第57話
4.舞台裏─別物の疑い
ミサは竜崎に突っかかり、不平不満を零していた。
「男同士でキモいよ…竜崎さんってこっち系?大学でもライトと一緒にいたし…」
「私だってしたくてしてる訳ではありません」
「でもライトはミサのライトだし…大体24時間一緒って、ミサはいつライトとデートするの?」
「テートする時は必然的に3人でとなります…」
僕は過去に、ミサに大切な幼馴染の存在を語っている。
そして名前こそ当時口にしなかったものの、車内でミサは助手席にいた女性こそが僕の愛する人だと見抜いた。
だと言うのに、僕の事を自分のものだと言ったり、デートがどうだと言ったり。
言ってることが滅茶苦茶だ。
大体僕が大事な人がいると言っても「二番目の女でいいから」と言ったり、諦めるという事を知らない。
そして二番目でいいと言っていたのにも関わらず、そこに引け目や遠慮といったものが一切感じられなかった。
「はあ!?あなたの前でキスとか…しろって言うの?」
「しろなんて言ってませんよ?しかし監視することにはなります…」
「えええ?何それ?やっぱりあなた変態じゃない」
「月くんミサさんを黙らせてください」
僕は膝に寝かせたの髪を優しく撫でながら、じろりと竜崎を睨む。
せっかくの癒しの時間が台無しだ。久々にの体温を感じ、触れられたというのに、
余韻に浸る暇も与えてくれやしない。
はあ、とため息を一つついてから、僕は渋々ミサに語り掛けた。
「ミサ、わがまま言うな。ビデオを送ったのが君だというのは確定的なのに、こうして自由にしてもらえただけでもありがたいと思うべきだ」
「えっ?ライトまで何言ってるの?ミサはライトにとって大事な子でしょ?信用してないの?」
「大事な…といっても…君が「一目惚れした」と言っていつも一方的に押しかけて来ているだけで…」
どうやって僕の家を特定したのか、ミサは突然自宅まで押しかけてきて、教えてもいない大学までもやってきた。
何度も言うが、僕はミサに「何より大事な人がいる」と言った。「二番目すら許さない」とも言ったはずだ。
だというのに、ミサは一体何を言っているのだろう。ミサは愕然とした表情をして、瞳を潤ませた。
「じゃ、じゃあ「好き」って言われたのをいい事にやっちゃえってキスとかしてたんだ!?」
「おい、静かにしてくれ。が起きる…せっかく、やっとゆっくり眠れたんだ。起こしたくない…それにキスと言っても、手の甲に挨拶としてしただけだろう」
「キスはキスでしょぉ!?」
ミサは僕の傍まで駆け寄ってくると、背中を拳で叩いた。本気で怒りをぶつけているのか、女であるミサの腕力が非力なのか、痛くもない。
痛みを感じるか否かと、体に衝撃が加わるか否かは別問題だ。
ミサが僕を叩いた弾みで、僕の体が大きく揺れて、膝に乗せていたの頭がずり落ちそうになった。
「ひゃっ…」
その瞬間、の小さな悲鳴が零れ落ちる。
僕は咄嗟にの肩と頭を支えて、落ちないように捕まえた。そしての顔を覗き込んだ。
そこには先程まで固く伏せられていた瞼が開かれており、その瞳には僕が映っている。
今までは毎日のようにと顔を合わせて、お互いの瞳にお互いを映しながら、会話をしていた。
当たり前だった何気ないこの事が、どれだけ尊い事か知ら閉められる。
「…!目が覚めた?…ごめん、起こしちゃって」
「…月、くん…」
は半ば夢現の状態らしい。眠たそうな瞼を必死に持ち上げて、掠れた声で僕の名を呼ぶ。
僕はの顔にかかってしまった髪を耳にかけてやりながら、声をかける。
「おはよう…少しは気分がよくなったかな?」
「…うん、少しだけ…」
「…声が掠れてるね。まだまだ本調子じゃない…寝ていた方がいいね」
「でも、大丈夫…まだ、何か話し合いするんでしょ…?」
はそう言いながら、ソファーに手をついて、それを支えにして上半身を起こそうとした。
けれどその腕は震えていて、とてもじゃないが支えられるように思えない。
僕は見かねての腕を掴んで留め、脇に手を差し込んで起こしてあげた。
「僕の肩にもたれていいからね」
そのまま僕のすぐ傍に座らせて、寄り掛からせる。
ちょこんと人形のように手を膝において座っていたがかわいくて、その手の上に僕の手を重ねた。
そんな僕達の様子を、相沢さんや父さんを筆頭にして、皆が驚いたような表情をして見守っていた。
ミサはわなわなと震えながら、拳を握っている。そしてこらえきれず、大きな声でこう叫んだ。
「なにあれーっ!ミサもライトに膝枕されたい!よしよしされたいーっ!」
「無理なんじゃないでしょうか。ミサさんは一目惚れをしただけの、彼氏彼女ではない、月くんのお友達なんでしょう?」
「傷口に塩を塗るようなこといわないでよ!いじわる!」
ただ一人冷静に周りを見ていた竜崎が、ミサを諭した。
そしてミサの方に歩み寄ってくると、じっと顔を近づけて一つ問い掛けた。
「で、その一目惚れですが。5月22日の青山なんですよね?ミサさん」
「はい」
「その日何故青山に行ったんですか?何を着ていきましたか?」
「だから何となく言ったんだって何度言わせるの?あの日の気持ちとか着てた服なんて本当に覚えてないの!理由がなければミサが青山フラフラしちゃいけないわけ?」
「そして青山に言って帰ってきたら一目惚れした月くんの名前を知っていた」
「はい」
「どうやって名前を知ったのかは自分でもわからない」
「はい、そうです」
竜崎に今まで何度も同じことを問い掛けられている事に怒りを覚えているらしいミサは、眉を吊り上げながら竜崎に説明を繰り返した。
少し動けばキスでもしてしまう程竜崎が顔を近づけても、一歩も引かず、至近距離で竜崎に対抗する。
そんな負けん気の強いミサを見て、一瞬何かを考えるように口を閉じてかから、こう問いかけた。
「では…もし月くんがキラだったら、どう思いますか?」
「えっ!?もしライトがキラだったら…?」
「そうです」
ミサはきょとんとした顔をしてから少し考える仕草を取ると、僕にすり寄ってきた。
そして僕の右隣、ソファーの空いたスペースに腰かけると、僕の腕に自分の腕を絡めた。
「サイコー。ミサは両親を殺した強盗へ裁きを下してくれたキラにずっと感謝してたもん!ライトがキラだったらライトをもっともっと好きになっちゃう!
これ以上好きになれないくらい、今も好きだけどね」
前にも僕はミサに腕を取られそうになり、振り払った記憶がある。
疲れているのか、上手く思いだせない事もあるが、その事は思い出せる。
今は上手く不意を突かれてしまった。ぐっと力を込めて離れようとするも、頬ずりするミサは力強く、離れようとしない。
きっと突き飛ばしでもしなければミサは離れないだろう。
こんな大勢の目がある前で…何よりの目の前で、そんな乱暴な事はできなかった。
はあ、とため息をついて、諦める他ない。
「キラですよ?「キラをもっと好きになる」って…怖いとは全然思わないんですか?」
「ライトがキラだったらでしょ?全然怖くないじゃない。ミサ、キラ肯定派だし。怖いどころか、きっと何かお役に立てないか考えるよ」
「お邪魔になることはあってもお役に立つ事はなさそうですが…。…しかしこれだと第二のキラがミサさんである事は間違いないんですが…あまりに間違いがなさすぎてそう思いたくなくなってきました…」
「思わなくて正解です。ミサはキラじゃありませんから!」
「とにかく、ミサさんは監視下におきます。
こうしてわざわざ月君に会える様、コネクティングルームになった部屋の片方ミサさんのために取ってるんですから。多少は我慢してください」
竜崎はポケットから一枚のカードを取り出すと、指先でつまんでかかげて見せた。
「ミサさんの部屋のドアは中からも外からもこのカードを使わなければ開かないようになってます。外出するときは内線でこちらの部屋に電話してください。プライベートでも仕事でも、これからは松田さんが松井マネージャーとして常に一緒に行動すると事務所にお金を渡し通してあります。警察とは言ってませんので、絶対に自分からバラさない様に」
「このおじさんがマネージャーって嫌だな〜」
「そ…そんな…僕のどこが不服なんだ?ミサミサ」
おじさんと呼ばれミサに拒否された松田さんは、ショックを受けたような表情をした。
物怖じせず、自分のペースで好き勝手言うミサの態度と、松田さんそのおどけた発言。
全てが琴線に触れたのだろう。わなわなと震えていた相沢さんが、ついに激昂した。
「ホモだとかデートだとかキスだとかミサミサだとかいい加減にしてくれ!これはキラ事件なんだわかってるのか!?もっと真面目にやってくれよ!」
椅子からガタッと音を立てて立ち上がると、机にバンッと両手をつき、大きな声で叫んだ。
はその怒声の大きさと剣幕に驚いたのか、びくりと肩を跳ねさせて、僕の方に身を寄せた。
恐らく無意識だろうその仕草が可愛くて、僕の表情が思わず緩む。
がこわいと思った時、助けを求める先は僕であるということ。何ていじらしくて甘美な事だろう。
「…、大丈夫だから」
「……月くん」
僕はの肩を抱き寄せて、安心させるようにその頭を撫でてやる。
松田さんたちは相沢さんの豹変に気を取られて、僕たちの事は眼中にない。
僕はこれ幸いとのつむじにキスを落とす。はなすがまま。決して僕を拒絶しようとしない。
「す…すいません…」
「ああ…いや…真面目にやってるのはわかっているんだが…。…さあ弥、君は自分の部屋へ」
「えーっ」
松田さんが呆気にとられつつ謝ると、相沢さんは我に返った様子で、ミサの腕を掴んで部屋から追い出そうと歩き出す。
「ライトーっ三人でもデートしようねっ!」
ミサがそう朗らかに叫んだ瞬間、バタンとドアが閉められ、鍵が閉められた。
「ふー…」と相沢さんは一仕事終えたとでも言わんばかりに重い息を吐いていた。
ミサがいなくなったこの部屋で、次に矛先が向かったのは僕達だ。
束の間の静寂が流れた瞬間、皆の視線は、ソファーでを甘やかす僕に向かっていた。
はそれに気が付くと、パッと気まずそうに俯いてしまう。
は昔から、大勢に視線を向けられるのが苦手だ。
は臆病でもないし、人見知りでもない。
例えば大勢の前に立ち、代表となりスピーチは堂々とできるけど、クラスメイト達に悪意をもってからかわれるのは耐えがたいらしい。
は容姿が整っているため、必然的にちらりちらりと人の視線が自分に向かう事にはなれている。
けれど人の悪意や好奇の目がバッと一斉に向く瞬間は、どうにも条件反射のように怯えが先に来て、俯いてしまうのだ。
僕はそんなを宥めるように、髪を梳いてやる。
「月くん」
「ん?」
「弥とは本気で?」
……こいつは僕とが今こうして睦みあっている姿が目に入っていないのだろうか。
僕は半ば呆れながら、竜崎に否定する。
「…いやさっきから言ったように彼女から一方的に…」
「じゃあ弥に月くんも本気であるように振舞ってもらえませんか?弥が第二のキラと関係があるのはビデオの件から確かです…そして月くんを愛してることも…」
「…彼女と親密になり第二のキラの事を探れっていうのか?」
…やっぱり僕との姿がちゃんと見えていないのかもしれない。
それとも、わざと気が付かないふりをしている。竜崎の性格を考えると、後者だろう。
だとすれば、尚更性質が悪い。
「はい、月くんならできると思いますし、そうして弥から解明の糸口をつかもうというのも、三人を解放した大きな理由です」
「…竜崎…いくらキラ事件解決のためとはいえ、女性のそういう気持ちを利用するなんて、僕にはできない」
検討する余地すらない。首を横に振って拒絶を示す。
僕は「それが出来ないなら牢に戻れ」と言われたとしても、竜崎の言う通り、ミサに好意があるふりをして口説くなんてするつもりは毛頭なかった。
「悪いがわかってくれ。人の好意を踏みにじるような事は、僕の中で一番許せない、憎むべき行為なんだ」
僕が竜崎の目を見て、真剣に答えると、竜崎はそのまま黙り込んでしまった。
竜崎の表情や声色が変わることは滅多にない。今もそうだ。だけどなんとなく驚いているようにも見えるし、困惑してるようにも見える。
「どうした竜崎?」
「いえ、ライトくんが正しいです…しかし捜査上の秘密等が漏れない様、月くんからもよく言っておいてもらえると助かります」
竜崎は僕からすいっと視線を外しながら告げた。
困惑していたというのは僕の勘繰りすぎで、あの沈黙の中で、ただ考えこんでるだけともとれた。それにしては、やけに長かった気がするのは気のせいか。
僕のその引っ掛かりは、すぐに明かされる事となった。
「それと…竜崎。女性の好意を踏みにじる事は人道に反する、それも理由の一つだけど…そもそも、前提を履き違えている」
「前提、というと?」
「──僕はともう何年も付き合ってる」
僕がハッキリと宣言すると、「…そう、だったんですか?」と珍しく少し詰まったような声で言った。
「ああ、そうだ。知らなかったんだよな?まさか知っていたら、恋人の目の前で、色仕掛けをしろと強要するはずもない」
「……知らなかった…といえば、知らなかったですね」
竜崎の言葉は、酷く歯切れが悪い。本気で知らなかったというのなら、許さない事もない。
けれど僕に最愛の恋人がいると知っていて…しかも、この場に同席している状況で──
わざとそう言ったというなら、僕は心底軽蔑する。
「そもそも。さんはベッドで寝かせた方がいいと言ったのに、離れたくないと言って膝枕で看病したり。さっきから肩を抱き寄せたり。スキンシップが多すぎます。その距離感で、付き合ってないという方がおかしい。ただ…」
竜崎は今度は僕ではなく、ちらりとのことをみた。
はきょとんとしていて、何故自分が見られているのか分からない様子だった。
「…僕たちは、今この瞬間まで、"付き合ってる"と公言した事がなかった。だから距離感を見て確信は出来ても、裏が取れなかった。そういう事だろう?竜崎」
「…そうです。しかし月くんがさんを一番に愛してる事は間違いなくても、ミサさんを含め、様々な女性と交流があったことは確かですしね。私も判断に困っていたんです」
であれば、「知らなかった」という竜崎の言い分も嘘ではない。多少強引だが、一応筋は通る。
しかし、だ。
「そのいい方だと、僕が最低男みたいじゃないか。女友達くらい、いたっておかしくないだろう」
「そうなんですけど、何か腑に落ちないんですよね…特に、さんの反応とか」
「の反応…?」
僕は隣に座るの方をみる。それと同時に、父さんや他の捜査員たちの視線も自然とへと向かった。
「今まで月くんの近辺…弥海砂もさんも、調べさせてもらいました。けれど、さんは月くんが"女友達"と親しくしていても、ミサさんに言い寄られていても、少しも動揺してないんですよね。何故ですか?」
「りゅ、竜崎…あまりそういうことは踏み込まない方がいいんじゃ…」
それまで竜崎の推理を黙って聞いていた松田さんが、慌てて間に入って止める。
竜崎は何故松田さんが焦っているのか本気で分かっていないようで、不思議そうにしていた。
「なぜですか」
「その答えによっては、二人の関係に修正不可能なヒビが入る可能性がありますって…」
「例えばどんなものですか」
「……た、例えばですよ?…さんは、いちいち妬くほど月くんのことが好きじゃない、とか…」
「ああ…それは致命的ですね」
淡々と言うセリフだろうか。飄々と致命的だなんて抜かした竜崎が腹立たしく、僕は思わずじろりと竜崎を睨んだ。
そうすると、僕の怒りを感じ取ったのか、がやんわりと笑んで、僕の手の甲に自分の手を重ねた。
そして今まで黙って静聴していたが、初めて自分の意思を言葉で示した。
「…その逆ですよ。私は信頼してるんです」
「月くんが浮気をするような彼氏じゃないって事をですか?」
竜崎が言うと、は何かを言おうとして、言葉を詰まらせた。
何か後ろめたい事があっての事ではないというのは、すぐにわかった。
は視線をそろりとさ迷わせて、恥ずかしそうに口元に手を当てながら、何かを言おうとして…また閉じる、繰り返しをしていた。
…頬を赤く染めながら。
「えと…結論を言えば、そう、なりますね…」
自分の頬が赤くなってるという自覚があったのかもしれない。は僕の肩口に顔を埋めて、隠れるようにしてか細い声でそう告げた。
結論以外の様々な説明をしようと試みたのだろう。ければ説明すれば説明するほど、きっと惚気るような事にしかならないと思って、恥ずかしくなったのだと思う。
「……これは…つけ入る隙ないって感じだなぁ…ミサミサ失恋かぁ…」
松田さんの言う通りだ。僕達の間につけ入る隙などあるはずない。
僕はを愛してるし、も僕に恋してる。
あまりにもいじらしくて、かわいくて。抱きしめるだけじゃ物足りない。
その唇にキスをしたくてたまらない。そんな衝動を押さえつつ、僕はハグだけで堪えようとしていると…ふと、の体が酷く熱を持ってる事に気が付く。
元々車内でも「熱がある」と言われていたし、声はずっと掠れたままだ。
この熱さは、決して羞恥からくるものだけではないだろう。
「…体調は?の部屋も用意されてるだろうから、ベッドに連れていこうか?」
「はい、用意してあります。……コネクティングルームが必要な程の仲には思えなかったので、普通の部屋ですが…」
「行き止まりになってる訳でもないんだから。僕が会いにいけばいい話だろう」
「はい。手錠で繋がれた私も一緒にですが」
ベッドに寝かせた方がいいというのは、最初からわかっていた事。
けれど僕もも、お互いが傍にいたいと願ったのだ。
とは言っても、熱がどんどん上がっている気がする。それでもは首を横に振り、「ここにいてもいいなら、ここにいたい。…月くんと一緒にいたい」と言って、僕を酷く喜ばせた。
体調の悪いを無理させる事に胸を痛める半分、気分がよくてたまらなかった。
とは言っても、いつまでもと睦み合っている訳にもいかない。
僕は真面目な表情を作り、平常心を心掛けながら、竜崎に進言した。
「それより竜崎…何日かおきにホテルを転々とするこの今の体制、なんとか変えられないのか?ひとつの所に腰を据えて捜査すべきだと僕は思うが」
「はい、私もずっとそうしたいと考えてました。ですから…」
「あっ…おい!」
竜崎は話しながら、デスクの上に置いてあるパソコンの方へと移動する。
僕は強制的にソファーから移動させられて、僕に寄り掛かっていたが驚いていた。
「ごめん、っ」
「大丈夫」
手錠の鎖に引きずられながらの方を振り向き謝ると、は穏やかに笑っていた。
竜崎は人の気など知らず、パソコンのキーボードをカタカタと打ち込みながら淡々と説明を続ける。
「夜神さん達と顔を合わせ操作すると決めた時から、すぐに建設に取り掛かっていたんです。あと数日で完成します。これです」
パソコンの画面に映し出されたのは、一枚の画像だった。
真新しい、高層ビルの外観だ。皆がパソコンの傍に集まり、その画面に釘付けになっていた。
「地上23階、地下2階。屋上には外部からは見えない様になっていますが、二台のヘリが格納されています」
「ええっ!?」
「凄いな…!」
「外見はただの高層ビルに見せていますが、入るには何重ものセキュリティを通る必要があります。中の設備、コンピューター等も全て並のものではありません。
5階すから20階まではワンフロア4室ずつプライベートルームになっていますので、皆さんにはできる限りここで生活して頂きます。捜査員を増やす事になっても、60人くらいまでなら大丈夫です。ミサさんにはワンフロア与えれば文句も出ないでしょう。勿論さんも同様です」
「ミサはともかく…はそんな事で文句を言うような性格はしてない」
「言葉の綾です。月くんはさんの事になると神経質すぎます」
確かに僕もに関しては過保護な自覚はある。けれど竜崎に言われると、腹立たしくなるのは何故だろう。
…いや分かり切っている。僕がを"神経質"になるくらい愛しているとわかっているのに、ミサに色仕掛けをしろと言ったり、平気で言う根性が癪に障るのだ。
しかも、の目の前で。
僕はを傷つける人間を許さない。もしもが竜崎の発言で傷ついたのなら…
そう考えて、苛立っているのだ。
しかしここで感情的になり、いがみ合っていても意味がない。ため息ひとつで怒りをわが身から逃して、切り替えるのに務めた。
「…それにしても、凄いな。ここまでしてるなんて」
「と言うか…その資金どこから出てるんですか?竜崎…」
「……つまり私はこの事件、どんな事をしても解決したい。そういう事です…」
「いや…答えになってない…」
竜崎は松田さんの問いに答える気がないのか、それともそれで答えたつもりなのか。
竜崎のこういう所を一々気にしていても生産性がないと割り切り、僕は一度頷いて、こう話した。
「ああ、そうだな…僕も大量殺人は勿論、父や僕やをこんな目に遭わせたキラは絶対に許せない。どんな事をしても解決したい」
「…月くんはさんを信じてるんですね」
僕は竜崎の「信じてる」という言葉に含みがあったのに気が付いた。しかしそれに気が付かないふりをして、僕は平然とこう切り返す。
「ああ。…僕が信じているのとはまた違うだろうが…竜崎だって同じだろう。ミサに対して向ける疑いと、に対して向ける疑いは、別物なはずだ」
「……その話はまた追々しましょう」
僕は竜崎が詳細を語る事を避けた、その事で確信に至った。
僕が言った言葉通り…──竜崎は第二のキラの容疑で弥海砂との二名を確保したものの、疑いの濃度は両者で違っている。
怪しさの度合だけでなく、僕の推理が正しければ、ミサと名前にかけられた容儀の内容は違っている。
は決して、「第二のキラ」の疑いはかけられていない。おそらく──
「しかし「どんな事をしても」と言うなら、ミサさんとより親密になり、探りを…」
「それは出来ない。人道に反する」
「そうですか…残念です」
僕の言葉の揚げ足を取ってきた竜崎にキッパリ断わりを入れると、竜崎は心にもない「残念です」という落胆を口にした。
そんなやり取りをしていると、誰かが「ぷっ…」と笑いをこぼした。
見ると、相沢さんが口元に手をやって、笑いをこらえているのが目に入る。
「いえ…私も益々やる気が出てきました!竜崎、夜神さん、月くん。どんな事をしてもキラを捕まえましょう!」
「うむ」
「あの、僕の名前だけないんですけど…」
名前を呼ばれなかった松田さんが萎れるのとは反対に、相沢さんや父さんはやる気を満ち溢れさせていた。
話がまとまったところで、僕は無言でぐっと手錠を引っ張る。竜崎がちらりとこちらをみた。
移動するという合図をしてから、僕はソファーでぐったりしているの側へ歩み寄り、額に手をあてた。やっぱり、熱が高い。
「…、そろそろ部屋に戻ろう。一人になりたくないのかもしれないけど…顔色が悪い」
「うん、そうだね…」
は素直に僕の提案を飲んで、ゆっくりと地面に片足をつけた。
それを見ていると、両手をソファーについて震えていたの腕の頼りなさを思い出した。
僕はハッとしてに手を伸ばすも、判断を下すのが遅かった。
「きゃっ…!」
の両足には上手く力が入らなかったようで、がくりと膝から崩れ落ちてしまった。
思いっきり地面についた手首が痛むようで、庇うように胸に抱いている。
こうなる事は予想できていたというのに、一歩遅かった。
「…!大丈夫か!?怪我は!?」
「いっ…!」
「あっごめん…!」
蹲るに駆け寄り、いつもの癖で思わずの手を取ってしまった。
するとが痛がり、小さな悲鳴を上げて眉を寄せる。
が手首を痛めていた事はわかっていたのに、僕も動揺しているようだ。
僕はの膝を立たせて、その裏に腕を差し込んだ。
そしてそのまま、抱き上げる。
は恥ずかしいとは思っているのだろうが、この状況ではこうしてもらう他ないと判断したらしい。大人しく僕の首に腕を回して、運ばれる姿勢を取ってくれた。
「竜崎。このままの部屋に運ぶから、案内してくれ。それと、誰か救急セットを持ってきてくれないか」
「あっ僕が持ってくよ!月くん!」
「ありがとうございます、松田さん」
「月くん、部屋はこっちだ」
僕が言うと、松田さんが手伝いを名乗り出てくれた。そして相沢さんが部屋へと誘導してくれる。
「これは、少し厄介なことになるかもしれませんね…」
竜崎はそんな僕たちをみて、ぽつりと呟いた。誰に話しかけるでもない、ただのひとり言のようだった。
僕はそんな竜崎をちらりと一瞥し、視線をそらした。
何を持ってしてそんな事を言っているのか知らないが、また変に絡まれるのは御免だと思ったのだ。
──そして竜崎の言う通り、その後は"厄介な"状況に追い込まれていくのだった。
4.舞台裏─別物の疑い
ミサは竜崎に突っかかり、不平不満を零していた。
「男同士でキモいよ…竜崎さんってこっち系?大学でもライトと一緒にいたし…」
「私だってしたくてしてる訳ではありません」
「でもライトはミサのライトだし…大体24時間一緒って、ミサはいつライトとデートするの?」
「テートする時は必然的に3人でとなります…」
僕は過去に、ミサに大切な幼馴染の存在を語っている。
そして名前こそ当時口にしなかったものの、車内でミサは助手席にいた女性こそが僕の愛する人だと見抜いた。
だと言うのに、僕の事を自分のものだと言ったり、デートがどうだと言ったり。
言ってることが滅茶苦茶だ。
大体僕が大事な人がいると言っても「二番目の女でいいから」と言ったり、諦めるという事を知らない。
そして二番目でいいと言っていたのにも関わらず、そこに引け目や遠慮といったものが一切感じられなかった。
「はあ!?あなたの前でキスとか…しろって言うの?」
「しろなんて言ってませんよ?しかし監視することにはなります…」
「えええ?何それ?やっぱりあなた変態じゃない」
「月くんミサさんを黙らせてください」
僕は膝に寝かせたの髪を優しく撫でながら、じろりと竜崎を睨む。
せっかくの癒しの時間が台無しだ。久々にの体温を感じ、触れられたというのに、
余韻に浸る暇も与えてくれやしない。
はあ、とため息を一つついてから、僕は渋々ミサに語り掛けた。
「ミサ、わがまま言うな。ビデオを送ったのが君だというのは確定的なのに、こうして自由にしてもらえただけでもありがたいと思うべきだ」
「えっ?ライトまで何言ってるの?ミサはライトにとって大事な子でしょ?信用してないの?」
「大事な…といっても…君が「一目惚れした」と言っていつも一方的に押しかけて来ているだけで…」
どうやって僕の家を特定したのか、ミサは突然自宅まで押しかけてきて、教えてもいない大学までもやってきた。
何度も言うが、僕はミサに「何より大事な人がいる」と言った。「二番目すら許さない」とも言ったはずだ。
だというのに、ミサは一体何を言っているのだろう。ミサは愕然とした表情をして、瞳を潤ませた。
「じゃ、じゃあ「好き」って言われたのをいい事にやっちゃえってキスとかしてたんだ!?」
「おい、静かにしてくれ。が起きる…せっかく、やっとゆっくり眠れたんだ。起こしたくない…それにキスと言っても、手の甲に挨拶としてしただけだろう」
「キスはキスでしょぉ!?」
ミサは僕の傍まで駆け寄ってくると、背中を拳で叩いた。本気で怒りをぶつけているのか、女であるミサの腕力が非力なのか、痛くもない。
痛みを感じるか否かと、体に衝撃が加わるか否かは別問題だ。
ミサが僕を叩いた弾みで、僕の体が大きく揺れて、膝に乗せていたの頭がずり落ちそうになった。
「ひゃっ…」
その瞬間、の小さな悲鳴が零れ落ちる。
僕は咄嗟にの肩と頭を支えて、落ちないように捕まえた。そしての顔を覗き込んだ。
そこには先程まで固く伏せられていた瞼が開かれており、その瞳には僕が映っている。
今までは毎日のようにと顔を合わせて、お互いの瞳にお互いを映しながら、会話をしていた。
当たり前だった何気ないこの事が、どれだけ尊い事か知ら閉められる。
「…!目が覚めた?…ごめん、起こしちゃって」
「…月、くん…」
は半ば夢現の状態らしい。眠たそうな瞼を必死に持ち上げて、掠れた声で僕の名を呼ぶ。
僕はの顔にかかってしまった髪を耳にかけてやりながら、声をかける。
「おはよう…少しは気分がよくなったかな?」
「…うん、少しだけ…」
「…声が掠れてるね。まだまだ本調子じゃない…寝ていた方がいいね」
「でも、大丈夫…まだ、何か話し合いするんでしょ…?」
はそう言いながら、ソファーに手をついて、それを支えにして上半身を起こそうとした。
けれどその腕は震えていて、とてもじゃないが支えられるように思えない。
僕は見かねての腕を掴んで留め、脇に手を差し込んで起こしてあげた。
「僕の肩にもたれていいからね」
そのまま僕のすぐ傍に座らせて、寄り掛からせる。
ちょこんと人形のように手を膝において座っていたがかわいくて、その手の上に僕の手を重ねた。
そんな僕達の様子を、相沢さんや父さんを筆頭にして、皆が驚いたような表情をして見守っていた。
ミサはわなわなと震えながら、拳を握っている。そしてこらえきれず、大きな声でこう叫んだ。
「なにあれーっ!ミサもライトに膝枕されたい!よしよしされたいーっ!」
「無理なんじゃないでしょうか。ミサさんは一目惚れをしただけの、彼氏彼女ではない、月くんのお友達なんでしょう?」
「傷口に塩を塗るようなこといわないでよ!いじわる!」
ただ一人冷静に周りを見ていた竜崎が、ミサを諭した。
そしてミサの方に歩み寄ってくると、じっと顔を近づけて一つ問い掛けた。
「で、その一目惚れですが。5月22日の青山なんですよね?ミサさん」
「はい」
「その日何故青山に行ったんですか?何を着ていきましたか?」
「だから何となく言ったんだって何度言わせるの?あの日の気持ちとか着てた服なんて本当に覚えてないの!理由がなければミサが青山フラフラしちゃいけないわけ?」
「そして青山に言って帰ってきたら一目惚れした月くんの名前を知っていた」
「はい」
「どうやって名前を知ったのかは自分でもわからない」
「はい、そうです」
竜崎に今まで何度も同じことを問い掛けられている事に怒りを覚えているらしいミサは、眉を吊り上げながら竜崎に説明を繰り返した。
少し動けばキスでもしてしまう程竜崎が顔を近づけても、一歩も引かず、至近距離で竜崎に対抗する。
そんな負けん気の強いミサを見て、一瞬何かを考えるように口を閉じてかから、こう問いかけた。
「では…もし月くんがキラだったら、どう思いますか?」
「えっ!?もしライトがキラだったら…?」
「そうです」
ミサはきょとんとした顔をしてから少し考える仕草を取ると、僕にすり寄ってきた。
そして僕の右隣、ソファーの空いたスペースに腰かけると、僕の腕に自分の腕を絡めた。
「サイコー。ミサは両親を殺した強盗へ裁きを下してくれたキラにずっと感謝してたもん!ライトがキラだったらライトをもっともっと好きになっちゃう!
これ以上好きになれないくらい、今も好きだけどね」
前にも僕はミサに腕を取られそうになり、振り払った記憶がある。
疲れているのか、上手く思いだせない事もあるが、その事は思い出せる。
今は上手く不意を突かれてしまった。ぐっと力を込めて離れようとするも、頬ずりするミサは力強く、離れようとしない。
きっと突き飛ばしでもしなければミサは離れないだろう。
こんな大勢の目がある前で…何よりの目の前で、そんな乱暴な事はできなかった。
はあ、とため息をついて、諦める他ない。
「キラですよ?「キラをもっと好きになる」って…怖いとは全然思わないんですか?」
「ライトがキラだったらでしょ?全然怖くないじゃない。ミサ、キラ肯定派だし。怖いどころか、きっと何かお役に立てないか考えるよ」
「お邪魔になることはあってもお役に立つ事はなさそうですが…。…しかしこれだと第二のキラがミサさんである事は間違いないんですが…あまりに間違いがなさすぎてそう思いたくなくなってきました…」
「思わなくて正解です。ミサはキラじゃありませんから!」
「とにかく、ミサさんは監視下におきます。
こうしてわざわざ月君に会える様、コネクティングルームになった部屋の片方ミサさんのために取ってるんですから。多少は我慢してください」
竜崎はポケットから一枚のカードを取り出すと、指先でつまんでかかげて見せた。
「ミサさんの部屋のドアは中からも外からもこのカードを使わなければ開かないようになってます。外出するときは内線でこちらの部屋に電話してください。プライベートでも仕事でも、これからは松田さんが松井マネージャーとして常に一緒に行動すると事務所にお金を渡し通してあります。警察とは言ってませんので、絶対に自分からバラさない様に」
「このおじさんがマネージャーって嫌だな〜」
「そ…そんな…僕のどこが不服なんだ?ミサミサ」
おじさんと呼ばれミサに拒否された松田さんは、ショックを受けたような表情をした。
物怖じせず、自分のペースで好き勝手言うミサの態度と、松田さんそのおどけた発言。
全てが琴線に触れたのだろう。わなわなと震えていた相沢さんが、ついに激昂した。
「ホモだとかデートだとかキスだとかミサミサだとかいい加減にしてくれ!これはキラ事件なんだわかってるのか!?もっと真面目にやってくれよ!」
椅子からガタッと音を立てて立ち上がると、机にバンッと両手をつき、大きな声で叫んだ。
はその怒声の大きさと剣幕に驚いたのか、びくりと肩を跳ねさせて、僕の方に身を寄せた。
恐らく無意識だろうその仕草が可愛くて、僕の表情が思わず緩む。
がこわいと思った時、助けを求める先は僕であるということ。何ていじらしくて甘美な事だろう。
「…、大丈夫だから」
「……月くん」
僕はの肩を抱き寄せて、安心させるようにその頭を撫でてやる。
松田さんたちは相沢さんの豹変に気を取られて、僕たちの事は眼中にない。
僕はこれ幸いとのつむじにキスを落とす。はなすがまま。決して僕を拒絶しようとしない。
「す…すいません…」
「ああ…いや…真面目にやってるのはわかっているんだが…。…さあ弥、君は自分の部屋へ」
「えーっ」
松田さんが呆気にとられつつ謝ると、相沢さんは我に返った様子で、ミサの腕を掴んで部屋から追い出そうと歩き出す。
「ライトーっ三人でもデートしようねっ!」
ミサがそう朗らかに叫んだ瞬間、バタンとドアが閉められ、鍵が閉められた。
「ふー…」と相沢さんは一仕事終えたとでも言わんばかりに重い息を吐いていた。
ミサがいなくなったこの部屋で、次に矛先が向かったのは僕達だ。
束の間の静寂が流れた瞬間、皆の視線は、ソファーでを甘やかす僕に向かっていた。
はそれに気が付くと、パッと気まずそうに俯いてしまう。
は昔から、大勢に視線を向けられるのが苦手だ。
は臆病でもないし、人見知りでもない。
例えば大勢の前に立ち、代表となりスピーチは堂々とできるけど、クラスメイト達に悪意をもってからかわれるのは耐えがたいらしい。
は容姿が整っているため、必然的にちらりちらりと人の視線が自分に向かう事にはなれている。
けれど人の悪意や好奇の目がバッと一斉に向く瞬間は、どうにも条件反射のように怯えが先に来て、俯いてしまうのだ。
僕はそんなを宥めるように、髪を梳いてやる。
「月くん」
「ん?」
「弥とは本気で?」
……こいつは僕とが今こうして睦みあっている姿が目に入っていないのだろうか。
僕は半ば呆れながら、竜崎に否定する。
「…いやさっきから言ったように彼女から一方的に…」
「じゃあ弥に月くんも本気であるように振舞ってもらえませんか?弥が第二のキラと関係があるのはビデオの件から確かです…そして月くんを愛してることも…」
「…彼女と親密になり第二のキラの事を探れっていうのか?」
…やっぱり僕との姿がちゃんと見えていないのかもしれない。
それとも、わざと気が付かないふりをしている。竜崎の性格を考えると、後者だろう。
だとすれば、尚更性質が悪い。
「はい、月くんならできると思いますし、そうして弥から解明の糸口をつかもうというのも、三人を解放した大きな理由です」
「…竜崎…いくらキラ事件解決のためとはいえ、女性のそういう気持ちを利用するなんて、僕にはできない」
検討する余地すらない。首を横に振って拒絶を示す。
僕は「それが出来ないなら牢に戻れ」と言われたとしても、竜崎の言う通り、ミサに好意があるふりをして口説くなんてするつもりは毛頭なかった。
「悪いがわかってくれ。人の好意を踏みにじるような事は、僕の中で一番許せない、憎むべき行為なんだ」
僕が竜崎の目を見て、真剣に答えると、竜崎はそのまま黙り込んでしまった。
竜崎の表情や声色が変わることは滅多にない。今もそうだ。だけどなんとなく驚いているようにも見えるし、困惑してるようにも見える。
「どうした竜崎?」
「いえ、ライトくんが正しいです…しかし捜査上の秘密等が漏れない様、月くんからもよく言っておいてもらえると助かります」
竜崎は僕からすいっと視線を外しながら告げた。
困惑していたというのは僕の勘繰りすぎで、あの沈黙の中で、ただ考えこんでるだけともとれた。それにしては、やけに長かった気がするのは気のせいか。
僕のその引っ掛かりは、すぐに明かされる事となった。
「それと…竜崎。女性の好意を踏みにじる事は人道に反する、それも理由の一つだけど…そもそも、前提を履き違えている」
「前提、というと?」
「──僕はともう何年も付き合ってる」
僕がハッキリと宣言すると、「…そう、だったんですか?」と珍しく少し詰まったような声で言った。
「ああ、そうだ。知らなかったんだよな?まさか知っていたら、恋人の目の前で、色仕掛けをしろと強要するはずもない」
「……知らなかった…といえば、知らなかったですね」
竜崎の言葉は、酷く歯切れが悪い。本気で知らなかったというのなら、許さない事もない。
けれど僕に最愛の恋人がいると知っていて…しかも、この場に同席している状況で──
わざとそう言ったというなら、僕は心底軽蔑する。
「そもそも。さんはベッドで寝かせた方がいいと言ったのに、離れたくないと言って膝枕で看病したり。さっきから肩を抱き寄せたり。スキンシップが多すぎます。その距離感で、付き合ってないという方がおかしい。ただ…」
竜崎は今度は僕ではなく、ちらりとのことをみた。
はきょとんとしていて、何故自分が見られているのか分からない様子だった。
「…僕たちは、今この瞬間まで、"付き合ってる"と公言した事がなかった。だから距離感を見て確信は出来ても、裏が取れなかった。そういう事だろう?竜崎」
「…そうです。しかし月くんがさんを一番に愛してる事は間違いなくても、ミサさんを含め、様々な女性と交流があったことは確かですしね。私も判断に困っていたんです」
であれば、「知らなかった」という竜崎の言い分も嘘ではない。多少強引だが、一応筋は通る。
しかし、だ。
「そのいい方だと、僕が最低男みたいじゃないか。女友達くらい、いたっておかしくないだろう」
「そうなんですけど、何か腑に落ちないんですよね…特に、さんの反応とか」
「の反応…?」
僕は隣に座るの方をみる。それと同時に、父さんや他の捜査員たちの視線も自然とへと向かった。
「今まで月くんの近辺…弥海砂もさんも、調べさせてもらいました。けれど、さんは月くんが"女友達"と親しくしていても、ミサさんに言い寄られていても、少しも動揺してないんですよね。何故ですか?」
「りゅ、竜崎…あまりそういうことは踏み込まない方がいいんじゃ…」
それまで竜崎の推理を黙って聞いていた松田さんが、慌てて間に入って止める。
竜崎は何故松田さんが焦っているのか本気で分かっていないようで、不思議そうにしていた。
「なぜですか」
「その答えによっては、二人の関係に修正不可能なヒビが入る可能性がありますって…」
「例えばどんなものですか」
「……た、例えばですよ?…さんは、いちいち妬くほど月くんのことが好きじゃない、とか…」
「ああ…それは致命的ですね」
淡々と言うセリフだろうか。飄々と致命的だなんて抜かした竜崎が腹立たしく、僕は思わずじろりと竜崎を睨んだ。
そうすると、僕の怒りを感じ取ったのか、がやんわりと笑んで、僕の手の甲に自分の手を重ねた。
そして今まで黙って静聴していたが、初めて自分の意思を言葉で示した。
「…その逆ですよ。私は信頼してるんです」
「月くんが浮気をするような彼氏じゃないって事をですか?」
竜崎が言うと、は何かを言おうとして、言葉を詰まらせた。
何か後ろめたい事があっての事ではないというのは、すぐにわかった。
は視線をそろりとさ迷わせて、恥ずかしそうに口元に手を当てながら、何かを言おうとして…また閉じる、繰り返しをしていた。
…頬を赤く染めながら。
「えと…結論を言えば、そう、なりますね…」
自分の頬が赤くなってるという自覚があったのかもしれない。は僕の肩口に顔を埋めて、隠れるようにしてか細い声でそう告げた。
結論以外の様々な説明をしようと試みたのだろう。ければ説明すれば説明するほど、きっと惚気るような事にしかならないと思って、恥ずかしくなったのだと思う。
「……これは…つけ入る隙ないって感じだなぁ…ミサミサ失恋かぁ…」
松田さんの言う通りだ。僕達の間につけ入る隙などあるはずない。
僕はを愛してるし、も僕に恋してる。
あまりにもいじらしくて、かわいくて。抱きしめるだけじゃ物足りない。
その唇にキスをしたくてたまらない。そんな衝動を押さえつつ、僕はハグだけで堪えようとしていると…ふと、の体が酷く熱を持ってる事に気が付く。
元々車内でも「熱がある」と言われていたし、声はずっと掠れたままだ。
この熱さは、決して羞恥からくるものだけではないだろう。
「…体調は?の部屋も用意されてるだろうから、ベッドに連れていこうか?」
「はい、用意してあります。……コネクティングルームが必要な程の仲には思えなかったので、普通の部屋ですが…」
「行き止まりになってる訳でもないんだから。僕が会いにいけばいい話だろう」
「はい。手錠で繋がれた私も一緒にですが」
ベッドに寝かせた方がいいというのは、最初からわかっていた事。
けれど僕もも、お互いが傍にいたいと願ったのだ。
とは言っても、熱がどんどん上がっている気がする。それでもは首を横に振り、「ここにいてもいいなら、ここにいたい。…月くんと一緒にいたい」と言って、僕を酷く喜ばせた。
体調の悪いを無理させる事に胸を痛める半分、気分がよくてたまらなかった。
とは言っても、いつまでもと睦み合っている訳にもいかない。
僕は真面目な表情を作り、平常心を心掛けながら、竜崎に進言した。
「それより竜崎…何日かおきにホテルを転々とするこの今の体制、なんとか変えられないのか?ひとつの所に腰を据えて捜査すべきだと僕は思うが」
「はい、私もずっとそうしたいと考えてました。ですから…」
「あっ…おい!」
竜崎は話しながら、デスクの上に置いてあるパソコンの方へと移動する。
僕は強制的にソファーから移動させられて、僕に寄り掛かっていたが驚いていた。
「ごめん、っ」
「大丈夫」
手錠の鎖に引きずられながらの方を振り向き謝ると、は穏やかに笑っていた。
竜崎は人の気など知らず、パソコンのキーボードをカタカタと打ち込みながら淡々と説明を続ける。
「夜神さん達と顔を合わせ操作すると決めた時から、すぐに建設に取り掛かっていたんです。あと数日で完成します。これです」
パソコンの画面に映し出されたのは、一枚の画像だった。
真新しい、高層ビルの外観だ。皆がパソコンの傍に集まり、その画面に釘付けになっていた。
「地上23階、地下2階。屋上には外部からは見えない様になっていますが、二台のヘリが格納されています」
「ええっ!?」
「凄いな…!」
「外見はただの高層ビルに見せていますが、入るには何重ものセキュリティを通る必要があります。中の設備、コンピューター等も全て並のものではありません。
5階すから20階まではワンフロア4室ずつプライベートルームになっていますので、皆さんにはできる限りここで生活して頂きます。捜査員を増やす事になっても、60人くらいまでなら大丈夫です。ミサさんにはワンフロア与えれば文句も出ないでしょう。勿論さんも同様です」
「ミサはともかく…はそんな事で文句を言うような性格はしてない」
「言葉の綾です。月くんはさんの事になると神経質すぎます」
確かに僕もに関しては過保護な自覚はある。けれど竜崎に言われると、腹立たしくなるのは何故だろう。
…いや分かり切っている。僕がを"神経質"になるくらい愛しているとわかっているのに、ミサに色仕掛けをしろと言ったり、平気で言う根性が癪に障るのだ。
しかも、の目の前で。
僕はを傷つける人間を許さない。もしもが竜崎の発言で傷ついたのなら…
そう考えて、苛立っているのだ。
しかしここで感情的になり、いがみ合っていても意味がない。ため息ひとつで怒りをわが身から逃して、切り替えるのに務めた。
「…それにしても、凄いな。ここまでしてるなんて」
「と言うか…その資金どこから出てるんですか?竜崎…」
「……つまり私はこの事件、どんな事をしても解決したい。そういう事です…」
「いや…答えになってない…」
竜崎は松田さんの問いに答える気がないのか、それともそれで答えたつもりなのか。
竜崎のこういう所を一々気にしていても生産性がないと割り切り、僕は一度頷いて、こう話した。
「ああ、そうだな…僕も大量殺人は勿論、父や僕やをこんな目に遭わせたキラは絶対に許せない。どんな事をしても解決したい」
「…月くんはさんを信じてるんですね」
僕は竜崎の「信じてる」という言葉に含みがあったのに気が付いた。しかしそれに気が付かないふりをして、僕は平然とこう切り返す。
「ああ。…僕が信じているのとはまた違うだろうが…竜崎だって同じだろう。ミサに対して向ける疑いと、に対して向ける疑いは、別物なはずだ」
「……その話はまた追々しましょう」
僕は竜崎が詳細を語る事を避けた、その事で確信に至った。
僕が言った言葉通り…──竜崎は第二のキラの容疑で弥海砂との二名を確保したものの、疑いの濃度は両者で違っている。
怪しさの度合だけでなく、僕の推理が正しければ、ミサと名前にかけられた容儀の内容は違っている。
は決して、「第二のキラ」の疑いはかけられていない。おそらく──
「しかし「どんな事をしても」と言うなら、ミサさんとより親密になり、探りを…」
「それは出来ない。人道に反する」
「そうですか…残念です」
僕の言葉の揚げ足を取ってきた竜崎にキッパリ断わりを入れると、竜崎は心にもない「残念です」という落胆を口にした。
そんなやり取りをしていると、誰かが「ぷっ…」と笑いをこぼした。
見ると、相沢さんが口元に手をやって、笑いをこらえているのが目に入る。
「いえ…私も益々やる気が出てきました!竜崎、夜神さん、月くん。どんな事をしてもキラを捕まえましょう!」
「うむ」
「あの、僕の名前だけないんですけど…」
名前を呼ばれなかった松田さんが萎れるのとは反対に、相沢さんや父さんはやる気を満ち溢れさせていた。
話がまとまったところで、僕は無言でぐっと手錠を引っ張る。竜崎がちらりとこちらをみた。
移動するという合図をしてから、僕はソファーでぐったりしているの側へ歩み寄り、額に手をあてた。やっぱり、熱が高い。
「…、そろそろ部屋に戻ろう。一人になりたくないのかもしれないけど…顔色が悪い」
「うん、そうだね…」
は素直に僕の提案を飲んで、ゆっくりと地面に片足をつけた。
それを見ていると、両手をソファーについて震えていたの腕の頼りなさを思い出した。
僕はハッとしてに手を伸ばすも、判断を下すのが遅かった。
「きゃっ…!」
の両足には上手く力が入らなかったようで、がくりと膝から崩れ落ちてしまった。
思いっきり地面についた手首が痛むようで、庇うように胸に抱いている。
こうなる事は予想できていたというのに、一歩遅かった。
「…!大丈夫か!?怪我は!?」
「いっ…!」
「あっごめん…!」
蹲るに駆け寄り、いつもの癖で思わずの手を取ってしまった。
するとが痛がり、小さな悲鳴を上げて眉を寄せる。
が手首を痛めていた事はわかっていたのに、僕も動揺しているようだ。
僕はの膝を立たせて、その裏に腕を差し込んだ。
そしてそのまま、抱き上げる。
は恥ずかしいとは思っているのだろうが、この状況ではこうしてもらう他ないと判断したらしい。大人しく僕の首に腕を回して、運ばれる姿勢を取ってくれた。
「竜崎。このままの部屋に運ぶから、案内してくれ。それと、誰か救急セットを持ってきてくれないか」
「あっ僕が持ってくよ!月くん!」
「ありがとうございます、松田さん」
「月くん、部屋はこっちだ」
僕が言うと、松田さんが手伝いを名乗り出てくれた。そして相沢さんが部屋へと誘導してくれる。
「これは、少し厄介なことになるかもしれませんね…」
竜崎はそんな僕たちをみて、ぽつりと呟いた。誰に話しかけるでもない、ただのひとり言のようだった。
僕はそんな竜崎をちらりと一瞥し、視線をそらした。
何を持ってしてそんな事を言っているのか知らないが、また変に絡まれるのは御免だと思ったのだ。
──そして竜崎の言う通り、その後は"厄介な"状況に追い込まれていくのだった。