海辺のお姫様の足跡
0.幼少期─第一章
少し暖かすぎる、蒸し暑いとも言える空気が肌にぶつかる。
日差しも強くて、ああ夏が来たんだなあ…と季節の実感を感じた。…夏かあ。はばたき市にはなんとなく夏が一番似合う気がする。
その理由はとても単純なのたけど…。
「あつい…でも、いい所だなあ…」
今まで幼稚園と小学校の行き来くらいしかまともにしたことがなくて、ただの町並みが新鮮に見える気がする。
うちの母親は子供を外で遊びに連れてって豊かに育てようというよりも、自立した子供になって欲しいみたいだから基本私を放任してる。
そう思うと、生まれた時から自立してるようなモノである私を受け入れてくれたのも、
母親が求めるモノと私の性格が一致していたからなのかも。
無邪気な子供を望んで居たのなら、多分もう少し親子間での距離が出来たかもしれない。子供らしくなくて不気味という意味で。
…でも…
「流石に小学生がバイトの下見っていうのは…」
気が早いマセた子供、というより頭が働きすぎて、客観的に見ると自分でも怖い。子供のように将来ケーキ屋さんで働きたい〜!とべったりとガラスに張り付くでもなく、
ふら〜っと品定めしているような状況はちょっとな…。
でも実際、知ってる限りで楽器屋さんやケーキ屋さんや花屋さん、ざっとこのくらいは行ってみたけど。どうもしっくり来ない。
繁華街の喧騒から離れて、臨海地区まで歩いてみる。目的も無く歩いてるだけだったんだけど少し静かで落ち着けたかな。
「甘い物はそこまで得意じゃないし、楽器もさっぱりだし、花にも詳しくないし…ううん」
そうなるとどうしたモノか。甘い物には馴染みがない。というか病院食が基本だったし。
楽器なんてやる余裕もない。従ってあんまり興味もわかなった。花は…お見舞いの花はたまーに頂いてたけども。
だからこそちょっといい印象ないや…。元気になってね、と見舞いで頂くお花も、治るはずが無いと悟っていたからいつも心苦しくて、その心の重みが残ってて。
甘い物は取れないと諦めた気持ちと、馴染みの無い舌触りが今でもどうも…ううん。
ここら辺はまた保留だな。
…とりあえず
「海に、行ってみようかな」
せっかくはばたき市に居て、近く歩いて行ける範囲で海があって。前の生ではとてもじゃないけど行けなかった海。
もっと色んなモノを見てみたかった、とかは思ったことないかもしれないけど。テレビを見てるだけで色んなことを満足しちゃう人間だったから。日中はぼーっと空想してるだけで時間が潰れてたし。
でもせっかくなら生で見てみたいと思うしね。潮の香りってどんな感じなんだろう。
風がべたつくって本当なのかな?
繁華街、臨海地区、と渡歩くだけでも少し小学生の身体は疲れてしまうんだけど。うん。
「んーと、ここからどう行けばいいんだろ…」
海が見えたらそのまま山で小川を見つけたらそれを下って下山する、みたいに、海伝いで行きたかったんだけど…見つからない。影も形もない。
というかここはどこ…?見れば少し低めのビルが雑多に並んでいるオフィス街、って感じで、臨海地区らしい緑があまり見当たらない…。
曲がっても行き止まり。戻ってもまたオフィス街。そして少し閑散として雰囲気さえもある。
地図が載った看板を置いてくれる程の賑わった地区にも、駅が近い場所にも思えないし…
交番もない。…あれ…それに、私はどこから来たんだろう…
…あれれ、もしかして…こ、これは…
「ま、迷子」
……どうしよう!人生初だ…!前の時はそもそも出かけることも、ましてや一人歩きなんてこともしたことなかったから、こんな時どうしたらいいか分からないかもしれない…。
小学校と幼稚園までの道のりと、ある程度の電車の乗り方は覚えた。母親は勿論そんなこと進んで教えてくれなかったから駅員さんに聞いたりそれはもう優しく助けていただいて。
でも…これは…正真正銘の、帰り方が分からない小さな迷子…
精神年齢があるばっかりに、大人に助けても言えないし泣くことも出来ない。
でも少し…いやかなり不安でじんわりと涙が出そうではあるし、顔も酷く青白いとは思う。
…道を聞こうにも、たまに通りすがる大人達は忙しそうな社会人達がほとんどで、あんまり聞きやすい雰囲気じゃない…
八方塞。選り好みしないで道を尋ねるべきなんだろうなあって思うけど、こんな時でも口下手と会話0スキルが邪魔をする。
そうしてうろちょろと暫く歩き回って、少しだけ何かの小さなお店が密集してきた地区に来て、どれくらい経っただろう。
「どうしたのかな、お嬢さん」
渋いけど、優しそうな声が聞こえてぱっと振り返ってしまった。もしかして私に話かけたかも分からないのに、あまりにも人好きのする穏やかな声だったから思わず…。
でもその声の主は本当に私に話しかけていたみたいで、少し屈みながら優しい笑顔で私を見ている。
それを見て、なんとなくホッとした。私は前も今もおじいちゃん、っていう存在をあまり知らないんだけど…
少し年を感じる笑い皺と、微かにしゃがれた落ち着いた声がとても安心出来る。だから、一般的にいうおじいちゃんってこういうモノなのかなと感じさせられた。
「え、えと、あの…えっと…」
多分、ずっとうろちょろと不安げに歩き回っていた私を心配して、声をかけてくれたんだろう。だったらここぞとばかりに道を聞けばいいだけなのに、
スキル0が発動。…ああ…私って本当にダメだ…16と+何年かを生きていても、
ここまで培ったモノが少ない人間は私だけなんじゃないかと絶望さえする。
な、なんて言えばいいんだろう…あんまり下手な堅苦しい敬語を使っても、小学生としてはおかしいし、タメ口でいいの?失礼じゃない?
ああ、今時の小学生の大人との距離感が分からない…
でもおじいちゃん…というには少し若い彼はにこにこと穏やかに笑って頷いていてくれるモノだから、少し落ちついてなんとか拙くも言葉を紡げた。
「…道に、迷って、それで……」
「…そうですか。それで、お嬢さんは、どこに行きたかったのかな?」
「……う、海…」
「海?」
道に迷った、と言っても笑みを崩さなかったから、やっぱり迷子は悟られていたんだと思う。当たり前だけど少し恥ずかしい…。
中身は結構いい年なんだよ、分かってるの?私、情けない…うう…。
少し悩むように手を口元へ手繰り寄せたその人は、抱えていた小さな紙袋を持ち替えて、こちらへとゆっくり、ゆっくり手を差し出してまた笑いかけてくれた。
「僕でよかったら案内しよう。ちょうど、買い物も終わった所なんです。…さて、海のどこに案内しましょうか?」
「…え…えと…その…」
海のどこ、というよりも。ただ単に海が見てみたかった私は、「海、みたことないので、見てみたくて、」と正直に話すことにした。場所の目的もないし、単に遠目からでも見れればよかったし、どこそこへ、と言って辺鄙な場所まで案内してもらうのは気が引けたし。
…そして、なんとなく薄っすらと気がついていることがある。
本当は一目見たときからなんとなく、そして言葉を重ねるごとに確信していっていたのだけど…
「そうか…海は初めてですか。それなら、着いてきてごらん。…ああ、怪しい者じゃあありません。海の近くで喫茶店をしてる、ただの老いぼれです」
…珊瑚礁の…マスター…?
その制服らしき服装と、肌の色、髪色、声色から何もかもがデジャヴ。といっても実際会ったのは初めてなんだけど…知らない人な気がしない…。
凄く申し訳なく思いながらも、この人でよかったとホッとしてる自分が居る。
スキル0の自分は新たな環境だとか、知らない環境に凄く戸惑ってしまって、少しでも自分の馴染みを探して行く先やることを選ぶ癖があって。
それが悪循環なんだって分かってるけど…
優しいこの人でよかったと心から安心しながらも、凄く複雑な思いが…。
相手がとても優しいばっかりに、ちくちくと良心というべきか、どこかしらが痛くて仕方がない。プライバシーの侵害、本当にごめんなさい…う゛う。
「よ、よろしく、お願いします…」
「ああ、お嬢さんのお名前を教えてもらってもいいかな?」
「え…と…」
ああ、あかりちゃんと遊くんに次いで、この世界の象徴とも言える人に自己紹介するのはこの人が初めてだ。
「、です…」
そう簡潔に自己紹介してから、差し出された手を取った。小学生の自分が恥ずかしいからとか、年じゃないなんて突っぱねるのはおかしいし。
何より嫌じゃない。少し硬くて皺が刻みこまれてるその頑張った手は暖かくて、心地よかった。
喫茶珊瑚礁のマスター…。マスターは、他愛のない話をして、私の緊張をゆっくりと和らげてくれて、歩いて暫くもすれば肩の力も抜け気って、
自然と口から笑いがこぼれるようになって、穏やかに笑みを浮かべられるまでになった。
するとマスターも目を細めて笑ってくれる。
「よかった。元気になったみたいだね」
「あ、えと…はい。あの、楽しくて…」
「こんな老いぼれの話を楽しそうに聞いてくれてありがとう。僕もとても楽しかったです。…ああ、そろそろ海が見えてきたね」
「あ…」
マスターの言葉が少しむずがゆくて俯いていたけれども、その言葉で顔を上げると…
私の低い視線からでも輝く水面が見えた。少し赤く染まりかけてる空と、その赤を反射する輝く水平線。
波の音や、海が見えた瞬間途端に鼻をくすぐる潮の匂いも。確かに少しべたつくその風も、何もかも初めてだったけれど。
初めてじゃない景色。でも初めて感じる感覚と空間。夕焼けが真っ赤に燃える姿がこんなにも神秘的に見えたのは今が初めて。
窓辺から見る赤と、水面に映った赤の色はこんなにも違ってる。
「…綺麗……凄く…」
私にはその初めてが、とても愛しい。命の尊さが分かると、その命を育む自然や水の一滴さえも神聖な物に思えてくる。
命は死を迎えれば次の旅に出る。まっさらになって、無意識の渦中で前世背負った物を背に乗せながら、また新たな道を行く。
私の場合は背負った物を覚えているから純粋にはなり切れないけれど…
その前世が、殆ど物知らないで生きてきたから、初めてを純粋に新鮮に感じたり驚いたりは出来る。テレビの中にしかなかった物がリアルになる。
…これがゲームの世界の中だけの作り物だなんて思えない。"ただのゲーム"が、こんなにリアルに風の匂いや潮にべたつき、波打つ音さえも作りだせるの?
こんなに感動する、肌にぶつかる冷たさも小さな飛沫さえも再現できるのかな。
それは答えは一つ…
「…どうして泣いてるの?」
「…え…」
…私、泣いてる?と頬に伝った物を自覚した瞬間のことだった。
海に見とれて放心していた私は、近くに小さな男の子が近づいて居たことに気がつかなくて、尚且つ涙を指摘されたらしきことを自覚してから、
大慌てしてしまった。
見れば私よりも幾分か小さく見える男の子。…は、恥ずかしい…身体はともかく中身はいい年なはずなのに、こんな人前でみっともなく泣くなんて…
ごしっと涙を拭って、なんでもないように笑いかける。
「…海がね、凄く綺麗だったから」
そうして涙で歪んだ視界がさっぱりとクリアになって。男の子をしっかりと見つめて笑いかけた瞬間。その笑顔のまま私は固まってしまった。
「ああ、瑛。こんな時間まで独りで、駄目じゃないか」
「…ごめんなさい…でも」
「さあ、入った入った。…お嬢さんも、もう遅い。送っていく…と言いたい所だけれど。身体がとても冷えてるね。よかったら、中で温かなお茶でも飲んで行きなさい」
……この髪色と肌色…目元や輪郭がそっくりの二人…成長したらこんな感じ?と思ってしまう感覚…そしてマスターが呼んだ名前…
て、瑛…?喫茶珊瑚礁…?えっと…
……うん…。
…いや…海に行きたいなあとは思った。はばたき市といえば夏が似合う、と印象付けたあの時も、実はこの子のことを思い浮かべてて…。はばたき市の中の一番の象徴といえば…って感じでね…?
そう、海といえばこの子。この子といえば…
「…あ、ありがとう…ございます…」
人魚姫。さっきの聞き覚えのある印象的な言葉にドキッとしてしまったけど、あかりちゃんとこの子、瑛くんは…
自分の本物の人魚姫に、会えたんだろうか。
私はマスターと、そして「孫の瑛です。仲良くしてやってください」とご紹介してくださった瑛くんと、海の灯台近くに構えられてるお洒落な概観をした喫茶店に招き入れられて、
もうどうせならコーヒーを味わってやりたいと開き直って、懐から財布を取り出して、「おすすめのコーヒーを頂けませんか」と主張してみたりした。
開き直った女は順応性が高いのでしょうか。
0.幼少期─第一章
少し暖かすぎる、蒸し暑いとも言える空気が肌にぶつかる。
日差しも強くて、ああ夏が来たんだなあ…と季節の実感を感じた。…夏かあ。はばたき市にはなんとなく夏が一番似合う気がする。
その理由はとても単純なのたけど…。
「あつい…でも、いい所だなあ…」
今まで幼稚園と小学校の行き来くらいしかまともにしたことがなくて、ただの町並みが新鮮に見える気がする。
うちの母親は子供を外で遊びに連れてって豊かに育てようというよりも、自立した子供になって欲しいみたいだから基本私を放任してる。
そう思うと、生まれた時から自立してるようなモノである私を受け入れてくれたのも、
母親が求めるモノと私の性格が一致していたからなのかも。
無邪気な子供を望んで居たのなら、多分もう少し親子間での距離が出来たかもしれない。子供らしくなくて不気味という意味で。
…でも…
「流石に小学生がバイトの下見っていうのは…」
気が早いマセた子供、というより頭が働きすぎて、客観的に見ると自分でも怖い。子供のように将来ケーキ屋さんで働きたい〜!とべったりとガラスに張り付くでもなく、
ふら〜っと品定めしているような状況はちょっとな…。
でも実際、知ってる限りで楽器屋さんやケーキ屋さんや花屋さん、ざっとこのくらいは行ってみたけど。どうもしっくり来ない。
繁華街の喧騒から離れて、臨海地区まで歩いてみる。目的も無く歩いてるだけだったんだけど少し静かで落ち着けたかな。
「甘い物はそこまで得意じゃないし、楽器もさっぱりだし、花にも詳しくないし…ううん」
そうなるとどうしたモノか。甘い物には馴染みがない。というか病院食が基本だったし。
楽器なんてやる余裕もない。従ってあんまり興味もわかなった。花は…お見舞いの花はたまーに頂いてたけども。
だからこそちょっといい印象ないや…。元気になってね、と見舞いで頂くお花も、治るはずが無いと悟っていたからいつも心苦しくて、その心の重みが残ってて。
甘い物は取れないと諦めた気持ちと、馴染みの無い舌触りが今でもどうも…ううん。
ここら辺はまた保留だな。
…とりあえず
「海に、行ってみようかな」
せっかくはばたき市に居て、近く歩いて行ける範囲で海があって。前の生ではとてもじゃないけど行けなかった海。
もっと色んなモノを見てみたかった、とかは思ったことないかもしれないけど。テレビを見てるだけで色んなことを満足しちゃう人間だったから。日中はぼーっと空想してるだけで時間が潰れてたし。
でもせっかくなら生で見てみたいと思うしね。潮の香りってどんな感じなんだろう。
風がべたつくって本当なのかな?
繁華街、臨海地区、と渡歩くだけでも少し小学生の身体は疲れてしまうんだけど。うん。
「んーと、ここからどう行けばいいんだろ…」
海が見えたらそのまま山で小川を見つけたらそれを下って下山する、みたいに、海伝いで行きたかったんだけど…見つからない。影も形もない。
というかここはどこ…?見れば少し低めのビルが雑多に並んでいるオフィス街、って感じで、臨海地区らしい緑があまり見当たらない…。
曲がっても行き止まり。戻ってもまたオフィス街。そして少し閑散として雰囲気さえもある。
地図が載った看板を置いてくれる程の賑わった地区にも、駅が近い場所にも思えないし…
交番もない。…あれ…それに、私はどこから来たんだろう…
…あれれ、もしかして…こ、これは…
「ま、迷子」
……どうしよう!人生初だ…!前の時はそもそも出かけることも、ましてや一人歩きなんてこともしたことなかったから、こんな時どうしたらいいか分からないかもしれない…。
小学校と幼稚園までの道のりと、ある程度の電車の乗り方は覚えた。母親は勿論そんなこと進んで教えてくれなかったから駅員さんに聞いたりそれはもう優しく助けていただいて。
でも…これは…正真正銘の、帰り方が分からない小さな迷子…
精神年齢があるばっかりに、大人に助けても言えないし泣くことも出来ない。
でも少し…いやかなり不安でじんわりと涙が出そうではあるし、顔も酷く青白いとは思う。
…道を聞こうにも、たまに通りすがる大人達は忙しそうな社会人達がほとんどで、あんまり聞きやすい雰囲気じゃない…
八方塞。選り好みしないで道を尋ねるべきなんだろうなあって思うけど、こんな時でも口下手と会話0スキルが邪魔をする。
そうしてうろちょろと暫く歩き回って、少しだけ何かの小さなお店が密集してきた地区に来て、どれくらい経っただろう。
「どうしたのかな、お嬢さん」
渋いけど、優しそうな声が聞こえてぱっと振り返ってしまった。もしかして私に話かけたかも分からないのに、あまりにも人好きのする穏やかな声だったから思わず…。
でもその声の主は本当に私に話しかけていたみたいで、少し屈みながら優しい笑顔で私を見ている。
それを見て、なんとなくホッとした。私は前も今もおじいちゃん、っていう存在をあまり知らないんだけど…
少し年を感じる笑い皺と、微かにしゃがれた落ち着いた声がとても安心出来る。だから、一般的にいうおじいちゃんってこういうモノなのかなと感じさせられた。
「え、えと、あの…えっと…」
多分、ずっとうろちょろと不安げに歩き回っていた私を心配して、声をかけてくれたんだろう。だったらここぞとばかりに道を聞けばいいだけなのに、
スキル0が発動。…ああ…私って本当にダメだ…16と+何年かを生きていても、
ここまで培ったモノが少ない人間は私だけなんじゃないかと絶望さえする。
な、なんて言えばいいんだろう…あんまり下手な堅苦しい敬語を使っても、小学生としてはおかしいし、タメ口でいいの?失礼じゃない?
ああ、今時の小学生の大人との距離感が分からない…
でもおじいちゃん…というには少し若い彼はにこにこと穏やかに笑って頷いていてくれるモノだから、少し落ちついてなんとか拙くも言葉を紡げた。
「…道に、迷って、それで……」
「…そうですか。それで、お嬢さんは、どこに行きたかったのかな?」
「……う、海…」
「海?」
道に迷った、と言っても笑みを崩さなかったから、やっぱり迷子は悟られていたんだと思う。当たり前だけど少し恥ずかしい…。
中身は結構いい年なんだよ、分かってるの?私、情けない…うう…。
少し悩むように手を口元へ手繰り寄せたその人は、抱えていた小さな紙袋を持ち替えて、こちらへとゆっくり、ゆっくり手を差し出してまた笑いかけてくれた。
「僕でよかったら案内しよう。ちょうど、買い物も終わった所なんです。…さて、海のどこに案内しましょうか?」
「…え…えと…その…」
海のどこ、というよりも。ただ単に海が見てみたかった私は、「海、みたことないので、見てみたくて、」と正直に話すことにした。場所の目的もないし、単に遠目からでも見れればよかったし、どこそこへ、と言って辺鄙な場所まで案内してもらうのは気が引けたし。
…そして、なんとなく薄っすらと気がついていることがある。
本当は一目見たときからなんとなく、そして言葉を重ねるごとに確信していっていたのだけど…
「そうか…海は初めてですか。それなら、着いてきてごらん。…ああ、怪しい者じゃあありません。海の近くで喫茶店をしてる、ただの老いぼれです」
…珊瑚礁の…マスター…?
その制服らしき服装と、肌の色、髪色、声色から何もかもがデジャヴ。といっても実際会ったのは初めてなんだけど…知らない人な気がしない…。
凄く申し訳なく思いながらも、この人でよかったとホッとしてる自分が居る。
スキル0の自分は新たな環境だとか、知らない環境に凄く戸惑ってしまって、少しでも自分の馴染みを探して行く先やることを選ぶ癖があって。
それが悪循環なんだって分かってるけど…
優しいこの人でよかったと心から安心しながらも、凄く複雑な思いが…。
相手がとても優しいばっかりに、ちくちくと良心というべきか、どこかしらが痛くて仕方がない。プライバシーの侵害、本当にごめんなさい…う゛う。
「よ、よろしく、お願いします…」
「ああ、お嬢さんのお名前を教えてもらってもいいかな?」
「え…と…」
ああ、あかりちゃんと遊くんに次いで、この世界の象徴とも言える人に自己紹介するのはこの人が初めてだ。
「、です…」
そう簡潔に自己紹介してから、差し出された手を取った。小学生の自分が恥ずかしいからとか、年じゃないなんて突っぱねるのはおかしいし。
何より嫌じゃない。少し硬くて皺が刻みこまれてるその頑張った手は暖かくて、心地よかった。
喫茶珊瑚礁のマスター…。マスターは、他愛のない話をして、私の緊張をゆっくりと和らげてくれて、歩いて暫くもすれば肩の力も抜け気って、
自然と口から笑いがこぼれるようになって、穏やかに笑みを浮かべられるまでになった。
するとマスターも目を細めて笑ってくれる。
「よかった。元気になったみたいだね」
「あ、えと…はい。あの、楽しくて…」
「こんな老いぼれの話を楽しそうに聞いてくれてありがとう。僕もとても楽しかったです。…ああ、そろそろ海が見えてきたね」
「あ…」
マスターの言葉が少しむずがゆくて俯いていたけれども、その言葉で顔を上げると…
私の低い視線からでも輝く水面が見えた。少し赤く染まりかけてる空と、その赤を反射する輝く水平線。
波の音や、海が見えた瞬間途端に鼻をくすぐる潮の匂いも。確かに少しべたつくその風も、何もかも初めてだったけれど。
初めてじゃない景色。でも初めて感じる感覚と空間。夕焼けが真っ赤に燃える姿がこんなにも神秘的に見えたのは今が初めて。
窓辺から見る赤と、水面に映った赤の色はこんなにも違ってる。
「…綺麗……凄く…」
私にはその初めてが、とても愛しい。命の尊さが分かると、その命を育む自然や水の一滴さえも神聖な物に思えてくる。
命は死を迎えれば次の旅に出る。まっさらになって、無意識の渦中で前世背負った物を背に乗せながら、また新たな道を行く。
私の場合は背負った物を覚えているから純粋にはなり切れないけれど…
その前世が、殆ど物知らないで生きてきたから、初めてを純粋に新鮮に感じたり驚いたりは出来る。テレビの中にしかなかった物がリアルになる。
…これがゲームの世界の中だけの作り物だなんて思えない。"ただのゲーム"が、こんなにリアルに風の匂いや潮にべたつき、波打つ音さえも作りだせるの?
こんなに感動する、肌にぶつかる冷たさも小さな飛沫さえも再現できるのかな。
それは答えは一つ…
「…どうして泣いてるの?」
「…え…」
…私、泣いてる?と頬に伝った物を自覚した瞬間のことだった。
海に見とれて放心していた私は、近くに小さな男の子が近づいて居たことに気がつかなくて、尚且つ涙を指摘されたらしきことを自覚してから、
大慌てしてしまった。
見れば私よりも幾分か小さく見える男の子。…は、恥ずかしい…身体はともかく中身はいい年なはずなのに、こんな人前でみっともなく泣くなんて…
ごしっと涙を拭って、なんでもないように笑いかける。
「…海がね、凄く綺麗だったから」
そうして涙で歪んだ視界がさっぱりとクリアになって。男の子をしっかりと見つめて笑いかけた瞬間。その笑顔のまま私は固まってしまった。
「ああ、瑛。こんな時間まで独りで、駄目じゃないか」
「…ごめんなさい…でも」
「さあ、入った入った。…お嬢さんも、もう遅い。送っていく…と言いたい所だけれど。身体がとても冷えてるね。よかったら、中で温かなお茶でも飲んで行きなさい」
……この髪色と肌色…目元や輪郭がそっくりの二人…成長したらこんな感じ?と思ってしまう感覚…そしてマスターが呼んだ名前…
て、瑛…?喫茶珊瑚礁…?えっと…
……うん…。
…いや…海に行きたいなあとは思った。はばたき市といえば夏が似合う、と印象付けたあの時も、実はこの子のことを思い浮かべてて…。はばたき市の中の一番の象徴といえば…って感じでね…?
そう、海といえばこの子。この子といえば…
「…あ、ありがとう…ございます…」
人魚姫。さっきの聞き覚えのある印象的な言葉にドキッとしてしまったけど、あかりちゃんとこの子、瑛くんは…
自分の本物の人魚姫に、会えたんだろうか。
私はマスターと、そして「孫の瑛です。仲良くしてやってください」とご紹介してくださった瑛くんと、海の灯台近くに構えられてるお洒落な概観をした喫茶店に招き入れられて、
もうどうせならコーヒーを味わってやりたいと開き直って、懐から財布を取り出して、「おすすめのコーヒーを頂けませんか」と主張してみたりした。
開き直った女は順応性が高いのでしょうか。