第五話
転.─?

中学校での俺達きょうだいの通称があった。それは「及川バカップル」。普通、双子というのは名前を二つ掛け合わせてもじったりして二人いっぺに呼んだりとか、「及川きょうだいー」だとか一括されて呼ばれるものだと他の双子の同年代を見て学んだ。でも俺達は「バカップル」。カップル、でも無くバカがつく程の通称なんてよっぽどだろう。。

双子、と言われて悪い気はしない。カップル、と呼ばれても悪い気はしない。どちらにも頓着しないしどちらだって関係ないのだ。
…少なくとも俺にとっては。
俺が片割れに求めているものはただ一つなのだから。



──↓──





「あ」
「…あ、岩ちゃんだ」
「その呼び方ヤメロ」
「なんで?徹くんも呼んでるよ?」
「だからなんかヤなんだよ」
「じゃあ岩くん」
「……やっぱ岩ちゃんのが響きがマシな気がしてきた…」


毒されてんのか…とぶつくさ呟く彼は、片割れの親友の岩泉くん、だったかな。うん。
元々そこまで離れてない所に住んでる彼とはたまに、引き合うかのように出くわすことがある。そしてぽつぽつ交わす言葉は岩泉君のからかいの言葉と、そして片割れのことのみ。からかいの言葉さえ片割れから派生されたような物で、所詮彼との繋がりは同じ中学といえどそれしかなかった。
それでも親しい友達のように砕けて話す。いつからだろうか、顔を合わせて自然と話すようになったのは。


「…最近、どうだ?」
「どう、って抽象的だねえ」
「フツー近況とかだろ。…あー…でもまー…俺が聞きたいのは…」
「100%徹くんのことだね」
「なんだこのムカつく感じ!」
「徹くんはねえ、相変わらずだよ。昔と一緒」
「……一緒…なのか…」
「なに?一緒じゃ駄目なの?」
「……変わった方が望ましいんじゃないかとは、…客観的にみると…」
「思うんだ。そっかあ。まだ距離感掴めないかなあ」
「…なんつーか、…」



言いかけて、沈黙。言葉を選ぶのか、こうして沈黙することはある。そしてお互い街中で目的があったはずなのに、よっぽど急ぎの用でもない限りあてもなく歩くのが暗黙のルール。
こういう時でないと、中学を卒業し、高校も別々、アドレス交換したでもない、そこまで親しくもない、でも何故か途切れない一つの物を接着剤に繋がれてる縁。話す機会はないから。
彼は、ぎこちないながらも言葉を探せたみたいで口を開いた。



「…あんまりこういうこと言いたくねーけどよ、…中学のあだ名、」
「ああ、双子のバカップル、…ああアベックかな?」
「あっさり言うな…。というか死語だっつーの…。…だから、さっき言った通り……、…あいつお前のこと何も言わねえから聞いた、…やっぱ変わらねえんだなあ…予想はしてたけどな…」
「言わないと、駄目なの?変わらないと変かな、やっぱり。恋人してるつもりはないんだけど」
「そりゃあ校内でベタベタくっついたり手ェ繋いだり登下校したりお揃いのなんかしらつけてたり、中学生の男女にしちゃあ、なんつーか、」
「まあ双子だしね。きょうだいだしもっとアレだね」
「…お前も結構あっさりしてるよな」
「そう?ありがと」
「貶してもねえけど褒めてもねえ」



ぽつり。言ってから、また沈黙。
手を繋ぐ。女の子同士がするスキンシップみたいに抱きしめたりする。思春期の双子のきょうだいにしては近距離で、登下校まで一緒で、お揃いのストラップに色違いの携帯、
どれもみんなからすれば「カップル」と言われるのだから距離感を図り間違えたのだと思う。
…やっぱりそれで片割れが嫌な思いをしたかもしれないのなら、距離感を計り間違えている私は、片割れの距離感をわからなくさせた私は、どうしても遣る瀬無くなる。

憧れていた"ふつう"がこんなにも難しいことだとは。分かっていたけど、分からなかった。お手本通りにやればいい。お手本のメロディー通りに歌えばいい。
でも音痴にはちょっとそれは荷が重い。きっとそんな感じなんだと思う。




『あの過保護っぷりとか接し方、結構異常だと思うけど』



何回目だか、岩泉くんとこうして出くわした時に言われた。中学を卒業した今だから改めて言えた言葉なのだと思う。
異常、とか。過保護、とか。接し方。異常の定義が音痴の私にはよくわからない。
だけど『恋人』だとか『カップル』だとか、「及川双子ー」「及川兄妹ー」とか、纏めた呼び方を「及川バカップルー」とか必ず茶化された辺りそれらしい、ということであり。


…もしもそうであったと、したら。



「もしもね、例えばそれがとても異常で、普通じゃなくて、みんなが恋人とかカップルとかいうみたいに……、…徹くんに私に…家族愛じゃない感情があるとしたなら、もしも、…多分…」
「…」
「多分、徹くんには私の中身が分かってるんだろうね。…正確には分かってないけど分かってる。やっぱり私達は双子だから、違っても」



──だって私は中身は及川家の人間じゃないんです。
そういった所ではあ?とか、頭おかしいの?とか。それこそ異常扱いされるのは目に見えてるけど。
例えば私の中の片割れへの愛情が恋情だったとする。例えば片割れからの私への愛情が恋情だったとする。でもあまりおかしなことではないと思う、いやとてもおかしいことだ。でもおかしくない。

何故かと言えば、信じてくれないならそれでいい。
まず私は中身は及川家とは全く無縁の赤の他人である。及川家に生まれる前はまったく無関係の18前後の女の子でした。
しかし。身体は血が繋がってても中身は別人。私もそういう意識で暮らしてきた。血が繋がってる。だから私と片割れと両親は家族できょうだい。それは覆らない認識。でも私達は他人という矛盾した認識。
だからこそ、片割れからの愛情が家族愛と恋情が入り混じってもおかしくないと思うんだよね。私は。
──例えばの、話です。恋人とかカップルとか言われ始めた時から考えた。
ああ、血が繋がってるから当たり前に結婚なんてできるはず無いのにねえ。
でも中身は全くの別人なのにねえ?つまるところ世間体なんてなんのそので、歪んだ価値観でソレを肯定してしまっている。いいんじゃないの、それもそれで、と。じゃあ今徹くんに私が恋情を抱いているのかと言えばNOと言えるんだけれど。

でもその認識が価値観が。片割れに伝わっていたとしたら。伝わっていたなら。
片割れにきょうだいで、それでいて他人という認識が移っていたのなら。
理屈としてはまあおかしくないんじゃないかな?いやおかしくても私はいいんじゃないかと思うよ。結局本当に結婚なんて出来やしないし片割れに恋情を抱いてるつもりはないけど、
身体はきょうだい、中身は本当に赤の他人だ。その事情を知った上でなら、こうしたヘンテコな認識を本気でしてしまってる以上、まあいいんじゃない?という適当なことしか言えない。

────それがどれだけ残酷な肯定であるかもわかっていながら、心の奥の奥で罪悪に塗れながら、きっと笑って肯定する。肯定出来てしまうのは、嘘じゃない。 出来てしまう事実に死んでしまう程の苦しみを感じる。それでもきっと私は笑ってる。


「…やっぱあの兄にしてこの妹ありだわ」
「この姉にしてあの弟ありかなあ」
「変わんないよなあほんと」

2016.1.28