世界の喪失
1.笑う人阪神共和国

曰く、ここは阪神共和国という現代日本に酷似した世界らしい。
曰く、この国に居ると巧断という特別な力が宿るらしい
曰く、ここは先ほどやってきた彼、有洙川空汰さんという短髪関西弁の男性と、
奥さん(ハニーだハニーだと連呼してる)の嵐さんという方がやってる下宿屋だということ。
曰く、彼らは侑子さんにはお世話になったことがあるという。

そしてプチ情報として関西弁はここでは古語。歴史の教師である空汰さんだから使ってる言語、と…
そして。


「面白そうだから、助けに入ってきてくれないで傍観してプークスクスしていた、と」
「アホ、プークスクスなんて程度のモンじゃあらへんで!……あ」
「空汰さん、私が動けるようになったら背後にお気をつけて」
「な、なんや!?何する気や!?」
「闇討ちですよ闇討ちおほほ」
「そないな大っぴらな闇討ち聞いたことあらへんぞ!」


私と白いお兄さんのやり取りを、面白かったから隠れて笑っていて、
私が呼んだ瞬間ほんっっとーにタイミングよく入ってきた、とね…
いやー関西人のノリは本当にいい。このツッコミのキレ。
でも正直報復したくなる気持ち抑えきれない。本気で怖かったんだからー!

別に普段なら逃げればいいけどさ、今本当に身体が動かないし、この恐怖分かるかー!?


「そういえば、その巧断?ってヤツが明日来るとかー?」
「あ、せやせや。明日治癒の巧断持ってるわいの昔馴染みがたまたま近く来てるゆーてな。しかも特級やから安心せえ、ちゃん」
「…巧断…ってさっき聞いた…。特級…はえーと、なんか強いヤツ!でも治癒って…」


白いお兄さんが思い出したように空汰さんへと問いかけて初めて知ったけど、
明日巧断持ちの人がこの下宿屋にやって来てくれる、と…
治癒って、もしかして…わざわざ私に安心しろって言うくらいだし、治療してくれるの…?
なんて懐の広い人だと見直したけど、私の馬鹿っぽい頭の追いついてない理解の仕方にプルプル震えながら笑いを堪えているのを見て一気に冷めた。
あー前言撤回!今度おじさんー!って呼びかけてやろうか!地味に来るだろう!くっそーどうせ頭よくないよ!


「今夜はもう遅いし、ゆっくり寝ぇや」
「……うん…、はい…」


いや、このへらへら笑ってる白いお兄さんがいる限り、生きた心地が正直しないんですけどねぇ…と考えながらも眠りの時は案外早く来た。
黒いお兄さんも壁に背を傾け、白いお兄さんも眠りに入る真っ暗闇の中。
思った以上に身体は弱ってるらしい。

今まで私が元気にふざけていたのも、痛みを感じないからだ。
その巧断という物から出来た市販の鎮痛剤を、目覚める前に打ってくれたかららしい。
痛みを感じないなら無茶も出来る。

でも、鎮痛剤が切れてきた真夜中は拷問でもされてるかのような痛みで、正直眠れなくて。
悲鳴なんて上げてたら同室の二人に迷惑だろうし、
必死に耐え忍ぶだけだ。
…脂汗が気持ち悪い、息がし辛い、でももう一人の男の子と女の子の部屋にお邪魔しても同じことだし、一人部屋が欲しいなんて我侭言えない、
耐えなきゃ、この痛みは私の対価の一部なんだから、我侭の代償なんだ、


「…たく、ない……ッ」


この痛みであの子の未来が出来るというのなら、
痛みも痛みじゃない。後悔なんて、する訳がないよ、侑子さん。

暗示をかけるように吐息よりも小さく言葉を吐いた。
すると、段々と眠りが深くなって行って、私はころっと眠ってしまって、
言葉にすることで人間は自己暗示が出来るという話は本当だったんだなあ、と薄っすらと思い浮かべながら、なんとなく感じる気持ちよい不思議な空間の中で寝た。

……あれ、でも待って。
空汰さん治癒って言った?私の怪我をとっきゅーの巧断で治癒してくれる、と?
…それって、私が引き受けた"代償"をズルして消しちゃうってことだよね…?

…待って、それは


「駄目だってばーーーッ!!!」



ゴン。

鈍い音が響く。それは決して派手ではなく、地味で地味で自己主張しない音だ。
だけど私はと言えばその地味な音の割りには猛烈なダメージを食らっていたりする。

…痛い…痛い…や、やばい…私…壁におでこぶつけた…!
私はどうやら寝ながら壁に密接する形で寝崩れていたようで、起き上がろうとした瞬間ぶつけてしまう。
正直痛くて痛くて言葉も出ないし、声無き声が響き渡るだけなんだけど。
…どういうことだってばよ。私こんなに寝相悪い人間じゃなかったんだけど。
あれか、ベット族だったから落ちたら危険っていう境目が分かってただけで、
布団になった途端自己を開放してしまったとか。

…いーやーだーなんてことだよーっ
ごろごろとのた打ち回ってると、脇に何かが入り込んできて、私の身体は宙に浮いた。
ええ、それはもう高く。


「う、う、う、うわーっ!!なにこれーっ!!」
「あははー、寝起きから元気だねぇ」
「ほんとにガキだな。うるせぇ」
「ちょ、ちょ、おろして、いや下ろさないでやっぱ楽しいーっ!」
「……ガキか……」


見れば、私は白いお兄さんに脇へ手を突っ込まれて、持ち上げられているらしい。
私はぶらんぶらん揺れてるわけだったけど、なんだか案外悪くない気がしてきて、楽しくなってきてしまって。
二度目の黒いお兄さんのガキ発言は、どうにも心底呆れたような色が混じっていた気がするけど、まだまだ子供でいたい!
楽しいことは楽しいでいいじゃんー!このお兄さんたっかーい!

持ち上げられるということは目線が高くなるということで、
自分の体験できなかった角度からでの視界、そしてブランコのようなアスレチックようなこのアクロバティックな揺れがたまらない。
この白いお兄さん案外ユーモアある人なのかなと考えてみた。


「怪我、やっぱり治ってるねぇ」
「…え?」
「あぁ?」


そうしてきゃいきゃいと楽しんでいると、くるりと抱きかかえられてしまって何事かと思ってる間に告げられた言葉。一瞬あまりにも予想外なことすぎて、
本気で何を言ってるのか理解が遅れたんだけど…
…怪我、治って、る…ねぇ?
単語と単語をつなぎあわせて思い出してみると、確かにそう言っていて、動かなかったはずの包帯まみれの身体を見下ろしてみると、そこには…、…。

…はぁ!?ちょ、待って、そうだ私、空汰さんに怪我を治さないでって言おうと思ってて!んでさっき勢いあまりにあまって壁にぶつかったんだって。
…本当に痛くないし、小さな子供のようにだっこ遊びを全力で楽しんでしまう余裕さえあった。元気すぎるくらい元気だ。

…まさか…空汰さん…


「そ、空汰さんもしかして治しちゃったのー!!?」
「なんやなんや!わいを呼んだか!?」
「嬉々としてスタンバイしてなくていいよおじさんー!」
「…!?」


流石のおじさん呼びのダメージに、昨晩のようにドアの外で構えて居た空汰さんも言葉が出ない。
いや、それさえもノリの一つなのかもしれないけど。愕然とその場に崩れ落ちた空汰さんにはもう恐れ入る。そのどんなネタにも食いついてくる精神見習います。

いや、いや、でもね、でもね、というかお笑いについて話したかったわけじゃなくてね、本当に好意だってことはわかってるんだけど、
あの怪我は、私の対価で…私の負っていなくてはいけないものだったわけで…!
バッと空汰さんの方見上げ…いや白いお兄さんの腕の中から見下ろすと、
空汰さんと視線がかち合って、その瞬間ぱちぱちと不思議そうに瞬きをするものだから、
何事かと思ったけど…。


「…あれ?なんや、ちゃん、傷どこにやったんや?」
「…え?……え!?空汰さんが、その、クヤンとか言うので治してくれたんじゃ…!」
「アホか下手なボケかまさんでええ!……治癒持ちの巧断が来るんは、後一時間も先の予定や」
「……え……」


ど、どういうこと?
この怪我治したのは空汰さんの昔馴染みさんじゃない?
と、すると自然治癒?いやいやま、まさかー、女子高生にそんな秘めたるパワーがあったら怖いよー。普通すぎて取り立てて言うことがないのが売りなのに、
自己紹介とかする時それで冗談っぽく笑いを取ってたくらいなのに、

…自然治癒ほど怖いものってなくないー?
…まさか、この部屋に何か居る…?何か特別な力を持った何かが、
ああ、京が居れば何か察知してくれたかもしれないのに。
…京にも、もう会えないんだよなあ
私は、普通が取り柄の女子高生にも戻れないんだよ、なあ…


「普通に考えたら、ちゃんの巧断が何かしたっちゅーんが一番可能性が高そうなもんやけど…」
「わ、私の巧断…?マイ巧断?」
「マイバックみたいなノリで巧断を呼ばんとけ、気性が荒いヤツやったらどうなるかわからんで」
「き、気性が粗いヤツもいるの…!?巧断って自我があるんだ…」
「……そこからなのか…?」



昨日熱心に巧断について説明してくれていた空汰さんはしょんぼりと切なそうな顔をして、
ノリツッコミも入らず、傍で白いお兄さんは楽しそうにこちらを眺めるのみで、黒いお兄さんはとても鬱陶しそうに顔をそむけていた。
白いの黒いのと呼び続けて来てもう長い気がする。

…今日こそちゃんとなまえを聞こうと考えながらも、頭の中では対価として受けた傷が消えたことが謎で、それ以上に。

とても悲しかった。
これから、この阪神共和国に探し物をするためにみんなで探索に出るらしい。
私は、怪我が不思議と治ってしまったから参加できて、でもそれは本当は、本当は。
遣る瀬無い思いで、いっぱいだ。
例え昨日ハッキリと空汰さんにNOと意思表明した所で与り知れないところなんだから意味はないけど。
なんで私は、と。そればかり考えてた。