空に近いここが自分
1.阪神共和国
とてもお腹がすいた。
そう気がついた時にはもう昼もとうに過ぎていて、そういえば小狼たちは…と気がついて色んなことに気がついて。
時間的にももう小狼たちもきっと、きっとお昼を食べていてくれるだろうと信じながら帰路についた。
帰路っていうか、とりあえず空汰さんと嵐さんの下宿屋に帰るしかないんだけど…

…小狼は玖楼国で散々私に振り回されてるし、きっとみんなにも上手く誤魔化してくれているだろう。頑張れ苦労人小狼、と心底申し訳なく思いながらノブを回すと、そこには嵐さんが居た。
まるで待ち構えていたかのようなそれに驚いて固まってしまったが、ふ、っと薄く笑った彼女に少し解かれて、「おかえりなさい。…上がってください」と手を引かれるがままに部屋に上がりこんだ。


「…随分お疲れのようですね。…その身体では無理もないでしょうけど」
「…わかるん、ですか…」
「…サクラさんよりも、ある意味では根は深そうですね。酷く絡み合ってる。色んなものが」
「……だから、探したいんです…」
「ええ」


ずる、っと布団の上にへたりこんでから気がついたけど、この布団は朝急いで畳んだはずだ。
…もしかして、眠くなってしまうのを見越して敷いておいてくれたのかな?
…本当に出来た人だ。綺麗な人だし、長い髪の毛もとても艶がある。空汰さんが溺愛してしまうのも無理がないと一目でわかるし纏う空気もとてもいいし、

なんだかいい匂…


「…さん?」
「い゛っえ……な、ななんでも」
「…そうですか?」


そう、なんでもないんです
というか何でもなくちゃ困る、何、今なんでさらりとナチュラルに変質者のようなこと考えたの私…?わからない、私、こんな子じゃなかったのに…
中身をごっそり失ったことで迷いでも出来てしまってるのか、なんで嵐さんにこんなに失礼なことをしてしまったのかこれは本当に万死に値する。

ぐったりと今度こそ布団に転がってしまった頃、ドアの外から慌しい音が聞こえてきて、次の瞬間勢いよく開かれた。
そこには小狼と、そして黒と白と小さなおまんじゅうがいた。


!!……ひ、姫!」
「…で良いって、いつも、言ってる、のに…」
「やっぱり帰ってましたか…」
「……敬語」
「はい、いや、うん、やっぱり帰ってた…よかった」
「あははー、姫っていつもこうなのー?」
「はい、ある意味サクラ姫以上に…」
「大変だー」


頭上で交わされる談笑がまるで子守唄のように感じてうとうとしながらも、ちらりと奥の壁に背を傾けている黒い人を見ると、視線がかち合ってじろりと睨まれた。
その瞬間蛇に睨まれた蛙のように固まってしまったけど、脳裏に何かが過ぎって、
次の瞬間には重かった身体が嘘のように動いて、
一瞬にして正座をしていた。
そして体制的には土下座に近いそのままで、反射的に叫びを上げる。

…やって、しまっ、た。そう感じたときには、もう全ては遅いのが当たり前。


「ごめんなさいお父さん!!!」


そう、この瞬間はもう遅い。
そう叫んで黒い人に向かって頭を下げた瞬間、その場は凍りついた。
小狼は硬直して汗をかいてるし、嵐さんは何か言いたげにこちらを見ているし、
モコナはぷるぷると震えてるし、
そして次の白い人の言葉で火蓋を切ったようにソレは始まった。


「わー黒ぷーお父さーん」
「モコナもごめんなさいするー!」
「妙な呼び方すんじゃねぇ!!つーかソレをやめろ!!」
「「わーお父さんがおこったー」」
「……ッ…、」


とりあえず、私は土下座した状態のまま、ただひたすらごめんなさいと心の中で呟く他なかった。
…私はお父さんにここまで反射的に動いてしまうほど、何を怒られたんだろう…
というかこの黒い人…黒鋼さんのようなお父さんだったのかなと思うと震えが止まらず、
恐怖心に苛まれながら、どこからかやってきた空汰さんも加わったどんちゃん騒ぎを遠くに聞きながら、
また逃げるように眠りに落ちたのだった。

夢の中で兎様が大笑いしてたのを、確かに見た。
…もう許して欲しい。



「…おはよう、ございます…」
「おそよーやな、もう日も高いでー」
「…すみません…」
「ええってええって。まー昨日も食いっぱぐれてたみたいやし、ゆっくり食べてき」


朝だ。気持ちのいい朝だ。例え日が昼の顔を見せていても起きた人間がいればそこからが朝。私が正義。自分が秩序だ。…心の中と感覚だけ。
正直空汰さんの優しさと申し出はとても在り難かったので、
嵐さんから暖かなご飯の乗ったトレーを受け取って必死で食べた。
計算すると朝昼夜、つまり一日何も食べてなかった計算になる。リンゴなんておやつにもならない。ああ、食事が頂けるって幸せなことだご飯おいしいい。

きっと私の性格を知ってる小狼がいるから、すっぱり各自で羽根を捜しに行ってくれただろう。
本当なら妹のことだから、私だって手伝うべきだ。
でも私の行動を咎める人はいない。多分、みんな察してるんだと思う。
さくらのように私の中身の何かが飛散っていて、それを自分で集めようとしてると、
あの願いを叶える店でのやり取りでわかってる。

対価は、誰かが手出しをして払うべきものじゃない。そういう形を取るべき時以外は。

…だから


「…嵐さん、空汰さん…」
「ん、なんや?」
「……」
「…この辺で、一番…空に近いところって…、何処、ですか…?」



私は私自身を探しに行こうと思う。



一言挨拶してから下宿屋から外に出る。
二人は日曜の今日はあそこに居るらしく、たまたま見送りしてもらったけど、
なんだか新鮮だった。懐かしくも、感じる。

この町並みも懐かしい。人々の笑顔も声の調子も、女の子たちの悩みもみんなそう。
…いつか、私もこんな町の中を歩いた。それが日常だった。
お父さんとお母さんがいて、弟と妹がいる。
空高く、海が近く。それ以外は何の変哲も無い日本の町並み。平和な家族。

ある一点を除いたら悩みなんてなかったんじゃないかと思うくらいに幸せな家族。
深夜、そんな父と母の涙を見て、抜け出した外は暗く、とても心細かった。

蝉が鳴いてた。コオロギが鳴いてた。蛾も飛んでて、それも日常の一部だから気にならず、そしてその変わらぬ景色の中で、


暗転



「……だから」



私は空が好き。海が好き。あの優しい笑顔が一番似合う父と母の涙さえも悲しく愛おしく、全てが離れがたいから、探す。
私の欠片を。私の世界を。あれが私の世界だから。あそこしか、私の居場所はないから。
せめて心の中だけでも住まっていて欲しいから。
大切なものは、それだけ。それ以外何もいらないと思って、諦めてる。

だから


「…阪神…城…高い…空が」


近い。

きっと私の大切なものはここにあると、確信してる。
すぅ、っと息を吸い込んで吐き出して、はじめの一歩を踏み出そうとしたときだった。


「ッおいそこの!!!」
「ごめんなさいいい!!!」


背後から迫ってきた怒声に勢いよく謝ってしまったときにはもう遅い。
振り返れば考えなくてもわかる、黒い人…黒鋼さんが居た。
蛇に睨まれた蛙、再びだ。


「あ゛!?……お前…」
「は、はい…?」
「……言葉、通じるのか」

「£ЫЯ?、?пH」とむにゃむにゃ言ってる白い人、ファイさん。小狼は何かを思案したようにして黙っていて、
言葉が通じるなんて当たり前だろうと考えていた私がある結論に思い至るまでは悩ましいまでの沈黙で、
ピリピリとした殺気交じりの警戒オーラに後ずさりした

そこで。三人が何かに気がついたように阪神城を見たときには言葉が通じているらしかった。
その視線にある阪神城にぶら下がる白いおまんじゅうを見たとき、ようやっと私が墓穴を掘ったことに気がついて、
これからますます黒鋼さんにどう接していいかわからないよ状態が続くと思うと胃に穴が開きそうだった。
そう。私たちの言葉が通じ合っていたのは、モコナ=モドキが翻訳機代わりをしていたからだったのだ。だから私の現象はとてもおかしいことだろう。
小狼も通じなかったのに、私は何故、と。


「…ああー…はぁ…兎様…お願い、します…」


三人がモコナまっしぐらに走り出してから、後を追うべきか迷ったけど、
私はこっそり別ルートへと走り出す。一人行動ならば翻訳代わりだったらしいモコナがいなくても平気。と、言うか、私は流石にファイさんの言語はわからないけど、
"日本"に近い阪神共和国と、黒鋼さんの日本国の両者の言葉が分かるみたいだ。
おそらく玖楼国に長らく居たためにあちら系も平気。

だから…
私は黒鋼さんに、どう言い訳をしたらいいのか考えて考えて、睡眠に逃げたくなって兎様に頼んで全力で阪神城を駆け上った。
阪神城は人がゴミのようで心底人酔いしながら、私は一番空高くへ辿り着いて。


そこで。