第79話
5.彼等の記録─高嶺の花達
桜が咲き誇る3月の東応大学内。夜神月に対して、私はとある提案をしていた。
「流河、親睦を深める為にテニスって…僕の実力知ってて言い出したのか?」
「大丈夫です夜神くん、私はイギリスのJr.チャンピオンだった事があります」
夜神月は私の誘いを無下にする事はなく、テニスウェアを纏い、真剣に試合をするために準備を整えてきた。
にも声をかけてあった。それは勿論、彼女自身も観察対象である事は大前提だ。
加えて夜神月が現役のテニスプレーヤーであった中学時代、彼女は熱心に応援に行っていたのだと言う情報が手元にあったからだ。
よって、彼女は誘わなくても応援にきたい、とは思っただろう。…が、"日本人的な"彼女は、
誘わなければ、ここに来なかったと思えたのだ。
はにこにこと笑っていて、とても楽しそうにしている。
「流河はイギリス育ち?」
「イギリスには5年ほど住んでいましたが、安心してください。そこからLの素所が割れる様なことは絶対ありません」
夜神月の態度は社交的ではあるが、のようににこにこ笑い愛想を振りまくことはない。
しかしこれは、夜神月がキラであっても、そうでなくても、当然の反応とも言えた。が特別、万人に対して人当たりがよすぎるのだろう。
「警察庁夜神総一郎局長の息子」「過去に数件の事件へ助言し解決に導き、今キラ事件にも興味を示している」「もし誰にも漏らさないと誓えば、キラ事件に関する重大な事を話す」
「私はLです」
入学式でのこの発言は、我ながら怪しい。個人情報が洩れている事。キラ事件というセンシティブな内容に触れた事。
これだけで、常識のある人間なら警戒して当然だ。
おかしいのは──の反応だろう。彼女はいくら夜神月の応援が楽しみだからと言って、あまりにも無防備すぎる。夜神月同様、私の"怪しい"発言を聞いて驚いていたというのに。これは人当たりがいい、という言葉だけで済ませていいものなのだろうか。
「二人共頑張ってね。まだ春だけど、今日すごく天気がいいから…熱中症になるのもありえなくはないし」
「ありがとうございます、さん。気を付けます」
…二人共、か。普通なら社交辞令と受け取るだろうが、しっかりと私と視線を合わせて笑う彼女から発せられた言葉は、本心のように感じられた。
じっと探るように見つつ、とりあえず礼を言う。
夜神月は、そんなに対して何も返答する事なく、ただ眉を寄せて見つめていた。
不審者に対して用心をしない子供を嗜める大人…のような反応なのだろうか。
探りたい事は山ほどあったが、ここで会話を続ける事も出来ない。
ただ交流を楽しみたくて、彼等を誘った訳ではないのだ。私にも、私なりの目的がある。
フェンスを越えて、夜神月と私はコート内へと踏み入る。
は、フェンス越しに観戦していた。
「では6ゲーム1セットを先取した方が勝ちでいいですね?」
「わかった」
これはあくまで親睦のテニス。キラかどうかの判断材料にはならない。しかしキラは負けず嫌い…
「そして勝った方が、さんの差し入れを手に入れる権利が得られるという訳です」
が、差し入れの準備をしていたのを知っている。私がさらりと言うと、夜神月は一応つけていた社交的という仮面を外して、明らかな敵対意識を向け、険しい表情を隠さなかった。
これは負けず嫌いだからか?それとも…。
「………流河。そんな約束に頷いた覚えはないぞ」
「夜神くんは私に勝つ自信がないという事ですね?」
「……はは、そんなにわざとらしい挑発をしてもだめだよ、流河」
「そうですか、残念です」
夜神月は一応、面白い冗談だと受け取ったというポーズをして、笑顔を張り付けた。
しかしその目は笑っていない。
何かの地雷を踏んだのだ理解した。…幼馴染を引き合いにしたからか?
それほどに大事な存在なのだろうか。夜神局長も、母親達が娘息子を結婚させたがっていると言っていたし、夜神月も満更ではない反応をしていると言っていた。
高校、大学と、同じ学校へ通ってるのも夜神月の要望…。それにも素直に従っている。
「15-0です」
「おいおい流河、いきなり本気かよ」
「先手必勝です」
一気に一点先取すると、夜神月はにこやかに笑った。
彼のにこやかな笑みと、拍手を送って応援しているの様子をみて、考える。
この年頃になってまで、そんなに仲のいい男女の幼馴染の関係を維持できるのだろうか。
男女の友情が成立しないなどと言うつもりはないが、そこに友愛以外の何かがあるのではないかと邪推するのが人間だ。
しかしこの二人が、付き合ってると公言した事はないらしい。
お互い五角の点取り合戦になるにつれ、野次馬が増えいく。
望んでもいないというのに、いつの間にか審判やラインズマンが勝手についていた。
「凄いギャラリーじゃないか」
「あれ?つい三分前までは誰も見てなかったのに…」
「と…首席同士の戦いが人気を集める…世の中話題性だな。その2人を入れれば我がサークルも大人気に…。………こいつらアマチュア?」
寄って来た野次馬が、プロかと見紛う程、私達は白熱したラリーを繰り返していた。
夜神月は手を抜くつもりは一切ないらしい。
安心しろ夜神。キラは負けず嫌いだが、キラでなくとも試合に勝ちたいと思うのが大多数だ。
最初こそどこか手探りといった感じで試合を続けていたが、夜神月は途中から吹っ切れたように本気を出してきた。
──ほら…勝ちに来た。打ち込まれた鋭い1球を見て、私は読みが当たった事を知る。
「ゲームカウント4-4」
この頃には、お互い肩で息をしているような状況だった。
最初こそ一人しか観戦している者などいなかったのに、今では煩いほどに沢山のやじ馬の声が聞こえて来る。
「安永先輩!夜神月ってどこかで聞いたことあると思って調べたら…!1999年と2000年の中学生チャンピオンです!中3の時「遊びは中学まで」と宣言し、それっきり何の大会にも出ていません…!」
「中学の全国一位か…どうりで…」
「すげーな…」
「ねーねーじゃあその中学生チャンピオンと五角以上に戦ってる流河くんって何なの?」
「京子あんた…」
「それが流河の資料は何も見つからないんだ…」
「み…認めないぞ…」
「えっ?」
「運動神経抜群の上東大にトップ入学なんて…しかし是非我がサークルには入ってもらおう…」
「……」
喧しい外野の声をシャットダウンして、思考と踏み込む手足に神経を集中させる。
今までお互いキラ事件には触れずに来た。いきなり腹を割ってそんな話をするのもおかしい。
このテニスをした事で、おまえは私がまた一歩踏み込む準備をしたと考える。
私は「キラ事件解決の力になる」と言っておまえに「私がLです」と言った。
おまえはそこを利用するに違いない。おまえはキラ事件の話をするなら先にこっちのキラ事件の捜査状況等を見せ自分をまず信用させろと言ってくるだろう。
おまえがこれから私に要求してくる事は、私がLだと証明する有力な第三者との接見…おまえが私に提案してくる事は──
──捜査本部に連れていく事。
「ゲームセット!ウォンバイ夜神6-4!」
「……さすが夜神くん負けました…」
「僕も久しぶりに本気を出したよ」
ネット越しに握手を交わしていると、歓声と共に「あれ?1セットで終わりか?ちぇっ…」などという野次馬の声が聞こえてくる。
しかしどうでもいい人間の歓声は聞こえてくるというのに、の声は多くの歓声や野次にかき消されて聞えない。
ちらりとフェンスの向こうを見ても、彼女の姿は野次馬に埋もれて見当たらない。
「…?…ああ」
しかし夜神月はどこに彼女がいるのか見つけられているようだ。
夜神月の視線の先を追うと、そこには苗字名前がいた。彼は彼女に向けて、自然な笑顔で手を振っていた。
「夜神くんはさんの事をよく見てるんですね。…よくあの人ごみの中から見つけられましたね。あんなに控えめな位置に立つさんを…」
「が僕の試合を見に来るのは初めてじゃないからね。がどういう所で見るのかの傾向くらい、なんとなくわかるんだよ」
手振るのもそこそこに切り上げて、くるりと私の方へと視線を戻す。
「喉もかわいたし、流河に頼みたい事もあるからこの後お茶しないか?」
「ゲームに負けた事ですし、聞ける事なら聞きましょう」
夜神月がラケットをラケットバックに入れてからコート外へ出ると、人込みの隙間を縫ってが顔を出した。
「おつかれさまっ!」
人形のようだと思ったあの姿は幻だったのかと感じるほど、駆け寄ってきた彼女の表情は豊かで、その瞳は輝いている。
「二人ともすごくかっこよかったよ!私、あんまりテニスのことわからないんだけど…でも、目が離せなかった」
「あんなに何度も僕の応援に来てくれてたのに…はいつになったら覚えてくれるのかな?」
今の夜神月に硬さはなく、ただ無防備な好青年の顔をみせていた。
くすくすと笑う子供っぽい表情に、女子が「きゃーっ」と歓声を上げている。
そんな彼は、更に子供っぽい仕草をした。へ手を差し出したのだ。
「ご褒美をくれ」と無言でアピールしているのだろう。
にこにこと笑って要求する姿は、負けず嫌いな子供の姿そのもの。
「差し入れ」がどうのと私が話した時には、観客は一人しかいなかった。あの時には、コート内の会話も聞こえていたはずた。
は少し困ったような表情をする。
「月くん、……」
「…?どうしたの」
「…………かがんで、くれる?」
「え?……ああ、そういうこと…」
がいきなり言いだした言動の意味がわからなかった。
ここで屈めと言う理由を考えてもわからず、しかし夜神月はすぐに納得したようで、苦笑いをしながら言う通りに首を垂れた。
「おつかれさま」
は満足げな顔をしながら、夜神月の首にタオルをかけた。
そしてそのタオルの両端を掴んで、彼の額や米神を伝う汗を拭ってやっていた。
「きゃーっ!!?」
「いやーっ!わたしもあんな事したーい!されたーい!」
「うぉぉお羨ましすぎんだろーが!!」
「俺が甲子園まで連れてってやっからー!!」
先程の比ではない程の大きな黄色い歓声が上がった。
夜神月の笑顔で女子が騒ぐくらいの事は慣れているのだろう、先程は何も気にした様子もなかった。
しかし今度は多数の女子に加え、男子達の野太い声も合わさり、まるで合唱したように響いた。
はそれに驚いて、肩を跳ねさせていた。何が起こっているのかわからない、と言った様子で辺りを見渡している。
「気にしなくていいから」
「で、でも…」
「みんな試合に興奮してるだけだから。ね?」
夜神月はすぐにの肩に手を置くと、自分に注意を向けさせている。
やはり夜神月は社交的。自分の置かれた状況や、価値を理解しているようだ。
しかしこのやり取りを見ていると、の方はそうではないのだろう。
男子が歓声を上げた理由をわかっていない。
…いや、夜神月が理解させる事を拒んでいる。少しずつ彼等の関係性が見えてきた。
書類や監視カメラを通しただけではわからない、リアルなやり取りでこそ見つけられる機微がある。
「中学生の頃はまだ、背伸びすればタオルかけてあげれたのに…こんなにおっきくなってたんだね。大学生だもんね」
にこにこ笑うが言うと、ふいっと夜神は視線を逸らす。
照れている…という事は、明白だった。しかし夜神月。。どちらに対しても疑念は積もる。
こんなに無邪気ならば、独りの時の無機質さは一体?
負けず嫌いの夜神月。今のやり取りからしても、後先を考えて一つ一つ行動してるとわかる。しかしそんな彼が、という弱みを隠さない。それはフェイクか?
これから先、どう動く?
「…月君、うらやましいです。ステキな幼馴染に応援してもらえるなんて」
「流河くんの事も応援してたよ。はい、これどうぞ。レモネード飲めますか?甘くしました」
「いいんですか?これは勝者へのご褒美のはずなんですが…」
わざとらしく言うと、彼女はクーラーバックから冷えて汗をかいたボトルを取り出して、「これ使い捨てなんんで、飲んだら捨てて大丈夫ですよ」と答えになっていない答えを返す。
しかし彼女ははぐらかした訳ではなく、質問の意図をきちんと理解していた。少し考えてから、困ったようにこう言う。
「えー…、うーん…なんだか、そんな話になってたけど…。…でも、試合って一人でするものじゃない…です、よね?」
「敬語はなしでかまいません。それで?」
「あ、はい、うん…なのに、一人分しか差し入れ用意しない人なんているのかな…?」
「そうですね…世の中のほとんどの人が、一人分の差し入れしか用意しないでしょうね」
「……え?」
彼女は何を言っているのだろう、というのがまず初めに思った事。
そして次に、本気で言っているのだろうか?と思う。
応援に来た身内に渡すのは理解出来るとして、対戦相手にまで渡すその心境はわからない。
ボランティア活動でもしているのだろうか。
わからない、と言った私の反応に、彼女もまた、何故わかってもらえないのかわからない…といった様子で、混乱を引き起こしていた。
そこへ夜神月が仲裁に入り、こう説明をした。
「…流河、はこういう人間だから、あまり変な詮索はしないでくれ。何を聞いても、大抵今みたいに、「え?」って帰ってくるだけだろうから」
「…月くん、私のことバカにしてる…?」
「ほめてるんだよ、気にしないで」
夜神月は爽やかな笑顔で、本気で褒め言葉だと思って言っているようだが…
傍目にはが言った通り、馬鹿にしているようにしか聞こえない。
じっと夜神月の様子をみるも、むくれたをみて笑うのみ。
何かを誤魔化そうとしている気配ない。言葉通りに受け取るなら、はただの天然だというだけだろうが…。
「ちょっと場所を変えよう、さすがに人が集まりすぎた…」
「余計に人を集めたのは、夜神くん達ですけどね」
ここでは落ち着いて飲めないからと、ドリンクをクーラーバックへ一旦しまい、
はタオルを夜神月から受け取り、別のバックへとしまった。
野次馬達は皆、話しかけたそうに口を開いて引き留めようとするも、結局は閉じてしまう。
スポーツ万能頭脳明晰な首席二人がつるんでいる所に割って入る度胸のある者がいないのと、まるでマネージャーのように献身的な美人な彼女が合わさって、誰もが怖気づいている。
…そう。夜神月も、も、容姿端麗なのだ。
そこがまた、私の想像するキラ像に当てはまる。容姿は必ずしも整っていると考えている訳ではない。しかし、恵まれた子供というのが私のプロファイルだ。
自尊心が高く、負けず嫌いで、自分なら世の中を変えられると考えている。
シリアルキラーの中には、過去の不遇な生い立ちや劣等感から犯行に及ぶ場合も多々ある。
しかし正義を気取ったキラに限っては、そうでないだろう。
自尊心は、他者の評価により育まれていくものだ。そうでなければただのナルシズムと変わらない。
夜神月やのように知能が高く、笑っただけで歓声を上げられ、気軽に声をかけられない程の高嶺の花。
それは私の考えるキラ像によく当てはまる。──そんな特別な自分こそが世の中を変えられる。
そういう思考回路に繋がるからだ。
「しかし、お茶をしに行き話を聞く前に、私もひとつ言っておくべき事があります」
「何?」
夜神月は先導するように先を行こうとして、一歩踏み出している。
それを追いかけようとするを視界に入れながら、私は夜神月の背中へ投げかける。
「私は本当は夜神くんと…、…そしてさんのことを…キラじゃないかと疑っているんです。それでも聞ける事なら何でもお聞きします」
「ははっ僕達がキラ?」
「いえ、疑ってると言っても一%くらいです。さんに限っては一%未満くらい…
それよりも夜神くんがキラでない事と素晴らしい推理力を持つ事を確信し、捜査に強力して頂けたらという気持ちです」
爽やかな笑いで受流す夜神月と、「おー…」と奇妙に間延びした声を発する。
夜神月はキラにも見えるし、潔白な青年にも見える。
そしての反応は否定とも肯定とも判断がつかない。
「とにかくキラ事件の事を話すには人が多すぎます、まだ野次馬たちが後をついてきてますし…。…三人になれる場所に移動しましょう」
「ああ、こんなテニスまでしてより目立ってしまったみたいだしね」
「この黄色い悲鳴に関しては、私達のテニスのせいではありませんよ、夜神くん。……そうですよね?さん」
は私がそう問うと、「そ、そうなのかもね…?」と曖昧に、困ったように笑ってた。
──日本人的。ワタリの言葉が過る。完璧に振る舞う夜神月。外見はともかく、凡庸な性格をしてるように見える。
しかし底知れぬ何かを感じるのは、どちらも同じこと。私達は話していた通り、3人で夜神月が進める喫茶店へと足を運んでいった。
5.彼等の記録─高嶺の花達
桜が咲き誇る3月の東応大学内。夜神月に対して、私はとある提案をしていた。
「流河、親睦を深める為にテニスって…僕の実力知ってて言い出したのか?」
「大丈夫です夜神くん、私はイギリスのJr.チャンピオンだった事があります」
夜神月は私の誘いを無下にする事はなく、テニスウェアを纏い、真剣に試合をするために準備を整えてきた。
にも声をかけてあった。それは勿論、彼女自身も観察対象である事は大前提だ。
加えて夜神月が現役のテニスプレーヤーであった中学時代、彼女は熱心に応援に行っていたのだと言う情報が手元にあったからだ。
よって、彼女は誘わなくても応援にきたい、とは思っただろう。…が、"日本人的な"彼女は、
誘わなければ、ここに来なかったと思えたのだ。
はにこにこと笑っていて、とても楽しそうにしている。
「流河はイギリス育ち?」
「イギリスには5年ほど住んでいましたが、安心してください。そこからLの素所が割れる様なことは絶対ありません」
夜神月の態度は社交的ではあるが、のようににこにこ笑い愛想を振りまくことはない。
しかしこれは、夜神月がキラであっても、そうでなくても、当然の反応とも言えた。が特別、万人に対して人当たりがよすぎるのだろう。
「警察庁夜神総一郎局長の息子」「過去に数件の事件へ助言し解決に導き、今キラ事件にも興味を示している」「もし誰にも漏らさないと誓えば、キラ事件に関する重大な事を話す」
「私はLです」
入学式でのこの発言は、我ながら怪しい。個人情報が洩れている事。キラ事件というセンシティブな内容に触れた事。
これだけで、常識のある人間なら警戒して当然だ。
おかしいのは──の反応だろう。彼女はいくら夜神月の応援が楽しみだからと言って、あまりにも無防備すぎる。夜神月同様、私の"怪しい"発言を聞いて驚いていたというのに。これは人当たりがいい、という言葉だけで済ませていいものなのだろうか。
「二人共頑張ってね。まだ春だけど、今日すごく天気がいいから…熱中症になるのもありえなくはないし」
「ありがとうございます、さん。気を付けます」
…二人共、か。普通なら社交辞令と受け取るだろうが、しっかりと私と視線を合わせて笑う彼女から発せられた言葉は、本心のように感じられた。
じっと探るように見つつ、とりあえず礼を言う。
夜神月は、そんなに対して何も返答する事なく、ただ眉を寄せて見つめていた。
不審者に対して用心をしない子供を嗜める大人…のような反応なのだろうか。
探りたい事は山ほどあったが、ここで会話を続ける事も出来ない。
ただ交流を楽しみたくて、彼等を誘った訳ではないのだ。私にも、私なりの目的がある。
フェンスを越えて、夜神月と私はコート内へと踏み入る。
は、フェンス越しに観戦していた。
「では6ゲーム1セットを先取した方が勝ちでいいですね?」
「わかった」
これはあくまで親睦のテニス。キラかどうかの判断材料にはならない。しかしキラは負けず嫌い…
「そして勝った方が、さんの差し入れを手に入れる権利が得られるという訳です」
が、差し入れの準備をしていたのを知っている。私がさらりと言うと、夜神月は一応つけていた社交的という仮面を外して、明らかな敵対意識を向け、険しい表情を隠さなかった。
これは負けず嫌いだからか?それとも…。
「………流河。そんな約束に頷いた覚えはないぞ」
「夜神くんは私に勝つ自信がないという事ですね?」
「……はは、そんなにわざとらしい挑発をしてもだめだよ、流河」
「そうですか、残念です」
夜神月は一応、面白い冗談だと受け取ったというポーズをして、笑顔を張り付けた。
しかしその目は笑っていない。
何かの地雷を踏んだのだ理解した。…幼馴染を引き合いにしたからか?
それほどに大事な存在なのだろうか。夜神局長も、母親達が娘息子を結婚させたがっていると言っていたし、夜神月も満更ではない反応をしていると言っていた。
高校、大学と、同じ学校へ通ってるのも夜神月の要望…。それにも素直に従っている。
「15-0です」
「おいおい流河、いきなり本気かよ」
「先手必勝です」
一気に一点先取すると、夜神月はにこやかに笑った。
彼のにこやかな笑みと、拍手を送って応援しているの様子をみて、考える。
この年頃になってまで、そんなに仲のいい男女の幼馴染の関係を維持できるのだろうか。
男女の友情が成立しないなどと言うつもりはないが、そこに友愛以外の何かがあるのではないかと邪推するのが人間だ。
しかしこの二人が、付き合ってると公言した事はないらしい。
お互い五角の点取り合戦になるにつれ、野次馬が増えいく。
望んでもいないというのに、いつの間にか審判やラインズマンが勝手についていた。
「凄いギャラリーじゃないか」
「あれ?つい三分前までは誰も見てなかったのに…」
「と…首席同士の戦いが人気を集める…世の中話題性だな。その2人を入れれば我がサークルも大人気に…。………こいつらアマチュア?」
寄って来た野次馬が、プロかと見紛う程、私達は白熱したラリーを繰り返していた。
夜神月は手を抜くつもりは一切ないらしい。
安心しろ夜神。キラは負けず嫌いだが、キラでなくとも試合に勝ちたいと思うのが大多数だ。
最初こそどこか手探りといった感じで試合を続けていたが、夜神月は途中から吹っ切れたように本気を出してきた。
──ほら…勝ちに来た。打ち込まれた鋭い1球を見て、私は読みが当たった事を知る。
「ゲームカウント4-4」
この頃には、お互い肩で息をしているような状況だった。
最初こそ一人しか観戦している者などいなかったのに、今では煩いほどに沢山のやじ馬の声が聞こえて来る。
「安永先輩!夜神月ってどこかで聞いたことあると思って調べたら…!1999年と2000年の中学生チャンピオンです!中3の時「遊びは中学まで」と宣言し、それっきり何の大会にも出ていません…!」
「中学の全国一位か…どうりで…」
「すげーな…」
「ねーねーじゃあその中学生チャンピオンと五角以上に戦ってる流河くんって何なの?」
「京子あんた…」
「それが流河の資料は何も見つからないんだ…」
「み…認めないぞ…」
「えっ?」
「運動神経抜群の上東大にトップ入学なんて…しかし是非我がサークルには入ってもらおう…」
「……」
喧しい外野の声をシャットダウンして、思考と踏み込む手足に神経を集中させる。
今までお互いキラ事件には触れずに来た。いきなり腹を割ってそんな話をするのもおかしい。
このテニスをした事で、おまえは私がまた一歩踏み込む準備をしたと考える。
私は「キラ事件解決の力になる」と言っておまえに「私がLです」と言った。
おまえはそこを利用するに違いない。おまえはキラ事件の話をするなら先にこっちのキラ事件の捜査状況等を見せ自分をまず信用させろと言ってくるだろう。
おまえがこれから私に要求してくる事は、私がLだと証明する有力な第三者との接見…おまえが私に提案してくる事は──
──捜査本部に連れていく事。
「ゲームセット!ウォンバイ夜神6-4!」
「……さすが夜神くん負けました…」
「僕も久しぶりに本気を出したよ」
ネット越しに握手を交わしていると、歓声と共に「あれ?1セットで終わりか?ちぇっ…」などという野次馬の声が聞こえてくる。
しかしどうでもいい人間の歓声は聞こえてくるというのに、の声は多くの歓声や野次にかき消されて聞えない。
ちらりとフェンスの向こうを見ても、彼女の姿は野次馬に埋もれて見当たらない。
「…?…ああ」
しかし夜神月はどこに彼女がいるのか見つけられているようだ。
夜神月の視線の先を追うと、そこには苗字名前がいた。彼は彼女に向けて、自然な笑顔で手を振っていた。
「夜神くんはさんの事をよく見てるんですね。…よくあの人ごみの中から見つけられましたね。あんなに控えめな位置に立つさんを…」
「が僕の試合を見に来るのは初めてじゃないからね。がどういう所で見るのかの傾向くらい、なんとなくわかるんだよ」
手振るのもそこそこに切り上げて、くるりと私の方へと視線を戻す。
「喉もかわいたし、流河に頼みたい事もあるからこの後お茶しないか?」
「ゲームに負けた事ですし、聞ける事なら聞きましょう」
夜神月がラケットをラケットバックに入れてからコート外へ出ると、人込みの隙間を縫ってが顔を出した。
「おつかれさまっ!」
人形のようだと思ったあの姿は幻だったのかと感じるほど、駆け寄ってきた彼女の表情は豊かで、その瞳は輝いている。
「二人ともすごくかっこよかったよ!私、あんまりテニスのことわからないんだけど…でも、目が離せなかった」
「あんなに何度も僕の応援に来てくれてたのに…はいつになったら覚えてくれるのかな?」
今の夜神月に硬さはなく、ただ無防備な好青年の顔をみせていた。
くすくすと笑う子供っぽい表情に、女子が「きゃーっ」と歓声を上げている。
そんな彼は、更に子供っぽい仕草をした。へ手を差し出したのだ。
「ご褒美をくれ」と無言でアピールしているのだろう。
にこにこと笑って要求する姿は、負けず嫌いな子供の姿そのもの。
「差し入れ」がどうのと私が話した時には、観客は一人しかいなかった。あの時には、コート内の会話も聞こえていたはずた。
は少し困ったような表情をする。
「月くん、……」
「…?どうしたの」
「…………かがんで、くれる?」
「え?……ああ、そういうこと…」
がいきなり言いだした言動の意味がわからなかった。
ここで屈めと言う理由を考えてもわからず、しかし夜神月はすぐに納得したようで、苦笑いをしながら言う通りに首を垂れた。
「おつかれさま」
は満足げな顔をしながら、夜神月の首にタオルをかけた。
そしてそのタオルの両端を掴んで、彼の額や米神を伝う汗を拭ってやっていた。
「きゃーっ!!?」
「いやーっ!わたしもあんな事したーい!されたーい!」
「うぉぉお羨ましすぎんだろーが!!」
「俺が甲子園まで連れてってやっからー!!」
先程の比ではない程の大きな黄色い歓声が上がった。
夜神月の笑顔で女子が騒ぐくらいの事は慣れているのだろう、先程は何も気にした様子もなかった。
しかし今度は多数の女子に加え、男子達の野太い声も合わさり、まるで合唱したように響いた。
はそれに驚いて、肩を跳ねさせていた。何が起こっているのかわからない、と言った様子で辺りを見渡している。
「気にしなくていいから」
「で、でも…」
「みんな試合に興奮してるだけだから。ね?」
夜神月はすぐにの肩に手を置くと、自分に注意を向けさせている。
やはり夜神月は社交的。自分の置かれた状況や、価値を理解しているようだ。
しかしこのやり取りを見ていると、の方はそうではないのだろう。
男子が歓声を上げた理由をわかっていない。
…いや、夜神月が理解させる事を拒んでいる。少しずつ彼等の関係性が見えてきた。
書類や監視カメラを通しただけではわからない、リアルなやり取りでこそ見つけられる機微がある。
「中学生の頃はまだ、背伸びすればタオルかけてあげれたのに…こんなにおっきくなってたんだね。大学生だもんね」
にこにこ笑うが言うと、ふいっと夜神は視線を逸らす。
照れている…という事は、明白だった。しかし夜神月。。どちらに対しても疑念は積もる。
こんなに無邪気ならば、独りの時の無機質さは一体?
負けず嫌いの夜神月。今のやり取りからしても、後先を考えて一つ一つ行動してるとわかる。しかしそんな彼が、という弱みを隠さない。それはフェイクか?
これから先、どう動く?
「…月君、うらやましいです。ステキな幼馴染に応援してもらえるなんて」
「流河くんの事も応援してたよ。はい、これどうぞ。レモネード飲めますか?甘くしました」
「いいんですか?これは勝者へのご褒美のはずなんですが…」
わざとらしく言うと、彼女はクーラーバックから冷えて汗をかいたボトルを取り出して、「これ使い捨てなんんで、飲んだら捨てて大丈夫ですよ」と答えになっていない答えを返す。
しかし彼女ははぐらかした訳ではなく、質問の意図をきちんと理解していた。少し考えてから、困ったようにこう言う。
「えー…、うーん…なんだか、そんな話になってたけど…。…でも、試合って一人でするものじゃない…です、よね?」
「敬語はなしでかまいません。それで?」
「あ、はい、うん…なのに、一人分しか差し入れ用意しない人なんているのかな…?」
「そうですね…世の中のほとんどの人が、一人分の差し入れしか用意しないでしょうね」
「……え?」
彼女は何を言っているのだろう、というのがまず初めに思った事。
そして次に、本気で言っているのだろうか?と思う。
応援に来た身内に渡すのは理解出来るとして、対戦相手にまで渡すその心境はわからない。
ボランティア活動でもしているのだろうか。
わからない、と言った私の反応に、彼女もまた、何故わかってもらえないのかわからない…といった様子で、混乱を引き起こしていた。
そこへ夜神月が仲裁に入り、こう説明をした。
「…流河、はこういう人間だから、あまり変な詮索はしないでくれ。何を聞いても、大抵今みたいに、「え?」って帰ってくるだけだろうから」
「…月くん、私のことバカにしてる…?」
「ほめてるんだよ、気にしないで」
夜神月は爽やかな笑顔で、本気で褒め言葉だと思って言っているようだが…
傍目にはが言った通り、馬鹿にしているようにしか聞こえない。
じっと夜神月の様子をみるも、むくれたをみて笑うのみ。
何かを誤魔化そうとしている気配ない。言葉通りに受け取るなら、はただの天然だというだけだろうが…。
「ちょっと場所を変えよう、さすがに人が集まりすぎた…」
「余計に人を集めたのは、夜神くん達ですけどね」
ここでは落ち着いて飲めないからと、ドリンクをクーラーバックへ一旦しまい、
はタオルを夜神月から受け取り、別のバックへとしまった。
野次馬達は皆、話しかけたそうに口を開いて引き留めようとするも、結局は閉じてしまう。
スポーツ万能頭脳明晰な首席二人がつるんでいる所に割って入る度胸のある者がいないのと、まるでマネージャーのように献身的な美人な彼女が合わさって、誰もが怖気づいている。
…そう。夜神月も、も、容姿端麗なのだ。
そこがまた、私の想像するキラ像に当てはまる。容姿は必ずしも整っていると考えている訳ではない。しかし、恵まれた子供というのが私のプロファイルだ。
自尊心が高く、負けず嫌いで、自分なら世の中を変えられると考えている。
シリアルキラーの中には、過去の不遇な生い立ちや劣等感から犯行に及ぶ場合も多々ある。
しかし正義を気取ったキラに限っては、そうでないだろう。
自尊心は、他者の評価により育まれていくものだ。そうでなければただのナルシズムと変わらない。
夜神月やのように知能が高く、笑っただけで歓声を上げられ、気軽に声をかけられない程の高嶺の花。
それは私の考えるキラ像によく当てはまる。──そんな特別な自分こそが世の中を変えられる。
そういう思考回路に繋がるからだ。
「しかし、お茶をしに行き話を聞く前に、私もひとつ言っておくべき事があります」
「何?」
夜神月は先導するように先を行こうとして、一歩踏み出している。
それを追いかけようとするを視界に入れながら、私は夜神月の背中へ投げかける。
「私は本当は夜神くんと…、…そしてさんのことを…キラじゃないかと疑っているんです。それでも聞ける事なら何でもお聞きします」
「ははっ僕達がキラ?」
「いえ、疑ってると言っても一%くらいです。さんに限っては一%未満くらい…
それよりも夜神くんがキラでない事と素晴らしい推理力を持つ事を確信し、捜査に強力して頂けたらという気持ちです」
爽やかな笑いで受流す夜神月と、「おー…」と奇妙に間延びした声を発する。
夜神月はキラにも見えるし、潔白な青年にも見える。
そしての反応は否定とも肯定とも判断がつかない。
「とにかくキラ事件の事を話すには人が多すぎます、まだ野次馬たちが後をついてきてますし…。…三人になれる場所に移動しましょう」
「ああ、こんなテニスまでしてより目立ってしまったみたいだしね」
「この黄色い悲鳴に関しては、私達のテニスのせいではありませんよ、夜神くん。……そうですよね?さん」
は私がそう問うと、「そ、そうなのかもね…?」と曖昧に、困ったように笑ってた。
──日本人的。ワタリの言葉が過る。完璧に振る舞う夜神月。外見はともかく、凡庸な性格をしてるように見える。
しかし底知れぬ何かを感じるのは、どちらも同じこと。私達は話していた通り、3人で夜神月が進める喫茶店へと足を運んでいった。