希望と縋る腕と闇の中の泥濘
1.自称ボーカロイドを拾った日
何処の子?と聞くと、「ボーカロイド」としか答えてもらえない。

うーんと考えながら、ふと思い至った。
ボーカロイドとは世に聞く、バーチャルな存在(音声ソフト)ではなかったか?
なんのこっちゃどういう意味だ、と思うも、ぼーっとしていて危なっかしいその男の子を放っておけず、家に招いてしまった。


「ここ、座って」
「……座る、…はい」


公園から玄関口まで小走りで手を引いて、鍵を開けるために手を離したけど、彼は逃げはしなかった。

私が靴を脱ぐと、間を空けてから彼も靴を脱ぐ。リビングまで誘導して、ソファーに座らせると、わたしも向かいのソファーでやっと一息ついた。
でもそんなの一瞬の休息で、タオルも持ってこなきゃいけないし、お風呂にも入らなきゃ。

見れば尋常じゃないくらいに震えていて、恐がっているように思える。それでも、途中強い雨に降られたし、心を鬼にしながら
「濡れちゃったし、シャワーで暖まった方がいいね」とさり気なく風呂に進めるも、「…たぶん、入れない」と頑なに拒否され、
とりあえず何も言わずわしわししておいた。


「名前は?」
「……」
「……言いたくない?うーん、無理強いはしたくないけど、もしもの時にお家もわからないし」


私が思いついたままに言葉を投げかけていると、ぽつりと彼が口を開いた。微かな呟きが拾えず、え?と拍子抜けすると、彼は繰り返し言った。


「ない」
「…え」
「……帰るところ、ない。……絶対に、帰れ、ない」
「……し…」


シビアだった…
凄く複雑な事情を抱えてるらしい…帰るところがないと言っても、どういう事情か…
家族に家から追い出されたとか、何か思うところがあって帰りたくないだけなのか、ただ単に家を失ったとか。

それによりけりだけどどうにもねぇ…
に、したって、私がすべきことも言うべきことも、決まってる。
ふぅ、と息を吐きながら、適当に通りかかった台所で荒々しく汲んできた水を飲み干してから、言った。


「……頼れる人はいないの?」
「……」
「…いないのか…じゃあ、無断外泊とかしても怒られない?」
「…?」
「あのね、この家の秘密を教えてあげる」


この赤茶で彩られた、遊び心のある家。一見普通の洒落た一軒家かと思えば、実際違う。
にやあ、と悪巧みしたように笑えば、彼はきょとんとしていた。
そのまま言った。

ここはね、


「シェアハウスなの」


ドヤ顔をしてみた。
決まった!と思ったものの、訪れたのは沈黙のみで。あれぇ…?と思いながらも、彼の顔を見れば、理由は一目瞭然であった。


「……?」
「あれっシェアハウスの意味わかんないか!?ああ?ええっと、えっと、その、複数人でお家を共有すること、かな?えっと、つまり、」


今このお家には共有する人がいないから、


「君、ここに住んでみない?」


って、言う…
意味で、連れて、きたんだけど…シェアハウス?うっそマジでそれって!みたいな流れでいくつもりだったから、
どうにも切り出すタイミングがアウトだった。

これでは唐突すぎだろう。あーうー、あー、と唸っていれば、彼はついに言った。


「……なんで?」
「え゛っな、なんで…だろうね…?行く所がないなら、まず住むところを見つけたらいいと思ったんだけど…だって、頼れる人がいないのよね?」
「…」
「なら、いきなり頼れる人を見つけるっていうのも難しいだろうし、
こうして出会ったのも何かの縁ってことで。知ってる?ここってお人よしハウスって呼ばれてたんだって」


それは、こんな風に唐突にホイホイ行く当てない人を呼び込むから。
此処が賑わっていた頃は、それはそれは近所でも、いい意味でも悪い意味でも有名だったらしい。悪目立ちもしてただろうけど、でも、それだけじゃない気がしてくるんだよなぁ、なんでか。


「ね、一緒に生活してみない?」


きっと楽しいと思う。誰かと一緒に生活するということ。
シェアハウス、なんて銘打っていたとしても、こんなにホイホイ拾いこんで住まわせて、なんて、普通の感性では出来ないと思う。

でも、ここに集まる人間はみんな変人だから、不思議とそうなるように出来てるんだって、誰かが言っていた。

にこにこと笑っていれば、ぐ、っと何かを喉元で飲み込んでいた彼が、口を開いた。


「……し」
「し?」
「しんよう、できない」
「え゛っ」


もしかして、もしかしなくても、私…怪しまれてる…?

…もしかしなくても、彼は、普通の感性の人、だった、とか…
…なんか、この家とこの家に纏わる言葉を信用しすぎてたねどうしよう、通報されかねない!私はバッと顔を上げて、必死に弁解した。


「あ゛っ怪しい者ではございません?!ほんと、下心とかないしっただ、ただ…」
「……」
「昔は行くあてのない沢山の人が、楽しく住んでいたみたいだけど、
今は私一人しか居ないの。この家は丸ごと譲ってもらったんだけど、時々、私一人しかいないんだなぁ、って、寂しくなっちゃって」
「……、」
「昔は、沢山の笑い声が聞こえてたわけでしょ?この家も、退屈してるんじゃないかって」


だってそうでしょう。
この一年の中でも、まったく聞こえなくなった喧騒、静けさの中に漂う独特の空気。

きっとこの家はいつでも明るかった。賑やかで、笑いの耐えない家であった。昔住んでた人がここに帰ってきたら、きっとがっかりするだろうなぁって。
もしこの家に自我なんてものがあれば、すすり泣いているに違いない。

そう思ったら、ふと悲しくなることは時々ある。一人の寂しさだけじゃなく、違う胸の痛みがある。
そんな私に、彼は言った。


「……変な、人間」
「に、人間…ハイ、人間です…」


…人間って、普通そんな風に使わないよね…
信じていたわけじゃないけど、まさか本当にボーカロイド…いやいやまさか、だって非現実的、非科学的だよ。

そんな存在が居るとも聞かないし、そもそも意思疎通ができて、こんなに滑らかに喋れて感情も思考能力のあるアンドロイドなんて、今の技術じゃ…
そんなことを悶々と考えていた時、唐突に彼が口を開いた。


「…ねえ」
「は、はいぃ!」
「人間…、物に、無機物に命が…心が宿る、あると思う?…あったら、どうする?」
「……う、うーん…どうだろうね…」


い、いきなり難しいこと聞いてくるな…
ていうか、さっきまで考えてたこととドンピシャで心読めるのかと思ってドキドキしちゃったよ。
でも…

もしボーカロイドっていう身体が作られて、その子が目を覚まして、人間と目を合わせて、その子の意思で会話できたなら、その子の心が確かに在ったのなら、私は…


「わたしは見たことがないし、絶対ある!なんて根拠も持ってないし、断言できないけど、…もし、その子がちゃんと自分の心を持ってて、その子が自分の意思を持てたなら…」
「……」
「きっと凄いことだよね。きっと幸せなことだと思う。その子がその人間にとって大切なものになったなら、かけがえのない幸せなことだよね。
だって一人の人間が一人の人間と通じ合って、かけがえのない友達、または恋人になるように、同じことだって在り得るもん。きっと。そう考えたら幸せだね」


そういうと、彼は無表情のまま眉間に皺を寄せた。何か気に触っただろうかと、偉そうなポエマーな口聞いてしまったかと思った。少し慌てながらも、彼の言葉を聞く。

そのまま俯いてしまった彼の顔は窺えないけど。


「馬鹿な、人間」
「ばっ…馬鹿、かな…」
「馬鹿」
「…う、うん…馬鹿かもね…もうそれでいいよ…」
「…でも」

一呼吸置いて、彼はまた口を開いた。

「考えて、みる」
「えっ!」


それって、前向きに考えてくれるっていうこと…!?最初は考えてなかったのに、怪しいとも言わしめたこの状況で、
考えてみるという言葉は明るすぎる兆しだ。

馬鹿な人間発言で俯きがちだったわたしは思いっきり顔を上げた。なんて言おうかな、何を話そうかな、

もしかしたら同居人になるかもしれない彼に、この家の生い立ちでも、私は少ししか知らない思い出話でも、
これからの話でも、そう思った。そう思ったとき、そこには誰も。


「…え…」


誰もいなかった。