とくべつ
8. 嘘吐きと隠し事紗羅ノ国
声が、聞こえた



「…き……て…」


光がチカチカと消えては瞬く。それがずっと暗闇の中に居た光に慣れない私の眼球を不快にさせる。



「おきて…」


そしてその光の瞬きに耐え切れなくなった私が呻き声を上げながら瞼を持ち上げると、逆行に照らされた一人の人間が見えて。
…そしてそれが寝ぼけ眼でも子供のシルエットだということに気がついてしまい、私はゾクリと身震いする。
…デジャブだ。高麗国で一度あったシチュエーション。背後から子供に容赦なく殴られて物取りをされたあの日。

ここには生きている者の気配はしなかったはずなのに、というか現にすぐ近くまで生き物が迫ってきていたのに何を悠長に眠りこけていたのか…!生き物の気配がしなくても物凄く不気味な路地だったってのに!
…言い訳をさせてもらうならあまりにも夢に引きずられていたのだ。
…不思議な夢。何故か懐かしさを感じるような、切なく胸が張り裂けてしまうような。
未だに心が夢に引きずられたままながら、

段々と目は光に慣れて、いつの間に反射的に私はズザッと後退していたようで。


「……だいじょぶ?」
「え、あ、ああだいじょぶ?……だいじょぶ、かな?」
「…わからないの?」
「…何がわからないかも正直わからない、かな…」



あまりそういった先入観は持ちたくはない。…が、見放された土地で食にも金にも何もかもに困り果て、こうして旅人を襲うしか生きる術がない、というのは悲しいけどどこの世界にも付き物で。
やっぱり世界は例えるなら光と闇のよう極端などちらかにしか属せない人間が出てきてしまう。それでも同情してただただ物取りされ殺されるなんてしない。同情で死ねる程善人ではないし死を受け入れる強さもない。

…私だって生きていたいよ。そして同情なんていう一番卑劣な上から目線で人を、生き物を見たくない。
現にそう考えてしまっている時点でもう…と分かってる。でも。

…なんだか目の前の子供…黒髪で肌が日焼けを知らないように滑らかに白くて、ちょっとぽけーっとした目をしてる十やそこらにしか見えない男の子に、敵意があるように見えない…感じ取れない、のは。甘ちゃんな私の危機感の無さのせい…?
男の子は、膝をついて警戒態勢で居る私には近づかずに距離を取りしゃがみこむ。


「…お腹すいてるでしょ、おねーさん」
「え」
「眠ってるあいだ、おなかなってたよ」
「えっやだ何それはずかしー!」
「そうだね。でもにんげんだからお腹すくし」
「あ、そうだね。お腹すかない方が異常だしね」
「ね」


やだー何それ見知らぬ男の子にそんなん聞かれてたのー恥ずかしー!
でも男の子の言う通りこれ人間的にどうしようもないことだしまあいいよねー!

…なんて本気で素でのほほんと世間話をしてしまっていた。
……じゃなくて。私、なんで見知らぬ男の子と、こんな衰退的 廃退的なこの見放された町の一角でこんなほのぼのとお話しているんだろ…
私が警戒しているせいか知らないけど、男の子は一定の距離を保って近づかないようにしてくれているように見える。…や、私を気遣ってとか、それは考え過ぎかなぁ…

…でも。それは強ち間違いではなかったのかも。


「…きて。おねーさんになら教えてあげる」
「え、え?なにを?」
「僕の秘密のばしょ」


そしてずっと一定の場所でしゃがみこみ動かなかった男の子は立ち上がり、一歩、二歩とゆっくりと私の方へと歩いてくる。
…うん。この子の心というべきかは、敵意なんて抱いてない。明暗で言えば明でもないし暗でもないのだからなんとも言えないんだけど…
少なくとも暗ではない、と断言は出来るんだから、近づくな!と拒絶することはなかった。
…私も疑り深くなったなぁ。見知らぬ人にこんな疑いをかけて一方的な警戒をするのはとても醜い。でも醜くなければもしかしたらあっさりと死んでしまうかもしれないんだから。

男の子は私のすぐ傍まで近づき一瞬静止した。そして私にちょいちょいっと手で横に移動して、とでも言うようなジェスチャーをしてきたので思わず横にズレる。すると。


「わっ」


バコリ、と小気味よく何かが開く音がする。
どうやら私のお尻の下に隠し扉…というのか、お家の床にある収納スペースの扉を開けるような感覚でそこは開かれた。若干砂埃が巻き上がって咽こんでしまったけど覗き見てみる。
下にどこまでも続く秘密の地下組織!みたいな通路はないようで、本当にそこそこの広さの物置きくらい、でも人は十分に入れるだけのスペースだけがあり。

いったい何があるのかと目を凝らせば。そこには光り輝く何かがいくつも自己主張していた。
いつの間にか空にお日様は昇り、扉が開かれたそこに太陽の光が降り注ぎそれをチカチカと照らして反射させる。


「……く、果物?」
「…そう。この中にね、畑みたいに生ってるの、たくさん」
「ふええ〜すごーい。収穫した果物の倉庫じゃなくて、畑なんだねー。…あれ?でも水はともかく、扉がここまで狭いと…」


そう。ここはあくまで、何気ない路地に存在する倉庫のような物。
その扉は小さくいくら中がそこそこ広かろうと、開けっ放しにしていても太陽の光は降り注がない。太陽の光なんてなくても育つとか?あんまりピンと来ないけれど。

…いったいこれは…。いや、そもそもこの子はいったい。この見放された土地で何をしてるの?なんで一人で?この果物を食料として生きているからこの土地でも、というなら、
そんな貴重な物を赤の他人、こんな何処の誰とも分からない私に秘密を知らせる意味なんて…

その考えを見透かしたように男の子は少しだけ口角を上げて笑う。
倉庫に夢中になってしまってあんまり顔を見なかったけど、じっと見てみると少し煤で汚れているながら、端麗な顔立ちをしていると思った。黒髪だけど鮮やかな緑の瞳。謎は深まるばかりのその中で。


「だって、おねえさんは強いから」
「は」
「じゃくにくきょーしょく。獣は強いものについていく。…昔、ここに来た旅人がそう言ってた、だからそれから強い人達についてくことにしてる。その人が負けたら終わりで、またここに帰って来るんだ。遠くまで旅してると結構楽しいよ」
「……うん、そう、……だね…。物申したい所は若干あったけど…うん…弱肉強食…オオカミとか何かの動物の習性は確かそうだったような…。…なるほど」
「うん」
「………いやいやいや待っておねーちゃんは流されないぞー!例え君が仮に獣…そうだオオカミ少年だとしてもね!?私はとても強いなんて言われるような人間じゃないんですけどー!初対面でどこ見てそう思ったのー!?」


拍子抜け。唖然。
いったい何が、まさかこんなこと言って油断させて害がないように見せているけど何か裏があるのでは、なんて未だに疑ってかかっていながらも私は顎が外れるかと思った。
待て待て待て。けどもし本当にこの子がオオカミ少年だったとしたら致命的だぞー。
強い者と弱い者の力量が測れなかったら弱肉強食どころじゃないって、すぐ死んじゃうって、騙されたりしちゃうって、というか実際前についていった強い人負けちゃったんだよね、それで帰ってきたんだよね、失礼だけど見る目が結構ないと思うんだけどこの感じからして強い人が負けたっていうの一回だけじゃない気がかるんだけど危ない橋渡ってない?こんな素性の知れない私に強い!と断言してしまうこの子がとても心配だよー!

もう冷や汗出てきた。どうやって説得しよう。まず私は強くない、と説明するのも勿論だけれど、こんな風にもし本当にその人が強かったとして、いやどちらだとして人を選ばなければ大変なことになると。
…こんな風に接点が出来てしまったんだ、こんなの見過ごせないって…。
「わーアリガトー。ワタシ強者だから果物モラウワー。じゃっ!」とか甘い汁吸って帰れないよ!なんて泣きそうになっていたら。

男の子は楽しそうに目を細めて言う。


「そんなに強い力を纏ってるのに」
「……え」
「僕、普段は地下に居る。人が来たら地下から見定める。たいてい地下に人がいるなんて思わない。この町はこんなだから、すぐに拍子抜けしてかえっちゃうんだ。けどたまにとどまる人もいるからずっと見定めてる。それでも来る人が少なすぎるから、いつもはちょっとだけ強さの妥協しちゃうんだ。でも」


どくりと心臓が嫌な締め付け方をした


「おねえさんの纏うものみて、すぐに思ったよ。…ああ、この人は特別なひとなんだって」



きみは、何を。
そう言いたくて、口を開いても張り付いた喉からは言葉が出てこなくて



「だから」




おねえさんなら、そんな"モノ"気がついて倒せると思ったんだけど


…と。淡々としたトーンは変わらずとも、少し落胆した様子の男の子の言葉をこの耳が聞き届けた瞬間。
私は地面を転げそうになりながら蹴った。
…いる。背後に、なにか、いる。これは私が男の子に夢中になって、目が覚めてみんなと離れ離れになって不安で緊張して色々なことを考えていっぱいいっぱいで気がつかなかっただけなのか。
背後には確かに生きているモノの気配を感じていて、しかもソレは確実な悪意や敵意、殺気といったモノまで放っているときた。

…なんで、気がつかなかったの。
一晩眠る時は私も成長したから気がつくはずなんて豪語してスヤスヤ眠って男の子が来たのも気がつかないでこうして今も迫る悪意にさえ気がつかず。

…ああ、ほんと、私って戦場とか、人を疑うとか警戒とか。そんなもの根本から向いてないんだなあと思った。なんせそんなことをする必要もないまま一生を過ごせたはずの現代日本育ち。なら仕方ない。…いや仕方ないで済ませられなくなったからこうして震えも冷や汗も後悔も止まらないというのに。

ごめん名も知らぬ男の子。ほんと、強いとかそんなん言われるような人間じゃないんだよーほんとー。
振り返り対峙したソレには、悪意。そしてソレに対して私は。



「……でも、死ぬわけにはいかないからさー」


そんな気丈な物言いをしていたって足なんて生まれたての小鹿の如く震えそうだというのに、押さえつけていてももう駄目。
でも。
端から諦めたように死んでやるつもりはない…!
そう覚悟を決めて睨みあげた瞬間、「やっぱ、強いんだね」と場違いなトーンの男の子の幼い言葉を聞き取れたけどやっぱり彼の強いの意味はハッキリとは分からない。

目の前に居る悪意で満ちたような生き物は、ただの人間で、ファンタジーに出て来るような山賊のような風貌のただの男だった。
でも、そのただの男は私を本気の本気の本気で殺す気でいるのだとわかってしまっているから。その心が探らずともヒシヒシと痛いほど伝わってしまっているから。

もう、泣きたくてたまらなくなったりだってするんだ。
2015.9.5