第五話
1.歩み寄った─兄が兄になった日
あの時私は包帯をぐるぐると、不器用でしかない手つきで無言で巻きなおしながら泣いていた。
死に直結する訳でもないたかだか骨折…軽症…とはいえ擦り傷よりは遥かに重い怪我を前に、ボロボロと涙をみっともなく絶えず零しながら泣いていた。
いつもあれやらこれやら減らず口を叩く兄も無言でそれを見てた。
私は表情は変えず無のまま、ただ涙を流す。
その涙の意味は兄に伝わったのかどうか。『他人の心が無条件に読めてしまう』という能力を持ったこの兄が私の心をいつも読んでいるのか。
あの日から暫くの日が経った今でも聞けないでいる。
「最近、遥が機嫌悪そうだなあー…」
「……そ、う…」
「でも機嫌よさそうだな」
「!?」
「…ぶっ…は分かりにくいけど分かりやすい」
「……洋兄の、言葉は…わかり、にくい…」
「だって二人ともどっちもだから」
「…機嫌、悪いだけじゃ、ないの…?」
「悪いけど良いなあ」
「……そ、う…なんだ…」
あのことがあってから、遥は目に見えて変わった。
…機嫌がいいか悪いか。いやご機嫌な時なんて滅多にないんだけど、常に不機嫌そうに苛立ってるように少なくとも私には見える。あまり表情を変えない兄だけれどこう、オーラというか微々たる表情の変化というそれくらいは分かる。
けれど、正真正銘の兄である洋兄からしたら遥の機嫌は良くて悪いのだと分かるらしい。
いつも通り夜の食卓を囲むけれど遥は寝てる。
頭の中に入り込んでくる情報量が多いために沢山寝ないと脳がショートするだとかなんとか。
遥は若干4歳にして能力に目覚めたのに、私は12歳になってもまったくそんな気配がない。のでそれがどんな感覚かもわからず日々訓練、訓練、勉強勉強の日々。
警察犬のその辺りは個人差があるので「絶対に」コイツはもう使えなさそうだぜ、という意味での判断は下されない。これが8歳辺りで目覚めるのが当たり前なんだという平均値があったらそろそろ大人たちの怪しい動きがあったかもしれない。ただでさえ男性恐怖症とかいう制限がある使えないワンちゃんなのに。
「……でも…」
「んー?」
「具合が悪い時は…すぐ分かるね」
「……そっか。いい妹だなあは」
私はそんな機嫌の機微なんて分からないなあ、と思ったけれど、あっと思いついたので口にしてみる。
すると洋兄は優しい笑みを浮かべて嬉しそうに言った。
具合が悪そうな時は、誰よりも先に察知してるかもしれない。それはいい妹というより同じモヤシ仲間だからかなあ、とも思う。
ご飯を食べ終わって部屋に戻る。身支度も終えて後はベッドで眠るだけ。
けれど向かうのは私の個人の私室ではなく、今遥が寝ている部屋だ。
モヤシ仲間である私たちは普段こそ別室といえど、どちらかが具合が悪い時は同じ部屋の二つあるうちのベッドで眠ることがこの家の暗黙のルール。
片方だけでなく訓練の内容によっては二人いっぺんに具合が悪くなることも大変多いので、洋兄の看病の負担を減らすためにそうしてる。
特に私たち二人が仲良く(?)なってからは。
静かに起こさないように物音を立てず、と配慮したけれど。
「いい妹?」
「…おきてた…の、という、か」
「にーにの声が凄く聞こえるんだ。相当嬉しいみたい、今でもね」
「……ほんと、洋にいは、いい、おにいちゃん」
「…やけに限定的な言い方だけど、僕はいいお兄ちゃんじゃないって?」
「………」
「……無言の肯定…いい妹…というより可愛くない妹」
本当に否定も肯定もし辛かったので黙っていたら、可愛くない妹だとか辛らつな言葉が返ってきて心臓が痛んだ。
まるで抉るような痛みだ。チクチク、なんて可愛らしく生易しいものじゃあない。
抉られる。何かがザクザクと刺して掘り返して荒らして抉って、滅茶苦茶にするような痛みだった。辛らつな言葉だからこそこうなんじゃない。この言葉だったからこそ、こうなんだ。
無言のまま布団に入り込んで目を瞑る。
「…ねえ」
目を瞑ってもこの日はもう朝まで、ああもしかしたら兄は図らずとも三日四日はこの妹を不眠にする魔法の言葉をかけてしまったんだから、暫く眠れないなあと頭が痛んだ。
兄のせいだなんて微塵も思わない。
ただ。
「なんでこの間、」
僕に触れたの。
1.歩み寄った─兄が兄になった日
あの時私は包帯をぐるぐると、不器用でしかない手つきで無言で巻きなおしながら泣いていた。
死に直結する訳でもないたかだか骨折…軽症…とはいえ擦り傷よりは遥かに重い怪我を前に、ボロボロと涙をみっともなく絶えず零しながら泣いていた。
いつもあれやらこれやら減らず口を叩く兄も無言でそれを見てた。
私は表情は変えず無のまま、ただ涙を流す。
その涙の意味は兄に伝わったのかどうか。『他人の心が無条件に読めてしまう』という能力を持ったこの兄が私の心をいつも読んでいるのか。
あの日から暫くの日が経った今でも聞けないでいる。
「最近、遥が機嫌悪そうだなあー…」
「……そ、う…」
「でも機嫌よさそうだな」
「!?」
「…ぶっ…は分かりにくいけど分かりやすい」
「……洋兄の、言葉は…わかり、にくい…」
「だって二人ともどっちもだから」
「…機嫌、悪いだけじゃ、ないの…?」
「悪いけど良いなあ」
「……そ、う…なんだ…」
あのことがあってから、遥は目に見えて変わった。
…機嫌がいいか悪いか。いやご機嫌な時なんて滅多にないんだけど、常に不機嫌そうに苛立ってるように少なくとも私には見える。あまり表情を変えない兄だけれどこう、オーラというか微々たる表情の変化というそれくらいは分かる。
けれど、正真正銘の兄である洋兄からしたら遥の機嫌は良くて悪いのだと分かるらしい。
いつも通り夜の食卓を囲むけれど遥は寝てる。
頭の中に入り込んでくる情報量が多いために沢山寝ないと脳がショートするだとかなんとか。
遥は若干4歳にして能力に目覚めたのに、私は12歳になってもまったくそんな気配がない。のでそれがどんな感覚かもわからず日々訓練、訓練、勉強勉強の日々。
警察犬のその辺りは個人差があるので「絶対に」コイツはもう使えなさそうだぜ、という意味での判断は下されない。これが8歳辺りで目覚めるのが当たり前なんだという平均値があったらそろそろ大人たちの怪しい動きがあったかもしれない。ただでさえ男性恐怖症とかいう制限がある使えないワンちゃんなのに。
「……でも…」
「んー?」
「具合が悪い時は…すぐ分かるね」
「……そっか。いい妹だなあは」
私はそんな機嫌の機微なんて分からないなあ、と思ったけれど、あっと思いついたので口にしてみる。
すると洋兄は優しい笑みを浮かべて嬉しそうに言った。
具合が悪そうな時は、誰よりも先に察知してるかもしれない。それはいい妹というより同じモヤシ仲間だからかなあ、とも思う。
ご飯を食べ終わって部屋に戻る。身支度も終えて後はベッドで眠るだけ。
けれど向かうのは私の個人の私室ではなく、今遥が寝ている部屋だ。
モヤシ仲間である私たちは普段こそ別室といえど、どちらかが具合が悪い時は同じ部屋の二つあるうちのベッドで眠ることがこの家の暗黙のルール。
片方だけでなく訓練の内容によっては二人いっぺんに具合が悪くなることも大変多いので、洋兄の看病の負担を減らすためにそうしてる。
特に私たち二人が仲良く(?)なってからは。
静かに起こさないように物音を立てず、と配慮したけれど。
「いい妹?」
「…おきてた…の、という、か」
「にーにの声が凄く聞こえるんだ。相当嬉しいみたい、今でもね」
「……ほんと、洋にいは、いい、おにいちゃん」
「…やけに限定的な言い方だけど、僕はいいお兄ちゃんじゃないって?」
「………」
「……無言の肯定…いい妹…というより可愛くない妹」
本当に否定も肯定もし辛かったので黙っていたら、可愛くない妹だとか辛らつな言葉が返ってきて心臓が痛んだ。
まるで抉るような痛みだ。チクチク、なんて可愛らしく生易しいものじゃあない。
抉られる。何かがザクザクと刺して掘り返して荒らして抉って、滅茶苦茶にするような痛みだった。辛らつな言葉だからこそこうなんじゃない。この言葉だったからこそ、こうなんだ。
無言のまま布団に入り込んで目を瞑る。
「…ねえ」
目を瞑ってもこの日はもう朝まで、ああもしかしたら兄は図らずとも三日四日はこの妹を不眠にする魔法の言葉をかけてしまったんだから、暫く眠れないなあと頭が痛んだ。
兄のせいだなんて微塵も思わない。
ただ。
「なんでこの間、」
僕に触れたの。