世界とはこうだった
3.選ばれた手高麗国

屋根がぱっくりと穴を開けてしまって、その穴を塞がんと黒鋼さんが金槌を構えながらそこへと上り修繕する。
何で俺が人んちを、とぶつくさ言っていたけど、一泊させてもらったんだから当然でしょーと間の抜けた声で返事を返すファイさん。

…そう、あれから一日。私は理解が及ぶまで一晩を要した訳で。
…言い訳をするなら色々考えなきゃいけないことが積み重なってるからで、と言いたいけど。
一生懸命説明をしてくれた女の子…春香ちゃんやみんなに申し訳がない。

春香ちゃんはお母さんが亡くなり、この家に一人で住んでいるらしい。…あんなに小さいのに。私はあの頃、そんなことか出来たのかなあー…


「で、いつまでここにいるつもりなんだ」
「それはモコナ次第でしょー」
「あーくそ!なんであの白まんじゅうはあのガキの肩ばっか持つんだ!」
「あはは、春香ちゃんの案内で小狼君とサクラちゃんとモコナで偵察に行ったし、何か分かるといいねぇ」


…そう、あの小さな女の子が、"領主"というこの国の悪どいヤツに、
意図的に竜巻を起こされて家を半壊させられた。
その瞬間はとても悔しそうにしていたけど、今は笑顔で二人と一生物を案内してくれてる。
…あの頃、私はとても甘えたい盛りだった。それは春香ちゃんも同じだろうけど、
きっとあの平穏な日本に住んで馴染んでいた私は一人で自活して、立ち直れなんてしない。

…こうして他人のことばっかり羨んでないで、今をなんとかしたい。
でも、でも、私は怖くなるんだよなー…。
一歩踏み出した所で、どうなるか。その一歩は本当に正しい一歩だったのか?歩幅はちょうどいい?

そしてその頑張った一歩は、
──押し戻されたりしないの?
…なんとなく、感じ取ってはいるんだよ、ねえ…

しょっちゅう船をこいでるサクラさんの心配をする黒鋼さんに、ファイさんは真剣な顔つきで羽根について、記憶が足りないというサクラさんについて、話して。
…まだ自我のないサクラさんに、羽根を集めていったとして。どんなに頑張っても、もう小狼君のことは思い出さないと。戻らないことを呟きながら。


「それでも探すでしょう、小狼君は。色んな世界に飛び散ったサクラちゃんの記憶の羽根を。
…これから先、どんな辛いことがあっても」


先に思いを馳せながら。


「…で、もこれ飲むー?」
「……お茶?」
「…って、ナニ茶飲んでくつろいでんだよ!」


そして真剣な顔付きをしていたかと思えば、ころっと表情を変えてみせて。
とても器用な人だ。本当に器用な人。…私はとても不器用で、その人の機転で立ち上がらせてもらっているようなモノで。
自分だけくつろいでしまってる彼は黒鋼さんにしかられながらも、のほほーんとお茶を差し出していて。

私がそのお茶を受け取るのを待ってる。
せっかく入れてくれたお茶だし、厚意は無下にしてしまってはとても失礼。
でもね、でも。


「……私、少し、外に出てきたいんです」


私はその厚意を受け取りたくないんだよ。



「……一人で?」
「一人で」



急に空気の変わった私達を横目に、訝しげな目で見ていた黒鋼さんも、ふいっと修繕作業に戻る。意外と配慮に長けた人なんだなあと考えながらも、目はそらさない。

私は、一晩かけながら色々考えたよ。この世に無償で得られるものなんて限りがある。だからこそあのお店は得るものに対して同等の対価を頂戴しているわけで。
願いを叶えるならそれに見合ったものを。

対して私は、この人に、このお茶に、何か見合った相応しいものを渡したのか?
…否、でしょう。

私はおんぶに抱っこは嫌い。じゃあ一人でなんとか出来るのかと言えば違うけど、
今甘んじてしまったらきっとこの先もそのままだと思う。
それに…


「いってらっしゃい」



言いながら笑うファイさんのこの今の笑顔は、本当じゃない、嘘のものだと思うから。



ぐ、っと拳を握って立ち上がり、ドアを開けて外に出る。背を向けた後に刺さった視線は多分黒鋼さんのモノだと思う。
なんだか私達二人はなんとも言えない妙な距離感だし、変な空気だし、多分周りから見るととても変。自分から見てもとても変。

これが聖母のように無償の愛を注いでくれてるという稀なモノだというなら分かるけど、
嘘だ。あの人、そんな性分じゃない。

…ああー、なんでこんなに手に取るように分かっちゃうんだろう。私と付き合う人達って、稀に居るんだよねぇー…そういう子達が。
京もそうだった。母親父親もそうだった。公園の男の子もそうだった。
すぐに分かってしまう長所も短所もあった、でもみんなひっくるめて大好きだったよ。

──じゃあ、ファイさんは?
あの人はまだ、それらの大好きな人達と違う所がある。なのに、こんなに近くに居る。



「……道、覚えておかなきゃなぁー…」



まったく見知らぬ町を歩く。だいたいここの中華風、と言ったらいいのか。私には見慣れない町の建物は見分けが付かないし、
そもそも土地勘がないのに…ちょっと自殺行為だったかもしれない。
人がちらほらこの一本道を歩いてるけど…少し通りかかったって感じで人通りが少ない。困ったら道を聞ける人が上手く捕まえられるかもわからないなー…。

でもさあ、意地になってでも厚意を受けたくないって思っちゃったんだよね。
なんだかモヤモヤする。悶々とする。
あの人を見てると、あの人の色んな表情を見てると。体温に触れると。

…恋する乙女かよ!これが絶対惚れた腫れたのアレじゃないって言うのは命に代えても断言できるっつーのー!

でも、でもさあ!


「…みーつけた」



私は、あの人に、無償で守られてる理由も理屈も関係も時間も無い、ゼロの地点から
それって凄く不自然で、「君が好きだから」とでも言えば多少は無理やりでも惚れた腫れたのソレだと偽装も嘘もつけるのに、
あの人はそうじゃないし。頑なに何を言ったりもしない。


…嘘つき、嘘つき、バーカバーカ。
私はそんなに甘々に甘やかされているから、こんな風に



「……金目のモノ、持ってんか」



…簡単に、死んだり、するのかもね


ちょっと自分のせいなのを認めたくなくて、責任転換してみただけだよバーカバーカハゲ!
…ごめんなさい。心の中だからって、こんなことは全然良いことじゃないって分かってる。今し方のことだった。視界が、景色がゆっくりゆらりと流れていく。

…頭が、痛い。割れてしまうかもしれない、ってくらいの衝撃を食らって、
いつの間にか地面に倒れた衝撃も感覚も自覚も無いままに転がされているらしい。
ズルズルと腕を引かれて暗く細い路地に引き込まれていく。

…うわぁー、こんなこと初めてだよ。
なんていうか、日本でも親父狩みたいな感じでこういうことは稀にあるのかもしれないけど、
これは多分、もっと違う。


「お前ェ、旅人か?」
「……ぅ゛…ッ」


暗がりの路地裏に転がされて、逆光ながらもシルエットで分かる。
…私を殴ってきた彼は、恐らく物取りで、まだ小さくて、痩せ細っていて、日本にある"親父狩り"みたいにちょっとお小遣い〜なんてノリじゃない、真に迫ったものだということが。光の加減でちらと見えたその目はとても虚ろだ。

…私の持ってる金目のモノ、なんだろう。高校入学の祝いに買ってもらったポケットの懐中時計?
むしろ簡単に制服を追剥ぎしたらこの素材ならこの国では高く売れるかも、
お気に入りのネックレスなんて服の下にしててさ、
本当はチェーンが切れかけてたんだけど嵐さんと空汰さんの厚意で直してもらって、

それで、それで、
他に何が、
何を渡せば

…いいや。


「……いいよなぁ、旅人はよ……」



……何も渡しちゃ、駄目なんだよ!!

私は彼がもう一度長い木の棒のようなものを私に振りかざした瞬間、
ごろりと身体を転がしてやってから立ち上がった。すると思い切って振りかざした瞬間の彼はすぐには動けない。

体育のマット運動、馬鹿にならないねー!瞬間的に起き上がれるこの感覚!

実は殴られた瞬間はチカチカしてたけど、暫くしたら正常に近づいてきてて、動けるようにはなっていて。このタイミングを待ってみた訳だけども…。
それを分かってたのか。一度の細い腕での打撃じゃすぐに起き上がってしまうと、
分かってるくらい繰り返してるのか。
それとも、のんきに見える旅人で…鬱憤でも晴らしたかったのかなー。

…可哀想?少なからず同情してしまってるのは否定出来ないよ。

でも、でも、だからこそ渡しちゃ駄目なんだよ、どうぞ、なんて同情して恵んであげること、それは飼えもしないのに捨て猫にミルクを与えてしまうような、
一時だけ手を差し伸べてしまうような。
そんなことじゃ救われない、いつまで経っても救われない。だから、じゃないか。



「ッはぁ…!は…ッ…ぐ、くるじ……ッ」


走る。走る。走る。路地から逃げる。あの子から逃げる。多分きっと追いかけては来ないと思った。路地から出てしまえばある程度明るみに出ることになるし、あの子の体力ではきっと…。
分かってても走る。見えない何かから逃げるように。肺も痛いしお腹も痛いし喉も痛いよ、息切れがヤバイよ運動不足かよー!…あーあ、本当に生き延びると言うなら体力くらいはつけなくちゃね、本当に。
春香ちゃんに聞いてはいたけど。
今の領主は税金を二十倍に引き上げだーなんだーとんでもない無茶振りをしていて、
いや、その悪い領主になる前からこういった"層"が完全に無いなんてことはなかったかもしれないし。
今の領主になってから、もっと悪化して、飢えて、飢えて、こういうことして、
ああ、本当、日本には、あったか。なかったか。目に見えてなかったのか。
苦しいなあ、お腹が、胸も、頭痛いしさー、血がだらだらだしさー。
それに、さあ。


「……なんで、…いるんですか。…ぅ…ッストー、カー、です、かよ……っう゛ー、もぉお…ッ」
「すとーかー?」
「…だから、いつから、みてたのっ!!もおおっ、なんで、こんな人に、こんな顔みせなきゃ、…屈辱ぅう…」


血も流れてりゃ汗も涙も流れてる。
なんで泣いてんだ私、同情の極みか、本当に怖かったか、それにしても酷い顔、

手で覆っても隠し切れんわ、しかもそれをさぁ。いつの間にか路地から出た通りの先で、待ち構えたように立ってるあの人…
ファイさんににこにこ顔でガン見されるなんてさぁ!

なんで居るの、待ち構えてるの本当に怖いんだけど、ストーカー?
それとも初めて会った時言った占い師的なの本当なのかもしれない。
もしくは単純に長らく戻らない私を心配して、迎えに来てくれただけなのかもしれない、

だって本当に私の頭を撫でてくれるその手つきは優しいから。
髪にべっとりくっついた血が、自分を汚してしまうだろうに。もう、くっそーっ。


「要求は、なん、でずが」
「要求ー?」
「わだしに、ここまで、しで、何がほしいんです、かって!」
「ナニソレー?」


ここまで言っても無駄な足掻き…惚けをかましてくるこの人に、きっぱりと「黙れ、バカ、バーカ、とぼけるな」と口汚く睨み上げると、
少しもダメージを負った様子の無いファイさんがにこりと笑う。
…ああ、あのへにゃ顔じゃない。口汚く罵ってみるモノか、女子高生なんていう肩書きを捨てて。この人はドMかよー。

彼はその笑顔のまま、ようやっと自分の言葉を向けてくれるらしい。
やっとあれだけ頼んでもいないのに働いてくれて、要求を呑めと言ってくれる、らしい。

だから私はその私の血で染まってしまった手を取りながら待つ。
──また誤魔化されて、逃げられてたまるかと言う思いを知らしめるように。

そして、彼が言うには。