第五話
1.初対面昔語り
「…でさあ、ここなんだって」
「ここ?」
「あの事件の」
「ああ、怨霊が漂っているっていう…」


屋敷の門前でヒソヒソ声を潜めて囁いている若い男二人組がいた。
ちらちらと屋敷を見るその目には、好奇と、隠せない恐怖の色が浮かんでいる。
ついにお客人がやってきたぞと構え、その好奇心を上回らせて足を踏み入れて来る時を待っていた。
しかしひとしきり囁き尽くすと、彼らはどちらからともなく踵を返して、そのまま去っていってしまった。


「あの腰抜け共!!!!!」
「このチキン野郎!!!!!」


小さくなっていく二つの背中に向けて私が罵ると、彼女も後に続いた。
チキン?と耳慣れない罵倒に眉を顰めていると、彼女はお構いなしに地団駄を踏む。


「勇者求!!みたいなチラシ貼ったらどおーー!!?」
「それじゃなんも怖くないわよ」

隠されたように佇んでいるからこそ風情があり、人の手が入っていないからこそ怖いのだと感じる。
生前肝試しなんてした事はなかったし、怪奇譚みたいな物も読まなかったけど、流石にそういう事くらいはわかっていた。明らかに人が書いた手製の張り紙など見てしまえば恐怖なんて消え去るだろう。


「まぁ、でもあと一歩ってとこね」


噂話が広まるようになれば、もう目前だ。うんうんと頷くと、彼女は窓にへばりつきながら、私の方を流し見た。


「…スカーレットは大人だよねぇ」


しらーっと目を細めた後、溜息をつきながら言われた。
そりゃ窓には吐息で曇りもしないし指紋が付着する訳でもないけど、くっつきすぎ。

「なにが」
「目先の利益に飛びつかない」


指先で窓に何か描こうとしながら言う彼女。意味がよく分からず首を傾げると、答えるようにグチグチと呟いた。


「私なんて所詮待ても出来ない犬野郎だよ」
「ああ、そういうこと」


彼女は今にも彼らの胸倉を掴みかかり引き止めようとしていた。長期に渡る計画を立てている私とは違って、彼女は目先の美味しい餌が惜しいのだ。
彼女が持ち出してきたたとえ話だというのに、深く納得したように頷くと恨めしそうに睨みながらハンカチを噛んでいた。



「…ってことで、この世は弱肉強食な訳よ。勝たなきゃ損、負けたら虚しい」

犬云々のたとえ話から発展して、数々の犬猫相手にした一進一退のバトル武勇伝を話す。
犬だろうが猫だろうが、負けた者に口はなし。
いやこの子さすがに小動物殺しちゃいないだろうけど。
その姿につい自分の境遇を重ねた。


「勝っても私は虚しいわ」


屋敷を見渡して溜息が出る。この退廃っぷりは私が果した証なのだ。
成し遂げられた達成感はそこになくて、仇打ちが出来ても清々することもなくて、なんとも言えない思いが胸に広がり残り続けるだけなのだ。
嬉々として語れるこの子の能天気が羨ましい。
悲しいでも苦しいでも嬉しいでもなく、虚しいという言葉が一番うまくハマった。
二度と出すものかと思ったこの言葉も、今では決して弱音だとは感じず、溜息の代わりのよな些細なものになり、吐き出す事に躊躇いがなくなった。


「…元気ですかー?」
「まぁ、あんたが来てからは少し元気出たけど」

恐らく騒がしい彼女のおかげだ。
鬱屈とする暇もなく日々は過ぎ去り、過去の事に変わっていく。憎しみも悲しみも風化する事はないけれど、やめとけばよかったと後悔する事もない。
弱くなる事が嫌だった私は、望み通りの状態になれたのだった。


「うーんお化けになってまで廃墟の管理押し付けられたんじゃ浮かばれないよね」
「分かると思うけど、あたし別にそれで落ち込んでる訳じゃないのよ」


静かに、諭すように首を横に振った。


「色々あったんだね。人生永く生きてりゃ苦もあれば楽あるよね」
「いやあたし享年13」
「うっそーマジ老けてる!!!!!」


指さしながらケラケラ笑うその女を無言で宙吊りにしてやった。
鉄槌の甲斐はなく、子供のように喜んでいる。
虚しくてすぐに床に落とした。埃が舞って咽ている。因果応報というやつだ。


「まぁ、怒涛の13年だったわ」


人生語りというか、思い返して感慨深くなっただけで、独り言みたいなものだった。


「人を殺した」


前は躊躇ったことも、直接的に吐露できるようになった。
彼女はあの時と同じようにぱちぱちと瞬きをして、それから不思議そうに首を傾げる。


「どうやって?」
「ポルターガイスト使ってザックリ」


引かれるかもしれない、と少し思った。人殺しは罪で、軽蔑されるもので、畏怖されるもので、能天気なこの子もさすがに引け腰になる物だろうと。
それでも私は前とは違ってすんなりと言葉に出来たし、言おうとも思った。
それはもう、彼女ならば言ってもいいと半ば確信していたからもしれない。


「どうして?」


罪を罪だと断罪せず、心情を訪ねてくれた。
やっぱり、と思った。
彼女ならそうしてくれると、心のどこかで友人を信頼していたのだ。
──彼女はもうとっくに仲のいい友達だった。
とても嬉しくて、もうないはずの心臓の辺りが熱くなったのがわかる。
ぐわっとせり上がってきた何かを抑えて、平然を装って答えた。

「…友達が酷い目にあった、殺されたの。私も最後には…。だから憎くて」
「………うん」


何に共感しているのか分からないけど、ただの相槌以上のものがそこにはあるようで──…


「私もはちゃめゃな16年だったよ」
「うそあんた超童顔!!!!!」


驚愕で叫ぶと、その場に崩れ落ち床を拳で打った。「外人と一緒にするなこっちは平たい顔族に生まれちまったんだ」と嘆き悲しんでいる。
平たい顔族ってなんだろう。テイラー家みたいな血筋、一族の総称だろうか。
由緒ある所の生まれなのかと聞くと、そりゃ由緒ある平たい顔だけど…と言いながら珍しく苦い顔をしていた。


「私も人を殺しかけた」
「…は?」
「殺されそうになったから。結局峰うちになっちゃった」
「いやいやいや」


涼しい顔で何を言っているんだろう。


「同じじゃないけど、同じだね」


憎いったらありゃしないと、笑顔で言った。
私はとても嬉しかった。
これはこの子の…友人の不幸を喜ぶことになってしまうのだろう。
そもそもまったく同じではない。私は沢山の人を手にかけて、この子は未遂で終わっている。けれど分かち合える事が嬉しかった。
こんな事だれにも理解されないと思っていたのに。

──久し振りに膝に顔を埋めた。
不毛だと気が付いた夜から、二度としていなかったのに。
あの子はそっと寄り添い、鼻をすすっても何も言わなかった。

2019.9.30