第74話
4.舞台裏桃源郷

ノートを右手に抱え、左手でキーボードを打つ。
手が震えそうになるのを一度ぐっと拳を握る事で堪えて、また作業を進める。
焦るな…しかし今だ…今しかない。
いや竜崎に気付かれる様なら…もう一度くらい手にする事はあるだろうか…
いや、いける!

「竜崎、まだ1ページだがやはり犠牲者と書かれてる名前は一致している…一応全てチェックしてみるか?」
「はい」

僕はちらりと竜崎を見ながら、声が震えないよう、しかし低くもなりすぎないよう、平常通りの喋り方を意識しながら語り掛けた。
そのタイミングで竜崎からは見えない角度で時計のつまみを4回引いて、底を引き出させた。
ノートの存在がバレても、竜崎は所有権の事は知らない。僕がここで何かするとは絶対考えられないはずだ。


「しかしあんな化け物を目の前にして夜神くんはノートの名前と犠牲者とを照らし合わせるなんて、冷静な行動が出来て凄いです」
「そうか?最初は驚いたが、何かもうこの方が納得いくよ。とにかく火口とあの化け物を隔離して取り調べだな?」
「そうですね」


どうせレムはミサが第二のキラだった事に繋がる事など言うはずがない。早く火口を…
竜崎と会話しながら、時計に仕込んであった小さな針を、指の腹を刺した。
それと共に滲み出した赤い血を付着させ、ゆっくりとデスノートの切れ端にこすり付けた。
まずは火口の火の字。これはまだ画数も少なく単純でいい。


「夜神さん、もう火口を夜神さんの車へ。もう一人の方も周りに気付かれない様お願いします」
『もう一人の方?……あっああ…わかった』


相沢さんが率いてきた刑事が、周辺には沢山いる。
上の命令にも背き、命を懸けてこの現場に集った彼等は、確かに信用に値するだろう。
しかしキラの秘密…殺人能力を持つノートの事や、死神の存在を知られて良いほどの関係性ではない。
父さんは一瞬何のことを言われたのかわからなかったようだが、すぐに「もう一人」というのは死神のことを刺しているのだと気が付き、少し動揺しつつ頷いた。
僕が火口の名前を書き始めたタイミングで丁度よく父さんに話しかけ、視線や注意、全てが外へと向かったのは僥倖だった。

──火口卿介。
小さな針と指先から滴る血で、人目を忍んで書くにしては、単純とは言えない四文字だ。
しかし、僕は最後まで書ききった。
これであと40秒…36…35…34…

「竜崎、このノート科学分析とかしたら何か出るだろうか?」
「……夜神くんらしくないですね。科学なんて超えてますよそれは」

時計の隠し底はもう、火口の名を書き終えた時点でしまってある。
しかしどうでもいい話をして、竜崎に僕が平静であるというアピールを続けた。
僕らしくない発言かもしれないが、犠牲者の照合作業をしているからと言って、ここで沈黙を続けるのも僕らしくはないだろう。

29…28…一生のうちで一番長い40秒だ…
23…22…持ち続けるんだ火口が死ぬまで…

「はは…それもそうだ」

ある程度は、らしくなくてもいい。竜崎は化け物を目の前にして犠牲者の照らし合わせをするなんて冷静だと言っていたが。
逆にその方が化け物を目の前にして調子が狂った、人間らしい姿だと捉えられるだろう。
僕は死神の姿などとうに見慣れていて、動揺したり怖がったりする演技をする方が難しい。
突拍子もない発言する事で、=動揺してる・恐怖していると認識された方が都合がいいのだ。
10…9…8…7…
ここで竜崎が「少し見せてください」などと言ってノートを手にするような事があれば、計画が総崩れになる。どころか、最悪の事態に…


「うっ!?」


──しかし、それは杞憂だった。

一生のうちで一番長い40秒だった。あんな時間を体験するのは、初めてだ。
それと同じように、人が悲鳴を上げ、こんなに喜ぶのも初めての経験だった。
火口の体が突然魚のように跳ねあがり、膝から崩れ落ちた。それを見た瞬間、ほくそ笑みそうになったのをこらえ、真剣な顔を作った。

『火口!…竜崎、火口が!?』
「!?」
「な…なんだ!?どうしたんだ!?」

火口を連行していた父さんと模木さんが慌てて叫ぶ。
僕も驚いた演技をして、前のめりになってヘリの中から様子を伺う。

『火口、意識不明!』
「な…何やってるんだ父さん、もしここで火口に死なれでもしたら…!」
『ま…まさか…いや…しかし…これはもう…』

僕は半ばパニックを起こしたようにして、父さんを責めるような事を言った。
父さんはそんな僕以上に動揺していて、ぐったりと力なく倒れ込んだ火口の体…いや遺体を抱えて、深刻な声で言葉を濁す。
ああ…死んでるさ。目を見開き、瞬きもせず弛緩したその体は、最早亡骸でしかない。

──次は竜崎…お前だ。

「……どうなってる……」

動揺した様子はない。しかし深く考えこんでいる竜崎の姿を横目に、僕は内心勝ち誇っていた。
全て計画通りだ。ここまで来たら、もう勝利は目前。しくじる方が難しいというものだ。
怖がる演技をするのも難しいが、笑いをこらえるのがこんなに大変だとは知らなかった。
思わず上がる口角を必死にこらえ、僕はノートを手放した。
──火口は死んだ。その時点でノートを手にしていたのは僕。つまりこのノートの所有権は既に僕にある。
手放なさないように必死に抱え込んでいたノートは、最早どこにあろうと関係ない。


***

本部に火口の遺体とノート、そして化け物…レムを連れ帰り、相沢さんを含めた捜査員たちは、雁首を揃えて討論していた。
ソファーを取り払い、大きな机を用意して、捜査資料とノートパソコンなどを広げている。
相沢さんはデスクに置いた固定電話の受話器を耳にあて、真剣な面持ちで相槌を打っている。
僕と竜崎はいつも通り、モニター前のデスクに向き合って座っている。


「いや火口は自殺だったとも考えられる…人を殺せる能力を持っていたんだ。自分を殺せても不思議ではないだろう…」
「でもノートに名前を書いて殺すんだから自分で殺すにも名前を書かないと駄目なんじゃ?それに自分の意思で死ねるとしたら、その前に銃で死のうとしたのはおかしくないですか?」
「いや拳銃で死ぬのなら何も感じず心臓麻痺より楽に死ねるという事なのでは…偶然の心臓麻痺か…自殺か…他のキラか…死神か…ど…どうなんだ?死神…」
「レムだ」

松田さんと父さんが意見を交わし合い、父さんはレムに対しても意見を求めた。


「私は火口を殺してないし、火口が何故死んだのかはわからない」


レムは既に、何度も尋問されている。その度に、「何故死んだのかわからない」と繰り返すだけだ。
ミサにとって都合の悪い事は勿論言わない。そして僕にとって不都合な事も、極力言わないようにするだろう。それがミサの為にもなり、僕に恋をするミサの幸福にも繋がるからだ。

「うむ、わかった。……竜崎、月くん…ノートもHOW TO USEを書くのに使われた物も、地球上には存在しない物質、成分だそうだ」
「そうか!やはりレムの言う通り、ノートは死神界の物。how to useは人間に使わせる為に死神が書いた物で間違いないな!」
「死神が実在してる時点で間違いないと思ってましたけど、よかったですね局長。これで月くんもミサミサも完全に白だ!」

相沢さんは通話を終えると受話器を置いて、調査を頼んでいた機関からの結果報告をした。
父さんと松田さんはそれに素直に歓喜した。
僕は自然と笑い、竜崎はモニターに視線を落としたまま何の反応もしない。


「HOW TO USE このノートに名前を書かれた人間は死ぬ。書く人物の顔が頭に入っていないと効果はない。ゆえに同姓同名の人物に一遍に効果は得られない。名前の後に人間界単位で40秒以内に死因を書くとその通りになる。死因を書かなければ全てが心臓麻痺となる。死因を書くと更に6分40秒詳しい死の状況を記載する時間が与えられる…」

相沢さんはノートの表紙裏に書かれた説明書きを読み上げる。

「火口によって、このノートに毎日書かれた犯罪者と報道された時間を照らし合わせた結果も、ヨツバにとって都合のいい死として書かれた者の死因や時間も、この文と一致する…更に八人の会議の内容や資料としていた「殺しの規則」とも完全に一致…さらに「裏表紙」の方のHOW TO USE」

そしておびただしい数の人名が書かれたページをパラパラとめくり、裏表紙の方までめくりあげた。そこにも、デスノートの"使い方"が刻まれているのだ。

「このノートに名前を書き込んだ人間は、最も新しく名前を書き込んだ時から、13日以内に次の名前を書き込み、人を殺し続けなければ、自分が死ぬ。…50日以上監禁され、今も監視下にある月くんや弥、苗字がキラや第二のキラなら、生きているはずがない」
「うむ」
「監禁されてた時は二人とも名前どころか、文字ひとつ書いてませんからね」

竜崎はデスクにコーヒーフレッシュを積み上げながら、淡々とまた考え込んでいた。

裏表紙の方の使い方は、僕がリュークに指示し、あの森で新しく書かせた嘘のルールだ。
嘘のルールを書いても死神大王に怒られない、そんな掟ないとレムと確認し、「これでまた面白いものが観れるようになると言うなら書いてやる。その時はまたリンゴ頼むぜ」と言って、リュークが書いた。
そしてそれをレムが火口の元へ運び、火口亡き今、この本部へとノートは持ってこられた。

「しかしこうなるとこの殺人ノート、どうにも始末できないな」
「そうですね…この最後の一文…このノートを刻む、焼くなどして使えなくすると、それまでにノートに触れた全ての人間が死ぬ…」
「これだとノートを処分すると少なくとも、この捜査本部人間は皆死ぬ事になる…」
「ああ…「僕も死神見たい」なんて触らなければよかったかな〜」
「それではどういう捜査になってるのか松田だけわからなくなる。それでいいのか?」
「いや…僕も皆と同じ立場で捜査したいです…はい…」
「この本部内で厳重に保管するしかないでしょうね…ここのセキュリティなら安心だし、何よりノートの事を知ってるのもここに居る者だけで済んでますから」
「うむ」

父さん、相沢さん、松田さんは三人で、もうひとつの嘘のルールに翻弄されていた。
理想は、ノートには僕と竜崎しか触れていない状態でここに至る事ではあった…
そしてノートに辿り着くまでにもっと時間を費やし、ノートの記憶のない僕とキラを追う事で、Lに僕を信用させるそれには火口は力不足だったが、レムの仕事としては上出来だろう…それに…
──結局計画に支障はない。
死のノートに死神によって書かれたルール。これは信じるしかない。いや、従うしかない…
これで僕とミサ…そしては勿論。100%白だ。
もう疑う事など許されない。僕のつくった嘘のルールによって竜崎は手立てを失った…
いいか竜崎…ルールとはいつの世界も神とされる者によって創られるものだ。おまえは僕のつくった嘘のルールに平服し、僕の理想とする"美しい"新世界…その神に逆らおうとした罪で死ぬんだ。

竜崎の手元では、積み上げていたコーヒーフレッシュがバラバラになっていた。


「レムさん…」

今まで黙りこくっていた竜崎は、1つフレッシュを手に取ると、レムに問いかけた。


「ノートは他にも人間界にありますよね?」
「さあ?あるかもしれないし、ないかもしれない。私が行く末を見届けなければならないのは、今ここにあるノートだけだ」
「もし他のノートが存在していたら、全てノートのルールは同じですか?」


無駄だよ竜崎…このルールはレムからは絶対崩せない。
レムは今も尚、監視対象としてモニターに映し出されているミサを視界にいれながら、頷いた。…頷く他ない。
ここで肯定すれば、ミサの潔白は証明され、自由の身になれるのだから…


「ああ、同じだ。ノートは死神界にはいくらでもあるが、ルールは全て同じだ。人間に持たせた時のルールもだ。間違いない」
「竜崎、月くんと弥、の疑いは晴れた。2人の監視は終わりだ」
「そうですよ、もう明白ですよ」


レムが肯定を示すと、相沢さんと松田さんが、あと押しをした。
竜崎は振り返りもせず、フレッシュを一つつまんで、それをじっと見つめながら、とうとうこう言った。


「……わかりました…今まで申し訳ありませんでした…」


竜崎が認めると、父さんが「よかった…」と言って、僕の肩を叩いた。

「ああ…しかしまだこの事件は完全解決とは言えない。そうだな竜崎」


ここで終わらせる訳にはいない。それは僕も同じだ。必ず決着はつける…
晴れて潔白となり、自由の身になりました。それでは帰宅してください…と、そんな風に送り出されても困るのだ。
僕にはまだ最後の仕事が残されている。

「僕が監禁される前、犯罪者を殺していた者は火口とは別人としか思えないし、キラと第二のキラが同時に存在していたのなら、竜崎も言ったようにノートは複数あったという事になる。キラ、第二のキラが誰だったのか。他にノートがあるならそれはどうなったのか…それを明らかにしない訳にはいかない」


そして僕は未だ手錠で繋がれた左腕を持ちあげて、こう提案した。


「竜崎。手錠は外させてもらうが、ここで捜査を続けてもいいな?」
「………はい……そうなると、ミサさん、さんとはお別れと言う事になりますね…監視を止めるのですし、捜査員でないミサさん、さんをここに置く事はできせん。部外者という事になりますから…もう巻き込みたくないですしね…模木さんもマネージャーから外します」

竜崎はフレッシュを一列並べ、またその上に一列…とピラミッドを作っていた。
そんな姿を横目に入れながら、僕はこう切り返した。


「じゃあ、僕と…そしてミサと会う時は、外でという事になるな」
「あっ…会いたいんですか?」

ずっと振り返りもせず手元だけを見ていた竜崎は、今ばかりは驚いた様子で僕の方をぎょっとしてみた。
僕はその驚愕の意味には気がつかなかったふりをして、しらばっくれてこう言った。


「おいおい…は僕の恋人だぞ?会いたいかって…当然じゃないか」
「いえ…私が言ってるのはミサさんの方です。…会いたいんですか?」
「…もともと彼女とは友人なんだ。恋人がいるのにあれだけ好きだなんだと言われて、正直言うと少し困ってはいたけれど…僕のために命がけで捜査協力してくれたり。そんな人を、人として好ましく思わない訳がない」
「……好きになったと?」
「そうだ。…人としてね」


僕が竜崎の言葉に頷くと、背後でやり取りを見守っていた松田さんが大きく喜んだ。


「ミサミサ聞いたら飛び上って喜ぶよ!月くんおめでとう」
「「おめでとう」って……だから、僕には恋人がいるので…そういう好きではありませんよ」
「わかってるよ!でも今までミサミサの一方通行だったんだ。それが友愛でもなんでも、通じ合えた事に意味があるんだ!」
「そうですか…」

僕は松田さんの熱量に圧倒され、少し引け腰になって苦笑を漏らした。
しかし竜崎の興味はとうにミサにはなく、新たな思考を展開させていたようだ。


「レムさん。第二のキラがTV局あてに送ったビデオに「キラさんは目を持っていない」とうったのですが…その目というのは、顔と名前がわかる目ですね?」

レムは酷く驚いている様子だったが…竜崎。おまえがそれくらいの事に辿り着くのも計算済みだ…

「どうなんですか?レムさん。それは人間には教えられないんですか?」
「竜崎。その考えで間違いないだろう。「死神と取引をした後実際に顔を見ると名前のわかる目」だ。第二のキラの発言、白バイ隊員の事。火口がさくらTVに向かった事から、容易に想像できる」
「いや容易にできないって…少なくとも僕には…」


どう答えていいのか悩んでいたレムに助け船を出す形で、さりげなく僕が答えた。
松田さんは僕の発言に戸惑ったような顔をしている。
僕自身が解き明かした事なら、レム自身が答えても差支えがないと、僕の意図を汲んで判断したのだろう。
レムはこう話した。


「…二人共賢いじゃないか。ノートを使った人間にしかいうべきではないが…そこまで見抜いているなら否定しない。その通りだ」
「では「取引」とは?」
「……それこそノートを使った人間にしか答えられない…」

うまいぞ、レム。それでいい…
ここまでくれば、結局計画に支障はない。…とは言えど。
ここで疑念を持たれ、厄介な方向へ話を進めないにこしたことはない。順調に進んでいる。


「ノートを使った人間がその記憶を失うという事は?」
「…さあ…死神はそんな事ないし、人間として使ったもないからわからない」

馬鹿…そこは「わからない」じゃなく否定するか、「どういう意味かわからない」だ。
まあレムの頭の程度も予想の範囲…
今の竜崎はこうしてレムに問う事くらいしかできない。後は竜崎が勝手にノートで検証しださないか、皆で見張っていればいい。
こいつはそれをやりかねない。いやまだ僕をキラだと疑っているとしてら、僕をノートで殺しかねない…どちらにしろレムから何かを引き出す事に終始するだろう…
竜崎もっと考えろ。そして悩め…悩み続けていろ。
──もうすぐ楽にしてやる…

レムは捜査員に疑念を抱かせない程度にさりげなく、モニターに映るミサをみている。
ミサはソファーに座り雑誌を読んでくつろいでいる所だった。
僕はそれと同じ様にして、モニターに映るを見続ける…
はカーテンを開けて、窓の外をぼんやりと眺めている。

もうすぐ、この窮屈で不自由な箱の中から出してやれる。そしてを桃源郷のような、まるで夢のような世界で生かしてやれる…!
逸る気持ちが抑えきれなかった。


──その翌日。監視を解かれたミサとが荷造りをして、この仮住まいから出て行く事となった。


2025.10.28