第一話
起.─?
「徹くん、私××高校に行こうと思うんだ」
片割れのそのいつもと変わらぬ穏やかな笑みは、自分にとっては自分の心のうちを分かってしてやっているんじゃないかと思うような、悪魔の微笑みと錯覚した。
しかし、この片割れに限ってそんなことは無い。ただこの片割れにあるのは…
──↓──
弟とは小さい頃から上手く距離が取れなかった。
具体的に言うと五歳くらいまで、一切と言っていいほどに会話がなかったのだ。周りから見ればただ男女の双子だからねえ、と仲が悪いのだ、相性が悪いのだ、と仕方ないねえ、と悟ったように言われる。
でも家庭を見守る両親は異常に思っていたように思う。
──そりゃあ、片割れが片割れをそれこそ赤子の頃から"何故か"無視ししてたらねえ…。仲が悪い、だけじゃ言い切れない違和感が残ると思う。
その度に私の片割れは泣きそうに顔を歪めて視線をさ迷わせてもじもじとする。
私もそんな態度をされて、どうしたらいいのか分からずに五歳まで育ち。
「…──はおれのこと嫌いなんだ!ほんとはきょうだいじゃないんだ!たにんなんだ!まるでおれなんていない!ここには、だけ、で、俺だけ、で、…っきょうだいなんて、」
ある日、ちょっとした接触があり、いつものようにガン無視しようとした所で片割れがぶわりと涙を溢れさせ大号泣。そして言った言葉がこれだ。
がーん。私の頭の中では鐘が大合唱。違う、違うんだよ。徹はきょうだいとか、姉とか妹とか兄とか弟とかそういう存在が大きかったんだと思う、証拠に泣きじゃくってる、いつもガン無視する度に泣きそうで堪えて、分かってたのに無視して、
──でもね、徹、私だって人一倍きょうだいっていう存在、大きいんだよ。大きいからこそどうしたらいいのか分からなかった。分からなかったからきっと"前"の時に、私は…
私はその日まで幼いながらに、誰に教えられた訳でもないのにきょうだいとは…兄とは妹とは何故だか距離を取り、お話もせず、まるで無い物のように扱うモノだと思っていました。いましたんですとも。
でも徹の綺麗な顔をぐちゃぐちゃにして泣いてるのを見て思い出しました。
──ああ、そうか、私前の生きてた所で、きょうだいってそういうモノだと思って生きてて、そういう風にしなさい、って両親に教えられて育ってきた。それで…と。
所謂前世という物を思い出しました。前世はおそらく18前後。そこまでなると、自分の家庭の教えだけが全てでなくよそ様の一般的なきょうだい、というあり方も分かってたから、自分が特殊で他人が普通なんだと分かってて。
でも18年くらい当たり前にしてた習慣と認識は簡単には覆せない。
そして覆せない、でも同時に羨ましかった。友達やテレビに映る中睦まじいきょうだい達が。
だからこの時から、「ごめんね、徹」と一言だけ呟いて抱きしめて、歩み寄ることを決意しました。
初めて触ったきょうだい、抱きしめたきょうだい、緊張して震えたのを覚えてる。
異性に対する所謂のドキドキとかじゃなくて、ただ愛しい、恋しい、と慈しむようなその感情の高ぶり。
これが家族なのかあ、と思うと嬉しくもあり、初めて交わした言葉、呼んだ名前、それが今この瞬間でこのセリフかと思うともう悲しくて虚しくて申し訳なくて。
それからはテレビで見たり漫画でみたり街中でみた"きょうだい"という図を出来る限り実践してみることにして。
一年経ち、多少ぎこちないながらも手を繋げるようになり。
二年経ち、笑顔で今日あったことをぽつぽつとお話。
三年経ち、満面の笑みでバレーで今日何ができるようになっただの、学校で何があっただの、そしてまたバレーが云々、
四年も経てば弟の方は壁なんても一切無くとんでもなく嬉しいことがあれば私の鳩尾にタックルして嬉しいを表現する。
五年経てば五年前が嘘のようにどこの家よりも仲良しきょうだい。
そしてまた数年経つと…
私達及川きょうだいは、みんなにとある通称で呼ばれるようになることになる程…
「、がっこ行こ!」
「うん、今日日差し強いねえ」
「は肌弱いんだからしっかりしてなよ?」
「したよー。というか昨日徹がしてくれたし、」
「ひ、が、さ、」
「持ったよ…もう、傘なんて雨でもないのに…」
「、日傘の意味わかってる?」
「あ、及川バカップルだ」
起.─?
「徹くん、私××高校に行こうと思うんだ」
片割れのそのいつもと変わらぬ穏やかな笑みは、自分にとっては自分の心のうちを分かってしてやっているんじゃないかと思うような、悪魔の微笑みと錯覚した。
しかし、この片割れに限ってそんなことは無い。ただこの片割れにあるのは…
──↓──
弟とは小さい頃から上手く距離が取れなかった。
具体的に言うと五歳くらいまで、一切と言っていいほどに会話がなかったのだ。周りから見ればただ男女の双子だからねえ、と仲が悪いのだ、相性が悪いのだ、と仕方ないねえ、と悟ったように言われる。
でも家庭を見守る両親は異常に思っていたように思う。
──そりゃあ、片割れが片割れをそれこそ赤子の頃から"何故か"無視ししてたらねえ…。仲が悪い、だけじゃ言い切れない違和感が残ると思う。
その度に私の片割れは泣きそうに顔を歪めて視線をさ迷わせてもじもじとする。
私もそんな態度をされて、どうしたらいいのか分からずに五歳まで育ち。
「…──はおれのこと嫌いなんだ!ほんとはきょうだいじゃないんだ!たにんなんだ!まるでおれなんていない!ここには、だけ、で、俺だけ、で、…っきょうだいなんて、」
ある日、ちょっとした接触があり、いつものようにガン無視しようとした所で片割れがぶわりと涙を溢れさせ大号泣。そして言った言葉がこれだ。
がーん。私の頭の中では鐘が大合唱。違う、違うんだよ。徹はきょうだいとか、姉とか妹とか兄とか弟とかそういう存在が大きかったんだと思う、証拠に泣きじゃくってる、いつもガン無視する度に泣きそうで堪えて、分かってたのに無視して、
──でもね、徹、私だって人一倍きょうだいっていう存在、大きいんだよ。大きいからこそどうしたらいいのか分からなかった。分からなかったからきっと"前"の時に、私は…
私はその日まで幼いながらに、誰に教えられた訳でもないのにきょうだいとは…兄とは妹とは何故だか距離を取り、お話もせず、まるで無い物のように扱うモノだと思っていました。いましたんですとも。
でも徹の綺麗な顔をぐちゃぐちゃにして泣いてるのを見て思い出しました。
──ああ、そうか、私前の生きてた所で、きょうだいってそういうモノだと思って生きてて、そういう風にしなさい、って両親に教えられて育ってきた。それで…と。
所謂前世という物を思い出しました。前世はおそらく18前後。そこまでなると、自分の家庭の教えだけが全てでなくよそ様の一般的なきょうだい、というあり方も分かってたから、自分が特殊で他人が普通なんだと分かってて。
でも18年くらい当たり前にしてた習慣と認識は簡単には覆せない。
そして覆せない、でも同時に羨ましかった。友達やテレビに映る中睦まじいきょうだい達が。
だからこの時から、「ごめんね、徹」と一言だけ呟いて抱きしめて、歩み寄ることを決意しました。
初めて触ったきょうだい、抱きしめたきょうだい、緊張して震えたのを覚えてる。
異性に対する所謂のドキドキとかじゃなくて、ただ愛しい、恋しい、と慈しむようなその感情の高ぶり。
これが家族なのかあ、と思うと嬉しくもあり、初めて交わした言葉、呼んだ名前、それが今この瞬間でこのセリフかと思うともう悲しくて虚しくて申し訳なくて。
それからはテレビで見たり漫画でみたり街中でみた"きょうだい"という図を出来る限り実践してみることにして。
一年経ち、多少ぎこちないながらも手を繋げるようになり。
二年経ち、笑顔で今日あったことをぽつぽつとお話。
三年経ち、満面の笑みでバレーで今日何ができるようになっただの、学校で何があっただの、そしてまたバレーが云々、
四年も経てば弟の方は壁なんても一切無くとんでもなく嬉しいことがあれば私の鳩尾にタックルして嬉しいを表現する。
五年経てば五年前が嘘のようにどこの家よりも仲良しきょうだい。
そしてまた数年経つと…
私達及川きょうだいは、みんなにとある通称で呼ばれるようになることになる程…
「、がっこ行こ!」
「うん、今日日差し強いねえ」
「は肌弱いんだからしっかりしてなよ?」
「したよー。というか昨日徹がしてくれたし、」
「ひ、が、さ、」
「持ったよ…もう、傘なんて雨でもないのに…」
「、日傘の意味わかってる?」
「あ、及川バカップルだ」