第71話
4.舞台裏死神の存在

「──言わせてもらうが──竜崎。僕はをこの世の誰より愛してる。…何より大切な存在だと思ってるんだ」
「はい、知ってますよ」
「それは何故だと思う?……は…今まで出会った誰よりも人間的で、情緒が豊かで、人の心を汲み取れる。…底抜けに心優しい女性だからだよ」


は優しさだけを煮詰めて作られたような、綺麗で心穏やかな人間だった。
小さなことで一喜一憂するし、身内には甘い。
博愛主義という程ではないが、その善性を多くの者に差し出し、出し惜しみはしない。
けれど悪意には弱かったりと、人間らしい弱さももちろんある。
満ち足りた所と、欠落したところ、どちらも併せ持つ名前は実に人間らしいと思う。
だというのに、どうして竜崎はこうも僕と正反対の印象を抱く事になったのだろうか。

「……お前はをこんな風に問い詰めて、何が知りたいんだ?」


掴んだ肩は離さないまま、僕は竜崎と視線を合わせながら、詰問をした。
竜崎はそれで怯むような精神はしていない。僕の質問への答えとして、こう口にした。


「……何が知りたい…、…。…正直な所、行き当たりばったりです。考えはまとまってません。さんが、"もうすぐおわり"だなんていうので、私も焦ったのかもしれません」


それを聞いたは、僕たちを仲裁するでもなく、ただくすくすと笑いだした。
顔を見合わせ、一触即発状態だった僕達も、思わずの方をみた。
の笑顔と楽し気な声を聞いていたら毒素を抜かれて、強く肩を掴んでいた手が自然と離れる。
は見た事もないほど綺麗な笑みを称えていた。──そして、こう言った。


「何の意味もないよ、…深い意味なんて、全然ないの。…ただ、朝起きて…何かが変わった気がして…窓の外の陽の光が、いつもと違って…終わったな、って。そう感じたの」
「……終わった、ですか」
「そう…秋が終わりに近づいてるんだなって、感傷的になったの。窓を開けなくてもわかったよ…。…ねえ竜崎くん。心配しなくても、私は情緒ある人間だよ」

竜崎はそれを聞くと、まるで納得した素振りもなく…ただ淡々と、こう言った。

「…それでは、最後にもう二つだけ聞きます。私はほとんど…少なくとも月くん、ミサさんほどには、さんの事を疑っていません。それを前提に話します」
「うん?なあに?」
「──どうして、第二のキラの容疑で確保されたあの時、無抵抗だったんですか。監禁されて暫く立った後、次第に弁解を諦めていくのならばわかります。
…けれど、あのはじめの瞬間から、さんは観念した様子だった。そこだけが、どうしても引っ掛かっているんです」
「………」


しかしはいつも通りの優しい笑顔を浮かべながら、動じた様子もない。
ベッドに沈み、寝間着のスカートをシーツの上に広げながら、穏やかに言った。


「怖くて、何もできなかったの。いきなりの事で足がすくんだし、声すら出なかった。それってそんなに変かな…?…そこからは、竜崎くんの言う通り。次第に弁解を諦めた。
私の言葉に力はないと思ったの。…実際、あれから随分時間が経った今ですら、誤認逮捕だったとは認められてない訳だし…やっぱり何も言わないでいるのは、自然な事だったと思う」

口元に手を当てながら、過去を振り返るようにして語る。
五月末に確保され、10月の今まで軟禁されている。
数か月も前の…しかも極限状態だったであろう頃のことを思い出すのは、至難の業だろう。
思いだしながら話しているせいで、ぽつぽつと。僕からすれば、その語り方が少し拙く感じられた。
しかし、竜崎はそれとは無情にも、それとは正反対の評価を下す。

「……珍しく、饒舌に話すんですね」
「…竜崎っ!」


竜崎はどこまでも僕をキラだと決めつけて、撤回しない。
それと同じように、の事もいつまでも探り、値踏みする事を止めないつもりのようだ。
僕は思わず大きな声で、竜崎を咎める意図で名前を呼び、睥睨した。
しかし竜崎はそんな事くらいで怖気づく事はない。それどころか、の方へと一歩踏み出し、ベッドに近寄る。
そしていつもの竜崎の癖を発動させた。まるで観察するように、至近距離まで顔を近づけて、に問いかけた。


「それでは、最後の1つです。……さん、もう一度だけ聞きます」
「…はい」
「──キラ…もしくは第二のキラが、誰かわかりますか?それらしき人物と接点を持った、心辺りはありますか?」
「……」

はにっこりと笑うと、間髪入れずに断言した。

「ありません」

──その笑顔は晴れ晴れとしていて、探られて痛い腹など、到底隠しもっているようには見えなかった。


「──そんな人に、出会った記憶はありません」


はきっぱりと断言する。とは長い付き合いだ。当然の事は疑っていないし、
が隠し事をしようとする時の挙動はよく知ってる。
だから今、が本心でそう言ってる事はわかった。
しかし竜崎との間には、培ってきた信頼関係などありはしない。
だからこそ、慎重に、何度でも探りを入れている。竜崎は今回の探りで満足したのかどうか、しかしこう言って締めくくった。


「……なるほど、わかりました。ありがとうございます」

物分かりのいい事を言っているが、竜崎の言葉を、額面通りに受け止められない事は、
僕もももう痛感していた。
だからは、くすくすと笑いながら単刀直入にこう問いかけた。

「ふふ…微妙そうな顔してる。何%スッキリした?」
「少しもスッキリしませんでした。むしろ、疑問は増しました」
「おい、竜崎……」
「月くん。私は疑いが増した、とは言ってませんよ」

は僕と竜崎が言い合いを始めると、更におかしそうに「あはは」と笑いだした。
心底微笑ましそうに、目ほ細めている。

「ふふ…喧嘩するほど仲がいい、ってやつだよね」
…?僕と竜崎が仲良くみえるの?」
「うん、そう。だって友達でしょう?」
「はい。月くんと私は気の合う友達です」
「……」
「あは」


心にもない事を平然と言って頷いた竜崎をみて、僕は思わずじろりと竜崎を睨んでしまう。
それを見たは、やはりまたくすりと笑うのだ。そして──

「わたし、2人のやり取り、眺めてるの好きだったなあ…」

──まるでこれが最期かのように、しみじみと言った。僕と竜崎はお互い突っかかるのをやめて、パッとの方をみた。
──まるで別れを惜しむみたいだ。そう感じたのは、僕だけではない。竜崎も同じようだった。

「………過去形」

ぽつりと、僕は思わず声にしていた。好き「だった」。
まるで過去の事を語っているようだ。
そのどこか達観したような表情や声色も相まって、そうとしか受け止められなくなっていた。


「……秋が、終るからですか?」

竜崎も、少し声を低くしながら問いかける。
僕と竜崎、2人から含みのある視線と言葉を投げかけられたは慌てて両手を振った。
そして、「過去」を語った訳ではないのだ、と否定をする。

「意味があってそんな言い回しをしたわけじゃないの…でも…、うん。…もしかしたら、無意識に…そうだったのかも。季節が終わるからって、そう思って…」

はようやっとベッドから降りてきてくれた。
そして僕達の方に歩み寄り、見上げながら、ふわりと笑う。
随分と楽しそうだ。最近のは──というより、監禁されてからのは──
衰弱したり怪我をしたり、監視の目に萎縮したり、潜入捜査や接待で嫌な思いをしたり。
散々な事ばかりで、沈んだ顔ばかりしていた。
だから、こんなにも晴れやかな顔を見るのは久しぶりのことだった。
まるで死期を悟った猫のようだと思ってしまった自分が嫌になる。身を隠す前の、最後の挨拶のようだと思ってしまった。


「今年は春も夏も秋も、色々な事があったけど…でも過ぎてみれば…。…楽しかったな。終わるのが寂しいって思えるくらいに」
「…そうですか」

竜崎はじっと名前をみていた。そうですか、と言いつつも、納得はしていないようだった。
しかし、それ以上追求する事はしない。
どんな角度から質問を重ねても、これ以上から言葉を引き出す事は難しいと判断したのだろう。

「時間取らせてしまいましたね。すみません」
「気にしないで。…というか、全然お構いできなくてこっちこそ…ごめんね…?ずっとベットの上で…」
「くつろいでた所を邪魔したのは僕たちなんだから、それこそは気にしなくていい」

僕達三人は、入学式で出会ったあの日から、奇妙な関係を築いていた。
友達だと宣言しながらも、確実にそうではない。腹の探り合いを続ける仲だ。
しかし捜査のために協力し、息を合わせて同じ思考を共有する。
を巻き込もうとする竜崎を僕が咎め、そんな僕をが宥める。
この関係性に名前はない。けれど、"いつものお決まり"というのが出来上がる程には、三人一緒にいた。

「…ありがとう竜崎くん。月くん」

──この日が、三人一緒に過ごす、最後の時間となるとは、露知らず。


***


犯罪者裁きが止まって、今日で三日目だ。
僕達はさくらTVを使い、火口を引っ掛け、殺し方を確認するための作戦を実行しようとしていた。
本部今にはミサと、そして竜崎と僕の四人しかいない。
はどこか落ち着かない様子で、視線をさ迷わせていた。
初めて本部に足を踏み入れた訳でもないのに、見知らぬ異国に連れて来られた幼子のようだ。
少数精鋭でやっているキラ捜査本部だというのに、ほとんどが出払ってしまい、がらんどうのように感じられて、居心地が悪いのだろう。
父さんや模木さん松田さん、アイバーもウエディも、各々配置された場所で既に待機している。


「…本当に私もここにいていいの?」
「はい。火口からは、ミサさん、さん、どちらにも電話がかかってくると思いますので、対応お願いします」

は火口にキラを崇拝しているような事、Lに拘束された事、様々な事を思わせぶりに匂わせた。
現在火口はミサが第二のキラだと信じこんでいるため、は火口の中ではもうお払い箱となっているのだろうが…
マネージャーの名前を知るため、という事であれば、きっとの事も再び利用しようとするだろう。
は「わかった」とこくりと頷いて、神妙な面持ちでデスクに向かう竜崎と僕の背後で、事の成り行きを見守っていた。


***

「奈南川さん、Lです。今一人ですか?」

僕はデスクに備えられた固定電話を使い、奈南川に電話をかけていた。
スピーカーモードにしているため、他の三人にも聞こえるようになっている。

『いや』
「ではまた適当に相槌を」
『その必要はない。会議中にあなたからもらった電話が変だと気が付いた者といるんだ』
『なんだその電話、奈南川』
『Lだ。……L。ここに三堂と紙村が居るが、2人共キラとは思えないし、キラに腹を立ててる口だ。何を言われても私の様にLとキラの決着を見守るだろう』

僕は一度受話器を耳から外し、竜崎の方をちらりと見る。

「……」
「いいでしょう」
「…今夜キラを捕まえる。少し協力してほしい」

僕の独断で全てを決める訳にはいかない。僕が竜崎に伺いを立てると、
竜崎も特に異存なかったようなので、快諾した。
僕はかなりショッキングな話をしたと思うのだが、奈南川が驚く事はなかった。
むしろその逆に落ち着いていて、穏やかに話している。

『火口も最期か…』
「わかってたのか?」
『はは、Lでも引っ掛かるんですね。今のあなたの反応でやっと100%火口になりました』
「……」

──やられた。僕は口を固く結んで、不快感で眉を寄せる。
こんな初歩的な誘導尋問に引っ掛かるなんて、僕も存外、緊張しているのかもしれなかった。


「奈南川ってやるねーあの人の顔はそこそこやると思ってたの、ミサ」
「いえ、夜神くんの失敗です」


僕はミサのおとぼけや竜崎の叱責も右から左へと流し、平静を心掛けて、奈南川へと言葉を続けた。


「今夜七時からのさくらTVキラ特番火口を動かす。番組が始まって数分後に火口にテレビを観る様連絡を入れて欲しい。他の六人は絶対悪い様にはしない。そこに居ない樹多、鷹橋、尾々井が何かしようとしたら、止めてください」
『ああ、わかった。信用しよう。なんなら六人でその番組観させてもらう』


奈南川は僕の言葉を疑わず、快諾した。
僕が最初に奈南川に目をつけたのも、あの会議の中で発言力があったのも勿論だが…
状況を把握する力、どんな選択が己の利となるか。
機転をきかせ、敏い判断を下せると確信したからに他ならない。
そのおかげで、口惜しくも、先程のように引っ掛けられてしまった訳だが…。

この後奈南川は、「火口まずい。テレビを見ろ、さくらTVだ」と言って火口にテレビを見させるよう、誘導させるよう指示してある。
さくらTVには松田さんと父さんが配置されている。

松田さんは今もテレビ出演中だ。予定通り、二枚のすりガラス越しに着席し、シルエットだけが見える状態になっている。
声は匿名性を保つために、よくある変声をかけられている。
そして、すりガラスの向こうでアナウンサーと対面し、キラについての質問を重ね、受け答えを続けていく手筈だ。
モニターの1つには、さくらTVが映し出されている。丁度、予定通り松田さんの前に設置されていたすりガラスが"不慮の事故"で倒れて、『あああっ…!』と悲鳴を上げていた。
中々演技派だ。スタッフが大慌てですりガラスを立て直そうと奔走している。


『し…CMの後はどのような調査をして、キラに辿り着いたかお話頂く予定でしたが…先ほどのアクシデント…大丈夫ですか?もう止めますか?』
『いえ…もともと危険は承知の上です…正義のために殺されようと、最後までがんばります!』

再びすりガラス越しにテレビに映る松田さんが、ハッキリと宣言した頃。
ミサの携帯が着信を伝えるメロディを響かせた。


「来たーっ」


ミサは即座に通話終了ボタンを押して、火口の着信を受け付けなかった。
ミサから松井マネージャーの事を聞き出そうと焦って電話をかけてきたのだろう。
通じなかった事で、更に焦燥感は増しているに違いない。
すると暫くしてから、パソコン越しにワタリの声が聞えてくる。


『竜崎、火口から模木さんに電話が入りました』
「はい、次来ましたね」

竜崎の視線の先にあるパソコン画面を見ると、いつもの特徴的なロゴの横に、携帯電話のアイコンが表示されていた。
そのアイコンが表示されている間は、他との通話を中継して流している、という合図になっているのだろう。


『模地!ミサはどこだ!?』
『あっお世話になっております。火口様。ミサはただ今久々のオフで出かけております。明日の朝には帰ると…はい』
『どこに出かけたんだと聞いてるんだ!』
『それが、プライベートなので誰にも知られたくないと…申し訳ございません。明日には連絡がつくかと』
『……前のミサのマネージャー、あれ元タレントか?』
『はい?』
『松井太郎っていただろ?』
『ああ…入れ代わりで入ったので、私は何とも…そういう事でしたら事務所の方に…あ…でも今、皆で沖縄に来てるんで、社長に電話して頂けますか?』

模木さんが言うと、火口は返事も待たずに即座に電話を切った。そして間髪入れずに、
ヨシダプロの社長の元に、火口から着信があった。

『火口からヨシダプロ社長に中継します』

ワタリが言うと、火口と社長の通話を中継しようと、操作する間の一瞬の間が生まれた。
そこで僕と竜崎は、ぽつりと言う。


「まったく筋書通りで怖いくらいだな」
「怖がらず喜びましょう、月くん」

そんなやり取りをしているうちに、すぐに火口と社長のやり取りが流れてきた。
もちろん、火口がキラで、僕達はキラ捜査をしている…なんて開示した訳ではないが、
ヨシダプロは竜崎が買収していて、今回の事に全面的に協力するよう、約束を取り付けている。そのため、社長は台本通りにやり取りを進めてくれた。

『ヨツバの火口だが、前にいた松井太郎って本名じゃないのか!?』
『ああ、彼はマネージャーとしての名前を使ってたんですよ。火口さん』

ミサはモニターを指さしてけらけらと笑っている。

「段々聞き方がストレートになってきてるね火口のバカ」
「余裕がなくなってきてる証拠です」

竜崎は淡々と切り返し、その間もモニターからは目を離さなかった。
いくつもある画面には、さくらTVの様子の他に、ヨシダプロで張っている模木さんの姿や、アイバーとウエディの様子も映し出されている。


『本名は!?』
『確か…山田…いや山下…下の名前は憶えてませんね』
『ふざけるな!雇った人間の名前くらいちゃんと覚えておけ!』
『なんですか?その言い方?事務所に戻ればちゃんと履歴書もとってあるし、特に問題ないでしょう?』
『じゃ、戻って教えろ』
『それこそふざけるなです。こっちは二年ぶりの社員旅行なんです。そこまで言うなら事務所のロックの暗証番号教えますから、入ってみて頂いて構いませんよ。
履歴書は入って左の奥の机の一番下の引き出しです。ちゃんとアイウエオ順になってます。多分山下です』

火口はまた返答を待たずして、すぐに電話を切った。
番組終了までは、まだ二時間ある。火口が"悪あがき"をするには十分な時間が残されていた。


「動くかな?」

モニターを見ながら、ミサはぽつりと呟いた。
火口の次の行動を予測して、いくつもあるモニターの中央、一番大画面のそこに、
火口の自宅駐車場をマッピングした画像が映し出された。
実際の図面を書き推したようになっており、その中に火口の車六台のアイコンが、実際の置かれている通りの場所に表示されていた。
動向を伺っていると、一台の車のアイコンが、駐車場から車道へ向かって移動する。
その車のアイコンの後ろには、丸いアイコンが表示されていた。
ウエディが乗ったバイクだ。ウエディの居場所も当然、こちらが把握できるようになっている。


『火口確認。所持品はバッグのみ。追います』
「ここまでは思惑通りだな」
「はい」

まったく筋書通りで怖いくらいだ、と先ほど僕が言った通り、何の綻びもなく進んでいる。
僕たちの立てた作戦が緻密で入念な準備をしたからか、それとも火口が単純だからか。
そのどちらもだろう、と思った。


『気づかれぬ様距離をおいて追走します』


ウエディは報告を怠らず、随時続けた。さすが裏社会のプロなだけあり、手慣れた様子だ。
大画面には火口の車内が映し出され、その他の中くらいの画面には、さくらTVの放送画面、ヨシダプロ、マッピングされた図面、出目川と共に裏で放送を見守る父さんの姿…様々な角度からの映像が流れる。


『それでキラ含め、八人とお酒を飲むはめになったんです』
『はは、それは面白い』
『あまり詳しい事を言うと、その場にいた人達に誰がキラだったのかわかってしまうので、これ以上今は言えませんけどね』
『はい、誰がキラなのから、この先ゆっくりとお願いします』


竜崎も僕も、その全ての画面から確認漏れがないよう、細心の注意を払った。
聖徳太子のように、全ての画面を見つつ、会話に聞き洩らしがないようにしなければならない。
そうは言っても優先順位というものがある。竜崎は重要なものとそうでないものの区別をつけて、僕に個々の音量を絞るよう指示をした。


「音声1は火口の車内。2はさくらTV。1の方を70。2を30」
「やはり火口、車の中でもしっかりテレビを見ているな」

僕はキーボードを打ち、竜崎の言う通りボリュームを調整した。さくらTVでは絶えずアナウンサーと松田さんの会話が続けられており、その台本は事前に僕たちも知っている。
よって、優先順位は低く、ボリュームは絞られた。
とは言え、シャットダウンしていい訳ではない。出来る限り、その内容を聞くよう努める。


『しかしそれだと、キラと対面しているって事になりますよね?』
『はい。その時は誰がキラなのかはわかってなかったんですけど…』
『しかし顔を見られていてこうして出演するのは勇気ある行動と思いますが、大丈夫なんですか?』
『はい。私は調べるうちに、キラが人を殺すのに必要なものがふたつあるとわかりました。
それが何なのか、噂は色々ありますが…私ははっきりわかったんです。私に関して、キラはその必要な物のひとつの方を知りません』


火口はカーナビを切ってさくらTVの画面に切り替えている。運転しつつ、横目で放送を見守っているようだ。
そして、暫く無言で考えたあと、ぽつりとこう言った。


『…レム…どう思う?』

──レム。話の流れからして、それは固有名詞なのだと推測できる。
だとすれば火口は、「レム」に向けて会話をしているのだろうが…そんな事はあり得るはずがない。


「…レム?誰だ…?車には一人で乗り込んでいるし。あの車に他の者が居るとは思えない。携帯も使ってない…無線か何かか?」
「いえ、あの車には無線機はついてません。こっちの盗聴器、カメラ、発信機だけです。ウエディの仕事のなので確かです」

僕もそう思った。竜崎のようにウエディやアイバーとの付き合いは長くないが、その仕事ぶりは信頼している。

『ヨシダプロに行って履歴書があるかどうか?だ』

──しかしだ。無線でもついていない限り、火口のこの奇妙な言動には説明がつかないのだ。

「一人言か…?」
「…」
『……キレる奴なら自分の名前に繋がる物は全て始末してからテレビに出る…それにヨシプロの「勝手に入ってみてくれ」というのも無用心じゃないか?いや…私しか入らないのなら盗難に遭っても私だという事にしかならないか…』
「大丈夫です、必ず行きます」


ヨシダプロに行く事に引け腰になった火口を見ても、竜崎は必ず行くと確信している。
しかし尚も、火口はヨシダプロへの不信感を募らせていく。


『ヨシダプロに履歴書があってもそれも偽名だったらどうだ?いやこの場合、そこまであいつがしている可能性は大いにある。
……ああ、そんな事は分かってる。しかし念のためその後すぐに電話してしまったヨシダプロの者、ミサやマネージャーは殺しておいた方がいいな』
「えっやだ殺すって…」

ミサが動揺を露わにすると、竜崎は慰めるでも宥めるでもなく…ただ事実を述べるだけと言った風に淡々とこう告げた。

「大丈夫です。松田さんを殺したら、という意味の「その後」です。松田さんを殺せなければ、それをやる意味はありません」
「確かにそうだが…」

僕らが問答している間にも、火口は見えない誰か…"レム"との会話をどんどん進めて行った。
僕はちらりと視線を動かし、の様子を伺う。
ミサのように火口の口から名前が出た訳ではないからか、に怯えた様子はなく、冷静に事の成り行きを見守っている。
重要な作戦を実行している最中なのだ。緊張はしているようだけれど、ただそれだけだ。
──しかし。の冷静さは、この後崩れる事となる。

『そうかレム…お前頭いいな…では操って着信履歴を消させて殺す』
「…やはり1人言とは思えない…レムって誰だ?誰と話してる…」
「もしあそこで会話してるなら…」

竜崎はデスクの上に置いてあった、りんごやバナナなどが詰まった果物カゴの中から、バナナを一本取り出す。
そしてバナナの皮を剥き、それを頬張りながら、こう呟く。


「──死神…ですかね?」


──ガシャン。
その瞬間、背後から大きな物音がした。
振り返と、どこか呆然とした様子のが、手から滑り落ちてしまった携帯を拾い上げる事もせず、ただそれを見つめていた。
自分が落としたのにも関わらず、"何故手から滑り落ちたのかわからない"……
例えばそんな風に、理解できないものと直面した時のような、動揺を露わにしていたのだった。


2025.10.25