第108話
6.明日からの話─13個のリンゴ
──自分がいつからここに存在しているのか、わからない。
それは他の"死神"たちも同じだろう。
少なくとも人間という生物が地上に存在すると同時に、死神界というものも存在していた。
おそらく有史以前からそこに在り、紀元前を迎えた頃には、人と同じように発達した考え方で行動するようになる。
とはいえ、死神界はどこまでも不毛の地。生産性はなく、ただ人の寿命を頂き、生き永らえる。この繰り返しを行うのみ。
けれど"あたし"が知る死神界よりは、遥に意欲に満ち溢れていた。
──人間の寿命は定められたものであり、死神が決めるものではない。
しかしそうと切り捨てる事はなく、その頃多くの死神が人間の生と死に関わろうとしていた。
"あたし"の知らない死神界の過去が明るみになり…
──"あたし"はこれがチャンスだと考えるようになった。
未来の21世紀の頃には、まるで不可侵条約でも結んでいるかのように人間界に干渉する事は難しかった…けれど!
今この時代で、あたしが人間と死神界が干渉する事の利点を、上げられたなら!
──使命感。天命。それがこの頃のあたしが感じていた事だ。
あたしの理想を実現させるためには、示さなければならなかった。
数多もいる死神の一匹ではなく、進言を聞くに値する有用な死神だと、死神大王に思わせる必要がある。
幸いあたしの言葉は"人間であった頃から"多弁であり、相手が誰であろうと、信じさせる事ができるその自信があった。
「死神大王、あの生物は今日この日に絶滅します」
「死神大王、明日に、後世に名を残す偉人が誕生します。彼は人類史を揺るがす…」
「死神大王、一年後の今日、あの国で大きな戦争が…」
「彼の才能は今の世には認められません。しかし今日から数えて丁度ぴったり100年後、世界が彼の才能を見つける…」
「今日、大地震が起きます。その被害を被る国はいくつかあり──」
あたしは自分の知る未来を語り続けた。
未来を語る不思議な死神の存在を、大王は最初偶然だろうと切り捨てた。けれど幾度も予言を的中させるうち、彼は次第に黙しあたしの言葉を静聴するようになる。
その間にも数多の死神が人間の生に干渉し、その存在を消滅させていた。
しかし。それでもまだ死神は人間と関わる事をやめない。それを愚かしいだなんて言わせない!
必ず認めさせてみせる。それが"死神"として生まれ直した"あたし"が取るべき道、使命だから!
──そう信じて、疑いもしなかった。
黙ってあたしの言葉を聞く死神大王は、今は解らずとも、いずれあたしを信用し、能力を認め、この知性に平服する──そう思っていた──
「死神大王!今日は──」
──愚かなのは、あたしの方だったなんて、思わなかった。
「──もうよい。十分だ」
「え、」という言葉が、果たしてあたしの口から漏れ出たのかどうか、わからない。
初めてあたしに言葉を返した死神大王の目は窄められ、言葉は思うよりも鋭い。
──これは歓迎ではない。これは認めたのではない。これは無用と切り捨てたのではない。
これはむしろ──
「……人間と関わって、どうしたい?」
あたしはその問いに答える事で、自分に不利な状況に陥る事を既に理解していた。
死神大王と敬われ、頂点に君臨するその理由がわかった。
彼が心でそうと決めただけで変わる空気…冷え込む体…死神には冷気を感じる肉も、体温も、神経もありはしないというのに…
あたしはそれが愚策だとわかっていても、本当の事を話すしかない。
無言で煙に巻くという事を、彼は許さない──視線が、逸らせない。
「……あたしには、遠い未来で…必ず救いたい人間がいるんです」
──きっと彼は救いなど求めていないでしょうけれど。きっと彼は幸福なのでしょうけれど…
彼が敗北し、死した後に残された空虚は、あれから生まれ直し、何千年経っても埋められない。あたしにはどうしても諦められない──
「その足元に転がった屍が、その目に見えぬのか?」
大王はじっとあたしを見つめながら言った。あたしの足元にはただ砂だけが広がっていて、
ここから見渡す限り、全てがそうだった。
大王はこれを屍と言った。…そうだ。人間が死んだ後には骸が残るが、死神が消滅した後には砂とも錆とも分からぬ物しか残らない──
いつ頃からか、この砂は死神界のあちこちに点在するようになり…しかしそれを踏みつける事に何の疑問も抱かなければ、罪悪感もなかった。
他の死神達も、そうだっただろう。
ただ一人、死神大王だけが、その事を憐れんでいたのだった。
「もうよい。十分だと思わないか」
大王は、再び同じ言葉を繰り返した。
死神大王が守るべきは人間ではない。数多も存在する死神達であり、この死神界だけ──
人間の生に干渉し消滅の一途をたどる死神を見て、彼はもうとっくに人間界と交わる事を諦めていたし、あたしの事も「諦めて」いた。
あたしの予言は本物だと認めただろう。その繰り返される熱弁を、人間への愛と正しく捉えただろう。
そんな愚かしい死神を不要と切り捨てる事なく、ただ、彼の慈愛で縛った──
「──今後、その予言を口にする言葉を発する事を許さぬ。そうして人間の生に干渉し、消滅するなど…」
──もう十分だろう。足元には砂の海が広がっているだろう。その一部になどならなくていいだろう。
彼がそう判断したのは、13世紀頃だっただろうか。或いは16世紀か…
もう何もわからない。
あたしの自慢だった言葉を封じられ、自分が何千年にもかけて重ねてきた全てが無駄だったと知った時には、空虚で立ち上がれなくなった。
人間界を覗く事をやめると、ただ時間が流れるだけで、今が"いつ"であるかなんて、わからなくなる。
そもそも西暦なんていう人間界単位で時間を推し量る事は、死神には本来不要な事…。
──あたしは間違えた。当時の死神界が予想外に人間界と盛んに交わっていたからと言って、それを維持しようとする事の不毛さに気付かなかった。
死神として生まれた事には意味があると信じていたし、あの当時の勢いを存続させるためにあたしが居るのだと、馬鹿みたいに信じて──
人間の中に流れる時の速さと、と死神のソレは全く違う。
なまじ人間だった頃があった分、時間感覚がおかしくなっていて、大王に"意見を取り入れてもらう"ために説得を続けていた時間が長すぎた事に気付けなかった。
「……」
あたしの愛した人──それは恋ではなかったけれど──大切な彼も、最期、自分の立てた完璧な計画が瓦解したと知った瞬間感じた失意は、こんなものだったのだろうか。
あれほど熱心に観察していた人間界も覗かなくなった。死神としての存在を存続させるためにノートに人間の名前も書かなくなり、何百年も経っていく。
とっくに消滅していてもおかしくなかったのに、腑抜けたあたしの存在が"続いた"のは、もしかしたら死神大王の慈悲だったのかもしれない。
なんせ、あたしを消滅の道から逃すために言葉を封印させたのは、彼なのだから。
彼は慈悲に満ちている──死神への。
けれどあたしの慈悲は、人間である彼にしか向かないのに──
「……、」
ただ虚ろな目で足元の砂を見つめながら、ただ時間を過ごす日々。
死神達は瞳を輝かせ、革命の意欲に満ち溢れていた頃のあたしを忘れ、「死神大王に言葉を封じられた特異な死神」と、畏怖で遠ざけるようになっていた。
寿命を人間から頂かなければ自然と消滅する死神。人間的に言えば、自殺。
大王の慈悲により、それすら叶わなくなったあたし。
あれからどれだけの時間が経っただろう。
ある日、ふと思い立って、何百年ぶりに人間界を覗いた。
1986年、2月28日…
──彼が誕生する日だった。
「……!!」
これに運命を感じずにいられるだろうか。これが特別だと確信せずにいられるだろうか──
ただ何百年も蹲り無為に時間を過ごしていたあたしが、ふと目にしたのが、彼の生誕の瞬間だったなんて──
──あたしは、まだ諦めなくていいの?
死神リュークがそうしたように。今からでも、人間界へ干渉する事はできる──
死神大王があたしに禁じたのは、予言を口にすること──というより。それを利用し、この身を消滅させる事だ。
あたしは死神大王の慈悲の通り、この死神の体を可愛がってやればいい。
彼があたしに禁じたのは"自死"。ただそれだけだ──
それから、死神界で暇つぶしのギャンブルをする事もなく、群れからはぐれて過ごす、変わり者の死神一匹を捕まえた。そして人間界を覗く事の出来る穴を、無言で指さす。
「…ん?なんだよ。………人間界をみればいいってのか?」
最初、彼はあたしの存在を薄気味悪がった。しかし、退屈していたのは他の死神だけではなく、彼も同じだったのだろう。
気味が悪いと遠ざけるより、不意に訪れたイレギュラーを歓迎した。
あたしが見ろと指示したのは、ヨーロッパのとある国。そこで華やかに生きる少女の姿──
美しい少女の外見は全ての人間の目を引き、透き通った声を発する度、誰もを振り返らせた。
まるで物語の中に出て来る能力、"魅了"に近い…そんな不思議な能力を持っているのではないかと疑うほどの、カリスマ性があった。
──それに惹かれるのは、人間だけではない。
今この瞬間、それは証明された。
一匹狼の死神は、少女に恋をした──
彼女は後に女優となり、一世を風靡するが、早くに亡くなる。その死は謎めいていて、不審死と呼べるものだったらしい。
他殺であった事は確からしい…が、しかし犯人が誰のかわからぬまま、いずれ時効を迎える。
あたしは彼女の死の真実などには興味はなかった。
ただ彼が彼女に惹かれて、恋をし、彼女の死を回避しようと、寿命を延ばす瞬間を見届けるだけ──
「駄目だだめだだめだそんなの駄目だーッ!!!」
彼は予想通り、彼女の死を回避するために、"犯人"の名前をノートに書き、殺した。
その瞬間、彼の体はさらさらと崩れていき、砂とも錆とも分からぬ物になる。
そして彼の命が彼女に見合った寿命として与えられた──
彼女は"なにか"の犠牲の上で救われた事など知りもしないまま、誰からも愛される、華やかな暮らしを続ける事となる。
「…ァ」
──はは。なんて…なんて簡単なの?馬鹿みたい!なんて愚かしい!
恋なんて、そんなにすばらしいもの?そんなに気持ちよかった?こんなに呆気なく砂になるなんて、死神大王もさぞかし悲しんだでしょうね。
どうもご愁傷様。あなたの犠牲のおかげで、今あたしはぞくぞくするくらい、幸せよ。
「ふ、」
笑いがこみあげてきて止まらない。彼が消えた後の砂に埋もれた一冊のノートを拾い上げ、
あたしはそれを自分の物にする。彼が亡き今、このノートの所有権はあたしが手にした。
元は"彼だった"砂を踏みつける事に罪悪感は抱かない。
砂は、ただの砂である。人間だって、何億何千年分の時間と骸で踏み固められた地表を、平気な顔で踏みつけて歩いているじゃないの。
それなのになぜ、死神一匹の犠牲を今さら悲しむのかしら?彼のありがたい慈悲深さのおかげで、あたしは散々。
この世は誰かをコントロールし、利を得、そして最後まで立ち続けた者だけが勝利し、繁栄を手にするもの。
この世はずっとそういう理で動いてきたじゃないの。
──だからあたしは必ず、これからもこうやって、勝ち残ってみせる。
そうして一人で馬鹿みたいに笑っているうち、途切れ途切れであれば声を発する事が出来る事に初めて気が付いた。
声を完全に奪われたのではないようだ。これも死神大王の慈悲とでもいうべきか。
ともかく、彼はあたしが消滅さえしなければよったのだ。
彼にとっては希少な予言など価値もなく、ただ自分の支配下にある一匹の死神の存在の方が大事だった。
或いは、彼は案外あたしの事を気に入っていたのかもしれない。
あの頃の死神界は今と違い、大きく人間界に干渉していた分、数多の死神が砂となり、それに心を痛めていたのも重なって…あたしを酷く憐れんだ。
そしてあたしの中にあった熱意を認めて、今まで寿命を頂こうとしなかったあたしを、今日まで彼の采配で生かし続けたのだから。
「は、」
あは。見当違いも甚だしい。別にあたし、死にたい訳じゃあなかったのよ?
自分の命と引き換えに、人間を救おうとしたとでも思ったの?
くだらない。あたしなら両方手に入れるわ。自分の存在も、彼の存在も、諦めない。
彼の敗北の末の空虚をあたしは忘れていない。
あたし自身もあんな道は辿らないし、あたしは彼にあんな道を辿らせない──
彼の後を追うようにして薬物を飲んだ…哀れな女には、もう成り下がらない。
「…?」
そうして計画を立て、彼を死神界から見守っているうち。
イレギュラーな存在に気が付いた。
『おはよう…ええと…らいとくん』
『おはよう、ちゃん』
今日はあたしの大事な彼──夜神月が初めて幼稚園に登園する日。
そこに、見知らぬ少女の存在を見つけたのだ。
『どうしたの?ちゃん』
『…えと…緊張しちゃったの。幼稚園って、どんなところかなって』
『大丈夫。僕も一緒にいくからね』
『…ありがとう』
幼馴染の存在など、原作のどこも描写されていなかった。
お向かいに住む少女がいれば、彼の魅力に惹かれたモブAとして都合よく描写されてもよかったはずなのに。
これは原作軸の前だからこその産物なのかしら。
これは物語では描ききれなかったものか、或いは──
『ちゃんは、どこの席がいい?』
『……月くんの隣がいい』
──彼女もあたしと同じ予言を知るもの。生まれ変わりの存在か。
あたしはそれから、"彼と彼女"を見守り続けた。
彼を救うために、彼女をどう利用するか。ただそれだけを考えて──
彼女はあたしの敵か、彼の敵か、人畜無害な存在であるか見極めて──
そしてまだ幼い彼が、彼女を「無垢なものである」と心から認めたその瞬間、あたしは決めた。
──を、彼を救うための捧げものにしよう──…と。
あたしは生前彼と同じように賢く、美しく、華やかな世界に生きていた。
できる事なら死神でなく、彼を救う天使になりたかった。
けれど今、醜い死神である現実を許容できたのは、彼を異性として愛しているからではないのだろう。
彼を救うためには、美しくなくてもいい。
きっと彼に生前の自分を重ねてるのだろう…その事を、十分に理解していた。
何千年も祈り続けてきた彼の救済への執念は、結局の所、自分自身のため。
彼を…私を救うには、そんな執念では足りない──
──無垢な愛こそが、世界を救うのだ。
それに気が付いた時には、死神が人間に恋をし死なねばならぬ、その代償の意義がわかった。
足元に積み上げられた砂は、ただの砂でないのだと、漸く気が付いたのだった。
──あたしの腕の中には、数えきれないほどの…鮮やかな紅色の林檎がある。
きっと13個には届くだろう。
死神界で暇をしている死神達がこちらを見て、あれは何かと指を指し囁き合っていた。
……これでやっと、あたしも救われる。
踏み出した足は軽い。あたしの心はとても晴れやかで、未来への希望に満ち溢れている。
──どうか無垢なあの子たちの未来に、幸あらんことを。
永い永い生だった。その終わりは呆気なく、しかし輝かしい。
その殆どを自分のためだけに費やし生きてきたあたしが、心から誰かの幸福を願った日…
それはとてもとても、穏やかな最期だった。
6.明日からの話─13個のリンゴ
──自分がいつからここに存在しているのか、わからない。
それは他の"死神"たちも同じだろう。
少なくとも人間という生物が地上に存在すると同時に、死神界というものも存在していた。
おそらく有史以前からそこに在り、紀元前を迎えた頃には、人と同じように発達した考え方で行動するようになる。
とはいえ、死神界はどこまでも不毛の地。生産性はなく、ただ人の寿命を頂き、生き永らえる。この繰り返しを行うのみ。
けれど"あたし"が知る死神界よりは、遥に意欲に満ち溢れていた。
──人間の寿命は定められたものであり、死神が決めるものではない。
しかしそうと切り捨てる事はなく、その頃多くの死神が人間の生と死に関わろうとしていた。
"あたし"の知らない死神界の過去が明るみになり…
──"あたし"はこれがチャンスだと考えるようになった。
未来の21世紀の頃には、まるで不可侵条約でも結んでいるかのように人間界に干渉する事は難しかった…けれど!
今この時代で、あたしが人間と死神界が干渉する事の利点を、上げられたなら!
──使命感。天命。それがこの頃のあたしが感じていた事だ。
あたしの理想を実現させるためには、示さなければならなかった。
数多もいる死神の一匹ではなく、進言を聞くに値する有用な死神だと、死神大王に思わせる必要がある。
幸いあたしの言葉は"人間であった頃から"多弁であり、相手が誰であろうと、信じさせる事ができるその自信があった。
「死神大王、あの生物は今日この日に絶滅します」
「死神大王、明日に、後世に名を残す偉人が誕生します。彼は人類史を揺るがす…」
「死神大王、一年後の今日、あの国で大きな戦争が…」
「彼の才能は今の世には認められません。しかし今日から数えて丁度ぴったり100年後、世界が彼の才能を見つける…」
「今日、大地震が起きます。その被害を被る国はいくつかあり──」
あたしは自分の知る未来を語り続けた。
未来を語る不思議な死神の存在を、大王は最初偶然だろうと切り捨てた。けれど幾度も予言を的中させるうち、彼は次第に黙しあたしの言葉を静聴するようになる。
その間にも数多の死神が人間の生に干渉し、その存在を消滅させていた。
しかし。それでもまだ死神は人間と関わる事をやめない。それを愚かしいだなんて言わせない!
必ず認めさせてみせる。それが"死神"として生まれ直した"あたし"が取るべき道、使命だから!
──そう信じて、疑いもしなかった。
黙ってあたしの言葉を聞く死神大王は、今は解らずとも、いずれあたしを信用し、能力を認め、この知性に平服する──そう思っていた──
「死神大王!今日は──」
──愚かなのは、あたしの方だったなんて、思わなかった。
「──もうよい。十分だ」
「え、」という言葉が、果たしてあたしの口から漏れ出たのかどうか、わからない。
初めてあたしに言葉を返した死神大王の目は窄められ、言葉は思うよりも鋭い。
──これは歓迎ではない。これは認めたのではない。これは無用と切り捨てたのではない。
これはむしろ──
「……人間と関わって、どうしたい?」
あたしはその問いに答える事で、自分に不利な状況に陥る事を既に理解していた。
死神大王と敬われ、頂点に君臨するその理由がわかった。
彼が心でそうと決めただけで変わる空気…冷え込む体…死神には冷気を感じる肉も、体温も、神経もありはしないというのに…
あたしはそれが愚策だとわかっていても、本当の事を話すしかない。
無言で煙に巻くという事を、彼は許さない──視線が、逸らせない。
「……あたしには、遠い未来で…必ず救いたい人間がいるんです」
──きっと彼は救いなど求めていないでしょうけれど。きっと彼は幸福なのでしょうけれど…
彼が敗北し、死した後に残された空虚は、あれから生まれ直し、何千年経っても埋められない。あたしにはどうしても諦められない──
「その足元に転がった屍が、その目に見えぬのか?」
大王はじっとあたしを見つめながら言った。あたしの足元にはただ砂だけが広がっていて、
ここから見渡す限り、全てがそうだった。
大王はこれを屍と言った。…そうだ。人間が死んだ後には骸が残るが、死神が消滅した後には砂とも錆とも分からぬ物しか残らない──
いつ頃からか、この砂は死神界のあちこちに点在するようになり…しかしそれを踏みつける事に何の疑問も抱かなければ、罪悪感もなかった。
他の死神達も、そうだっただろう。
ただ一人、死神大王だけが、その事を憐れんでいたのだった。
「もうよい。十分だと思わないか」
大王は、再び同じ言葉を繰り返した。
死神大王が守るべきは人間ではない。数多も存在する死神達であり、この死神界だけ──
人間の生に干渉し消滅の一途をたどる死神を見て、彼はもうとっくに人間界と交わる事を諦めていたし、あたしの事も「諦めて」いた。
あたしの予言は本物だと認めただろう。その繰り返される熱弁を、人間への愛と正しく捉えただろう。
そんな愚かしい死神を不要と切り捨てる事なく、ただ、彼の慈愛で縛った──
「──今後、その予言を口にする言葉を発する事を許さぬ。そうして人間の生に干渉し、消滅するなど…」
──もう十分だろう。足元には砂の海が広がっているだろう。その一部になどならなくていいだろう。
彼がそう判断したのは、13世紀頃だっただろうか。或いは16世紀か…
もう何もわからない。
あたしの自慢だった言葉を封じられ、自分が何千年にもかけて重ねてきた全てが無駄だったと知った時には、空虚で立ち上がれなくなった。
人間界を覗く事をやめると、ただ時間が流れるだけで、今が"いつ"であるかなんて、わからなくなる。
そもそも西暦なんていう人間界単位で時間を推し量る事は、死神には本来不要な事…。
──あたしは間違えた。当時の死神界が予想外に人間界と盛んに交わっていたからと言って、それを維持しようとする事の不毛さに気付かなかった。
死神として生まれた事には意味があると信じていたし、あの当時の勢いを存続させるためにあたしが居るのだと、馬鹿みたいに信じて──
人間の中に流れる時の速さと、と死神のソレは全く違う。
なまじ人間だった頃があった分、時間感覚がおかしくなっていて、大王に"意見を取り入れてもらう"ために説得を続けていた時間が長すぎた事に気付けなかった。
「……」
あたしの愛した人──それは恋ではなかったけれど──大切な彼も、最期、自分の立てた完璧な計画が瓦解したと知った瞬間感じた失意は、こんなものだったのだろうか。
あれほど熱心に観察していた人間界も覗かなくなった。死神としての存在を存続させるためにノートに人間の名前も書かなくなり、何百年も経っていく。
とっくに消滅していてもおかしくなかったのに、腑抜けたあたしの存在が"続いた"のは、もしかしたら死神大王の慈悲だったのかもしれない。
なんせ、あたしを消滅の道から逃すために言葉を封印させたのは、彼なのだから。
彼は慈悲に満ちている──死神への。
けれどあたしの慈悲は、人間である彼にしか向かないのに──
「……、」
ただ虚ろな目で足元の砂を見つめながら、ただ時間を過ごす日々。
死神達は瞳を輝かせ、革命の意欲に満ち溢れていた頃のあたしを忘れ、「死神大王に言葉を封じられた特異な死神」と、畏怖で遠ざけるようになっていた。
寿命を人間から頂かなければ自然と消滅する死神。人間的に言えば、自殺。
大王の慈悲により、それすら叶わなくなったあたし。
あれからどれだけの時間が経っただろう。
ある日、ふと思い立って、何百年ぶりに人間界を覗いた。
1986年、2月28日…
──彼が誕生する日だった。
「……!!」
これに運命を感じずにいられるだろうか。これが特別だと確信せずにいられるだろうか──
ただ何百年も蹲り無為に時間を過ごしていたあたしが、ふと目にしたのが、彼の生誕の瞬間だったなんて──
──あたしは、まだ諦めなくていいの?
死神リュークがそうしたように。今からでも、人間界へ干渉する事はできる──
死神大王があたしに禁じたのは、予言を口にすること──というより。それを利用し、この身を消滅させる事だ。
あたしは死神大王の慈悲の通り、この死神の体を可愛がってやればいい。
彼があたしに禁じたのは"自死"。ただそれだけだ──
それから、死神界で暇つぶしのギャンブルをする事もなく、群れからはぐれて過ごす、変わり者の死神一匹を捕まえた。そして人間界を覗く事の出来る穴を、無言で指さす。
「…ん?なんだよ。………人間界をみればいいってのか?」
最初、彼はあたしの存在を薄気味悪がった。しかし、退屈していたのは他の死神だけではなく、彼も同じだったのだろう。
気味が悪いと遠ざけるより、不意に訪れたイレギュラーを歓迎した。
あたしが見ろと指示したのは、ヨーロッパのとある国。そこで華やかに生きる少女の姿──
美しい少女の外見は全ての人間の目を引き、透き通った声を発する度、誰もを振り返らせた。
まるで物語の中に出て来る能力、"魅了"に近い…そんな不思議な能力を持っているのではないかと疑うほどの、カリスマ性があった。
──それに惹かれるのは、人間だけではない。
今この瞬間、それは証明された。
一匹狼の死神は、少女に恋をした──
彼女は後に女優となり、一世を風靡するが、早くに亡くなる。その死は謎めいていて、不審死と呼べるものだったらしい。
他殺であった事は確からしい…が、しかし犯人が誰のかわからぬまま、いずれ時効を迎える。
あたしは彼女の死の真実などには興味はなかった。
ただ彼が彼女に惹かれて、恋をし、彼女の死を回避しようと、寿命を延ばす瞬間を見届けるだけ──
「駄目だだめだだめだそんなの駄目だーッ!!!」
彼は予想通り、彼女の死を回避するために、"犯人"の名前をノートに書き、殺した。
その瞬間、彼の体はさらさらと崩れていき、砂とも錆とも分からぬ物になる。
そして彼の命が彼女に見合った寿命として与えられた──
彼女は"なにか"の犠牲の上で救われた事など知りもしないまま、誰からも愛される、華やかな暮らしを続ける事となる。
「…ァ」
──はは。なんて…なんて簡単なの?馬鹿みたい!なんて愚かしい!
恋なんて、そんなにすばらしいもの?そんなに気持ちよかった?こんなに呆気なく砂になるなんて、死神大王もさぞかし悲しんだでしょうね。
どうもご愁傷様。あなたの犠牲のおかげで、今あたしはぞくぞくするくらい、幸せよ。
「ふ、」
笑いがこみあげてきて止まらない。彼が消えた後の砂に埋もれた一冊のノートを拾い上げ、
あたしはそれを自分の物にする。彼が亡き今、このノートの所有権はあたしが手にした。
元は"彼だった"砂を踏みつける事に罪悪感は抱かない。
砂は、ただの砂である。人間だって、何億何千年分の時間と骸で踏み固められた地表を、平気な顔で踏みつけて歩いているじゃないの。
それなのになぜ、死神一匹の犠牲を今さら悲しむのかしら?彼のありがたい慈悲深さのおかげで、あたしは散々。
この世は誰かをコントロールし、利を得、そして最後まで立ち続けた者だけが勝利し、繁栄を手にするもの。
この世はずっとそういう理で動いてきたじゃないの。
──だからあたしは必ず、これからもこうやって、勝ち残ってみせる。
そうして一人で馬鹿みたいに笑っているうち、途切れ途切れであれば声を発する事が出来る事に初めて気が付いた。
声を完全に奪われたのではないようだ。これも死神大王の慈悲とでもいうべきか。
ともかく、彼はあたしが消滅さえしなければよったのだ。
彼にとっては希少な予言など価値もなく、ただ自分の支配下にある一匹の死神の存在の方が大事だった。
或いは、彼は案外あたしの事を気に入っていたのかもしれない。
あの頃の死神界は今と違い、大きく人間界に干渉していた分、数多の死神が砂となり、それに心を痛めていたのも重なって…あたしを酷く憐れんだ。
そしてあたしの中にあった熱意を認めて、今まで寿命を頂こうとしなかったあたしを、今日まで彼の采配で生かし続けたのだから。
「は、」
あは。見当違いも甚だしい。別にあたし、死にたい訳じゃあなかったのよ?
自分の命と引き換えに、人間を救おうとしたとでも思ったの?
くだらない。あたしなら両方手に入れるわ。自分の存在も、彼の存在も、諦めない。
彼の敗北の末の空虚をあたしは忘れていない。
あたし自身もあんな道は辿らないし、あたしは彼にあんな道を辿らせない──
彼の後を追うようにして薬物を飲んだ…哀れな女には、もう成り下がらない。
「…?」
そうして計画を立て、彼を死神界から見守っているうち。
イレギュラーな存在に気が付いた。
『おはよう…ええと…らいとくん』
『おはよう、ちゃん』
今日はあたしの大事な彼──夜神月が初めて幼稚園に登園する日。
そこに、見知らぬ少女の存在を見つけたのだ。
『どうしたの?ちゃん』
『…えと…緊張しちゃったの。幼稚園って、どんなところかなって』
『大丈夫。僕も一緒にいくからね』
『…ありがとう』
幼馴染の存在など、原作のどこも描写されていなかった。
お向かいに住む少女がいれば、彼の魅力に惹かれたモブAとして都合よく描写されてもよかったはずなのに。
これは原作軸の前だからこその産物なのかしら。
これは物語では描ききれなかったものか、或いは──
『ちゃんは、どこの席がいい?』
『……月くんの隣がいい』
──彼女もあたしと同じ予言を知るもの。生まれ変わりの存在か。
あたしはそれから、"彼と彼女"を見守り続けた。
彼を救うために、彼女をどう利用するか。ただそれだけを考えて──
彼女はあたしの敵か、彼の敵か、人畜無害な存在であるか見極めて──
そしてまだ幼い彼が、彼女を「無垢なものである」と心から認めたその瞬間、あたしは決めた。
──を、彼を救うための捧げものにしよう──…と。
あたしは生前彼と同じように賢く、美しく、華やかな世界に生きていた。
できる事なら死神でなく、彼を救う天使になりたかった。
けれど今、醜い死神である現実を許容できたのは、彼を異性として愛しているからではないのだろう。
彼を救うためには、美しくなくてもいい。
きっと彼に生前の自分を重ねてるのだろう…その事を、十分に理解していた。
何千年も祈り続けてきた彼の救済への執念は、結局の所、自分自身のため。
彼を…私を救うには、そんな執念では足りない──
──無垢な愛こそが、世界を救うのだ。
それに気が付いた時には、死神が人間に恋をし死なねばならぬ、その代償の意義がわかった。
足元に積み上げられた砂は、ただの砂でないのだと、漸く気が付いたのだった。
──あたしの腕の中には、数えきれないほどの…鮮やかな紅色の林檎がある。
きっと13個には届くだろう。
死神界で暇をしている死神達がこちらを見て、あれは何かと指を指し囁き合っていた。
……これでやっと、あたしも救われる。
踏み出した足は軽い。あたしの心はとても晴れやかで、未来への希望に満ち溢れている。
──どうか無垢なあの子たちの未来に、幸あらんことを。
永い永い生だった。その終わりは呆気なく、しかし輝かしい。
その殆どを自分のためだけに費やし生きてきたあたしが、心から誰かの幸福を願った日…
それはとてもとても、穏やかな最期だった。