第二話
1.初対面出会い
カツン、と物音がして振り返る。
まるで電燈を灯したかのように、パァッと華やかな光りが漏れて出して来たのを見た。
いくつかある中でも、一番大きなバスルームがある屋敷の中心部からの物だった。
点灯出来る生きた電灯があったのまだあったか驚きながら、一瞬で消えてしまったその一角へ、そっと気配を殺しながら近づいた。
いや幽霊に気配も何もないはずなんだけど。抜き足忍び足になるのは仕方ない、気分だ。


「…!」

時折砂利を踏みつけながら廊下を歩く。音を消そうと踏ん張ると、浮遊出来る事にようやく気が付き、これ幸いと地面から浮き上がる。

──辿り着いたバスルームの中、蛇口の前に佇む誰かがいた。

体勢を整えるために、身体をいったん廊下側へと引っ込める。いつ、どこから、どうやって。
ああそうか。気付かないうちに抜道から入りこんできたのだろうと思った。
私が普段居る事の多い玄関前の広間。そこにある玄関扉から入らなくても、窓はどこもかしこも壊れている。
守るべき尊い血族も価値ある家財も金庫もない、零落した所の話ではない一族が住まっていた洋館。抜け殻の屋敷に防犯など働いていない。
そっと中を覗き見た。
よく見るとそれは意外にも若い女で、彼女はただ無表情で水道を見下ろしていた。
黒いYシャツにかかる髪は長くはなく、肩に届くか届かないか。あまり見慣れない形の紐靴を履いている。黒髪黒目だ。膝丈のスカートが白でなければ、まるで喪服を纏っているかのようだった。
光の無いその目からは、何を思っているのか伺い知れない。
背中は力なく丸まっているようにも見えるし、ただ下を見ているせいで自然と曲線を描いているだけにも見えた。


「…」


出入り口から覗けるのは無表情な横顔だけだ。
けれど彼女の眼の前にある鏡や、あちこちに散乱している破片に映る彼女の顔は、歪んでいるようにも見えた。

まさかこんな辺鄙な所にやってきて自殺でもしようと企んでるんじゃ…と思った。
それとも肝試しに来た仲間とはぐれてしょげてるのか、いや罰ゲームで単身向かわされたとか。
少しも楽しそうには見えないし、悪いようにしか捉えられない。
怖くなるくらいの静寂、微動だにせず立ち尽くす姿。

なんだか凶霊のあたしの方が怖くなってくる始末で、腕でもさすりたくなってきた頃。
ぴちょん、と水滴が落ちる音が木霊した瞬間、彼女はゆっくりと右手を伸ばし始め、思わず私が目で追うと──


「ぎゃああああ!!!!!」
「あ゛あああああ!!!!?」


彼女はダイナミックに蛇口をひねり、勢いよく水流を放出せさると、親指で塞いで飛沫を上げさせた。
勢いの激しい水道を塞げばどうなるかは分かるだろう。普通の水道であればきっと楽しい水遊びになった。
──けれどこれは血が滴る蛇口なのだ。
血は部屋全体、床にも壁にも飛び散って、事件が起こったとしか思えない現場になってしまった。
いやここではとっくに事件は起こってる。この赤は、惨劇が生み出した産物なのだ。


「参事じゃーーい!!!!」
「なっな…っ!!!!」


いや台風の日の子供かとツッコミたかった。しかし私の唇は戦慄くばかりだった。
降ってんの雨じゃないのよ血しぶきよ。つーかコレが参事って自覚あったの!?
最初こそ本気で絶叫していた。が、今の彼女の表情は明るくて、両手を広げてまるで子供のようにはしゃいでいる。
恐怖に慄くのは私だけで、終いには彼女はくるくると軽快に回り出した。
私は引け腰になるばかりで、伸ばしかけた手は宙を彷徨い、まともに言葉も紡げない。しかし。

「……オイちょっと待てこの野郎!!!!!」

彼女が血みどろの姿で部屋を駆け出そうとしたのを見て、思わず服を引っ掴んで止めた。
血がぬめっと手についてウッと呻く。何これちょう気持ち悪いわ。血なんて浴びるものでも触るもんでもないっての。
不快に眉を顰める私とは対極に、留められた彼女は不服で眉を吊り上げていた。


「なんで止めるの!!」
「逆になんで止められないと思った!?人んちでハイにならないでくんない!!?」


はあ!?と不満がってる彼女の足元にはぽたぽたと血が滴っていた。
頬からも血が一筋も二筋も滴っていて、髪はべたべたに湿っている。
このまま部屋を出れば外まで血の痕が点々と続いていくことになるだろう。
それはそれでおぞましい事があったぞという演出に使えるかもしれない。
けれど、この血の出る蛇口を初めて私が見つけた時から、もっと違う形で有効利用しようと計画立てしていたのだ。
捻ってみたら血が出るって普通めちゃくちゃ驚くやつでしょ。
点々と血が続いてたらネタバレになっちゃう。
捻って血が出て来てもそれじゃ新鮮味がない…つーかやっぱりなーって笑っちゃうじゃない。


「こんな血とか滴って…こわくないの!?」

だからこそ、この女は正気かと慄いた。
捻ったら血が出たって狂気の沙汰でしょ。普通にヤバくない?それで喜ぶってお前は吸血鬼の血でも引いてんのか。ドラキュラ大歓喜だなこの部屋。
そもそもこの退廃した屋敷内で何故陽気でいられるのだろう。
私がドン引きしながら問い掛け、ズルズルと部屋内に引きこもうと踏ん張るも、向こうの方が更に馬力が上回る。ゴリラのような力で踏ん張られて、成す術もない。
彼女はパアッと夏のひまわりのような笑顔を咲かせて言った。


「怖くないよ!けっこう見慣れてるし」
「あ、そうなんだ、よっ…くねーよ!なんで見慣れてんのそんなの!?」


子供のようにはしゃいでいた彼女は、やはり明るく返答する。俯いていた女と同一人物とは思えない。
どうやったらそんなん慣れるのか考えたくもない。
私が口元を引きつらせて閉口していたのをどう捉えたのだろう、彼女は舞台役者のごとく芝居がかったポーズを取りながら口を開く。

「私が初めて包丁を握ったのは4歳の夏の日。私の生涯は鮮血に彩られ続ける宿命にあり…」と言った時点でその口を塞いだ。

語り部のごとく流暢に語り始めた彼女を静止させたのだ。
殺戮した身だけど、グロい話を聞くと鳥肌が立つ。下手に殺し殺されした後よりも、彼女の家のまな板の上の方が惨状だなと思う。
ツンの鼻腔を擽るこの部屋の鉄の匂いが、その想像をリアルにさせていた。

「と…とりあえずそこ座って!」
「了解いたした」

ビッと指を床に向けて指すと、彼女は思いの外素直にいう事を聞いてくれた。
すとんとその場に座りこんだ姿を見て、呆気にとられる。しかしこの千載一遇のチャンス逃してなるものか。こほんと咳払いをしてから訪ねた。


「あのさ、どうしてここにいるの?」
「ええ?なんか水音がしたから気になって?」


うん?と首を捻りながら言う彼女は、自分でもよく分かっていないようだった。
バスルームにいた事ではなく、屋敷にいる理由を尋ねたのだけど、食い違ってしまったようだ。
話は長くなるかもしれない。彼女に倣って私も座りこんだけど、血に塗れて気持ち悪い。
私は意思次第で汚れた服も綺麗に戻せるから血だまりにも座りこめたけど。
彼女は開き直っているのかそれともただの考えなしなのか、躊躇いがなかった。
ちらり、と彼女の顔を見る。


「……」


今でこそ背筋を伸ばしてきっちりと落ち着いている彼女。けれど、10分にも満たない邂逅だけで、私は確信できていた。
──彼女を野放しにしたら何をしでかすかわかりやしない。
もう既にめちゃくちゃになっている屋敷を更にめちゃくちゃにされたくなければ、どうにかしてこの女の手綱を握るしかねえなと。
私は無自覚な犯人に、屋敷を人質にとられたのだった。
2019.9.30