第七話
2.何とか生活する日々原作開始
──ノーパンしゃぶしゃぶ天国。

こんな下品で低俗な言葉、いや謳い文句を聞いたことあるものか。
ちなみにわたしは銀の魂とかいう漫画本を開くまで聞いたことなかった。何せ純粋に(意図的に母親に)清らかな水と光だけで育てられた温室育ちの娘な物で。創作だとしてもえげつねぇ。少年誌にこんなのいいのか、とドン引きした。いやあの日本にももしかしたらこんな紛いの謳い文句どこかで…と思うと更に引いた。

まあとにかくだ。あの借金取りが来てからこの道場売れ、オトンの代から待ってんだもうハゲる、と金を確かに貸し、返さない人間に対しては正当にも思える主張をしていたかと思えばわたし(お妙)とまた殴り合いに発展しそうになり、その末にわたしは羽交い絞めにされて小男に殴られそうになった時は、
殴るとはまた違う恐怖を感じて怖かったけど。そこは主人公。ただならぬ眼力と身のこなしでわたしを、お妙を助けてくれたのはいいけど…

そんなら道場はもういい、なら代わりに、と妥協した小男が提案してきたのは。


「コレ。ワシなぁこないだから新しい商売始めてん。ノーパンしゃぶしゃぶ天国ゆーねん」
「ノ、ノーパンしゃぶしゃぶだとォ!!」



いや新八くん律儀に乗らなくていいからそんな低俗な、と思うけれど引きつった口角が戻らない。
それは空飛ぶ遊郭。空に浮かぶ船でイヤンアハン。
江戸では遊郭なんて禁止されてるもんだから、役人の目の届かない船でアハンイヤン。
そしてわたし…というかお妙ちゃんにそこで借金返済のために身を売ってしまえ、と言っているんだろう。

…ノ、ノーパンしゃぶしゃぶ…思わず、
「…わたし今日可愛い下着はいてないんだけど…」と唖然と呟いてしまうと「可愛くなかろうと染みったれてようと若い別嬪さんの女子のってだけでわてらには十分やねん」と生生しい返答いただいてしまい魂抜けそうだった。

…下手したら可愛げの欠片も無いわたし自身の(流石にお妙ちゃんのタンスの下着は使えなかった)パンティーしゃぶしゃぶさせられんのか…
ぞっとした。ほんとにぞっとした。でもわたしのノーパンしゃぶしゃぶくらいで救える命よりも大きな何かがあるならもうやるしかない。…や、やるしか…ない…あはは、は…
はぁ…!

色んな星のべっぴんを集めてるんだどうする?と一応は下手にでてくれていても拒否権なんてないんでしょう。もう生憎借金取りとの押し問答も疲れてしまったところだ。


「ふざけるなそんなの行く訳…」
「わかりました行きましょう」


新八君の言葉を遮り、はぁ、とため息を吐きながらキッパリと了承する。
言っとくけど身を売る覚悟なんてまったくない。こんなの、助けがくると分かってるからこそ言える台詞よ。
あるなら、この世界に来て母の婚約指輪なんて売って食いつないでない。要するにお妙ちゃんのように大切なものを守るために自分を売る覚悟なんてもてなかった。

原作のセリフ通りにタイミング通りにお妙ちゃんらしく呟いたはずだけど。やっぱりお妙ちゃんは、いやこの世界の人達は強い。守るものを守り通そうとする芯の強さ、意志がある。
今はもうどこへ行ったかも分からないあの指輪が頭に浮かぶ。どこかの誰かがあの綺麗さに目を奪われて大事にしてるんだろうか。父母が大事にしていたあれの思いも知らずにただの綺麗な石だから、と価値を見出してる最中なんだろうか。
…羨ましい。


「ちょっ…姉上ェなんでそこまで…もういいじゃないか、ねェ!姉上!」


こちらを呼び止める新八くんの声に聞かぬふりをして背を向けていたけど。原作の、ついでにいうならアニメの通りに動いて、止まる。まるで友人が舞台の上でしていたように演技して立ち回る。
…うらやましい、うらやましい。何もかもが、うらやましくて悔しくてたまらない。そうこれは演技。舞台上で立ち回るような、自分とはかけ離れた世界で生きる人物を演じるような、演技だ。本当のわたしはこんなこと言えるはずがない。事実わたしはできなかった。言えなかった、思えなかった。


「新ちゃん、あなたの、言う通りよ…。こんな道場守ったって…いい事なんて…。…何もない、苦しいだけ…」


…いいや、わたしのあの指輪はね、守る価値は十分にあったのよ。
母さん父さんが周りの人間の誰もに二人の仲を否定され、否定され、否定され邪魔され貶され追い出され。
苦労した末に手に入れた二人の証だったからね。二人だけで、誰が認めてくれなかろうと、これが自分たちの愛の証だと言って涙ながらに買った証の石。いつも子守唄のように聞かされて、「そんな少女マンガのような出来事がそうそう起こるわけないよ、誇張しすぎじゃない?」とちょっと呆れたように言ったら母はただ穏やかに笑うだけだった。答えは聞いてないけどなんとなくは察してしまう。曲がりなりにも母と娘なものだから。
…でもわたしは生きていたかった。"真っ当に"生きていたかった。身を売るほどの覚悟はもてなかった、真っ当にしか生きれなかった。生きることに条件をつけたんだ。

生きていられるならどんなに汚れてもいい。この愛しい父母の証を守りたい。
…そう、思えなかったんだ


「…でもねェ私…捨てるのも苦しいの」


捨てるのは苦しかった。


「……もう…取り戻せないものというのは…、…持ってるのも捨てるのも…苦しい……」


もしかしたら指輪なんて後世大事に持ってたって元の世界には帰れないかもしれないんだから、失われた世界を大事にするのは。いつまでも父母の証に縋りついて持っているのは苦しい


「…どうせどっちも苦しいのなら、私は、」


持っているのか。捨てるのか。どっちも苦しい。生きていたい。手放したくない。父母が恋しい。なんで此処に来てしまったのか、トリップ願望があった訳でも怪しいサイトに引っかかった訳でもお星様に願った訳でもないわたしがなんで。わたしじゃない望んでいた女の子を連れてきたなら喜んで苦労しただろうに、なんでなの。

苦しい、くるしい、死にたくない、でも、その苦しみの中で、


「………それを護るために苦しみたいの」


お妙ちゃんのように、護るために汚れてでも苦しめると言えたなら。
よかったのに。


原作ではこう、原作ではこんな風に。そんな風に出来る限り考えてきたけれど、感情移入しすぎて声も震えたしお妙ちゃんのように凛として最期言えなかった。
強いお妙ちゃんが流すはずない涙が頬を伝った。でもきっと彼らには見えないだろう。わたしが泣いても笑ってもその場に合った表情を都合よく見ていてくれる。 だから涙を無理には止めなかった。
泣きながら、ノーパンをしゃぶしゃぶしに行くために背を向ける。束の間の、さよならだ。



──…とかキメ台詞っぽく言ってみたけどいやもう最期のセリフで台無しだよ…とげんなりして涙も感傷も引っ込んだのは、また別の話である。







「……ハァー。やってらんねーよ。あんなツラされちゃァよ」
「え?」
「侍が動くのに理由なんていらねーさ。そこに護りてェもんがあるなら剣抜きゃいい」
「…」
「姉ちゃんは好きか?」



そして基本やる気無しの死んだ目をした主人公が弟を説得してヒロインを救出してくれるまで、あと──分。
2015.11.11