第73話
4.舞台裏─美しい時計
『竜崎、私に行かせてくれ』
「……」
『局長、私も行きます』
「わかりました、夜神さん。模木さん。相手はキラです。絶対顔を見せず、細心の注意を払って押さえてください」
父さんと模木さんが、火口確保の役目を買って出ると、竜崎は暫く考えた後、許可した。
「ワタリ、火口が少しでも妙な動きをしたら、わかってますね?」
「はい。殺さぬ程度に動きを止めます」
ヘルメットを被った父さんと模木さんが車から降りるのを横目に見ながら、竜崎はワタリに問いかけた。
ワタリは依然ヘリから身を乗り出しつつ、いつでも発砲できるよう、ライフルを構えて、狙いを火口に定め続けていた。
ヘリはすぐ飛びてるよう稼働しているものの、今は道路に着地させてある。
『相沢、顔を隠す物の用意はあるか?』
『はい』
『援護をしてくれ』
『はい!ありがとうございます、局長!』
父さんは火口の車に向かう途中、一台のパトカーの窓が開き、そこにいるのが敬礼した相沢さんだと気が付くと、援護を要請した。
顔を隠した警察官たち数十名が半円になるように取り囲み、四方八方から火口に銃をつきつけている。
『火口。両手を上げ、車から降りなさい』
火口はこれ以上抵抗する術を持たない。自害する事も叶わず、袋小路で逃げ道もない。
父さんの指示通り、ゆっくりと両手を上げた火口が車から降りてきた。
『そのまま後ろを向くんだ』
そして背後を見せた火口の両手を取ると、後ろてに手錠をかけた。
そして数名がかりで火口の目や口にテープを巻き付けて、キラとしての力を行使できないよう、無力化さた。
『竜崎。火口確保しました』
「模木さん。手筈通り、火口にシーバーを」
『はい』
父さんの声を聞いてから、今度は僕が模木さんに指示を飛ばした。
あらかじめ、段取りは全て立ててある。
模木さんが僕たちが装備しているのと同じヘッドセットをつけさせると、口を封じていたテープだけを剥した。
「火口。どうやって殺人をしてきた。キラとしてどうやって人を殺してきた!?言うんだ!」
『……』
「言わなければ、言うまでどんな手を使ってでも言わせます」
竜崎はいつの間に用意していたのか、水筒からカップに温かいコーヒーを注ぎながら話していた。
『……ノートだ』
「ノート?」
火口は思いのほかあっさりと口を割った。…いや、想定通りか。
元々自身を盾に銃口を米神につきつけた瞬間から、火口は敗北していた。それは状況的にも、心情的にもだ。
そうする勇気があったかはともかく、自害しようとまでした。
そこまでの状況に追い込まれて、火口はこれ以上悪あがきしようとするはずもない。
『……信じられないだろうが、顔を知っている人間の名前を書くと書かれた人間が死ぬノートだ…車のバッグに入ってる…』
「…や…夜神さん…一応車の中にそんな物があるか見てもらえますか…」
『わかった』
竜崎は「白々しい嘘をつくな」と否定する事はなかった。
キラの力は、念じるだけで人を殺せるものではないかと疑ってしまうような、非科学的なものだと思われている。
だとしたら、ノートという物体に名前を書いたら殺せる、と言われた方が、まだ念力説よりは納得はいく。
…ノート。そういえば火口は、ヨシダプロ事務所で、履歴書にあった名前を書いてからややあって、「死なない!」と叫んでいた。
にわかには信じがたいが、火口が事前にとって居た行動…そして嘘をついて得をするはずのないこの状況から鑑みるに、
少なくとも火口は、「ノートに名前を書けば人が死ぬ」と心から信じている事は理解できた。
『これか…竜崎、ノートはあったが、格別変わったノートでは…確かに人の名前は書いてあるが…』
父さんは火口の赤いポルシェの座席から、火口のカバンを取り出した。
そして地面に膝をつきながらノートを検分するも、怪しい所は見つけられなかったという。
しかし、次の瞬間の事だった。
父さんはハッと上げたかと思うと、「うわぁああああ!!」と、聞いた事もないような絶叫を上げ、何かから逃げるようにのけぞった。
「どうしました、夜神さん」
『ば…化け物…』
父さんはすっかり腰を抜かして、地面にへたり込んで後退しようとしている。「はーっはーっ」と、尋常ではない呼吸を繰り返し、震えながら懐に手を入れている。
どうやら無意識のうちに、身を守る銃を捜しているようだった。
辞表を出し、刑事を辞めたその時から所持していないはずの、銃を捜す。
いかに今の父さんが冷静でないかがうかがい知れる行動だった。
「夜神さん、落ち着いてください。夜神さんは今、銃を所持していません」
『そ…そうだった…』
竜崎に言われ、父さんはハッと我に返ったようだった。しかし恐怖に慄く震えは止められていない。
『だ…大丈夫ですか局長…』
『も…模木…見えるか…』
『……局長…疲れてるんですよ…でもこうして火口も捕まったしもう…』
模木さんが座りこみながら何もない宙を指さす父さんを助け起こした。
そして地面に落としていたノートを拾い上げ、何げなく視線を上げると…
「ぐわあーっ!?」
やはり父さんと同じように、ノートを手にしてすぐ、何も見えない宙を見て、絶叫した。
「……」
「どうしたんだ?父さん、模木さん」
『…ああ…あ……こ…これは…どうやら…ノートを触った者には…見えるらしい…ば…化け物が…』
模木さんは父さんと同じようにへたり込んでいる。父さんも未だ平静を取り戻したとは言えないが、伊達に刑事をしてきた訳ではない。
どんな異常事態に追い込まれ、恐怖に駆られようと、報告を怠らなかった。
竜崎はカップに口をつけながら、少し考えた後、こう言った。
「……そのノートをヘリに持ってきてください…」
『わ…わかった…模木、立てるか?ヘリにいる竜崎にノートを…』
父さんに言われて、模木さんがヘリまでノートを運んできてくれた。
両手の指先でつまむようにしてノートを持ち、中身を開かず、すぐに父さんたちが注視していた方をみた。
「…………死神…ですね…本当に…いた…んですね……」
竜崎は父さんたちのように怯える事はなく、しかし驚いてはいるようだ。
そのままじっと"死神"から目を離すことなく、思考を巡らせている様子だった。
僕は竜崎が自発的に渡してくるのを待ちきれず、その背後から奪うようにしてノートを手にした。
「竜崎、本当なのか!?僕にもノートを!」
僕が手に取った瞬間、脳天を貫くような、とてつもない衝撃が全身に走った。
「うぐぁああああ!!」
──僕は父さんたちのように絶叫していた。
しかしそれは、決して死神をみた恐怖からではない。先程まで脳内に存在しなかったはずの膨大な記憶が、洪水のように押し寄せ、僕を溺れさせていた。
その情報量と濃密さを考えると、僕を襲った衝撃が何故あそこまで強かったのか、理由に納得がいった。
僕がノートを拾い、気まぐれに試し書き、本物と分かり、犯罪者を裁き、Lが名乗り出…
FBIを殺し第二のキラたるミサと出会い、レムにミサを救出しろと脅され、自発的に監禁を望み、そしてノートの所有権を失った──そのせいでノートに纏わる全ての記憶を亡くし──
──しかし、今その全てを思い出した。
今の僕は何も知らぬ、正義感の強い一般人・夜神月ではない。
──僕は、キラだ。
「…だ…大丈夫ですか?誰だってあんな化け物には驚く──」
「……こんな物に名前を書けば人が死ぬなんて…そんなの信じられるか?」
「…えっ?し…信じ難いですし…た…試してみる訳にもいきません…よね…。……そうですよね?…夜神さん」
「当たり前だ!竜崎!」
僕は絶叫した後、竜崎の言う通り、化け物に驚いたふりをして俯いた後、
動揺した風を装い、手元のノートに視線を落としながら竜崎に言った。
そうすると、僕の尋常でない様子と発言に動揺したのか、はたまた竜崎も化け物を前に平静でいられていないのか…
しどろもどろになりつつ、ヘリの外にいる父さんとやり取りする。
「……仕方ありません…今は…あの化け物…死神と火口から聞いてみるしかない…ですね?」
「……竜崎、まずはここに書かれている人たちの名前と犠牲者の名前、照合してみるよ…」
「えっ…はい…まあ…そうですね…」
僕は機内に持ち込んでいたノートパソコンを開き、ノートを開いて、キーボードを叩いた。
竜崎はヘリの入り口から死神を観察し、父さんたちと連携するのに忙しい。
竜崎は、火口を捕えて、これで万事解決とは思っていないはずだ。
僕を未だ怪しんでいるはず。しかし名探偵Lであっても、人知を超える存在や能力を目の前にして、普段通りの思考回路でいられる訳がない。
僕の事まで、隅々観察している余裕はない──…勝った。
──計画通り。
僕は竜崎から見えない角度でほくそ笑む。このノートの所有権は、今火口にある。
よって、今僕が取り戻した記憶は、一時的にしか保てない。ノートから手を離せば再び消失する。綱渡りをしている状態だ。
あとは僕が照合しているふりをしながら、ノートから手を離さずにいなければならない。
そして、このノートには火口の名前を書かずに火口を殺す…
そうすれば所有権は今手にしてる僕に移り、この記憶は消えない。準備は記憶を失う前に全てしてある。大丈夫だ、僕ならできる。
それさえすればこのノートがどんなに監視され、どんなに厳重に保管されようと…いや厳重に見張ってくれた方がいい。竜崎が僕と一緒の時に殺人の道具であるこのノートに指一本触れずに竜崎が死ぬ。
レムも想像が付いていないだろう。今埋めてあるのはミサが使っていたノート…あれをミサに拾わせれば全ての片が付く。
5月28日。ミサとが第二のキラ容疑で確保された。
そして5月31日。
レムの説得により、ミサはノートの所有権を放棄し、レムが僕の自室へとやってきた──。
僕はあの日のやり取りを思い出していた。
「これからLの出方は大体わかってる…僕に考えがある…。…さよならだ、リューク」
「えっ!?」
リュークは驚いた声を上げ、レムはじっと僕を観察していた。僕は死神二匹に向けて、問いかける。
「デスノートを死神に返したら、その所有権はどうなる?」
「?本人の意思で返すなら死神に戻るんじゃないか?」
「ああそうだ。しかしそのノートが元の持ち主だっだ死神にしか返せない。返せば所有権も勿論死神に返る。そんな事も教えていなかったのか?リューク…いや知らなかったようだな…」
「…べ…別にいいだろ…」
レムはリュークの適当さや無知に呆れた様子だった。僕はあてにならないリュークから矛先をレムに向け、改めて問うた。
「そして一冊でもノートを持っていれば、今まで関わった全てのノートの記憶は消えない。それでいいんだな?」
「そうだ」
「二冊とも失えば全ての記憶が消え…記憶を戻すには、自分の使ったデスノートの所有権をまた得る…あるいは。所有権はなくとも、使った事のあるノートであれば、そのノート自体を手にしている時は全ての記憶が戻る…」
「へー」
リュークはやはり知らなかったようで、感心したような声をあげた。死神らしからぬ死神だ。
レムは重ねて、僕にこう言った。
「しかしその場合はあくまでもノートに触っている時だけだ。手を離せばまた全ての記憶はなくなる」
「ああ……それだけ確認しておけば十分だ。僕が確実に寝ている時間なら尾行もないだろう。いや家に帰ってきて夜になった時点でもういないとは思うが念のためだ。一度明かりを消し、寝たと見せ、朝4時から行動に移す」
僕は宣言通り、就寝の準備を整えて明かりを消し、ベッドへと潜った。
しかし言葉通り熟睡する事はなく、仮眠程度に留めた。ベッドに横たわりつつも、頭を回転する事は止めない。
夜中、抜けがないか思考実験を重ねて、翌朝四時に、僕は人気のない森の中へと足を運んだ。
そしてミサのノートをレムに渡しながら、僕はこういった。
「このノートの所有権を放棄する。…これでこのノートの所有権は元の持ち主、死神のレムに移った。そうだな?」
「そうだ。しつこいぞ」
「そして死神同士のノートのやり取りなら何の問題もない」
「?…ああ」
「じゃあそのノートをリュークに上げてくれ」
「……夜神月…何を考えている?」
さすがにこの指示にはあっさりとは頷けない様子で、レムは警戒心を高めていた。
「ミサを助ける為だ。少しは僕を信用しろ」
「……わかった」
ミサの為というと、予想通りレムは要求を呑み、リュークにノートを所有権ごと手渡した。
「これでそのノートの所有権はリュークになった」
「……そういう事になる」
「リューク。それをまた人間界の地に今そこに落として、僕に渡してくれ」
「えっ?…まあいいけど」
「これでまた所有権は僕だ」
リュークはここでノートを掠め取る強欲な死神ではない。これをする事で楽しみが増すならと、僕の言う通り、所有権を手放しノートを地に落としてくれた。
そしてそれを僕が拾う。
「おいえい一周しただけで何も変わってないだろ」
「ああそうかもない」
──しかしこれが必ず役に立つ時が来る──
僕にはその確信があった。
「そして僕が一番最初に手にした、リュークにもらったこのノート…今度はこれをリュークに返すから、レムにあげてくれ」
言うと、その意図は理解していないながら、死神たちは言う通りにしてくれた。
レムはミサのために。リュークは自身の楽しみのために。
レムの手に元・リュークのノートが渡ったのを見届けると、僕はレムにこう指示した。
「レム。それをある程度の地位があり、出世欲が強く、その為に使うであろう人間に渡すんだ。しかし最初に「報道されていく犯罪者を裁く事」をノートを使う条件として取引をし、その条件にしっかりと応じる者にだ」
「……」
「それをすれば必ずミサは今の監禁生活から解放されると約束する。何年経っても解放されないようなら僕を殺せ。それでどうだ?」
「……いいだろう…しかし…何故こっちのノートなんだ?」
当然、疑問として浮かんで当然だ。僕は用意してあった答えをレムへと告げた。
「それならリュークが英語で書いた使い方が書いてあるし、ミサが使っていた方では、レムが他の人間に渡すとミサが使っていた事がバレると考え、拒むかもしれないと思ったからだ。それにそのノートからは僕の指紋や筆跡等、ミサや僕に繋がるものは何も出ない様にしてある」
「なるほど」
「ミサを助ける為だ」
尚も警戒心を解こうとしないレムに、全てはミサの為だと、あと一押しをした。
「他に方法はない。人をよく選んでくれ。出世や金のためにノートを使う地位のある人物だ。ただし一カ月以内に渡してくれ。渡すのが遅れればそれだけミサの監禁は長びく」
「……いいだろう夜神月…ミサが監禁されていたのではおまえも危ない…おまえが必死なのもわかる…ミサが助かるなら言う通りにしてやろう」
レムが言った通り、レムに命を握られている僕が、ここでレムやミサをハメるうな迂闊な事が出来るはずがない。
そう納得したレムは、元・リュークのノートを手に空へと飛び立った。
「これでレムはあのノートを渡した人間に憑いていなくてはならなくなる。…僕がまたあのノートを手にしようとしている事は想像できたとしても、それ以上の事はわからないだろうし、動く事もできない」
「…なるほど。俺がさっきライトに渡しそのノート、俺に「さよなら」と言ったくらいだから、それも一度どこかで捨てるつもりなんだろうが…そのノートなら再び持つのがライトでも弥海砂でも記憶が戻るというわか…」
「いや…このノートはミサが拾う事になるだろう…そして憑くのはリューク。レムじゃない…」
リュークはそれを聞いてどう思ったのか、沈黙した。僕は思考の整理と、リュークに計画を共有する意味も含めて、改めて口にする。
「僕もミサの様に監禁され、24時間監視される状態になる様仕向ける。竜崎はここまで疑いをかけている僕をそうしないとは言えない。監禁された状態でノートの所有権を放棄し、デスノートに関する記憶を全てなくす。僕からもミサからも証拠は絶対に出なくなる。記憶もノートもないんだ、出るはずがない…」
監禁されているのはミサだけではない、名前も同じ。それを考えると平静ではいられなくなりそうで、脳裏に過ったその考えを一度振り払うように言葉を続けた。
「今の竜崎だけではない。父達もいる。あの状況で三人が監禁され、その間に犯罪者裁きが復活し、続けば竜崎はいつかは二人を解放せざるを得なくなる」
「……そうなるだろうな…しかし解放されたからといって、あの竜崎が二人を自由にするとは俺には思えないし、大体記憶がなくなった状態でノートは手にできないだろう…」
「いや…リュークすらう思う。「監禁を止めても竜崎は三人の監視を辞めない」そこを利用るすんだ」
やはり理解できていない様子のリュークに向けて、僕は更に詳しく説明する。
朝4時に家を出て、この森まで辿り着くまでにも時間を要している。
そしてレムを説得するためのやり取り…そうこうしているうちに大分時間が経ったようで、朝日が強く差し込む様になっていた。
「僕が監禁され、デスノートの記憶を失ったら自分がどうするか…よく考えてみた…必ず僕はキラを捕まえようとする。自分がキラじゃなくてもこの事件は追っていただろう。僕はそういう人間だ。ましてやキラのせいで誤認で監禁までされた事になる。捕まえようとしないはずがない…つまりLと僕は同時にキラを追う事になり、キラを追う僕をLは常に観ている事になる…その先は見えてる…」
「Lより先にレムがノートを渡す奴を捕まえ、ノートを奪えると思っているのか?いくらライトとはいえ、自信過剰じゃないか?」
「まあ…その自信もなくはないし…Lより先にキラを捕まえられればそれに越した事はない。それでノートも記憶も取り戻せる事になる」
僕はスニーカーでパキリと音を立てながら地面を踏みしめた。
森は整地されているはずもなく、地面はでこぼことしていて、枝や枯れ葉が無秩序に散らばっていた。
「しかしそうもいかないだろう…竜崎の性格を考えれば、下手をすれば「一緒に捜査しろ」とも言いかねない。いやその可能性の方が高いくらいだ」
ノートを手にしながら、一本の木の根元に屈みこむ。
そこには死神たちとやり取りを始める前に掘ってあった穴があった。
「だからこのノートは埋めておくんだ。そうして記憶がなくなれば、誰もわからなくなる。Lより先であろうと後であろうと同時であろうと…レムの渡した奴のノートの方に触れればそれでいい…僕の考えではたぶんほぼ同時に触る事になる…」
僕はノートを穴に落としながら、リュークを一瞥する。
「……そうとも、Lだけが触りその時レムがノートを渡した人間が死んでさえいなければいい…今のL側人間が殺すはずがないだろう。僕がノートを触った時、ノートの持ち主を殺す。それで所有権は僕に移り、僕はそのノートを使わずにミサにもう一冊のノートのありかを教える…面白い事になる…」
ノートに土をかぶせて、人の手の加わった痕跡が残らないよう、なるべくなだらかに、自然にした。
リュークは土に埋められてしまったノートをみて、なんとも言えない表情で言う。
「まさか俺の渡したノートの最後は土の中に捨てられるとはな…。…ここを弥海砂に掘らせるのか?そんなに上手くいくのか?レムが言ったように、もう片方のノートに触っても、触ってる時しかライトに記憶は戻らないんだぞ」
「リューク。僕は寝る時くらいしか時計を外さない」
僕は左手につけられている腕時計を見ながら、リュークに言う。
「特に外出の時は必ず身に着けている。習慣ってものは変わらない…しかもこの時計は大学に入った時に父さんからもらった物だ。買い替えるはずもない」
「?何を言ってるんだ…?」
「この時計に仕込んである…」
リュークに言った通り、僕はもう寝る時以外、時計をつける癖が無意識に刷り込まれている。
朝起きて部屋着から着替えて顔を洗って歯磨きをする。
そういった毎日必ず施されるの習慣の中に、「腕時計をつける」という習慣が加わっているのだ。
そして、この時計はただの時計ではない。この計画の要となる代物だ。
「ここを一秒以上の間隔を開けずに4回引くんだ。こんな動作誰も絶対にしない。押す事だって四回連続はしないだろう。その4回引く動作も記憶が戻るまでは忘れているだろうが、記憶が戻れば思いだす。底の部分がスライドして、デスノートが貼ってある。これでも一人分の名前を書くには十分な大きさだ…書いた後はがして丸めて飲み込んでやるよ。僕は器用だしね…」
「…ほんと器用だな」
秒針を合わせるためのつまみを実際4回引いて、底の部分がスライドする様をリュークにみせてやった。
この時計には、元々こんな機能が備わっていた訳じゃない。僕が細工したのだ。
おびただしい数の監視カメラに見守られている最中でも、僕は死角を見つけ、小さなノートの断片に犯罪者の名前を書いて殺してみせた。
こんな事くらい、容易い事。
「自ら監禁される者が証拠になる物を身に着けてるなどLは絶対思えない。仮に監禁時時計が外されても、解放されれば僕の持ち物だ。必ず返ってくる。この時計をはめ、僕はレムがノートを渡した人間を捜す事になるだろう…捕まえた時に当然、犯人の名前もわかっている」
腕時計を眼前に掲げて、僕は強い意志と確信を込めてこう言った。
「この時計をし、デスノートを手にする。その時は必ず来る」
それに…。僕がこの時計を祝の品としてもらった物だというのも、勿論大きな理由の一つだったが。
「この時計は父さんにもらった物で…──も気に入ってるから」
目を伏せ、あの時の事を考える。
とすごす時間はいつだってかけがえのない物。とはいえ、その中でも殊更に印象に残るシーンという物は存在する。
それが、がこの時計を見つけた瞬間の事だった。
名前と共に、入学式へ向かう最中の事。
電車内で、大学の入学祝に父さんに時計をもらったのだと見せた時、は瞳をきらきらと輝かせていた。それが子供みたいで、可愛いと思った。
けれど目を細めて笑った瞬間はやけに大人びて見えて、その移ろいから目が離せなかった。
「すごい。映画みたいだね」
「…映画?」
は眩しい物でもみるかのように目を細めている。改めて自分の腕にある時計に視線を落としてみる。
確かに節目に父親から贈られた大事なものであるし、嬉しかった。
けれど、今のほどの感慨は抱けないと思った。
「父が息子に時計を渡すって。洋画のワンシーンみたいで素敵」
「…割と日本でも一般的だと思うけど。節目に時計を送るっていうのは」
「そうかな?…そうだとしても…その時計を見るだけで、月くんがお父さんに大事にされてるってわかって…なんだか、いいよね」
幻想的な風景でも見るかのようにして、は僕の左腕の腕時計を眺めていた。
僕が父さんにもらった大切な時計は、の中でも特別なものになったようだ。
「つけてみる?」
「えっいいよ…月くんの大事なものだよ」
たかが時計…と言ったら父さんに失礼だけど。そこまで遠慮されるほどの代物ではないだろう。
けれどはこの時計を、特別視していた。まるで宝物を目の前にした時のように、慎重に接した。
のご両親は祝ってくれなかったのかと問えば、そんな事はないのだと返答される。
だとすれば尚更、何故がここまで父さんからの贈り物を特別視するのか。その理由はいくら考えてもわからなかった。
聞けば答えてくれただろうけれど…がどうやら抱いているらしい綺麗な幻想を暴くようで、それは躊躇われたのだ。
理由はどうあれ──より一層、この時計は僕にとって特別で美しいものになった。
そんな美しいものに、デスノートを仕込むというのは、まったく不釣り合いだけれど…
それもこれも、僕の理想の世界を創り上げるために必要な一手だ。
僕の理想。僕の夢。美しく、夢のような世界を創り上げる事。
そこには苦いものなんてなくて、甘いものしかなくて、汚い人間はいなくて、誰かを苦しめる者がいない世界。
必ず…。大丈夫だ。竜崎…父達…ミサ…そして…記憶をなくした自分…
必ずそうなる自信がある!
「また""かよ。…ほんとライトはあの人間が好きなんだな」
「好きなんて言葉じゃ表せないよ。愛してる。…ああ、それでも足りないな」
「愛とか恋とか、お前ほど似合わない人間もそういないな」
森を抜け出し、自宅へ帰ろうとする最中、リュークは笑ながら僕をからかった。
「何言ってるんだ。僕は愛のためにデスノートを手にしたんだ」
「そうだったか?」
「そうだよ。僕はリュークに言ったはずだ。が傷つく事のない美しい世界を創りたいと…」
「……そんな話も忘れるくらい、ライト。お前はキラとして冷徹に行動してるってことだ」
「キラが冷徹?むしろ、その逆だろ」
僕がキラとして犯罪者を裁くのは私利私欲や承認欲求からではない。
弱いものを救いたい。苦しむ誰かのために──そんな他者への思いやりから来ているのだから。キラとは、冷徹とは正反対のものであるはずた。
リュークはそれに納得した様子はなく、いつものようにおかしそうに笑うだけだった。
──6月1日。
僕は竜崎に電話をかけた。「僕がキラかもしれない」と。そして監禁を望み、七日目、所有権を放棄した。
──そして10月28日、今日。
僕はキラとして、再びこの世に舞い戻った。
あとは至近距離にいる竜崎の目を盗み、時計の中のデスノートの破片に、火口の名前を書くだけ──
僕の計画は、ここまでは順調だ。最後の一手を、僕は今まさに打とうとしていた。
4.舞台裏─美しい時計
『竜崎、私に行かせてくれ』
「……」
『局長、私も行きます』
「わかりました、夜神さん。模木さん。相手はキラです。絶対顔を見せず、細心の注意を払って押さえてください」
父さんと模木さんが、火口確保の役目を買って出ると、竜崎は暫く考えた後、許可した。
「ワタリ、火口が少しでも妙な動きをしたら、わかってますね?」
「はい。殺さぬ程度に動きを止めます」
ヘルメットを被った父さんと模木さんが車から降りるのを横目に見ながら、竜崎はワタリに問いかけた。
ワタリは依然ヘリから身を乗り出しつつ、いつでも発砲できるよう、ライフルを構えて、狙いを火口に定め続けていた。
ヘリはすぐ飛びてるよう稼働しているものの、今は道路に着地させてある。
『相沢、顔を隠す物の用意はあるか?』
『はい』
『援護をしてくれ』
『はい!ありがとうございます、局長!』
父さんは火口の車に向かう途中、一台のパトカーの窓が開き、そこにいるのが敬礼した相沢さんだと気が付くと、援護を要請した。
顔を隠した警察官たち数十名が半円になるように取り囲み、四方八方から火口に銃をつきつけている。
『火口。両手を上げ、車から降りなさい』
火口はこれ以上抵抗する術を持たない。自害する事も叶わず、袋小路で逃げ道もない。
父さんの指示通り、ゆっくりと両手を上げた火口が車から降りてきた。
『そのまま後ろを向くんだ』
そして背後を見せた火口の両手を取ると、後ろてに手錠をかけた。
そして数名がかりで火口の目や口にテープを巻き付けて、キラとしての力を行使できないよう、無力化さた。
『竜崎。火口確保しました』
「模木さん。手筈通り、火口にシーバーを」
『はい』
父さんの声を聞いてから、今度は僕が模木さんに指示を飛ばした。
あらかじめ、段取りは全て立ててある。
模木さんが僕たちが装備しているのと同じヘッドセットをつけさせると、口を封じていたテープだけを剥した。
「火口。どうやって殺人をしてきた。キラとしてどうやって人を殺してきた!?言うんだ!」
『……』
「言わなければ、言うまでどんな手を使ってでも言わせます」
竜崎はいつの間に用意していたのか、水筒からカップに温かいコーヒーを注ぎながら話していた。
『……ノートだ』
「ノート?」
火口は思いのほかあっさりと口を割った。…いや、想定通りか。
元々自身を盾に銃口を米神につきつけた瞬間から、火口は敗北していた。それは状況的にも、心情的にもだ。
そうする勇気があったかはともかく、自害しようとまでした。
そこまでの状況に追い込まれて、火口はこれ以上悪あがきしようとするはずもない。
『……信じられないだろうが、顔を知っている人間の名前を書くと書かれた人間が死ぬノートだ…車のバッグに入ってる…』
「…や…夜神さん…一応車の中にそんな物があるか見てもらえますか…」
『わかった』
竜崎は「白々しい嘘をつくな」と否定する事はなかった。
キラの力は、念じるだけで人を殺せるものではないかと疑ってしまうような、非科学的なものだと思われている。
だとしたら、ノートという物体に名前を書いたら殺せる、と言われた方が、まだ念力説よりは納得はいく。
…ノート。そういえば火口は、ヨシダプロ事務所で、履歴書にあった名前を書いてからややあって、「死なない!」と叫んでいた。
にわかには信じがたいが、火口が事前にとって居た行動…そして嘘をついて得をするはずのないこの状況から鑑みるに、
少なくとも火口は、「ノートに名前を書けば人が死ぬ」と心から信じている事は理解できた。
『これか…竜崎、ノートはあったが、格別変わったノートでは…確かに人の名前は書いてあるが…』
父さんは火口の赤いポルシェの座席から、火口のカバンを取り出した。
そして地面に膝をつきながらノートを検分するも、怪しい所は見つけられなかったという。
しかし、次の瞬間の事だった。
父さんはハッと上げたかと思うと、「うわぁああああ!!」と、聞いた事もないような絶叫を上げ、何かから逃げるようにのけぞった。
「どうしました、夜神さん」
『ば…化け物…』
父さんはすっかり腰を抜かして、地面にへたり込んで後退しようとしている。「はーっはーっ」と、尋常ではない呼吸を繰り返し、震えながら懐に手を入れている。
どうやら無意識のうちに、身を守る銃を捜しているようだった。
辞表を出し、刑事を辞めたその時から所持していないはずの、銃を捜す。
いかに今の父さんが冷静でないかがうかがい知れる行動だった。
「夜神さん、落ち着いてください。夜神さんは今、銃を所持していません」
『そ…そうだった…』
竜崎に言われ、父さんはハッと我に返ったようだった。しかし恐怖に慄く震えは止められていない。
『だ…大丈夫ですか局長…』
『も…模木…見えるか…』
『……局長…疲れてるんですよ…でもこうして火口も捕まったしもう…』
模木さんが座りこみながら何もない宙を指さす父さんを助け起こした。
そして地面に落としていたノートを拾い上げ、何げなく視線を上げると…
「ぐわあーっ!?」
やはり父さんと同じように、ノートを手にしてすぐ、何も見えない宙を見て、絶叫した。
「……」
「どうしたんだ?父さん、模木さん」
『…ああ…あ……こ…これは…どうやら…ノートを触った者には…見えるらしい…ば…化け物が…』
模木さんは父さんと同じようにへたり込んでいる。父さんも未だ平静を取り戻したとは言えないが、伊達に刑事をしてきた訳ではない。
どんな異常事態に追い込まれ、恐怖に駆られようと、報告を怠らなかった。
竜崎はカップに口をつけながら、少し考えた後、こう言った。
「……そのノートをヘリに持ってきてください…」
『わ…わかった…模木、立てるか?ヘリにいる竜崎にノートを…』
父さんに言われて、模木さんがヘリまでノートを運んできてくれた。
両手の指先でつまむようにしてノートを持ち、中身を開かず、すぐに父さんたちが注視していた方をみた。
「…………死神…ですね…本当に…いた…んですね……」
竜崎は父さんたちのように怯える事はなく、しかし驚いてはいるようだ。
そのままじっと"死神"から目を離すことなく、思考を巡らせている様子だった。
僕は竜崎が自発的に渡してくるのを待ちきれず、その背後から奪うようにしてノートを手にした。
「竜崎、本当なのか!?僕にもノートを!」
僕が手に取った瞬間、脳天を貫くような、とてつもない衝撃が全身に走った。
「うぐぁああああ!!」
──僕は父さんたちのように絶叫していた。
しかしそれは、決して死神をみた恐怖からではない。先程まで脳内に存在しなかったはずの膨大な記憶が、洪水のように押し寄せ、僕を溺れさせていた。
その情報量と濃密さを考えると、僕を襲った衝撃が何故あそこまで強かったのか、理由に納得がいった。
僕がノートを拾い、気まぐれに試し書き、本物と分かり、犯罪者を裁き、Lが名乗り出…
FBIを殺し第二のキラたるミサと出会い、レムにミサを救出しろと脅され、自発的に監禁を望み、そしてノートの所有権を失った──そのせいでノートに纏わる全ての記憶を亡くし──
──しかし、今その全てを思い出した。
今の僕は何も知らぬ、正義感の強い一般人・夜神月ではない。
──僕は、キラだ。
「…だ…大丈夫ですか?誰だってあんな化け物には驚く──」
「……こんな物に名前を書けば人が死ぬなんて…そんなの信じられるか?」
「…えっ?し…信じ難いですし…た…試してみる訳にもいきません…よね…。……そうですよね?…夜神さん」
「当たり前だ!竜崎!」
僕は絶叫した後、竜崎の言う通り、化け物に驚いたふりをして俯いた後、
動揺した風を装い、手元のノートに視線を落としながら竜崎に言った。
そうすると、僕の尋常でない様子と発言に動揺したのか、はたまた竜崎も化け物を前に平静でいられていないのか…
しどろもどろになりつつ、ヘリの外にいる父さんとやり取りする。
「……仕方ありません…今は…あの化け物…死神と火口から聞いてみるしかない…ですね?」
「……竜崎、まずはここに書かれている人たちの名前と犠牲者の名前、照合してみるよ…」
「えっ…はい…まあ…そうですね…」
僕は機内に持ち込んでいたノートパソコンを開き、ノートを開いて、キーボードを叩いた。
竜崎はヘリの入り口から死神を観察し、父さんたちと連携するのに忙しい。
竜崎は、火口を捕えて、これで万事解決とは思っていないはずだ。
僕を未だ怪しんでいるはず。しかし名探偵Lであっても、人知を超える存在や能力を目の前にして、普段通りの思考回路でいられる訳がない。
僕の事まで、隅々観察している余裕はない──…勝った。
──計画通り。
僕は竜崎から見えない角度でほくそ笑む。このノートの所有権は、今火口にある。
よって、今僕が取り戻した記憶は、一時的にしか保てない。ノートから手を離せば再び消失する。綱渡りをしている状態だ。
あとは僕が照合しているふりをしながら、ノートから手を離さずにいなければならない。
そして、このノートには火口の名前を書かずに火口を殺す…
そうすれば所有権は今手にしてる僕に移り、この記憶は消えない。準備は記憶を失う前に全てしてある。大丈夫だ、僕ならできる。
それさえすればこのノートがどんなに監視され、どんなに厳重に保管されようと…いや厳重に見張ってくれた方がいい。竜崎が僕と一緒の時に殺人の道具であるこのノートに指一本触れずに竜崎が死ぬ。
レムも想像が付いていないだろう。今埋めてあるのはミサが使っていたノート…あれをミサに拾わせれば全ての片が付く。
5月28日。ミサとが第二のキラ容疑で確保された。
そして5月31日。
レムの説得により、ミサはノートの所有権を放棄し、レムが僕の自室へとやってきた──。
僕はあの日のやり取りを思い出していた。
「これからLの出方は大体わかってる…僕に考えがある…。…さよならだ、リューク」
「えっ!?」
リュークは驚いた声を上げ、レムはじっと僕を観察していた。僕は死神二匹に向けて、問いかける。
「デスノートを死神に返したら、その所有権はどうなる?」
「?本人の意思で返すなら死神に戻るんじゃないか?」
「ああそうだ。しかしそのノートが元の持ち主だっだ死神にしか返せない。返せば所有権も勿論死神に返る。そんな事も教えていなかったのか?リューク…いや知らなかったようだな…」
「…べ…別にいいだろ…」
レムはリュークの適当さや無知に呆れた様子だった。僕はあてにならないリュークから矛先をレムに向け、改めて問うた。
「そして一冊でもノートを持っていれば、今まで関わった全てのノートの記憶は消えない。それでいいんだな?」
「そうだ」
「二冊とも失えば全ての記憶が消え…記憶を戻すには、自分の使ったデスノートの所有権をまた得る…あるいは。所有権はなくとも、使った事のあるノートであれば、そのノート自体を手にしている時は全ての記憶が戻る…」
「へー」
リュークはやはり知らなかったようで、感心したような声をあげた。死神らしからぬ死神だ。
レムは重ねて、僕にこう言った。
「しかしその場合はあくまでもノートに触っている時だけだ。手を離せばまた全ての記憶はなくなる」
「ああ……それだけ確認しておけば十分だ。僕が確実に寝ている時間なら尾行もないだろう。いや家に帰ってきて夜になった時点でもういないとは思うが念のためだ。一度明かりを消し、寝たと見せ、朝4時から行動に移す」
僕は宣言通り、就寝の準備を整えて明かりを消し、ベッドへと潜った。
しかし言葉通り熟睡する事はなく、仮眠程度に留めた。ベッドに横たわりつつも、頭を回転する事は止めない。
夜中、抜けがないか思考実験を重ねて、翌朝四時に、僕は人気のない森の中へと足を運んだ。
そしてミサのノートをレムに渡しながら、僕はこういった。
「このノートの所有権を放棄する。…これでこのノートの所有権は元の持ち主、死神のレムに移った。そうだな?」
「そうだ。しつこいぞ」
「そして死神同士のノートのやり取りなら何の問題もない」
「?…ああ」
「じゃあそのノートをリュークに上げてくれ」
「……夜神月…何を考えている?」
さすがにこの指示にはあっさりとは頷けない様子で、レムは警戒心を高めていた。
「ミサを助ける為だ。少しは僕を信用しろ」
「……わかった」
ミサの為というと、予想通りレムは要求を呑み、リュークにノートを所有権ごと手渡した。
「これでそのノートの所有権はリュークになった」
「……そういう事になる」
「リューク。それをまた人間界の地に今そこに落として、僕に渡してくれ」
「えっ?…まあいいけど」
「これでまた所有権は僕だ」
リュークはここでノートを掠め取る強欲な死神ではない。これをする事で楽しみが増すならと、僕の言う通り、所有権を手放しノートを地に落としてくれた。
そしてそれを僕が拾う。
「おいえい一周しただけで何も変わってないだろ」
「ああそうかもない」
──しかしこれが必ず役に立つ時が来る──
僕にはその確信があった。
「そして僕が一番最初に手にした、リュークにもらったこのノート…今度はこれをリュークに返すから、レムにあげてくれ」
言うと、その意図は理解していないながら、死神たちは言う通りにしてくれた。
レムはミサのために。リュークは自身の楽しみのために。
レムの手に元・リュークのノートが渡ったのを見届けると、僕はレムにこう指示した。
「レム。それをある程度の地位があり、出世欲が強く、その為に使うであろう人間に渡すんだ。しかし最初に「報道されていく犯罪者を裁く事」をノートを使う条件として取引をし、その条件にしっかりと応じる者にだ」
「……」
「それをすれば必ずミサは今の監禁生活から解放されると約束する。何年経っても解放されないようなら僕を殺せ。それでどうだ?」
「……いいだろう…しかし…何故こっちのノートなんだ?」
当然、疑問として浮かんで当然だ。僕は用意してあった答えをレムへと告げた。
「それならリュークが英語で書いた使い方が書いてあるし、ミサが使っていた方では、レムが他の人間に渡すとミサが使っていた事がバレると考え、拒むかもしれないと思ったからだ。それにそのノートからは僕の指紋や筆跡等、ミサや僕に繋がるものは何も出ない様にしてある」
「なるほど」
「ミサを助ける為だ」
尚も警戒心を解こうとしないレムに、全てはミサの為だと、あと一押しをした。
「他に方法はない。人をよく選んでくれ。出世や金のためにノートを使う地位のある人物だ。ただし一カ月以内に渡してくれ。渡すのが遅れればそれだけミサの監禁は長びく」
「……いいだろう夜神月…ミサが監禁されていたのではおまえも危ない…おまえが必死なのもわかる…ミサが助かるなら言う通りにしてやろう」
レムが言った通り、レムに命を握られている僕が、ここでレムやミサをハメるうな迂闊な事が出来るはずがない。
そう納得したレムは、元・リュークのノートを手に空へと飛び立った。
「これでレムはあのノートを渡した人間に憑いていなくてはならなくなる。…僕がまたあのノートを手にしようとしている事は想像できたとしても、それ以上の事はわからないだろうし、動く事もできない」
「…なるほど。俺がさっきライトに渡しそのノート、俺に「さよなら」と言ったくらいだから、それも一度どこかで捨てるつもりなんだろうが…そのノートなら再び持つのがライトでも弥海砂でも記憶が戻るというわか…」
「いや…このノートはミサが拾う事になるだろう…そして憑くのはリューク。レムじゃない…」
リュークはそれを聞いてどう思ったのか、沈黙した。僕は思考の整理と、リュークに計画を共有する意味も含めて、改めて口にする。
「僕もミサの様に監禁され、24時間監視される状態になる様仕向ける。竜崎はここまで疑いをかけている僕をそうしないとは言えない。監禁された状態でノートの所有権を放棄し、デスノートに関する記憶を全てなくす。僕からもミサからも証拠は絶対に出なくなる。記憶もノートもないんだ、出るはずがない…」
監禁されているのはミサだけではない、名前も同じ。それを考えると平静ではいられなくなりそうで、脳裏に過ったその考えを一度振り払うように言葉を続けた。
「今の竜崎だけではない。父達もいる。あの状況で三人が監禁され、その間に犯罪者裁きが復活し、続けば竜崎はいつかは二人を解放せざるを得なくなる」
「……そうなるだろうな…しかし解放されたからといって、あの竜崎が二人を自由にするとは俺には思えないし、大体記憶がなくなった状態でノートは手にできないだろう…」
「いや…リュークすらう思う。「監禁を止めても竜崎は三人の監視を辞めない」そこを利用るすんだ」
やはり理解できていない様子のリュークに向けて、僕は更に詳しく説明する。
朝4時に家を出て、この森まで辿り着くまでにも時間を要している。
そしてレムを説得するためのやり取り…そうこうしているうちに大分時間が経ったようで、朝日が強く差し込む様になっていた。
「僕が監禁され、デスノートの記憶を失ったら自分がどうするか…よく考えてみた…必ず僕はキラを捕まえようとする。自分がキラじゃなくてもこの事件は追っていただろう。僕はそういう人間だ。ましてやキラのせいで誤認で監禁までされた事になる。捕まえようとしないはずがない…つまりLと僕は同時にキラを追う事になり、キラを追う僕をLは常に観ている事になる…その先は見えてる…」
「Lより先にレムがノートを渡す奴を捕まえ、ノートを奪えると思っているのか?いくらライトとはいえ、自信過剰じゃないか?」
「まあ…その自信もなくはないし…Lより先にキラを捕まえられればそれに越した事はない。それでノートも記憶も取り戻せる事になる」
僕はスニーカーでパキリと音を立てながら地面を踏みしめた。
森は整地されているはずもなく、地面はでこぼことしていて、枝や枯れ葉が無秩序に散らばっていた。
「しかしそうもいかないだろう…竜崎の性格を考えれば、下手をすれば「一緒に捜査しろ」とも言いかねない。いやその可能性の方が高いくらいだ」
ノートを手にしながら、一本の木の根元に屈みこむ。
そこには死神たちとやり取りを始める前に掘ってあった穴があった。
「だからこのノートは埋めておくんだ。そうして記憶がなくなれば、誰もわからなくなる。Lより先であろうと後であろうと同時であろうと…レムの渡した奴のノートの方に触れればそれでいい…僕の考えではたぶんほぼ同時に触る事になる…」
僕はノートを穴に落としながら、リュークを一瞥する。
「……そうとも、Lだけが触りその時レムがノートを渡した人間が死んでさえいなければいい…今のL側人間が殺すはずがないだろう。僕がノートを触った時、ノートの持ち主を殺す。それで所有権は僕に移り、僕はそのノートを使わずにミサにもう一冊のノートのありかを教える…面白い事になる…」
ノートに土をかぶせて、人の手の加わった痕跡が残らないよう、なるべくなだらかに、自然にした。
リュークは土に埋められてしまったノートをみて、なんとも言えない表情で言う。
「まさか俺の渡したノートの最後は土の中に捨てられるとはな…。…ここを弥海砂に掘らせるのか?そんなに上手くいくのか?レムが言ったように、もう片方のノートに触っても、触ってる時しかライトに記憶は戻らないんだぞ」
「リューク。僕は寝る時くらいしか時計を外さない」
僕は左手につけられている腕時計を見ながら、リュークに言う。
「特に外出の時は必ず身に着けている。習慣ってものは変わらない…しかもこの時計は大学に入った時に父さんからもらった物だ。買い替えるはずもない」
「?何を言ってるんだ…?」
「この時計に仕込んである…」
リュークに言った通り、僕はもう寝る時以外、時計をつける癖が無意識に刷り込まれている。
朝起きて部屋着から着替えて顔を洗って歯磨きをする。
そういった毎日必ず施されるの習慣の中に、「腕時計をつける」という習慣が加わっているのだ。
そして、この時計はただの時計ではない。この計画の要となる代物だ。
「ここを一秒以上の間隔を開けずに4回引くんだ。こんな動作誰も絶対にしない。押す事だって四回連続はしないだろう。その4回引く動作も記憶が戻るまでは忘れているだろうが、記憶が戻れば思いだす。底の部分がスライドして、デスノートが貼ってある。これでも一人分の名前を書くには十分な大きさだ…書いた後はがして丸めて飲み込んでやるよ。僕は器用だしね…」
「…ほんと器用だな」
秒針を合わせるためのつまみを実際4回引いて、底の部分がスライドする様をリュークにみせてやった。
この時計には、元々こんな機能が備わっていた訳じゃない。僕が細工したのだ。
おびただしい数の監視カメラに見守られている最中でも、僕は死角を見つけ、小さなノートの断片に犯罪者の名前を書いて殺してみせた。
こんな事くらい、容易い事。
「自ら監禁される者が証拠になる物を身に着けてるなどLは絶対思えない。仮に監禁時時計が外されても、解放されれば僕の持ち物だ。必ず返ってくる。この時計をはめ、僕はレムがノートを渡した人間を捜す事になるだろう…捕まえた時に当然、犯人の名前もわかっている」
腕時計を眼前に掲げて、僕は強い意志と確信を込めてこう言った。
「この時計をし、デスノートを手にする。その時は必ず来る」
それに…。僕がこの時計を祝の品としてもらった物だというのも、勿論大きな理由の一つだったが。
「この時計は父さんにもらった物で…──も気に入ってるから」
目を伏せ、あの時の事を考える。
とすごす時間はいつだってかけがえのない物。とはいえ、その中でも殊更に印象に残るシーンという物は存在する。
それが、がこの時計を見つけた瞬間の事だった。
名前と共に、入学式へ向かう最中の事。
電車内で、大学の入学祝に父さんに時計をもらったのだと見せた時、は瞳をきらきらと輝かせていた。それが子供みたいで、可愛いと思った。
けれど目を細めて笑った瞬間はやけに大人びて見えて、その移ろいから目が離せなかった。
「すごい。映画みたいだね」
「…映画?」
は眩しい物でもみるかのように目を細めている。改めて自分の腕にある時計に視線を落としてみる。
確かに節目に父親から贈られた大事なものであるし、嬉しかった。
けれど、今のほどの感慨は抱けないと思った。
「父が息子に時計を渡すって。洋画のワンシーンみたいで素敵」
「…割と日本でも一般的だと思うけど。節目に時計を送るっていうのは」
「そうかな?…そうだとしても…その時計を見るだけで、月くんがお父さんに大事にされてるってわかって…なんだか、いいよね」
幻想的な風景でも見るかのようにして、は僕の左腕の腕時計を眺めていた。
僕が父さんにもらった大切な時計は、の中でも特別なものになったようだ。
「つけてみる?」
「えっいいよ…月くんの大事なものだよ」
たかが時計…と言ったら父さんに失礼だけど。そこまで遠慮されるほどの代物ではないだろう。
けれどはこの時計を、特別視していた。まるで宝物を目の前にした時のように、慎重に接した。
のご両親は祝ってくれなかったのかと問えば、そんな事はないのだと返答される。
だとすれば尚更、何故がここまで父さんからの贈り物を特別視するのか。その理由はいくら考えてもわからなかった。
聞けば答えてくれただろうけれど…がどうやら抱いているらしい綺麗な幻想を暴くようで、それは躊躇われたのだ。
理由はどうあれ──より一層、この時計は僕にとって特別で美しいものになった。
そんな美しいものに、デスノートを仕込むというのは、まったく不釣り合いだけれど…
それもこれも、僕の理想の世界を創り上げるために必要な一手だ。
僕の理想。僕の夢。美しく、夢のような世界を創り上げる事。
そこには苦いものなんてなくて、甘いものしかなくて、汚い人間はいなくて、誰かを苦しめる者がいない世界。
必ず…。大丈夫だ。竜崎…父達…ミサ…そして…記憶をなくした自分…
必ずそうなる自信がある!
「また""かよ。…ほんとライトはあの人間が好きなんだな」
「好きなんて言葉じゃ表せないよ。愛してる。…ああ、それでも足りないな」
「愛とか恋とか、お前ほど似合わない人間もそういないな」
森を抜け出し、自宅へ帰ろうとする最中、リュークは笑ながら僕をからかった。
「何言ってるんだ。僕は愛のためにデスノートを手にしたんだ」
「そうだったか?」
「そうだよ。僕はリュークに言ったはずだ。が傷つく事のない美しい世界を創りたいと…」
「……そんな話も忘れるくらい、ライト。お前はキラとして冷徹に行動してるってことだ」
「キラが冷徹?むしろ、その逆だろ」
僕がキラとして犯罪者を裁くのは私利私欲や承認欲求からではない。
弱いものを救いたい。苦しむ誰かのために──そんな他者への思いやりから来ているのだから。キラとは、冷徹とは正反対のものであるはずた。
リュークはそれに納得した様子はなく、いつものようにおかしそうに笑うだけだった。
──6月1日。
僕は竜崎に電話をかけた。「僕がキラかもしれない」と。そして監禁を望み、七日目、所有権を放棄した。
──そして10月28日、今日。
僕はキラとして、再びこの世に舞い戻った。
あとは至近距離にいる竜崎の目を盗み、時計の中のデスノートの破片に、火口の名前を書くだけ──
僕の計画は、ここまでは順調だ。最後の一手を、僕は今まさに打とうとしていた。