第107話
6.明日からの話─最期まで。
──名前も知らない死神が、ある日消えた。
けれど、確かにそうなる予兆はあった。それがなければ、あの自称"天使様"の裏切りかと、疑ってかかっていただろう。
平穏な生活は崩れ去り、またキラだった時と同じように躍起になって探ったはず。
でも、そうじゃない。これは裏切りなんかじゃない。
そう思えるのは、一重に僕が…退屈で輝かしい人生を謳歌していたからだった。
***
と共に、買い出しに出かけた休日。
スーパーからの帰り道、道すがら、ふと視界にコンビニを入れたが、僕に尋ねてきた。
「月くん、コンビニ寄ってもいい?」
「ん、いいよ。何がほしいの?」
「デザート。秋の新作スイーツがね、凄く美味しいってテレビで特集されてたの」
は子どものように、繋いでいた手を揺らしながら、ご機嫌な様子をみせていた。
それが可愛くて、くすくすと笑ってしまう。
なんてことのない日常の一部。すぎて行く平穏…その均衡が崩れるのは、一瞬のことだった。
「は、本当に好きだね。甘いもの」
「ふふ、そうかも…。…あ、そういえば…あれ、高校生のときだったかな」
「うん」
の話を微笑ましく聞いていると、突然が言葉を詰まらせた。
「家に帰ろうとして…もう玄関の前までたどり着いて…それなのに、突然コンビニスイーツ買いにいかなきゃって思っ……」
そして、突然言葉を止めてしまった自分自身を疑うようにして、呆然とする。
…こんな様子を見るのは、初めての事ではない。
の顔を覗き込むようにして気遣いながらも、僕にはそうなる理由がわかっていた。
「……?どうしたの?」
「……ごめんね、なんでも…。…ただ…なんで私、あの時玄関先で、突然携帯を出したのか…調べなききゃって思ったのか…なんだか、不思議になって…調べなくても、お店でみればよかったのに…」
「………そう」
自身も、たった一度の事ならここまで不思議がったりしなかっただろう。
けれど、あまりに頻繁に記憶の混乱を起こすものだから、不安になってる。
ただの笑い話。コンビニにスイーツを買いに行こうとしただけの話。
それを上手く思い出せなくなったという事は、"天使様"が指示してそういう行動を取ったからなのだろう。
コンビニに行こうとした事実は覚えているけど、どうして思い至ったのか思い出せない。
は、デスノートの詳細を知っていた訳でもないし、使ってもいない。
ただのメモ帳代わりにしただけ。けれど、確かに大事なものを喪失したのだろう。
思い出そうとして必死になる、そんなが可哀そうで…僕はその度、柔らかく慰める。
「それって、あれじゃないかな…デジャヴ。夢か本当かわからなくなる、不思議な感覚」
「…そう、なのかも」
「。それは…何もおかしなことじゃないよ」
「…そうだね」
慰める度、は頷いてくれる。けれどまじまじと、僕の瞳を探るように見るのだ。
多分、何かに勘付いている。その何かというのが具体的なものであるのかは分からないけど。
僕が話そうとしない事を、は無理に聞きそうとしない。そんなの優しさに甘えて、僕はじっと見てくるの視線に気づかないふりを続けてた。
***
「月くん、たまに遠くを見て、ぼうっとした表情してるから…。それがね、凄く退屈そうに見えるの」
それはある日、リビングのソファーで2人、くつろいでいる時に言われた言葉だった。
僕は半分肯定し、半分否定した。
確かにこの人生は酷く退屈で、それでもの側にいる時だけは心地よく、輝かしいものに思える。
ありのままを伝えと、は何かを決意したようにぐっと唇を結んでから…こう言った。
「…月くん」
「ん?」
「私、仕事辞めたいと思うの。…ダメかな?」
「……それは…構わないけど…」
は仕事のために生きるような性格はしていないけど、決して不真面目なわけでもない。
何の理由もなくこんな事を言うとは思わなくて、心配になって訳を訪ねた。
「…嫌なことでもあったの?…辞めるなんて言う前に、…もっと早くから相談してくれてたら…なにか酷い事でもされた…?」
「…違うの、わたし…わたしはね…」
深呼吸を1つしてから、は僕の目を真っすぐに見ながらこう言った。
「──月くんのためだけに生きていたいの」
そんな事を、が言ってくれる日が来るとは思わなかった。
僕の恋は一方通行ではない。最初はそうだったかもしれない。でも、も次第に恋心を抱いて、僕に情をもってくれるようになった。
でも、その想いは僕の愛に勝るものではない。僕たちには大きな温度差がある。
僕はそれを必死に隠して、お互い平等に愛し合っているふりをしていた。
──は、きっとこんな事は言ってくれないだろう、そうと解りつつも願っていた。強く強く、僕だけを求めてもらえたら、と…
が今口にしたのは、そんな夢想をした事もある、叶うはずのない夢のような言葉だった。
でも、そんなに都合がいい話がある訳がない。がそんな事を口走った理由はわかっていて、少し乾いた笑いを漏らしてしまった。
の前では、いつだって優しく笑っていたかったのに。
「…僕の、ため…?僕が退屈で不幸なのが可哀そうだから?…そんな義務感で尽くさなくていい…」
「違うよ。月くん言ったよね。私がいるだけで幸せだって。…それは、私もおんなじだよ」
必死になっては僕の手を握って、僕との間にある気持ちはおんなじなのだと言う。
の想いを疑っている訳じゃないし、こんな風に言われて嬉しいと…当然そう感じる。
の瞳は、僕だけを映している…今は。
「──月くんのためだけに生きていけたら…もうこれ以上ないってくらい、私は幸せになれるの」
僕だってそう思ってる。実際、僕の人生の殆どは、のために生きてきたようなものなのだから。でもはそうじゃない。
人生を歩む過程で僕を好きになり、──物凄く語弊がある言い方をするなら──…片手間に恋をしているだけ。
「……月くんがただいまって言ったら、必ずおかえりって言えるようにしたいの。…それじゃ、だめかな?」
だけど…それでも。どれだけ想いの重さに違いがあったとしても。
が僕のためだけに、人生の全てを捧げようとしているのは事実で…。
僕はいつか、レムに「キラとして犯罪者を裁いた全ては、結局無駄だったのか?」と問われた事がある。それに対して、無駄なんかじゃなかったと返した。
あの日々があったからこそ、今の僕があるのだと強く思ってた。今もそうだ。
キラである事を辞めたのは、確かに自分の意思だったし、そうするべき確固たる理由もあった。けれど…
──うつくしいだけの世界をのために…そして心優しく真面目な人たちのために作る。
その夢は、志半ばで潰えたのも確かだった。
それがどこかでずっと胸に突っかかっていて、鉛のように重たく中々消えてくれない。
僕は理想を叶えるための野望を捨てたけど。と生きる事を選んだけど…。
でも、物足りない。
刑事なんて仕事をしていると、特に痛感する。この世の中は残忍なものが力で支配して、弱いものが虐げられる。心優しい人は、反撃する術を持たない。
不平等な世界だと毎日思う。
それでも、僕は弱くなく、器量よく毎日を過ごしていて…それが酷く退屈だ。
ずっと、僕の心の欠けた部分が、満たされる事はないのだと思っていた。
「…え」
でも、の真っすぐな瞳をみていたら…
何故だか、欠けていたものが埋まったような気がした。淡々とレムに返したあの日の言葉。
今なら笑顔で言えると思えた。──無駄なんかじゃ、なかったんだと。
僕らは、ちゃんと愛し合えてる。
天秤が片側に傾いていると感じていたのは、僕の思い込みだった。
足りないと思っていたのは、僕の偏見だった。
…僕らには未来がある。これから共に人生を歩んでいって…それは遠い未来の事かもしれないけれど…きっと最後には同じになれる──…。
不思議と、その事を強く確信できた瞬間だった。
ぼろりと、涙を零した僕をみて、が唖然としていた。
「ら、月くん…どうして泣いてるの…?」
僕の肩に手をそえて慰め、それでも足りないと思ったのか、壊れ物を扱うように、僕の頬にそっと手を触れさせてきた。
「どうして?私、月くんのこと困らせた…?」
「っちがう…逆だ…逆なんだよ…が…僕のことを喜ばすから…。…幸せで」
僕は涙を手でぐっと拭って、に笑いかけた。
「──ありがとう…」
僕がキラだった事を知れば、きっとは軽蔑する。そして最後には許して、幸せになる権利はあると言う。
そんな僕と人生を歩んでいくと、決意してくれる──。
…もう二度とがあのノートに触れる事はなく、真相を知る日は来ないだろう。
これは僕だけが抱えていく、それこそ墓場まで持っていく秘密だ。
キラだった事を教えて、に全てを解ってもらいたい訳じゃない。大事な人に隠し事をすることが悪だとも思わない。
にだって、僕に伝えたくはない秘密は大なり小なりあるはず。人間、そんなものだ。
だというのに、それがなんだか寂しく感じて。
けれど、その日を境に胸にあった重たい鉛はどんどん軽くなり、一時たりとも忘れずに抱えていくべき過去は、ただの感傷になった。
──そんな頃の話だ。
『ラ、…ィ……と』
聞きなれない声が、どこかから聞えてきた。今、は一人で出かけていて、僕は一人家で留守番をしていた。
僕も一緒に行くと言ったけれど、大した用事じゃないしすぐ帰るからと、やんわり止められてしまったのだ。
日々、に引っ付きすぎていたかもしれないと反省した。飲み物を入れようとソファーから立ち上がりつつ、ため息をついていた時…聞こえたのだ。
振り返ると、そこには当然、僕についている死神二匹が佇んでいた。
「……おまえか…?」
レムの声ではなかった。聞き間違いでもなかったとすれば…消去法で、僕を呼んだのは、あの白い死神という事になるだろう。
レムはこくりと無言で頷いていて、僕の疑問を肯定していた。
名前が所有権を失い、僕につくようになってから、もう数年が経つ。その間一切声を発さず、ジェスチャー一つしないでいた死神が…僕の名前を呼んだのだ。
「……声、出たのか」
言葉を封じられていたというその死神は、自分の喉を両手で抑えて、もどかしそうにしていた。
そうして、パッと手をサイドテーブルの上に伸ばした。そこには筆記用具とメモ帳がある。
死神はペンを手に取ると、さらさらと何かを書き出した。そして、それを僕に掲げて見せた。
『今、幸せ?』
たった四文字。初めて筆談をして聞いてきた事が、これだ。
…随分と綺麗な字だ。死神がここまで人間の言語を上手く綴れるとは思わなかった。
この死神が僕に恋をしているかもしれないとか、守ろうとしているとか。
もうそんな風には思えなくなって、半信半疑でいたけれど。
これを聞かれた瞬間、やはり死神は僕に肩入れしているのだと改めて理解した。
「……幸せだよ」
『後悔はない?』
「ない。僕の人生、全て自分で決断してきた」
この死神の予言をきっかけにして、キラを辞めた。その事実があるからこそ、こう問いかけられたと理解した。だから、キッパリと言い切った。
言葉通り、予言はきっかけで、全ては僕の決断だ。僕はキラである事より、と共に生きる人生を選んだ。ただそれだけの事。
『あの子のためなら死ねるって思うくらい、愛してる?』
「……のために、死にたいと思うよ」
いつの日か問答したように、命の危険に晒された極限状態で、果たして人間が自分の命を捨てられるかどうかの問題。僕はここで「捨てられる」と答えるほど愚かではない。
それは数年経っても変わらなかったから、やはりあの時と同じように理想だけを語った。
『もう満たされたの』
「……これ以上ないほどに」
筆談でやり取りする僕たちを、レムがじっと見守っている。
死神大王が特別視している死神は、なんてことのない、ただの人間の幸せだけを気にかけていた。
人間贔屓、と呼ばれたという話にも納得がいく。
『わかったわ』
何が"わかった"のだろう。問いかけたけど、それ以上は応えてくれなかった。
また沈黙を貫くだけ。言葉遣いからして、メスの死神である事はなんとなく察した。
レムもこの死神も、リュークと比べれば人間の目から見ても女性的な見た目をしていると思える。
──それから数日が立った頃。死神が突然、不意に姿を消すようになった。
大抵は短い時間背後から消えていなくなるだけだ。それでも、人間についていなければならない掟のあるはずの死神が、視界から消えていなくなるのは問題だろう。
「…死神は長距離、ついた人間から離れられないはずだよな?レム」
「そのはずだが…あいつの事だから、わからないな。なんせ特例の死神だ」
仕事から帰る道すがら、街内の雑踏に紛れるようにこっそりとレムに問いかけた。
すると、安心材料にはならない答えが返ってきて、顔を顰める。
これから帰ってくるのか、何故突然姿を消すようになったのか…不安や懸念が浮かぶ。
けれど。
帰宅すると、「おかえり、月くん」と笑ったの背後に、何食わぬ顔をしたそいつがいた。
「…?どうしたの」
「いや、なんでもないよ」
「そう…?」
僕が思わずの背後…にとっては何もないはずの宙を凝視してしまったせいで、
困惑させてしまった。
僕が風呂に入っている間に、食卓にはの作った手料理が並んでいた。
"特別なノート"にレシピを沢山書き留めていただけあって、はレパートリーが多く、アレンジもきかせることが出来る。
毎日の食事に飽きた事はなかった。僕のためを思って練習した結果なのだと思うと、幸せで、より美味しく感じられる。
は自分がそんな事をしていたなんて事実も、全て忘れてしまっているのかもしれないけど。
「今日はどんな事をしてすごしてたの?」
「あんまりいつもと変わらないかな…あ、本棚やっと組み立てられたよ」
「そう。すごいね」
食事を終えて、一緒に皿洗いをして。
のんびりしようとソファーに腰掛けて、2人でテレビを眺めながら会話した。
仕事から帰ると、大抵毎日こうして2人の時間を作る。
が得意げに言うのが可愛くて、自然と頭を撫でていた。
嬉しそうにしていたが、ふと思い出したようにこう話しはじめる。
「そういえば…ひとつ、今日、不思議なことがあったの」
「不思議なこと?」
「うん。…ベランダにね、落ちてたの」
「えっと…なにが?」
まるで怪談話を聞かせるように中々本題を切り出さないものだから、思わずじらされて、改めて問いかけていた。
そうすると、はようやっと何が落ちていたのかを話してくれた。
「林檎がね、落ちてたんだ…いくつか。凄く綺麗で、どこも痛んでなくて…なんだかすごく美味しそうだった」
それを聞いた瞬間、僕の緩んでいた口角は下がり、一切の表情を無くしていた。
林檎と聞くと、僕は死神の事を自然と連想するようになっていた。
それは死神リュークの好物だからでもあったし、
Lを欺くために死神は林檎しか食べないというワードを使ったりと、何かと死神とは縁深かいものだったからだ。
それに加えて…何年もレムと過ごしていたら、それなりに死神界について詳しくなってきた事も一因だ。
毎日熱心にお喋りをするような間柄ではないが、ふとした瞬間の雑談の積み重ねで、
どうやら死神界にも林檎が存在するらしいと聞いたのだ。
死神の内蔵は退化…いや進化していて、食べる必要がないと語っていたのはレムだ。
それなのに、食べるものが死神界にあるというが興味深くて、印象に残った。
しかもそれは砂のようなもので、マズいのだという。リュークが人間界の赤い林檎に固執する訳もわかった。
──林檎。その林檎が、ベランダに転がっていた。…上階のベランダに?
仮に地上から投げ入れる事が出来たとしても、衝撃で痛んでいるはずだ。
隣の部屋の住人が投げ込んだにしても同じこと。
──まさか、リュークが…?いや、ありえない。リュークなら大好物の林檎を一個でも残していくものか…。
仮に足跡を残したかったとして、別のもので代用するだろう。
「…月くん?」
考え込んでしまった僕を、が上目遣いで伺い見ていた。
ハッとして、僕はの頬をなで…そして、茶化して誤魔化す。
「…美味しそうだったからって、拾い食いしてないよね?」
「そんなことしないもん……」
「はは」
からかうと、はむくれてしまった。それが可愛くて、笑ってしまう。
どうやら誤魔化されてくれたようだと、ホッとして気が緩んだのもある。
リュークではない。となると…別の新たな死神か。絶対に死神の仕業だと言い切れるわけではないけれど、やはり疑ってしまう。
レムはずっと僕についていた──もかして、あの白い死神が僕から離れた隙にそんな悪戯をしたのか?
「……、」
白い死神は午後、いつの間にか消えていて、帰宅するとの背後にいて…。
普段はちゃんと僕の側についているのに。今もの背後にいて、じっとの顔を覗き込んでいた。
こいつがを気にする仕草をするのは、たまにある事だ。別段おかしくしはない、が…。タイミングが悪い。やはり、疑念がわく。
そうしてに気が付かれないよう、じっと死神を観察していると…。
「…おい…何してるんだ」
思わずと言った様子でレムが声を上げた。僕も同じように声を上げそうになったが、に気取られないためにぐっとこらえた。
白い死神は、を背後から抱きしめていた。まさか絞め殺す気かと一瞬疑ったが、その抱擁はとても優しいものだった。
はそれに、気が付いていない。当然だ。それでも暫くの間死神はを腕に閉じ込めた後…満足した様子で、体を離した。
そしてじっとを見つめた後、僕の側へと戻ってきた。
「…おまえ…どういうつもりだ?」
今は口を聞けない僕の代わりに代弁するようにしてレムが問いかけるも、白い死神はやはり応える事はない。
──その代わりに…その頬に、一筋の涙を流していた。
****
その次の日の事だった。
休日という事もあり、どうやって一日過ごそうかとと話し合って、結局家でのんびりしようと話が纏まった。
リビングのテープルで書き物をしている名前を横目にいれながら、僕は書斎も兼ねている仕事部屋を開く。ここはも使う事があるし、本棚にはが集めている小説や漫画も詰まってる。共有スペースのようなものだった。
僕がそこを開けたのは、読書にふけるためでも、休日返上で仕事をするためでもない。
「…あれ?」
思わず声を上げてしまったことを、すぐに後悔した。
キラであった頃の自分なら、こんな迂闊なひとり言は意地でももらさなかっただろう。
けれど幸せな生活が続くうち、腑抜けてしまったのだと思う。
素直に感情が口に出てしまった。
「どうしたの?」
そのせいで、が椅子から立ち上がってこちらへやってきてしまった。
それ自体はマズい事ではない、…普段なら。
「…いや…見当たらなくて…」
「なにが?携帯とか?」
しかし今は、探しているものがものだけに、には気付かれたくなかった。
ちらりと、レムの方わ振り返り目配せするも、「私も知らない」と言って首を横に振られた。
…死神が、消えた。昨晩のうちから消えていたのには気が付いていた。
けれど最近はたまにあった事だし、「特例の死神だから」という理由で半分納得していて、
気にしていなかった。
けれど、一晩中消えて…そして今に至るまで姿を消すなんて。
それで僕に"ついてる"死神だといえるのか?
…これじゃあ、まるで昨日を抱きしめていたのは、別れの挨拶のようじゃないかと考える。
そして、それは多分間違っていないのだろうと…直感的にそう思った。
何年も無言で佇むだけだった死神が、僕に筆談で話しかけてきた事。を抱きしめて泣いた事…。全てがその予兆だったのだと。
書斎の床に落ちている真っ白なノートを見つける。
レムの…いやジェラスという死神のものだったという、あのノートの表紙に書いてあったような、解読不能な文字が書かれている。
見た事のないデスノートだ。レムからは、デスノートの色は総じて黒色なのではなく、稀に別の色をしたノートを所持している死神もいると聞いている。
だから僕は真っ白なそれがデスノートである事をすぐに悟ったし、手に触れたら、死神が見えるようになるのだと思った。
けれど、そんな事はなかった。しんと部屋は静まり返り、ただノートは僕の手に収まるだけ。
「もしかして、探し物ってそれだった?」
「うん…これ…だね」
にぎこちなく笑ってから、ひらりと手を振った。
「こんな所に落としてたんだ…、…ちょっと、これ片付けてくるよ」
「うん、わかった」
僕は扉を閉めてから、に気付かれぬよう、静かに鍵をかけた。
部屋の中についてきていたレムに、小声で問いかける。
「…レム。これ、どう思う?デスノートだよな」
「ああ、そうだと思うが…死神がついてないな」
「…やっぱり、そう思うか。じゃあ、これは死神界から落とされたものか?」
「ここでついさっき持ち主の死神が死んだと考えるよりは…そっちの方があり得るな」
「…今から新しい死神がやってくる可能性もあるのか…?リュークもノートを拾ってすぐには降りてこなかった…」
死神界は腐っていて、退屈なのだとリュークは言っていた。
「この人間は気に入らない」とか、「人間界を良くしよう」なんて思っていない。
ただ漠然と死にたくないから人の寿命を頂いて漠然と生きてる…存在している意味なんてないと、そう言っていたのだ。
そんな死神が大半の中、ミサに恋をしたジェラスや情を移したレム。そして人間界にノートを落として遊んでいたリューク。酷く稀な存在なのだろう。
そんな話を聞いていたら、リュークのような死神がそう何匹も現れるとは思えなかった。
であれば。
「…まさか、またリュークが…」
「…おまえをキラに仕立てげて、また暇つぶしをしようと…?」
「…ありえない話じゃないだろう。今だってどこかで退屈しているはず…人間界の林檎も恋しいだろう」
ひそひそと、レムと囁くような声で語り合う。
けれど…ふと思い立って、あの白い死神のついたデスノートを保管した引き出しを、手順に従って開けてみる。
けれど、目当ての物はそこには無かった。
「…ない…どうして…」
──盗まれた。仕掛けを見抜いた誰かの手によって…そう考えるのが自然な事だった。
けれど、なんとなく…この白いノートは、あのノートが消えた代わりに代替品として置かれた代物のような気がして。
白い死神が消えた代わりに、白いノートを託されたような気がして…。
「…考えすぎか」
それでも、やっぱりもうあの死神は戻ってこない気がしていた。
──その予想通り、一年、二年、三年が経っても姿を見せる事はなかった。
僕は死神の裏切りとは思わず、やはりあれは最後の別れの時だったのだと思っている。
相も変わらず僕達は平穏で、単調で、退屈で…けれど、幸せで充実した、輝かしい日々を過ごしていた。
あの白い死神に不意に問われたあの時から、答えは変わらない。
僕は今も、満たされている。…──これ以上ないほどに。
悔いなどあるはずもない、全ては僕が選んだ道。これからも続いていく、長い長い道。
「デスノートを使った人間は不幸になるなんて、迷信だったな」
僕が笑って言うと、レムも「そうかもな」と頷いていた。
テレビに多く出るようになって、未だ人気の衰えぬミサをみて、レムは今でも微笑ましそうな目をして見守っている。
──僕たちはみんな、最期までしあわせなままだった。
6.明日からの話─最期まで。
──名前も知らない死神が、ある日消えた。
けれど、確かにそうなる予兆はあった。それがなければ、あの自称"天使様"の裏切りかと、疑ってかかっていただろう。
平穏な生活は崩れ去り、またキラだった時と同じように躍起になって探ったはず。
でも、そうじゃない。これは裏切りなんかじゃない。
そう思えるのは、一重に僕が…退屈で輝かしい人生を謳歌していたからだった。
***
と共に、買い出しに出かけた休日。
スーパーからの帰り道、道すがら、ふと視界にコンビニを入れたが、僕に尋ねてきた。
「月くん、コンビニ寄ってもいい?」
「ん、いいよ。何がほしいの?」
「デザート。秋の新作スイーツがね、凄く美味しいってテレビで特集されてたの」
は子どものように、繋いでいた手を揺らしながら、ご機嫌な様子をみせていた。
それが可愛くて、くすくすと笑ってしまう。
なんてことのない日常の一部。すぎて行く平穏…その均衡が崩れるのは、一瞬のことだった。
「は、本当に好きだね。甘いもの」
「ふふ、そうかも…。…あ、そういえば…あれ、高校生のときだったかな」
「うん」
の話を微笑ましく聞いていると、突然が言葉を詰まらせた。
「家に帰ろうとして…もう玄関の前までたどり着いて…それなのに、突然コンビニスイーツ買いにいかなきゃって思っ……」
そして、突然言葉を止めてしまった自分自身を疑うようにして、呆然とする。
…こんな様子を見るのは、初めての事ではない。
の顔を覗き込むようにして気遣いながらも、僕にはそうなる理由がわかっていた。
「……?どうしたの?」
「……ごめんね、なんでも…。…ただ…なんで私、あの時玄関先で、突然携帯を出したのか…調べなききゃって思ったのか…なんだか、不思議になって…調べなくても、お店でみればよかったのに…」
「………そう」
自身も、たった一度の事ならここまで不思議がったりしなかっただろう。
けれど、あまりに頻繁に記憶の混乱を起こすものだから、不安になってる。
ただの笑い話。コンビニにスイーツを買いに行こうとしただけの話。
それを上手く思い出せなくなったという事は、"天使様"が指示してそういう行動を取ったからなのだろう。
コンビニに行こうとした事実は覚えているけど、どうして思い至ったのか思い出せない。
は、デスノートの詳細を知っていた訳でもないし、使ってもいない。
ただのメモ帳代わりにしただけ。けれど、確かに大事なものを喪失したのだろう。
思い出そうとして必死になる、そんなが可哀そうで…僕はその度、柔らかく慰める。
「それって、あれじゃないかな…デジャヴ。夢か本当かわからなくなる、不思議な感覚」
「…そう、なのかも」
「。それは…何もおかしなことじゃないよ」
「…そうだね」
慰める度、は頷いてくれる。けれどまじまじと、僕の瞳を探るように見るのだ。
多分、何かに勘付いている。その何かというのが具体的なものであるのかは分からないけど。
僕が話そうとしない事を、は無理に聞きそうとしない。そんなの優しさに甘えて、僕はじっと見てくるの視線に気づかないふりを続けてた。
***
「月くん、たまに遠くを見て、ぼうっとした表情してるから…。それがね、凄く退屈そうに見えるの」
それはある日、リビングのソファーで2人、くつろいでいる時に言われた言葉だった。
僕は半分肯定し、半分否定した。
確かにこの人生は酷く退屈で、それでもの側にいる時だけは心地よく、輝かしいものに思える。
ありのままを伝えと、は何かを決意したようにぐっと唇を結んでから…こう言った。
「…月くん」
「ん?」
「私、仕事辞めたいと思うの。…ダメかな?」
「……それは…構わないけど…」
は仕事のために生きるような性格はしていないけど、決して不真面目なわけでもない。
何の理由もなくこんな事を言うとは思わなくて、心配になって訳を訪ねた。
「…嫌なことでもあったの?…辞めるなんて言う前に、…もっと早くから相談してくれてたら…なにか酷い事でもされた…?」
「…違うの、わたし…わたしはね…」
深呼吸を1つしてから、は僕の目を真っすぐに見ながらこう言った。
「──月くんのためだけに生きていたいの」
そんな事を、が言ってくれる日が来るとは思わなかった。
僕の恋は一方通行ではない。最初はそうだったかもしれない。でも、も次第に恋心を抱いて、僕に情をもってくれるようになった。
でも、その想いは僕の愛に勝るものではない。僕たちには大きな温度差がある。
僕はそれを必死に隠して、お互い平等に愛し合っているふりをしていた。
──は、きっとこんな事は言ってくれないだろう、そうと解りつつも願っていた。強く強く、僕だけを求めてもらえたら、と…
が今口にしたのは、そんな夢想をした事もある、叶うはずのない夢のような言葉だった。
でも、そんなに都合がいい話がある訳がない。がそんな事を口走った理由はわかっていて、少し乾いた笑いを漏らしてしまった。
の前では、いつだって優しく笑っていたかったのに。
「…僕の、ため…?僕が退屈で不幸なのが可哀そうだから?…そんな義務感で尽くさなくていい…」
「違うよ。月くん言ったよね。私がいるだけで幸せだって。…それは、私もおんなじだよ」
必死になっては僕の手を握って、僕との間にある気持ちはおんなじなのだと言う。
の想いを疑っている訳じゃないし、こんな風に言われて嬉しいと…当然そう感じる。
の瞳は、僕だけを映している…今は。
「──月くんのためだけに生きていけたら…もうこれ以上ないってくらい、私は幸せになれるの」
僕だってそう思ってる。実際、僕の人生の殆どは、のために生きてきたようなものなのだから。でもはそうじゃない。
人生を歩む過程で僕を好きになり、──物凄く語弊がある言い方をするなら──…片手間に恋をしているだけ。
「……月くんがただいまって言ったら、必ずおかえりって言えるようにしたいの。…それじゃ、だめかな?」
だけど…それでも。どれだけ想いの重さに違いがあったとしても。
が僕のためだけに、人生の全てを捧げようとしているのは事実で…。
僕はいつか、レムに「キラとして犯罪者を裁いた全ては、結局無駄だったのか?」と問われた事がある。それに対して、無駄なんかじゃなかったと返した。
あの日々があったからこそ、今の僕があるのだと強く思ってた。今もそうだ。
キラである事を辞めたのは、確かに自分の意思だったし、そうするべき確固たる理由もあった。けれど…
──うつくしいだけの世界をのために…そして心優しく真面目な人たちのために作る。
その夢は、志半ばで潰えたのも確かだった。
それがどこかでずっと胸に突っかかっていて、鉛のように重たく中々消えてくれない。
僕は理想を叶えるための野望を捨てたけど。と生きる事を選んだけど…。
でも、物足りない。
刑事なんて仕事をしていると、特に痛感する。この世の中は残忍なものが力で支配して、弱いものが虐げられる。心優しい人は、反撃する術を持たない。
不平等な世界だと毎日思う。
それでも、僕は弱くなく、器量よく毎日を過ごしていて…それが酷く退屈だ。
ずっと、僕の心の欠けた部分が、満たされる事はないのだと思っていた。
「…え」
でも、の真っすぐな瞳をみていたら…
何故だか、欠けていたものが埋まったような気がした。淡々とレムに返したあの日の言葉。
今なら笑顔で言えると思えた。──無駄なんかじゃ、なかったんだと。
僕らは、ちゃんと愛し合えてる。
天秤が片側に傾いていると感じていたのは、僕の思い込みだった。
足りないと思っていたのは、僕の偏見だった。
…僕らには未来がある。これから共に人生を歩んでいって…それは遠い未来の事かもしれないけれど…きっと最後には同じになれる──…。
不思議と、その事を強く確信できた瞬間だった。
ぼろりと、涙を零した僕をみて、が唖然としていた。
「ら、月くん…どうして泣いてるの…?」
僕の肩に手をそえて慰め、それでも足りないと思ったのか、壊れ物を扱うように、僕の頬にそっと手を触れさせてきた。
「どうして?私、月くんのこと困らせた…?」
「っちがう…逆だ…逆なんだよ…が…僕のことを喜ばすから…。…幸せで」
僕は涙を手でぐっと拭って、に笑いかけた。
「──ありがとう…」
僕がキラだった事を知れば、きっとは軽蔑する。そして最後には許して、幸せになる権利はあると言う。
そんな僕と人生を歩んでいくと、決意してくれる──。
…もう二度とがあのノートに触れる事はなく、真相を知る日は来ないだろう。
これは僕だけが抱えていく、それこそ墓場まで持っていく秘密だ。
キラだった事を教えて、に全てを解ってもらいたい訳じゃない。大事な人に隠し事をすることが悪だとも思わない。
にだって、僕に伝えたくはない秘密は大なり小なりあるはず。人間、そんなものだ。
だというのに、それがなんだか寂しく感じて。
けれど、その日を境に胸にあった重たい鉛はどんどん軽くなり、一時たりとも忘れずに抱えていくべき過去は、ただの感傷になった。
──そんな頃の話だ。
『ラ、…ィ……と』
聞きなれない声が、どこかから聞えてきた。今、は一人で出かけていて、僕は一人家で留守番をしていた。
僕も一緒に行くと言ったけれど、大した用事じゃないしすぐ帰るからと、やんわり止められてしまったのだ。
日々、に引っ付きすぎていたかもしれないと反省した。飲み物を入れようとソファーから立ち上がりつつ、ため息をついていた時…聞こえたのだ。
振り返ると、そこには当然、僕についている死神二匹が佇んでいた。
「……おまえか…?」
レムの声ではなかった。聞き間違いでもなかったとすれば…消去法で、僕を呼んだのは、あの白い死神という事になるだろう。
レムはこくりと無言で頷いていて、僕の疑問を肯定していた。
名前が所有権を失い、僕につくようになってから、もう数年が経つ。その間一切声を発さず、ジェスチャー一つしないでいた死神が…僕の名前を呼んだのだ。
「……声、出たのか」
言葉を封じられていたというその死神は、自分の喉を両手で抑えて、もどかしそうにしていた。
そうして、パッと手をサイドテーブルの上に伸ばした。そこには筆記用具とメモ帳がある。
死神はペンを手に取ると、さらさらと何かを書き出した。そして、それを僕に掲げて見せた。
『今、幸せ?』
たった四文字。初めて筆談をして聞いてきた事が、これだ。
…随分と綺麗な字だ。死神がここまで人間の言語を上手く綴れるとは思わなかった。
この死神が僕に恋をしているかもしれないとか、守ろうとしているとか。
もうそんな風には思えなくなって、半信半疑でいたけれど。
これを聞かれた瞬間、やはり死神は僕に肩入れしているのだと改めて理解した。
「……幸せだよ」
『後悔はない?』
「ない。僕の人生、全て自分で決断してきた」
この死神の予言をきっかけにして、キラを辞めた。その事実があるからこそ、こう問いかけられたと理解した。だから、キッパリと言い切った。
言葉通り、予言はきっかけで、全ては僕の決断だ。僕はキラである事より、と共に生きる人生を選んだ。ただそれだけの事。
『あの子のためなら死ねるって思うくらい、愛してる?』
「……のために、死にたいと思うよ」
いつの日か問答したように、命の危険に晒された極限状態で、果たして人間が自分の命を捨てられるかどうかの問題。僕はここで「捨てられる」と答えるほど愚かではない。
それは数年経っても変わらなかったから、やはりあの時と同じように理想だけを語った。
『もう満たされたの』
「……これ以上ないほどに」
筆談でやり取りする僕たちを、レムがじっと見守っている。
死神大王が特別視している死神は、なんてことのない、ただの人間の幸せだけを気にかけていた。
人間贔屓、と呼ばれたという話にも納得がいく。
『わかったわ』
何が"わかった"のだろう。問いかけたけど、それ以上は応えてくれなかった。
また沈黙を貫くだけ。言葉遣いからして、メスの死神である事はなんとなく察した。
レムもこの死神も、リュークと比べれば人間の目から見ても女性的な見た目をしていると思える。
──それから数日が立った頃。死神が突然、不意に姿を消すようになった。
大抵は短い時間背後から消えていなくなるだけだ。それでも、人間についていなければならない掟のあるはずの死神が、視界から消えていなくなるのは問題だろう。
「…死神は長距離、ついた人間から離れられないはずだよな?レム」
「そのはずだが…あいつの事だから、わからないな。なんせ特例の死神だ」
仕事から帰る道すがら、街内の雑踏に紛れるようにこっそりとレムに問いかけた。
すると、安心材料にはならない答えが返ってきて、顔を顰める。
これから帰ってくるのか、何故突然姿を消すようになったのか…不安や懸念が浮かぶ。
けれど。
帰宅すると、「おかえり、月くん」と笑ったの背後に、何食わぬ顔をしたそいつがいた。
「…?どうしたの」
「いや、なんでもないよ」
「そう…?」
僕が思わずの背後…にとっては何もないはずの宙を凝視してしまったせいで、
困惑させてしまった。
僕が風呂に入っている間に、食卓にはの作った手料理が並んでいた。
"特別なノート"にレシピを沢山書き留めていただけあって、はレパートリーが多く、アレンジもきかせることが出来る。
毎日の食事に飽きた事はなかった。僕のためを思って練習した結果なのだと思うと、幸せで、より美味しく感じられる。
は自分がそんな事をしていたなんて事実も、全て忘れてしまっているのかもしれないけど。
「今日はどんな事をしてすごしてたの?」
「あんまりいつもと変わらないかな…あ、本棚やっと組み立てられたよ」
「そう。すごいね」
食事を終えて、一緒に皿洗いをして。
のんびりしようとソファーに腰掛けて、2人でテレビを眺めながら会話した。
仕事から帰ると、大抵毎日こうして2人の時間を作る。
が得意げに言うのが可愛くて、自然と頭を撫でていた。
嬉しそうにしていたが、ふと思い出したようにこう話しはじめる。
「そういえば…ひとつ、今日、不思議なことがあったの」
「不思議なこと?」
「うん。…ベランダにね、落ちてたの」
「えっと…なにが?」
まるで怪談話を聞かせるように中々本題を切り出さないものだから、思わずじらされて、改めて問いかけていた。
そうすると、はようやっと何が落ちていたのかを話してくれた。
「林檎がね、落ちてたんだ…いくつか。凄く綺麗で、どこも痛んでなくて…なんだかすごく美味しそうだった」
それを聞いた瞬間、僕の緩んでいた口角は下がり、一切の表情を無くしていた。
林檎と聞くと、僕は死神の事を自然と連想するようになっていた。
それは死神リュークの好物だからでもあったし、
Lを欺くために死神は林檎しか食べないというワードを使ったりと、何かと死神とは縁深かいものだったからだ。
それに加えて…何年もレムと過ごしていたら、それなりに死神界について詳しくなってきた事も一因だ。
毎日熱心にお喋りをするような間柄ではないが、ふとした瞬間の雑談の積み重ねで、
どうやら死神界にも林檎が存在するらしいと聞いたのだ。
死神の内蔵は退化…いや進化していて、食べる必要がないと語っていたのはレムだ。
それなのに、食べるものが死神界にあるというが興味深くて、印象に残った。
しかもそれは砂のようなもので、マズいのだという。リュークが人間界の赤い林檎に固執する訳もわかった。
──林檎。その林檎が、ベランダに転がっていた。…上階のベランダに?
仮に地上から投げ入れる事が出来たとしても、衝撃で痛んでいるはずだ。
隣の部屋の住人が投げ込んだにしても同じこと。
──まさか、リュークが…?いや、ありえない。リュークなら大好物の林檎を一個でも残していくものか…。
仮に足跡を残したかったとして、別のもので代用するだろう。
「…月くん?」
考え込んでしまった僕を、が上目遣いで伺い見ていた。
ハッとして、僕はの頬をなで…そして、茶化して誤魔化す。
「…美味しそうだったからって、拾い食いしてないよね?」
「そんなことしないもん……」
「はは」
からかうと、はむくれてしまった。それが可愛くて、笑ってしまう。
どうやら誤魔化されてくれたようだと、ホッとして気が緩んだのもある。
リュークではない。となると…別の新たな死神か。絶対に死神の仕業だと言い切れるわけではないけれど、やはり疑ってしまう。
レムはずっと僕についていた──もかして、あの白い死神が僕から離れた隙にそんな悪戯をしたのか?
「……、」
白い死神は午後、いつの間にか消えていて、帰宅するとの背後にいて…。
普段はちゃんと僕の側についているのに。今もの背後にいて、じっとの顔を覗き込んでいた。
こいつがを気にする仕草をするのは、たまにある事だ。別段おかしくしはない、が…。タイミングが悪い。やはり、疑念がわく。
そうしてに気が付かれないよう、じっと死神を観察していると…。
「…おい…何してるんだ」
思わずと言った様子でレムが声を上げた。僕も同じように声を上げそうになったが、に気取られないためにぐっとこらえた。
白い死神は、を背後から抱きしめていた。まさか絞め殺す気かと一瞬疑ったが、その抱擁はとても優しいものだった。
はそれに、気が付いていない。当然だ。それでも暫くの間死神はを腕に閉じ込めた後…満足した様子で、体を離した。
そしてじっとを見つめた後、僕の側へと戻ってきた。
「…おまえ…どういうつもりだ?」
今は口を聞けない僕の代わりに代弁するようにしてレムが問いかけるも、白い死神はやはり応える事はない。
──その代わりに…その頬に、一筋の涙を流していた。
****
その次の日の事だった。
休日という事もあり、どうやって一日過ごそうかとと話し合って、結局家でのんびりしようと話が纏まった。
リビングのテープルで書き物をしている名前を横目にいれながら、僕は書斎も兼ねている仕事部屋を開く。ここはも使う事があるし、本棚にはが集めている小説や漫画も詰まってる。共有スペースのようなものだった。
僕がそこを開けたのは、読書にふけるためでも、休日返上で仕事をするためでもない。
「…あれ?」
思わず声を上げてしまったことを、すぐに後悔した。
キラであった頃の自分なら、こんな迂闊なひとり言は意地でももらさなかっただろう。
けれど幸せな生活が続くうち、腑抜けてしまったのだと思う。
素直に感情が口に出てしまった。
「どうしたの?」
そのせいで、が椅子から立ち上がってこちらへやってきてしまった。
それ自体はマズい事ではない、…普段なら。
「…いや…見当たらなくて…」
「なにが?携帯とか?」
しかし今は、探しているものがものだけに、には気付かれたくなかった。
ちらりと、レムの方わ振り返り目配せするも、「私も知らない」と言って首を横に振られた。
…死神が、消えた。昨晩のうちから消えていたのには気が付いていた。
けれど最近はたまにあった事だし、「特例の死神だから」という理由で半分納得していて、
気にしていなかった。
けれど、一晩中消えて…そして今に至るまで姿を消すなんて。
それで僕に"ついてる"死神だといえるのか?
…これじゃあ、まるで昨日を抱きしめていたのは、別れの挨拶のようじゃないかと考える。
そして、それは多分間違っていないのだろうと…直感的にそう思った。
何年も無言で佇むだけだった死神が、僕に筆談で話しかけてきた事。を抱きしめて泣いた事…。全てがその予兆だったのだと。
書斎の床に落ちている真っ白なノートを見つける。
レムの…いやジェラスという死神のものだったという、あのノートの表紙に書いてあったような、解読不能な文字が書かれている。
見た事のないデスノートだ。レムからは、デスノートの色は総じて黒色なのではなく、稀に別の色をしたノートを所持している死神もいると聞いている。
だから僕は真っ白なそれがデスノートである事をすぐに悟ったし、手に触れたら、死神が見えるようになるのだと思った。
けれど、そんな事はなかった。しんと部屋は静まり返り、ただノートは僕の手に収まるだけ。
「もしかして、探し物ってそれだった?」
「うん…これ…だね」
にぎこちなく笑ってから、ひらりと手を振った。
「こんな所に落としてたんだ…、…ちょっと、これ片付けてくるよ」
「うん、わかった」
僕は扉を閉めてから、に気付かれぬよう、静かに鍵をかけた。
部屋の中についてきていたレムに、小声で問いかける。
「…レム。これ、どう思う?デスノートだよな」
「ああ、そうだと思うが…死神がついてないな」
「…やっぱり、そう思うか。じゃあ、これは死神界から落とされたものか?」
「ここでついさっき持ち主の死神が死んだと考えるよりは…そっちの方があり得るな」
「…今から新しい死神がやってくる可能性もあるのか…?リュークもノートを拾ってすぐには降りてこなかった…」
死神界は腐っていて、退屈なのだとリュークは言っていた。
「この人間は気に入らない」とか、「人間界を良くしよう」なんて思っていない。
ただ漠然と死にたくないから人の寿命を頂いて漠然と生きてる…存在している意味なんてないと、そう言っていたのだ。
そんな死神が大半の中、ミサに恋をしたジェラスや情を移したレム。そして人間界にノートを落として遊んでいたリューク。酷く稀な存在なのだろう。
そんな話を聞いていたら、リュークのような死神がそう何匹も現れるとは思えなかった。
であれば。
「…まさか、またリュークが…」
「…おまえをキラに仕立てげて、また暇つぶしをしようと…?」
「…ありえない話じゃないだろう。今だってどこかで退屈しているはず…人間界の林檎も恋しいだろう」
ひそひそと、レムと囁くような声で語り合う。
けれど…ふと思い立って、あの白い死神のついたデスノートを保管した引き出しを、手順に従って開けてみる。
けれど、目当ての物はそこには無かった。
「…ない…どうして…」
──盗まれた。仕掛けを見抜いた誰かの手によって…そう考えるのが自然な事だった。
けれど、なんとなく…この白いノートは、あのノートが消えた代わりに代替品として置かれた代物のような気がして。
白い死神が消えた代わりに、白いノートを託されたような気がして…。
「…考えすぎか」
それでも、やっぱりもうあの死神は戻ってこない気がしていた。
──その予想通り、一年、二年、三年が経っても姿を見せる事はなかった。
僕は死神の裏切りとは思わず、やはりあれは最後の別れの時だったのだと思っている。
相も変わらず僕達は平穏で、単調で、退屈で…けれど、幸せで充実した、輝かしい日々を過ごしていた。
あの白い死神に不意に問われたあの時から、答えは変わらない。
僕は今も、満たされている。…──これ以上ないほどに。
悔いなどあるはずもない、全ては僕が選んだ道。これからも続いていく、長い長い道。
「デスノートを使った人間は不幸になるなんて、迷信だったな」
僕が笑って言うと、レムも「そうかもな」と頷いていた。
テレビに多く出るようになって、未だ人気の衰えぬミサをみて、レムは今でも微笑ましそうな目をして見守っている。
──僕たちはみんな、最期までしあわせなままだった。