言葉の不正解と旋律の正解
2.初めてのお留守番の変化の出会い
マスターの部屋に、白い紙が散らばってる。それだけじゃなく、その全てにビッチリと黒いペンで書き込みしてあって、
楽譜なんだとわかった。それが何枚も、何枚も、手書きで。
視線を上に上げれば、パソコンに向かい合うマスターの背。
ちらりと見える大きな画面には、音楽ソフトを再生してるのか、楽譜が表示されて。
キーを押す音と共に流れだすメロディー。
まさか、だ。なんで?
「マスター…なんで…?」
「っうああ!?れ、レン!まだ来ちゃ駄目だよー」
「なんで、その楽譜、」
「……うん?」
「正確なの。不協和音になってないの」
「…レン。君は、私のことどういう目で見てたの…?」
言わんとしてることはわかってるけどっ…!
と、机の上に突っ伏しても、流れるメロディーはまだ軽くて、拙いながらも、歪な音にはなってない。
なんで、なんで?音痴で音感がない人間が、正確なメロディーが…
あれ?でも、楽譜をただ辿るだけなら、問題、ない?でも自分で生み出すとなったら、多少支障はあるだろう。
珍しく真剣になってこの謎について悩んでいると、マスターが、諦めたように言った。
「あのね、レン。私は確かに自他共に認めるセンスない音痴だけどね。発声が出来ないだけで、色々あるにはあるんだよ」
「…発声…?」
「それなりに音がズレてればわかるし、楽譜も読めるけど、上手く正しい旋律を発声できない、究極の発声音痴なの。ついでに、楽器はただ苦手なだけで、まあ、何事にもそれなり?」
「…なんで歌の先生ができるの?」
「やめてその純粋すぎる不思議顔。グサッと来る」
また体育座りして沈みだしたマスターに近寄る。言葉にはしないけど、珍しく興味がわいて仕方ない。
だって、それでなんで歌の先生なんだろうって。どういう風にやってるのか、気になる。
摩訶不思議な技でも使ってるのだろうかと、単純に計り知れない未知が物珍しいだけの、
野次馬のようなものかもしれない。
「えと、ね…私はね、元々、音楽に親しみがある家に生まれてて、私自身も人一倍音楽には興味も親しみもあったわけですよ」
「うん」
「でも発声音痴すぎて、自分では音楽が出来ない。楽器を弾く技術もそこまでだし。だから他人の音楽ばかり聴いてたらね、不思議と、わかるようになってきたのよ。
誰かがこの小節で上手く楽器を鳴らせない理由、こうしたらこの人には映える歌い方、この人たちの悪い癖、何もかも、全部。だからそれを指摘し続けてきたら、ね」
「…きたら?」
「色んな人にわっと歌の先生頼まれて、成り行きで、こう、圧されて、今に至る、みたいな。時々楽器演奏指導にも臨時で」
…なる、ほど。
理解は出来るし、その理論もわかるんだけど、
それだと、マスターはある意味才能もセンスもピカイチってことだよね。この様子だとそれなりに作曲も出来るみたいだし、発声音痴さえなければ、凄い人になってたのかも。
人一倍聞き続けた、っていう努力の結果だとしても、才能も大きいだろう。なんでもわかるって、ある意味絶対音感だとか、そんなんだよね。
発声できないことには何かしら理由ありそうだけど。出来ないものは出来ないんだろう。
…なんか、凄い、のかも、しれない。
色んな人にわっと、って。まともに仕事してるのかって凄く疑問だったけど、求められてるんだな、
色んな人間たちに。
「あ、レン曲はね、デモは明日にでも出来そうなんだ。…けど、ね」
「…なに?」
「どうにも、レンの得意なキーとかジャンルも知らないし、色んな系統の作りすぎちゃって。その分まだ薄っぺらいけど、…その…」
「…」
「レン、歌って、もらえない、かな。誰かに曲作るなんて、初めてで、まだ勝手がわからなくて」
「…ッ」
そんな人に、求められた。沢山マスターを求めてる人たちよりも、俺を求める。成り行きなのかもしれないけど、
それがどんな理由であれ、状況であれ、境遇であれ、俺は、初めて、本当の意味で、誰かに
「う、ん」
求められたんだ。
広い部屋に敷き詰められた、沢山の楽譜たちは、みんな俺のためのもの。どんなものが合うかとか、どんなキーなら出来るかとか。
俺のために考えて、何通りも何通りも、そんな、果てしない。
点数なんて、関係ない。上手い下手だとか、歌える歌えないなんて、カイトが言った通り、やっぱりどうでもいいことなんだろう。
誰かが曲を作った。誰かが歌って欲しいと願った。俺は歌いたいと思って、それを歌う。それがどんな出来でも、歌は歌だ。
それでいい、俺は、歌いたい、
求められたい、どんな形でも、こんな風に、誰かに、ずっと、ずっと
「よかっ…ったー!!ああっ嬉しいっ」
求められたかったのか。平坦な心の奥底で、こんなに強い感情を隠して、願ってたのか。
でも、それも違うように思える。心というスペースに、その感情を扱える隙間はあった。
でも、それを刺激して芽生えさせたのは、きっとこの人だ。
喜びも、求められたときの高鳴りも、揺れる心も、全部初めてだ。顔は、きっとそこまで動いてない。この心も感情も、まだまだ平坦なままなのかもしれない。< でも、俺でも、歌える。下手くそでも。その夜はとても穏やかに眠れた気がする。
「いやぁ〜めでたい話だね、イイハナシダナー。ナー。」
「……誰?」
その次の日は一日、俺が選んだ歌いやすいと思われる楽譜を、マスターが音の調整をしていて、
明日には軽く歌ってもらえるだろうと言っていた。だから、なんとなくむず痒くなって、散歩と称して家から出た。
と言っても行く所なんて隣の家のカイトのところしかないのだけど。
カイトもカイトで普段何してるんだか、ずっと家に入り浸り。そしてそのまま受け入れてくれる。
いつものように向かったその先で、近所の人だとか、他人に出くわすことはなかった。
でも、この目の前のニヤニヤ笑いのオッサンは、近所の人とか、そういうんじゃなく…
「不審者は、ツウホーしていいんだよね?」
「待て。まずだ、せめて、せめて何かしたっつー証拠を、事実を残させてくれ」
「イラついた」
「ジーザスッオォオッ」
ただの不審者っぽい…。
2.初めてのお留守番の変化の出会い
マスターの部屋に、白い紙が散らばってる。それだけじゃなく、その全てにビッチリと黒いペンで書き込みしてあって、
楽譜なんだとわかった。それが何枚も、何枚も、手書きで。
視線を上に上げれば、パソコンに向かい合うマスターの背。
ちらりと見える大きな画面には、音楽ソフトを再生してるのか、楽譜が表示されて。
キーを押す音と共に流れだすメロディー。
まさか、だ。なんで?
「マスター…なんで…?」
「っうああ!?れ、レン!まだ来ちゃ駄目だよー」
「なんで、その楽譜、」
「……うん?」
「正確なの。不協和音になってないの」
「…レン。君は、私のことどういう目で見てたの…?」
言わんとしてることはわかってるけどっ…!
と、机の上に突っ伏しても、流れるメロディーはまだ軽くて、拙いながらも、歪な音にはなってない。
なんで、なんで?音痴で音感がない人間が、正確なメロディーが…
あれ?でも、楽譜をただ辿るだけなら、問題、ない?でも自分で生み出すとなったら、多少支障はあるだろう。
珍しく真剣になってこの謎について悩んでいると、マスターが、諦めたように言った。
「あのね、レン。私は確かに自他共に認めるセンスない音痴だけどね。発声が出来ないだけで、色々あるにはあるんだよ」
「…発声…?」
「それなりに音がズレてればわかるし、楽譜も読めるけど、上手く正しい旋律を発声できない、究極の発声音痴なの。ついでに、楽器はただ苦手なだけで、まあ、何事にもそれなり?」
「…なんで歌の先生ができるの?」
「やめてその純粋すぎる不思議顔。グサッと来る」
また体育座りして沈みだしたマスターに近寄る。言葉にはしないけど、珍しく興味がわいて仕方ない。
だって、それでなんで歌の先生なんだろうって。どういう風にやってるのか、気になる。
摩訶不思議な技でも使ってるのだろうかと、単純に計り知れない未知が物珍しいだけの、
野次馬のようなものかもしれない。
「えと、ね…私はね、元々、音楽に親しみがある家に生まれてて、私自身も人一倍音楽には興味も親しみもあったわけですよ」
「うん」
「でも発声音痴すぎて、自分では音楽が出来ない。楽器を弾く技術もそこまでだし。だから他人の音楽ばかり聴いてたらね、不思議と、わかるようになってきたのよ。
誰かがこの小節で上手く楽器を鳴らせない理由、こうしたらこの人には映える歌い方、この人たちの悪い癖、何もかも、全部。だからそれを指摘し続けてきたら、ね」
「…きたら?」
「色んな人にわっと歌の先生頼まれて、成り行きで、こう、圧されて、今に至る、みたいな。時々楽器演奏指導にも臨時で」
…なる、ほど。
理解は出来るし、その理論もわかるんだけど、
それだと、マスターはある意味才能もセンスもピカイチってことだよね。この様子だとそれなりに作曲も出来るみたいだし、発声音痴さえなければ、凄い人になってたのかも。
人一倍聞き続けた、っていう努力の結果だとしても、才能も大きいだろう。なんでもわかるって、ある意味絶対音感だとか、そんなんだよね。
発声できないことには何かしら理由ありそうだけど。出来ないものは出来ないんだろう。
…なんか、凄い、のかも、しれない。
色んな人にわっと、って。まともに仕事してるのかって凄く疑問だったけど、求められてるんだな、
色んな人間たちに。
「あ、レン曲はね、デモは明日にでも出来そうなんだ。…けど、ね」
「…なに?」
「どうにも、レンの得意なキーとかジャンルも知らないし、色んな系統の作りすぎちゃって。その分まだ薄っぺらいけど、…その…」
「…」
「レン、歌って、もらえない、かな。誰かに曲作るなんて、初めてで、まだ勝手がわからなくて」
「…ッ」
そんな人に、求められた。沢山マスターを求めてる人たちよりも、俺を求める。成り行きなのかもしれないけど、
それがどんな理由であれ、状況であれ、境遇であれ、俺は、初めて、本当の意味で、誰かに
「う、ん」
求められたんだ。
広い部屋に敷き詰められた、沢山の楽譜たちは、みんな俺のためのもの。どんなものが合うかとか、どんなキーなら出来るかとか。
俺のために考えて、何通りも何通りも、そんな、果てしない。
点数なんて、関係ない。上手い下手だとか、歌える歌えないなんて、カイトが言った通り、やっぱりどうでもいいことなんだろう。
誰かが曲を作った。誰かが歌って欲しいと願った。俺は歌いたいと思って、それを歌う。それがどんな出来でも、歌は歌だ。
それでいい、俺は、歌いたい、
求められたい、どんな形でも、こんな風に、誰かに、ずっと、ずっと
「よかっ…ったー!!ああっ嬉しいっ」
求められたかったのか。平坦な心の奥底で、こんなに強い感情を隠して、願ってたのか。
でも、それも違うように思える。心というスペースに、その感情を扱える隙間はあった。
でも、それを刺激して芽生えさせたのは、きっとこの人だ。
喜びも、求められたときの高鳴りも、揺れる心も、全部初めてだ。顔は、きっとそこまで動いてない。この心も感情も、まだまだ平坦なままなのかもしれない。< でも、俺でも、歌える。下手くそでも。その夜はとても穏やかに眠れた気がする。
「いやぁ〜めでたい話だね、イイハナシダナー。ナー。」
「……誰?」
その次の日は一日、俺が選んだ歌いやすいと思われる楽譜を、マスターが音の調整をしていて、
明日には軽く歌ってもらえるだろうと言っていた。だから、なんとなくむず痒くなって、散歩と称して家から出た。
と言っても行く所なんて隣の家のカイトのところしかないのだけど。
カイトもカイトで普段何してるんだか、ずっと家に入り浸り。そしてそのまま受け入れてくれる。
いつものように向かったその先で、近所の人だとか、他人に出くわすことはなかった。
でも、この目の前のニヤニヤ笑いのオッサンは、近所の人とか、そういうんじゃなく…
「不審者は、ツウホーしていいんだよね?」
「待て。まずだ、せめて、せめて何かしたっつー証拠を、事実を残させてくれ」
「イラついた」
「ジーザスッオォオッ」
ただの不審者っぽい…。