第三話
1.来来世気の毒な二年
家なき子など珍しくない、ついでに言えば孤児なんてもっと珍しくない。
そんな時代にいる今、鱗滝さんは二つ返事で家に置いてくれた。永住させてくれるというわけではないだろうが、すぐ出て行けと突き放す程、彼は冷酷な人ではなかった。
現代なら未成年を匿うなんて法律が許さないだろうが、今は"大正"。
前世、今世、二つ分の人生を歩んでいた私だけれど、縁のない遠い過去時代。

…タイムトリップをしてしまったのか?過去に転生してしまった?
もしかして、自分はまた死んでしまったのだろうか。
前後の記憶が抜け落ちているのだから、考えても分かりやしない。
私はこのまま流れ流されここで暮らしていく事に決めた。
帰れるなら帰る日が来るだろうし、帰れなくてもまぁそれはそれで。
昔が恋しくたって、否が応にも今の環境に適応しなければならない。
こんなにも潔く決断できたのは、死んで、新しい環境で生き直すという事に慣れていたためである。



──時々炭治郎に、気の毒そうな目で見られる事がある。
「なに?」と聞いても、「な、なんでもない」と言ってなんでもなくなさそうな顔をそろりと逸らされる。
炭治郎はとてもいいやつで、嘘をつけない。嘘をつくときはとんでもない形相になる。
妹が美人なら、兄である炭治郎も綺麗な顔をしている。絶世の美少年とは言い難いけれど、整った顔が台無しになるのだ。
それを鑑みれば、今の炭治郎は…ただ挙動不審というだけだ。嘘をついてるとも言い切れない。

私は薪割をして、野草を詰んで、煎じて、編んで、売って、ささやかながら蓄えて、彼らの暮らしを支えた。
炭治郎は家族を鬼に惨殺されていて、人間と敵対する、鬼を狩る鬼殺隊に入隊する事を望んだ。
そのため、剣士の育手であるという鱗滝さんに毎日鍛錬をつけてもらっていた。

恐ろしい事に、炭治郎が修行を初めて早二年も経ってしまった頃。
課題であった"刀で大岩を斬る"という無理難題を炭治郎がこなしてしまった時。
鱗滝さんは、とうとう炭治郎を鬼殺隊になれるかを試す、最終選別へと送り出した。


「最終選別。必ず生きて戻れ。儂も妹も、此処で待っている」


感動の抱擁を邪魔しないよう、影の方から見守り、小さく拍手を送った。
涙をにじませながら、うんうんと何度も頷く。昏々と眠り続けてしまった禰豆子は、当然連れてはいけない。
必ず生きて帰ってきてね。禰豆子の事は任せて。私とうとう着物縫えるようになったんだよね。帰ってきた頃には禰豆子は着せ替え人形にでもなっているかもしれん。恨むなよ。

「いってらっしゃい。にしても岩を斬るとか…とうとう炭治郎も人間離れしてきたね。もはや筋骨隆々だよね。その年でもう肉体美とかに目覚めちゃったの?」

と、私が言いながら手を振ると、二人は気の毒そうな目をこちらへ向けてきた。
鱗滝さんは天狗の面を四六時中していので、実の所表情は伺えないんだけど、私には分かる。


「鱗滝さん行ってきます!錆兎と真菰によろしく!」


とうとうやってきた旅立ちの日、山中の小屋に留まる禰豆子と鱗滝さんに向けて、炭治郎は手を振った。
向うは最終選別が行われる会場だった。炭治郎は意気揚々と駆け出す。──私の手を引いて。


「ねえ、私道案内とかできないんだけど…」
「え?」
「え?じゃなくてさ。何その顔。やめてよ。私がおかしいの?土地勘ない人間連れても意味ないってわかるよね?」
「土地勘は俺もないけど……」
「けどなんなの!!?こわいこわい炭治郎こわい」
「何言ってるんだ落ち着け、俺はこわくないぞ」
「怖い人はみんなそう言うんだよ炭治郎」


何かお互いの認識に齟齬がある。炭治郎もまだ未成年だ。少年だ。
保護者が必要な年齢であり、私は鱗滝さんに送迎を頼まれたのだと思って、
四苦八苦しながら未だ慣れない獣道を歩いた。
私もまだ10歳…いや12歳(推定)になったばかりだという事実には目を瞑って。
目的地である藤襲山という名前しか頭にないまま、地図も携帯も持たない私が出来る事は少ない。

藤襲山までの道のり、私は炭治郎の妹だったのでは?というくらい世話を焼かれたし、
ゴールの見えない旅に辟易して、「私を置いて先にいけ!」とつい叫ぶと、「そんなことはできない!」と炭治郎は真面目な顔で叫び、情け深く私を引き連れた。
真面目な炭治郎は私の冗談を真に受けてしまったのだ。
なんていいヤツだと涙をにじませながら歩くと、ついに炭治郎のナビのおかげで、季節外れの藤が咲き乱れる、名が体を表した藤襲山にたどり着いた。

炭治郎は私のナビも保護もいらなかったし、むしろ心配なのは一人で帰る私の方だった。
大人しくこの場で体育座りで炭治郎の帰りを待つのが賢いなと思った。

私は炭治郎が生きて戻ると信じて疑わない。
命の保証をされない試験だ、血のにじむ努力を重ねた弟子なら大丈夫だ…なんていう信頼は時に裏切られる。絶対の保証など誰も出来るはずもないのだ。
鱗滝さんは炭治郎の実力を認めながらも、心から心配していた。
けれど私は浅はかにも信頼をして、心配をしていなかった。


藤に囲まれた階段を上ると、男女の子供達が集っていた。
藤の華を鬼は嫌うらしく、鬼殺の剣士とやらが生け捕りにした鬼たちが、華によって山に閉じこめられているという。
藤が一年中狂い咲くこの山の中にも例外のゾーンがあるようで、鬼が自由に闊歩するその区域で、子供達が七日間生き残れたら合格らしい。

ここにいるのは子供揃いとえど、修行をした強者揃いなのは間違いないのだ。私は彼らの腕ではなく、食べ物飲み水が確保できるのかどうかを心配していた。
炭治郎はその辺り出来る子だろうけど、そもそも川なんかが流れていなかければ自給自足のスキルも形無しだ。

おかっぱで着物の少女二人が説明を終えた後、彼らは一斉に駆け出した。
私は炭治郎の背中に向けて「がんばってね〜!」と声をかけ、「え?なに言ってるのこの子?」と言った微妙そうな顔で振り返られた──

その瞬きの間に、血塗れになっていた。


2019.8.24