第六話
1.来来世14歳頃
──記憶はそこで途切れていた。
ハッと目が覚めた時には全てが終わっていた。
私の肩には、返り血を浴びて禍々しくなったセキセイインコが。
私の手には、鮮血で濡れた刀が。
見渡せば、私は見知らぬ家屋が立ち並ぶ路地に立っている事が知れた。

そして炭治郎と禰豆子と、これもまた見知らぬ青年が一人いる事に気が付く。
炭治郎はパッと見傷は見当たらないけれど、禰豆子が怪我をしているようだった。
民家の塀に背をもたれさせて、禰豆子は眠っている。
炭治郎はへたりこんでいる青年に声をかけていて、私だけが場の空気を読めず、茫然としている。
鱗滝さんのあの時の言葉が脳裏に何度も過っていた。
記憶が途切れる前のこと。


「お前は多重人格者。お前は不思議な力を秘めている…。時折…大抵夜になると、違う己が表に出て来ている」

と、深刻そうに言った鱗滝さんに。

「漫画の読みすぎでは?」

…と言って、「なんで漫画だ?」と返され。私は俯いてしまったのを覚えている。
この…何中二っぽい事言ってるの?という感想を、現代の漫画という娯楽なしにしては彼に伝えられない。
己の無力さが歯痒く、私は現実に打ちのめされていた。
そう、今は大正時代。漫画という娯楽があったとしても、人々は当然現代の風潮を知る事はない。
この時代の子供たちは…中学二年生頃の多感な時期になっても、包帯を巻いてみたり、自分に秘めたる可能性を感じてみたり、覚醒の時を待ってみたりする事がない。

気が付いたら見知らぬ土地で若返っていた私は、もしかしたら異世界トリップとやらをしたのかもしれないし、二度目の転生をしてしまったのかもしれない。
それだけでもなんか、こう、ラノベ的なのに…鱗滝さん…それは酷な話だ…

ひとつの身体に複数の人格を持つという病気というべきか、障害のようなものは、
物語の中だけの産物ではないけれど…
「違う自分が覚醒し、そいつは鬼殺隊として働ける程馬鹿強い」というのは些か夢見がちすぎではないか?という懸念がどうしても拭えなかった。私は鱗滝さんを憐れんだ。

「中学二年生だけが夢をみるんじゃない…そういうこともある…」


おじさんだって夢がみたいときもある。だって人間だもの。
あの試験は、七日間生き残ればいいのだ。
恐怖にすくんだ私が、地中深くに穴をほり、隠れ耐え忍んでいたかもしれない。
あの程度の怪我で済んだのは僥倖だ。
受験者と間違えられて、会場入りしたのだとしても、私が鬼と戦って生き延びたという訳ではないだろう。
もう一人の自分が夜な夜な炭治郎と岩を斬る修行をしていたとか…そんな事ある訳がない。ない。
私はそう否定し続けていた。
記憶を失い、炭治郎と禰豆子と共に北西の町へ足を伸ばし、明らかになんかを斬ってしまった形跡の残る刀を目にするこの瞬間までは──


「すまない!酷いことを言った!どうか許してくれ!!!すまなかった…っ」

話をつけ終わったのだろう、青年の前から立ち去ろうとする炭治郎に気が付き、私もそれに付き添った。
状況がわからなすぎる。多分流れ的にここが北西という事くらいは分かるけど。
すると目に涙を浮かべた青年は、炭治郎の背中に向けて大きく叫んだ。

私は青年と炭治郎の間に何があったのか分からないし、何に向けての謝罪なのかもわからない。
けれど、炭治郎は剣士で、人を襲う鬼と戦うためにこの町にやってきたのだ。
夜な夜な少女が消える街。彼が手にする簪。何があったか、想像するに難くない。
私は一瞥し、一度会釈をして、そのまま振り返らなかった。



「…本当に…も、もう一人の私が眠っているの……?」
「……そうだ。夜になると、じゃないが出て来るんだ」
「うそ……」
「ウソじゃないんだ……怖いかもしれない、辛いかもしれない…でも、本当の事なんだ…」
「…炭治郎がウソつかない事は知ってるよ…でも…信じられなくて…私じゃない私が眠ってる…?私のこの手に不思議な力が…?…そ、そんなことって…」

カタカタと刀の鞘を握る私。気の毒そうな炭治郎。頷く炭治郎。声を震わせる私。かわいそうな私。
なんでこんな言葉を口にしなければならないのだろう。
私には前世があった。今はそれを前前世と呼んだ方が正しいのかもしれない。
私は幼くとも、暮らしていけるだけの経験と知識が蓄積されていた。精神年齢は高かった。トータルでみれば、大人のお姉さんと言ってもおばさんと言ってもよかった。
暮らす技量と輪の中で生きる処世術が私の生きる手段だった。

そんなおばさんがどうして若いうちに言っておきたかった心躍るセリフを、今更ガチめに口にしなければならない?私はいるかも分からない神を呪った。


「でも、だ。どちらのも俺は好きだし…鱗滝さんが心配するほど、俺は心配してないんだよ」

「知ればショック死する」と言って口止めした鱗滝さん。夜になると人格が変わることを「寝汚い」という言葉で纏めた炭治郎。

いい感じに笑ってそう言ってくれた炭治郎に、ふっと私も笑い返した。
炭治郎は嘘のつけない、鼻のいい少年である。この人はいい人だとか、悲しんでいるだととか、そういう機微や人間性を嗅覚で悟れるらしい。
善良すぎる少年が太鼓判を押してくれるのだから、私も私のことをあまり心配していない。
けれど、その優しい言葉をそのまま受け止める事はなかった。
炭治郎という少年には中二病という概念が通じない。
それは鱗滝さんも同じだ。
けれど、彼は、年嵩のある大人だ。若気の至りという概念をきっと知っている。
若いからこそ言えた恥ずかしいセリフという物があることも知ってる。


「ショック死する」

私の頭の中で何度も何度もリフレインした。
本当に死ぬわけではない比喩表現だ、けれど私の心は確かに何度もショック死した。
鱗滝さんはこの私の繊細な心を見抜いていたのだろう。

私は鱗滝さんの配慮に感謝しつつ、呪った。
真実は早く知った方が傷は浅かったかもしれないし、すぐに知らされていたら、二年ものうのうと一緒に暮らせなかったかもしれない。無論、恥ずかしすぎて……だ。
私はこれからも恥の多い人生を送って行くのだと思う。
肩に乗る愛らしいセキセイインコが、地を這うように低くクククと囀り、恥ずかしい私を嘲笑っていた。
炭治郎は中二の病とか生涯患わなさそうな少年だから、普通に肩ポンしてくれた。

2019.8.24