第75話
4.舞台裏天命

エレベーターが止まる音がした。
一拍あけて、本部の入り口からひょっこりと名前が顔を出す。
前々から、捜査員ではないミサと名前は、この部屋へと軽々しく足を運んだりはしない。
特に火口が死に、レムとノートをこの本部へ連れてきてからというもの、捜査員たちはミサとを出来るだけこの部屋に近づけない様にしていた。
しかし、ノートに触れなければレムの事はみえないのだ。
足を踏み入れる訳でもなく、一瞬顔を出した程度の事では、目くじらを立てなかった。


「…──それじゃあ、荷物もまとめたし。私、もう出るね」


時刻は午前7時半時。元からミサとは今日、自宅へと帰る予定ではあった。
しかしこんなに早く出るというのは、予想外だった。
昨夜のうちに全て荷物をまめて、朝起きて、身支度をして、その足で帰ろうとしているのだろう。
よっぽどこのビルに居るのが嫌なのだろうと思った。このビルは新築で、立地もよく広い。
その上ワンフロア丸ごと与えられているのだ。中々いい部屋に住んでると軽く自慢できるくらいだし。
しかし、その代償として監視される事になるというのなら、にとっていい部屋とは呼べないのだろう。


「皆さん。今までお世話になりました」


事前に、大事な捜査をしているから、出来るだけ近寄らないように…と言われていた通り、は入り口から一歩も足を踏み出さなかった。
その代わり、其の場で深々と頭を下げ、別れの挨拶をする。

「……他の方々はともかくとして…月くんとの別れが寂しくないんですか?」

いつも通り竜崎は椅子に座りつつ、に疑問をぶつけた。
そして椅子の上に立ち上がると、床に降りて、ぺたぺたとの方へと近寄っていく。
そしていつもの癖を発動させて、ずいっと顔を近づけながらを観察していた。

「月くんは捜査のために、本部に暫く留まるそうです。今までのように、"お向かいさんの幼馴染"として、大学に戻ることは暫くありませんよ」
「ああ…そういうこと」


は竜崎が何を言いたいのか理解したようだったけれど、その問いに対して返答するよりも先に、やんわりと竜崎を遠ざけようとした。


「…竜崎くんちょっと近いかな」
「そうでしたか?」
「そうでした。わざとやってるのかと思ってたけど、無意識だったんだね」

竜崎の肩を優しく押しながら、は笑っていた。
僕は竜崎の癖をいくつも知ってる。椅子を下りる時の仕草とか、物を持つ時の手付きとか。
推理をする時は手遊びをする癖があるとか。
それと、今みたいに人に顔を近づける癖も。
他の癖などどうでもいいが、その癖だけは度し難い。
竜崎の後ろに立つ僕が苛立っているのが見えたのか、は困ったような笑みを浮かべた。

「それでも、永遠の別れってわけじゃないんだし…捜査も大きな進展があったんでしょう?いいことだと思う」
「…そうですね」
「別れがたいっていう話なら…、私は竜崎くんとさよならする方が寂しいかな。本部の皆や月くんにはいずれ会えるかもしれないけど…。…でも、竜崎くんは簡単に会えるような人じゃないんでしょう?」

は言いながら、くすくすと笑う。は疑いようもなく──竜崎との別れを惜しんでいた。
誤認確保で監禁した張本人であるのに、恨み事の1つも零さずに。
の中では、竜崎との間に亀裂が入ったなどとは、微塵も考えていないのだろう。
ただ単純に、"親しい人"との別れを惜しんでいる。

竜崎の性格では、格別それを喜ぶはずもないとわかっていた。しかし微妙な表情を浮かべている理由はわからない。
その訳は、次に口から零れた言葉で、すぐに理解させられた。

「そういう事を言わないでください。私は夜神くんに恨まれたくはありません」
「……竜崎。僕はこれくらいで妬く程狭量な男じゃないぞ」
「どうでしょう。鏡で自分の顔を見てから言ってみてください」


はミサと竜崎の掛け合いも好きだったし、僕と竜崎が言い合うのを見るのも好きだ。
喧嘩するほど仲がいいと思っている節がある。
くすくすとおかしそうに無邪気に笑って、一息つくと、満面の笑みでこう言った


「色々あったけど…楽しかったよ。今までありがとう…。……ばいばい、竜崎くん」

の言った通り、今後会えなくなるのは竜崎だけ。
他の人間とは、会おうと思えば会える。だからは、主に竜崎に向けて、別れの挨拶を繰り返した。
しかしは竜崎に笑いかけ、手を振って、背を向けると──
もう一度も振り返る事はなかった。
別れを名残惜しいと口では言いながら、潔い最期だった。何の未練も残さないまま、スッパリとこの本部から離れていったのだった。


***

結局、ミサが荷物をまとめ終わり、エントランスまで降りたのは、午後になってからの事だった。
仮住まいとはいえ、何カ月もここで暮らしてきたのだ。荷物をまとめるのに時間がかかるのは当然だ。起きて早々自宅に帰ったの方が珍しいだろう。

「ライト…」


ボストンバッグと大きな紙袋を手にしたミサは、潤んだ瞳で僕を見上げていた。


「あーっついにミサミサともお別れか…」
「テレビでも見れるし、月くんとも繋がっているんだ。そんなに悲しむな松田」
「何故竜崎だけ部屋から出てこないんだ?」

別れを惜しむ松田さんを相沢さんが宥め、父さんは姿を見せない竜崎に呆れていた。

「…っライト」


ミサは荷物から手を離すと、思わず、といった様子で僕に抱き着いてきた。
いつもであれば、僕は突き放していただろう。
しかし今は感動的な「別れ」の瞬間だ。恋人がいる男である僕でも、それを拒否せず受け止める事は自然なことだった。

「本当に会いに来てね…っ」
「おい松田、2人きりに…」

相沢さんたちは気を利かせて、僕とミサを2人きりにした。
このエントランスも当然監視カメラがついていて、今も竜崎は本部のモニターにかじりつき、僕らを監視しているのだろう。
しかし、この角度なら監視カメラで観られていたとしても、僕の口は映らない。耳元で小声なら、マイクを拾えない。外まで送っていく必要もなさそうだ。

「──ミサ。今から言う場所に埋めてあるものを、絶対誰にも見られてない時に一人で掘り出してくれ」

僕がミサの耳元で小声で言うと、ミサは小さくこくりと頷いた。


僕は木の根元に埋めたデスノートと共に、ミサあてに手紙を残していた。
内容はこうだ。

「海砂。君がこの手紙を読む時には、全てを思い出しているはずだ。東応大学に君が来た時に会った、流河旱樹と名乗ったが、君に見えていた名前は違っていた。僕の友人を覚えているか?彼の本名をこのノートに書き葬って欲しい。しかしこの手紙を見てすぐ葬ったのでは、おそらく僕と海砂が自由になってすぐという事になってしまう。葬る時は僕が指示を出す。そしてこの手紙はすぐに燃やし、ノートも何時でもすぐ処分できるだけの数ページを隠し持ち、ノート自体はまたしばらく埋めておく様に。それと次に僕に会った時、ノートの切れ端を自然に触れさせてくれ。これに従ってくれたら僕は弥海砂を、敬愛する。」

今頃ミサはノートを掘り起し、全てを思い出し、リュークと再会している頃だろう。
そしての方も、いつも通りの日常を取り戻して、のんびりとしているはずだ。
計画通りにミサを誘導できた事よりも、が心安らかに平穏にすごしているという事実の方が、僕を喜ばせた。


***

──ミサとがここを去ってから数日後のこと。
模木さん、相沢さん、松田さんはデスクに座り、モニターと対峙していた。僕はその背後から、こう声をかけた。


「まず事故死についてはキラが現れてから関東の全て、病死は若くして急病で亡くなった者、それらを地域や職種、あらゆる観点から偏りがないか調べていく…」
「ひいーっ」
「松田、そんな声を出すな。他にもノートが存在していたらそういう所からあたるしかない」

僕が徹底的に洗うと言うと、松田さんが悲鳴を上げた。模木さんのように地道な作業が得意という訳ではないので、苦痛なのだろう。
相沢さんがそれを宥める傍らで、竜崎はソファーに座り、ローテーブルを挟んで死神、レムと対面していた。

「じゃあ火口にノートを渡す前は死神界からたまに人間界を見ていたって事ですか?」
「…ああ、そうだ…」
「じゃあ何故火口にノートを渡したんですか?」
「渡したのではなく、落としたのをたまたま火口が…」

竜崎はソフトクリームを片手に、相変わらずレムを質問攻めに合わせていた。
ミサはもうノートを掘り起し、記憶を取り戻し…
流河旱樹の本名を思い出していれば、もう竜崎を何時でも殺せる…
そして…もし名前を思い出せなくても。ミサなら僕の力になろうとリュークと目の取引をしている…その取引はすぐに役に立つ!


それぞれが捜査を進めている、そんな時のことだった
ピーッという電子音が鳴り響き、「あっミサミサだ」と松田さんが声を上げた。

モニターには、エントランスで立ちすくんでいるミサが映し出されていた。

「かわいそうに…月くんここじゃ携帯の電源も入れられないから、ミサミサの方から尋ねてくるしかないんだ」
「月。早く行ってあげなさい…女性を待たすものではない」
「ああ」

僕は踵を返し、エントランスへ向かうべく、エレベーターの方へと向かった。
そしてちらりとモニターを見るレムを一瞥する。
レムは驚愕したように一瞬目を見開いたが、しかしすぐに平常に戻ったのが見えた。

「…?」

僕の予想していたのとは違う反応をレムが取った事で、僕は一抹の不安を覚えた。
捜査員たちは、リュークの姿が見えていない。しかし死神であるレムは、リュークの姿が見えているはずだ。
何故リュークがミサに憑いているのか驚き、そしてあの時森で交わしたノートの交換の意味を知った。しかし、それだけだ。
すぐに驚きは引っ込んだ。
…僕の予想では、今のミサは既にリュークと目の取引をして、寿命を減らしているはずだった。
大学で一瞬会っただけの流河旱樹本名を覚えているなど、普通できないだろう。
だから、ミサは僕のためになろうとして、リュークと目の取引をする。
そのはずだったが…奇跡が起きて、ミサは"流河旱樹"の名前を覚えていたのだろうか?

その疑問の答えは、僕がエントランスでミサと顔を合わせた時に明かされる事となった。
手紙に書いた通り、ミサは監視カメラに気が付かれない死角で自然とノートの切れ端を僕の手に触れさせた。そうする事で、リュークのことを僕も視認できるようになった。

「久しぶりだな、リューク」
「ククッ」
「待たせたが決着を見せてやれそうだ」
「ほーっ」

僕がリュークと共に笑っていると、 ミサが「あっ…」とか細い声をもらした。


「ラ…ライト…ごめん…」
「ん?どうしたミサ」
「流河早樹の名前覚えてない…どうしても思い出せない…ごめんなさい…」
「そうか、残念だな」


僕は心にもない「残念だ」という言葉を口にした。
しかし動揺はしていない。ミサが覚えていなかったというのなら、必ず目の取引をするはず。僕のためなら、命を惜しむような女ではない──
しかしそれであれば、レムが何故あの時、平静でいたのか、辻褄が合わない。
もし目の取引をしたなら、寿命の減ったミサを見て、動揺していただろうから。

──嫌な予感がする。僕の立てた完璧な計画に抜け穴があったとは考えが難い。
しかし、何か予定外の事が起こっている──そんな気がしてならない。
そしてその予感は、杞憂では終わらなかった。


「そ、それでね…ミサ、リュークと目の取引をしようとしたんだけど…リュークの話を聞いて、しなかったの…」
「しようと…した?…リュークの話?」
「ご、ごめんなさいっ!やっぱりするべきだったんだよね!?」

僕が低い声で復唱すると、ビクリと肩を跳ねさせて、涙目でミサがパニックを起こした。
僕はそんなミサを慰める気にもなれず、リュークをじろりと見た。

「…どういうことだ、リューク」
「俺はただ、伝言を伝えただけだ。誰の味方をしたわけでも、邪魔をしたわけでもないぜ?」


リュークは「ククッ」といつものように笑いながらて、具体的な事を言おうとしない。
苛立ちを隠さない僕をフォローするように、ミサが事の経緯を話そうとした。

「あのね、天使様がいるんだって。天使様が目の取引はするなっていったんだって。それがライトのためになるっていうから…!だからっ」
「まて、落ち着け海砂。最初から話してくれ」

そして取り乱す海砂を落ち着かせて、どうにか事の成り行きを聞き出した。
深く俯いたり、首を大きく横に振るミサの肩に手を置く僕。その姿は、監視カメラからはまるで痴話げんかのように見えている事だろう。
後で適当に説明しなければ、ならない、と頭の片隅で考えつつ、
ミサが森でノートを掘り返した時の事──リュークに目の取引を持ちかけた時の会話を聞いた。

久々に人間界へ降りてきたリュークとの再会を喜び、林檎を渡しながら、
しばらくは他愛のない会話をしたらしい。
人間界の林檎はジューシーで、死神界の林檎はまるで砂のようだとか。
そして、ミサは流河旱樹の名前を忘れてしまった事を話した。

「それは仕方ないだろう。あの月だってデスノートの記憶が戻ったからって、ノートに書きこんだ一字一句を覚えているわけじゃ…。……いや…あいつなら覚えているかもしれないな…」
「でしょ?ミサが駄目なんだよやっぱり…」

そして、そこからは僕の予想…いや計画通り。

「リューク。目の取り引きをして」

ミサは躊躇いなく、目の取引をリュークに持ちかけたのだという。


「わかってるのか?お前一度レムと取引して寿命半分になってるんだぞ」
「わかってるよ」
「半分にした残りの寿命をそのまた半分にしていいんだな?」
「うん!このままじゃライトに合わせる顔がないじゃない」

そしてミサは当然のように頷いた。目の取引をして、リュークに損はない。リュークが止める筋合いはないだろう。…しかし。
そこからの会話が、順調に回っていたはずの歯車を狂いださせた。


「……まあ、俺はいいけど…俺は月の味方でもない、ミサの味方でもない。この取引を止めるつもりはない。…ただ…」
「ただ?」
「伝言を伝えることくらいは、俺でもしてやる」

リュークは目の取引を止めるのではなく…その時、"伝言"を伝えたのだという。

「伝言?…誰から、誰に?」
「"第三者"ってやつからだよ」
「…第三者…?まさか、第三のキラがいるとか?」
「いや、そいつはキラじゃない。とにかく…そいつは、ミサが俺に対して目の取引をしようと持ちかけることを、見通してた」
「…どうして…この事は月とミサ、それにリュークとレムしか知らないはず…。知ってるひとが居るなんて、まずいじゃない!」
「まずいかどうかは、俺には分からないし、どうでもいい。…まあ、それで…ミサの目の取引をしようとしたら、やめるように言えってさ。俺としては、どっちでもいい。俺にとって面白い展開になるなら、どっちに転んでも構わないさ」

リュークが笑って言うと、ミサは少し考えてから、こう言ったらしい。

「……指示。…もしかして、それって…"天使様"からなんじゃないの?」
「天使?…ククッ天使か、あいつが!天使!それは面白いな」
「面白いかどうかはわからないけど…前にレムが前に少しだけ聞かせてくれた事があるの。ほんとは天使じゃないけど、でも天使なんだって。難しくてよくわからなかったけど…
死神がいるなら天使がいたっておかしくないし!…天使様のいうことは、全て月と海砂のためになるんだって」

──第三者。僕と名前に害をなす気はないと言っていた、あの存在が動き出しているらしい。
どう考えても、ミサの目の取引を止める事は、僕にとっては"害"でしかない。
しかしミサやレムにとっては吉報だろう。
いったいそいつはどんな立場にいて、どうな思惑で動いているんだ。
それを聞いて、僕が穏やかな気持ちではいられるはずがなかった。


「…月の命令は、流河旱樹の本名を思い出す事…で、それが出来ないなら、きっと目の取引をする事を望むはず…。でも、天使さまは目の取引をするなって…。…ええと、つまり、どういうこと?」
「さあな。俺にもよくわからないが…海砂が目の取引をして、Lのことを殺す必要はないって言ってたぜ?」
「…そんなの変だよ。だってLを殺さないと、ずっとキラのことを追いかけてくるし、月はそれじゃ困っちゃうし…」
「Lは、いずれ月のことを追いかけなくなる。…敵ではなくなる。だから、殺さなくていい。そいつはそう言ってた」


そこまでリュークが言うと、ミサは少し悩んでから、こう決断を下したらしい。


「…わかった。目の取引は…やめる。今は」
「今は、か」
「うん。必要になればいつでもやるつもり。目さえ手に入れば、いつでもすぐLを殺せるんだし…とりあえず、様子見で…月に指示をもらってからにする…。ほんとに天使様が、月のためになってくれるかどうか、確かめないと」
「…ま、いいけど」
「いざとなったら、レムが海砂を守ってくれるしね!」
「まあ、あいつならそうするだろうな。今は海砂についているわけじゃないけど。海砂が危ないとわかれば、容赦しないだろう」
「うん!じゃあ、きっと問題ない!…よね?」
「俺に聞かれてもな…。俺はただ伝言を伝えただけだ」


──と、そんなやり取りをしたのだそうだ。
僕が眉を顰めながらミサの話を聞き終えた。
ひとまずミサがパニック状態から落ち着いて話せるようになったので、
"仲直り"をしたという意味をこめて、ミサの肩をポンポンと叩いた。
ミサはきょとんとしていたが、僕が至近距離で顔を近づけながら、ちらりと背後のカメラを見たその仕草で、僕の意図はわかったらしい。
ミサの方から、バッと抱き着いてきた。感動して勢いで抱きしめてしまった。いつものミサらしい行動だ。
その体制のまま、カメラに口元が映らないよう、引き続き小声で話を続ける。
そしてミサは、僕に失望されないかとびくびくしながら、こういった。

「──11月5日。…明日だね。天使様が、月のところに挨拶にくるって。それで絶対に、月のためになってくれるんだって…いざとなったら海砂は目の取引をするつもりだし、レムもミサの味方してくれる。つまり、月のことも守ってくれる…だから…!」
「……わかった。海砂はとりあえず…犯罪者捌きを続けてくれ。目の取引はしなくていい。そして僕からの連絡を待つんだ」
「うん…天使がいるなんて、ちょっとワクワクしちゃう。詳しい話、また聞かせてね!」

そしてミサは、いつものように"数分の立ち話"をしてから帰っていった。


2025.10.29