相沢さん、松田さんは同情的な声をもらすが、私はこれでも手ぬるいと思っている。
相手は大量殺人犯だ。犯罪者とはいえ、正義という二文字を免罪符にして、命を奪っているサイコキラー。
彼等はこの状況を酷く惨い状況と感じているようだが、水を飲ませない程度は、拷問のうちにも入らないと私は思える。

パソコンの隣に設置されてるマイクのボタンを押し、弥海砂に呼び掛けた。

「弥海砂。聞こえるか」
『聞える…おねがい…早く…殺して…』

私の声は、合成音声のように変換され、弥海砂には性別も何もわからないような状態で聞えるようになっているはずた。

「それは多くの証拠を挙げられ、第二のキラと認めるしかないと諦めたという事か…」
『ちがう…第二のキラなんて知らない…こんなのもう我慢できない…死んだ方がいい…』

弥海砂の体は、震えている様子だった。それは恐怖のためというより、この状況に耐え兼ねた末に感情が爆発した、という風に見えた。

『さあ!早く!殺して!あなたなら私をすぐ殺せるでしょう!』

弥海砂は叫び、私の声など聞えていないかのように、死を懇願し続ける。

『そう、殺してそう…殺してよ…もう我慢できない…殺して…だめ…だめ…私を殺して…』

極限状態。それは確かだろう。会話になっていない、しようとも思っていない…いや、出来ないのだろう。朦朧とした意識で、譫言を繰り返し続ける。

『どうせ、ミサはあの時死ぬはずだった…』
「あの時って…強盗が入って両親が殺された時か…」
「なんか可哀想ですよね。この子…」

相沢さん、松田さんは弥海砂の哀れな姿に、すっかり同情している様子だ。
しかし、自分が不遇の身だからといえ、殺人が許容されていいはずがない。
己だけが不幸かのように語られても、私は彼らのように同情する事ができなかった。

『今死んでも幸せ…若くてキレイなうちに…殺して…』

どこか譫言のように弱弱しく語っていたのは、そこまでだった。
次の瞬間、爆発したように激高し、叫びをあげる。

『もういいーっ!早く殺して!!殺してくれないなら──…』
「まずいワタリ、舌を噛まないように!」
『ハイ』

ワタリはすぐに弥海砂の元に近寄り、猿轡をはめて、舌を噛めない状態にした。

「まさかもうキラに操られている死の前の行動じゃないでしょうね…?」

心臓麻痺で死ぬなら、このままの状態でも死ねるだろう。
しかし完全に拘束された状態で、猿轡をはめさせられ、自死に至る術は全て封じられた。
キラに「自殺する」という操作をさせられた状態だったとして、ここから自殺させる事は可能なのだろうか。
…操作されているとして。その操作をしたキラは…夜神月なのか?

弥海砂が完全に拘束され、落ち着いた後、「ワタリ、 を」と指示すると、すぐに の姿が画面に映し出された。
弥海砂同様に、この三日間飲まず食わずで拘束されたまま、何も言わない。
…弥海砂は疑いようもなく、黒だ。第二のキラである物証は十分にそろった。
しかし に関しては、無実とは言えないが…あらゆる可能性がある。
第二のキラである弥海砂と共謀関係にある。もしくは二人共が殺しの能力を持つ第二のキラ。
あるいは──考えにくいが──弥海砂と交友関係があり、たまたま弥海砂が封等に封をする所に居合わせ、髪などが付着してしまった。
──あるいは。 も第二のキラであると見せかけたかった、"誰か"によるただの工作──

──どの可能性で推理を進めても。
が確保された瞬間、無抵抗であった事。そして、今も尚沈黙を貫いている事。
それを鑑みれば、無実とはいいがたい。観念したとしか言い様がない状態だ。
本当に「ハメられた」のであれば、取り乱して無実を訴えるだろう…。


の方は、まだ何の反応も見せそうもないな…まあ、弥とは性格も違うし…」
「でも も、弥海砂と似たような境遇ですよね。…ほら、幼少期に誘拐した犯人や、高校三年生の時に暴行未遂で…あの時の犯人も獄中死してる」
「いや、誘拐犯の方は心臓麻痺ではないし、病死と言われてる。キラが殺したというのは憶測でしかない…」
「でも連続殺人犯ですよ?情状酌量の余地もない、キラに殺されるだけの条件は十分です」
「…だとしても、暴行未遂の方の犯人は結局不起訴処分で…」
「キラはそういう、法で裁ききれなかった悪人も殺していますよ」
「……本当にどちらもキラによって殺されたのだとしたら、弥と境遇は同じとは言えるな」


相沢さんと松田さんが語る中、私と夜神さんは黙ってそれを聞いていた。
夜神さんは、何も言えないだろう。こうなってくると、息子である夜神月がますます怪しくなってくる。
キラ=夜神月であったとしたら、彼と親交のある女性たちを貶めた犯罪者が殺されたというのは、納得のいく筋道だ。
或いはその逆。自分を貶めた犯罪者を殺してくれたキラ…夜神月に、彼女達が近寄って行った。崇拝した──

──次の日。監禁してから四日目。
水も飲まずに人がある程度正気でいられるのは、大抵の場合ここまでだ。
弥海砂は一度気を失った後、トイレに行きたいと言いだし、ワタリに連れて行かせた。
そのついでに、少量の水を飲ませている。
そうは言っても、その水分は正気を戻すには十分ではなかったのだろうか。
──四日目にして、弥海砂は今までとは明らかに態度を一変させた。


『ストーカーさん、これ犯罪だから止めなさい。今止めれば誰にも言わないし許してあげるから。ストーカーさん。ね!』
「一度気を失って気付いてからずっとこのパターンだ…」
「全くこんなのでトボけられると思ってるんですかね」
『じゃあわかった。とりあえず目隠しだけでも取って。ストーカーさんの顔みたいなー』
「……」


その様子はあまりにも不自然だ。極限状態にある…という言葉で、全てを片付けていいものだろうか。
パソコン前の椅子に座りながら、背後に立っていた松田さんに向けて、すっと手を伸ばす。

「松田さん、模木さんに電話」
「えっあっ…はい…」

少し困惑した様子で、しかしすぐに電話をかけて、模木さんと繋がった携帯を手渡してくれた。


「弥海砂を確保する時、「第二のキラ容疑で」と言いましたよね?」
『はい…言われた通り、後ろから目と口を押さえ、「第二のキラ容疑で連行する」と、彼女には聞こえるように…手錠、アイマスク等をしてもて、抵抗する事なく、観念した様子でした。これは苗字名前も同じです』
『サインもしてあげるし、握手も。そうだ、ホッペにチューしてあげるからね。ミサ逃げないから』

模木さんと通話をし、切るまでの間も、弥海砂は普段の天真爛漫な調子で語り掛け続けている。
あれだけ第二のキラとして話を進めてきたのに、何故今更ストーカー等と…
パソコン横のマイクのボタンを押し、再び弥海砂と会話を試みる。

「弥海砂」
『!ストーカーさん、何?放す気になった?』
「寝る前までほとんど黙秘し、「殺せ」とまで言っておきながら、今更悪あがきか?」
『?…何言ってるの?ミサを眠らせて連れて来たのストーカーさんでしょ。…?何?「弥海砂取り調べしちゃうぞ」とか、そういうのがしたいの?』
「…?」

どうも話が噛み合わない。これには本部のもの、全員が首を傾げていた。

「君は今、何故そこに縛られている?」
『はっ?何故って…ミサがアイドルだから?でもここまでしてくれたストーカーさんはあなたが初めてだよ』

しらを切り続ける弥海砂に痺れを切らしたのは、対話をしていた私ではなく、それを見守ってきた松田さんだった。
私の後ろからマイクを掴むと、叫びをあげる。

「コラーッ弥、ふざけるのもいい加減にしろーッ!!」
『ひっ…こ…怖い…な…なんなの…もうこんなの嫌だ…放して、放してよ──そ…そうだまたトイレ、トイレ行きたいーっ』

松田さんが叫んでも効果はなく、ただ震えてアイマスクの下で涙を流すだけ。
到底、演技には見えない姿をみて、松田さんも相沢さんも沈黙してしまった。
再び私がマイクに向けて、語り続ける。

「さっきトイレに行ってから4分しか経っていません。我慢してください」
『何よ!そう言わなきゃずっとこのままじゃない!またミサのオシッコしてるところ見れるよ、楽しくない?この…変態!!』


…私が…変態…。真面目に取り調べをするために取り組んでいる全てが、弥海砂にとっては変態行為に捉えられるようだった。
実際、拘束したり、トイレをする様子をみて興奮する人種がいる事は知識として知ってはいるものの、それと同類だと思われるのは心外だ。

「弥、眠ってしまう前の話の続きを真面目にしよう。夜神月を知っているか?何故彼に近づいた?数回に渡り彼と会ってる事は事実。知らないで通す気は?」
『えっ?自分の好きな人の事知らない訳ないでしょ…よく調べたわね、あなやっぱり凄いよ。でもライトには絶対かなわないけどね−』

夜神さんが取り調べをする中、ずっと遠く離れた所の椅子で俯いているのは、夜神月が疑われていて、またこうして夜神月についての尋問をする事を理解しているからだろう
このやり取りも聞こえているはずだが、ただ項垂れている。

…あれだけ黙秘していたのに…今度はあっさり好きな人、か…

「どうなってるんだ…?」


松田さんの零した疑問は、皆にとって共通する疑問だった。

「…ワタリ。今度は を」
『ハイ』

再び、画面を へと切り替えさせる。
すると、顔を俯かせて、項垂れている様子が目に入った。

「なんだ、気を失って…いや寝てますね」
「…次に目が覚めたら、また弥のように挙動が一変するんじゃ…」
「だとしたらそれって、キラによる操作でしかありえないんじゃ…それとも、2人ともが口裏を合わせているとか…」
「…?」


相沢さん、松田さんが話す中、私は画面に顔を近づけてみた。

「…呼吸が浅い…これ、眠ってるんじゃありません。気を失ってますね。水分不足で」
「えっ…それ…まずいんじゃ…竜崎、自白を取るためにやっているのはわかってるが…!」
「そうですよ、死んじゃますよ!」
「わかってます。殺したい訳でもないし、死なれても困ります──ワタリ、 に水分を」
『ハイ』

ワタリは の元に歩み寄り、項垂れた彼女の口元にコップを持っていき、水を含ませた。
気絶した人間に水を飲ませるのは容易ではない。その上、体制が悪い。
ベッドに横たわった人間に飲ませるのと、立たせた状態で項垂れてしまった人間に飲ませるのとでは、難しさが段違いだ。

『ゲホッ…!』

その甲斐あってか、 は目を覚ました。無理に飲ませたせいで、気管にでも入ったのだろう。その不快感と、焼けるように張り付いているであろう喉に水分が通った事で生じた口内の変化によって、長く咳き込み続けた。
しかし、それ以上何も反応しない。黙秘を貫き続けた。
一番厄介なのは、その黙秘だ。弥のようにとぼけられても困るが、相手が口を開く以上、どうにか自白に至るよう誘導する事はできる。

「… って、結構大人しい子だよな…弥海砂と違って普段から口数も多くない…」
「そういう子って、手ごわそうですね」

相沢さん、松田さんは、 を報告書を通してしか知らない。
監視カメラで監視していたのも私と夜神さんだけ。
直接大学で接触したのも私だけだ。弥海砂より大人しいというのは間違っていないが、
彼等が思っている の印象は、幸薄そうな寡黙な少女、といったものだろう。
実際の彼女はそうではない。決して寡黙ではない…
しかし。本当の彼女は──何のだろうか。
長年付き合ってきた夜神さんすら、「掴み処のない人間」と証言したくらいだ。
夜神さんは、 について尋ねた時、こういう言い方をした。


「息子の事を尊敬してくれていて、心配はしても、行動を縛ったりはしない…と思う。彼女は昔からどこか掴み処のない所があって…大人びているようで、子供のような所もあって、…あるいは、子供のように不安になって、息子を止めようとするのかも、と…」

──そのどちらに転ぶのかは、蓋を開けてみなければわからない。両極端な人間。
相沢さん達が思っているような、自己主張をしない人間であれば、その人間性を理解をするためのピースを与えないため、周囲は予測できない…そうなるのはわかる。
しかし彼女はそうではない。彼女は十分に自己主張をし、喜怒哀楽を示し、好きも嫌いもハッキリしている。
だというのに、何故誰も彼女を理解できない?

──それから何時間が経っただろうか。

『……どうして、こんなことになっちゃったのかな…』


弥海砂の監視はワタリに任せ、私は目を離す事なく、 を監視し続けていた。
すると、不意に が口を開いた。
弥海砂の時とは違い、それは助けを乞う懇願でもなく、現状を憂う悲鳴でもない。
ただのひとり言のようだった。
──そう、ひとり言だ。数日間に及ぶ監視中も、ただ一人、一言も言葉を零す事なく、人形のように"無"であり続けた──
異質な彼女がもらした、たった一言。それには、特別な何かを感じざるを得ない。実際には、極度の脱水症状を起こして昏睡状態陥った後のことだったので、
今は夢か現かもわからず、譫言をこぼしている可能性の方が高い。しかし、彼女が"独り"の時にこぼした、初めての言葉である事には違いなかった。


『こんなことに…このことに。……意味は、あるのかな…』
「どうした、
『っ!』


マイクのスイッチを入れ、問いかける。へ投げる言葉は、弥海砂に対するものよりも慎重に選ぶ必要があった。
この貴重な瞬間は逃せない。彼女にしては珍しいひとり言をもらしたから、というだけでなく…
黙秘を続ける人間の口を開くのは容易ではない、その口を開かせるには、今しかない──


『ッゲホッ!』

再び言葉を重ねようとした時、はまた咳き込んだ。
演技…ではないだろう。一瞬、誤魔化すための時間稼ぎかと思った、が…
四日間も絶食して、気を失いすらした人間が、焼けた喉で声を発するのは、どんな犯罪者であろうと、簡単ではない。
善人悪人関係なく、生身の生きた人間であれば、当然の反応だ。


「大丈夫か、
『だ、大丈夫……です…』

律義に敬語で返す。弥海砂のように豹変した様子はない。相沢さん、松田さんのやり取りを真に受けた訳ではないが──
可能性は0ではない。念のために問う。

、気を失う前の事は覚えているか?」
『気を、失う…?』
「………覚えていないのか。お前は数時前気を失って、水を飲まされただろう」

こちらからその状況を明かすべきか迷ったが、の人となりを考えると、自然と発せられる言葉を促すよりも…
こちらが先手を打ち、それに対する答えを待つ方が得策だと思えた。
天然…とはまた違うのだろうが、はマイペースで…それこそ、掴み処のない人間だ。
基本、受け答えはしっかり出来るが、たまに求めていた回答と違った反応が返ってくる事がある。
は首を横に振り、「覚えていない」という意思表示をした。

「脱水症状で気を失ったんですもんね…」
「意識を失って、何が夢か現実かもわかってなかったのかも…」
「今だって、全くの正気とは言えないかもしれませんよね」

相沢さん、松田さんは、納得したように頷き合っている。
今も全くの正気ではない、というのに間違いはないだろう。しかし、だからこそ問わねばならないし、そういう状態だからこそ引き出せるものがある…
だからこそ、彼女達に水分を取らせず、監禁し続けたのだから。


。さっき言っていた"意味"とはどういう意味だ」
『……その、ままの、…いみ、…ケホッ…!』

は素直に答えようとしたが、焼けて張り付いた喉が邪魔をして、言葉を発する事が出来ないようだった。

「…ワタリ。に水をあげてください」
『はい』


ワタリに指示を飛ばすと、『飲んでください』と、再びコップをの口に当てた。
気を失う前の事を覚えていない…今も夢か現実かわかっていない…。
であれば、ワタリが無理やり飲ませた事も覚えていないかもしれない。
だとすれば、の中では「四日間一滴も水分を取っていない」という認識になっている。
実際は水分を取っていたとして、自覚がなければ、体は「水分補給をした」と見なさず、十分な回復をさせなかったかもしれない。
は一口、二口水を口にすると、顔を背けた、もういらない、と意思表示しているらしい。
こういう時、普通であれば砂漠でオアシスを見つけた人間のように、一気に飲み干すものだが、はそうしなかった。
気を失った時に強制的に飲ませた少量の水と、今飲んだ二口の水分で、足りるはずがない。
ワタリは少し迷った様子で、しかし本人の意思に反して無理繰り飲ませる事もできず、そのまま退室した。


『…お水、ありがとうございます』
「礼を言われるような事はしていない。…それで、意味とは?」

やはり弥海砂のように"豹変"はしていない。
取り乱す事もなく、平常の頃と変わらぬ様子で受け答えしている。
夜神月がもしこれを見ていれば、「礼なんて言わなくていい」と渋い顔をして咎めていただろう。
…善人、お人よし。マイペース。感情の起伏は弥ほど激しくないが、喜怒哀楽はしっか示す。
掴み処がないとは言え…表向きに見せるの印象というものは固まっている。
極限状態にあっても、その印象からかけ離れた様子はなかった。


『……意味…は。私が、ここにいる意味…』
「おまえは第二のキラ容疑で確保され、そこにいるんだ。意味などわかりきっているはずだ」
『……そう、ですね』


弥海砂のとぼけた様子とは違い、今確かに「そう」だと頷いた。
確保された時に言われた言葉を覚えていて、今自分がどうしてここで拘束されているのか、自覚しているという事だ。
だというのに…「どうしてこんな事に」「こんな事に意味があるのか?」と、はこの状況を疑問に感じていると受け取れるひとり言をもらした。

「竜崎の言う通り…意味なんて、考えるまでもない」
「…どうしてこんな事にって…そりゃ、自分が罪を犯したからでしょ…」
「…はい。万が一"そう"でないなら、"否定"をすべきです」

相沢さん、松田さんが戸惑った様子で言い合う所に、私も頷いて答えた。
万が一そうでないなら…が関与したと思わせたい"誰か"に証拠を工作されただけだというなら。ここで否定しなければおかしい。
否定しないのであれば、罪を認めたと受け取る。そうなると逆に、「どうして?」とこの状況を疑問視する言葉がでてくる事がおかしい。
…本当に、に関わると、理屈が通らない事が多すぎる。
暫く沈黙が続いたが、その沈黙は私から破った。再びマイクのスイッチを入れて、語り掛ける。


「つまり、おまえは意味を感じていないということだな。それは何故だ」
『……』
「沈黙は肯定か?おまえが沈黙を貫くのは、罪を認めているからか?」
『……その逆です…でも…いくら私が無実だと言っても、何の意味もない、何も変わらない…私は"自白"する事でしか、もうこの状況は変わらないんですよね』

は口角を上げて、緩く笑っているようだった。そして、ぽつりとこう呟く。


『なんだか映画みたい』


まるで他人事のように言うものだ。これは映画ではない。これは夢でもない。
当初とは違い、だんだん受け答えがしっかりしてきている。もう意識が朦朧としている…という可能性は低いだろう。

「映画みたいって…よくある刑事ドラマの、自供を取るシーンの事を言ってるのか?」
「恐喝して、冤罪を生み出すあのシーンでしょう?つまり、自分は無実だって言いたいんですかね?遠回しだなぁ…」
「……」

確かに、松田さんの言う通り、遠回しな無罪アピールとも受け取れる。
しかし、本当に冤罪をかけられた人間の「諦観」の境地とも受け取れる。
第二のキラである事が確実である弥海砂と違い、の置かれた状況がハッキリとわからない今、言葉の意味を判断する事は難しい。
もう一度、マイクのスイッチを入れ、へ語り掛ける。


「……そうだ。おまえが第二のキラであること…もしくは、第二のキラと共犯関係にある事は間違いがない事実だ」
『…それを話したら、ここから出してくれるんですか?』
「そういうことになるな」

出す、と言っても、釈放ではない。"キラ"を普通の刑務所にいれる事は叶わないだろうが、
それに近い囚人としての扱いを、別の場所で受ける事になるだろう。


『……じゃあ、やっぱり、意味なんて……』


はそこで、明らかに諦観したように項垂れた。
そこに何と声をかけようか、少し考えていると──…

『…っ!』

は、パッと顔を上げて、口を開けた。
言葉にならない声を上げたように見える。そして硬く結んでいた口元を緩めると、そのままゆっくり寝息を立てて、眠りに落ちてしまった。

『…竜崎。起こしますか?』
「いや、いい…」

現場にいるワタリから声をかけられ、断った。
口を開くようになっただけ進歩だ。恐らくからは、自供は出てこないだろうが、「律義に」聞かれた事には答えてくれるだろうから。

そんなとき、ポケットの中にしまっている携帯が鳴り出した。

「…月くんからです。…映像、音声OFFに」
『ハイ』


夜神月からかかってきた電話の内容は、予想していたリアクションのどれとも違った。

「………わかりました。ここはKの2801号室です」
「息子がここに来るのか?」
「はい…」

電話を切って折りたたむと、夜神さんが歩み寄り、不安そうに問いかけて来る。
…どういうつもりだ?夜神月…
いつものように松田さんが下まで迎えに行き、このホテルの一室へと招き入れる。

「竜崎…電話でも言ったが…」
「はい…」
「──僕がキラかもしれない」


夜神月がこのような手で打って出て来る事は、予期できなかった。


2025.11.8