第二話
1.生まれ生きる

人間、知らなくて良いことって色々存在すると思う。
知らなくても生きて行けること。生きる上で知らない方が良いこと。
「嘘をつくことはどんな理由であれ許せない!」という主義とは真逆な人間に日々着々となって来ている、11歳のうら若き乙女因幡。前世の名前もまただ。

…そう、まさにこれが知らなくても良いことの1つだと思う。
例えば友人が内心で「前世」だとかを妄信的に熱狂的に信じてるとか人語を解す二足歩行のヤギが居るとか、別段知らなくても問題ないし、友人にそんなこと熱弁された日にはドン引きでしょう。
だから私が実は前世で高校三年生の卒業間近な学生で割と悲惨な死に方して生まれ変わって赤ん坊になったと思ったら実は人工授精で産まれた秘密警察犬(通称シークレットドーベルマン)だったらしくて、警察犬として拒否権もなしに働かされて同じく警察犬の兄二人に囲まれて、実はその警察犬が生きる世界を前世で漫画の中にある物語として知っていたとか、

…そんなこともっともっと知らなくて良いことだしそんなこと話されたらドン引きだと分かってる。
あと話してもややこしすぎて理解してもらえないに違いないとも思う。自分でもこんがらがってきた…。
ついでに前世でのとある出来事のおかげで結構重度で面倒くさい男性恐怖症をこじらせてるのにこれ以上困った子になりたくない、呆れられたくない、
…怖がられたくないし遠ざかられたくない。


つまりは、そういうこと。私は嘘をついてついて塗り重ねて取り返しがつかなくなっていつか矛盾が出来て繕いきれなくなっても、嘘をやめて真実を明るみに出すつもりはない。
…それが例え兄に対しても。




「……なんでかなあ」



そして癖のありすぎる兄二とその愉快な仲間達と生きるようになって早11年。
もうそろそろ色んな割り切ってきた頃のことだ。兄達も一応は……ちょっとは兄として見れるようになったし愉快な仲間もリアルの生きた人間。こんなリアルなんてクソゲーだ、なんてどこぞのゲーマーのようなことをぶつくさってた時期もあったけどそれはそれ。今はリアル。

結構な境遇に生まれたり結構な生き物(吸血鬼とか喋るヤギとか現代科学じゃあ有り得ないくらいのロボだとかそもそも秘密警察犬とか)が居たりする世界だけど基本的にはみんな良い意味でお馬鹿(物凄い褒め言葉)すぎて生きるには危険は…ほぼ、ない、かな。
だから色々と苦労は多いし思うところも大人達への募りもあるけど、安心して暮らしていたし原作が始まれば洋兄の所にくっついてれば或いはもっと、と不純なことをぼんやりと計画していたある日のこと。

修正不可能と思ったくらい仲が険悪だった下の兄遥が言った。






「おいで


…おいで?おいでって、なんだっけ。…自分のとこに来なさい、ってことだったよね。
ってなんだっけ。…ああえっと、私の名前。苗字は「因幡」へと変わってしまったけど前世と変わらない名前、私の名前…
「おいで」「」ということは私は呼ばれてるのか。しかも無表情で手招きまでされてる。傍に来ることを望まれてるらしい。
なんの用かは分からないけど珍しいことではない。まるで幼子でも相手にするような対応だけど上の兄にはしょっちゅうだし、11歳ってまあ子供、ちゃあ、子供かなあ、当時の扱いなんて思い出せないけど、と少し上な歳からの目線から見れてしまうため納得して甘んじてるし、
甘んじたくない!なんて拒絶しようとした所で、男性恐怖症は兄にも発動されて近づけない私は硬直して逃げることも出来ず、上の兄(ブラコンとシスコンをこじらせてる)に無理やり抱き殺されたりする。日常茶飯事、
でも。

ついこの間まではこの下の兄がこれをすることだけはあり得ないこと、だったのに…
私はそれを当たり前のようにされているらしい。
訳もわからず「う、ん…」と返事をした私だけど足は動かない。それでも満足げに小さく、身内じゃないと分からないかも、というくらいに静かに微笑んだ遥に我が兄ながら綺麗だと思った。彼はアルビノだった。私はそれが綺麗だと思う。お顔も整っていると思うからその笑顔の破壊力は尋常じゃあない。
ちなみに自分もその因幡のどこかしらの遺伝子に引っ張られてしまったのか今世ではアルビノだとついでに言う。ついでだ。だって自分の物のようにいつまで経っても思えない。

満面の笑みなら洋兄には常時(というのは言い過ぎかもだけど)発動されてると言っても過言じゃない。上の兄が弟を猫可愛がりするブラコンなら下の兄、遥も兄が大好きすぎる甘え上手なブラコンだ。
でも。




いったいどうしてこうなったんだろう…
あれ?白昼夢でも見ていたのかも、とその日のことを記憶から抹消しようと思いつつもあれ?と思った一回目。
それからあれ?が二回、三回、四回と増えて行く。



「歩くの遅い、そんなんじゃすぐやられちゃうよ」
「そんなこと言ったら遥なんて、」
「は?」
「な、んでもない、です…」
「ていうか、妹だよね、僕兄だよね?なんで呼び捨てなの?」
「だって、」
「だって」
「…お、……にい、…ちゃん…」
「うん」



なんの拷問かと思った。血が繋がっていてよかった。なんの強要を女児にしてるんだと傍から見ると怖いから。

こんな風には?の一言で恐喝するような横暴な兄も、遅い、とか言いつつも歩調合せてくれるし…
余談ではあるけど遥は人のこと遅いとか言えないくらいの異常なくらいの虚弱体質なモヤシっ子だけど私も人のこと言えないモヤシ、でも男女の差と年の差、体格差はある。
同じ極度なモヤシでも私の方が上回るモヤシな訳で。
それを考慮してかいつも兄は、遥はこうする。色んなこと気遣うし例え…例えこんな風に恐喝を頻繁にすれどもお兄ちゃんはしてくれている。
不器用な兄と妹の愛情表現なのだ、幼い頃仲が悪かったせいで大きくなってから妹の可愛がり方が分からないのだろう、と事情が分かる人が見てくれれば微笑ましく思うだろう、
でも
ごめんね。


────怖い。こわいこわいこわいこわいよ…!なんで遥こんな風にいきなり豹変しちゃったの…?
なんでこんなに対洋兄みたいに満面の笑みでの愛情表現じゃなくてもこんなに愛情そそいでくれるようになったの?お昼のうどんにただでさえ七味入れない派の私なのにビンの中の七味全部ぶちまけたり密室で少し距離を詰めざるを得なかった時あからさまに乱暴に物音を立てて私から遠ざかったり舌打ちが挨拶みたいな感じだったり色んなアレコレな関係だったなのに、
な、んで、なん、…で、こんなふうに、こう、満面の甘ったるい笑みなんて向けてくれないけどこれは、



────もしかしたら、夢なのかもしれない。






「…いじょう…だ…」



そして朦朧と呟き目を開けたら朝だった。
ぼやけた頭を働かせたら昨日の遥とのことを心の平安のため忘れようと、秘密警察犬としての訓練の疲れも相まってクタクタになりながらも勢いよくベッドに入ったことを思い出した。今しがた目を覚ましたらしい。

洋兄がある程度大きくなった頃、弟妹も連れてマンションへと引越しした。きょうだい達だけで住まうプライベート、というのも変な表現だけど勝手知ったる我が家だ。
私に与えられた個室。私室。
いつも通り悪夢に魘されながらその部屋で寝起きする。
勿論幼き日の遥のあの気色悪いなお前宣言で、だ。また泣いてる…。我ながらメンタルが豆腐だとは思うけど私なりに色々と思うところがあるのに、
その悪夢に混じって最近の異常事態のことまで夢にみて更に魘された。
気色悪いという嫌悪の場面から一転し手のひら返ししてあの兄が兄として妹を甘やかし、この私という妹が妹として甘やかされる夢。
もうどれが現実でどれが夢なのか、とチカチカしてしまう。

でも…その後の朝ごはんの席での向かいの席に座っている洋兄の言葉で現実を知る。
そうですよね、夢な訳がない。この麻痺したような感覚は現実を曖昧にしたいがための私の脳内の現実逃避だろうから。
朝ご飯として出された納豆のパックの底を箸で貫いてしまった。おしぼりで汚してしまった手を拭く。洋兄が勢い余って魚を丸かじりしてる。朝からハイになりすぎだよ洋兄、どっちかって言うと私達猫よりも犬なのにまあそんなこと…。
ちなみに遥は寝坊だ。体質的に人一倍よく眠る、というか眠らざるを得ない兄なのだ。なので私も少し肩の力が抜けてる。



「最近なー、遥とが仲良くしてくれてうれしいなー、俺な、やっぱ兄ちゃんだしさ、弟と妹には仲良くしてほしいしさー!」
「…わ、…たし…、仲良くみえる、の…?」
「…相変わらずの距離が辛い…わざわざ話しかける度にイス引くからさぁ…納豆がさぁ…ぼろぼろっとさぁ…さっきからさぁ…おしぼりもう一個必要だな…。
……ッ……ッ…うぅッ…!」
「な、泣かないで洋兄…」
「それ!それだ!なんで遥にはおにいちゃん!呼びで俺には洋兄?遥が俺に言うみたいにーにって…にーたん!って呼んでよー!」
「……ハードルが…あが…」
「弟と妹が仲良しすぎて辛いって最近荻に毎日相談してるくらいには辛い」
「……」



まさかその「仲のいい」と称される遥に半ば恐喝されたためにおにいちゃん呼びが定着したなんて、言えなかった。
…洋兄の相棒さん。荻さん。知ってはいる、というより前世からの記憶により知りすぎているくらいの人だけどまだあまり接点はない、でも…
…荻さんの苦労が手に取るように分かってしまう…というか


「なか、いい」



わからない。そんなのなんでかわからない。こわい。できることなら逃げ出したい。
意味がわからないし毎朝の悪夢があの日の景色を鮮明に残して薄れさせてくれない。
多分普通に男性恐怖症を発動させるだけよりもその鮮明な景色が、記憶が、トラウマになって後押ししてもっと症状が酷くなってる。なんせ私という人間の核心にあの兄は意図せず一番最悪な形で触れてしまったから。何も知らない遥を責められるはずがないのだけど。むしろ被害者は遥だろう。こんな妹、確かにいなかった。いらなかったはず、なのに…。何故私がここに?考えても分かるはずもないし答えはいつまでも出ない。

眉を寄せてもその弱音だけは表に出せない。どんなに私が変な子だろうと甘やかしてくれる洋兄でさえも。




「…遥も…ずっと考えてたんだろうからなあ…」


何を、とは遠い目をしてしみじみ呟きながらも、口から焼き魚のしっぽ辺りがはみ出てるような混沌とした今の洋兄には色んな意味で聞けなかった。

2015.11.26