第五話
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手軽に気軽に宿泊できる施設は、現代にはたくさんあった。ビジネスホテル、満喫、カプセルホテル等々。
そりゃあ、地方には都会のようにあちこちに点在している物ではなかった。けれどそれにしたって三日三晩野営を続けてやっと人里に着くくらいの辺境地はなかったはずだ。
自転車、自家用車、タクシーや電車、頼る足のない旅は過酷なものだった。

「し、死ぬかとおもった…」
「僕ら生きてはないけどね」

道中食糧難に陥ったときがあった。彼はそこで慌てる事もなく、冷静に水脈や食物の摂れる場所に当たりをつけ始める。
彼の言う通り歩いていくと、小川があり、実の成る木があり、糧は手に入った。
火起こしだって、当然慣れた手つきで行う。サバイバルの知識どころか、アウトドアのアの字も知らない私は感心して、思わず彼に尋ねてしまった。


「なんでそんなに物知りなんですか」

と聞くと。

「伊達に長くは過ごしてないからね」

とくすくすおかしそうに笑うだけだった。
私はあれに、含みがある事をすぐに察する。
多分彼の言う"永く"というのは、私が想像するより果てしない時間なのかもしれない。
彼が神様だというのが事実とすると、人間より遥かに長く過ごしているのだろう。
今私がいる場所にについて、この世の理について。彼は道中惜しまずに教えてくれた。


「また野営するけど、今度は地形も気候も穏やかだし、今までより楽だと思うよ。もう少し頑張ってね」

励ます様に笑う彼が手にしているのは、購入したばかりの飲食物と、着物だった。
ようやく辿り着いた人里に居た商人。彼らから数週間分の飲食料を買い取り、衣服も手に入れ、間も置かずに旅立としている。
この朝食兼昼食だけを腹にいれて、またすぐに歩き出すのだ。
人里で他人の手によって作られた食べ物はやけに新鮮に見える。凝った贅沢食ではなかったけれど、自炊食か、外食かの違いは私にとって大きかった。
適当な木陰に腰掛け食事しながら、私たちは他愛ない話をしていた。

「…本当に買ってもらっていいんですか?」
「もちろん」


私の視線の先には、彼の隣に積まれた荷物があった。
その中には子供サイズの着物も含まれている。誰がそれを着るのかどうかなんて、考えなくても分かる。
「これちょうだい」と衣服屋に声をかけた時、彼には必要ないはずのソレを、何故購入しようとしたのかは、即座にわかった。
質素なだけならまだしも、私の着ている着物は汚れほつれてみすぼらしかったのだ。
旅の渦中で汚れたせいもあるが、元々最初からそうだった。
ただ、買った理由はそれが見るに堪えなかっただけではないようで。


「…言いにくいんだけど」
「なんでしょう」
「今きみが着てるそれ、死に装束ってやつなんだよ」
「え」


思わず自分の襟ぐりを掴んで眺める。
ほつれて汚れているけど、元は眩しいくらいの純白だっただろう事はわかった。
合わせ目が確かに逆だ。なぜ今まで気が付かなかったのだろう。


「…誰がどうしてこんな事……、なんて、考えてもしょうがないんでしょうか」
「なんにしても、相手は悪趣味だねえ」

僕だったらこんなの着せないのに。もっと可愛いもの着てほしいし、と論点がズレたような感想をもらした。
木陰が影を作ってくれていて、随分居心地がいい場所だった。口の中のものを咀嚼しごくんと飲み切り、思案していた事を言葉にした。


「ううん…生きてたならヤな嫌がらせですけど…私、死んじゃったのなら、これも仕方ないですよね」

仕方ない、で済ませる他ないのだろう。
死に装束とは、言葉通り死んだ者が纏う装束である。
私が死んだと言うなら、着せられて当然なのかもしれない。
分かったようには言っても、心中は大分複雑だ。死にたくはない。生きていたい。
この装束が、改めて私に死を突きつけてくるようで悲しかった。
私は産まれ、生き、死に、随分遠いところまで来てしまったように思う。
そこまで考えてふと思い出す。

「…あ、それでですね。これから私達、どこへ行くんでしょう?」
「………きみ、思ってたんだけど、やっぱり独特だよねえ」
「はい?」
「切り替えが早いってのとも違うんだろうけど…」

彼は苦笑している。いつも明るい笑顔を絶やさない彼が、たまに見せるようになった表情だった。

「今からこっちでの僕の拠点に移動するんだよ」
「こっちでの?」
「そう。僕はこの国の住人じゃないから。現世と一緒で、こっちの世にも、そういう区分はあるんだよね」


──平たく言えば、ここはあの世である。
そうは言っても、一筋縄ではない。無秩序な訳でもない。br> ひと口にあの世と言っても、所変われば住人の性質も変わってくる。
団結した集団はいくつもある。それらは各地に点在している。
境界線を越えれば一風変わる。
つまりはそれが国境である。
彼は日本人ではない、外国のヒトだったのだ。

一番最初、出会ったその日、旅行のために来ていたのだという話を聞いたのを、今更になって思い出す。
地道に移動しているうちに、こちらに来てもう一週間が経っていた。
移動を始める前、準備期間をもうけ、出会った場所で暫く留まっていたのだ。合計したらそのくらいになった。
その間与えられた情報量が多すぎて、そんなことすっかり忘れてしまっていた。

「…今更なんですけど」
「うん?」
「私、あなたの弟子になるんですよね」
「うん、ていうかもう弟子だよ」
「…私、あなたに着いて行っていいんでしょうか。着いて行って、なにか私にできることがあるんでしょうか」

道中交わされるのは、こういった今更な話ばかりだ。
出会ったあの日で全てを語り尽くす事は出来なかった。
かと言って、道中だと、ながらで喋るのは難しい。私も疲れてしまって、喋る気力もない日もあった。結局小出しにした結果、こんなに日が経ってから、今更の話をする羽目になったのだった。

「君がするのは学ぶことだよ。師がいて弟子がいて、だったらやることはひとつしかない」
「あなたは何をしてる人?」

言うと、困ったような顔をされた

「連れてきた僕がいうのもアレだけど、きみ、あんまり危ないことしちゃだめだよ」
「危ない?」
「素性も何にも分からない、知らない人に着いていったらだめってこと」

たしかにその通りである。現代で平和に生きていた頃だったら、どれだけ状況が切迫しようと、絶対にこんな事はしなかった。
けれど、見知らぬ地に落とされた私には、選択肢がなかったのだ。
あの時独りで放浪しても悲惨な道を行ったかもしれない。ついて行っても騙されて、悲惨な目にあったかもしれない。
この数週間で、彼の好ましい人となりをたくさん知れた。
けれど、だからと言って本当に"いいひと"なのかどうかは、未だに図り切れないわけで。
いくら平和な国に生まれたとは言っても、伊達に防犯意識は鍛えられていなかったらしい。ここで愚直に信じ切れるほど、私は抜けてはいなかったようだ。

「でも」

結局行き着くのは"これ"なのだ。


「今はもう師匠と弟子だから大丈夫ですよね」

流れに身を任せる。結果がもし良ければ全てよし。それに尽きる。
なにも大丈夫でないことはわかっているけれど、疑っていても仕方がない。何度も言うけれど、私は無一文の無学なのだ。なるようにしかならないだろう。
にっこりと笑うと、彼は苦笑した。

「将来大物になりそう」
「大物…」
「肝がすわってるねえ。辛い旅なのに、全然弱音はかないし」


よしよし、偉いねと言いながら頭を撫でられた。
複雑極まりないけれど、嫌な訳ではないので甘んじて受け入れる。
優しくされる事は嫌いじゃない。こうされれば気持がいいし嬉しい。
ただ、中身が子供じゃないのに、子供扱いを受ければ微妙な胸中にもなる。
彼は草原に投げ出した私の足をちらりと見ると、問いかけた。

「足、痛くない?」
「そうですねえ。疲れたけど、まだ大丈夫」


労わるように撫でられながら問われて、首を横に振る。
彼は黒い双眼を目を細めながら「そう」と頷く。私はそこで、「あ、バレてるな」と悟った。
私の小さな足は、真っ赤に腫れ上がっていた。途中で買ってもらった足袋が無ければ、隠せずすぐに露見していただろう。
草履がずれて擦りむけている。古い痣は青黒く変色している。骨が軋んで痛む。身体中が痛い。満身創痍である。

そんな事くらい、彼は見通している。それでも歩かなければいつまでも進まない。
そもそも当初に、「きみの事背負っていこうか?」と彼に提案されて、NOと跳ね除けたのは私なのだ。
申し訳なかったのと、恥ずかしかったのが理由だった。


***


何日か歩くと、緑の絨毯が途切れ、砂地を歩くようになった。
空はどこまでも広く、遮る建物もない世界には地平線がよく見える。
風の温度が変わり、夕暮れの気配を感じた頃。

「んー。これ以上は無理かな」
「無理…?」


様子見をしてくると言ってその場を離れていた彼が戻って来る。
私はというと、言いつけられた通り、その場で動かず待機していた。体育座りをしながら草冠を編んでいた。手持無沙汰だったのだ。
彼の手には、私が適当に積んだ葉とは違う草が握られていた。


「この草はね」


視線を合せるようにしゃがんでから、手元にの緑色を掲げ、こちらによく見えるようにした。


「昔から冬の兆しを知らせてくれるんだよ」
「…つまり」
「これが緑に茂る頃が冬の兆し、枯れる頃にはもう真っ只中」
「…だからこんなに寒かったんだ」


まじまじと見るけれど、私にはそこら辺の雑草と代わりがないように見える。見分けがつかない。
なるほどこれが生活の知恵の一つなんだろう。


「しばらくここに留まろうか。ちょうど人里もあるし、この辺り結構潤沢だから」
「…」


半ば独り言のように言いながら彼は辺りを見渡していた。
私は相槌も入れずそれを眺める。
何が潤沢で何がちょうどいいのだろう。留まってどうするのだろう。冬を明かすのか。

永い時間を共にする事になるらしい。今まで通り小出しに聞き出せばいいと、私はこの頃にはすぐに疑問を尋ねる事はしなくなっていた。


***


「これね。結構どんな環境下でも咲いてて、どんな地域でも需要のある草花だよ。根っこは滋養の薬、花の部分は煎じるとまた違った効果が出る」


彼は説明しながら葉だけもぎ取り、根と花弁をより分けていた。根の部分はごりごりと擦り、花の部分は麻袋のようなものにいれる。


「これ、どうするんですか」
「売りさばくの」
「……」


半ば予想していた事だけど、それでも驚いた。


「もしかして、あなたはお薬屋さん?」
「うん、薬師みたいのやってんだよ」
「…そっか。だからそんなに活動的なんだ」
「…………え?」


妙な間があった後に彼は首を傾げた。
私も首を傾げる。


「女の子目あてに旅行してるって言ってたから。怖くないのかなって思ってたんですけど…こういう手に職つけてたらどこでも生きていけそうですもんね」


自然界に生息しているものを詰み取り、煎じ、売る。
まさに手と知識さえあれば成り立つ職である。
言うと、「ああ、そういうことか」と納得したようだった。何を言い出すと思われていたんだろう。


「ほんとはすぐ僕の故郷まで移動しようかと思ってたけど、ちょうどいいかもね」
「ちょうどいいとは?」
「弟子を鍛えるために、放浪の旅するのもいいかなって」
「……」


まさか、死んで薬師の弟子になり、学ぶために各地を放浪する事になろうとは。
生前…と言っていいのだろうか。前はそんな仕事に就いた事など一度もなかった。
人生何がおこるかわからない。
まるでファンタジーの世界みたいだと、実感のわききらない私は、他人事のように構えていた。



2019.11.01