かえりたい、もどれない
5.誰かにとっての願いジェイド国
ちょっと痛々しい描写があります。苦手な方はご注意を。






……頭が酷く痛んで意識が朦朧としてる。
目を薄っすらと開けても全然焦点が定まらない…

…私、何してたんだっけ…頭が痛い、体中が悲鳴を上げてる、お腹がとても痛いし、何で寝転がってるんだろう、いや考えるよりも…
足が、とても痛くて。痛くて。起きて歩けるかどうかも疑問だ。ちらと見てみても、腫れたり異常な感じは見当たらないから、骨折はしてないみたいだけど…。
…腫れてるというなら私の右手の指かもしれない。腫れあがって動かせないし。

そもそも、私はなんでこんな所に。
崩れかけのレンガ造りの部屋。ベッドがいくつかある。ドアはなく、まるで牢屋のように柵が隔たれてあるだけ。
そこに直に私は転がされていて、
それだけじゃなくて…ぐるぐると全身に鎖が巻かれてる。

…いったい、何なの、これは。本当に何これ…
気を失う前に確か私はサクラさんを追って行って、それで雪の中を滅茶苦茶に進んで、一生懸命に進んで、背後に刺さるような何かを感じて、振り返ってそれで…


「……そういう、ことか」



つまりそういうこと。あの町の人の中に悪意を持った悪役が居たということ、それだけで。
まさか鈍器で頭を殴られるだけじゃ終らず首絞め、腹蹴りなんてアブノーマルなことをされる日が来るなんて思いもしなかったよー…
…あのね、茶化してるようだけどね、私、凄く怖いよ。
身体は鎖で拘束されてる、ここが何処だかも分からないで一人で捕まってる。
助けは望めそうにない。
動けないという事実は強い恐怖だ。制限されることはとても恐ろしいこと。
誰かの手の内にあるのだということは、とても恐ろしいことじゃないか。

…どうしよう、私、どうしよう…
まさか「誰かが助けてくれるよ、きっと警察が!」なんて言わない。だってここは日本じゃないから、どんな仕打ちを受けるか分からない。

身体中痛いし息をするのも苦しいし寒いし、張り付いたワイシャツは乾かず冷たくなってるだけだし。もう希望なんてないんだと絶望してもおかしくないくらいだ。
私には特別な力も能力も無い…
だったら、指をくわえて最後の瞬間を待てというの?


「…い、やに決まってる……ッ」


自殺願望なんて持ってない、死にたくないと生にしがみ付く意志も残ってる、
だから死んでやる気なんて無いんだってば、でも本当に誰かに嘘だって言って欲しいくらいだって。なんのジョーク?ブラックなジョーク?いやいや冗談じゃ済まされないって!…でも。

これは現実だよ、私。本当に頼れるのは自分だけなんだって。甘やかされすぎてそんな当たり前のことも忘れてしまった?
…そうじゃ、ないでしょう。


「…く、鎖…鎖を砕けば…ッ」


幸い手錠や足枷なんて厄介なものはされてない。
このぐるぐる巻いてある長い鎖はとても古くて錆びているように思える。
…もしかして、ここ、お城だったりする…?強い力をもっと近くに感じる気がする。

…この鎖なら体当たりでもすれば砕けるかもしれない。ただ、全身を使って壁に叩きつけた場合は大きな音が響くだろうし…
私を連れてきた本人に気が付かれたら終わりだ。

…絶体絶命?あーもう、脱出ゲームでもなんでもいいから思い出せ、こういう時はどうやって切り抜けるのが最善なの?
何か、何か壊すもの、音を立てなくて済むモノ、部屋の何処かで見つけないと私は身一つだから自身には何も期待できないし、だから、


「…!あの、フック…」


あれ、あれはどうかな…!?
部屋を見渡してみると、そこにはレンガの壁に鉄で出来たフックのような物が埋め込んであった。
何かを引っ掛けるための飾りだったのかもしれないし、元々はあそこに何か置物があったのかもしれない。
壁の端から壁の端まで芋虫のように這って進んでいく。…ああなんて滑稽な格好なんだろ、でもこんな恥も外聞も気にしてる場合じゃないんだってっ

這って、這って、部屋の端から端まで長い時間をかけて辿り着いて、もう息も絶え絶えだ。
鎖が地面に擦り付けられる音さえも配慮しなきゃいけなかったから余計に力を使ったし、
だから後は頑張って起き上がるんだ、そして立ち上がって、ちょうど背中にギリギリ届くくらいのフックに鎖を引っ掛けて、

……息を整える。そのまま勢いよく。


「っぅ゛……ッ!!」


引っ張る!
そうすれば脆い部分が上手く引っかかってくれたなら砕けるかもしれないと思っていたけど。計算違いだ。
そんなことは一切なく、努力も虚しくフックの方が壊れて勢いはそのままに倒れ込んでしまった。…い、痛い、何これ…!
何が痛いって、勢いよくゴツゴツした瓦礫の上に倒れ込んでしまったこともだけど…!
…鎖が壊れてる、鋭い瓦礫の上に容赦なく倒れ込んだから、壊れた、んだと思う。…でも…
でも。"壊れた"のはそれだけじゃない、身体じゃない、足じゃない、顔じゃない、違うどこかが熱をもってじくじくと膿んでいる。
…私の手、だ。私の手平から、甲にかけて。ソレはキラリと光ってこんなにも存在を主張してる。


「か、貫通、して、……ッう、ぇ゛……ッ」


釘のようなものが貫通していた。
それは見事な刺さりっぷりで、あれだけ勢いがあったんだしおかしなことじゃない、
でも痛い、いや痛みはまだじわりとゆっくり侵食して、アドレナリン大放出が効いていてあまり感じない、でも

とても恐ろしい。こんなことは体験したことない、こんなグロテスクなことが自分の身に起こるなんて、貫通、手のひらを、釘が、異物が…
…う、ぇ…ッは、吐きそう、気持ち悪い、なんでなんでなんでこんな…ッ

身体に巻きついてた鎖は案外一部分が砕けてしまえばあとは簡単なようで、次第にばらりと解けていき自由になった身体で自分を抱きしめた。
片手は使えず宙へと浮かせたまま。

…だめ、なんだっけ、こいうの、刀でもなんでも抜いてしまうと血が溢れて、このままの方がいいんだっけ、わかんないよ、ネットで見た医療系のホームページにもこんなイレギュラーな対処法書いてなかったって、こんな、こんな、


「……こ、んな、…しる…、…わけ…」


──しるわけがない。こんなこと、現実で簡単にこの身に起こってたまるか。
…ふと。そんなことを考えると、見知らぬ現実から逃避するかのように、かえりたい、と。うわ言のように言葉が出てきてしまった。 …かえるって、いったいどこに?すぐに我に返れるような分かりきってる言葉はなんて馬鹿らしい。
別に面と向かって拷問にかけられた訳でもない。
でも頭は何度も殴られるしお腹に蹴りだって容赦なく入れられた。もしかしたら女性としての大切なモノが機能しなくなるかもしれない、
首を絞められたままだったら死んでしまう、そんな弱い生き物なんだよ、
私は、私達は。人間と言うものはとても強いけど。
同時に脆くもあるんだよ。私の心は特別弱くて、こんな風に監禁されるのも今後どうなるのかも考えると恐ろしくて簡単に泣いちゃうし、

どんなに「守ってあげる」なんて約束しても、私はずっと怖いまま、
約束したファイさんも傍に居ない、それを鵜呑みにして嘘吐き、なんて言うつもりは全くない、ただ。

自分を守れるのは自分だけ。そしてそんな自分は。なんて弱くて情けない頼りない人間なのだろうと。
これが命の重みに対する対価なのだとわかっていたはずなのに…うちに帰りたい、なんて。何もかもを無かったことにするような。
約束を破ってしまうほどの。覚悟を台無しにしてしまうほどの言葉を吐いてしまった。私はだいぶ極限状態にいるのかもしれない。精神的に不安定だから、だから言ってしまった。そう思ってないとやってられないではないか。

怖かった。いつか、死んでしまうんだろうなあ。いつか、私は世界の暴力に負けてしまうんだろう。それはとても悲しい、お父さんお母さんよりきっと先に旅立つ親不孝だ、
京にも学校の悪友たちにも男の子にも、愛しい何もかもとサヨナラするってこと、
だからねえ。

私はここで泣いて蹲るで終らせたら駄目なんだよ、怖くても動かなきゃ駄目なんだよ。…駄目なんだって。


「た、すけ」


──なんて。
どんなに泣いて泣いて嘆いて求めても、だあれも助けてくれないって。早く自覚して。早く切り捨てて。自分だけしか信用しない私に成らなくちゃいけないのにねえ、早くさあ。

…さあ、もう行かなきゃ。誰にも見付からないようにこの部屋を出なくちゃ。
一種の牢屋なのか、柵で隔てられてる。でもこんな昔の簡易的な牢屋はヘアピン一つでなんとかなりそう…な、ものだけど。強く押してみたら脆く崩れて開いてしまった。
敵さんも馬鹿だなあと思ったけどきっとそんなに頑丈な部屋はこの何百年も放置されたいたような城にはなくて、
作る暇もないはずだ。


「……早く」


……私、早く強くなりたいなあ。誰にも縋りたくないからねー。縋ってしまうことはとても虚しいことだとわかってるから、早く強くなって自分を守ってあげられるようになりたいんだよ。自分のステータスじゃとても難しいことだって分かってるけど。努力せずに動かずに前進するはずがないし。
所々崩れている城の廊下を走る私はやっぱり一人で、前にも隣にも後ろにもだあれも居ない。
段々と走って行く程感じる力が強くなってく、きっと力の根元…

サクラさんの"羽根"がこっちにあるはず、間違いない、自分を信じよう。

…足が、痛む。ただ進むだけがこんなに困難なことだとは。
骨折ではない、多分捻挫。でもそれだけでも走るんて無茶、無理したら後でどれだけこじらせるか。でも…足を捨ててでも今の命をとるべきだ。右手の指は多分折れてる。震動さえも激痛に変わる。でも。

元の世界で、今の心配より後先の「お父さんお母さんに怒られる!」なんて考えた私とはサヨナラ、変わらなくちゃいけない。
今の痛みよりも未来の命の方が大事なんだと分からなくちゃいけないんだよ。


「…、ぅ゛、…ッ」


そのまま走って、そのまま右へと曲がる、そうすればもう近い、はず。行き止まりになったりしてなければ大丈夫。
きっとそこに羽根があればいずれ小狼君たちも来ることだろう。情けなく助けてもらう形になるかもしれないけど、自分で今の状況を何とかできるなんて思ってないし。
ある意味賢い選択だと思ってるよ、私。恥ずかしがって見え張ったってお腹は膨れないし命は救われないもん、決めたでしょ、

"微量の出来ることを全力で"やるって。
それはきっと自分を上手く逃がしてやれること、戦闘要員になれるなんてそれこそまさか、空想の域を何百年経っても抜け出せないだろうよー!

私は早く人の温もりに触れたい、情けなくてもみっともなくても醜くても私、
独りは寂しい、独りで居れるように強くなることはとても凄いことだけど、理想だけど。


「……ぇ、ぁ……」


自分の判断だけでは道を間違えることも沢山ある。人は独りでは生きていけず、どんな形でも人と。知らない誰かとまたは知っている誰かと繋がって生きている、どんなに独りになろうと足掻いたってそうなるように出来てしまってるんだよ、
だから。

自分ではまさか。曲がった先がすぐに崖…いや床が抜けていて下へ下へと落ちていくような奈落の底だなんて分からなかった。気がつくことは出来なかった。
……無理。勢いをつけて走りすぎてて、踏みとどまれないし既に足がかたっぽずり落ちた、もう片方の足なんて痛めてる方だからもう無理だって、踏みとどまれないってっ!

…うそ、落ちる
……私今度こそ死ぬの?これが宿命ってヤツ?これが生まれた時から決められた死の瞬間ってヤツなの?

………そんなの、なんて馬鹿げてる

一生懸命生きてこれか。いや人間の大半なんてそうだ。どんな一生懸命生きても最後なんて意にそぐわず呆気なく終っていくもんなんだって。
…──なら、少し安心した。人間として普通の理不尽を受け入れて死ねるなら、これもまた一興だと。幸福だと、身体が傾いていくのを感じながらなんとなく考えた。
──普通を求める普通な思考は捨てなくては。でも、死ぬならもうそんな強さ必要ないし…
──最期くらいは普通さを求めても罰は当たりないでしょう、と。床が抜けた底の底の高さを考えて、ふと思い



暗転