思考停止、ノイズの検出
3.霧の国
うとうととまどろんで行く。
底に、底に落ちて行く。
眠りとは不思議な物で、人の奥深く、本人が自覚していない深層心理に触れたりもするし、力のある物が見る夢は特別な意味があったりする。
夢の中での逢瀬は、もしかしたらどこかの誰かの夢と繋がっていたりして…
さあそんな不思議な夢の世界へ旅立とう。

なんてったって私は眠い。とても眠い。ここ暫くご無沙汰だった体温がある。
そう、さくらの人肌。言い方アレですけど一緒に眠るの久々なんだよ…
子供体温素晴らしい。

さぁ、だから


「さくらが、さくらがぁーっ!!!」
「……うぅ゛……」
「よく眠ってるのっ」


…煩い。頭上が、上の辺りが、とても騒がしい。何これ。何の茶番劇だ。
さくらなら今私の腕の中ですやすや寝てますけど何なの。
というか寝てるさくらにも私にも迷惑で…

…いや、そういえば私いつの間に寝ちゃってたんだ。
最近こんなことが多くて本当に嫌だ。部屋が分けられてたりするならまだしも、こうして野宿とかだったら寝てる間にどんな醜態さらすかわからないもの。
寝顔まで完璧なお姫様なんてここにはいない。さくらはともかく私は本当に名ばかりなんだから、
だから、もう、あのさ、


「驚いた驚いたっ?これもモコナ108の秘密技の一つ、超演技力!!」
「……驚きすぎて目も覚めたよモコナ…」
「こんな感じでの目も覚ましちゃうっ」
「わーとんでもない演技力だねぇ」


笑ってんなよそこの白い人。
ていうか何でさくらが、というか私共々この人に抱えられてるんだろう…。
まだ適温とはいえないさくらが妙に暖かく感じるわけだよ…

じろ、っと睨みあげればへらりと笑う。本当に食えない、と、いうか、凄く寒気がする笑顔。
それは笑顔が臭いとかそういう一般的なものじゃなくて、こう、もっと簡単なものだと思うんだけど説明できない。
とりあえずさくらを起こさないようにそっとファイさんの腕から抜け出しておいた。
そしてそそくさと黒鋼さんの影に隠れる。黒鋼さんは大迷惑な顔をしてましたけど安全地帯ですから。なんとなく。
「ほんとにびっくりしたみたいだねぇ」と小狼に笑いかけるファイ、小狼をからかっての超演技力ってわけか…
時と場合によりけり超騒音力…

モコナは好きだけど、何者にも眠りを妨げられることだけは勘弁して欲しいんだ特別な夢見してたりするからごめん本当…ああ…


「けどねぇ、これからもこんなこといっぱいあると思うよ」


確かにさくらが寝てしまうなんてしょっちゅうだし、それと合わせて私も寝てしまうし、
保護者小狼からしたら凄く大変なことだ。
これ以上のピンチ、そうだね、当たり前にあるでしょう。
不本意ながらファイさんの言っていることは的を得ていて、
私の寝こけっぷりが時には迷惑になることが…いや、多々あることも自覚しているため、
凄く聞いてて不甲斐なかった。顔が上げられない。

でも…


「でも探すんでしょう、サクラちゃんの記憶を」


そうだろう。
小狼は絶対に止めない。何があっても、辛くても、絶対に旅を止めないだろうし諦めない。
──それは──だから?世界の中心だから?
頭の中でノイズがかかったようにわからない単語が浮かび上がる。…なんだろう、これ、凄く嫌な感じ。
多分私の頭の中が整理がつかない…のかも。残ってる記憶と失った記憶、二つを繋ぎ合わせなければわからないことがある、とか…
単に混乱してるだけかもしれない。いきなり中身を、記憶喪失なんてものじゃなく、本当に抜かれてるんだから。

…それだったら、完全に抜かれてるさくらの方が辛いだろうなあ…
なのにこんなに健気に頑張って、それはこれからも、──の時も…
頭の中でかかってる煩くて気持ち悪いノイズ、それを必死になんとかしようとしているとき。
隣でファイさんが小狼に呟いた言葉を聞いて。


「だったらね、もっと気楽に行こうよ──辛いことはね、考えなくていいときはいつも考えてなくていいんだよ。忘れようとしたって忘れられないんだから」


──思わず、息を呑んだ
…確かにそうだ。私の記憶はとても印象強いもの程残ってる傾向にある。
阪神共和国の記憶は単に元の世界に近いのが嬉しかったのと、あそこの世界観が好きだから、多分色濃く残ってて。
高麗国は印象的な場面しか覚えていなくて。ここ、霧の国に至っては断片さえも…
もしかして、大した収穫がない世界だったりする…?

それが、正しいなら


「…──…」


私が──を忘れられないのは、──だからで
だから…この世界でもずっと、


「君が笑ったり楽しんだりしたからって誰も小狼君を責めないよ。喜ぶ人はいてもね。
──ね、ちゃん」
「………そう、ですね……」


ノイズのかかった思考止まらなくなった。
そんな最中、突然振られた会話に驚いて少しだけ肩が跳ねたけど、笑って誤魔化して相槌を打って。
それは大切な小狼のことだったから。上辺だけの考えじゃなく…ちゃんと考えてみた。

さくらのことで一生懸命で息を吐く暇もない小狼…眉間に皺ばかり寄っているのを見るのはとても、心が苦しくなる。
だったら、笑ってくれていた方がいい。そうしたら私も喜ぶし、みんなも喜ぶ。…それに間違いはない。
…ファイさんの言うことは一々的を得ているから凄く癪だけど、こう、
納得してしまうこともあるというか。再認識するというか。
だったら私も笑っていていい?…多分、それは違うと思う。
でも、きっとさくらも小狼も私が笑っていた方が喜ぶんだろうなあ。
自分だけが特別に違うなんて理屈、相手にとってはとても納得のいかないことだろうから。


「…うん、私も、小狼が笑っていてくれた方が、凄く嬉しいよ」
「モコナも小狼が笑ってるとうれしい!」
「……うん」
「もちろん俺も。あ、黒ぴんもだよねー」
「俺に振るな」


私の心からの言葉に、小狼は少し照れくさそうにして。みんなの言葉に嬉しそうにして、そしてさくらを見て少し物悲しそうにしてた。
さくらと瓜二つの顔立ち。違うところと言えば少しの身長の差。

私に言われると嬉しい言葉、さくらに言われると幸せな言葉、
私だから出来ること、さくらだから出来ること…
私が覚えていても、駄目なこと。さくらが覚えていなきゃ、意味が無いこと。

こんなこと考えても意味がないんだけど、どうして好き同士、こんなに見事な引き裂かれっぷりしてるんだろう…と虚しく悲しくもなる。
私が代わりに忘れても、それこそ意味が無いんだけど。

それじゃあ対価にならないもの。
小狼だけの人は私じゃないから。


「…ん…」
「あ、目ぇ覚めたー?」
「…小狼君!小狼君が湖の中に!」


そしてその小狼だけの人、さくらは寝起きからかましてくれた。
若い若い。いやーいいね若さって。青春素晴らしいしおいしい。…ご飯?何だこの思考…。いや、そういえば私、前世と合わせたらいくつになるんだろう。
あえて計算したこと無かったけど凄く計算したくない…。

わたわたと慌てるさくらをどうにか引き止めて、ファイさんは小狼にかけたのと同じような言葉をさくらにもかけた。
言葉としてはまったく違うけど、気持ちとしては多分同じ。意図も、そう。

楽しい旅になるといいね。せっかく出会えたんだし、と笑うファイさんにさくらは。


「──はい。
まだ良くわからないことばかりで足手まといになってしまうけど、でも出来ることは一生懸命やります。よろしくお願いします」


真っ直ぐに、真っ直ぐに。みんなへと言葉を向ける。
ぺこりと頭を下げる仕草もその声も爪先までも特別なお姫様、でも私は…

お姫様も名ばかりだけど、双子という繋がりも名ばかりだ。
はぁ、と音もなく心の中でため息を吐いて、地べたに正座していた私がゆっくり立ち上がろうとすると。
すぐ隣から黒鋼のじーっと食い入るように見つめる視線に気が付いて、若干引きながら、そして本気で勇気を出して聞いてみることにした。
この幾度もなく降りかかった意味のわからない視線、不審感だとかそれだけじゃない、この意味はいったい…


「あの、黒鋼、さん…?」
「…ああ?」
「その…私、何か変なこと…してますか?あの、どこか不自然な所あったら教えてください、直したいので…」
「…お前も曲りなりにも姫だからかってことか」
「曲りなりって…いや、確かに姫としては不完全なんですけど、変なお作法をしてたらお父さんに叱られ…」


意を決して問いかけたはいいけど…黒鋼さんの的を得てるけど若干失礼な言葉に咄嗟に返してしまったけど…!…ヤバイこれ禁句だ。
阪神共和国でとんでもないこと仕出かしてしまった、黒鋼さんお父さん呼びを本人に直で匂わせてしまった…
むぐ、っと口を抑え込むと黒鋼さんは不快オーラバリバリ放っていたけど、
なんとか押さえ込んでくれて何か言葉を返してくれるみたいだ。

…玖楼国でのお父さんはそんなにお作法に煩い人じゃない、お父さん呼びの時反射してしまったのも、今の言葉も、全部前世のお父さんのこと。
…突っ込まれたらヤバイ、どうしようもない、一人ならまだしもここには小狼が──…!


「……いや、いい」
「…え?」
「お前の"ソレ"にも何か理由があんだろ。作法としては間違ってねぇ。それを意図的にやってんならな」
「……はぁ?」


…小狼が、いるから!
逃げられないと凄く焦ったけど、間の抜けた返事をしてしまった。
…何、なんのこと?彼が日本語…いや人間の言語を使ってるのかちんぷんかんぷんになってしまった。
理由がある?作法?ソレ?意図的?つまり私が何をしてるの?
何にも意図なんてないし、何のことだかもわからないし直しようもない、ただ作法としては間違ってないという言葉だけが救いで。


「……あの…黒鋼、さん」
「普通に呼べぁいい」
「…黒鋼さん、その、」


…とりあえず。

このことについてはもう考えたって仕方が無いし、黒鋼さんも答えてはくれない様子だし、新たに気が付いてしまったことがあったので彼の名を呼ぶと。


私達はいつの間にか世界を移動する体勢に入っていたらしいモコナの口に、ぐばりと吸い込まれた。