第61話
4.舞台裏─僕がキラであるはずがない
ミサは僕とデートがしたいと言って聞かなかった。
竜崎は最初宣言した通り、僕がミサに色仕掛けをして自白を取らせてほしいと願っている。
そのため、こうして時間を作り交流を取らせる事で、何か捜査の進展に繋がる情報が出るのではないかと期待しているのだろう。
それでなければ、わざわざ竜崎がミサのわがままのために、時間を割く訳がない。
「そういえば…」
夜になり、いつものようにミサの部屋に四人が集まった。
配置はいつも通り、ミサと竜崎が隣り合って、僕と名前が隣同士。
ミサはソファーに深く腰掛け足を組み、髪を一束いじりながらこう話した。
「今日西中監督に言われたんだけど、を映画に出演させたいんだって」
「……え?」
ミサの発言を聞くと、自分の名前を出されたは硬直していた。
「……そう来たか…」
ネット上の流れを見ていたら、この展開予想しなかった訳ではない。
けれど本当にそうなるという確証はさほど高くなく、僕はわずかな可能性が現実となった事で、思わず額を押さえてため息を吐いた。
竜崎くんの方は落胆するでも何でもなく、いつも通りカップに角砂糖を何度も落として、何か考えてるようだった。
「…キャスティングなんてとっくに終わってるはずだろう。ねじ込むつもりか?」
「端役の子がスキャンダル起こしたらしくて、降板しちゃったの。丁度いいから、そこにねじ込みたいって」
僕がこうなる可能性が低いと考えていたのは、撮影がもう始まっているからだ。
そしてオリジナル映画という訳ではなく、春十八番には原作があり、もう既に台本もある。
だというのに、新しいキャラクターを作り話にねじ込むというのは、難しいと思ったのだ。
顔が映るかもわからないモブ役の一人として使うなら可能だろうが、それでは話題になった"幻の少女"を利用する価値がなくなる。
「業界の者からしたら、美味しい話ですよね。今妙に話題になってしまった人物を、このタイミングで出演させられるなんていうのは」
「しかもヒロインであるミサとも絡みある訳だから、絵的に映えるって、興奮してたよ」
「……名前を伏せる事を条件に呑みましょう。下手な雑誌や番組で適当に取り扱われるよりは、無難な選択です」
竜崎問題ないと判断し、を映画に出演させる事を承諾した。
僕も変な視聴率稼ぎのために変な深夜番組のバラエティーに呼ばれたり、話題性に飛びつくしか能のないミーハーなラジオ番組に出演させられるよりも、これが一番無難だというのには同意だ。
問題があるとすれば──
「…私、お芝居なんてしたことないんだけど…」
自分の意見そっちの気で、とんとん拍子に話を進められてしまった本人の中にあるのだろう。
の表情は完全に困り果てた様子で、声は弱弱しく頼りない。
ミサは手をひらひらと振り笑いながら、大丈夫だとアピールをした。
「大丈夫だよー。台詞ない役だから。ただにっこり笑ってれば大丈夫」
「……それなら…できるかもしれないけど。………でも、本当にいいのかな」
セリフがないならできると思うとは言った。だというのに、そこに続けられた言葉…「本当にいいのかな」の真意とはなんだろう。
は視線を落としてつま先を見ていて、両手の指を膝の上で組んでもじもじしていた。
明らかに覇気がなく、落ち込んでいるように見える。
映画出演なんて恐れ多いというプレッシャーに潰されてるというよりは、「こんなことが許されるのか」という葛藤に揺れているように見えた。
の性格から考えると、きっとこんな所だろう。
「…、申し訳ないって思ってる?」
僕が言うと、は言い当てられた事を驚く事もなく、ただ罰が悪そうに眉を下げていた。
「……わかる?」
「それくらいわかるさ。でも難しい事は考えなくていいよ。むしろ、名前は巻き込まれただけの被害者みたいな物なんだから」
映画の撮影は遊びではない。本気でいい映画を作ろうとする制作チームがいて、
裏方がいて、演者が居て。そしてそれを楽しみにしている視聴者が待っている。
その作品作りに携わりたいと、俳優を目指す人間がこの世にどれだけいるだろう。
多くが日の目を拝むことなく、埋もれていくばかり。
運も実力のうちという言葉がある。意図せず注目を掴んだミサは、これから更なる飛躍を遂げることだろう。
しかしは俳優志望なんかじゃない。そんな人間が、本気で志す人間を差し置いて、役をもらっていいのかと悩んでいのだ。
その分析は当たったようだ。
僕はを安心させるように優しく笑いかけて、頭を撫でてやる。
ミサも拳を握って息巻いて、の援護をしてくれた。
「そーそー、勝手に一般人の写真ネットに晒す無礼者が悪いって!」
「安請け合いしすぎるミサさんも悪いです」
「はあ!?ミサ何も悪いことしてないし!ファンサービスしただけじゃん!?」
竜崎はコーヒーをすすりつつ、隣でヒートーアップするミサを責めた。
この件に関しては、僕もどちらの援護もできない。
きっかけとなったアマチュアカメラマンが、許可も取らずに個人ブログや掲示板でミサのファンサービスを公開したのは礼儀に欠けるとも言えるし、
ミサは後先考えずに「見せてあげる」などと発言してしまったのだ。
幻と言われるのが問題=お披露目すれば解決、という安直な考えでそう口走ったに違いない。
実際それは間違った手段ではなかったが…その作戦を取る上必要になる細部…後の事など、何も考えていなかったのだろうから。
「……映画出演決定の情報は、すぐにミサさんにブログか何かで発表してもらう…とは言え。実際に映画が公開されるのは来年になりますし、それで騒ぎが収まるはずがない…」
「適当な雑誌が嫌なら、エイティーンでミサとコラボすればいいじゃん?編集部も結構ノリ気だったよ。あの感じなら、来月号にでもねじ込めそう」
「雑誌に乗れば"幻"じゃなくなるのかは疑問だが…それもありだな」
ミサはエイティーンで毎号読者モデルとして乗っている。
をタレントデビューさせる上で、ミサとを別々の現場に送り出す…という事は許すつもりはない。だから、ミサと同じ雑誌に載る上に、エイティーンはきちんとした雑誌であるので、問題ない。
人員不足という点に関しては、実はさほどネックにはなっていない。名前が顔出しするために一回や二回の撮影をしに出かけるくらいの事なら、十分まかなえるだろう。
けれど二人共がこれからコンスタントに個々で活動していくという事になってしまえば、それはさすがに難しくなってくる。
だとすれば、やはり必ずミサとセットで、という条件を提示しなければいけない。
「そこはもう、出たとこ勝負ですね。悪ノリしてる民衆の反応なんて、予測しきれませんから。さんのリハビリにもなりますし。これで厄介事がまとめて消えてくれます」
「モデルの仕事も体力勝負だからねー。すぐ回復するって!」
厄介事、と言いながらわざとらしく僕の方を見た竜崎に向けて、僕は睨みつける。
しかし全く意に介さず、あんみつを頬張り続ける竜崎を見ると、怒りも失せた。
生産性のない事を続ける気はない。それよりも…と、僕は隣のの様子を伺う。
「…は写真に撮られるのは大丈夫なのか?」
は視線恐怖症の気がある。注目される事が苦手だ。
そんなが映画主演やモデルデビューなんて、ストレスで倒れてしまうんじゃないかと危惧した。
しかし予想に反して、は無理した様子もなく、本当に平気そうに首を縦に振った。
「うん、写真は別に…映画はちょっと嫌だけど、喋らなくてもいいなら、大丈夫かな」
「なんだ…てっきり、は写真も嫌いかと思ってたから…それなら2人でもっと沢山撮っておけばよかったかな」
僕はそれを聞いて、大分がっかりしていた。
はずっと写真が嫌いだと思ってたから、記念日になるような節目以外でカメラを向ける事はなかった。
多くの若者がするように、プリクラを撮ったり自撮りを好むような性格はお互いしていない。けれど僕はの事が子供のころから大好きだ。
ずっと恋をしてる。となれば、好きな子の写真はほしいと思うのが人間だし、実際数少ないと取った写真は大事にして、時折見返している。
嫌いじゃないとわかっていればの小さな頃の写真や、中学生の頃のあどけない姿や、高校生の頃の大人っぽくなった姿、大学生になった今の綺麗になった姿、
全部事細かに記録に残しておこうとしただろう。
本部では皆捜査しながら、常に監視モニターにミサとの様子が映るようになってる
あらゆる角度から漏れなく姿を捉える監視カメラは、にとっては拷問でも、僕にとってはちょっとしたご褒美だった。
モニターを見すぎて疲れた時など、ふとの様子をみれば、すっと癒される。
四六時中を見ていられるという感覚が癖になりそうで、元の生活に戻れるのか不安になってくるほどだ。
こんな事、口が裂けてもには言えないけれど。
「…月くん」
そんな僕の落胆を見透かしたらしい。は穏やかに僕の名を呼んだ。
そしてそっと僕の手の甲に自分の手を重ねて、僕を見上げて緩く微笑んでいる。
「…これからは沢山一緒に写真撮ろっか。ね。…私も月くんの写真、ほしいな」
「…そうだね。色んな所に出かけて、沢山思い出を残そう」
僕もの写真がほしい…と付け加えようとしたけど、が言うのと僕が言うのでは重みが違うだろう。
実際僕は、コレクターのように好きな子の収集したがっている男なのだ。
言葉にすれば、僕の欲が表ににじみ出てしまいそうで、ぐっとこらえた。
そんなやり取りを間近で見せられていたミサは、ムッと頬を膨らませて猛抗議した。
「ミサの前でイチャつくの禁止ー!」
「え…全然イチャついてないよ」
「月にそんなとろけた顔させといて!?全然信憑性ないから」
…言葉は自制したとはいえ、表情には出ていたらしい。
ミサは心底怒っていた。
「月くん、さんと離れ難いでしょうが、少し移動します」
そんなやり取りをしている傍らで、竜崎は手錠で繋がれた僕を立ちあがらせながら部屋の固定電話の方へと近寄った。
そして受話器を上げて、監視カメラの方を向きながら松田さんに向けて語り掛ける。
「…──という訳で、松田さん。マネージャーとして先方に話を通しておいてください。映画主演を承諾する旨と、来月号のエイティーンであればモデルとして起用してもいいという意思を伝えてください。」
『来月号…ですか。即効性がほしいとはいえ、もう撮影も編集も進んでいるでしょうし…いくら先方が乗り気でも…』
「その辺りゴネられたら、お金でもなんでも使って何がなんでも掲載させます。…条件は本名を伏せること。ミサさんとセットの現場にしか赴かないことです。では、お願いします」
竜崎はそこで受話器を手から離し、いつものように落とすようにして電話を切った。
物を乱暴に扱っているというより、竜崎の物を掴む時の仕草が独特すぎるので、こうなってしまうのだろう。
普通に物を掴む事も出来なければ、普通に手放す事すらできないという事だ。
****
そして松田さんがマネージャーとして先方に話を通して、驚くほどにあっさりとの映画主演と来月号のエイティーンの掲載は決まった。
スキャンダルを起こしたという端役の撮影は序盤から予定にあったらしく、業界人として話題性のある人間を起用する旨味ももちろんとして、
即座にねじ込める人材を見つけられたのは彼らにとっても僥倖だったのだろう。
ミサとの撮影。そしてのリハビリも順調に進んでいた。
最初こそ気晴らしの見学程度の外出だったというのに、今のは"働く"必要に迫られていた。
モデルの仕事も体力仕事だ、というのはミサの口癖だ。
まともに歩く事もままならない状態だったも、きっとこの荒療治がきき、いずれ日常生活を取り戻すことができるだろう。
それでも慢性的な貧血には襲われているようだし、食欲も戻らない。
見学に出て帰ってきてからも、筋肉痛や足の裏の痛みに苦しみ、大分顔色が悪くなっていた。
それでも、そうした苦しいプロセスを踏まなければ、全快には至らないだろう。
今日もは、ミサと共にロケに出かける予定がある。
「ずっと僕が世話をしてあげるから」と引き留め依存したくなる衝動を理性で抑えながら、僕はを送り出す努力をしようと決意した。
「また一人減っちゃいましたねー。建物が大きいだけに寂しいっすねー」
松田さんはモニターと向き合いながら、机に肘をつき、ため息をつきながら口を零していた。
「模木さんは居てもほとんど喋らないし…」
──相沢さんという捜査員が、この本部から立ち去った。その事には深い訳がある。
竜崎が創り出した高層ビルのシステムは最新の設備が整っている。
全世界の警察や情報機関、役所直接アクセスできるシステムというのは、少なくとも一般家庭や一企業では導入できない。捜査に特化した最高峰のシステムだろう。
そこで僕はキラが日本にいるという説を検証した。
明らかに日本の犯罪者が多く殺され、日本での報道と関連づけてみると、日本の情報化にキラがいるのは確か。そしてキラが心臓麻痺で殺すなら、キラの仕業として確認できない被害者もいるかもしれないと考えた。
犯罪者以外でもとにかく心臓麻痺で亡くなった者をもう一度現在から遡ってか能な限り検索した。普通ならとてつもなく時間のかかる作業だが、ここのシステムを使えば割と早く出来た。
その途中で、注目すべき三人の死に僕は気が付いたのだ。2人なら偶然でも、三人となると意図的なものを感じざるを得なかった。
赤丸商事開発企画部長、田三八平。青井物産システム統合部次長、青井幸時。元ヨツバグループ会長森矢竹吉。
三人と日本を代表する企業に重要な位置で関わっていた人物だ。その三人が心臓麻痺で死んでいた。
それに気づき、赤丸、青井、ヨツバの事を調べてみた。するとヨツバの株価はじわじわと上がり、赤丸、青井は下落。
そこから、大企業の周りの死を心臓麻痺の留まらず調べつくしてみた。
そうすると、「ヨツバにとって都合のいい死」が三か月で13人も出てきたのだ。
最初の三人以外は、事故死と病死。一人自殺。そし贈賄でキラに裁かれたもの…
そしてこの三か月というと、僕達が監禁され、一度キラの殺しが止まり再び殺しが始まった時。そこにも引っ掛かりを覚える。
そしてこれを見ると、僕にはキラがヨツバに肩入れしてるようにしす思えなくなった。
しかしそうなると──「キラは心臓麻痺以外でも人を殺せる」
竜崎と共にその結論に至った。竜崎はそれを聞き、やる気を失っていた状態から回帰し、再び精力的に調査を進めるようになった。
そして相沢さん、松田さん含めてヨツバにとって都合のいい死について。本当にキラが関与しているのか。キラはヨツバに雇われているのか、それともヨツバの社員にキラがいるのか。
議論していると、次長に呼ばれて警察庁に向かっていた父さんと模木さんが戻ってきて、こう言ったのだ。
「キラが政治家に賄賂を送った。全国の警察からからキラ事件捜査の志願者を募る処か、手警察はキラに屈した。キラを追う気がまだあるなら、警察庁に辞表を出しに行くしかない」
そうして養うべき家族を持つ相沢さん以外の人間は覚悟を決めて辞表を出し、相沢さんはキラ捜査本部を離れて、警察へと戻ったのだった。
相沢さんはキラを命がけで追う覚悟はあったものの、無職になり家族を露頭に迷わせるという決断はできなかった。
竜崎は「捜査本部の者に何かあった場合、例えば警察をクビになった場合でも、その者と家族が一生困らないだけの経済的援助をする」という事を取り決めていたらしい。
けれどそれを相沢さんに話さず、相沢さんがどう出るか試していた。それが相沢さんの逆鱗に触れ、信頼にヒビが入った。
生活保障をされているという事を知っても尚、相沢さんが本部に留まる事はなかったのだった。
「──また見つけたぞ、竜崎。9月10日、自宅階段で足を滑らせ転落。打ちどころが悪く死亡。大友銀行、飯田橋支店長。矢位部巡一。来月には本店次長になる予定だった。
実質大友で今一番のやり手されていた人物だ。そして三日前大友銀行取締役、山込田時男が贈賄容疑で事情聴取。逮捕はまだだが、こうなると今までのパターンから、
キラに裁かれるか自殺する事に…これで大友銀行はもうガタガタだ。テヨツバ銀行は大友を抜けば国内一になる…」
僕がモニターを眺めながら言うと、「9月10日といえば、金曜だな」
と父さんが話しかけてきた。その手には紙の資料を何枚かもっており、それを眺めながらこう説明した。
「私達は簡単なことを見落としていた。もう一度よく調べ直してわかったんだが、ヨツバにとって都合のいい死は、終末に集中している」
「えっ本当ですか?」
「一連の死が三か月前からだとして、最初の頃は事故死でも、死亡日時にバラつきがあったが、徐々に金曜の夜から土曜の午後に集中しだした。ライトが最初に注目した三人の心臓麻痺も、全てそうだ」
「よ…よく気が付きましたね!局長。まだ月くんも竜崎も言ってなかった事を…」
「…もう局長ではないと言っているだろう。」
「いえ、僕にとってはずっと局長です!」
父さんと松田さんのやり取りを背後で聞きつつ、僕は竜崎と顔を見合わせた。
「…殺人が週末に集中…どういう事だ?」
「おかしいですね…」
竜崎は人差し指を加えながら、ふと宙を眺めて思案した。
「この殺人にキラが関係しているのなら、キラは心臓麻痺以外でも人を殺せることになる。ならばそれがバレない様、事故死等しは死の時間を操って、片寄りが表面に出ないようにするはず…週末に何か意味があるのか?やはりキラではないのか?」
竜崎の推理は、僕達に語り掛けるものではない。答えを求めていない。
思考の整理のようなものだとわかっていたので、僕はそれに触れなかった。
そして椅子に腰かけたまま、くるりと振り返り、父さんを労った。
「僕も見落としていたことを…これは何かのヒントになるよ、父さん」
「私だってまだまだおまえや竜崎に負けてはおれん。ここのお荷物にはなりたくないからな」
父さんは拳をぐっと握り、頼もしい返事をしてくれた。
一時は過労と心労で心臓発作で倒れ、入院までする程弱っていたというのに、今では活力に満ち溢れている。
「ヨツバの中にキラがいるのか、キラがヨツバを利用しているのか。キラは関係していないのか…わかりませんが。もうキラの仕業だと考え捜査しましょう。ヨツバを徹底的に調べます」
「国内外、ヨツバグループ全社員リストできました」
「模木さん、地道な作業ありがとうございます」
「30万人以上か…よくこれだけの人をこんなに早く出せたな…凄いよ模木さん」
「模木さんは最初から何気に凄いですよ」
竜崎が捜査を宣言すると、大量の山となった書類を両腕で抱え運んできた模木さんが声をかけ、デスクに積み上げてくれた。
そして僕達が賞賛する声にも一瞥もくれず、また淡々と作業に戻っていく。
松田さんは模木さんが居てもほとんど喋らないというが、それはこうした地道で果てしない作業を得意とするからこその、職人気質な寡黙さなのだろう。
「よ、よし…僕もがんば…」
父さんと模木さんの調査への貢献をみていた松田さんは、少し焦ったような声で奮起しようと口を開きかけた。
その瞬間、ジャケットのポケットの中にあった携帯が鳴り出す。
「あっマネージャー携帯が…」
『マッツー!ロケ行くよー!』
ミサが部屋から松田さんに電話をかけてきたのだ。
今日のロケは、ミサと二人共に出番がある。
午後から始まる撮影のため、とミサは各々午前のうちから身支度をし、先程がミサの部屋へと向かったのが監視カメラで伺えていた。
そしてミサの部屋で2人が合流した瞬間、ミサは松田さんを呼び出した。
「僕も捜査の方がしたいけど仕方ないから行ってきまーす…」
「社員の数にも驚くが支社だけでもこんなに…どこから手を付けたらいいのか…」
「もっと人手がほしいな…」
捜査に進展が見られた事で盛り上がってしまい、松田さんの声は耳に届いていたものの、誰も声をかける事はなかった。
わざわざ議論を切り上げてまで「いってらっしゃい。気を付けて!」などと言う仲良しなグループでもないのだ。
「しかし今更捜査員の増員も難しい。警察を辞めてまで協力するという者がいるとも思えん」
「警察は駄目ですよ。「辞めてきた」なんていうのはスパイと思うべきです。…ワタリ」
『ハイ』
父さんの呟きに、竜崎は牽制をしつつ、パソコンに向かって問い掛けた。
竜崎は当初、僕に『Lはもう一人いる』と思わせていた。
たまにパソコン越しに語り掛けくる壮年の男の声は、実際はもう一人のLではなく、ワタリという竜崎の右腕的存在らしい。
竜崎は僕=キラだという疑いを初期から今でも崩していない。保険のためか、今でもワタリを表に出させる事はなかった。
「アイバー、それにウエディをここに呼べるか?」
『え?彼らの居所は把握してますが、顔を見せる気ですか?』
「彼等と私にはもうそれなりの信頼関係があります。ヨツバという大きなものを探るのにわざわざワタリを通していたのでは、無駄に時間がかかるし私の考えも伝えにくい」
『…わかりました、手配します』
捜査員不足は、ヨツバという大きな壁に直面せずとも、懸念していた問題だ。
しかし今回ばかりはリスクを侵してでも、外部の人間を引き入れる決断を問ったようだ。
竜崎がパソコン越しにそんなやり取りをした三日後。
「俺はアイバー。詐欺師だ。ヨロシク」
「ウエディ。職業はドロボウ」
本部へ2人の男女がやってきた。日本語は流暢だが、彼女らは金髪碧眼で、明らかに日本人ではない。
2人とも身なりがきちんとしていて、明らかに上等なスーツやコートを身に纏っていた。
パッと身は海外セレブのような出で立ちだった。
「さ…詐欺師泥棒?」
「そうです。アイバーは語学力、心理学、人格変換術、あらゆる社交に必要な物を身に着け、必ずターゲットと親密な関係になる詐欺師。潜入捜査に使えます。ウエディはどんな鍵、金庫、セキリュティでも敗れる泥棒です。その証拠に我々に気付かれる事なくここまで入ってきた。2人とも歴とした犯罪者です」
「は…犯罪者と一緒にやるのか…?」
「犯罪者と言ってもキラに裁かれるよう表に出てくる者とは違います。裏の世界のプロとでも思ってください。他にも必要に応じて犯罪者であうと手を借りられる者は押さえてあります。皆顔を見せたがりませんし、私も信用できる者にしか顔を見せませんが…この本部に住んでもらう者がいるかもしれません。流石に夜神さんたちが警察であったのなら入れられませんでしたが、今となっては…」
ここにいる松田さん、模木さん、父さんは既に警察に辞表を出し、刑事という肩書きはなくなっている。
理屈でいえば、竜崎の言う通り犯罪者を仲間にする事に問題はないはずだ。
「……しかし…」
けれどつい数日前まで父さんはたしかに刑事であったのだ。そして父さんは元々正義感が強く、倫理観がハッキリと定まっている。
父さんがすんなりと飲み込めず困惑しているのをわかって、それでも尚僕は空気を変えるようにして、僕は明るい声を出した。
「なるほど。ヨツバを探るならこういう人たちも必要になる。皆で力を合わせてがんばろう!」
「…う…うむ…」
父さんはそれでも困惑は無くせないようだったけれど、協力する事に同意し頷いてくれた。
犯罪者を使うという事に父さんの中にある道徳心や倫理観が抵触しても、頭ではこうするのが一番合理的であるとわかっているのだろう。
決して流されやすいという風ではない。自分の選択肢になかったものを提示されても、こういう時柔軟に対応しようと務める所は父さんの長所で、尊敬すべきところだろう。
***
今日もは松田さんとミサと共にロケに向かい、僕たちは本部でヨツバについて捜査を進展させていた。
隣の席で竜崎がコーヒーとケーキを飲食する傍らで、僕は肘をついて考える。
──キラが心臓麻痺以外でも人を殺せる。そう考えると、今まであった色々な物事の見方が変わってくる。
とスペースランドへ行った時、前日銀行強盗をした恐田奇一郎がバスジャックしピストルを乱射。最期はバスから飛び出し車にはねられ死んだ…
キラが心臓麻痺以外でも人を殺せるとすると…
あの時レイ=ペンバーというFBI捜査官が同乗していた。恐田を操り、レイ=ペンバーの身元を明かさせたというのは筋が通る…
そしてレイ=ペンバーの婚約者、南空直美。行方不明だが…
確かに僕は元旦に彼女に会った。
本当はと初詣に行こうと予定したのだが、が家族におつかいを頼まれているというので、各々の時間を過ごす事になったのだ。
そして僕は母に頼まれて、警察庁に向かい、父さんに着替えなどを私に行った。
そこで偶然南空と会話する流れになったのだ。
細か会話の内容は思いだせないが、キラ事件について話したし、彼女はキラは心臓麻痺以外でも殺せると言った…確かそう言ったはずだ…
何故僕は今までこの事に注目していなかった?
……今まではキラが心臓麻痺以外で人を殺せると考えていなかったからか?
いやそれでもペンバーと南空は注目すべき2人だ…
まさか竜崎の言う通り、僕が…いやそんなはずはない。…もし仮に僕に顔と名前で人を殺せるの能力があったら、どうだ?悪人を裁こうとするか?確かに世の中居ない方がいいと思う人間はいるが…自らが殺人犯になって悪を裁く事で世の中を変えようとまで僕は思わない…
僕は誰よりも心が綺麗で、無垢なの幼馴染として生まれた事を誇りに思ってる。
そしてそんなと心が通じ合い、恋人になれた事は、僕の人生の中で一番とっていいほどの幸福な事だ。
いない方がいいと思う人間がいるというのは、例えばのような綺麗で心優しい人間が害される不条理が許せないからだ。
かといって、それを排除するために殺人を犯す?…そんな事、僕はに打ち明けられる訳がないだろう。
だから僕はキラであるという事を隠し続けて、毎日秘密の殺人を犯しながら、無垢なの隣で生きていた…?
──あり得ない。やはり考えすぎだ。僕がキラであるはずがない。
そんな記憶はまったくないし、大量殺人をして、その記憶が残らないんてあり得ない…
ペンバーや南空の事は竜崎話すべきではないな。話す意味もない。
特に、バスジャックされたあの車内に名前もいたなんてしれたら、また話がこじれる事になる。
そんな事より今犯罪者が次々とキラに殺されている…余計な事は考えずにキラを捕まえる事だけに集中するんだ。
「夜神くん」
「ん」
「どうしました?真剣な顔をして…」
「いや、モニターばかり見ていたから少し疲れただけだ。…ヨツバ本社のコンピューターに侵入できたが、さすがにキラに繋がるものはないな。そんな証拠になるものを、わざわざ入れるはずもないが」
「凄いですね。このハッキングの腕があったら、警察のコンピューターでも侵入できたでしょうね」
僕が手を止めながら思案していると、竜崎は僕の姿に目を止め、ずいっと身を乗り出してきた。
僕の眼前、鼻先をかすめるほどに後頭部が近づいても気にせず、竜崎は僕の操作していたパソコンを食い入るようにみる
竜崎のこの行動は彼の癖であるという事も理解しているが、たまにわざとやっているんじゃないかとも思う。
実際挑発のためにやってる時もあるのだろう。
確かに僕は警察庁の父のパソコンをハッキングしていたが…しかしそれはキラ事件を僕なりに考える為だ。キラだからではない!
竜崎は言葉通り──実際やっていたのだが──…僕が自宅で警察のコンピューターをハッキングしていた=キラであると今も疑っている。
だからこその挑発的行動なのだと捉えた。
「まだそんな事を言っているのか竜崎…僕を疑っているのは勝手だが、今起きている事にちゃんと目を向けてくれよ」
「そうですね。とにかく今のキラを捕まえる。それが事件解明への今できる最良の事に違いないですから」
椅子に立ちあがり乗り出していた身をかがめて、自分の椅子に座り直す竜崎。
そんな時、『竜崎!』とパソコンの向こうからワタリの声がした。
4.舞台裏─僕がキラであるはずがない
ミサは僕とデートがしたいと言って聞かなかった。
竜崎は最初宣言した通り、僕がミサに色仕掛けをして自白を取らせてほしいと願っている。
そのため、こうして時間を作り交流を取らせる事で、何か捜査の進展に繋がる情報が出るのではないかと期待しているのだろう。
それでなければ、わざわざ竜崎がミサのわがままのために、時間を割く訳がない。
「そういえば…」
夜になり、いつものようにミサの部屋に四人が集まった。
配置はいつも通り、ミサと竜崎が隣り合って、僕と名前が隣同士。
ミサはソファーに深く腰掛け足を組み、髪を一束いじりながらこう話した。
「今日西中監督に言われたんだけど、を映画に出演させたいんだって」
「……え?」
ミサの発言を聞くと、自分の名前を出されたは硬直していた。
「……そう来たか…」
ネット上の流れを見ていたら、この展開予想しなかった訳ではない。
けれど本当にそうなるという確証はさほど高くなく、僕はわずかな可能性が現実となった事で、思わず額を押さえてため息を吐いた。
竜崎くんの方は落胆するでも何でもなく、いつも通りカップに角砂糖を何度も落として、何か考えてるようだった。
「…キャスティングなんてとっくに終わってるはずだろう。ねじ込むつもりか?」
「端役の子がスキャンダル起こしたらしくて、降板しちゃったの。丁度いいから、そこにねじ込みたいって」
僕がこうなる可能性が低いと考えていたのは、撮影がもう始まっているからだ。
そしてオリジナル映画という訳ではなく、春十八番には原作があり、もう既に台本もある。
だというのに、新しいキャラクターを作り話にねじ込むというのは、難しいと思ったのだ。
顔が映るかもわからないモブ役の一人として使うなら可能だろうが、それでは話題になった"幻の少女"を利用する価値がなくなる。
「業界の者からしたら、美味しい話ですよね。今妙に話題になってしまった人物を、このタイミングで出演させられるなんていうのは」
「しかもヒロインであるミサとも絡みある訳だから、絵的に映えるって、興奮してたよ」
「……名前を伏せる事を条件に呑みましょう。下手な雑誌や番組で適当に取り扱われるよりは、無難な選択です」
竜崎問題ないと判断し、を映画に出演させる事を承諾した。
僕も変な視聴率稼ぎのために変な深夜番組のバラエティーに呼ばれたり、話題性に飛びつくしか能のないミーハーなラジオ番組に出演させられるよりも、これが一番無難だというのには同意だ。
問題があるとすれば──
「…私、お芝居なんてしたことないんだけど…」
自分の意見そっちの気で、とんとん拍子に話を進められてしまった本人の中にあるのだろう。
の表情は完全に困り果てた様子で、声は弱弱しく頼りない。
ミサは手をひらひらと振り笑いながら、大丈夫だとアピールをした。
「大丈夫だよー。台詞ない役だから。ただにっこり笑ってれば大丈夫」
「……それなら…できるかもしれないけど。………でも、本当にいいのかな」
セリフがないならできると思うとは言った。だというのに、そこに続けられた言葉…「本当にいいのかな」の真意とはなんだろう。
は視線を落としてつま先を見ていて、両手の指を膝の上で組んでもじもじしていた。
明らかに覇気がなく、落ち込んでいるように見える。
映画出演なんて恐れ多いというプレッシャーに潰されてるというよりは、「こんなことが許されるのか」という葛藤に揺れているように見えた。
の性格から考えると、きっとこんな所だろう。
「…、申し訳ないって思ってる?」
僕が言うと、は言い当てられた事を驚く事もなく、ただ罰が悪そうに眉を下げていた。
「……わかる?」
「それくらいわかるさ。でも難しい事は考えなくていいよ。むしろ、名前は巻き込まれただけの被害者みたいな物なんだから」
映画の撮影は遊びではない。本気でいい映画を作ろうとする制作チームがいて、
裏方がいて、演者が居て。そしてそれを楽しみにしている視聴者が待っている。
その作品作りに携わりたいと、俳優を目指す人間がこの世にどれだけいるだろう。
多くが日の目を拝むことなく、埋もれていくばかり。
運も実力のうちという言葉がある。意図せず注目を掴んだミサは、これから更なる飛躍を遂げることだろう。
しかしは俳優志望なんかじゃない。そんな人間が、本気で志す人間を差し置いて、役をもらっていいのかと悩んでいのだ。
その分析は当たったようだ。
僕はを安心させるように優しく笑いかけて、頭を撫でてやる。
ミサも拳を握って息巻いて、の援護をしてくれた。
「そーそー、勝手に一般人の写真ネットに晒す無礼者が悪いって!」
「安請け合いしすぎるミサさんも悪いです」
「はあ!?ミサ何も悪いことしてないし!ファンサービスしただけじゃん!?」
竜崎はコーヒーをすすりつつ、隣でヒートーアップするミサを責めた。
この件に関しては、僕もどちらの援護もできない。
きっかけとなったアマチュアカメラマンが、許可も取らずに個人ブログや掲示板でミサのファンサービスを公開したのは礼儀に欠けるとも言えるし、
ミサは後先考えずに「見せてあげる」などと発言してしまったのだ。
幻と言われるのが問題=お披露目すれば解決、という安直な考えでそう口走ったに違いない。
実際それは間違った手段ではなかったが…その作戦を取る上必要になる細部…後の事など、何も考えていなかったのだろうから。
「……映画出演決定の情報は、すぐにミサさんにブログか何かで発表してもらう…とは言え。実際に映画が公開されるのは来年になりますし、それで騒ぎが収まるはずがない…」
「適当な雑誌が嫌なら、エイティーンでミサとコラボすればいいじゃん?編集部も結構ノリ気だったよ。あの感じなら、来月号にでもねじ込めそう」
「雑誌に乗れば"幻"じゃなくなるのかは疑問だが…それもありだな」
ミサはエイティーンで毎号読者モデルとして乗っている。
をタレントデビューさせる上で、ミサとを別々の現場に送り出す…という事は許すつもりはない。だから、ミサと同じ雑誌に載る上に、エイティーンはきちんとした雑誌であるので、問題ない。
人員不足という点に関しては、実はさほどネックにはなっていない。名前が顔出しするために一回や二回の撮影をしに出かけるくらいの事なら、十分まかなえるだろう。
けれど二人共がこれからコンスタントに個々で活動していくという事になってしまえば、それはさすがに難しくなってくる。
だとすれば、やはり必ずミサとセットで、という条件を提示しなければいけない。
「そこはもう、出たとこ勝負ですね。悪ノリしてる民衆の反応なんて、予測しきれませんから。さんのリハビリにもなりますし。これで厄介事がまとめて消えてくれます」
「モデルの仕事も体力勝負だからねー。すぐ回復するって!」
厄介事、と言いながらわざとらしく僕の方を見た竜崎に向けて、僕は睨みつける。
しかし全く意に介さず、あんみつを頬張り続ける竜崎を見ると、怒りも失せた。
生産性のない事を続ける気はない。それよりも…と、僕は隣のの様子を伺う。
「…は写真に撮られるのは大丈夫なのか?」
は視線恐怖症の気がある。注目される事が苦手だ。
そんなが映画主演やモデルデビューなんて、ストレスで倒れてしまうんじゃないかと危惧した。
しかし予想に反して、は無理した様子もなく、本当に平気そうに首を縦に振った。
「うん、写真は別に…映画はちょっと嫌だけど、喋らなくてもいいなら、大丈夫かな」
「なんだ…てっきり、は写真も嫌いかと思ってたから…それなら2人でもっと沢山撮っておけばよかったかな」
僕はそれを聞いて、大分がっかりしていた。
はずっと写真が嫌いだと思ってたから、記念日になるような節目以外でカメラを向ける事はなかった。
多くの若者がするように、プリクラを撮ったり自撮りを好むような性格はお互いしていない。けれど僕はの事が子供のころから大好きだ。
ずっと恋をしてる。となれば、好きな子の写真はほしいと思うのが人間だし、実際数少ないと取った写真は大事にして、時折見返している。
嫌いじゃないとわかっていればの小さな頃の写真や、中学生の頃のあどけない姿や、高校生の頃の大人っぽくなった姿、大学生になった今の綺麗になった姿、
全部事細かに記録に残しておこうとしただろう。
本部では皆捜査しながら、常に監視モニターにミサとの様子が映るようになってる
あらゆる角度から漏れなく姿を捉える監視カメラは、にとっては拷問でも、僕にとってはちょっとしたご褒美だった。
モニターを見すぎて疲れた時など、ふとの様子をみれば、すっと癒される。
四六時中を見ていられるという感覚が癖になりそうで、元の生活に戻れるのか不安になってくるほどだ。
こんな事、口が裂けてもには言えないけれど。
「…月くん」
そんな僕の落胆を見透かしたらしい。は穏やかに僕の名を呼んだ。
そしてそっと僕の手の甲に自分の手を重ねて、僕を見上げて緩く微笑んでいる。
「…これからは沢山一緒に写真撮ろっか。ね。…私も月くんの写真、ほしいな」
「…そうだね。色んな所に出かけて、沢山思い出を残そう」
僕もの写真がほしい…と付け加えようとしたけど、が言うのと僕が言うのでは重みが違うだろう。
実際僕は、コレクターのように好きな子の収集したがっている男なのだ。
言葉にすれば、僕の欲が表ににじみ出てしまいそうで、ぐっとこらえた。
そんなやり取りを間近で見せられていたミサは、ムッと頬を膨らませて猛抗議した。
「ミサの前でイチャつくの禁止ー!」
「え…全然イチャついてないよ」
「月にそんなとろけた顔させといて!?全然信憑性ないから」
…言葉は自制したとはいえ、表情には出ていたらしい。
ミサは心底怒っていた。
「月くん、さんと離れ難いでしょうが、少し移動します」
そんなやり取りをしている傍らで、竜崎は手錠で繋がれた僕を立ちあがらせながら部屋の固定電話の方へと近寄った。
そして受話器を上げて、監視カメラの方を向きながら松田さんに向けて語り掛ける。
「…──という訳で、松田さん。マネージャーとして先方に話を通しておいてください。映画主演を承諾する旨と、来月号のエイティーンであればモデルとして起用してもいいという意思を伝えてください。」
『来月号…ですか。即効性がほしいとはいえ、もう撮影も編集も進んでいるでしょうし…いくら先方が乗り気でも…』
「その辺りゴネられたら、お金でもなんでも使って何がなんでも掲載させます。…条件は本名を伏せること。ミサさんとセットの現場にしか赴かないことです。では、お願いします」
竜崎はそこで受話器を手から離し、いつものように落とすようにして電話を切った。
物を乱暴に扱っているというより、竜崎の物を掴む時の仕草が独特すぎるので、こうなってしまうのだろう。
普通に物を掴む事も出来なければ、普通に手放す事すらできないという事だ。
****
そして松田さんがマネージャーとして先方に話を通して、驚くほどにあっさりとの映画主演と来月号のエイティーンの掲載は決まった。
スキャンダルを起こしたという端役の撮影は序盤から予定にあったらしく、業界人として話題性のある人間を起用する旨味ももちろんとして、
即座にねじ込める人材を見つけられたのは彼らにとっても僥倖だったのだろう。
ミサとの撮影。そしてのリハビリも順調に進んでいた。
最初こそ気晴らしの見学程度の外出だったというのに、今のは"働く"必要に迫られていた。
モデルの仕事も体力仕事だ、というのはミサの口癖だ。
まともに歩く事もままならない状態だったも、きっとこの荒療治がきき、いずれ日常生活を取り戻すことができるだろう。
それでも慢性的な貧血には襲われているようだし、食欲も戻らない。
見学に出て帰ってきてからも、筋肉痛や足の裏の痛みに苦しみ、大分顔色が悪くなっていた。
それでも、そうした苦しいプロセスを踏まなければ、全快には至らないだろう。
今日もは、ミサと共にロケに出かける予定がある。
「ずっと僕が世話をしてあげるから」と引き留め依存したくなる衝動を理性で抑えながら、僕はを送り出す努力をしようと決意した。
「また一人減っちゃいましたねー。建物が大きいだけに寂しいっすねー」
松田さんはモニターと向き合いながら、机に肘をつき、ため息をつきながら口を零していた。
「模木さんは居てもほとんど喋らないし…」
──相沢さんという捜査員が、この本部から立ち去った。その事には深い訳がある。
竜崎が創り出した高層ビルのシステムは最新の設備が整っている。
全世界の警察や情報機関、役所直接アクセスできるシステムというのは、少なくとも一般家庭や一企業では導入できない。捜査に特化した最高峰のシステムだろう。
そこで僕はキラが日本にいるという説を検証した。
明らかに日本の犯罪者が多く殺され、日本での報道と関連づけてみると、日本の情報化にキラがいるのは確か。そしてキラが心臓麻痺で殺すなら、キラの仕業として確認できない被害者もいるかもしれないと考えた。
犯罪者以外でもとにかく心臓麻痺で亡くなった者をもう一度現在から遡ってか能な限り検索した。普通ならとてつもなく時間のかかる作業だが、ここのシステムを使えば割と早く出来た。
その途中で、注目すべき三人の死に僕は気が付いたのだ。2人なら偶然でも、三人となると意図的なものを感じざるを得なかった。
赤丸商事開発企画部長、田三八平。青井物産システム統合部次長、青井幸時。元ヨツバグループ会長森矢竹吉。
三人と日本を代表する企業に重要な位置で関わっていた人物だ。その三人が心臓麻痺で死んでいた。
それに気づき、赤丸、青井、ヨツバの事を調べてみた。するとヨツバの株価はじわじわと上がり、赤丸、青井は下落。
そこから、大企業の周りの死を心臓麻痺の留まらず調べつくしてみた。
そうすると、「ヨツバにとって都合のいい死」が三か月で13人も出てきたのだ。
最初の三人以外は、事故死と病死。一人自殺。そし贈賄でキラに裁かれたもの…
そしてこの三か月というと、僕達が監禁され、一度キラの殺しが止まり再び殺しが始まった時。そこにも引っ掛かりを覚える。
そしてこれを見ると、僕にはキラがヨツバに肩入れしてるようにしす思えなくなった。
しかしそうなると──「キラは心臓麻痺以外でも人を殺せる」
竜崎と共にその結論に至った。竜崎はそれを聞き、やる気を失っていた状態から回帰し、再び精力的に調査を進めるようになった。
そして相沢さん、松田さん含めてヨツバにとって都合のいい死について。本当にキラが関与しているのか。キラはヨツバに雇われているのか、それともヨツバの社員にキラがいるのか。
議論していると、次長に呼ばれて警察庁に向かっていた父さんと模木さんが戻ってきて、こう言ったのだ。
「キラが政治家に賄賂を送った。全国の警察からからキラ事件捜査の志願者を募る処か、手警察はキラに屈した。キラを追う気がまだあるなら、警察庁に辞表を出しに行くしかない」
そうして養うべき家族を持つ相沢さん以外の人間は覚悟を決めて辞表を出し、相沢さんはキラ捜査本部を離れて、警察へと戻ったのだった。
相沢さんはキラを命がけで追う覚悟はあったものの、無職になり家族を露頭に迷わせるという決断はできなかった。
竜崎は「捜査本部の者に何かあった場合、例えば警察をクビになった場合でも、その者と家族が一生困らないだけの経済的援助をする」という事を取り決めていたらしい。
けれどそれを相沢さんに話さず、相沢さんがどう出るか試していた。それが相沢さんの逆鱗に触れ、信頼にヒビが入った。
生活保障をされているという事を知っても尚、相沢さんが本部に留まる事はなかったのだった。
「──また見つけたぞ、竜崎。9月10日、自宅階段で足を滑らせ転落。打ちどころが悪く死亡。大友銀行、飯田橋支店長。矢位部巡一。来月には本店次長になる予定だった。
実質大友で今一番のやり手されていた人物だ。そして三日前大友銀行取締役、山込田時男が贈賄容疑で事情聴取。逮捕はまだだが、こうなると今までのパターンから、
キラに裁かれるか自殺する事に…これで大友銀行はもうガタガタだ。テヨツバ銀行は大友を抜けば国内一になる…」
僕がモニターを眺めながら言うと、「9月10日といえば、金曜だな」
と父さんが話しかけてきた。その手には紙の資料を何枚かもっており、それを眺めながらこう説明した。
「私達は簡単なことを見落としていた。もう一度よく調べ直してわかったんだが、ヨツバにとって都合のいい死は、終末に集中している」
「えっ本当ですか?」
「一連の死が三か月前からだとして、最初の頃は事故死でも、死亡日時にバラつきがあったが、徐々に金曜の夜から土曜の午後に集中しだした。ライトが最初に注目した三人の心臓麻痺も、全てそうだ」
「よ…よく気が付きましたね!局長。まだ月くんも竜崎も言ってなかった事を…」
「…もう局長ではないと言っているだろう。」
「いえ、僕にとってはずっと局長です!」
父さんと松田さんのやり取りを背後で聞きつつ、僕は竜崎と顔を見合わせた。
「…殺人が週末に集中…どういう事だ?」
「おかしいですね…」
竜崎は人差し指を加えながら、ふと宙を眺めて思案した。
「この殺人にキラが関係しているのなら、キラは心臓麻痺以外でも人を殺せることになる。ならばそれがバレない様、事故死等しは死の時間を操って、片寄りが表面に出ないようにするはず…週末に何か意味があるのか?やはりキラではないのか?」
竜崎の推理は、僕達に語り掛けるものではない。答えを求めていない。
思考の整理のようなものだとわかっていたので、僕はそれに触れなかった。
そして椅子に腰かけたまま、くるりと振り返り、父さんを労った。
「僕も見落としていたことを…これは何かのヒントになるよ、父さん」
「私だってまだまだおまえや竜崎に負けてはおれん。ここのお荷物にはなりたくないからな」
父さんは拳をぐっと握り、頼もしい返事をしてくれた。
一時は過労と心労で心臓発作で倒れ、入院までする程弱っていたというのに、今では活力に満ち溢れている。
「ヨツバの中にキラがいるのか、キラがヨツバを利用しているのか。キラは関係していないのか…わかりませんが。もうキラの仕業だと考え捜査しましょう。ヨツバを徹底的に調べます」
「国内外、ヨツバグループ全社員リストできました」
「模木さん、地道な作業ありがとうございます」
「30万人以上か…よくこれだけの人をこんなに早く出せたな…凄いよ模木さん」
「模木さんは最初から何気に凄いですよ」
竜崎が捜査を宣言すると、大量の山となった書類を両腕で抱え運んできた模木さんが声をかけ、デスクに積み上げてくれた。
そして僕達が賞賛する声にも一瞥もくれず、また淡々と作業に戻っていく。
松田さんは模木さんが居てもほとんど喋らないというが、それはこうした地道で果てしない作業を得意とするからこその、職人気質な寡黙さなのだろう。
「よ、よし…僕もがんば…」
父さんと模木さんの調査への貢献をみていた松田さんは、少し焦ったような声で奮起しようと口を開きかけた。
その瞬間、ジャケットのポケットの中にあった携帯が鳴り出す。
「あっマネージャー携帯が…」
『マッツー!ロケ行くよー!』
ミサが部屋から松田さんに電話をかけてきたのだ。
今日のロケは、ミサと二人共に出番がある。
午後から始まる撮影のため、とミサは各々午前のうちから身支度をし、先程がミサの部屋へと向かったのが監視カメラで伺えていた。
そしてミサの部屋で2人が合流した瞬間、ミサは松田さんを呼び出した。
「僕も捜査の方がしたいけど仕方ないから行ってきまーす…」
「社員の数にも驚くが支社だけでもこんなに…どこから手を付けたらいいのか…」
「もっと人手がほしいな…」
捜査に進展が見られた事で盛り上がってしまい、松田さんの声は耳に届いていたものの、誰も声をかける事はなかった。
わざわざ議論を切り上げてまで「いってらっしゃい。気を付けて!」などと言う仲良しなグループでもないのだ。
「しかし今更捜査員の増員も難しい。警察を辞めてまで協力するという者がいるとも思えん」
「警察は駄目ですよ。「辞めてきた」なんていうのはスパイと思うべきです。…ワタリ」
『ハイ』
父さんの呟きに、竜崎は牽制をしつつ、パソコンに向かって問い掛けた。
竜崎は当初、僕に『Lはもう一人いる』と思わせていた。
たまにパソコン越しに語り掛けくる壮年の男の声は、実際はもう一人のLではなく、ワタリという竜崎の右腕的存在らしい。
竜崎は僕=キラだという疑いを初期から今でも崩していない。保険のためか、今でもワタリを表に出させる事はなかった。
「アイバー、それにウエディをここに呼べるか?」
『え?彼らの居所は把握してますが、顔を見せる気ですか?』
「彼等と私にはもうそれなりの信頼関係があります。ヨツバという大きなものを探るのにわざわざワタリを通していたのでは、無駄に時間がかかるし私の考えも伝えにくい」
『…わかりました、手配します』
捜査員不足は、ヨツバという大きな壁に直面せずとも、懸念していた問題だ。
しかし今回ばかりはリスクを侵してでも、外部の人間を引き入れる決断を問ったようだ。
竜崎がパソコン越しにそんなやり取りをした三日後。
「俺はアイバー。詐欺師だ。ヨロシク」
「ウエディ。職業はドロボウ」
本部へ2人の男女がやってきた。日本語は流暢だが、彼女らは金髪碧眼で、明らかに日本人ではない。
2人とも身なりがきちんとしていて、明らかに上等なスーツやコートを身に纏っていた。
パッと身は海外セレブのような出で立ちだった。
「さ…詐欺師泥棒?」
「そうです。アイバーは語学力、心理学、人格変換術、あらゆる社交に必要な物を身に着け、必ずターゲットと親密な関係になる詐欺師。潜入捜査に使えます。ウエディはどんな鍵、金庫、セキリュティでも敗れる泥棒です。その証拠に我々に気付かれる事なくここまで入ってきた。2人とも歴とした犯罪者です」
「は…犯罪者と一緒にやるのか…?」
「犯罪者と言ってもキラに裁かれるよう表に出てくる者とは違います。裏の世界のプロとでも思ってください。他にも必要に応じて犯罪者であうと手を借りられる者は押さえてあります。皆顔を見せたがりませんし、私も信用できる者にしか顔を見せませんが…この本部に住んでもらう者がいるかもしれません。流石に夜神さんたちが警察であったのなら入れられませんでしたが、今となっては…」
ここにいる松田さん、模木さん、父さんは既に警察に辞表を出し、刑事という肩書きはなくなっている。
理屈でいえば、竜崎の言う通り犯罪者を仲間にする事に問題はないはずだ。
「……しかし…」
けれどつい数日前まで父さんはたしかに刑事であったのだ。そして父さんは元々正義感が強く、倫理観がハッキリと定まっている。
父さんがすんなりと飲み込めず困惑しているのをわかって、それでも尚僕は空気を変えるようにして、僕は明るい声を出した。
「なるほど。ヨツバを探るならこういう人たちも必要になる。皆で力を合わせてがんばろう!」
「…う…うむ…」
父さんはそれでも困惑は無くせないようだったけれど、協力する事に同意し頷いてくれた。
犯罪者を使うという事に父さんの中にある道徳心や倫理観が抵触しても、頭ではこうするのが一番合理的であるとわかっているのだろう。
決して流されやすいという風ではない。自分の選択肢になかったものを提示されても、こういう時柔軟に対応しようと務める所は父さんの長所で、尊敬すべきところだろう。
***
今日もは松田さんとミサと共にロケに向かい、僕たちは本部でヨツバについて捜査を進展させていた。
隣の席で竜崎がコーヒーとケーキを飲食する傍らで、僕は肘をついて考える。
──キラが心臓麻痺以外でも人を殺せる。そう考えると、今まであった色々な物事の見方が変わってくる。
とスペースランドへ行った時、前日銀行強盗をした恐田奇一郎がバスジャックしピストルを乱射。最期はバスから飛び出し車にはねられ死んだ…
キラが心臓麻痺以外でも人を殺せるとすると…
あの時レイ=ペンバーというFBI捜査官が同乗していた。恐田を操り、レイ=ペンバーの身元を明かさせたというのは筋が通る…
そしてレイ=ペンバーの婚約者、南空直美。行方不明だが…
確かに僕は元旦に彼女に会った。
本当はと初詣に行こうと予定したのだが、が家族におつかいを頼まれているというので、各々の時間を過ごす事になったのだ。
そして僕は母に頼まれて、警察庁に向かい、父さんに着替えなどを私に行った。
そこで偶然南空と会話する流れになったのだ。
細か会話の内容は思いだせないが、キラ事件について話したし、彼女はキラは心臓麻痺以外でも殺せると言った…確かそう言ったはずだ…
何故僕は今までこの事に注目していなかった?
……今まではキラが心臓麻痺以外で人を殺せると考えていなかったからか?
いやそれでもペンバーと南空は注目すべき2人だ…
まさか竜崎の言う通り、僕が…いやそんなはずはない。…もし仮に僕に顔と名前で人を殺せるの能力があったら、どうだ?悪人を裁こうとするか?確かに世の中居ない方がいいと思う人間はいるが…自らが殺人犯になって悪を裁く事で世の中を変えようとまで僕は思わない…
僕は誰よりも心が綺麗で、無垢なの幼馴染として生まれた事を誇りに思ってる。
そしてそんなと心が通じ合い、恋人になれた事は、僕の人生の中で一番とっていいほどの幸福な事だ。
いない方がいいと思う人間がいるというのは、例えばのような綺麗で心優しい人間が害される不条理が許せないからだ。
かといって、それを排除するために殺人を犯す?…そんな事、僕はに打ち明けられる訳がないだろう。
だから僕はキラであるという事を隠し続けて、毎日秘密の殺人を犯しながら、無垢なの隣で生きていた…?
──あり得ない。やはり考えすぎだ。僕がキラであるはずがない。
そんな記憶はまったくないし、大量殺人をして、その記憶が残らないんてあり得ない…
ペンバーや南空の事は竜崎話すべきではないな。話す意味もない。
特に、バスジャックされたあの車内に名前もいたなんてしれたら、また話がこじれる事になる。
そんな事より今犯罪者が次々とキラに殺されている…余計な事は考えずにキラを捕まえる事だけに集中するんだ。
「夜神くん」
「ん」
「どうしました?真剣な顔をして…」
「いや、モニターばかり見ていたから少し疲れただけだ。…ヨツバ本社のコンピューターに侵入できたが、さすがにキラに繋がるものはないな。そんな証拠になるものを、わざわざ入れるはずもないが」
「凄いですね。このハッキングの腕があったら、警察のコンピューターでも侵入できたでしょうね」
僕が手を止めながら思案していると、竜崎は僕の姿に目を止め、ずいっと身を乗り出してきた。
僕の眼前、鼻先をかすめるほどに後頭部が近づいても気にせず、竜崎は僕の操作していたパソコンを食い入るようにみる
竜崎のこの行動は彼の癖であるという事も理解しているが、たまにわざとやっているんじゃないかとも思う。
実際挑発のためにやってる時もあるのだろう。
確かに僕は警察庁の父のパソコンをハッキングしていたが…しかしそれはキラ事件を僕なりに考える為だ。キラだからではない!
竜崎は言葉通り──実際やっていたのだが──…僕が自宅で警察のコンピューターをハッキングしていた=キラであると今も疑っている。
だからこその挑発的行動なのだと捉えた。
「まだそんな事を言っているのか竜崎…僕を疑っているのは勝手だが、今起きている事にちゃんと目を向けてくれよ」
「そうですね。とにかく今のキラを捕まえる。それが事件解明への今できる最良の事に違いないですから」
椅子に立ちあがり乗り出していた身をかがめて、自分の椅子に座り直す竜崎。
そんな時、『竜崎!』とパソコンの向こうからワタリの声がした。