第103話
6.明日からの話預言者

今のにはもうとっくに緊張も、不安もなくなっていた。
捜査の邪魔をして強引に引っ張り出した挙句、天使だなんて非科学的な事を言って軽蔑されやしないか…
そうして怯えていた姿はとっくに消え去り、今はただ、僕に受け入れられた安心感と…
の好きな「夜神月」の手を握っている事で得られる温もりで、心底安堵している様子だった。


「ふふ…」

は思わずといった様子で零れた笑いを隠そうとしなかった。

「どうしたの?」

僕はいつも通り、慈愛に満ちた笑みでもって名前を見つめる事ができた。
が何に喜び、何を尊ぶのかが知りたい。
愛するに対して抱く、変わらぬこの想い──…
一時はを疑い、傷つける所だった。それでも今はこうして…昔から色褪せぬ温度でを慈しむ事が出来る事が嬉しいし…一途にを愛し続けてきた事は、僕にとって誇りだ。

「天使様、私にしあわせになってほしいんだって。…きっと月くんのこともそう思ってるよ」
「随分、その天使様を信頼してるんだね、…いくら友達になったって言っても…妬けるな」

忌々しい"死神"の姿は目に入れないようにしながら、愛らしいだけを目に映す。
あの化物を天使と信じる、無垢なだけを。

「…私が、好きなのは…。…月くんだけだよ」
「…、……」
「…お父さんもお母さんも、大好き。友達のこともすき。…でも、月くんはもっと特別。……この意味…ちゃんと伝わってるかな…?」

僕の表情は、一気にとろけた事だろう。相手には、いつだって澄ましていて格好いい"月くん"のままでいたい。
それと同時に、の前では格好悪くてもいいとも思う。それでこの愛が十分に伝わるというなら…
そういう自分も存在している。
ああ、わかってるさ。もう十分なくらいに。
は家族も友達も大好きでいるけれど、僕に対して抱く気持ちだけは、種類が違う。
…──恋だということだ。

「…最初は、天使様が月くんの前に姿を見せるって言った時も、予言を伝えるって言った時も…ちょっと怖かった…」
「……うん…」
「でも…」
「…でも?」
「……月くんのこと、大事だからこそ…これは、伝えなきゃと思ったの」

これとは何か、なんて問い返すほど野暮ではない。予言のことを指しているのだろう。

「……大好きだよ、月くん…」
「…僕も……大好きだ……愛してる…」

僕がを想う気持ちと、が僕を想う気持ちの大きさは、絶対に釣り合わない。
それでも同じ恋心を抱いているというだけで、十分すぎる幸福だ。
僕はを抱き留めて、体温をわけあった。
に託されたノートはすぐ傍に置いて、手放す。さりげなく自分の体に密着させる事が出来る位置に。
少し冷えていたお互いの体が同じ体温になった頃、僕はを腕から解放して、頬を撫でる。
言葉にしなくても、伝わっただろう。
今こそが、が伝えるべきその予言を口にする時だ、と──…。

すっかりリラックスした様子のは、その柔らかな唇から、まるで絵本を読み聞かせるように、優しく、優しく…紡ぎ続けた。
──明日からのことを。
人間に情を移しているらしい特別な死神は、どうやら僕らを祝福しているらしい。
こいつが紡ぐ予言は、きっと僕達に優しいものであるに違いない──。


「"11月6日から、キラの裁きは止まる"」

──そう、信じて疑わなかった。


「は、…」

僕の口から、声が漏れなかった事を信じたい。けれど確実に、息は呑んでしまった。
にこにこと笑うは僕の様子の変化に気が付いた様子はない。これは僥倖だった。
11月6日──つまり、明日。
は訥々と、天使から授けられた予言を代弁していく。


「"今後一生、キラは人間界に現れることはない。人々は、愛する人と一緒に、毎日をすごしていくだろう"」

は気が付いているのだろうか。自分が口にした予言が現実になれば…
確実に世界は混乱する。キラの恩恵に預かっていた弱者はまた虐げられ、犯罪率はまた増加するだろう。
そしてキラを追い続けていた者たちは肩透かしをくらい、しかし今までもあったように休止していただけと考え、追い続ける──。
色んな立場の人々がよくも悪くもキラの存在によって左右される事になる。
けれど、は…。


「"そうして世界は、綺麗なもので満たされていく。未来は明るい──。"」


──はきっと、キラが誰であるのか…考えた事などないのだろう。薄々勘付いていた事だった。
そしてキラがいようといまいと、には関係のないこと──。
別に、それでいい。に感謝などされなくても。正体など明かさなくても。
影ながら悪を排他し、のことを──ひいては弱き者たちを救う救世主になる。
それが僕の望みなのだから。
でも、もしもが僕がキラだと知ったらどうなるだろう?
それは、僕がキラと呼ばれるようになってから、何度も考えたことがある"たられば"だ。

「……それが、予言なんだね」
「うん…」

その予言を全て聞いた瞬間──と繋いだ手が強張った事…は感じ取っただろうか。
僕は笑みを張り付け保ったまま、にこにこと無邪気に笑うを見下ろした。
…やっぱり、僕の変化に気づいた様子はない。
今の僕は、天使の存在を否定せず信じてくれた、の大好きな"月くん"のままでいられているらしい。

「なんだか…あの小説みたいなお告げだよね…?…あの本でも言ってた。この世界はうつくしいもので溢れているけど…」
「…"ひとの愛に勝るうつくしいものは見つからない"…だったね」

が大好きな、美しいものだけが綴られた童話のような幻想小説。
起承転結もありやしない。美しい世界を旅し、綺麗な言葉だけを登場人物が口にする物語…。
僕も、何度も繰り返し読んだ。擦り切れるほどに…。
が理想とする世界が、どうしても知りたくて。のことをもっと深く理解したくて…近づきたくて。
試験でいい点数を取るために勉強するよりも、必死になったのは記憶に新しい。
はそんな事、知らないのだろう。
僕があの小説のワンシーンをそらんじる事が出来るのは、ただ記憶力がいいからだと思っているに違いない。
大好きな美しい小説を語るの表情は柔らかい。


「そう。愛する人と一緒にすごすことが、何より幸せって、主人公はそう思ったんだよね。傷つくこともあるし、辛いこともあるけど、愛があれば大丈夫…って」
「…綺麗な事が、たくさんつまった小説だったね。みんなきれいな言葉ばっかり口にして…」
「中身がない小説だって、酷評される事もあるみたいだけどね。でも、わたしはそれが好きだった。きらきらした宝石を眺めてる時みたいな気持ちになる…」

はうっとりと目を細めて、夢心地のような表情を浮かべていた。
それはまるで僕がキラとして暗躍し、美しい世界を創るために行動している時のような…
理想を夢想している時のものと、全く同じ種類の表情だった。
の理想の世界も、僕の理想の世界も同じ、「うつくしい世界」だ。
だけど…根本的に、と僕とでは違っている。
それは──。

そうして思考に耽っているうちに、がくしゃみをした。
暖房もつけずに長話をしていたから、冷えてしまったのだろう。

「……、暖かい格好した方がいい。部屋が温まるまで時間がかかるだろうから…」
「…うん、そうだね…月くんは大丈夫?」
「僕は平気」

は立ち上がり、クローゼットから上着を見繕った。

「…あ、これ懐かしい…スペースランドに行く時に着ていったコートだ」

クローゼットから一つ淡い色のニットカーディガンを手に取ると、声を弾ませていた。
スペースランドと言えば、苦肉の策として名前を連れて行った場所だ。
邪魔なFBIを始末するため、適当な女を捕まえてバスに乗りこむつもりだったが…。
紆余曲折あって、を連れていかない訳にはいかなくなったのだ。
キラの正体をに明かしたくないのであれば、絶対に連れていくべきでなかった。
レイ=ペンバーというFBI捜査官が身分証明書を僕にみせたこと。
それをが知っているという事は、あまりにもリスキーだ。
けれど、そうなる事をわかっていても…僕はあの時、を伴って出かける選択をしたのだ。

──もしが僕がキラかもしれないと勘付いたら、どんな行動に出るだろう。
もしがFBI捜査官の死について誰かに追及された時、──話せば僕に疑惑がかかると理解していながら──真実を語るだろうか。
僕はあの時、を試した。FBI捜査官について食卓で話題に上ることもあったけれど、は何の反応も示さなかった…。
…僕は…がキラを否定し、僕を売るのであれば、それでもいいと考えていたのだ。
今、世界中の多くの人間はキラを救世主…神のように崇めている。
けれど、僕にとってはこそが創生神であると言っても過言ではない。なんていったって、のために創り上げた世界なのだから──
に否定されたなら、キラである事をやめてもいい。そうとすら考えていた。


「…あの時、月くんに可愛いって思ってもらいたくて頑張っておしゃれしたんだ…結局、スペースランドにはいけなかったけど…」

暖かそうなカーディガンを羽織りながら、くるりと一回りしてみせた。
どうやらスペースランドに向かう最中に遭遇してしまったバスジャックについては、トラウマになっていないようで、安心した。


「…どう?かわいい?」
「──ああ、かわいい…本当に…天使みたいだ」
「ふふっ…本物の天使様の前で天使みたいって、おかしい」

はつぼに入ったみたいで、くすくすと笑っていた。
…背後に佇むおぞましい死神を、神聖な天使と信じるこそ、天使に違いないというのに。
すとんと再び腰を下ろしながら目線を合わせたをじっとみて、僕は呟く。

「……愛してるよ、…」

僕が脈絡なく言うと、は心底嬉しそうな微笑みを浮かべる事でもって返事をしてくれた。

「…月くん」
「ん?」
「手、あったかいね」
「ん…久々にと二人きりだからね。僕もリラックスしてるんだと思う」

僕の手に触れて、温もりを確かめるがかわいくてしかたない。
目を細めて名前の相手をしながら、話しかけてきたレムの言葉を聞きつつ、考える。

「夜神月…この死神が特別だという事に嘘偽りはない。こいつは、あの死神大王のお気に入りなんだ…。…私がここで嘘をついて夜神月が破滅すれば、ミサが不幸になるんだからね…。…この死神の予言を信じる事は、おまえの身を守ることに繋がるだろう」


僕も、それには同意見だ。
それにしても…噂の死神大王のお気に入りか。大層な死神だ。
この死神の場合は、いくらお気に入りであろうと…"未来視"という特別な力を行使する事は看過できず、死神大王によって縛られたのだというが…。
この場合、最悪のパターンを想定した方がいい。

死だけが人間の不幸ではない。が、しかし…根本的に、死神にとっての最大のタブーというのは、死ぬはずの人間を助け寿命を延ばすことなのだ。
"僕が死ぬ未来を防ごうとした事で、死神大王に縛られた"。こいつが今まで取ってきた行動からしても、そう考えるのが一番自然だ。
その仮説を信じるならば…。
…"キラ"であり続ける事は、将来僕の命を脅かす事になるのだという事になる。

「……」

僕は目の取引をずっと拒んでいた。全ては、生きて理想の世界をこの目に焼き付けてこそだと思っていた。と共に生きていくに。
自分を削ってまでして、キラになるつもりは毛頭ないのだ。
僕が上手く策略を立て、障害を避ける事で生きられるというなら、僕は足掻こう。
しかしキラでいると、目には見えない寿命というものが縮まるというなら…
考えるまでもない。

「…ライトくん、抱きしめていい?」
「……めずらしいね。の方から、そんなこというの…」

上目遣いにねだるは愛らしく子供のようで…けれどその瞳に宿るのは、確かな熱。
子供には宿す事のできない情愛だ。
僕は今すぐにでも、の望む通りに手を伸ばしたくなる衝動を抑えて、冷静な夜神月でいるように努めた。
は僕のそんな気も知らずに、少し照れながら訥々と語った。

「だって、ずっと監視カメラがあったし、疑われてたから…月くんとまともに会話もできなかったし…。…そう考えると、ほんとに、今、久々に二人きりになれてるんだね」
「…ほんとだね。久しぶりに二人でこんなに話した…」


実際には死神二匹が見守っているわけだけど。は背後に天使様が控えていようが、それに関しては恥ずかしいとは思わないらしい。
の身体を引き寄せた。
がおねだりしたのはただのハグだったけれど、…唇を重ねてみる。
少しびっくりしていた様子だけど、拒むことなく、すぐに目を閉じた。
触れ合うだけのキスではなく、食むようにしてやると、もそれに答えてくれる。
唇が離れても、吐息さえ交わる距離で見つめ合う。
の瞳に、僕が映っている。ただそれだけの事が、こんなにも幸せに思える…

「……幸せだね……」

思わず、口からそんな言葉が零れ落ちた。
無意識のうちに舌が紡いだ言葉は、を喜ばせたようだった。

「……私も、幸せ……」

言葉通り、は心底多幸感に満ち溢れた笑顔を浮かべると、僕の肩口に顔を埋め、背中に手を回した。
──幸せ。これが幸せなんだ。愛する人とすごして、時には傷つけ、傷つけられて。
小説のように、綺麗なものだけで造られた世界ではないけれど。
僕には心から愛し合った人がいて、そしてその人も、僕のことを愛してる。

──死のノートを手にしながら、そのノートの使い方を知らない。
それは、きっとこの白い死神が、に無垢なままでいてほしかったからなんだろう。
はそうとも知らず、純粋な気持ちで、恋人のために、勉強したレシピを書き続ける。
喜んでほしいと、ただ願いながら。

──おぞましい見た目をした化け物を、天使だと信じている。
そしてその死神の語った未来を、心から信じてる──


「あ、」

そんなの事を考えていると、が何か思いだしたようにハッと顔を上げ、こう言った。


「…天使様、こうも言ってた。"愛と理想は両立させられない"って。これは予言というか、戒め…?…うーん、忠告?みたいなものだって」


それを聞いても、僕はもう驚かなかった。
の背後いる死神にもう睨む気も起きず、ただ冷めた目で見やるだけ。
は抽象的な予言や戒めというものが理解できないと言い、首を捻っているけれど…
……僕には、その言葉の意味が、よくわかった。
この死神はにデスノートの真価を最期まで教えなかった。それと同じ様に、に真相を知らさないよう、あえて抽象的なもの言いをしたのだろう。
勘のいいものなら気が付いたかもしれない──でも、どうしてか、はキラに関することは、深く考えないようにしているようだから…。

愛と理想は両立できない──すなわち、を切り捨てる事でしか繁栄できない世界────そんな物、僕は欲しくはない。

の瞳を真っすぐに見つめる。日本人特有の黒目で、特別色素が薄い訳でもない。
だというのに、酷く澄んでいて、まるで宝石のようだと感じる。
の容姿が端麗だというのは間違いない。
そこに惹かれているのかといえば、否だろう。
僕が容姿に靡く性格をしているのなら、ミサのアピールの末に、とっくに落ちているはずだ。
…間違いなく、僕はを神格視してる。その自覚はあった。愛らしい天使だとも思い、救いの女神だとも感じている。


「…。"天使様"は喋れないと言っていたけど…頷いたり、簡単な質問に答えたりはできるかな」
「え、…できる、けど…」
「けど?」
「…内容によるかも。天使様、今日は…全部私に任せるつもりだって言ってたし…そもそも私としか意思疎通するつもりないって言ってたし…」
「うん、十分だよ」

は後ろめたさそうに言うけれど、僕は笑って頷いた。
僕がこの死神に問いかけたいのは、ただ一つ。

「……なあ、"天使様"。天使様は、のこと…純粋な子だと思うか?」
「え、ら…月くん…?」

僕が問いかけた質問が自分にまつわるもので…そしてあまりに恥ずかしい内容だったせいで、はぎょっとしていた。

「……こそが、この世の誰より純真無垢で…天使のようだと。だからこういう形でにノートを授けた。その通りか?」

ノートの真価を教えず、の手を汚させなかった。
僕がキラである事を問題視し、"第三者"としての物証をわざとらしく残し、
Lに疑いを抱かせ…
無垢なと僕を、共に長い時間を過ごさせようとした。

まるで、の存在そのものを僕への戒めにするかのようにして──。
そいつはこくりと、縦に頷いた。──肯定だ。
やはりこいつは僕がを評価しているように、無垢なものとして認めて、あえてキラの側に置き続けた…


「…月くん」


問いかけの内容は、当事者であるにはきっと恥ずかしかったはず。
けれど僕があまりにも真剣なものだから、空気に圧倒されて、不安そうに僕を伺い見ていた。

「……」


あの予言の死神は、ずっとこう思いながら、無垢なの側に居続けたのだ。
──愛するものと共にいながら、キラか理想の世界を創る。この事は両立させられない──
最初から、こいつだけがその事を理解していて。
そして、その不可解だった全ての行動でもってして、ずっと僕に忠告し続けていた。


「……、毛布を持っておいで。まだ床は底冷えしているだろうから」
「うん」

がベッドから薄手の毛布を一枚とり、また僕の近くまで歩み寄ってすとんと腰を下ろす。
こんな意味心な話をしていても、やはりは怪しんだ様子は見せなかった。
そんな僕との様子を今までずっと黙して見守っていたレムが、不意に口を開いた。

「…夜神月。死神を殺す方法を、まだ覚えているか」

僕が無言で視線をやると、レムは僕の肯定を汲み取って、自ずと語ってくれた。

「…そうだ。人間に恋をさせる事…ジェラスという死神は、ミサの事を助けようとして、砂となって消えた。…しんだんだ」

あまりに不審がられるひとり言を言えない現状、こうしてレムが一人で語ってくれるのは助かる。


「……"天使様"。特別な死神は、おまえに恋をしていたんじゃないか?」

それは、僕がまだ考えていなかった可能性だった。
レムはミサに肩入れしているが、決して恋はしていない。それと同じ様に、僕とにただ情を移しているだけ…そう思っていた。
レムという前例を見ている以上、その方が自然に思えたのだ。


「そして恋をしたお前を助けようと特別な力を使おうとして、それを止めるために死神大王は封じた」

レムは"天使様"へと視線をやるも、そいつは何も言わない。…喋れないとしても、ジェスチャーくらいは出来るだろう。しかしそれをしないという事は、強く否定したい事柄ではなかったという事…沈黙は肯定と受け取っていいだろう。
それがとても意外だった。死神大王が看過出来なかったのは、あくまで特異な未来視の能力の行使だ。
人間に恋をする事ではないし、恋で自滅する事で被る罰は、消滅だろう。レムが言っているのき、掟破りな未来視をどうして行使しようのかと思ったのかという行動原理。
=僕に恋をしているからという根拠だ。

「……だとすれば、辻褄があう。私もリュークも、ずっとこいつの回りくどい行動の意味がわからずにいたが…」

…そうだ。リュークとレムには、ずっとについているこの死神が見えていたのだ。
レムはこのまま黙っていればミサのためになるとでも言われたのだろう。
僕にその事を伝えなかったし、リュークはそもそも僕に他人についている死神の存在を伝える性格はしていない。内心、さぞかし面白がっていた事だろう。
ずっと一緒の幼馴染の隣に、死神がついているのを知らないでいる僕の事を見ているのは。


「…そうだとすれば…やはり予言にも忠告にも、全て従った方が身のためだろう」
「……」

果たして本当にそうなのだろうか。
まず、この予言の死神がノートを渡したにではなく…僕に恋をしているのかどうか。
そして…やはり僕は本当に、助けが必要なほどに寿命が短いのか?
レムはその答えが視えているのだろうが、僕の寿命をレムが教える事はできない。
いや…やはり死だけが人間に訪れる災厄だとは思えない。
例えば、僕が愛するを失うこと…それは自分の死よりもつらく感じる事だろう。
死ななくても、病気でも患って、が辛い思いをすることになれば…僕は一気に不幸になる。

しかし、僕がキラを辞める事で得られる幸福…か…。
一番安直だが、あり得そうなのは、近い将来キラである事がバレて、に軽蔑される未来が待っている…とか。そんな所が。

ずっと黙したまま、意味心な目配せを繰り返している僕をみて、不安そうにしている。そんなの頭を撫でて安心させるようにしてから、僕はこう問いかけた。


…僕たちを誘拐した犯人に言った言葉、覚えてる?」

脈絡なく問いかけられて、は一瞬何のことを言われてるのかわからないといった様子で目を瞬かせ…
質問の内容を理解すると、すぐ困ったように眉を下げた。
僕はを困らせてる。そうと理解していても、問わねばならない。


「苦しんだ分だけ、いつか幸せになってほしいって…あんなひどい事をした人に対して、言ってたよね」
「…うん、おぼえてる」
「今でもそう思う?…犯罪者であっても、ひどいことをした人でも…幸せになってほしいって、そう思う?」

僕の問いかけに、はすぐに返答しなかった。僕が真剣だったから、も軽々しく答えないようにしているのだと思った。
ぎゅっと僕の手を握って…しっかりと考えて…
は答えを出した。

「……悪いことをしたら、罪を償わないといけないと思う。罰は、絶対に必要だよ。でも…」
「…でも?」
「誰にでも幸せになる権利はあると、思ってる…」

僕はぎゅっと、強く、強く。を抱きしめた。
はきっと、僕がキラである事を知ったら、許さないのだろう──
のためを思ってした事といえど、軽蔑する。
漠然と、そう僕は思っていたし…それは間違いではないと、白い死神の行動でほとんど立証された。
けれど…この底抜けの優しさと慈悲でもってして、最期には僕を許すのだろうとも思う。
それでも、幸せになっていいんだと。最後には僕を許す──…。

「…月君?どうしたの?」
「……」

が腕の中で、心配そうに問いかけてる。答えることもできず、僕はただ胸の中で強く叫んだ。
──ああ…この子は…なんて無垢なのだろうと。何度でもそう痛感させられる。

「月くん…」

他の誰かが言ったら、綺麗ごとや偽善だと言って鼻で笑ったに違いない。
…一体いつから僕はのことがすきで、大好きで、愛していて…
美しいと感じていたのだろう。
この清い心根が汚れないよう、守りたいと思った。世界中がのような人間ばかりならいいのにと願って…
…きっと、小さいころにはのような優しい子はたくさんいたんだ。
でも、大人になるにつれて、悪意や挫折によって、くすんでしまう…。
…せめて、だけは永遠にこのまま、健やかに。
僕はずっとそれだけを願ってた──。


「…なんで、泣いてるの…?」

ぽたりと零れた雫は、間違いようがなく、僕の眼から伝い落ちたものだった。
の肩口を濡らしてしまう。それなのに、止める事ができない。

は、自分の"天使様"の語った明日からの未来の意味を、やはり少しも理解できてない様子だ。
"無垢な"に理解させないような言い回しをした予言だったから。
それにもしかしたら、キラが誰であるのか考えもしていないように…予言についても、考えるつもりがないのかもしれない。

けれど、僕にはその真意が十分に伝わっている。レムの補足も加わって、十分すぎるほどに。
──だから決意した──…せざるを得なかった。

「……明日は、天使様の予言の日だね。…は、現実になると思う…?」
「……うん、絶対になるよ…天使様は、特別なひとだから…」


──明日から、キラであることをやめろ。犯罪者を捌き、新世界の神になるという野望を捨ろ。
人間として、愛する人と共に、醜い世界で生きる幸福を選べ。
愛するものの隣でキラでいると、いずれ破滅する。
死神大王すら特別視する死神が、こうも遠回りな事をしてまで、僕にそれを解らせようとしている。
そもそも、僕が生きるの死ぬのという話以前に──僕は世界の人々のために──何度でも言うが──何よりも、のために優しい世界を創ってあげたいと思ったのだ。
いつまでも、の隣で幸せに生きていくために…。
だとしたら…迷う余地はない。

「…きっと、明日からは、キラの裁きは止まるね…」

僕の瞳からは、涙が溢れて止まらなかった。キラと呼ばれる存在になった事を後悔などしていない。
正しい事をしたという自負がある。僕に救われた人間が、一体どれだけいたと思うのか。
リュークに言った通り…僕は承認欲求のためにデスノートを使ったのではない。
ただ、弱い者を助けたいという思いやりから…。それだけで…。
それが過ちだったなんて、誰にも言わせてたまるものか。

……それなのに、なんで…なんで、涙が止まらないんだ。
は涙を流す僕の背中をさすりながら、頷いた。

「…そうだね…の特別な使様がそういうんなら…」
「……うん…きっとそうだよ…」

僕は昔、昔のことを思い出していた。

「きれいごとを言う人間は、皆クズだってオレずっと思ってきたけど…きれいな事を言うひとは、もしかしたらほんとうに…綺麗なのかもしれないな」

あの残虐な殺人鬼が、かつて、あの暗い部屋で、泣きながら言っていた言葉を。

「俺もきれいなことばっか言ってたら、きれいな人間になれたのかな」──…と。

情状酌量の余地もない、憐れすら与える価値もない人間に、は綺麗な言葉をかけ続けて…。
裏も表も打算もない、純粋なその優しさで、男が改心した、あの瞬間のことを。
あの頃の僕は、想像もしていなかった。
──未来の僕は、あの男と同じような結末を迎えることになる…だんて。

今でも僕は、この世の中は腐ってると思うし、死んだ方がいい人間ばかりだと思う。
クズは死んで当然だと思ってる。この世は醜く、そして退屈だ。


「…と出会えた僕は、幸運だ…」
「ふふ、なあに、急に…」

の頬や鼻、額にキスを落としながら言うと、はくすぐったそうに笑った。
は監視下におかれていた時は拒絶したけど…2人きりの時は、僕からの愛情表現を受け入れる。…喜んでくれるようになった。
腕の中の温もりを感じながら、考える。

「悪いのは人を殺せる能力だ」。これは父が過労で倒れたあの病床で言っていた言葉。
「そんな能力を持ってしまった人間は不幸だ。どんな使い方をしても、人を殺した上での幸せなど真の幸せであるはずがない」と、父さんは続けた。

僕はあの後、このノートを拾ってこの能力を得た事を不幸だなんて一度も思った事はないとュークに言った。
──僕の中で変わったものは、あの時から何一つない。
けれど、ただ、僕の心は折れた。いつかの誰かのように…真の純真さには敵わなかったのだ。
──この能力を得た僕は幸せだ。けれどそれがどれだけの幸福だとしても。それがどれだけ世界のために必要だとしても。

──僕は、明日から──

。僕が今から言うこと、よく聞いほしい」
「?…うん」
「僕が合図したら、こう言ってほしい。意味は考えなくていい──」

僕が言ったことは、説明にもなっていない。
けれど僕が盲目的にを愛するように…盲目的に僕を全幅の信頼を寄せるは、
詳細を確かめる事なく、こくりと頷いてくれた。
白い死神は何も言わなかった。ただじっと僕達を見つめるだけだ。
しかし、レムは僕が何を決意し、何をしようとしているのか悟ったらしい。


「夜神月…本気か?」


死神は表情豊かではない。しかし、そんな死神でも目に見えて驚愕したとわかる表情を浮かべて、レムは僕に問いかけていた。


2025.11.26