第101話
6.明日からの話みんなのしあわせ

この世界に生まれて早十数年。
未来に生きて来た20xxを遡り、1986年に生まれてしまったというだけで、普通の輪廻転生でない事には気が付けた。
しかし夜神月という珍しすぎる名前の幼馴染が出来て、私はここが物語の世界の中であると知れたのだった。
自分がただの名のないモブなのか。それとも登場人物の成り代わりなのか。
どんな立ち位置にいるかも全く分からず、身の振り方にいつも少なからず迷いが生じてた。
例え正しい行いをしていても、自分がやる事成す事全てが間違えている気がして、心のどこかでいつどこか居心地が悪く思ってた。
けれど、前世で開かなかった物語を今さら知る事は出来ない。後悔先に立たず。
私をそんなジレンマから救い出してくれたのが、天使様だった。

『もう少しで、今度こそ全部が終わるわ。…そこで最後に、あなたにやってもらう事がある。とてもとても重要なことよ』

キラである火口さんが捕まる直前。天使様はこの物語がもう終盤に差し掛かってるのだと教えてくれた。
その直後監禁が解かれた事からしても、嘘ではないと思えた。
私は物語の中のどんな立ち位置にいるかもわからない…やるべき事があるのかも知らない…
ただ無知のままでいればいいのだと。
そんな私にも、役割があるらしい。天使様は初めて、私に明確な行動を取るように指示してきた。
それにプレッシャーを感じなかったといえば嘘になる。高揚を覚えたのも確かだ。
けれど一番に感じたのは…喜びだ。
もしかしたら、この物語の中の何者でもなかったのかもしれない自分が、いよいよ役立てる時が来るのかもしれない…
それだけじゃない。大切な天使様のお願いを叶えてあげられること…──それに対して、紛れもなく私は歓喜を覚えていた。

「……うん、なんでも言って。わたし、役に立ちたい」


私を産んでくれたお父さん、お母さんですら解消させることは出来なかった悩み。
大好きな月くんですら癒しきれなかった孤独感。
それを解き放ってくれた救いの天使様のお願いだ。…何よりも、もう彼女は私の友達なのだから。なんでも聞いてあげたい。
けれどこの局面で出て来る「やってもらうこと」というものがそう単純であるはずがないだろう。
なんでもとは言ったけれど、果たして私に出来る事なのか…
ぎゅっと拳を握って、どきどきとしながら天使様の言葉を待った。すると、彼女がルーズリーフに書き綴ったのは、意外なものだった。
ルーズリーフを受け取って、何度も読み返す。そうした所で、内容が変わる訳でもないのに。


「私以外の人に、姿を見せるの…? 」


ルーズリーフに書き綴られていた文字を思わず復唱すると、こくりと頷かれた。
天使様は優しいけど厳格な人だ。そして私と同じく物語に介入する事の重みを理解して、気をつけて生きていると節々から感じる。そんな天使様が、物語が終盤に差し掛かったタイミングでこんな事を…。
が物語のキャラクターなのか否かは勿論として、"天使様"自身が所謂成り変わりという存在なのかも聞いていない。
それによって、誰かの前に姿を表す事の意味合いが違ってくるだろう。
…それすらも物語通りの展開ならいいんだけど…。

物語を壊す事を酷く恐れてる私に対して、知識のある天使様が全ての積み重ねを無に還すような事をするはずがない。
まだ物語は終ってはいない。依然私は知識を持たない方がいい立場のままなのだろう。
だから、詳細は問えなかったし…知らなくても、結局私は実行するのだろう。
けれど最低限、これだけは事前に聞かせてもらおうと思った。

「……ちなみに、誰に姿を見せるつもりなの? 」

もしかしたらヨツバの潜入捜査の面接の時のように事前指導もさせてもらえず、何も知らぬままぶっつけ本番…という可能性も脳裏に過った。
けれど天使様は意外にもさらさらとペンを走らせ、すぐに答えを教えてくれた。


『夜神月よ』
「え、月くん、……主人公に、今…?」

これには驚かされた。相手が月くんであったことも、姿を見せるのが今である事も。
家族以上に仲良くしている…信頼できる月くん相手であっても明かしてはいけないと言われてきた天使様の存在。
きっと天界の掟か何か…もしくは物語を壊すような支障が出てくるのだと思ってた。
私が何も言えず、ただ黙りこくっていると、その沈黙の意図を汲んで天使様がまたペンを走らせる。


『疑問がたくさんあるでしょうね』
「 …うん、でも…聞いていいのかわからなくて…」
『知識がない事が、武器になるのだと教えたものね』
「…私が深く知ると、物語が破綻しちゃうかもしれないのに…ただ気になるからって、好奇心で聞きたくなってる…。…こんなの、駄目だよね」

天使様は何も意地悪で情報制限をしている訳ではない。身を守るため、物語を守るため。
理性的に行動している。一方で私はといえば、ただ知的好奇心から真相を知りたいと願ってしまっている。
そんな自分が情けなく、恥ずかしくなる。
思わず背中を丸めると、天使様は再びペンを持ち、ハッキリとこう否定した。

『本来あなたは問う権利、知る資格があるのよ。抱いて当然の感情だわ。…それを止めてるのは、全部あたしの勝手のせい。あなたに酷い事をしてごめんなさい』
「そ、そんな…ちがう…それは私の望みでもあるんだよ…!そんな風に言わないで…」

天使様はルーズリーフを手渡しながら、深く頭を下げて謝罪してきた。
読み終わえたルーズリーフを抱えながら、天使様の腕に手をそえて言葉を重ねた。
天使様には、こうして触れることができる。けれど肉体というものは存在しない。
口角を上げたり、涙を流すこともできる。けれど人間ほど表情筋は豊かではなく、
ほんの少しの機微を感じ取ることはできない。けれど…ずっと一緒にいたからだろうか。
天使様が情緒豊かなひとだからか。私には、今の天使様が落ち込んでいることが伝わってきた。
酷いことなんてされてない。そんな風に思って、自分を責めてほしくない…
そんな願いが伝わったのか、彼女はこくりと頷いてくれた。
彼女は私の腕の中にあるルーズリーフを再び受け取ると、ペンを取り、文字を通してこう伝えてきてくれた。


『私があなたを天使のように無垢と言った時、否定したけど…今私は改めて、あなたをうつくしいと感じたわ』
「……どうして、そう思うの?」

彼女はお世辞なんて言わない。いつだって毅然としていて、高貴なお姫様のようだと感じたことも何度もある。
きっとそんなひとは、他人の機嫌を取るように媚びることはないのだろう。
だから、これは彼女の本心。それは疑っていない。けれどどうしてここまで私が大それた評価を受ける事になったのか、その理由がわからなかった。
『理由は一つではないけれど、強いていうなら…』と前置きしてから、彼女はこう書き綴った。


『あなたは愛する人のために、自分の命を捨てられる人間だからよ』

私は驚いて、言葉が出なかった。
…そんな事できるはずがない。私は物語に出てくるような救世主じゃないし、博愛の精神を持った人ではない。
平凡な人間であるのだと、自己卑下でもなんでもなく、ただ自覚している。

「…竜崎くんとのやり取りも、見てたよね…?私、自分の命を捨てられるなんて思えないよ…」

自分の命と引き換えに、愛する人を助ける。それは映画や漫画の中ではあり触れた展開で、
物語のキャラクターはいつだって惜しげもなくその選択を取る。
実際、フィクションではない現実でも…わが身を犠牲にして誰かを助ける事はあるだろう。
けれど、万人ができる事ではない。
季節は日々巡っていて、日々冬の訪れが近づいているのを感じている。
暖房もいれず、床に座っていた私は、底冷えする冷気に体を冷やされていた。
けれど、手足が冷たく感じられるのは、それだけが理由ではないのだろう。
結局のところ、私は英雄にはなれない…物語のキャラクターにはなれない。
やっぱり何者にもなれない──
そういう仄暗い思考を、天使様は見透かしているかのようだった。私のその憂いを、天使様はたった一言で晴らす。

『あなたは過去…幼い頃に…その命を他人のために捨てたはずよ』

思わず、息を呑んだ。天使様が私の過去の人生…いつを振り返って、どのシーンを指してそう言ってのるか、すぐに理解できた。
そして、もしかして…と、一つの可能性にたどり着く。
人の理でいきていない存在…天使様はきっといつもは"天界"にいて、人の営みを見守っているのだろうと漠然と思っていた。
きっと、その想像は正しかった。

「…もしかして、天使様…私のこと…ずっと昔から…見守ってくれてたの…?」

彼女は文字に記すことなく、こくりと頷く事で答えた。

『夜神月のために命を捨てようと行動したのを"見た"瞬間…私はあなたを善人と認めた…いえ、善人なんて言葉では足りない。人のために命を捨てられる人間は、聖人と言っても差し支えないはず』

幼い頃、月くんと共に誘拐されたあの時…あの男の人は、確実に私と月くん、どちらかを選び、順々に殺していくつもりだとわかってた。
でも、主人公を殺すわけにいかない。
あの時は、もしかしたら私はモブAで、月くんが刑事になりたいと強く志すきっかけになる「犠牲になった幼馴染」であるのかもしれない…とも思っていたし…
結局月くんのためを思ってではなくて、物語を壊したくないという打算のため…
…でも、天使様があまりにも真っ直ぐ私の目をみるから。澄んだ目で訴えてくるから。
私は素直に受け止めることができた。

どんな理由であれ、偽善であれ打算であれ…確かに私はあの時、「他人のために命を捨てた」。結果的に、あの男の人は自首することを選んで、事なきを得たけど…
あの人の心変わりがなければ、私は死んでいておかしくなかったのだから。

「……ありがとう…」

あの時の私は死んで生まれ変わったばかりで、死生観が今よりも狂っていた。
どうせ死んでも、きっと来世があるだろう。そんな楽観的な考えもあったからこそ、あんな行動を取れたのだろうと思う。
それでも…十数年越しに、私の行動を認められて。涙が出るほど嬉しかった。
天使様が認めてくれた私の「無垢」さのために、物語は変化したのだという。
それは破綻ではなく、救済なのだと──
私がいつ、どこで。物語の中の誰を救ったのか。その過程も何も知らなくていい。
私は堂々と、役割を全うしよう。
今までずっとそうしてきたからこそ、万事うまくいってきた。
これからだってそう…


「…それで…姿を見せたあと、どうするの…?私がやる事ってあるのかな?…あ、知らない方がいいなら、ぶっつけ本番でも、それでいいんだけど…」


竜崎くんにそうされたように、ぶっつけ本番でやれと言われても文句は言わない。
月くんに天使様の姿を見られて、一体どういう事だと問い詰められても、私はどう説明したらいいのかわからない。
「天界からやってきた天使様だよ」と言って、あの月くんが納得してくれるかどうか…。
そういう意味では、「よくはない」。本音を言えば、一から十まで説明や指導がほしい。
そんな私の複雑な表情は顔に出ていたのだろう。天使様は目元を和らげて、笑っている様子だった。
分かりやすい自分が恥ずかしくなって、思わず縮こまった。
こんな風だから、竜崎くんにだって演技ができないと言われて、演技指導をするのも無駄と言われてしまったのだから。
つくづく…この物語の世界で生きるのが難しい性格をしていると思う。
知識がない事を悔やんでいたけど、今振り返ってみれば…案外それでよかったのかもしれない。
天使様が答えを記したルーズリーフを私に向けて見せると、私は思わず目を瞬かせてしまった。

『有智の転生者は、よく預言者…なんて呼ばれたりするわよね』
「う、うん…?そうだね。物語のセオリーというか…」

未来を見通す発言を繰り返し、キャラクター達を驚かせる。そして転生者は預言者であるから見通せるのだと言い訳をする…或いは、周囲がそういう風に勝手に納得する。
それが転生物語の王道だ。
あまりに脈絡なく言われたので、少しぎこちない返事をしてしまった。

『実はあたしは…物語の知識を知るだけでなく…実際に、預言の力を持って生まれたの』

そう書かれたルーズリーフを見て、私は思わず目を輝かせた。
手で口元を覆ってわなわなと震え…しかし感情を抑えきれず、天使様に抱き着いてしまった。

「天使様、すごいっ!」

天使様の体は人のようにはできていない、体温もない…けれど、私を抱き留めるように回された腕は優しく、大事にしてくれる事が肌で実感できる。
正直に言うなら…抱き心地はよくないし、天使様はとても背が高くて、抱き着くのも大変だ。

「天使様はなんでもできちゃうんだね!頭もいいし、綺麗だし、特別な力まであるなんて…」

けれど、それが何だというのだろう。困った子供を相手するようにして、私の頭を撫でる彼女の手は、慈しみに溢れている。
彼女はひとしきり私の髪を撫でた後、ポンポンと肩を叩いて、離すように合図してきた。
そして再びペンを手に取り、こう伝えてきた。


『……私が夜神月に姿を見せようと思ったのは…あえてこう言うわ。…"救済"のためよ。この物語の中に、本来なかった救済の展開を作り上げる事、それがあたしの願いだから…。…それに加えて…』
「…なあに?」
『あなたのため。あたしは貴方にしあわせになってもらいたいの』


天使様の澄んだ瞳で見つめられ、真っすぐ告げられると…、胸が暖かくなった。
嬉しくて、自然と私の顔は綻んでいた。

「私、もう十分幸せだよ?」
『…わかってる。でも、遠い遠い未来でも…永遠に幸せになってもらいたいと願う。…これが…きっと愛なのよね』

私は再び天使様を抱きしめて、頬ずりした。

「……私、やるよ…。私の幸せのためじゃない。…天使様のために…だって、私だって天使様に幸せになってもらいたいんだから…」

──天使様の願いを叶えたいの。
そう言うと、天使様は再び私を抱きしめた。──ぽたり。
温かい何か私の頬に伝い落ちた。…これは私の涙ではない。きっと私を抱きしめた天使様から零れ出た美しい雫…
暫くの間、私達はそうしていた。お互いの愛情を、触れ合う事で伝え合って…

「天使様、ふふ…っ、もう苦しい」

痛いほどに抱きしめてくるものだから、笑ってしまった。
ごめんね、と謝るように私の背中を撫でてから天使様は私を解放した。
言葉がなくても…彼女の想いは伝わる。
彼女は、ペンを取り、私の問いへの答えをルーズリーフに記した。


『あなたにやってもらう事は、勿論あるわ』
「それは、なに?」
『…あたしの"予言"を、夜神月に伝える事』

それを聞いて、驚かなかった訳ではない。天使様は物語に本来ない救済が願いだと言っていた。
…物語のセオリー。正義は…主人公はほとんどの場合最後には勝つけれど…死をもって成熟することも少なくない。
…もしかして──。脳裏に過った可能性を振り払って、「なにも考えないように」私は務めた。
そして、すぐに笑顔で彼女に応える。

「…伝えるよ。必ず…」

皆で幸せになろううね。
そう言って彼女の手を取ると…天使様は目元をまた和らげた。救済を願い、幸せを語らい笑ってくれてる彼女は、やっぱり心優しい"天使様"なのだ。
彼女の言う通り動く事に異論はない。けれど…


「でも、月くん…捜査本部から離れるつもりないみたい…」

月くんは正義感が強い人だ。そして、立ち回りが上手く、対人関係において角を立てず円滑にすごす術を知っている。
そんな月くんは、学校という閉鎖空間で起るいじめは見過ごせず、かと言って体を張って助けたりはしなかったけど…
月くんの"やり方"で、いじめという行動を無くしすよう動いていた。
小学生のうちは、"いじめはかっこ悪い"という風潮を蔓延させ、いじめっ子を沈めた。
大人になるにつれて、いじめる事で起り得るリスクをやんわりと提示して、行動できないよう抑制させていた。
ようするに…火口さんが捕まった事で解散しなかったキラ捜査本部には、まだ解決すべき問題が残ってる。
監視や容疑が解かれたからと言って、自宅に帰るような月くんではない。
私と離れるのが辛いと何度も甘えてきたけれど、義務を放棄する程、色恋に溺れる性格はしていないのだ。

「エントランスに行って、立ち話くらいは出来ると思う…でも、そこで姿をみせて、天使様の事や予言について話すのは…」

あの建物には、監視カメラが死角が殆どないくらいについているのは、天使様も知っているはず。
おずおずと天使様を伺い見ると、問題ないとでも言いたげに首を緩く振っていた。

『あなたはこう言えばいいの。大事な話があるから、家に来て話せない?…と』
「え…!?う、うちに来てもらうの…?」

ぎょっとしてしまったのは、勿論家に呼ぶのが嫌だからではない。
本部の近くの喫茶店にでも短時間入るくらいならまだ許容範囲内かな…なんて考えていたのに、本部からそれなりに離れた自宅にまで招くなんて、そんな発想なかったからだ。
月くんが、そんな我儘に頷いてくれるだろうか。

『あなたは、滅多にわがままなんて言わないじゃないの。夜神月なら、嬉しいと思うはずよ。可愛い彼女のお願いなのだから…』
「…そう、かなあ…」
『…でも、そうね…今捜査本部はピリついてるでしょうから…夜神月も少し"身構える"かもしれないわね』

身構える…天使様が記したその文字の意味がピンとこなくて、思わず首を傾げて沈黙してしまった。
そんな私に対して、こう補足する。

『キラに関する捜査に大きな進展があり、しかしまだ解決はみていない…そんな時、大事な話があるとあなたが呼び出せば、嬉しいと思う反面、「何か重大な事が起こったのかもしれない」と考えるはずだから』
「ああ、そっか…そうだよね…」

私は一応、第二のキラ容疑で監禁軟禁された身だ。自分が無実である事は私自身が一番よくわかっているし、月くんも信じてくれていると思う。
けれど…多分…第二のキラ…もしくはキラ…とにかく、主人公たちの「敵」に、「陥れられた」のではないかと私は受け止めていた。
私が物語の中の登場人物であろうと、そうでなかろうと。主人公の身近な存在である事には変わりなく、主人公を窮地に陥れるにはうってつけの、いいカモだっただろうから。
そんな私が、大事な話があると言って呼び出す…月くんは、久しぶりに二人きりになれる事を喜んでくれるかも。
それと同時に、緊張する…それは簡単に想像することができた。


『夜神月を困らせたくない?』
「…うん、でも…これは結果的は、皆にとっての幸せに繋がること…なんだよね。それなら…私、やるよ」
『…ありがとう。…今から、出られるかしら?』
「今から?…うん。ちょっと待ってもらえたら…支度するから」

天使様は私がやると頷くと、すぐにさらさらと書き綴った。
…今から。そう言われると、少し身構える。天使様が言うからには、きっと今である必要性があるのだろう。

久しぶりに開けたクローゼットには、年相応の洋服やバックなどが収納してあった。
前世でも人並には気を付けていたけど…今世では、夜神月という文武両道、眉目秀麗な男の子の幼馴染になった事もあって、人並以上に身だしなみには気を遣っていた。
幸いといっていいのか分からないけど、今世の私の容姿は整っているらしい。
月くんの幼馴染として生まれたからこそなのかな?なんて思ってる。
という事で、適当な服やメイクでもそれなりには見えるのだろうけど…
月くんと付き合う、という事になってからは特に、月くんに釣り合うように心掛けていた。


「…これにしよう」

今から出かけるのは、デートのためではない。きっと月くんは、天使様がいうように身構える。
それでも、大好きな月くんの所に向かうのだ。それなりの身だしなみで会いにいきたい。
だから、月くんにもらったバックやイヤリング。月くんが可愛いと褒めてくれたワンピースにパンプス。
まるで恋をする女の子みたいな行動…──いや、みたいではなく、正真正銘、私は月くんに恋をしてる──だからこそ、私はここで手を抜けなかった。

それでも、前世・今世合わせた経験値はそれなりで、メイクにも場に合わせた服選びも、さして時間はかからなかった。
天使様はそんな様子を微笑まそうに見守っていた。
天使様が女の子だからこそあけっぴろげにすごしているけれど、男の子の天使様だったらこうはいかなかっただろう。…もし男の子だったら、どうしてたんだろう?
…いや、そんな事よりも…。
支度を支度を終えた私はくるりと天使様の方を振り返り、ふと思いついた事を問いかけた。


「ねえ、天使様は…姿を見せたいの?存在を知ってほしいの?」
『そうね。あたしという存在を知ってほしいわ』
「…それって、あのノートに触れてもらう…ってことだよね」
『そうよ。あのノートに触ったものだけが、あたしの姿を認知することができるのだから』

私が意味を含んだ問いかけを続けると、敏い天使様はすぐに私が尻込みしている理由を見抜いた。

「……月くんなら、天使様がいるって言ったら、それだけできっと信じてくれるよ…?」
『そうかもしれないわね。でもあなたがノートを見せたくないのは、別の理由でしょう?』
「……」
『恥ずかしくないわよ。…むしろ誇っていいわ』
「……そう思う?重くないかなあ…?」
『そもそも、アレを望んだのは夜神月よ。喜ばないなら、どうなるというの?』
「…そう、だよね。でもやっぱり、ちょっと恥ずかしいな…」

大事に保管しているあのノートには、私が書き留め続けたとあるものがノートの大半を占拠している。
けれど天使様も言った通り、元を辿れば月くんの言葉がきっかけで書き留め始めたものだし、天使様がそこまで断言してくれるなら、信じていいだろう。
部屋の扉を開けて、階段を下りる。
「ちょっと出かけてくるね、すぐ戻るから」とリビングにいるお母さんに声をかけてから、私は天使様と一緒に家を出た。

「……本部って、どこにあったっけ…?」

最寄駅はわかる。けれどあそこは商業施設でもないし、企業ビルでもない。
そしてただのマンションではないし…
いずれにせよ、スマホという文明の利器にならされた私は、いつもどこかで慢心してしまう。
調べればすぐわかるだろうと。仮にスマホがあったとして、アプリに何と入力すればあのビルにたどり着つけるのかわからなかった。
出かけた時はいつも松田さん、模木さんの車で送迎されてたし…
ぼうっと景色なんて眺めてないで、もっと位置関係に関心を持っていればよかった。
天使様の手助けもあり、私は倍以上の余計な時間をかけつつ、ようやっと数か月住み続けたあのビルへとたどり着いたのだった。

「えーと…どうしよう」

エントランスに入るのは容易い。けれどそこから、どうやって入ったらいいかわからなくて困った。
いつも誰かの付き添いの元出入りしていたのだから。
本部の皆は、携帯に電源を入れていない。マネージャー用の携帯は常に電源を入れてると言ってたし、模木さんに電話をかけてみようか…
…とりあえずは、考えている間にも誰かが気が付いてくれる事を祈って、監視カメラに向けて笑顔で手を振っておいた。
けれど、暫くしても何の音沙汰もない。
気が付いてないのかもしれない…けれど、監視カメラがある中で、背後にいる天使様にどうしようと尋ねる事も目配せすることも出来ず、ただ立ち尽くした。

「……だめかも」

普通のマンションではないのだから、インターホンを鳴らした後のようにスピーカーから応答がある訳でもない。
やろうと思えばやる機能は備わっているのだろうけど、捜査本部の体質上、そういう事はしない気がする。
やっぱり模木さんに電話するしかないかな…。バックから携帯を取り出そうと口を開いて手を差し入れた所。


「……

セキュリティが解除された音がして顔を上げると、扉が開いた先に…月くんが立っていた。

「月くん、久しぶり…」

忙しくしているのだろうけど、やつれた様子もない。それにホッとして、自然と笑顔が浮かんだ。
けれど月くんの表情は反対にぎこちなくて…。…いつもの月くんだったら、すぐに抱きしめてきそうなものだけど…
特にそういった素振りも見せず、一定の距離感を保ったまま、私を見つめていた。

「…。どうしたんだ?」


……ぎこちない。天使様のいう通りだ。月くんは突然の来訪に、明らかに身構えてる。
それは長年傍にいたからこそ気付けるレベルの違和感だったと思う。
月くんは、人当たりよく繕うのがとても上手だから。人に不快感を与えないように、公平に接する人だった。

「あのね…大事な話があるの」


…この一言を言うと、余計にそんな月くんが警戒する。そうと分かっていても、告げない事には始まらない。

「…どうしたんだ、そんな改まって」


意を決して言うと、予想通り、月くんの警戒が高まったのを肌で感じた。
いつも好意だけを向けてくれた月くんに、こういう風にピリついた空気を向けられるのは、少し堪える。
…きっと、詳しい事を話せば話すほど、月くんは身構えて、私に優しい顔を向けてくれなくなる…
いつも柔らかい声はきっと強張って、私はその度、落ち込むのだろう。
月くんは私が嫌いでそうする訳ではない、そうと分かっていても、理屈ではない。
月くんを見上げながら、探り探りに問いかけてみた。


「……月くんは、幽霊とか、しんじる?」
「…さあ、どうだろう、みたことないからな…」

天使様が私にやってほしい事。月くんに告げてほしい言葉。それはもう聞いてる。
けれど、月くんを家に連れていき、"本題"を口にするまでの前置きなどの台本が用意されてる訳もなく…全てが私の采配次第。
出来るだけ、月くんに警戒されたくない。月くんに優しくされたい…
それでも、どんな言葉を選べば、月くんが受け入れやすいように伝えられるのか…
私にはわからなかった。


「……天使がいるって言ったら、信じてくれる?」

だから、拙いながらも、伝えるべき事だけをただ伝えた。
そうしたら──

「……、」

月くんは、ついに黙りこくってしまった。顔色がよくないように見えるのは、私の思い込みのせいなのかわからない。
今私は月くんの感情の機微に敏感になっていて、少しの事が気になる。
キラ捜査本部にとって大事な今、このタイミングであること。
それに、天使なんて…俄かには信じがたい話題を投げかける事も、不安の種だ。
信頼は十分に積み重ねてきた。「何を馬鹿なことを言ってるんだ」と嘲笑されるような関係性は築いてない。
けれど、信頼できる相手だからといって、すぐに信じられるような内容ではない──
それでも…今は信じてもらえなくても。私は月くんを、本部から連れ出さなければならない。
ぐっと拳を握って自分を鼓舞しながら、月くんに必死に話しかけた。

「…月くん。私のうちに…きてくれない?捜査本部から離れられないのも、勿論分かってるんだけど…」

それなのに、大事な話がある、天使を信じる?なんて言って連れ出そうとしている…
それが傍目からみればどれだけ非常識であるかも、自覚してる。
でも…お願い。月くん、頷いて…。
物語は佳境を迎え、終わりは近い。天使様のいう救済を叶えるためには、月くんが頷いてくれないと…。
私のその必死さが伝わったのだろうか。月くんは少しぎこちないけれど、笑みを浮かべながら頷いてくれた。

「…いや。捜査を進めなきゃいけないのは勿論だけど…今は一分一秒を争う状況ってわけじゃないんだ。僕の監視も解かれてるし、行けるよ。…ちょっと、竜崎に報告して、荷物だけ取ってくる」
「うん…ありがとう…。…ここで待ってるね」

ホッと胸を撫でおろして、セキュリティを解除しエレベーターへと消えていく月くんの背中を見送った。
月くんが出てきてくれたという事は、捜査本部のみんなも私の来訪に気が付いているだろう。
顔を見に来ただけでなく、貴重な戦力である月くんを連れ出そうとするなんて…
色恋に現を抜かす女だと、呆れられるかもしれない。
なまじ前世からの積み重ねがあるわけではない。万人の顔色を伺って生きるほど精神的に弱くはないはずだけど、人並みには悪意に対する忌避感ある。
少し気落ちしながら、月くんが戻ってくるのを待った。


2025.11.24