第78話
5.彼等の記録─要注意人物
モニタールームの足元は、ビデオテープや捜査資料で、日に日に荒れていく一方だった。
FBIの写った監視カメラ映像や夜神家・北村家・家の映ったビデオテープの録画は必ず保管してある。
たまに気になった所を見返してもいるので、保管庫などは作らず、モニタールームや本部内に置いてあるのが常だった。
モニターが置かれたテーブルにわずかに空いたスペースに、ティーセットが並べられたトレーをワタリが置いてくれていた。
「竜崎。一昨日のひったくり犯と横領犯の心臓麻痺、あれは私の家族が情報を得てない間に起きた。疑いは晴れたのでは?」
「そうですね…いくらキラが死の時間を操れても、報道を見る前に死の時間を持ってこれるとは考えられませ…──、!また息子さんが帰ってきました!」
「……」
一昨日には一度引っ込めてくれた潔白の主張も、夜神さんはまた持ち出してきた。
しかし私がそうですねと同調した後、すぐ夜神月の帰宅に反応した事からも、今だ私が疑いを抱いたままであるという事は察せられたようで、夜神さんはそれ以上何も言えなかったようだ。
妹の粧裕はリビングのテーブルでお菓子を食べながらテレビを観ていて、夜神月は帰宅してすぐ二階の自室に上がり、勉強を始めるための準備をした。
そして勉強椅子に腰かけると、机の脇に置かれているテレビの電源をリモコンでつけて、ニュースを見始めた。
『ピッキングによる三人の窃盗グループが本日──』
ニュース番組のアナウンサーが、逮捕された犯罪者の名前を読み上げる。画面には、窃盗グループ三人…筋前太、七目丸正一、真字目猛の顔写真も映っている。
面白いほど白だと思った夜神家は、その後ニュースも観る事も増えた。
夜神月は相変わらず真面目に受験勉強を続け、家の娘も同じく自室で勉強に励んでいた。
──相変わらず、彼女がひとり言を口にした事はない。夜神家の人間と話している時のにこやかな様子とは違い、相変わらず機械的だと感じる。
妹の粧裕も、幸子も、月も。一人でいる時であっても、喜怒哀楽を示す。
もちろん、家の母親もだ。雑誌を読んで、興味がある事を見つければ笑い、
上手く服のボタンがとめられなければ苛立ち、「もう!」と口にする。
しかし、は違った。何をしていても、何が起こっても無表情。一人の時は、ただ淡々と日常過ごしている。
やはり──夜神月──そしてその幼馴染には、何かを感じさせられる。
──その二日後。ホテルの一室の捜査本部で、私は捜査員を集めて、テーブルを囲みながらこう話した。
「この五日間の盗聴テープとカメラ映像のビデオを何度も再生し、検証してみました。…結論から言わせてもらいます」
皆、テーブルの紅茶に手をつける事もなく、神妙な面持ちで私の言葉を待っていた。
「北村家、夜神家、そして家の中で怪しい者は…いません」
チョコレートを一粒つまみながら、私は言う。
「カメラと盗聴器は外します」というと、夜神局長がホッとした顔をみせた。
「はあー…結局容疑者はいずか…」
「「レイ=ペンバーの調べていた者」の線はいいと思ったんだけどな……」
「山手線のビデオにも誰も映っていなかったしな…」
「気を抜くな!これで捜査は振り出しに戻った。もう一度気を引き締め直すんだ!」
松田さん、宇生田さん、相沢さんは肩を落とすが、夜神さんが活を入れる。
しかし私はあえて、そこに水を差した。
「勘違いしないでください。映像を観ている限りは怪しい者はいない…という意味です」
「えっ?」
それに一番驚いた反応をしたのは、やはり家族を疑われている夜神局長だ。
つまんだチョコレートを一粒口に含みながら、私は説明する。
「あの中にキラがいたとしても、ボロは出しません。いや、何も出さずに今まで通り犯罪者を葬ってるという事です」
「……では竜崎、やはりキラはあの中にいると」
「……ですから……5%です」
チョコレートを噛み、紅茶の入ったカップの底に沈んだ砂糖をかきまぜつつ。夜神さんの目を見ながら、改めて告げる。
「しかしカメラも駄目となると、もう一人一人取り調べするくらいしか…」
「もしキラがいるなら尋問してる相手を殺しにかかるだろ」
「だから前のL…いや竜崎の様にこっちは顔を見せずに取り調べするんです」
「駄目だ。それでもこっちがキラとして疑っている事を見せてしまうのは危険すぎる」
「確かに、尋問するならある程度の確証を得て、こっちもそれなりの準備をしてからだ」
松田さん、相沢さん、夜神さんが語り合う中、私はティースプーンを混ぜる手を止めず、思考を続けた。
──監視カメラが付いている間にも、キラによる殺人は行われていた。どんな方法で殺人を行っているかはわからないが、仮に念じるだけで人が殺せるとしても…
生身の人間であれば殺しを行う際、挙動や表情に何らかの変化はあっていいはず…
報道されすぐ死んだ犯罪者が何人かいた。その最中でも北村家、夜神家、家の者は皆普通の表情で普通に生活を送っていた。あの中にキラはいない。そう考えるのが普通だろう…
しかし。もしキラがあの中にいるのなら…
──キラの精神は既に神の域に達している。顔色ひとつ変えず、悪人を裁いている。
もはやキラなど存在しない。本当に神の裁きと考えたい程だ…しかしリンド=L=テイラーは犯罪者で通るが、FBI捜査官は裁かれる理由がない。
それすら神の裁きを疑ってかかった冒涜とでも言うのか?
神は気まぐれで人間には理解できないなどとは言わせない。神が人を殺すのに顔と名前が必要なんてふざけている。
これは神の裁きではなく…神の裁きを気取った子供じみた者がいる。
そういう事だ。
キラという大量殺人犯は必ず存在する。そして必ず捕まえる…
……レイ=ペンバーが12月19日までに調べていた者の誰かなのでれば。北村家、夜神家、家の誰か…
しかしこのままカメラを付け続けていても、キラが殺しの兆候や態度を見せるとは思えないし…
カメラの方が先に見つけられてしまうだろう。……どうすればいい?
「自分がキラです」と言ってもらい、殺しを実際にやってもらうのが一番いい。そんな事できるはずが…。
カップをソーサーに置き、振動でゆらゆらと揺れる水面を観ながら考える。
どうやっても、今の状況では実現できない。しかしそれが出来なければ、キラを罪人として捕える事はできない…
普通のやり方…保守的なやり方では炙り出す事ができない。
普通でない事件。普通でない殺し…それを本気で解き明かしたいと思うならば、私も攻める他ないだろう。…普通でないやり方で。
****
1月17日。今日は夜神月、そしてが挑むセンター試験一日目。
──私はその試験会場に足を踏み入れていた。
夜神月とは、想定通り、試験開始の直前になってやってきた。
2人は堂々と席へと向かい、それを促す試験官の方が焦っている。
いくら二次試験ではない、センター試験なのだとはいえ、遅れて入ってきた者は皆一様に慌てて着席しているというのに。
私は彼等を観察するため、先に席についている必要があったため、早めに入室していた。
恐らくは夜神月のペースに合わせただけ。
しかし、夜神月はその高い知能と、大胆不敵な性格から、あえてこのタイミングでの到着を選んだのだと予想できた。
鐘の音を合図に、腕時計を見ながら、試験官が「始め」と言う。
全員が合図と共にペンを持ち、ペンを走らせるのとは逆に、夜神月は用紙をペラリとめくるだけ。
走らせる所か、ペンすら握っていない。斜め後ろの方へ座るをちらりと振り返ると、彼女はさすがに既にペン先を動かしている。しかし、他の者のような前のめりになるような必死さは感じられない。
「そこ…受験番号162番」
試験官が、こちらへ向かって歩き出してくる。162番とは、私の事だ。
どうして試験官が私を認め、カツカツと靴底を鳴らしながら歩いて来るか。その理由はわかっているが、直す気はない。
「ちゃんと座りなさい」
ペンつまんで持ち、ぶらぶらと揺らしながら、私は試験官には目もくれず、二列前に座る夜神月の背中を見つめる。
私は裸足の足の指先を机にひっかけ、そんな私の姿を夜神月が振り返る。
──他のものは、試験に必死で、振り返りもしないのに。
夜神月と私は、確かにこの瞬間、視線を合わせた。そして数秒経ったあと、夜神月は興味を失ったようで、ふっと視線を手元へと戻した。
も、ちらりと顔を上げてこちらを見ていて、私がそんな彼女の方を振り返ると、パッと気まずそうに顔を伏せた。
──高い知能を有しているが故に生まれるその余裕。
"キラ"である素質は十分にあると思えた。しかし=キラであると認定するには早計だ。
──5%。直に夜神月とを視認し、それは揺るがないと確信できただけ、この作戦を実行した意義はあったと思えた。
***
二月。二次試験前期日程が終わり…三月。私と夜神月、そしては、東応大学に合格した。
夜神月と私は、2人揃って新入生代表として、入学式で挨拶する事となる。それは私と夜神月が、揃って満点を叩き出したからに他ならない。
「新入生挨拶。新入生代表、夜神月」
「はい」
司会に名を呼ばれ、堂々とした姿勢、凛とした声で席から立ち上がる。
その様子は、試験の時とは違い、気もそぞろといった風ではない。
これから代表挨拶をする事、周囲の視線がある事を考え、きちんと背筋を伸ばしているに違いない。自分が周囲にどういう風に映るか。それを自覚し、上手く印象操作が出来る人間だ。
「同じく新入生代表、流河旱樹」
「あっはーい」
私も同じく新入生代表として名…いや偽名を呼ばれたが、或る意味気もそぞろといってよかっただろう。
我ながら適当な返事が口から出てきた。
夜神月はこれからの大学生活の基盤を固めるため、将来のためにきちんとしている必要があったのだろうが、私にはそうではない。
「あれ?今年は二人か?」
「流河旱樹ってあのアイドルの?同姓同名だけど」
「まさか。あのアイドルに東大入る学力あるかよ」
「あっ…本当、アイドルの流河とは似ても似つかないや」
全ては夜神月とを観察するため…そのために試験を受け、合格し、こんなに目立つ代表挨拶まで引き受けたのだ。
私の注意は、彼ら二人にしか向かない。
壇上に上がると、ヒソヒソと声を潜めているつもりの学生たちの声が耳に入ってくる。
友達同士がこっそり話し合う程度ではこんな事にはならなかっただろう。
しかし新入生代表が二人という事はとても奇妙な光景だったようで、大勢の学生たちが口を開いている。数が多すぎる囁きが重なれば、それは内緒話にはならない。
「これって入試トップの成績で入ったやつがやるんだよな?」
「今年はトップが2人いたって事だろ…」
「しかも普通同じ点数でも教科で優劣つけないか?」
「数学より英語が点数高いと偉いとか?そんなのあるのか?」
「あの二人全教科満点って噂だよ」
「まじ?やっぱりいるんだ?そういうの…」
夜神月は何も聞こえなかったかのように涼しい顔をして、マイクに向けて慣れた様子で声を発した。
「新たな命がもえいずる春の息吹の中で…この輝かしい日をようやく迎える事ができ…」
夜神月が語る間も、学生らの囁きは止まない。私は自分が"きちんとしていない"事を自覚していたし、それを奇異の目で見られようとそれでよかった。
そして反対に、夜神月は佇まいもルックスも完璧だ。
私達の姿が対照的なのも合わさって、皆強い興味を引かれているようだ。
「あたしは断然右だな〜」
「えええ…京子あんた変…普通左だって…」
「し…しかしあの二人対照的だな…」
「ああ…一人はいかにも温室育ちの秀才って感じ出じだが…もう片方は…野性的というか相当変わってるな…」
「ああいうのを天才肌っていうのか?東大の入学式にあの服装…で挨拶…ナメてるか馬鹿かどっちかだ」
「馬鹿がトップで東大入れるかよ」
「壇上に上がる時見たが靴下も履いてなかった」
「単に貧乏なのかもしれないだろ」
「苦学生かよ!」
私達が語り終えると、内容を一切聞いていなかった学生たちから、形だけの拍手が送られる。
夜神月はそれを解っていながら、綺麗な礼をしていた。
「夜神くん」
「?」
「警察庁夜神総一郎局長の息子さんであり、その父への尊敬と負けないくらいの正義感の持ち主」
壇上から降りる間、私は夜神月の背中へ向かって語り掛ける。
揃って用意されたパイプ椅子へと戻り、着席すると、夜神月の左隣に座るがちらりとこちらを見ていた。
しかしすぐに視線を壇上へと戻し、真面目な顔をしてマイク越しに伝わる話を聞き、背筋を伸ばし入学式を受けていた。
「──そして自らも警察官僚を目指し過去に数件の事件へ助言し解決に導き、今キラ事件にも興味を示している」
夜神月もまた、と同じく、視線を真っすぐ前へと向けてこちらを見もしない。
お喋りをしていた学生たちとは違い、その真面目さが二人に共通している部分だろう。
「その正義感と手腕を信じて、もし誰にも漏らさないと誓って頂ければ、キラ事件に関する重大な事をお話したいと思っています」
夜神月はそこまで言ってやっと、ちらりと右隣へ座る私に視線だけをやった。
しかしはぎょっとした顔をして、目を丸くして私の方をみている。
"キラ事件に関する重大な話"を、"今この場"で。"私が"しようとしている事に驚いているのだろう。
夜神月は興味なさそうな素振りしているが、私の事を怪しんでいるのか、平静を保とうとしているだけか──
「…誰にも言わないよ。何?」
その声色は、いつも優しい優等生のものではなく、硬い。強い警戒心が宿ってる。しかし、露骨なものではない。これは私が夜神月の情報を入手してあり、監視カメラ越しに観察を続けていたからわかるものだった。
「──わたしはLです」
私は夜神月と同じように、視線だけを彼にやっている状態だった。
しかし、Lと名乗った瞬間、彼の方へと顔を動かしたのは、わざとだった。
それを聞いた時の彼の感情の起伏を見逃さないように──動揺を見落とさないように。
加えて、「見られている」という圧をかけ、ボロを出す事を期待して。
もし彼がキラであったなら──顔色一つ変えずに殺人を行うものだ。これくらいの圧で顔色を変えるとは思えないが、やって無駄なことはない。
には効果があったようで、目を丸くしながら、ぽかんと口を開けていた。
そしてすぐに口元を両手で覆う仕草をした。
一連の驚愕や仕草が演技だとしたら、わざとらしすぎる。それをするくらいなら、他のものと同じように聞き耳を立てて、素知らぬ顔をしている方が利口だ。
…これがの素?だとしたら、私の考えるキラ像には"釣り合わない"。
視線を壇上へと戻しながらも、難しい顔をしている横顔が、夜神月越しに見えた。
夜神月は依然、動揺を見せる事もなく、私と同じようにくるりと振り返り、冷静にこう話した。
「もしあなたがそうなら、僕の尊敬する、憧れの人です」
「どうも…名乗ったのは、キラ事件解決の力になって頂けるかもしれないと思ったからです」
夜神月…キラである可能性は5%未満…しかしあの中では一番何かを感じさせた…
おまえは完璧すぎる。そしてもしおまえがキラであれば、これ以上のプレッシャーはないだろう…
私は再び膝を抱え、視線を前方へと戻し、そこからはお互い何も喋らなかった。
夜神月とも同じくだ。二人共、真面目な優等生。そういった印象を受ける。
実際そうなのだろう。
しかしシリアルキラーやサイコパスというのは社交性や知能が高く、勤勉に装うケースも多々ある。
私はそれが素であるのか、本性を隠した装いであるのか。見極めるために顔を晒し、リスクを背負ってここへやってきたのだ。
***
「夜神くん──さん」
「……」
「……え?なに…?」
私は自然にワタリを呼んで、キャンパスの前にリムジンを寄こしていた。
それに乗るよりも前に、隣合って歩いている男女に声をかけた。
夜神月はどこか硬い表情で無言だったが、は名を呼ばれて、パッと顔を上げた。
警戒をしている夜神月とは反対にの反応は酷く無防備だ。
自分の名前を呼んだのが、新入生代表の「流河旱樹」「Lと名乗った人」と分かると、
またパッと口元を覆っていた。…わざわざ、こんな演技をする理由。…そんな理由は見つからない。だとしたら、素か…しかし判断するにはまだ早い。
「今日はどうも…」
「…いえ、こちらこそ…」
「さんとは今日はお話できませんでしたが…また今度、キャンパスで」
「あ…そうだね…よろしく」
「あ、はい…また今度…?」
夜神月の返した挨拶は、やはり固く、しかし何を考えているのかを見透かさない平静さを保っていた。
しかしの方は単純だ。
何故こんな風に話しかけられているのかわからない、けれど挨拶されたからには挨拶を…
そういう思考回路が透けて見えた。小さく手を振ってすらいる。
監視カメラでみた人形のような姿とは真反対の、人間臭い姿だ。の方もまた、一筋縄ではいかない人間だと思った。
類は友を呼ぶと呼ぶのだろうか。仲がいいと言うからには、似た性質を持つのか。
だとしたらやはり──脳裏を過るのは、"共謀"の二文字。
私はそこで車に乗り込み、ドアを閉めた。ワタリはすぐに車を発進させて、拠点へしているホテルへと向かった。
ミラーに映るは、律義に頭を下げて去って行く姿を見送っていた。
「…あの反応。恭しいといえばいいんでしょうか」
「日本人らしいと思いますよ」
「つまり、凡庸という事ですね」
「そうとも言えますね。一般的な枠の中に留まった反応かと」
ワタリは私が何を指して言っているのかすぐに察して、の事を日本人らしいと称した。
つまり、大多数の日本人と同じ反応。凡庸。であれば、私の中にあるキラ像とはかけ離れる。
それすら演技である可能性──。…あり得ない、とは言えない。
人と接する時は感情豊かで凡庸であるというのに、一人でいるときの、あのごっそりと感情が抜け落ちた姿…ひとり言すら漏らさないあの様子。
監視カメラで人を監視したのは初めての事ではない。だからこそ、あれが異常であるという事がよく解り、脳裏に焼き付いて離れない。
夜神月は当然、もまた、この時の私の中では、要注意人物の一人として数えられていた。
5.彼等の記録─要注意人物
モニタールームの足元は、ビデオテープや捜査資料で、日に日に荒れていく一方だった。
FBIの写った監視カメラ映像や夜神家・北村家・家の映ったビデオテープの録画は必ず保管してある。
たまに気になった所を見返してもいるので、保管庫などは作らず、モニタールームや本部内に置いてあるのが常だった。
モニターが置かれたテーブルにわずかに空いたスペースに、ティーセットが並べられたトレーをワタリが置いてくれていた。
「竜崎。一昨日のひったくり犯と横領犯の心臓麻痺、あれは私の家族が情報を得てない間に起きた。疑いは晴れたのでは?」
「そうですね…いくらキラが死の時間を操れても、報道を見る前に死の時間を持ってこれるとは考えられませ…──、!また息子さんが帰ってきました!」
「……」
一昨日には一度引っ込めてくれた潔白の主張も、夜神さんはまた持ち出してきた。
しかし私がそうですねと同調した後、すぐ夜神月の帰宅に反応した事からも、今だ私が疑いを抱いたままであるという事は察せられたようで、夜神さんはそれ以上何も言えなかったようだ。
妹の粧裕はリビングのテーブルでお菓子を食べながらテレビを観ていて、夜神月は帰宅してすぐ二階の自室に上がり、勉強を始めるための準備をした。
そして勉強椅子に腰かけると、机の脇に置かれているテレビの電源をリモコンでつけて、ニュースを見始めた。
『ピッキングによる三人の窃盗グループが本日──』
ニュース番組のアナウンサーが、逮捕された犯罪者の名前を読み上げる。画面には、窃盗グループ三人…筋前太、七目丸正一、真字目猛の顔写真も映っている。
面白いほど白だと思った夜神家は、その後ニュースも観る事も増えた。
夜神月は相変わらず真面目に受験勉強を続け、家の娘も同じく自室で勉強に励んでいた。
──相変わらず、彼女がひとり言を口にした事はない。夜神家の人間と話している時のにこやかな様子とは違い、相変わらず機械的だと感じる。
妹の粧裕も、幸子も、月も。一人でいる時であっても、喜怒哀楽を示す。
もちろん、家の母親もだ。雑誌を読んで、興味がある事を見つければ笑い、
上手く服のボタンがとめられなければ苛立ち、「もう!」と口にする。
しかし、は違った。何をしていても、何が起こっても無表情。一人の時は、ただ淡々と日常過ごしている。
やはり──夜神月──そしてその幼馴染には、何かを感じさせられる。
──その二日後。ホテルの一室の捜査本部で、私は捜査員を集めて、テーブルを囲みながらこう話した。
「この五日間の盗聴テープとカメラ映像のビデオを何度も再生し、検証してみました。…結論から言わせてもらいます」
皆、テーブルの紅茶に手をつける事もなく、神妙な面持ちで私の言葉を待っていた。
「北村家、夜神家、そして家の中で怪しい者は…いません」
チョコレートを一粒つまみながら、私は言う。
「カメラと盗聴器は外します」というと、夜神局長がホッとした顔をみせた。
「はあー…結局容疑者はいずか…」
「「レイ=ペンバーの調べていた者」の線はいいと思ったんだけどな……」
「山手線のビデオにも誰も映っていなかったしな…」
「気を抜くな!これで捜査は振り出しに戻った。もう一度気を引き締め直すんだ!」
松田さん、宇生田さん、相沢さんは肩を落とすが、夜神さんが活を入れる。
しかし私はあえて、そこに水を差した。
「勘違いしないでください。映像を観ている限りは怪しい者はいない…という意味です」
「えっ?」
それに一番驚いた反応をしたのは、やはり家族を疑われている夜神局長だ。
つまんだチョコレートを一粒口に含みながら、私は説明する。
「あの中にキラがいたとしても、ボロは出しません。いや、何も出さずに今まで通り犯罪者を葬ってるという事です」
「……では竜崎、やはりキラはあの中にいると」
「……ですから……5%です」
チョコレートを噛み、紅茶の入ったカップの底に沈んだ砂糖をかきまぜつつ。夜神さんの目を見ながら、改めて告げる。
「しかしカメラも駄目となると、もう一人一人取り調べするくらいしか…」
「もしキラがいるなら尋問してる相手を殺しにかかるだろ」
「だから前のL…いや竜崎の様にこっちは顔を見せずに取り調べするんです」
「駄目だ。それでもこっちがキラとして疑っている事を見せてしまうのは危険すぎる」
「確かに、尋問するならある程度の確証を得て、こっちもそれなりの準備をしてからだ」
松田さん、相沢さん、夜神さんが語り合う中、私はティースプーンを混ぜる手を止めず、思考を続けた。
──監視カメラが付いている間にも、キラによる殺人は行われていた。どんな方法で殺人を行っているかはわからないが、仮に念じるだけで人が殺せるとしても…
生身の人間であれば殺しを行う際、挙動や表情に何らかの変化はあっていいはず…
報道されすぐ死んだ犯罪者が何人かいた。その最中でも北村家、夜神家、家の者は皆普通の表情で普通に生活を送っていた。あの中にキラはいない。そう考えるのが普通だろう…
しかし。もしキラがあの中にいるのなら…
──キラの精神は既に神の域に達している。顔色ひとつ変えず、悪人を裁いている。
もはやキラなど存在しない。本当に神の裁きと考えたい程だ…しかしリンド=L=テイラーは犯罪者で通るが、FBI捜査官は裁かれる理由がない。
それすら神の裁きを疑ってかかった冒涜とでも言うのか?
神は気まぐれで人間には理解できないなどとは言わせない。神が人を殺すのに顔と名前が必要なんてふざけている。
これは神の裁きではなく…神の裁きを気取った子供じみた者がいる。
そういう事だ。
キラという大量殺人犯は必ず存在する。そして必ず捕まえる…
……レイ=ペンバーが12月19日までに調べていた者の誰かなのでれば。北村家、夜神家、家の誰か…
しかしこのままカメラを付け続けていても、キラが殺しの兆候や態度を見せるとは思えないし…
カメラの方が先に見つけられてしまうだろう。……どうすればいい?
「自分がキラです」と言ってもらい、殺しを実際にやってもらうのが一番いい。そんな事できるはずが…。
カップをソーサーに置き、振動でゆらゆらと揺れる水面を観ながら考える。
どうやっても、今の状況では実現できない。しかしそれが出来なければ、キラを罪人として捕える事はできない…
普通のやり方…保守的なやり方では炙り出す事ができない。
普通でない事件。普通でない殺し…それを本気で解き明かしたいと思うならば、私も攻める他ないだろう。…普通でないやり方で。
****
1月17日。今日は夜神月、そしてが挑むセンター試験一日目。
──私はその試験会場に足を踏み入れていた。
夜神月とは、想定通り、試験開始の直前になってやってきた。
2人は堂々と席へと向かい、それを促す試験官の方が焦っている。
いくら二次試験ではない、センター試験なのだとはいえ、遅れて入ってきた者は皆一様に慌てて着席しているというのに。
私は彼等を観察するため、先に席についている必要があったため、早めに入室していた。
恐らくは夜神月のペースに合わせただけ。
しかし、夜神月はその高い知能と、大胆不敵な性格から、あえてこのタイミングでの到着を選んだのだと予想できた。
鐘の音を合図に、腕時計を見ながら、試験官が「始め」と言う。
全員が合図と共にペンを持ち、ペンを走らせるのとは逆に、夜神月は用紙をペラリとめくるだけ。
走らせる所か、ペンすら握っていない。斜め後ろの方へ座るをちらりと振り返ると、彼女はさすがに既にペン先を動かしている。しかし、他の者のような前のめりになるような必死さは感じられない。
「そこ…受験番号162番」
試験官が、こちらへ向かって歩き出してくる。162番とは、私の事だ。
どうして試験官が私を認め、カツカツと靴底を鳴らしながら歩いて来るか。その理由はわかっているが、直す気はない。
「ちゃんと座りなさい」
ペンつまんで持ち、ぶらぶらと揺らしながら、私は試験官には目もくれず、二列前に座る夜神月の背中を見つめる。
私は裸足の足の指先を机にひっかけ、そんな私の姿を夜神月が振り返る。
──他のものは、試験に必死で、振り返りもしないのに。
夜神月と私は、確かにこの瞬間、視線を合わせた。そして数秒経ったあと、夜神月は興味を失ったようで、ふっと視線を手元へと戻した。
も、ちらりと顔を上げてこちらを見ていて、私がそんな彼女の方を振り返ると、パッと気まずそうに顔を伏せた。
──高い知能を有しているが故に生まれるその余裕。
"キラ"である素質は十分にあると思えた。しかし=キラであると認定するには早計だ。
──5%。直に夜神月とを視認し、それは揺るがないと確信できただけ、この作戦を実行した意義はあったと思えた。
***
二月。二次試験前期日程が終わり…三月。私と夜神月、そしては、東応大学に合格した。
夜神月と私は、2人揃って新入生代表として、入学式で挨拶する事となる。それは私と夜神月が、揃って満点を叩き出したからに他ならない。
「新入生挨拶。新入生代表、夜神月」
「はい」
司会に名を呼ばれ、堂々とした姿勢、凛とした声で席から立ち上がる。
その様子は、試験の時とは違い、気もそぞろといった風ではない。
これから代表挨拶をする事、周囲の視線がある事を考え、きちんと背筋を伸ばしているに違いない。自分が周囲にどういう風に映るか。それを自覚し、上手く印象操作が出来る人間だ。
「同じく新入生代表、流河旱樹」
「あっはーい」
私も同じく新入生代表として名…いや偽名を呼ばれたが、或る意味気もそぞろといってよかっただろう。
我ながら適当な返事が口から出てきた。
夜神月はこれからの大学生活の基盤を固めるため、将来のためにきちんとしている必要があったのだろうが、私にはそうではない。
「あれ?今年は二人か?」
「流河旱樹ってあのアイドルの?同姓同名だけど」
「まさか。あのアイドルに東大入る学力あるかよ」
「あっ…本当、アイドルの流河とは似ても似つかないや」
全ては夜神月とを観察するため…そのために試験を受け、合格し、こんなに目立つ代表挨拶まで引き受けたのだ。
私の注意は、彼ら二人にしか向かない。
壇上に上がると、ヒソヒソと声を潜めているつもりの学生たちの声が耳に入ってくる。
友達同士がこっそり話し合う程度ではこんな事にはならなかっただろう。
しかし新入生代表が二人という事はとても奇妙な光景だったようで、大勢の学生たちが口を開いている。数が多すぎる囁きが重なれば、それは内緒話にはならない。
「これって入試トップの成績で入ったやつがやるんだよな?」
「今年はトップが2人いたって事だろ…」
「しかも普通同じ点数でも教科で優劣つけないか?」
「数学より英語が点数高いと偉いとか?そんなのあるのか?」
「あの二人全教科満点って噂だよ」
「まじ?やっぱりいるんだ?そういうの…」
夜神月は何も聞こえなかったかのように涼しい顔をして、マイクに向けて慣れた様子で声を発した。
「新たな命がもえいずる春の息吹の中で…この輝かしい日をようやく迎える事ができ…」
夜神月が語る間も、学生らの囁きは止まない。私は自分が"きちんとしていない"事を自覚していたし、それを奇異の目で見られようとそれでよかった。
そして反対に、夜神月は佇まいもルックスも完璧だ。
私達の姿が対照的なのも合わさって、皆強い興味を引かれているようだ。
「あたしは断然右だな〜」
「えええ…京子あんた変…普通左だって…」
「し…しかしあの二人対照的だな…」
「ああ…一人はいかにも温室育ちの秀才って感じ出じだが…もう片方は…野性的というか相当変わってるな…」
「ああいうのを天才肌っていうのか?東大の入学式にあの服装…で挨拶…ナメてるか馬鹿かどっちかだ」
「馬鹿がトップで東大入れるかよ」
「壇上に上がる時見たが靴下も履いてなかった」
「単に貧乏なのかもしれないだろ」
「苦学生かよ!」
私達が語り終えると、内容を一切聞いていなかった学生たちから、形だけの拍手が送られる。
夜神月はそれを解っていながら、綺麗な礼をしていた。
「夜神くん」
「?」
「警察庁夜神総一郎局長の息子さんであり、その父への尊敬と負けないくらいの正義感の持ち主」
壇上から降りる間、私は夜神月の背中へ向かって語り掛ける。
揃って用意されたパイプ椅子へと戻り、着席すると、夜神月の左隣に座るがちらりとこちらを見ていた。
しかしすぐに視線を壇上へと戻し、真面目な顔をしてマイク越しに伝わる話を聞き、背筋を伸ばし入学式を受けていた。
「──そして自らも警察官僚を目指し過去に数件の事件へ助言し解決に導き、今キラ事件にも興味を示している」
夜神月もまた、と同じく、視線を真っすぐ前へと向けてこちらを見もしない。
お喋りをしていた学生たちとは違い、その真面目さが二人に共通している部分だろう。
「その正義感と手腕を信じて、もし誰にも漏らさないと誓って頂ければ、キラ事件に関する重大な事をお話したいと思っています」
夜神月はそこまで言ってやっと、ちらりと右隣へ座る私に視線だけをやった。
しかしはぎょっとした顔をして、目を丸くして私の方をみている。
"キラ事件に関する重大な話"を、"今この場"で。"私が"しようとしている事に驚いているのだろう。
夜神月は興味なさそうな素振りしているが、私の事を怪しんでいるのか、平静を保とうとしているだけか──
「…誰にも言わないよ。何?」
その声色は、いつも優しい優等生のものではなく、硬い。強い警戒心が宿ってる。しかし、露骨なものではない。これは私が夜神月の情報を入手してあり、監視カメラ越しに観察を続けていたからわかるものだった。
「──わたしはLです」
私は夜神月と同じように、視線だけを彼にやっている状態だった。
しかし、Lと名乗った瞬間、彼の方へと顔を動かしたのは、わざとだった。
それを聞いた時の彼の感情の起伏を見逃さないように──動揺を見落とさないように。
加えて、「見られている」という圧をかけ、ボロを出す事を期待して。
もし彼がキラであったなら──顔色一つ変えずに殺人を行うものだ。これくらいの圧で顔色を変えるとは思えないが、やって無駄なことはない。
には効果があったようで、目を丸くしながら、ぽかんと口を開けていた。
そしてすぐに口元を両手で覆う仕草をした。
一連の驚愕や仕草が演技だとしたら、わざとらしすぎる。それをするくらいなら、他のものと同じように聞き耳を立てて、素知らぬ顔をしている方が利口だ。
…これがの素?だとしたら、私の考えるキラ像には"釣り合わない"。
視線を壇上へと戻しながらも、難しい顔をしている横顔が、夜神月越しに見えた。
夜神月は依然、動揺を見せる事もなく、私と同じようにくるりと振り返り、冷静にこう話した。
「もしあなたがそうなら、僕の尊敬する、憧れの人です」
「どうも…名乗ったのは、キラ事件解決の力になって頂けるかもしれないと思ったからです」
夜神月…キラである可能性は5%未満…しかしあの中では一番何かを感じさせた…
おまえは完璧すぎる。そしてもしおまえがキラであれば、これ以上のプレッシャーはないだろう…
私は再び膝を抱え、視線を前方へと戻し、そこからはお互い何も喋らなかった。
夜神月とも同じくだ。二人共、真面目な優等生。そういった印象を受ける。
実際そうなのだろう。
しかしシリアルキラーやサイコパスというのは社交性や知能が高く、勤勉に装うケースも多々ある。
私はそれが素であるのか、本性を隠した装いであるのか。見極めるために顔を晒し、リスクを背負ってここへやってきたのだ。
***
「夜神くん──さん」
「……」
「……え?なに…?」
私は自然にワタリを呼んで、キャンパスの前にリムジンを寄こしていた。
それに乗るよりも前に、隣合って歩いている男女に声をかけた。
夜神月はどこか硬い表情で無言だったが、は名を呼ばれて、パッと顔を上げた。
警戒をしている夜神月とは反対にの反応は酷く無防備だ。
自分の名前を呼んだのが、新入生代表の「流河旱樹」「Lと名乗った人」と分かると、
またパッと口元を覆っていた。…わざわざ、こんな演技をする理由。…そんな理由は見つからない。だとしたら、素か…しかし判断するにはまだ早い。
「今日はどうも…」
「…いえ、こちらこそ…」
「さんとは今日はお話できませんでしたが…また今度、キャンパスで」
「あ…そうだね…よろしく」
「あ、はい…また今度…?」
夜神月の返した挨拶は、やはり固く、しかし何を考えているのかを見透かさない平静さを保っていた。
しかしの方は単純だ。
何故こんな風に話しかけられているのかわからない、けれど挨拶されたからには挨拶を…
そういう思考回路が透けて見えた。小さく手を振ってすらいる。
監視カメラでみた人形のような姿とは真反対の、人間臭い姿だ。の方もまた、一筋縄ではいかない人間だと思った。
類は友を呼ぶと呼ぶのだろうか。仲がいいと言うからには、似た性質を持つのか。
だとしたらやはり──脳裏を過るのは、"共謀"の二文字。
私はそこで車に乗り込み、ドアを閉めた。ワタリはすぐに車を発進させて、拠点へしているホテルへと向かった。
ミラーに映るは、律義に頭を下げて去って行く姿を見送っていた。
「…あの反応。恭しいといえばいいんでしょうか」
「日本人らしいと思いますよ」
「つまり、凡庸という事ですね」
「そうとも言えますね。一般的な枠の中に留まった反応かと」
ワタリは私が何を指して言っているのかすぐに察して、の事を日本人らしいと称した。
つまり、大多数の日本人と同じ反応。凡庸。であれば、私の中にあるキラ像とはかけ離れる。
それすら演技である可能性──。…あり得ない、とは言えない。
人と接する時は感情豊かで凡庸であるというのに、一人でいるときの、あのごっそりと感情が抜け落ちた姿…ひとり言すら漏らさないあの様子。
監視カメラで人を監視したのは初めての事ではない。だからこそ、あれが異常であるという事がよく解り、脳裏に焼き付いて離れない。
夜神月は当然、もまた、この時の私の中では、要注意人物の一人として数えられていた。