消失
6.戻らない約束桜都国
昨日の夜、何か悪いことが起こったみたいだ。
小狼君の知り合いさんがこの国に現われた、とか。新種の鬼児が現われた、とか。そしてその知り合いさん…小狼君に戦いを教えてくれた人、本人が。
鬼児を従えていた…とか。

外から帰ってきてから小狼君はずっとぎゅーってなってる。見ているだけで痛々しくて心配になるけど、周りも黙するのみ。それは放っておくとか、心が無いとかじゃなくて。
それをするのはサクラちゃんが一番適任。その重たい心を暖かく出来るのはやっぱりサクラちゃんだけなんだろうと、しっかりと支えているその様子を見てまた思って。
そして今。小狼君と黒鋼さんが再び出かけて行き、ファイさんとモコナとサクラちゃんと私が居残り、お店を回していく。
…といっても私は何も出来ないでソファーに座っているのみで心苦しいことこの上ないんだけど、お皿を洗っている二人とそれをちょっかいかけるモコナを見つめながら、話を聞いていた。



「一緒に旅してるみんなにわたし、何も出来ないから。出来る事だけでも頑張りたいんです」


サクラちゃんにあるのは、出来ることを見極めて、でも見極めるだけじゃなくて諦めないで探して駆けようとする、お姫様らしくないか弱くない、強い心で、でもやっぱり女の子らしく暖かな物を持っていて、


「いつか…少しでも辛い事を分けてもらえるよう……に…」
「きゃー!サクラ危ない!」


純粋に、心から。迷いも曇りも無い心で想う内側。
それはとても綺麗なものに思えて、うつくしいモノに思えて。何よりも特別なコトに思えて、いつもサクラちゃんの傍に居る度に…話をする度に感じ取れるこの心に、私は羨ましいと思いながらもいっそ僻むことも出来ないくらいだ。
羨ましい妬ましい〜なんて思うレベルを超えた国宝級だ。だって町ですれ違う人だとか、そんな人からも心は沢山感じ取れるけど、こんな子は今まで出会ったことはなかった。世界で一番特別な女の子だとさえ思ってしまうのは何故なのか。…感じ取れるようになったのはごく最近のことだけど、それでも。

じゃあ私は…私に出来ることで。これから出来ることはあるだろうか。
…なーんて考えていた一瞬のうちに、サクラちゃんの身体はぐらりと傾いて…


「…ね、ッ眠っ、ちゃった…」


…に…と最後の呟きをもらしながらふらりと傾くサクラちゃんに咄嗟に手を伸ばすことは出来ず。隣にいたファイさんがしっかりと受け止めてくれて安堵の息をもらした。
近くに居たモコナでも流石に受け止めるのは無理だったろうしナイスすぎる…!

いきなり脱力して頭打っちゃったら大変なことになるよね、それは……!もしもし打ち所が悪かったら、なんて考えたら…うわーもうグロ!駄目ゼッタイ!
私はカウンターよりずっと遠い所にあるソファーに座ってるだけだし、届かないって分かってても思わず立ち上がったから思いっきり足が痛いっ今頃だけど痛いっひぃっ
っでも本当によかったよー!あのまま打ったらなんて想像したら笑え無すぎ…!

そんな風に一人でわーわーと離れた所から全力で動揺してたけど。それでも。ファイさんがぽつりと消え入りそうな声で呟いた言葉は…。


「…本当に良い子だね…サクラちゃん。
俺なんか、でも…今…幸せを願ってしまうくらいに」


私にはちゃんと聞こえてた。


…どういうこと?なんだか引っかかる言葉だったしその言葉はとても重い……
…というか。言葉も、だけど。あの人の心が、静かに静かに、穏やかに。…それでいて…ざわついてる。
何だ、これ…
どくん、と心臓が嫌な音を立て始めているのに気がつく。
穏やかで静かに、それに反して静かに感情を燃えさせる、それは静かに笑いながら怒る人がとても怖いみたいなモンで、とても、
……いや、これは違う……


「サクラどう?」
「大丈夫だよー、最近はずっと頑張って夜以外は起きてたからねぇ」


ファイさんが二対あるうちの一つのソファーにサクラちゃんをそっと寝かして毛布をかけてあげる。
私は隣のソファーに座ってて、私達二人のたまの定位置だ。
…でも…違う、そう違う。これは心じゃない、いやそうじゃなくって!
モコナがファイさんに話しかけるのを聞きながら静かに目を瞑って。周りの空気を感じ取るように意識した。それはファイさんの心の揺らぎが気になるっていうのもあったけど、もっとそうじゃなくて、何か嫌な予感がするような虫の知らせを聞くような心臓が痛くなるようなものがあって…何これ、凄く気持ち悪い、心臓がどろりとした黒いもので覆われて下に重く落ちていくような、そんな不快な感覚。


「ファイ前におっきな湖があった国で言ってたよね。笑ったり楽しんだりしたからって誰も小狼を責めないって」
「うん、それがどうかした?」


モコナが可愛い声で真剣にファイさんに問いかける。
ファイさんはへにゃ、とそれに答えながらもサクラちゃんがちゃんと眠れるようにせっせと毛布をかけ直したりしている。


「ファイの事もね、誰も叱らないよ小狼もサクラも黒鋼もみんな…
も」


そしてモコナがこんな言葉を不意にかけても同じ笑みで笑ってみせて。


「…俺いつも楽しいよぅー」


…嘘吐き。なんて私が考えなくてもきっとみんなもう分かってるはずなのに。馬鹿じゃないのかなこの人。ハッキリと頭で"これはこうだから多分この人は"なんて考えてついてははいなくても、人はそういうの、無意識の内に、気がつかないうちに感じてるはずなんだよ。だったらそんなの無意味だ。それなのに突き通すなんて馬鹿だ。完全に隠し切れない嘘はもう嘘じゃないのに。


「でも笑ってても違うこと考えてる。…違うもののこと」


驚いたような顔をしてからすぐにまたへにゃっとした笑顔に…少し切なそうに眉を下げながらこんな時でも笑みを作って心はざわつかせて、そこまでして何がしたいんだろう
いつまでも隠してる守りたいその心って、そんなに価値があるもの?私には一生をかけてつくような嘘は重過ぎる。どんな人にとっても終わらないものは重い。

…あーもう!心臓が痛いくらい鼓動打ってて気持ち悪い!唇が震えるし、息も切れるし、息がし辛い、それは重苦しい心を察知してしまったからってだけじゃないし…
…嫌だ嫌だ、あー……もうなんでこうなるんだろう……嫌だいやだ、人がそうどんなに拒絶しても怖くても、恐れてその時は必ずやってくるもので。


「…モコナは本当にすごいなぁ」
「モコナ108の秘密技のひとつだよ。…寂しい人はね、分かるの。ファイも黒鋼も小狼も…も。みんな何処か寂しいの」


真っ青な顔をしたまま堪え俯いて居る私の方を、ファイさんがモコナの言葉でゆっくり振り返ったのがわかる。


「一緒に旅してる間にその寂しいのがちょっとでも減って、サクラみたいなあったかい感じがちょっとでも増えたらいいなって、モコナ思うの」


私はゆっくりゆっくり、顔を上げる。そこには当たり前にファイさんが居て、肩にモコナが居て、その奥のソファーではサクラちゃんが穏やかに眠ってて、それで、

とても戸惑ったような瞳をしたファイさんと目が合って。その時にはもう、咄嗟に言葉は出ていた。頭で考えなくても言わなきゃいけないことはもう分かってた。


「……そこ…」
「………?」
「……そこ、開けないで………」


震える手でファイさんの服を引っつかんで、サクラちゃんの前に守るように立たせる。喫茶店の表に一つだけあるドア。開けないで、なんて言ってもいつかは開いてしまうのは分かってたし、ならばもう先に打てる手は打っておこうと、眠る無防備なサクラちゃんの前に立たせた訳で。
思いっきり引っつかんで背中押したのにぐらりともしないスペック腹立つわー!なんて心で茶化しつつも、片手でドアを指で指す。…あ?なんで指なんてさしてんだろ私?
ドアに、というかドアの向こうに私が異常になってる原因があるのなんて分かりきってるのに、なんでさしたんだおい私ー?

正直骨折している方だし貫通した方でもあるから痛い、勿論痛い。
ふざけんな私おいその指を、手を下ろせ!と思っていても手が勝手に動いているようでおろせない。自分の身体なのに恐ろしいことこの上ない!痛みに悶絶しながらもその手に恐れ戦いていると、ファイさんがそっとその手に自分の手のひらを重ねてそのまま降ろすと何事もなかったみたいに簡単に元の感覚に戻って、まるでマジックか超能力か手品でも使われたような気分だった。

…手が、火で炙られたのか?ってくらいに凄く熱くなってる。というか!
今そんな無駄なこと言ってられないだろおいおい馬鹿め!と訴える声が響く。中に、中心に響く。それみたことか今だ、もうすぐだ、と重低音、警告音、心臓の音がすぐ近くに聞こえてもう心臓が口から出そう。なんでこんなこと察してしまったんだろう…。

ドアの外からか嫌なものが近づいてくる気配がして、明確な悪意が伝わってきて
その心が、
広く流れてくる

その空気とは裏腹に軽快にカランカランと響くドアのベル。そして開かれたドア。そこから直に入り込み流れ出す黒い空気。これは多分、敵意だとか、悪意だとか、害なす意思だとか。そういう物の塊なんだろうなとなんとなしに感じた。



「……いらっしゃいませ?」



このドアから入ってくる人は普通はお客様。でもいらっしゃいませ、なんて言ってみたって、よく言う招かれざる客、とはまさにこのことだろうなあ。
明らかにこの店の店員ですよ〜って制服を着ているファイさんがそのまま私たちの傍から動かず、注文さえ聞こうとしない明らかな様子を見ても、笑いながらそのお客さんは問いかける。
マントとフードを深く被った黒髪の男の人だった。


「ここに鬼狩りがいますよね」
「……それで?」
「…もう全部分かってる風だな。それだけの魔力があるから?……違うね、これは…後ろの彼女から…なのかな」



最後の言葉の辺りで一気にざわりと空気が揺らいだ。それは笑顔のお客さんからなんかじゃなくて、目の前に居るファイさんからだ。
悪意を悪意で洗い流すかのような揺らぎにもうこのまま失神してしまえたらどんなに楽なのにと、引きつり笑いでさえも保ってみせる。
隙を見せたらアカンで〜という本能からなんだけど、もう吐き気がしてたまらん。リバースしそう。トイレに駆け込タイムをくれと言いたいけど言えやしない。
この部屋に漂う異様な空気に圧倒されてなんにも言えなかったけど……この人後ろの彼女って言った?振り返ってみてもサクラちゃんは眠ったまま。その人の視線は私に向けられてる。


「……は…、」

…わたし?サクラちゃんじゃなくて、私を見てる。はいはい?私が、何?
分かってる風、そう、私はわかってた、この人が来るのがわかってた。全くその通りだ。
…なんとなく、予感がしたから。…これはジェイド国で開花してしまったスピリチュアルなアレが強化された末の物だとは思う。そしてその力はファイさんに言ってもないのに知られていたようで、この目の前のマントの男の人もそれこそ分かってる風だ。
…気持ち悪い、流れ込んでくる悪意のようなものが気持ち悪くてたまらない…。
しかも、それだけじゃない。もう自分が分からなくなる。…この異質な空気や自分の開花した能力で何かを感じ取る度に、嘔吐してしまいそうなくらいの不快感を感じて、この力がなんだと言う前に冗談抜きでしんでしまいそうだ。

…この人たちは、なんだって私自身がわからないことを知ってるのかね…あー腹が立つ…!おえっ


…ああ、もう。こんな風に、どんなに茶化したって怖い。怖いに決まってるじゃんか。いい加減に慣れろ!って仲間に怒鳴られたって怖い気持ちはきっと消えない。多分それは私は絶対に自分の身は自分で守れるのだと、確信出来なければ一生続く。


「…鬼狩りの二人にね、消えてもらおうと思ったんだけど…これは分が悪い…いや?まだまだ不安定みたいだし、大丈夫そうだね」
「……誰?」
「さあ、誰でしょう」
「………その右の目…」
「…ああ、彼女も分かるんですね。でも…さすがですね。……貴方は本当に不思議な形をしてる。何を…背負ってるんですか?」
「……黙って、もらえるかなー」


ざわり、揺らいだ空気の中で、場違いなやり取りが交わされる。相変わらず何が起こってるのやらパニック状態であっても、ふとマントの彼の右目に違和感を感じる、だとか、何か疑問に思った瞬間スルリと口からすべり出す。
それに対して分かってる、分かってるって他人が口を揃えて!あーもう煩いんだよ私本人は何一つ分かっちゃいませんよあとファイさん怖いから!
何が起こってるのかわからない。…いや、でも分かることは一つあった。

この状況下、怪我をした私は走って逃げるっていう単純なことさえまともに出来ない。そして小狼君も黒鋼さんも居ない中で、眠る無防備なサクラちゃんや、モコナを守れる戦力はファイさんだけしか持たない。でもきっとこの人は私を守ると言う。そんな嫌すぎる確信が出来上がってしまっていて、バッと睨むように勢いよくファイさんを見上げた。
すると案の定出てきた言葉に、勢いよく怒鳴りあげてしまった。


「…守られて」
「そんなの絶っっ対嫌だよ!!」
「…お願いだから、守られるって約束して」
「…ぜったいに、絶対に嫌、だからね。分かってるでしょ、優先順位。どう立ち回るべきなのか、誰を守るべきなのか、賢いんだからそれくらい分かるよね、ファイさんは」
「これが俺の本当の望み、なんだよ」
「………なら、」


さっきの手の平だけじゃなくて、頭から身体から何もかもが熱くなってきてしまって、でも一番手の平が熱くて火傷しそうで。体中から何かが湧き上がるような感覚を抑えながら、ふらりと朦朧としてきた思考をどうにか頬を叩いて痛みで制御する。
…うん。私の頭は今するべきことがわかっているようだった。
サクラちゃんを…守らなきゃ。勿論モコナも。でもサクラちゃんは意識さえない。私は足がどうと言っても完全に動けない訳じゃない、意識さえあればもしかしたら免れるかもしれない。…それにサクラちゃんに何かあれば、悲しむのは小狼君一人だけことではない。

馬鹿みたいだ、今の状況から見れば、悲しむ人云々の前に、状況見て当たり前のことは分かってるのにいまさらそんな。
なんで守りたい守りたいこんな平凡な人間に言うのか、理不尽さが超えるともういっそ喚き散らしてしまいたくもなる。


「……じゃあ、それなら、それでファイさんが心から幸せになるって、約束してくれるの!?」
「……」


ぽつり。苦々しく吐き捨てるように呟いた言葉は、そんなこと出来ないと。言い切れると私は分かってた。


「私を守ることで、いつも私に接する度に心が重たくなってる、あなたは幸せになれるって誓える…!?」
「……やだなぁ…、半端に力があるっていうのも」


ぽつり、ぽつり。一言一言吐き出す度にふつふつと怒りのような物がわいてくるのがわかる。


「……本当に、本当に約束できるならあなたのお姫様にでもなんだってなってあげますよ……だから私のためになんて、絶対に……!」



馬鹿らしい、と。吐き捨てるような言葉を押さえ込んで。


「……約束する。今度こそ俺は…幸せに、なるよ」


その瞬間、相手の瞳を視る。それは心の目ってヤツなのか、目で気持ちを判断するために。…私にはもう分かってしまうようになった。それに今まで生きてきて一番必死によく視ようとしてきた人の瞳だから、余計にわかる。


「………世間話はそれくらいで。もういいかな?」


今まで敵ながら寛大に、面白おかしそうに、堪えきれないといった様子で笑みを湛えながらも、やり取りを見守っててくれた彼が揺らぐ。彼が従えてるモノが、揺らぐ、私達二人をぶわりと包み込むように
それはじきに私達を飲み込んで…そう身体を突き刺してしまうのかもしれない

でも私はその一瞬、怒りが頂点に達したのか、恐怖なんてものは全て忘れていて。周りさえも見えず、黒い塊だとか嫌な不快感だとか、全部感じないで。この人がずっと自分自身を隠すように押さえつけようとしていた、恐らくは魔力、と呼ばれていた"力"を、そんなに必死だったモノを私のために解放しようとしてしまうその姿が、

「……だったら、そんな顔で、そんな……嘘、つくな!!」


──腹が立って仕方が無かった。
──手の平が燃える。ように熱い。また光に翳すように手の平が宙へとあがる。
冷たい瞳。へにゃりともしない無から生み出された形ばかりの笑顔、そんな顔で見え透いた嘘と共に使われるくらいなら、その場限りの嘘で簡単に約束が破られてしまうのなら、


私は全部"無かった"方がいいと──…

……?

、…………?考えて?

考え、た。それ、で、ぷっつり視界が真っ黒になって、



「さよなら、……………可哀相な世界の人達」



包み込まれて









──緊急事態、鬼児が一般人を襲いました!襲われたもの死亡、場所は喫茶猫の目、


──死亡




          ──死亡