第58話
4.舞台裏憎悪

僕が監禁されると言う時になって、僕が家を空ける理由として母さんあてに作ったもの。

と夜神月は同棲する事を決めたが、そんな事堅物の夜神家の父が認めるはずがない」

これは家にも伝わったようだ。そして家のご両親は「月くんと一緒なら…」とさして気にしていないらしい。
は引き続き監視をされ、自宅に帰れない毎日を送っていた。
家のご両親は問題視していなくても…自身にとっては、酷く重い問題だ。
ホテルを転々と移動するシステムは廃止され、完成した高層ビルに拠点を移し、捜査にあたっていた。

「…、入ってもいいかな」

高層ビルには、当然の部屋も用意されている。
ミサにワンフロア与えられているのだ、当然にもそうされるはずだと思った通り、今いる階は、丸ごとの物としてあてがわれていた。


トントンとの部屋をノックすると、しばらくしてから、「…どうぞ、入っていいよ」と返答があった。
ゆっくり扉を開けると、身を包むようにして布団を肩にかけて、ベッドで膝を抱えるがいた。
はここでの生活に未だ馴染めていない。…恐らく、の性格上、今後一生この場所で落ち着ける事はないんだろうと思う。
の痛々しい姿に胸を痛めながら、ベッドの傍まで歩み寄り、側に腰かけた。
手錠で繋がれた竜崎も、勿論僕の後ろを着いてきている。
けれど僕のようにベッドに腰かける事はなく、立ったまま僕達を観察していた。


「…怪我の具合はどう?まだ痛む?」
「まだ完治はしてないけど…よくなってきたよ。でも…怪我よりも、筋力が衰えた事の方がちょっと問題かもしれない…」
「夜神さんも月くんも、ミサさんも同じ条件で隔離されてたはずなんですけどね。さんは虚弱体質なんでしょうか、月くん」

が熱を出してからもう数日が立った。発熱自体は収まり、捻った手首もほとんど回復した。
けれどの言う通り、問題なのは衰弱してしまった栄養失調状態の体と、衰えた体力だろう。
しかしは竜崎の言うような虚弱体質ではない。僕は首を横に振って否定した。

「ミサはともかくとして…僕も父さんも鍛えてるからね。の反応はむしろ正常だろう。それに精神的な負担も計り知れないだろうしね」

ミサはあの性格だ。牢から解放されたばかりの状態だったあの車内でも、ミサは元気にしていた。
捜査本部の面々にも遠慮はしないし、要求があればすぐに口にし、不満があればきちんと声にする。
モデルという職業も要因なのかもしれないが、監視カメラで見られている事自体、気にしていないようだった。
けれど普通の人間であれば、24時間、風呂もトイレも監視される、プライバシーのない空間にストレスを感じないはずがない。
それに、50日以上も目隠しをされ、拘束をされ、誰とも知らない者たちに拉致監禁されていたのだ。
トラウマになっていない事が最早奇跡だ。の衰弱は問題だけど、それだけで済んでよかった…と喜んでもいいのかもしれない。

「…、抱えるよ。いいね?」
「……うん」


僕が言うと、少し気まずそうな顔をしながらも、こくりと頷いた。
そして僕はの膝の裏に手を差し込み、この前のように姫抱きをして運んだ。
体力が衰えている上に、未だに栄養失調は続いている。こうしなければ貧血で転倒しかねない。
それをわかっているから、は受け入れている。
けれど恥ずかしいとは思っているようで、僕の胸元に顔を埋めてしまった。
には申し訳ないけれど、役得だなと思う。
は人前でイチャつくような事を好む性格ではない。だけど今この瞬間だけは、は僕に触れる事を許す。…許さざるを得ない。
エレベーターに乗り、を連れて移動したのは、ミサのプライベートルームだった。

「竜崎、頼む」
「わかりました」

僕はを抱えているため、扉を開ける事ができない。
竜崎に開けてくれるよう頼むと、ノックもせずにいきなりドアノブを捻った。
僕は思わず驚き、すぐに呆れたが、ミサは気にした様子はない。
むしろ僕の姿が目に入ると、キラキラと瞳を輝かせていた。
それまで読んでいた雑誌を放り投げて、ばっと両手を広げて僕の来訪を歓迎した。

「月!やっときてくれた!……竜崎さんつきで」
「はい。暫くの間私と月くんは一心同体です」
「げっ最悪!ほんと、それキモいってばー!」

しかし竜崎の姿見て、酷く嫌そうな顔をしていた。
そして次に僕の腕に収まるの姿を見ると、両手を組み合わせてこう叫んだ。

「あ〜いいな〜!ミサもライトにお姫様抱っこされたーい!」

ミサは僕のことを自分のものと言ったり、デートがどうだの言ったりするけれど。
の事を目の敵にすることはなかった。
僕の最愛の人だという認識はちゃんとあるようで、敬意を払っているようだ。

テーブルには四人分のケーキとコーヒーのセットが並べられており、
それを囲むように長いソファーが設置されていた。
僕はをミサが座っていない方…空席だったソファーに下すと、当然のように隣に腰かけた。

「月くん、手錠があるんですよ。嫌でしょうけど、私達は隣同士に座った方がいいと思いますが」
「そうか。それなら向かいのソファーをもう少し近づけたらどうだ?それか、鎖をもう少し長くした方がいいかもな」
「………本当に厄介ですね」

竜崎はミサの方に視線をやると、「ミサさん、月くんのためにソファーをこちらに近づけてあげてください」と言って、ミサを怒らせていた。

「ちょっとミサを顎で使う気!?動かすなら自分で動かしてよ!」
「ですから。月くんがここに居座ってしまってるので、私はそちらにいけません」
「もー!」


ミサは渋々と立ち上がり、自分が座っていたソファーを押そうとする。
僕はコーヒーを零さないように気をつけながらテーブルを自分側に引っ張り寄せて、出来るだけソファーを引き寄せるスペースを作った。
そして竜崎が向かい側の席に座り、ようやく落ち着いたところで、の手を握る。
がちらりと僕を見上げてきたので、にこりと笑ってみせる。
するとは恥ずかしそうにふいっと視線を逸らしてしまった。
監視カメラには映ってるはずだとも理解している。けれど竜崎とミサには見えていない。
羞恥心を感じているものの、それで折り合いをつけたらしい。
抵抗することなく、握られたままでいてくれた。


「ねー…これデートって気にならないんだけど……」
「私の事は気にしないでいいです。それよりケーキ食べないんですか?」
「…甘い物は太るので控えてます」
「甘い物を食べても頭を使えば太らないんですけどね」
「あっ!またミサをバカにして…!」


ミサと竜崎が言い争いをしていると、はスッと自分の前に置かれたチョコレートケーキを正面に座る竜崎の方へと押しやった。

「竜崎くん、これあげる」
「いいんですか?…さんは、甘い物は嫌いじゃないはずですが」
「えと…食欲があんまりなくて」


チョコレートケーキは、も好きだったはず。
重たい食事はとれなくても、ケーキくらい軽くて甘いものなら大丈夫かもしれない。
そう思っていたが、駄目だったらしい。
監禁されていた時、は殆どの間点滴をしていたと聞いた。

せっかく拘束が解けたというのに、これではまた病人のように点滴をする羽目になる。
なんとかならないものかと眉を寄せながらの頭を撫でてた。

「じゃあ、ミサの分のケーキもあげるから、ライトと二人きりにしてくれない?」
「二人きりになった所で監視カメラで私は見るんだから、同じ事です」
「だから変態だって!止めてくれない!?そういう悪趣味」
「何とでも言ってください、ケーキは頂きます」

僕も人の事は言えないけれど。
ミサは50日以上も監禁され、今も軟禁状態にあるというのに、よくもこう元気でいられるものだ。

「じゃあいいわよ。ライトと2人きりになったらカーテン閉めて電気消すから!」
「赤外線カメラにもなってますから」
「じゃあ二人で布団被っちゃおうか?ライト」
「そんな事より、せっかく設備の整った本有部に来たのに、竜崎、おまえ全然やる気ないよな?」
「そ…そんな事よりって…ひど…」


ミサの提案は聞かなかったふり、ショックを受けているのも気が付かないふり。
そのまま話を進めると、竜崎は僕の言葉を肯定した。

「やる気ですか?…ありません…実は落ち込んでます」
「落ち込んでる?」
「はい…私はずっと月君がキラじゃないのか?と考えていましたから。その推理が外れたとしたらもうショックで…いえ、まだ疑ってはいるんですけどね。だからこうしているんですから」

竜崎は右手にハマった手錠を持ち上げて、"こうしている"という部分の説明をした。

「しかしキラは人の行動を操れた…つまり…私が月君をキラだと疑う様にキラが月くんを操っていた…月くんもミサさんも、キラに操られていた…そう考えると、私の中で辻褄が合ってしまうんです…ただ何故二人を殺さないのか、そこだけが腑に落ちませんが…」

ケーキをフォークでむさぼりながら、自分が落ち込んでいる理由を語る竜崎。
無表情なのはいつもの事だが、その声も瞳も、明らかにいつも以上に活力がない。

「もし本当に操られ、自覚もなく人を殺していたとしたら、被害者でしかないわけです。一から推理し直さなくてはならない…ふりだしです。
警察の情報を盗む事が可能な月くんにキラが目を付け、操りその月くんを私が疑う様キラが仕向けていたのだったら…私だって悔しい…正直ショックです」

竜崎はいつも通り、あの両ひざを立てる独特な座り方をして、背中を丸めている。
しかしいつだって調査対象やモニターに視線は真っすぐ向けていた。
けれど今の竜崎はどこを見るでもなく、自身の膝に項垂れて、どんよりとした声色で見るからに落ち込んでいた。

「……竜崎…その考えだと、僕もミサも操られていたが、キラだったって事じゃないか?」
「はい。それは間違いないです。2人ともキラです。…そしてさんも、どういった形であれ、そこに関与させられてしまった事は間違いありません」

ミサにかける疑いと、にかける疑いは別物。
先日それを追及しようとしたら、竜崎は話しを逸らした。沈黙は肯定というようなものだ。
そして今も「関与させられた」といった言い方をした。
僕はそれで、竜崎がに向ける疑いの形を、完璧に確信した。
だとしたら──は疑わしきは罰する、という程度の形で監禁されただけに過ぎない。
ただの誤認逮捕のようなものだ。普通の捜査ではここまでしなかっただろうが、これはキラ事件。ここまで徹底する必要があった、それが竜崎の言い分だろう。

「私の考えでは監禁した時の月くんはキラでした。そして監禁したその時から犯罪者は死ななくなった…そこまでは月くんがキラだったで通ります。しかし二週間したら、また犯罪者が死に始めた…この事から次のケースが考えられる…
キラの能力は人を渡っていく。第二のキラのビデオにも「能力を分ける」という言葉がありました。」
「面白い考えだが、キラがそんな事をできるとしたら、捕まえるのは容易ではないな」

推理を語った時の竜崎はいつも通りのように見えたが、僕が容易ではない、というと、また背中を丸めた。

「はい…だから参ってるんです…誰かを操り、犯罪者を殺していき、操られた者が捕まったりしたら、能力を他の者に移し、しかも記憶は残らない…これではいくら捕まえても無駄です…」
「………しかしまだそうと決まった訳じゃないだろ。実際キラについて具体的にわかっている事は少なすぎる。…やる気出せよ」
「やる気?あまり出ませんね…いやあまり頑張らない方がいい…」
「……」

竜崎は天井を見ながら、気だるげに、消極的な事を言う。
僕はその時点で良い気分はしていなかった。けれど次の言葉で、ついに一線を越えられた。

「必死になって追いかけても、こっちの命が危なくなるだけ…そう思いませんか?実際何度死ぬと思ったか…」
「竜崎…」

僕は繋いでいたの手を放し、立ち上がる。

そして向かいの席まで歩み寄り、竜崎に向けて右腕を振りかぶり──

「きゃああ!」
「…っ月くん!」


──竜崎の左頬を、容赦なく殴りつけた。
途端、ミサは悲鳴を上げ、は僕を咎めるように名を呼んだ。

竜崎はソファーから転げ落ち、ぶつかった観葉植物も倒れた。
机も倒れて、食器も何もかも床に散乱している。部屋が悲惨な状態になってると客観視はできるのに、それでも怒りは抑えきれなかった。

「痛いですよ」
「…ふざけるな…僕が真のキラじゃなかったから、自分の推理がはずれたからやる気なくなった?ふてくされてるのか…?」
「……言い方が悪かったかもしれませんね…こっちから動いても損かもしれないので止めましょうと…」
「何言ってるんだ?こっちから追い詰めないで捕まえられるはずがないだろ。必ず死刑台に送るとTVでキラに言い放ったのは誰だ!?
FBI捜査官、アナウンサー、罪のない人間を何人巻き込んだと思ってる!?
──それに、やミサや僕を監禁したのはおまえだろ!?」

が第二のキラ容疑ですらなく、ただの被害者であると見立てているのにも関わらず、
竜崎はここまでした。
だというのに、何人もの犠牲者を出し、僕たちを監禁までしておいて、堂々とやる気が出ななどと言い放つ。
僕は竜崎の胸倉を掴み、責めずにはいられなかった。

「…わかってます…しかし…どんな理由があろうとも──一回は一回です」

竜崎はそう言いながら、僕の右頬に足蹴りを食らわせた。
僕も容赦はしなかったが、竜崎も同じくらい手加減せずに蹴りを入れてきた。

「推理が外れたというより…「夜神月=キラ。弥海砂=第二のキラ」では解決しない。だからちょっとガックリきた。人間としてそれくらい駄目ですか?」
「駄目だね。大体おまえの言い方は僕がキラじゃないと気が済まないって言い方だ…」
「月くんがキラじゃないと気が済まない?……確かにそうかもしれません…今気づきました…な…何か…」

竜崎は獲物を狙う獣のようにしゃがみこみ、僕を睨みつけながらこう言った。

「──月くんがキラであって欲しかった…」…と。

僕は再び頭に血が上り、右手を思い切り竜崎の顔面にたたきつけた。


「一回は一回ですよ?私結構強いですよ?」


すると竜崎はまた僕の顔面に足蹴りを入れてくる。
そこからは、殴り合い蹴り合いの応酬が続けられた。
部屋はどんどん荒れ果て、食器はテーブルから落ちるだけでなく、どんどん割れていく。
お互いが床に叩きつけられる度に、ソファーなどの家具はどんどんズレ、転がり、悲惨な状態になっていった。
この場に男同士の本気の殴り合いを止められる人間はいない。
監視カメラで捜査員たちは見ているだろうが、違うフロアにいるのだ。駆けつけるのは容易ではない。
ミサは震えて、耳を塞いで蹲ってる。
か弱い女性に止められるはずもない。
家具や食器の二の舞にならないよう、巻き込まれないようそうしているのが賢明な判断だった。
──だというのに。


「──やめてっ!」


僕が拳を振るったその瞬間、が仲裁しようと割って入ってきた。
小さなの体は簡単に僕と竜崎の間に入り込み、僕の拳は竜崎に当たる事なく、の頬に当たってしまった。
咄嗟にひっこめようとしたものの、遅かった。

「うっ…!」


引っ込めようとしたおかげで、威力は殺せたはずだ。けれどの体を傾かせるには十分で、そのまま背中からぐらりと倒れそうになった。
拳をひっこめるのも間に合わなかったほどだ。僕がに手を伸ばそうとするのも遅れ、
床に倒れこむ間一髪のところで竜崎が代わりにを助け起こした。

「──ッ!」

僕はに駆け寄り、両肩を掴んだ。そして右頬にそっと触れると、「いたっ…」と呻き声をあげる。
そして足元をちらりと見た。
どうやら痛かったのは頬ではなく、割れた破片を踏んでしまった足らしい。
足の裏の怪我は見えないけれど、流血が溢れだしている。それだけで、どれだけ酷い怪我を負ったのかは明白だった。


「そんな…どうしてこんな無茶なことを…!」
「…月くん、それ以上やったら手が痛くなっちゃうよ」
「馬鹿…!僕のことなんてどうでもいい、これじゃの方のが痛いだろう…!」
「月くん、さんの足の裏、出血してます。すぐ手当した方がいいです」
「きゃっ…やだっすごいザックリ切れてる…!」


僕はを抱き上げて、ソファーに座らせる。
そして足をそっと持ち上げ、患部の確認をした。刺さった陶器は食いこむ事なく、外れてくれたようだ。
けれどもしかしたら細かい破片は残ってしまっているかもしれない。
傷の範囲は大きく、深い。


…ごめん、本当にごめん…全部僕が…ッ」

元々、竜崎は僕がキラだと疑ってかかっていた。──それが事実じゃないとしても──…
大学で初めて接触してきた時。喫茶店でテストを受けさせられた時。テニスをしようと持ちかけてきた時。
は僕と幼馴染で、いつでも一緒にいる。だからいつだって巻き込まれてた。
それに加えて、何の間違いか、が関与したと思わせるような物証まで出てしまった。
そのせいで監禁され、衰弱し、事故とはいえ男に──僕に殴られて。
こんなに深い傷まで負わせてしまった。全部僕のせいだ。
傷を負った場所も悪かった。足の裏にこんな切り傷が出来てしまったら、これから歩く事もままならなくなるだろう。
ただでさえ体力の低下と栄養失調による貧血で歩くのに支障が出ているというのに。
これ以上が弱ってしまうなんて、耐えられない。
僕は僕が許せないし、こんな状況を作った竜崎も許せない──
いや──キラが憎い。何もかもが憎くてたまらない。

「……ッ」

僕はを抱きしめて、そのまま縋りついて離れられなくなってしまった。まるで許しを請う情けない男だ。
…それでもいい。情けなくても、みっともなくても、許されるなら…が無事で健やかでいてくれるなら。
けれど現実はこうも無常で、僕がキラだと疑われ始めてから、はどんどん傷つけられていく。
はきっと僕の事を許すだろう。頬を殴ってしまったことも、傷を作ったことも、「気にしないで」といって。
けれどもしもいつか…僕が今日のように感情的になり、万が一にも軽蔑されるような事があれば…
──僕は果たして、昨日までのように、変わらず生きていけるのだろうか。
そんな自信、あるはずがなかった。


「……本当に厄介ですね。それも少し所じゃなくなりました」

縋りつく僕を視界に入れながら、竜崎はぽつりと呟いていた。


2025.10.13