ようやく、初めまして
1.笑う人─阪神共和国
「…えっと、ですねぇー…あの…意図的じゃなかったんですよ。
ただ…何日か前から道を歩いてたら、気味が悪いくらいあそこの店に辿り着いてしまって、後から偶然願いを叶える店だって知って、あの日もまた自然と…」
「気味が悪い?」
「なんとなく、近寄り難くて。」
なんだか驚いたように目を丸くして見せるファイさんに、「なんだそれぁ?」と訝しげにして見せる黒鋼さんに、「そんなパターンもあるんですね…」と興味を若干示してる小狼君。
みんなとても自然な反応に見えるけど、
やっぱり…と少しだけ俯いた。…まただ。ファイさん。
少しだけこの話に反応を示したのを確かに見た。意識してるから、余計にわかり易くなってきて。
…だから。
「でも…今思い返すと、お店の男の子が最初、私を待ってた風な言葉をかけてきて。
…多分、これがあの店主…侑子さんの言う、必然なのかもって、ちょっと最近」
私もにっこりとわざと笑ってみた。別に笑わなきゃいけない所でも無いんだけど、
わざと作った笑みは見なくても不恰好だと自覚できる。
でも、彼はとても上手く繕ってみせるから。
…そんなにまで気を張って、隠したい感情って、なんなんだろう。
きっとこれから長い旅になるんだろうに、
彼は誰にも自分をさらけ出さずに独りでいるのかな。繕って、誤魔化して、…笑って?
なら、私はいつも誤魔化されてるんだなあ…。あははーで。
…独りは寂しい。
私はいつも独りではなかったけど、何故かその寂しさが胸が痛いくらいにわかってしまう。
…京の影響で、漫画やドラマに感情移入しすぎたのかな。
でも少しも分からないよりはいいや、なんて考えて。
ああ、そういえばこの三人が此処に来た方法や理由みたいな物、聞き逃したなあとぼんやり考えて居た瞬間。
大きな声がこの場に響いた。
…音だけじゃない、何か暖かい風がこの場に流れてる気がする。
伝わるのは声や風や音だけじゃなく、一気にこの場は緊張感で包まれてる。
「今度こそお前らぶっ潰してこの界隈は俺達がもらう!!」
どくん、どくんと心臓が脈打って仕方ない。
…何、何これ…?
クラッカーを不意打ちで鳴らされるだけでも気絶しそうになるような女が、
一瞬で変わった町並みに驚かない訳が無い。
気が付くと、そこに男集団達が二派いるのに気が付いた。
意味のわからない主張をする男の集団一派に対して、もう一派、立ち向かってる男集団たちは、余裕の笑みを湛えながらくぃっと親指を下に向けて下げた。
「このヤロー!特級の巧断憑けてるからっていい気になってんじゃねぇぞー!」
くだん、とっきゅー。
聞いたことある、知ってる、でも意味の分からない叫びに混じって理解が追いつかない、
…わかんない、わかんない、わかんない、何、これ…
今まで元の世界に居て、ちょっと関西に小旅行しに来ていたのでは、なんて錯覚していたくらいの町並みが、
テロでも起こったかのようにぐちゃぐちゃになってる。
…どうしよう、とにかく、私も、私も足を動かさなきゃ…早く…
──そう、思った矢先のことだ。
大きな声、上がる悲鳴、あちこちで起こる盛大な爆発、爆音、
流れるのは色んなものが入り混じった生暖かな風、辺りは一般人たちも当然、
巻き込まれたくないから逃げ惑う。
「……に、…これ…」
爆風がした。こんなこと、初めてだ。ぐちゃぐちゃになる町も見たこと無い。
爆発なんて起こってるのも見たことない。
こんなに大きな音、近くで聞いたことない。
画面越しの出来事が現実で起こってる。
…何これ!現代日本に於いてこんなこと有り得ないってー!
…そんな風に心の中で茶化したって、私の身体は一向に動かないのだから笑いものだ。
ああ、南無。私いつかこんなのに巻き込まれて死んじゃうんだろうなあ。
私、自分のことわかってるつもりだから。力も無い旅するには普通すぎる女の子だって、
自分を正しく理解できてる。
私は自分を守れない。誰かのことを助けられる力もない。
…私、こんな旅に参加して、よくよく考えなくても自殺行為だよなあ…
今更ながらとても怖くなった。
後悔をするつもりは微塵も無いけど…少し身震いをしてしまう。
「…後悔してる?」
胸の中心が、なんでか熱い。…いや、暖かい?
呆然としゃがみこんで眺めるだけだった私を、いつの間にか庇うように目の前に立っていたファイさんがそう問いかけてきた。
…いつに無く真剣な目だ。
その表情はへにゃへにゃした曖昧な笑みなんて浮かべてないし、見たことがない顔つきで、
本当に真剣に聞いてるんだということが分かったから…
ふざけないで、私も真剣に返すことにした。
…初めて彼が、本当の姿で私と向かい合ってくれた気が、なんとなくするから。
違っていても、そう思っていたいから。
「…してない。例え私が自分の弱さのせいで死んでしまっても…。仕方ないことですよねー?
…うん、凄く怖いのは否定できないし、今みたいに逃げられないできっと最期、あっけなく…
でも、そんな力の無い自分がいけない。世界に負けた、それだけで…」
自嘲するように、或は弱音を吐くように俯き気味に吐き出した言葉だったから、
ファイさんが今どんな顔をしているのかは分からなかった。
確かに、今吐き出してしまったのは弱音かも。
辛い気持ちの塊かもしれない。
でも、今から言うことは真実、心の奥底から感じてること。
…私、後悔なんてしない。
どうしてただそれだけでそんな風に思えるの?って変な子扱いされるのには慣れてるし…
生憎変な自分自身にも付き合いなれてるしねえ…
「…ただ…
私がここに居ることで、あの子が生きられるなら。…最期は怖くないよ。大好き、だから」
…笑った。私、笑えた。
さっきしたわざとの作り笑いなんかより、よっぽど綺麗な笑顔だったと自覚できる。
これが、私のいつもの心からの笑み。本心。
大好き、って気持ちは変わらず、その気持ちを考えると、そして一緒に男の子の笑顔も思い浮かべると。思わず笑みが零れて仕方なくて、
後悔なんて微塵もしてない自分に安心した。
…他の人間と比べるととてもおかしな私、だからこそ本当に向き合って大事にしてあげられるのは、私自身だ。
…京もとても大切にしてくれたけど、
人間は、歯車のように全てが噛み合うことはないから、やっぱり余すことなく大事にしてやれるのは、自分だけなのだ。
…だからね、京には私が居なくなった後も、自分を大事にして欲しいよ。
また明日ね、って。本当は居なくなること無意識に感じ取ってたのに、
無責任にごめん。
傷つけてごめん。
その言葉が貴方の人生の中での心の取っ掛かりになってしまったら、本当にごめんなさい。
だから、自分を余す所なく大事にしてあげてください。
私をとても大切に、優しく純粋な心で包み込んでくれた貴方なら、きっと出来る
──だから…
「……そっか」
無意識の内に、一筋涙を零した私にファイさんは…
大きく目を見開らかせていた目を細めて。その奥を揺らがせて。
…きゅ、っと切なげに眉を寄せて。
「あはは、どうしてファイさんがそんな顔するんですかー」
笑いながらよっこいしょ、とようやっと立ち上がることが出来て、
本当にそろそろ此処の通りも崩壊、いや倒壊してしまうのでは、なんていう滅茶苦茶さに、
撤退することにした。
いや、今まで無事で居られたのも奇跡…、というか。ファイさんが庇ってくれて居たんだけど…
…本当にその行為や言葉の意図も、心も掴めない人だ。
でも、隠しているようでこの人は感情豊かな人なんだなって。さっきの表情を見て分かってきたしなあ。
──けど、実は確かに切なそうでもあった、その反面…
…とても怖い、恐ろしいくらいの表情をしているとも感じた。
ただの私のその言葉で何を感じて考えているのかは定かではないけど。
…ぽん、っと手を取って慰めるように重ねてみる。
まあそんなことをしていても仕方がないから手を繋いで半ば引っ張るような形で歩いていく。向かうは安全地帯…と思ったけど、
遠くで小狼君と首謀者の男達が一悶着あってから、警察が来たみたいでサイレンの音が鳴り響いてる。
「…警察ですよ、もうここも大丈夫ですね」
…この人の手、暖かい。なんとなく顔を見れないから、
体温だけしか分からないなあ。
でも冷たい。人間としての暖かな体温はあるけど、基本的に低体温な人なんだねー。
…好きだなあ、このひんやりした体温。
えへへ、と締りの無い顔で笑う。…瞬間。
私は視界が悪くなって、「ええー!!?」と何事かと大慌てしてたけど、私はファイさんに抱きしめられて…いるらしい?
…そ、そんなに私重い話したつもりないんだけど…
…もしかして慰めてくれてる?いや全くわからん。
あはは。意図は掴めなくても、違ったとしても、本当に色んな意味で豊かな人だ。
外側も、内側も、目も隠せない。素直な人だった。
よく分かった。
「…あのー、ファイさん公衆の面前でこういうのはちょっとねー…」
変な人だけど、こんな風に人目も気にせずセクハラだってしてくるし食えない人だけど、私は嫌いじゃない。
どうしても嫌いになれそうになかった。あんなに苦手意識があったのに、
今はもう影も形もない。
…彼が本当の表情を見せてからだ。
…そうだ、もう得体の知れない人じゃなくなったからだー。
…でも、なんで会ったばかりの人にこんなこと感じるんだろう…
彼の傍は、とても心地がいい
私は背中に手を回して、ぽん、ぽんと子供をあやすように叩いてみた。
あきらかな子供扱いをしても彼は怒ったりしない。…寛容な人だなあ。
目を瞑っていくらか経った頃、名残惜しげに離されたその腕を見つめていたら、
彼は笑顔で言う。
「行こう、」
…はいはい。
貴方が抱きついてきたからこの物騒な騒ぎの一部、
きゃーっと色めいてしまった空間から離れられなかったんですけどねぇー…
本当にマイペースだなこの人。
まあ今の言葉を発した時は、誤魔化したような笑い方じゃなくなってたから、いっか。
そんなのに付き合うのは嫌いじゃない。
思えば私が好きになる近しい人達は、大概そんな人たちばっかりだから慣れてるし。
…はーああ。
平然装ってても内心ちょっと恥ずかしいんだよあーもうこれだから整った男はさー!
変な所に内心で憤慨していた私は、
あまりにも自然なことすぎて。
私のなまえのちゃん付けが無くなっていたことに気が付いたのは、暫くしてからのことだった。
1.笑う人─阪神共和国
「…えっと、ですねぇー…あの…意図的じゃなかったんですよ。
ただ…何日か前から道を歩いてたら、気味が悪いくらいあそこの店に辿り着いてしまって、後から偶然願いを叶える店だって知って、あの日もまた自然と…」
「気味が悪い?」
「なんとなく、近寄り難くて。」
なんだか驚いたように目を丸くして見せるファイさんに、「なんだそれぁ?」と訝しげにして見せる黒鋼さんに、「そんなパターンもあるんですね…」と興味を若干示してる小狼君。
みんなとても自然な反応に見えるけど、
やっぱり…と少しだけ俯いた。…まただ。ファイさん。
少しだけこの話に反応を示したのを確かに見た。意識してるから、余計にわかり易くなってきて。
…だから。
「でも…今思い返すと、お店の男の子が最初、私を待ってた風な言葉をかけてきて。
…多分、これがあの店主…侑子さんの言う、必然なのかもって、ちょっと最近」
私もにっこりとわざと笑ってみた。別に笑わなきゃいけない所でも無いんだけど、
わざと作った笑みは見なくても不恰好だと自覚できる。
でも、彼はとても上手く繕ってみせるから。
…そんなにまで気を張って、隠したい感情って、なんなんだろう。
きっとこれから長い旅になるんだろうに、
彼は誰にも自分をさらけ出さずに独りでいるのかな。繕って、誤魔化して、…笑って?
なら、私はいつも誤魔化されてるんだなあ…。あははーで。
…独りは寂しい。
私はいつも独りではなかったけど、何故かその寂しさが胸が痛いくらいにわかってしまう。
…京の影響で、漫画やドラマに感情移入しすぎたのかな。
でも少しも分からないよりはいいや、なんて考えて。
ああ、そういえばこの三人が此処に来た方法や理由みたいな物、聞き逃したなあとぼんやり考えて居た瞬間。
大きな声がこの場に響いた。
…音だけじゃない、何か暖かい風がこの場に流れてる気がする。
伝わるのは声や風や音だけじゃなく、一気にこの場は緊張感で包まれてる。
「今度こそお前らぶっ潰してこの界隈は俺達がもらう!!」
どくん、どくんと心臓が脈打って仕方ない。
…何、何これ…?
クラッカーを不意打ちで鳴らされるだけでも気絶しそうになるような女が、
一瞬で変わった町並みに驚かない訳が無い。
気が付くと、そこに男集団達が二派いるのに気が付いた。
意味のわからない主張をする男の集団一派に対して、もう一派、立ち向かってる男集団たちは、余裕の笑みを湛えながらくぃっと親指を下に向けて下げた。
「このヤロー!特級の巧断憑けてるからっていい気になってんじゃねぇぞー!」
くだん、とっきゅー。
聞いたことある、知ってる、でも意味の分からない叫びに混じって理解が追いつかない、
…わかんない、わかんない、わかんない、何、これ…
今まで元の世界に居て、ちょっと関西に小旅行しに来ていたのでは、なんて錯覚していたくらいの町並みが、
テロでも起こったかのようにぐちゃぐちゃになってる。
…どうしよう、とにかく、私も、私も足を動かさなきゃ…早く…
──そう、思った矢先のことだ。
大きな声、上がる悲鳴、あちこちで起こる盛大な爆発、爆音、
流れるのは色んなものが入り混じった生暖かな風、辺りは一般人たちも当然、
巻き込まれたくないから逃げ惑う。
「……に、…これ…」
爆風がした。こんなこと、初めてだ。ぐちゃぐちゃになる町も見たこと無い。
爆発なんて起こってるのも見たことない。
こんなに大きな音、近くで聞いたことない。
画面越しの出来事が現実で起こってる。
…何これ!現代日本に於いてこんなこと有り得ないってー!
…そんな風に心の中で茶化したって、私の身体は一向に動かないのだから笑いものだ。
ああ、南無。私いつかこんなのに巻き込まれて死んじゃうんだろうなあ。
私、自分のことわかってるつもりだから。力も無い旅するには普通すぎる女の子だって、
自分を正しく理解できてる。
私は自分を守れない。誰かのことを助けられる力もない。
…私、こんな旅に参加して、よくよく考えなくても自殺行為だよなあ…
今更ながらとても怖くなった。
後悔をするつもりは微塵も無いけど…少し身震いをしてしまう。
「…後悔してる?」
胸の中心が、なんでか熱い。…いや、暖かい?
呆然としゃがみこんで眺めるだけだった私を、いつの間にか庇うように目の前に立っていたファイさんがそう問いかけてきた。
…いつに無く真剣な目だ。
その表情はへにゃへにゃした曖昧な笑みなんて浮かべてないし、見たことがない顔つきで、
本当に真剣に聞いてるんだということが分かったから…
ふざけないで、私も真剣に返すことにした。
…初めて彼が、本当の姿で私と向かい合ってくれた気が、なんとなくするから。
違っていても、そう思っていたいから。
「…してない。例え私が自分の弱さのせいで死んでしまっても…。仕方ないことですよねー?
…うん、凄く怖いのは否定できないし、今みたいに逃げられないできっと最期、あっけなく…
でも、そんな力の無い自分がいけない。世界に負けた、それだけで…」
自嘲するように、或は弱音を吐くように俯き気味に吐き出した言葉だったから、
ファイさんが今どんな顔をしているのかは分からなかった。
確かに、今吐き出してしまったのは弱音かも。
辛い気持ちの塊かもしれない。
でも、今から言うことは真実、心の奥底から感じてること。
…私、後悔なんてしない。
どうしてただそれだけでそんな風に思えるの?って変な子扱いされるのには慣れてるし…
生憎変な自分自身にも付き合いなれてるしねえ…
「…ただ…
私がここに居ることで、あの子が生きられるなら。…最期は怖くないよ。大好き、だから」
…笑った。私、笑えた。
さっきしたわざとの作り笑いなんかより、よっぽど綺麗な笑顔だったと自覚できる。
これが、私のいつもの心からの笑み。本心。
大好き、って気持ちは変わらず、その気持ちを考えると、そして一緒に男の子の笑顔も思い浮かべると。思わず笑みが零れて仕方なくて、
後悔なんて微塵もしてない自分に安心した。
…他の人間と比べるととてもおかしな私、だからこそ本当に向き合って大事にしてあげられるのは、私自身だ。
…京もとても大切にしてくれたけど、
人間は、歯車のように全てが噛み合うことはないから、やっぱり余すことなく大事にしてやれるのは、自分だけなのだ。
…だからね、京には私が居なくなった後も、自分を大事にして欲しいよ。
また明日ね、って。本当は居なくなること無意識に感じ取ってたのに、
無責任にごめん。
傷つけてごめん。
その言葉が貴方の人生の中での心の取っ掛かりになってしまったら、本当にごめんなさい。
だから、自分を余す所なく大事にしてあげてください。
私をとても大切に、優しく純粋な心で包み込んでくれた貴方なら、きっと出来る
──だから…
「……そっか」
無意識の内に、一筋涙を零した私にファイさんは…
大きく目を見開らかせていた目を細めて。その奥を揺らがせて。
…きゅ、っと切なげに眉を寄せて。
「あはは、どうしてファイさんがそんな顔するんですかー」
笑いながらよっこいしょ、とようやっと立ち上がることが出来て、
本当にそろそろ此処の通りも崩壊、いや倒壊してしまうのでは、なんていう滅茶苦茶さに、
撤退することにした。
いや、今まで無事で居られたのも奇跡…、というか。ファイさんが庇ってくれて居たんだけど…
…本当にその行為や言葉の意図も、心も掴めない人だ。
でも、隠しているようでこの人は感情豊かな人なんだなって。さっきの表情を見て分かってきたしなあ。
──けど、実は確かに切なそうでもあった、その反面…
…とても怖い、恐ろしいくらいの表情をしているとも感じた。
ただの私のその言葉で何を感じて考えているのかは定かではないけど。
…ぽん、っと手を取って慰めるように重ねてみる。
まあそんなことをしていても仕方がないから手を繋いで半ば引っ張るような形で歩いていく。向かうは安全地帯…と思ったけど、
遠くで小狼君と首謀者の男達が一悶着あってから、警察が来たみたいでサイレンの音が鳴り響いてる。
「…警察ですよ、もうここも大丈夫ですね」
…この人の手、暖かい。なんとなく顔を見れないから、
体温だけしか分からないなあ。
でも冷たい。人間としての暖かな体温はあるけど、基本的に低体温な人なんだねー。
…好きだなあ、このひんやりした体温。
えへへ、と締りの無い顔で笑う。…瞬間。
私は視界が悪くなって、「ええー!!?」と何事かと大慌てしてたけど、私はファイさんに抱きしめられて…いるらしい?
…そ、そんなに私重い話したつもりないんだけど…
…もしかして慰めてくれてる?いや全くわからん。
あはは。意図は掴めなくても、違ったとしても、本当に色んな意味で豊かな人だ。
外側も、内側も、目も隠せない。素直な人だった。
よく分かった。
「…あのー、ファイさん公衆の面前でこういうのはちょっとねー…」
変な人だけど、こんな風に人目も気にせずセクハラだってしてくるし食えない人だけど、私は嫌いじゃない。
どうしても嫌いになれそうになかった。あんなに苦手意識があったのに、
今はもう影も形もない。
…彼が本当の表情を見せてからだ。
…そうだ、もう得体の知れない人じゃなくなったからだー。
…でも、なんで会ったばかりの人にこんなこと感じるんだろう…
彼の傍は、とても心地がいい
私は背中に手を回して、ぽん、ぽんと子供をあやすように叩いてみた。
あきらかな子供扱いをしても彼は怒ったりしない。…寛容な人だなあ。
目を瞑っていくらか経った頃、名残惜しげに離されたその腕を見つめていたら、
彼は笑顔で言う。
「行こう、」
…はいはい。
貴方が抱きついてきたからこの物騒な騒ぎの一部、
きゃーっと色めいてしまった空間から離れられなかったんですけどねぇー…
本当にマイペースだなこの人。
まあ今の言葉を発した時は、誤魔化したような笑い方じゃなくなってたから、いっか。
そんなのに付き合うのは嫌いじゃない。
思えば私が好きになる近しい人達は、大概そんな人たちばっかりだから慣れてるし。
…はーああ。
平然装ってても内心ちょっと恥ずかしいんだよあーもうこれだから整った男はさー!
変な所に内心で憤慨していた私は、
あまりにも自然なことすぎて。
私のなまえのちゃん付けが無くなっていたことに気が付いたのは、暫くしてからのことだった。