第二話
1.新生活にはまず慣れる

銀魂。
人情溢れる展開に胸打たれ…たかと思えばバンバン手で机を叩いて爆笑してしまうようなギャグもあり。キャラクターの誰もが魅力的。
世界観も面白い。主人公がどうしようもないだらしない男だけど、最後はいつも格好よく持って行ってしまう。

…と、まあ。かなり端折ったけど、とにかくわたしが夢中になるには十分な漫画だった。
無論類は友を呼ぶ、友は自分とどこかしらが合致している物、つまり友人もわたしと同じような感性を持っていた為に、進めると見事にドハマりした。
実は演劇部だった友人に、お前は喋り方がちょうちょう軟弱だから、声を腹を鍛えろ!とビシバシと鞭打たれ、「羞恥心なんてトイレに流して捨ててしまえハイ今流した!」と無茶なことを言われつつも銀魂ごっこなどをさせられたり(思えば友人はその時が一番輝いてた、小学生か)
暗記力だけが取り得のわたしはおかげで銀魂キャラのセリフを丸暗記する勢いで、モノマネレパートリーも増え上達したのは言うまでもない。血反吐はくかと思ったよ…。


……それが。幸いしたと言っても良いのか、災いしたと言ったらいいのか。今のわたしには分からないでいる。




「あ゛ッ」
「…?どうかしましたか?」


江戸、かぶき町に来て早二ヶ月。わたしは何が変わるはずもなくトリッパー生活を続けている。でも典型的といっていいのか、戸籍はない。
そんなわたしが働きもせず、今の今までぶらぶらぶらり散歩しながらのほほんとここで食いつないでこれたのは、たまたま母親の婚約指輪を首にぶらさげていたからだ。

…なんでそうなったか?
それは、わたしが眠くて眠くてでも寝れなくて唸ってる時、母親が婚約指輪なんて物を「あら懐かしい、今でも十分通用するわねちゃんほらつけてみてぇ〜」なんて言ってきゃっきゃとわたしで遊び、飽きたら指輪をチェーンに引っ掛けてみせて首にかけたまま、なんてことは忘れて母親は眠くなったらしくあくびをしながら寝室へと帰っていったから。
…自由で抜けてるあの母らしいね。ほんとに。あの親にしてこの子ありだとも思うけどね。
そして眠くて眠くて仕方がなかったわたしは意識などとうにまともにはなく、それでも寝れないでいて指輪をさげたままベッドへと倒れこみそのまま…


で。結論を言うと、トリップしてわたしはその指輪を質に入れた。
最低である。どんな親不孝者なんだと、それは分かっていたけど、背に腹は返られなかったのだ。戸籍もない身分証明も保証人もいない。そんな人間を、こんな子供を、わざわざ雇いたいと言ってくれるのは、危ない色をしたいかがわしい店くらいしかなかったから。
それでも、とは思うけれど。


「……え、…あ゛ッ!…と……う、…!」
「…あ、あの…?」


仕方が無い。仕方がなかった。そうわたしは思い込み正当化するしかない。
…何でだか今この瞬間着物の年若い女性を前にして慌てながらも、鮮明にあの日のことを思い出してしまって胸が苦しい。
あの日のわたしは部屋着のパーカーと下は緩いスウェットのみ。ちぐはぐで不恰好。
ポケットにあったスマホと指輪以外何も所持していない。戸籍も生きる術も持たない。
換金したってそれは一時しのぎではあっても、そうでもしなきゃたった一時でもしのげなかったのだ。

──あの指輪が、両親、親戚達の反対を押し切って駆け落ち同然で一緒になった父母がどんな思いで買った大切な指輪か、耳にタコが出来る程笑顔でのろけとして、でも茶化しても苦労をしたのだと聞いて分かってた、なのに。

極限状態にまで陥って何のためにあるのか分からないようなちんまりした橋の下。
傍に通った小さな枯れかけのどぶ川近くで泣く。
泣いて泣いて泣いて一心不乱に指輪の代わりに手に入った紙切れで買ったコンビニの期限切れ当日の安売りのおにぎりを食べた。ぼろぼろと零れて汚い。ああ、米の一粒さえがもったいない、と思ったことを覚えている。
風呂に入らない身体が代えのない服が臭う。温まる術を持たないままの手もつま先までもが寒い冷たい、風呂に入って綺麗になりたい、汚い、おにぎり一個食べてもお腹すいて、すいて、すいて、何日も何日も食べないままで、決断するまでずっと飲まず食わずで、それでも耐えられなくなってどぶ水を啜った頃には、もう真っ当な人間ではいられないのだと悔しくて、不味くて、苦くて、
誰かに会いたくて。…会えないくて。
どうしろっていうんだ、と悔しく思った。
この世界のキャラクターは、都合よく助けてくれる所か、姿を見かけることも一度も無いままに。「…ッふ、ぐ…ッう゛ぇ…ッ」なんて汚く嗚咽を漏らしても姿なんてみせちゃくれない。
喉が渇いて張り付いた感覚が気持ち悪くて何度も嘔吐いた。でも吐くものは胃袋に何もないようで、それでも涙だけは零れてきていたのが今でも不思議に思う。

帰りたいけど帰れない。お金が無い。言葉にして単語で現したらただそれだけ。
でも実際のわたしはと言えばあの時殆ど生気も失ったような死にかけた頬がこけた顔をしていて、あの日、それでもわたしは死にたくなんてなくて。
何週間か何ヶ月か極限状態でただ橋の下に居た後。やっと動いたわたしは泣いて、泣いて、質のおじさんがわたしの身なりと嗚咽を漏らしながら少し古びた宝石を泣く泣く手放す姿を見て、不憫そうにこちらを見やりながら、札の束をくれた。
正直こんなにもらえる物なの?情けでもかけてくれたの?なんて思ったけど「こりゃ珍しい」とか呟いていたからこちらでは希少価値のある石だったのか。それなりに大ぶりな石と交換にくれた紙の束。
正直おじさん的には両方だったんだろうなあ。同情と価値。
それよりも下に見られて小銭一枚だとかそんな扱い受けなくてよかった。わたしには正直値打ちなんて分からないけど、
もっと価値があったとしてもこれだけの札束をくれればもう十分すぎた。いつかは尽きるのは分かってても。
…分かってても、あの日、いや今も。生きていたかった。理不尽に死んで行きたくなんてなかった。
口座なんて作れるはずもないから懐に忍ばせるだけのザル管理なんだけど。
そしてそのお金でそれなりに小奇麗に暮らし、質素ながら食べ、ネカフェと野宿を繰り返し出来る限りの節約しながら転々している真っ最中の今日…




わたしは初めて、この世界の主要キャラクターに出くわした。目が合って思わず変な声で出ちゃった…!
何ヶ月かも出くわさなかったからそういった縁には見放されてると思ってたのに。ほんとにほんとに驚いた!
…しーかし。その驚きの奇声のせいか、あまりの挙動不審ぶりのせいか。相手にはちょう不審がられてるなうだ。あまりにもな状況にわたしは耐え切れずに咄嗟に、言葉に詰まりながらも弁解を始めた。


「あっい、いえっ卵!そう卵!あ、あわわ、そ、そこのスーパーでお買い物なさったんですよね?袋に卵が!あのねあの、あの、わたし卵焼きには目がなくて!卵は卵焼きにする物だと思ってて!あ、お姉さん美人デスネー!ぜひお姉さんの卵焼きを食べたいくら…!」


い。
と、最後の一言は口からこぼれず、消える。

スーパーなどの町の人に親しまれた店が並ぶそれなりに人通りがある小道。
そこで視線があったのは、かっちりとした着物を着こなした黒髪のお姉さん。
…あ、これお妙さんだ。
わたしは紙面に描かれた絵がリアルになったというのに、お妙さんは特別なコスチュームなどない女の人なのに、一瞬で目が会うとパッと分かってしまった。いやわたしはあえてお妙ちゃんと呼びたい。
やっぱり主要人物はオーラが違うと思った。すごい。

…そして、挙動不審になり訝しがられてる訳で…
パッと視線を下げるとスーパーの袋を手にしていたのが見え、それをネタに繕ったつもりが地雷を踏んだと気がついてサァア…と血の気が引き蒼白した。

…大変だ。気さくなお妙ちゃんなら、「あら、そうなんですか。じゃあ私が作った物でよろしければ食べてくださいな」なんて言うに違いない。
やったぁキャラのしかも美人さんの手作り!だなんて喜ばないよわたしは。
彼女が作る、っというか創るのは卵焼きとは呼べぬただのダークマターだもん。
大概わたしも失礼だとわかっていても震えが収まらない。そんなわたしを見てお妙ちゃんがどう思ったのか…?
初コンタクトがこれってないよ!と泣きそうになっていると、お妙さんが一言。


「………私たち…会ったことありませんよね」
「え゛っ…あ、は、はい。絶対に、一度も」


あい?新手の口説き文句?なんでそんなこと聞く?と考えてしまったけど。
これだけは確か。
ここに来てからわたしは誰かと接点を持ったことなんてない。レジを通した客と店主、という関係しか築いたことはない。ここに来る前は異世界に居たので(言葉にすると痛々しいことこの上ない)そうすると会ったこと?てなことはあり得ない。

だったらこれやっぱりお妙ちゃんのお茶目なジョーク?あまりにも可哀想なくらい慌てるわたしに気を使ってベタな口説き文句でもかましてくれてるの?と思ったりしたけど。
しかししかし。ここで予想外の展開発生。


「お妙の作る卵焼きと言えば?」
「ダークマター!…………ってうわぁああー馬鹿私ぃー!!?」


悶々と考えていた所、お妙ちゃんから急に言葉を投げかけられた物だから、何も考えず反射的にノリノリで叫んでしまった。大変だ。へんたいだ。とてもたいへんだ。

…初対面の人間にそんなこというヤツがあるかー!ばかー!
というか、初対面だからこそ言えるはずのないこと。自分がダークマターを生み出してしまう、なんて初対面が知るはずないのに。

そもそもお妙ちゃんの場合怪しむというよりダークマターの辺りで怒る。ぜったい怒る。ぐしゃっでぼきっでめきゃっかもしれない…
…わたしの命日は今日…。お父さんお母さん先立つ不幸を許して。大切な婚約指輪も質にいれときながら卵焼きのせいで死んでしまうなんてごめんなさい、ごめんなさいの一言で済まされないよ、と半泣きで生まれたての小鹿よりも震えていると。


「ちょっと、面貸……こほ。…来てもらえるかしら?」
「ひィッ」


お妙ちゃんはにこにこと笑顔でいながら尋常じゃないプレッシャー(威圧感、殺気ともいうのか)を放っていて、腕をがっちりと流石、としか言いようがない力で掴まれたわたしは、
逃げることも出来るはずなく。お妙さんに連行されていくのだった。
…まさに校舎裏こい、状態だ。ごめんなさい泣きたい。


しかし。わたしはこの時何もかもを分かっていなかった。
──ああもう戸籍もなく生きる術もなく特典一つなくキャラとのエンカウント低すぎ状態で誰が助けてくれることもなくやっとのことファーストコンタクト取れてしまった結果がこれって無属性トリッパーつらいつらいつらいつらいお家かえりたい…!
…ただ、それだけ。トリッパーとして特別な乗り越えなきゃいけないストーリーも壁もなく、ただ生きること、それだけ。プレーン。ノーマル。無個性。ただ世界が変わった。
わたしは何も変わらない。
…後にしても、わたし自身に関してはその通り何も変わってはいなかったとハッキリと分かったけど。でも…
まさか。

あんなことやこんなことやそんなことやらをするようなトリップ生活を送ることになるとは、思いもしなんだ。
このお妙ちゃんとの出会いは、全ての始まりであった。



そして…この時。
お妙ちゃんが初対面に何故こんな質問を吹っかけたかなんて。疑問に思うことも考えることも、パニックを起したわたしは出来なかった。
2015.9.5