第一話
1.初対面凶霊爆誕

住まう者が皆殺しにされた、見る影もなくなった屋敷。その中で私はひとり誰にも知られず漂っていた。

ハッと気が付いた時には私は宙に浮き漂っていて、誰もそれに気が付かない。
見おろした自分の手は透けていて、誰に確認を取らなくても、自分が幽霊になったのだと気が付く。
──皆を殺してしまったのは、私自身だ。憎い仇に襲い掛かった時点で、もう自分がこの世ならざる物だという自覚はあったのだった。

大切な女友達を、怪しい宗教にかぶれた身内に惨く殺された。
従弟と共にこんな事はおかしいと異を唱えれば、異端児と見なされ殺された。
そんな私は死後蘇り、意図的に復讐を試みる。
そして一族は私の望み通り滅び、誰もいなくなった無人の屋敷は朽ちて行く。
ただそれだけの事実が、薄暗い屋敷の中に転がっていた。


「…誰もいなくなっちゃった」


屋敷中に転がっていた遺体は、全て回収されていった。
友達が殺された時は口を噤んだ警察も、口止めをする人間が皆殺しにされたとなれば、堂々と屋敷に入りこむ。何を隠す事なく取り調べてくれるだろう。
妖しい儀式が云々を公にするかどうかは知らないけど、テイラー家が滅びた事は隠されないだろうし、隠せもしない。

赤錆色が広がった痛ましい景観に眉を顰め、無駄口を叩く暇なく仕事を終えた彼らは、無駄足も踏む事なく撤収してしまった。
見渡す限り廃材だけが転がり、右を見ても左を見てみても生者は誰ひとりいない。静寂が続くだけだった。


「…むなしい」

その呟きは、決して後悔が私に紡がせたのではない。
誰もいない屋敷に一人佇んでいるという状況が、単純に虚しいと思ったのだ。
共犯になった従弟は私みたいに恨み深くなくて、きっと天国へ逝ってしまった。
私にとっては友達で、彼にとっては恋人だったあの子のことを愛していたから、優しい彼も一揆をおこし殺されてしまった。
彼は薄情な訳じゃなくて、ただ私とは向かう方向が違っただけだ。


「…静かだわ」


虚しいの代わりに一言、率直すぎる感想を述べた。
生身の身体はなくて、もう疲労も感じないけど、ずっと立っているのもそれこそ虚しいと思ったから、膝を抱えて座りこむ。
しばらくそうしていてもやっぱり現状は何も変わらなくて、そのうち冷たい床に腰を落ち着ける。そして膝に顔を埋めてしまった。
顔を伏せたことで視界は黒く染まるけど、意識はずっとなくならない。
幽体では睡眠が摂れるのかもわからなかった。
そうしてからどれくらいが経っただろう。気が済むまでそうした所で、もう一度顔を上げると、今度こそ本物の夜の暗闇が広がっていた。
警察や記者はもとより、残滅された本家に所縁あった者達もそそくさ逃げるように去っていってしまった。そんな今、ここにもう一度戻ろうとする酔狂なものはいないだろう。
窓から差し込んだ月明かりを眺めていると、きらりと宙で何かが光った気がして、目を凝らした。


「…やだ、埃」


使用人が毎日徹底していてくれたおかげで塵ひとつなかった屋敷。
宙を舞っていたのは埃だったようだ。
幽霊になったとはいっても、物には触れるらしい。
指先で窓枠をつっとなぞってみると、薄ら埃が纏わりつく。それが不快で眉を顰めた。
自分の所業で今屋敷は半壊状態だ。当時は鮮血に塗れて、煙も上がって、生々しい状態だった。埃が舞う程度かわいい物だ。
けれど、たった数日で無人の室内にも埃が積み上がるものかと私は驚いた。
初めて体感した事だったのだ。
放っておけば塵は積もり汚れる。知識としては頭に入っていた事だったけれど、実際に私の指に付着した物を目視して、何故だか衝撃を受けた。

──私はこうして塵もゴミも時間も降り積もる中、ずっと一人きりで過ごして行くんだろう。
ぽつんと孤独に膝を抱え続ける私の姿は、想像するに難くない。
…仇討した事を後悔なんてするはずがない。私は今でも一族を許せはしない。
けれど、ぽっかり胸に穴が開くような喪失感や孤独感をこの胸に抱いているのは事実だった。


「…冗談じゃないわ」


燃え尽き症候群とでもいえばいいのか。
果した後に、この静寂に押しつぶされて、精神的に参って行き、終いには「やめておけばよかった」と復讐を後悔する瞬間が来るのかもと思うと、自分を許せない。
自分の恨みと行いを嘘にさせないためには、私は今まで通り…生前の自分通りの思考のままでいなければならない。
天国に逝けなかった、気性の荒いスカーレットのままここに居残り続けるべきなのだ。
彼女に惨いことをされて憤り、家族に反抗し、異端児として惨殺され、凶霊となり復讐を遂げたスカーレットは、こんな風に弱々しく蹲るような根性はしていなかったはずだ。
スクールカースト上位に君臨するのは当たり前。何もかも一番で当たり前。
そんなスカーレットを殺したのがテイラー家ならば、そういう教育を施したのもテイラー家だ。


「ゆるさないわ」

弱々しく膝を抱えながらも、腹の中にはどす黒く熱いものが渦巻いているのが分かる。
何もかも不明瞭な暗闇の中で、私の瞳だけは力強く、業火のような苛烈な色が灯っている事だろう。
私は何もかも許さないし、何もかも後悔しない。それでいい。寂しいけど、ただそれだけの話だ。
気を滅入らせる静寂が嫌だと思うならば、どうにかするため足掻けばいい。ただ蹲るよりは生産的だ。

顔を上げると、ヒビ割れた窓硝子の向こうが鮮明に見えた。
雲間から満月が顔を出す。少し赤みがかった光を帯びているそれは、黒い星空の中に浮かんで存在を主張している。
そうだ。先入観が邪魔をしていたけど、幽霊だからって息を殺してじっとしている必要なんてない。


「…逆だわ」

──この状況を逆手にとって動き回ってしまえばいい。

通学中、上級生がどこそこの進入禁止区域に忍び込んだのだと武勇伝を語り合っていた。
同級生は肝試しをしに、曰くつきの廃墟へ行ったのだと言う。
下級生は怖い話を明るく交換しながらも、実は怯えを隠していたのだ。
飽きない彼らを心底馬鹿馬鹿しいと思っていた。
けれど今になっては、私にとってなんて都合のいいことか。
怖い物みたさ、仲間の前で張る見栄。そんな心理が存在し続ける以上、幽霊である私は退屈しないはずだ。
この屋敷も今よりもっと汚くなって行って、雑草まみれになって、テイラー家の栄光は影も形もなくなって、いつか跡形もなく朽ちていく。
それは寂しい事じゃなく、きっと都合のいいことだ。

彼らはそういう所に忍び込みたがるのだから。積極的に退廃させて行っていいくらいだ。
実際従弟のエディを除けば、人道に反する者ばかりの碌でもない一族だったのだから、廃れても当然だとも思える。


「…むなしい」


最後に一度だけ、意識的に一言呟いた。
全部が嘘な訳ではなかったけど、この考えは私にとっての強がりで、寂しさを誤魔化すための虚栄心でもあるのだと分かっていたのだ。
けれど寂しいも切ないも虚しいも、抱くのは今夜で最期。
完璧に果してしまった復讐。その後にやってきた末路。

明日からは自分が生み出したこの現状を認めて、都合の悪い後始末も全部請け負って、自分ひとりで過ごしていかなければならない。


「…もっと荒らせばてっとり早いかしら」


朝になるまでぼんやりと玄関前の大広間を見渡し、この先のことを考える。
膝の上で頬杖をついて、まだ艶のある部分の残る床を視界に入れた。

時間の経過で褪せて剥がれていく塗装、こもる湿気、雑草が蔓延る庭。
廃退っぷりを演出するためには欠かせない物だろう。
屋敷は広くて、部屋数も多ければ窓も多い。
引かれているカーテンは綺麗なものもまだ多く残っていて、ある一角からだけならば綺麗な洋館にも見える。
それでは駄目だ。

けれど私が強盗でも入ったかのように、無秩序に荒らしまくったってどうしようもない。
焼野原にしたいのではなく、あくまで「なにかあるかも」と思わせるスパイスが欲しいのだ。
意識的に、けれど自然に見えるように、丹念に荒らしていけば客の入りも早くなるんじゃないかと考えた。
最早ここは自宅ではなく、まるで大きな舞台で、自分はそのセッティングをする演出家のようだなと笑えてきてしまった。

2019.9.30