第63話
4.舞台裏魔性の女

ミサとがヨツバ本社から部屋へと招くと、ヨシダプロのたくさんのモデルたちが『お待ちしてました!』と笑顔で社員たちを出迎え、ソファーに座るように促した。
そしてビール瓶を手に取ると、コップにお酌をする。社員一人に対して、必ず女が一人傍らにつくようになり、
まるで"そういう"お店のような光景が広がっていた。

『はい飲んで飲んで!』

その中でもミサはやはり群を抜いて飲ませ上手で、場を盛り上げるのが上手かった。
そして気分をよくさせ、男を手のひらで転がすのが上手い。

『これは天国だな、あはは』

火口という男がモデルの一人をはべらせながら、だらしなく口元を緩めている。
最初こそ「何か方向性おかしくなってないか…?」と困惑していた社員たちも、今では完全に場を楽しんでいた。


「ミサさん、結構やりますね」

モニター越しにその様子を眺めていた竜崎も、ミサの手腕については素直に認めていた。
ヨシダプロのモデル達とミサに課されているのは、あくまで場を盛り上げる事。
決して裏があるとは悟られぬよう、飲みの時間を楽しんでもらう事で、とりあえず松田さんの殺しを先延ばしにさせる。
そしてに課された役目は──幻の少女という、本人にとっては不名誉な二つ名の通り。
微笑みを湛えて座っていればいい。それだけで、レアリティが生まれる。
だというのに──


『…隣、いいですか?』
『えっ?あ、きみ…喋れたの?』
『ふふ…はい、喋れますよ。人間ですから。合成じゃなくて』
『あ、はは…そうだよね…』


隣にまだ女の子がついておらず、空席になっていた所には目を付けたようだった。
模木さんが調べてくれた社員リストは、30万にもおよぶ。全てには目は通せなかったが、
重要なポストについている人物については、事前に目を通しておいた。
彼は…紙村という男だ。
僕とは、物心がつくかつかないか…幼稚園の頃からの付き合いだ。
誰よりも…もしかしたら家族よりも長い時間を共に過ごしたかもしれない。

の事は、誰よりも熟知している。本人よりも、について詳しい自身があった。
だというのに、今のは、そんな僕でも見た事のない種類の笑顔を浮かべていた。
目はうっそりと細められ、赤いリップが惹かれた唇は弧を描いている。
太もも同士がぴったりとくっつけられ、至近距離で目を合わせている。
紙村はの距離の詰め方と、その美貌に照れたのか、目を逸らそうとした。
──けれど、はそれを許さなかった。

『だめ』
『え、…』
『私をみててください。視線をそらしちゃ、いやですよ』
『あ、う、うん…。…うん』


は紙村の服の袖口を掴むと、自分から視線を逸らす事を止めた。
紙村はの言葉に、ロボットのように頷くしか出来ず、パクパクと口を金魚のように開閉させながら、顔を真っ赤にしていた。

──まるで魔性だ。が持つ女性としての魅力を総動員させ、男を堕とすために、それを意図して"使って"いる。
こんなは見た事がない。
──は純粋で、初心で、潔癖な所がある。
そんな所がいじらしくて、かわいいと思ってて──
けれど僕は確かに今、紙村と同じように、このの有無を言わせぬ魔性に…モニター越しにでも惹かれ、僕の頬は熱を帯びていた。
は上品な仕草でビール瓶を傾け、彼のグラスにお酌をした。

『あっどーも…』
『たくさん飲んでくださいね。お寿司もまだ新しいのがありますから』

ずっと紙村を見つめていただったけれど、ふとテーブルを見た。
すると、もう既に寿司はまばらになり、残ったネタの種類も偏っていて、
もう誰も手をつけるような様子がない。
は気を利かせて、そこでスッと立ち上がった。
は自分から目を逸らす事は許さなかったくせに、まるで猫のように気まぐれにスルリと自分の側から離れようとする。
翻弄された紙村は、目を丸くしてを見た。

『私、新しいの取ってきますね…』
『あっそ、そんなのいいから!それよりも…きみに…ここにいてほしい!』
『……そうですか?』

立ちあがろうした名前の腕を掴み、紙村はその場に留めた。

『──嬉しい』

そして名前はふわりと笑う。今度は蠱惑的なものではなく、まるで純粋で汚れを知らぬ少女のような顔をして。
──自分に気があるのではないか。男にそう錯覚させるには、の仕草言動、表情の移り変わりは、十分すぎた。


『…あ、はは……き、きみ名前は?幻とか言われてるけど、芸名もないの?』
『…ヨツバさんなので、特別に教えていいって事務所からOKでました。私、っていいます』

『はい。特別ですよ。誰にも教えないでくださいね?』

は紙村に内緒話をするようにこっそりと耳打ちしてから、離れた。
そしてこてんと首を傾げながら、あざとく笑ったのだった。
魔性の成熟した女性にも見えて、無垢な少女にも見えて、年相応に無邪気であざとい女の子にも見える。
色んな顔を見せられて、紙村は翻弄されていた。


『…私もお名前知りたいです』
『…俺は、紙村だ』


は、寡黙という訳ではない。しかし、決して多弁な方ではない。
マイペースな方なので、喋り方はゆったりとしている。言葉は出来るだけ柔らかいものを選んでいると日々感じている。

『ええと…ミサちゃんと仲いいんだね。衣装の色もおそろいだ』
『はい。ミサとは友達なんです
『あはは…ほんとのとこ言うと、事務所の作った設定とかじゃなくて?』
『いえ、本当に友達なんです。ミサのロケに見学に行って、偶然遊んでた所を写真に撮られて…』
『…ああ、それで有名になったんだ。策略とかじゃなく』
『はい。本当に偶然』


けれど今のの喋るスピードは速く、雄弁だ。まるでお喋り好きな女子のような姿だった。
『あなただけに話を聞いてほしくてたまらない』そう錯覚させるような…いや、そう錯覚させる事を意識した行動をとってる。


「…本当に計算外です。さん、下手したらミサさん以上のやり手ですね。…これが素なんでしょうか」
「……素?」

竜崎はモニターを見ながら、感心したように言った。
見た事のないの一面だ。がどこで男を転がすようなテクニックを得たのか知らないし、今どんな気持ちでいるのか、今となっては想像がつかない。
けれどこの男を惹き付ける魔性の面が、の"素"であるはずがない。

「紙村、さんに視線が釘づけです。もう完全に堕ちてます。…水商売の女性がするレベルの接待ですよ。そういう経歴がないなら…素としか言いようがない。生まれ持った素養。…ミサさんとはまた少し種類が違うものですが」

だというのに、竜崎の言葉を否定しきれなかった。
とはずっと一緒にいたのだ。幼稚園から大学までずっと一緒で、変な虫が付かないよう牽制し続けていた。
は女友達はそれなりにいるけれど、高嶺の花と思われ、男は気軽に近寄れない状態だった。
男友達がいないのは確かだ。どこで男の免疫をつけてきたのかわからない。そんな隙は僕が絶対に作らせなかった。
だとすれば、「生まれ持った素養である」という言葉は酷く説得力があったのだ。
今までは僕以外の男には心を開かなかった。今までがそれを発揮しようとしなかっただけで──

「……くそ。紙村あいつ…」

僕は思わず苛立った声をもらしてしまった。紙村が、の胸元をずっと凝視しているのに気が付いたからだ。
が酌をしようと屈む度に、谷間を凝視している。
は露出の激しい服を好まない。だから僕だって今までの素肌は、ほとんど見た事がないというのに。


さん、狙ってるやってる気がします。あのポーズも」
「……それは、考えたくはないな」
「恋人の立場からしたらそうでしょうね。でもさんは、捜査員としては優秀すぎます。素晴らしいです」

元々、このコスチュームは胸の谷間を見せるために作られてるデザインなのだ。それを更に協調し、"魅せる"ような仕草をあえてが取ってる。
竜崎のその推理は、外れてほしいと願うばかりだ。

そんな時だ。
「ちょっとトイレ…」と松田さんが部屋を抜けだす姿をがふと視線で追った。
それにつられて、紙村もの視線の先を追おうとして──


「──映画、みてくれますか?」


は紙村の服の裾を掴んで、自分に再び注意を向け背させた。
松田さんの方を見た事からも、そして紙村の注意を松田さんから逸らしたことからも。
決してがこの宴会を楽しんでいる訳ではなく、
これが自分の役目だと認識し、精一杯務めている事がわわかり、安心した。

『も、もちろん見るよ!ええと、タイトルは…』
『春十八番。来年の春に公開するらしいです…私は端役なので、少しですけど…ミサのことは沢山見られますよ』
『…僕はきみがみたかったな、…な、なんて』
『え…、…お世辞でもうれしい』
『ま、またそんな…ぶっちゃけこんなの言われ慣れてるでしょ?』
『そんな事ないですよ。私、この間まで一般人だったんですから。こんな風に褒めれることなくて…』
『…こんなにきれいなのに』


紙村はぼーっとして、に釘付けになっていた。
がお酌をしても、もう酒を煽る事はない。
の魅力に充てられているのももちろんだろうが、酒が回っているせいもあるのだろう。
耳まで真っ赤になっていて、明らかに冷静ではないのが伺えた。
そしてが尽力した甲斐あり、松田さんがトイレに行った事に誰も気づく事なく、松田さんは本部で監視している僕たちと意思疎通を図ることに成功した。


『竜崎、みてます?』
「はい」

松田さんはトイレに入り、携帯を取り出して竜崎の携帯に電話をした。
そしてトイレの中のカメラに視線をやって、状況を説明する。

『今来た八人、あいつらはキラを使って殺しをする会議をしてくました。この耳でハッキリ聞いたんです。もう完璧奴等ですよ』
「本当でしょうね…もし本当ならすごいですが…しかしそれを聞いたなら彼等は松田さんを殺そうと思っているはずです」
『ああ…やっぱり…そうなんですよね…助かる方法はないんでしょうか…?』
「幸いまだ生きてるので、助かるかもしれません。それには…」

竜崎はそこで一度言葉を切って、こう告げた。

「──殺される前に死ぬ事です」
『…な、なるほど…』
「いいですか、よく聞いてください。人通りのない西側の…」
『はい…はい………やってみます』

竜崎が僕達にも事前に説明していた例の作戦についての詳細を松田さんに説明すると、
最初こそ驚いていたものの、もうそれしかないと思ったのだろう。
すぐに頷いて、実行に移した。
もう手筈は整っている。松田さんを助けるために、もう各々が配置についているのだ。
ここで松田さんが怖気づいて「やらない」という選択肢はなかった。
父さんと模木さんが下の階に移動している。「夜神さん、模木さん。準備はいいですか?」と内線で確認してから、松田さんにトイレの外に出て、計画を実行するように指示した。

部屋のドアノブが回され、わざとらしくガチャリと大きく音を立てながらあけられた。
トイレに入る時は見られてはまずかったが、今度は松田さんに注目してもらう必要があるのだ。


「ああ〜酔った酔った、気っ持ちいい〜」

松田さんは酔った演技をして、千鳥足で窓まで向かった。

「ちょっと外の空気を…」

呂律が回ってない、ふわふわとした口調で喋りつつ、窓を開けてベランダへと出た。
そして両手でをバッと広げて、大きな声を出して皆の注目を集めさせた。

「さ〜っ皆さん…ご注目ーっ松井太郎ショーターイム!」
「おっ芸あんのかおまえ、ハハ」
「キャーッ松井さんガンバー!」
「よいしょっと…」


松田さんの芝居がかった陽気な様子をみると、皆余興が始まったと思ったらしい。
皆盛り上がり、笑いが絶えなかった。
しかし、松田さんがベランダの手すりに片足を乗せた瞬間、どよめきが広がった。

「えっ!?」
「ひっ…」

の隣でぼーっとしていた紙村も、一気に酔いが冷めたようだった。
青ざめ、松田さんの様子に釘付けになっている。
はこの作戦を知っているはずだけれど、危ない行動を取る松田さんを見てぞっとしたのか、小さな悲鳴を漏らしていた。
ようやく僕の知っているの姿がみれて、僕はホッとした。
思わずと言った様子で口元を覆って震えるは、強かな魔性の女などではない。
ただのか弱い、繊細な女性でしかなかった。


「おいっ酔ってるのに危ないぞ!」
「あらよっと…へへへ…いつもやってるから大丈夫ですよーっ」
「止めろって危ねー馬鹿!」

紙村が松田さんの所まで駆け寄り、必死で止めに入る。

しかし松田さんは足を乗せ歩くだけでは飽き足らず、手すりの上で逆立ちまで始める。
が、これも計画の通りだ。
ただのパフォーマンスではなく、この逆立ちにも意味がある。
松田さんは逆立ちをする事で、狙いを定めているのだ。
下の階でベッドマットを広げている父さんと模木さんの姿を探し、上手くそのマットの上に落下できるよう、真剣に角度とタイミングを定めているのだ。
そしてついに──


「わ…」
「うわっ落ちた!」


──松田さんは、逆立ち状態から一気に転落した。
部屋は一気に恐慌状態に陥り、あちこちから悲鳴が飛び交う。
モデルの子たちは怯えて動けず、社員たちは逆にベランダに押し寄せ、地面に落下した松田さんの死体を確認した。
土嚢のようなものを落とし、ドンッと鈍い落下音が立てられた後、黒髪のウィッグを被ったアイバーが地面にうつ伏せに倒れ伏し、死体のふりをする。
上層階からでは、それが松田さんでない…なんて判別できやしないだろう。
そしてウエディがたまたまそれを目撃してしまった通行人の振りをして、「OH、NO!ドンッて音がしたから来てみたら…119番しなくては!」と取り乱し、ややわざとらしく演技をつつつ、携帯で通報をしていた。


きゃーきゃーと叫んで取り乱すモデルたちとは違い、ソファーに座って俯き、肩を震わせていた。
これが作戦で、松田さんが生きていると知っているは、ここで平然としていてはならない。
かと言って、モデルたちのように悲鳴を上げる演技はできなかったらしいく、
"恐ろしすぎて動けなくなってしまって女性"という姿を装っているようだった。
演技をした事がない。だから映画になんて出れないとは言った。
けれど、写真に撮られることは平気で、セリフがない役ならできるとも。
そんな不器用ならしい演技だった。
だというのに、男を誘惑する手管は様になっていて…僕は常々、は不思議な子で、大人っぽいかと思えば子供っぽい仕草をする、かわいい子だと思っていた。
長い付き合いなのに予想外のことをしでかすことも多く、については底知れない。一生全部を分かり切れる事はないのかも…そんな風にも思っていた。
──それを改めて痛感した。僕は、の事を多く知っているけれど、まだまだよくわかり切れない部分が残されている。


「よ…ヨツバの皆さん…まずいですから、ここは私達に任せて早くお帰りを…!」
「えっそんな…」
「大丈夫です、CMの件はお願いしますね」
「じゃあ私達は…」

ミサの声かけで、ヨツバ社員たちは、戸惑いつつ、荷物をまとめ即座に部屋から出て行った。
その行動は後ろめたい事がある人間の典型だ。
僕も竜崎もそこでモニターを監視する事をやめ、外に出る。
そろそろ手配した救急車が到着する頃だ。僕と竜崎は救急隊員役として変装し、遺体の振りをしているアイバーをタンカに載せ、救急車に運び入れ、搬送しなければならない。
さすがに救急隊員が手錠で繋がれていてはおかしいので、隊員服に着替えるついでに、今ばかりは例外として鎖は外された。


「もう…人手がないとはいえ私までこんなの嫌ですよ…松田の馬鹿…」

そして竜崎と共にアイバーを救急車内に運び入れ、サイレンを鳴らしながら救急車が走行しだすと、竜崎は人差し指を噛みながらぶつぶつと恨み事をもらしていた。
そして、松田さんの救出作戦は、成功を収めることとなる。

──翌日の新聞には、「タレント弥海砂さんのマネージャー松井さん泥酔し転落死」という記事が小さく掲載されていた。
表向きには、松田さんは死んだ事になってしまった。そのため、ミサのマネージャー役には模木さんがあてがわれる事となる。


2025.10.18