変化の痛みの不安な悩み
1.自称ボーカロイドを拾った日
「マスター、これと、これと、これも読み終わったよ」

その言葉の意味は、勿論理解しているんだけど。
何か、決定的に違う違和感にピシリと固まりながら、ただぼんやり働く脳をフル回転させて、受け答えた。

「う、うん、おお、早いね?」
「ふつーだよ、多分。…平均値がわからないから、違うかもしれないけど」
「…レン……」


なんで。どういうこと。
いったい何が起こったの。何が起きてるの。
決定的に、レンが違う。変わってる。何が変わっているって、そのレンの不安定な雰囲気が安定してきてる、とか、そんなものもあるけど。

なんていうか。なんで。


「なに?マスター。なにか駄目?」
「…駄目、っていうか、…あんなに言葉がたどたどしかったのに、なんか、見違えたように…」


会話スキルが、上がってる!
まるで幼子のように拙い受け答えだったのに、もうスラスラと会話できてしまっている。単語と単語を必死に繋ぎ合せたような、あの微笑ましい姿は何処にもない。

向上するに越したことはないけども、そんな、こんなことがあっていいのか。

日本語って結構難しいんじゃ、なかったっけ。…確かに、頭はいいんだって薄っすらわかってたけど。
…本を読んで一夜(も経ってない)漬けをしただけで、こんな!


「だって、本の中の登場人物はこんな風に言葉を繋げてた。駄目?間違い?」
「…ま、まちがって、ない。多少のニュアンスの違いはあるけど」
「じゃ、教えて」
「うっ」


な、なんでやたら高圧的なの?いや、別に威嚇とかしてないけど、なんか生意気な少年口調というか。
そのしれっとした無表情が余計にそう見せるっていうか。いったいどんな本を読んでそうなったの。

いやね、口調だけならなんとでもなる。ただ真似ただけって。でも、レンがずいっと身体を近づけてきたり、下から上目遣いに見上げるソレとか、
何かしら計算してやってるとしか思えない…!お姉さんを悩殺するための10のルールとか、そんな本ないよ家!?


「わかっわ゛かった!教えるからっ!離れて!」
「………嫌、だった、の?…ごめん、なさい」
「ち、違うのその、嫌とかじゃなくて…その」
「…嫌じゃないなら、何?」


なんで下から上目遣いなの!なんで首を傾げるの!自分を引き立てる角度を知ってます!みたいなアレすぎて恐いよ私は!

とりあえず、嫌とかじゃないのよ断じて。ただ、ただ…言いたくないけど、恥ずかしくて、言い辛いことこの上ないけど、

"拒絶しないであげて"というカイト兄さんの言葉が頭を過ぎって、
どこか悲しげな表情をしている気がするこの子に、適当な偽りなんて、するべきじゃないとわかる。


「その、…ね」
「…うん」
「恥ずかしいの」
「…恥ずかしい?俺相手に?……なんで?」
「なんでって…!あのね、なんでもこうしても無いの、顔真っ赤なのわかるでしょ!わたしもわかるよ熱いもん、免疫ないの!こういうの!」
「…免疫ができれば、していいの?」
「だめ。やだ。無理。免疫ができる前に死んじゃう」
「死なれるの、ヤだから出来る限りしないけど…もしかして、マスター着替えを見られるのも嫌なの?枕投げたりする?」


何処からの知識なのよそれー!!!!
ちょっと待って、この生意気少年テクといい、着替え除かれてキャッ馬鹿ー枕投げちゃう!みたいな、ベターな知識といい、
レン、この子漫画みたな。きっと少女漫画だ。いや、もしかしたら萌え系漫画かもしれないけど。顔が熱くなって仕方ない。

多分、下から上目遣いしたり、ずいっと近づいたり着替えは覗かなくなるかもしれない。
でも、多分、きっと、いや、絶対他のことはしてくる。漫画みたいな恥ずかしいこと。
一回一回その都度禁止令を出さなきゃいけないの?果てしないし、
せっかく覚えたのにと、それを全て止められたんじゃあ、勉強することに嫌気が差してしまうかもしれない。

…我慢が、大事、なの、かな…慣れれば、いい、話か。そうか…。
…ああ…。


「うん、これとこれと、え、これも読んだの?医学書?読めた?」
「大方理解できた、と思う」
「はぁあ〜凄いね〜レン!私なんてこの分厚いの理解するのに、一年半はかかったよ!あ、笑わないでねコレだいたいの人間の普通だから!」
「…そうなの?」
「そうだよ。普通こんな短時間で読み終わるどころか、理解なんてできないよ〜。…うん、偉い偉い。よくできましたー」


ぽんぽん、と頭を撫でてにこにこしてふわふわの髪を堪能しかき回してみれば、レンは目を見開いて硬直していた。

驚いてパッと手を離した。だって、こんなに感情を露にするのは珍しい。
そんなに嫌だったのなら、凄くショックだけど、出会った当初の尋常じゃない震え方、怯え方を思い出せば、普通に過ごしてくれていたものだから忘れがちだったけど、踏み込みすぎたのかもしれない。
乱暴に接しすぎたのかもしれない。


「ごめん、嫌だったね…。馴れ馴れしくしちゃって、ごめん」
「…違う」
「…違う?」
「…偉い、なんて、褒められたの、初めてだった、から」


頭がぐらりとした。
偉い、と褒められたことがない?
なら、例えばレンが一つ何か出来るようになっても、それを褒める人も、凄いと思う人も、笑ってくれる人もいなかったの?
なんで?レンを生み出した人は?
生みの親でしょ?そんなの、人間が子供を生み出して、育てもしないで、育児放棄してるのと一緒だ、

ただの、

…そこで、ぶわりと思い出した。
私が頑張って覚えたことを、幼い頃、偉いと褒めてくれる人がいなかったこと。それが辛いと思ったこと。
その内初めて褒められたこともあった。
それから、褒められることが特別ではなくなった。辛かったのを知ってる。頑張りが認められないことほど辛いことがないことも知ってる。
なら、初めて私を褒めてくれた人がいたように、ただレンを初めて褒めたのが私なだけであって、

きっとレンはいっぱい褒められる子になる。そのうち特別なんて思わないくらいに、当たり前になる。
…絶対に、そう、なる。


「…その内、褒められることなんて、珍しいことじゃなくなるよ」
「…なんで」
「初めて褒められたのが今なだけでしょ。レンが頑張れば、褒めてくれる人は沢山できるよ」
「…マスターが、変なだけだよ」
「そんなことない、絶対!」


多分、隣のカイト兄さんなんて、初めてのおつかいだとか、クララが立った!レベルでべた褒めするんだろうなぁ。絶対だよ、あの人なら。

この生活に慣れてきたら、カイト兄さんにも会ってもらいたいなぁ。不可解そうな顔をしてるレンを横目に考えた。


「あのさ、レン…明日なんだけどさ」
「何?」


なんていうか。
預った翌日、仕事だとは言え、まだ不慣れで不安定なレンを、一人で留守番させるのって…

どうなんだろう。…あ、駄目すぎる。