第七話
1.歩み寄った兄が兄になった日
遥が15歳の時に失踪する。それは知っていた。時の流れなんて本当に早いもので兄は15歳になった。
最近こちらからも僅かながら歩み寄れるようになったのにと、ちょっとだけ名残惜しくもそれが必要なことなんだとスッパリと割り切れていた。
私が必要に迫られていたこと、それは自分の存在の不安定さを確立すること。自分の存在意義とは言わずとも自分自身という物を認め、足場を作り、納得をして今を生きるということ。
図らずともこの遥という兄のおかげでそれは出来始めてる。あの日触れられたことで自分の奥底を知れたし、求められたし、色んなものがストンとこの胸に収まった気がしたから。

だけれども。



「おいで
「…う、うん…」


いつものようにおいで、とまるで犬のように手招きされ、いや警察犬なんだから最早悲しきかな人外で犬ともいえるし間違いじゃないんだけど、と悶々としながら苦笑し近づくと、
腕をつかまれた。いつもは仲良し兄妹か!シスコンか!と言いたくなるくらいしっかり手を意味を分かってるのかこの兄に限って定かではないけども俗に言う恋人繋ぎをされたりする、のに。これではまるでガッチリとした拘束。
虚弱体質のモヤシっ子の握力なんて高が知れているけど、何度も言うように私も同じく虚弱体質かぶれだし強く出れないひ弱な性格。男女の差異と年の違いによりに呆気なく力負けしてる私にとっては若干ながら痛い。そしてそれをする遥の手が心配になる。
手を握る握力さえあるか不思議なくらいなモヤシなのになんでこんな、

あれ?え?と挙動不審になりながら後をついて行くけど、行き先を聞いてない。
「あの、…どこに、行くの…?」と恐る恐る聞いてみたら…
なんと。なんとだ。



「出て行くんだよ」
「…え、どこか、…出かけるの…?」
「…相変わらず察しわるい。…でも言ってないから分からないか…。」
「…」


もしかして、とはその瞬間既に察してはいたけども…



「警察犬、いっしょに辞めよ?」



こんな時ばかり洋兄に向けるような甘い笑みでねだられても、首かしげられても、
…というかどんなねだられ方してもそのおねだりの規模がでかすぎて、私の人生でかでかと左右するんだけどそれ、ねえ、あの。
どうしてこうなったんだろう。どこで私の人生の分岐点が出来てしまったんだろう。思えばこの遥に修正不可能、絶望的なくらいの嫌悪を向けられていたのに、いつの間にか優しくなった理由さえも未だに分からないのに。
急に変わった理由はともかく、優しくされるのは可愛がられ方からしてもまあ私が妹で彼が兄だから、というのは分かってるんだけど。

…拒否権なんてないんだろう、なあと思う。
なんとなく、なんとなくで。
遥が15歳になって突然の失踪という形で警察犬を辞めて洋兄が嘆き自分も警察犬をやめて探偵事務所を開き遥を、弟を探すようになる。
それが原作の始まり。なんとなくの未来予想図では私だけは警察犬をしてるのか、洋兄の傍でなんとなーくうろちょろしてるのかと思ってたけど。

まさか遥に連れ出されるなんて、勧誘されるなんて。それは遥自身に誘われるか野羅自体から勧誘されるか、自発的に仲間入りするかのどれかしか道はなくて、後者は絶対にありえないし前者もほぼありえないと思ってたのに。
きっとこれから出て行った先で野羅…テロ組織とかいう物騒な組織にも一緒に参加させられるんでしょう、それしかないでしょう、流されるままの人生、兄に逆らえない人生、いつからどうしてこうなったのか。
少なくとも12歳のあの日までは天地がひっくり返ってもあり得ない人生の分岐だ。嫌ってる兄が妹を連れ出す可能性なんて無だから。


「……、」



手を引き歩く遥の背中を見つめながら、一言も反抗することもなくただついて行く。
二人もきょうだいが失踪して洋兄も嘆くだろうし、警察も嘆くだろう。
なのに先を知ってるからか不安はなかった。…なにより…
少しだけ、私の手をいつの間にか引くのが当たり前になった遥の心が知りたいと思ってしまったのだ。
人の心が意思とは関係なく流れ込んできて色んなことを聞いてしまう遥。
私の心は聞こえているのか、と問いかけたことも、遥から触れられたことはない。それでいいと思ってる。その遥の一方的に知ってしまうばかりの心を、私は知りたい。

────なんで私の手を引いてくれるようになったの?
『なんであの時僕に触れたの』と問いかけてきたいつかの遥と同じように、私も遥に同じように疑問を抱く。私たちはどっちもどっちだった。
手を引かれて歩く、手を差し出すことを求められることは、いつの間にか私の生きる理由になっていた。
洋兄は妹に手を差し伸べてくれる。愛情を手を通して渡してくれる。けれど遥が伸ばすその手は愛情を渡すというよりも…
高々向こうに用事があるから繋いで誘導してやってるだけださっさと来いよ、というのが現実だったとしても、
引き寄せて必要とされてるように思えてしまう。都合よく私はその手を意義とした。
そして今、都合のいい曲解でもなんでもなく、
その手を差し出して、向こう側で生きることを求められるならば、私も生きよう
生きることを求められる限りは生きていようか。
求められないならば



いらないだろうと、自分という一個の人間に対する卑下でもなんでもなく思う。カラッと割り切れるような性格だったならこうは思わないのかもだけど。私はひとつの世界や人を、大好きだからこそ軽くまあいいか!というように割り切れない面倒くさい思考回路をしてた。我ながら重い愛なのかなんなのか。
だって最初から私という存在は遥にも、洋兄にも、むしろこの世界自体にもいらなかった。
だからこそ。
『にーにだけ居ればよかったのに』『こんな妹いらなかった』という幼少期の遥の言葉が怖かった。毎朝魘されて泣いた。自分がここに居ることが気が狂いそうになる。
知ってる、だって妹なんて存在ほんとは無かったんだよ遥、その嫌悪はほんとうは、当然の物だったんだよ、でもいつの間にかなんの因果かこんな風に関係性は変化したけれど。
求められる限りは私はそれに答える。
きっとこの世界の床の上の埃程度の役割にもなれない私にはそれしか出来ない。

私のこの手を自ら望んで引いてしまう意味を、いったい分かっているのかな、この兄は。おかしくて笑ってしまった。兄も、私も、ほんとにおかしいね。流石きょうだいなのかも。
2016.1.28